PowerPoint プレゼンテーション

第4回 新藤兼人平和映画祭
2015年8月6日 池袋・新文芸坐
「原爆の子」 「一枚のハガキ」 2本立て上映
11:35/16:25/20:30
9:45/14:30/18:35
「原爆の子」1952年8月6日公開
製作:近代映画協会・劇団民藝
主な出演者:乙羽信子・滝沢修・宇野重吉・奈良岡朋子
「一枚のハガキ」2011年8月6日公開
製作:近代映画協会
主な出演者:豊川悦司・大竹しのぶ・大杉漣・六平直政
13時40分~ 戦後70年企画トークショー
「広島出身の映画監督 新藤兼人が遺したものとは」
ゲスト:新藤次郎 ・ 神山征二郎 ・ 立花珠樹
(近代映画協会代表)
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(映画監督)
(共同通信編集委員)
絵:Shiho
Mitarai
映画監督 新藤兼人(1912~2012)享年100歳
1912年(明治45)4月22日、広島県生まれ。1934年(昭和9)京都・新興キネマの現像部で働き始める。のち
にシナリオを書き始め、溝口健二監督に師事。44年(昭和19)4月に召集され、呉海兵団に二等水兵とし
て入隊し、 終戦を宝塚海軍航空隊で迎えた。50年(昭和25)、松竹を退社し、吉村公三郎、殿山泰司たち
と独立プロ「近代映画協会」を設立。以降、『原爆の子』、『第五福竜丸』など近代映画協会を拠点に旺盛
な創作活動を開始する。60年『裸の島』がモスクワ国際映画祭のグランプリを受賞する。「ある映画監督
の生涯」「午後の遺言状」「一枚のハガキ」はキネマ旬報1位に輝いた
戦後70年企画トークショー (2015年8月6日 広島原爆の日 13時40分~)
「スクリーンの向こうに新藤兼人の遺したものとは」
~8つの視点で見る新藤兼人~
<ゲスト> 新藤次郎・神山征二郎・立花珠樹 <司会・主催者> 御手洗志帆
息子として、プロデューサーとして・・・
近代映画協会 代表取締役社長
新藤 次郎
1949年、神奈川県生まれ。71年日本大学芸術学部写真学科卒業。在学中より新藤兼人作品中心に独
立プロのスチールを担当。79年から三船プロダクションにて「大江戸捜査網」(テレビ東京)のプ
ロデューサーを担当。86年「ブラックボード」から近代映画協会にてプロデューサー、現在に至る。
主な作品:「濹東綺譚」「午後の遺言状」「生きたい」「さよならCOLOR」「一枚のハガキ等
授賞:SARVH賞 芸術選奨文部大臣賞 藤本賞
弟子として、映画監督として・・・
神山 征二郎
映画監督
1941年、岐阜市生まれ。県立岐阜北高校卒業後、60年日大芸術学部映画学科入学。63年病気で中退後、
65年新藤兼人監督の「悪党」の見習い助監督として近代映画協会に参加。以後、「藪の中の黒猫」
(‘68)「触覚」(’69)「かげろう」(‘69)で新藤作品の助監督。71年「鯉のいる村」で監督昇進
する。主な監督作品は「二つのハーモニカ」(’76)「ふるさと」(‘83)「ハチ公物語」(’87)
「白い手」(’90)「遠き落日」(‘92)「月光の夏」(’93)「ひめゆりの塔」(‘95)「群上一
揆」(’97)「大河の一滴」(‘01)「草の乱」(’03)「ラストゲーム・最後の早慶戦」(’08)な
ど。尚、「ハチ公物語」など新藤兼人脚本による監督作も多い。
観衆として、ジャーナリストとして・・・
共同通信社編集委員
立花 珠樹
1949年、北九州市生まれ。一橋大卒。74年共同通信社に入社。ニューヨーク支局、文化部
などで映画を担当する。新藤兼人さんはじめ三國連太郎さん、岩下志麻さん、香川京子さんら
映画人のロングインタビューや、名画の楽しい見方を紹介する映画コラムなどを執筆。近著に
若尾文子ロングインタビュー集『若尾文子〝宿命の女〟なればこそ』(ワイズ出版)。ほかに
『新藤兼人 私の十本』(共同通信社)、『岩下志麻という人生』(同)、『「あのころ」の
日本映画がみたい!』(彩流社)、『あのころ、映画があった』(言視舎)などがある。
広島出身者として、若者として・・・
御手洗 志帆
新藤兼人映画祭 主催
1988年、広島生まれ。27歳。07年、青山学院女子短期大学入学。卒業後、アルバイトで生計をたてながら、
2012年新藤兼人映画祭を個人企画で始める。以後、毎年8月6日に開催。ほか三島由紀夫のイベントなどを
開催。現在はテレビ番組のアシスタントディレクター。
「第4回 新藤兼人映画祭に向けて~70年前のヒロシマに思うこと~」
昨年に引き続き、第4回新藤兼人映画祭を開催します。昨年は、歌手の加藤登紀子さんや映画監督・作家の森達也さん、共同通信社編集委員の立花珠
樹さんをお迎えして、「今、語り継ぐこと」と題してシンポジウムを開催しました。昨年11月にお亡くなりになった俳優の菅原文太さんは本映画祭のた
めにメッセージを送って下さいました。そんな文太さんの言葉は、今を生きる日本人一人一人への問いかけのように感じます。以下全文掲載
「若い人々と子供たちが幸せでない時代は、間違いなく悪い時代だ。若い人たちと子供たちに希望がない国は、間違いなく悪い国である。日本は大丈夫
か。いや。日本はこのままでは、第二次大戦の敗戦後に生き残った人々で築いた戦争をしない国から、若い人々や子供たちを犠牲にする国に戻ってゆく
だろう。そんな国にならないために、戦争の記憶と記録を幾度も幾度も繰り返し読み、また語り、伝えてゆこう。菅原文太」
映画監督・新藤兼人は生きているかぎり生き抜きたいという信念を貫き100歳まで生き、映画を撮り続けてきました。原爆投下前の美しい広島の町で
育った新藤監督は一生涯「ヒロシマ」への思いを抱き続けました。戦後70年を迎える今年思うことは、広島で灼熱の炎、閃光と共に一瞬にして焼け死
んだ20万人一人一人の心は70年の時の中で癒えてきたのでしょうか。戦争の愚かさや原爆の恐ろしさは、日ごとに風化していっていないでしょうか。
新藤監督は何故戦争をしてはいけないか、との理由に「戦争は家庭を壊すものだから」と繰り返し言っていました。「個」にこだわり続けた新藤監督は
映画に何を遺し、何を託してきたのか、新藤兼人が遺したものを検証することで、70年前のヒロシマや戦争を考えるトークにしたいと思っています。
これまで思い出したくないほどつらい体験してきた被爆者の方々が私にその経験を語って下さったことを私は絶対に忘れません。戦争の記憶と記録を幾
度も繰り返し読み、語り、伝えてゆくために、必要なのは想像力だと思います。その想像力を養ってくれる一つに「映画」という文化があるのではない
かと思います。戦後70年目の8月6日という日に新藤兼人映画祭にお越しいただきヒロシマについて考えていただければ幸いでございます。御手洗志帆