1 141229 老いを考える - 病と思考の枯渇を超える 斎藤勝郎です。 八十路の年末雑感を書きました。 老いの戯言です。 青天の霹靂とはこのことではないだろうか。まして師走である。 会いたい人、間もなく会えるはずの人が突然病魔に見舞われ、会うに 会えなくなった。 年の瀬も迫る先週末、高校友人O氏の夫人から電話が入った。 「主人がこの春に肝臓がんを手術し、2 回目の入院をしています。ま ことに恐れ入りますが、、、」 高校友人O氏のこと 神戸北区に住むO 氏とは家が近いことか ら、何度か夫婦同伴で 食事をともにしている。 じつは来年も関西在住 明石海峡大橋の夜景 の高校同期 6 人で新年会をやろうと案内を出していた。 例年、淡路か有馬の保養所に一泊して旧交を温めている。 東北の片田舎を出て 6 人も関西にいるのは稀有のこと。ユダヤの選民 思想ではないが、選ばれし者は神に感謝し末永く交わろうということで ある。 とくにO氏とは在京の郷里育英会学生寮で 4 年間起居をともにした仲である。 彼は学者の道にすすみ、巡りめぐって40代 半ばから神戸大学で教鞭をとっていた。以来、 折に触れて二人で会ってきた。 昨年は元気だった。パーキンソン病の経過観 察をしていると言ってはいたが突然、肝臓がん を手術したと知って動転してしまった。 そういえば30代に輸血がもとでC型肝炎 になり薬を常用していると聞いていた。 老来の身に忍び寄るがんは隘路を狙い撃つの 神戸ポートタワー(水彩) かもしれない。 2 4年前に74歳で亡くなった友人M氏もC型肝炎がもとだった。 大事に至らず回復の早からんことを切に祈るばかりである。 「生きごろ死にごろ」の80代 80代は「人生、生きごろ死に ごろ」といわれる。 生きるもよし、死ぬるもよし、、、 幽冥境も定かならぬ言葉の遊びの ことではない。 できることなら、この年代になっ たら<好きなこと>をして生き、 悠久のガンジス -沐浴をする人々 残り人生を謳歌したいという友人がいる。 サラリーマンから画家になった友人Og 氏は先月、80代に入った。 大好きなインドをよく旅していた。悠久のガンジスの畔、ヒンズー教 の聖都ベナレスで「死にゆく人々」の中でおもいを絵筆にゆだねた。 ニューオリンズで黒人の暮らしを描いたこ ともあった。 日本にいるときは近くの美大アトリエに日 参して、日がな一日、裸婦を前に絵筆を走ら せたりしている。 大の読書家でもある。図書館から毎月、仏 書など分厚い古今の宗教・哲学書を取り寄せ ては机に山と積んでいる。 インド人物画 <積んどく>ではあるまい。 この常人と違うエネルギッシュな日常はど こから出てくるのだろうか、といつも思う。 老いと思考の枯渇を超える道をOg 氏にう かがってみたい。 ヒマラヤ級の山男、M氏 <好きなこと>をして残り人生を、、、、 同じおもいを持ちながら叶えられずにいる人もいる。 3 高校友人M氏である。彼もまた、インドではないがヒマラヤに憧れて いた。あの亜大陸は人を惹きつける何かを持っているようだ。 M氏は大学時代、雪の八甲田山で世界の三浦雄一郎と一緒に滑ったヒ マラヤ級の山男だった。 前立腺がんが転移して、この 6月から点滴で命をつないで いる。 さぞかし一度はチョモラン マの頂点に立ちたかったろう に、人の運命とおもうしかない。 3年前だったか、熊野古道に 誘い中辺路を山仲間5人で歩 チベット側から望むエベレスト いたことがあった。 日足の早い秋のこと。山に未熟な わたしの判断ミスから時間を読みちがえ、2時間以上も真っ暗闇の山道 をさまよった。 この時ほどM氏に感謝したことはない。装備のいい山男が持っていた 1個の懐中電灯が、われわれを遭難事故から救ってくれたのである。 一人が石橋から足を踏み外してせせらぎに落ち、右手小指を骨折して しまったが。 その不死身のM氏がいま死線をさまよっているというのか。 人間は老いと病の桎梏から逃れられないの だろうか。 S氏の人生三訓ABC そんなことはない。老いと病と思考の枯渇 などわれに無縁、われ関せずと超越する生き 方があると友人S氏はいう。 彼は自前の「人生三訓」をつねづね分かり やすく解説する。いわく人間のABC。 A = Aggressive/Active(行動力) B = Blessing(恩寵・感謝) C = Curiosity(好奇心) 野に咲くコスモス 4 まずA、自己の責任において「行動せよ」という。<自力>である。 「行動力」は自己に内在する「好奇心」Cにバックアップされて、より 幅広く発現し力強くなる。 さらにいえば、煩悩具足の身は<自力>のみでは不十分。