申 命 記 第 6章 4~ 15節 ・ レ ビ 記 第 19章 18節 マ ル コ に よ る 福 音 書 第 12章 28~ 34節 日本キリスト教団 牧師 荒井多賀子 今日、わたくしたちが、中区根岸町にあるこの「シャロームⅡ・ミーティングルーム」の 小さな一室に集まって、最初の主日礼拝を守り、開拓伝道の第一歩を踏み出したという事は、 すばらしい歴史的瞬間の出来事なのです。 皆さん一人一人の人生にとっても、また横浜や日本のキリスト教の歴史にとっても、かけ がえのない、すばらしい歴史的瞬間の出来事なのです。神さまが世界の歴史やわたくしたち の人生の中に何か新しい救いの業を始められる時、それは大げさな、目立つような大きいこ とから始められるとは限りません。むしろ、名も知られないような一般の人々、小さな取るに 足りない人間や民族や国々、小さな出来事を用いて、そこから大いなる祝福に満ち溢れた救 いの御業を始められることが多いのです。イスラエルの民が神に選ばれたのは、他の国や民 族と比較して特別に優れていたからではありません。むしろ、その反対でした。申命記の 7章5~8節には、次のように書かれています。 「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての 民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれた のは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民 よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた 誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、フ ァラオが支配する奴隷の家から救いだされたのである。」 つまり、イスラエルの民が神に選ばれて、神の宝の民とされ、救いの恵みに預かったのは、 他の民より数が多いとか、優れているとかではなく、むしろ、取るに足りない貪弱な民であ ったからである、というのです。「あなたに対する主の愛のゆえ」であり、ただ神の憐れみ、 愛ゆえに選ばれ神の溢れるばかりの恵み以外のなにものでもない、というのです。 横浜根岸教会は、開拓伝道の産声をあげたばかりの弱々しい小さな群れですが、今日、こ の礼拝にわたくしたちが招かれ、導かれたことの背後には、神さまのあのイスラエルの民に対 すると同じ御心とご計画があったからだと思います。この地での福音宣教と教会の設立を神 が祝福して、期待しておられるからなのです。 ( 1) 律 法 学 者 の 問 い ( マ ル コ 12: 28) 一人の律法学者が、進み出て「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか」と、イエス に尋ねました。イスラエル民族にとっての最初の掟は、シナイ山でモーセをとおして与え られた十戒でしたが、その後の歩みの中で600以上もの戒律になっていたので、律法学 者は「沢山ある掟の中で、どれが一番重要な掟なのか」と尋ねたのです。イエスはその問 いに、旧約の言葉を引用して、次のように答えました。 「第一の掟は、これである。イスラエルよ、聞け、わたしたちの神は唯一の主である。心 を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。 第二の掟は、これである。隣人を自分のように愛しなさい。この二つにまさる掟はない。」 (マルコ12:29~31) イエスは、第一の掟として、全身全霊をもって神を愛すること、また第二の掟として、隣 人を自分のように愛することを、あらゆる掟の中で最も重要な掟としてお答えになったので す。つまり人間の生きる基本はまず「神を愛すること、そして隣人を自分のように愛するこ と」が、律法全体を貫く根本精神である、と言われたのです。律法学者も「『神は唯一であ る。ほかに神はない』とおっしゃったのは、ほんとうです。そして『心を尽くし、知恵 を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということはどん な焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」(12:33)と、同意し、イエスの 語られたことを全面的に認めたのです。イエスは律法学者が適切な答をしたのを見て、 「あなたは、神の国から遠くない」と言われました。 ( 2) 第 一 の 掟 ( マ ル コ 12: 29~ 30) 主イエスが、第一の掟として語られた言葉は、旧約聖書の申命記第6章4~5節からの引 用です。 「聞け、イスラエルよ。我らの神、主は唯一の主である。あなたは心を尽くし、魂を尽く し、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」 「イスラエルよ、聞け」は、神に聞くというユダヤ人が幼い時から朝夕静まって神の 言葉に聞き、祈るという生活の基本・根本にかかわる礼拝の態度(生き方)として大切 にしていたものです。わたくしたちは、現代の情報化時代の只中での生活を余儀なくされ、 次々に押し寄せる情報の洪水の中で、毎日慌ただしく追い立てられ、人間として生きるため に本当に必要な「無くてならぬもの」を、見失って生きているのではないでしょうか。 また、家事や仕事や趣味等を大切にする余り、それのみに心を使い、忙殺され、過労に陥 り、すっかり神を忘れ、自分の存在価値を支えてくれるものを見失って生きていないでしょ うか。わたくしたちは、目に見える世界、相対的な世界の中でのみ生きることに追われ、満 足していることが多いのです。 そのようなわたくしたちに、神は「横浜根岸教会に招かれた新しいイスラエルの民よ、聞 きなさい」と呼びかけておられるのです。わたくしたちは、この根岸の地で開拓伝道をする にあたって、「神を愛し、信頼して生きる」ことを、生活の基本に据え、神以外のものを絶 対化することがないようにしたいと思います。ウエストミンスター小教理問答に「人生の目 的は、神を崇め、とこしえに神を楽しむことにある」と記されています。人生の目的は、神 を崇め、その生活のすべてにおいて、神を神として礼拝し、愛し、信頼して生きることを教 えています。一週間の始めが、神を崇める主日礼拝から始まることを心に刻み、この開拓伝 道の旅に神と共に出発したいと思います。 ( 3) 第 二 の 掟 ( マ ル コ 12: 31) こ の 第 二 の 掟 は 、 旧 約 聖 書 の レ ビ 記 第 19章 18節 か ら の 引 用 で す 。 「復讐してはならない。民の人々に恨みを抱いてはならない。自分自身を愛するように隣 人を愛しなさい。わたしは主である。」 主イエスは、レビ記に記された「自分自身を愛するように隣人を愛しなさい」というこの 掟を、第二の掟に据えることによって、「この二つにまさる掟はほかにないと」と宣言した のです。「自分自身を愛するように」とか「自分のように愛す」というのは、「ありのままの 弱い、罪深い自分が、神に愛され、赦され、かけがえのない存在として受け入れられている」事 を意味します。 そのような神の愛を知ったものは、自分を慈しみ、愛し、受け入れるようになります。 そのような愛で隣人をも愛するようになります。つまり主イエスは、神を愛することと、 隣人を愛することとは、一つのことであり、あたかも車の両輪のように切り離すことが できない深い密接な関係にあることを教えられたのです。これこそが、あらゆる掟の中 で最も重要な掟であり、これこそが律法全体の根本精神なのです。 ヨハネの手紙に次のように記されているとおりです。 「神を愛していると言いながら、兄弟を憎むものは、偽りものである。神を愛するものは、 兄弟をも愛すべきである。この戒めを、わたしたちは神から授かっている。」(ヨハネⅠ4: 20~21) ここには「神を愛するものは、兄弟をも愛すべきである」と書いてありますが、神を愛 することと隣人(兄弟)を愛することは、二つにして一つのことなのです。ありのまま の弱い、不信仰な、罪深い自分が、神によって愛され、赦され、受容されていることを 知ることはかけがえのない真実です。主イエスの十字架は、そのようなわたしたち人間 