清浄真実の <他力>が働いてこそ強くなれる。Bである。 「恩寵」は神に与えられるものだが、 「感謝」の心で受けそれを人に与 えてはじめて形になるとする。 老いを跳ねかえすS氏の人生 三訓はあくまで心にくい。 Y氏の遺作野鳥写真展 この9月、老いとは程遠い6 0代の友人Y氏が逝った。 現役時代、人事企画の要職を 担い公私とも相当の責任を果た し得て、いまようやく<終い準備> ルリビタキ に入ることができた、と自らもいう誠実謙虚な人物だった。 過度の喫煙、飲酒がもとで体調を崩したようだ。 自然が大好きで、生物学者になりたかった(夫人の話)というY氏は社 友会幹事をつとめる傍ら、野鳥の会の仲間たちと野外観察に明け暮れて いた。 今般、遺族の好意により社友会としてY氏の遺作野鳥写真展をホーム ページに公開してくれている。プロ級の写真集である。 Y氏の嬉しそうな笑顔が目に浮かんでくる。 故山本精一郎氏の遺作写真展 (コベルコ建機社友会) 仲をとりもつ遺作写真展 夕日を背にして歩くカニ Y氏の朋友A氏はまことに行き 届いている。 10年前に亡くなった同僚Mk 氏 の夫人にこの「遺作野鳥写真展」を メールで送ったのがきっかけで、波 紋が広がっている。 5 Mk 氏の夫人は子育てを終えて先年義父を看取り、いま野鳥の会に いそしんでいる。 境遇、趣味の共通する両夫人 の仲を取りもつ遺作写真展で ある。A氏の善意による。 両夫人の交友がこれからは じまるに違いない。 手を差しのべる人、それに 応える人。 交信メールを読むほどに心 が和んでくる。人の世の交わり はかくありたいものとおもう。 コアジサシ 散骨したMk 氏 Mk 氏について触れる。 A氏から聞いた話であるが、わたしも輸出部にいたMk 氏のことはよ く知っていた。 宮崎生まれのMk 氏は海が好きだった。長男に玄界灘にちなんで玄太 郎、次男に周防灘の周次郎の名を贈り、息子たちの成長を海に託した。 心にくい親心といっていい。 九州男児は気宇も大きか ったが、心根がロマンチス トだったというべきか、、、 「赤道直下の海流は地球 を一周する」から、骨はマ ラッカ海峡に散骨してほし いと病床から夫人に遺言し ていたそうである。 夫人は夫の遺志を汲んで かの国に飛び、散骨した。 紺青のマラッカ海峡 Mk 氏一家は一時期マレーシア に駐在していたのである。 そして今、長男一家がロサンゼルスに住んでいる。この正月には母を 招いているそうだ。親孝行な息子たち。 Mk 氏は玄界灘、周防灘の彼方から目を細めて一家のしあわせと安泰 6 を見守っているに違いない。 海流に乗って世界を経めぐったMk 氏の散骨が、10年の歳月を経て 還流しているもののようである。 師走は老いの品評会 レベルの落ちる話題をひとつ。 今年も師走に入って忘年会が続 いた。忘年会に出てくる人は元気者 が多いが、そのぶん、思考の硬化が 目立ついわば老人品評会の様相を 呈する。 一方的に饒舌をする人。なかには自分を<特別な>人間と勘違いして、 高みから物申すご仁までいるから不思議である。 一方通行者が多く、公道を逆走するご老人までいる。 多くの場合、脳の老化現象で視野が狭窄し狭い範囲しか見えなくなっ ていることによるのではないか。 もちろんレベルの高い人もいる。たとえば母校で長年学生たちを教え てきた畏友K氏。彼は、あえて人に<垂れる>ことをしない。苦手だと いう。この人にして、この言あり。 紳士と謙虚・親切は同義語のようである。 殷鑑遠からず ―- 老人品評会の面々もわが身を律すべしであろうか。 会がもっと楽しくなるだろうに。 実るほど 首を垂れる 稲穂かな 忘年会寸描 ある忘年会でのこと。 幹事の指名を受け、満を持し て演台に上がり滔々と話す人 がいた。まるで独演会である。 話し方は滑らかで一見能弁 のふうだが、聞くともなしに聞 いていると同じことを繰りか 永観堂の紅葉 えしている。 7 数年前、同じ会で隣の席にいた先輩が、横でささやいたことを思いだ した。ソフト帽の似合う穏やかな人だったが、いま夫人の介護に明け暮 れ、長らく会を休んでいる。 「彼はいつもあんなんですよ。 誰も聴いてないのに、おかまい なしに延々とマイペースの独り舞 台。ああはなりたくないよね」 年をとると言葉数が少なくな るのが普通だが、一方で饒舌にな る人が多い。なぜだろう。 頭のまわりが悪くなり、くどく テムズの白鳥と子連れ鴨 なっているということだが、根っこ には「自分中心」がある。 同じことを繰り返していわないと自分自身が理解できない、納得に至 らない。すべて自己満足、自分中心の世界に閉じこもってしまう。 別の忘年会での話がある。誰かが突然みんなの前で、 「 ―さんは、何かいうと怒るから、、、」 と、いいだした。 ―さんが、あとでそっといった。 相手に不快感を与えることはいわ ない、書かないのが人間の常識だよ ね。個人的に一度ならず注意してる のにあんなことをいいだす、しかも <人前で>。 自分が何をいってるか分かって ない、自分が見えてないのが問題 だ、、、と。 法然院の苔むす境内 これは老人に限ったことではない。 世のなかには他意はなくても、無神経で、人への配慮が欠落している人 がたまにいる。 8 男は寡黙がいい 男は寡黙をもってよしとする。ぺらぺら喋ると人間そのものが薄っぺ らになる。年寄りが黙りこくっている姿は一見わびしく見えるが、ここ は高倉健になれないか。先月、83歳で逝った高倉健は、 往く道は 精進にして 忍びて終わり 悔いなし と、座右銘通りの生涯を通した。 竜安寺の石庭 言葉は、千鈞の重みをもつ隻語がよい。 禅僧は、「無~」とひとこと発して、あたりを払う迫力があった。 シニアの運転免許更新 80の坂を越えて間もなく2年になる。 老骨を なだめすかしつ 八十路越え いよいよ残り時間が少なくなって先が見えてきた。どう生くべきか。 反省と希望、願望を込めて 省察を試みたつもりだったが、 若干レベルの低い書き方にな っている。 そこで心強い話を一つ紹 介したくなった。 先日、老妻がシニア運転免 許の書き換えに行った時のこ とである。 指導員にこんな有難い言 長谷寺の本坊廊下 葉をかけられたそうだ。 9 「あなたは、学科、実技ともに合格点です。問題がありません。しか し、お年ですから<これまで通り>の運転を続けてくださいよ、、、」 <これまで通り>とは、どういうこ とだろう。 職務上いろいろ注意点を述べたが、 お年寄りは急に自分の運転を変える と、かえって危ないのです、だから< これまで通り>、、ということらしい。 大笑いした。 許されてほっとした気分になるが、 これでは「老いを考える」などと、ま ことしやかに書いてきたことが振り 出しに戻ってしまう。 しかし、よく考えてみよう。指導員 は、無理をしなさんな、<これまで通 り>自分の身についたことをやりなさい、 といっている。 長谷寺の大登廊 指導員は宗教哲学に明るい これは宗教ではないかとおもった。指導員 は深遠なことをいっているのだ。 仏教では「あるがまま」を説く。 己を知り、身の丈に合わせて生きよ。今あ るを常態としてまるごと受容し「あるがまま」 を生きよ、それが御仏の心ぞよという。 お釈迦さまが間違ったことを仰言るはず がない。 よく考えてみよう。 「森羅万象なにひとつ同じものがない」 「何でもありが人生よ、、、」 これだけは間違いのないリアリテイであ ヘラクレイトス る。 10 だから安心して<わが道をゆけ>、人と比較して右顧左眄する必要な どどこにあるか、、、ともとれる。 ヘラクレイトスとランケに学ぶ ここで森羅万象云々、は古代ギリシアの哲人ヘラクレイトスからの孫 引きである。「万物流転」といえば哲学めいて意味深に聴こえてくる。 移りゆく時間・空間のなかであらゆる物象は変遷してやまないという が、、、何のことはない、ヘラクレイトスも<わが道をゆけ>といってい るようだ。 このことを近代歴史学の父、ランケは「時代精神」と呼んだ。 時代によって正義も異なる。あの時代には正義がなかった、、、などは 大きな間違いである、と。 歴史は万象とともに刻一刻と遷り変わるが、その中でただ一つ実在す のはそれぞれの時代の侵しがたい「いま」「ここ」だけであるとする。 そういえば、同じことを平安の仏徒・空海も明快に語っている。 「たしかなのは<今>、それしかないのです、、、」と。 シルクロードの人々 ―新疆ウィグール (水彩) 11 「いま」 「ここ」、、、哲学めいていよいよ難しくなってきたが、わかり やすく現代風に当てはめれば、どうなるだろうか。 現役時代は20代、30代、40代、50代それぞれの為すべき職務 がある。定年を過ぎれば、60代、70代、80代と「時代精神」が移 っていく。 天下の老人たちは皆、生きている限り、堂々と<わが道をゆく>、王 道を歩んでいる。御仏の掌から落ちないよう懸命に。 とやかくいうほうが間違っているのかもしれない。 ALWIN(水彩) 12 * 水彩画は友人T氏 インド人物画は友人Og 氏 野鳥写真は故Y氏による。 ---------------------------------斎 藤 勝 郎 674-0057 明石市大久保町高丘 5-1-7 E-mail : [email protected]
© Copyright 2024 ExpyDoc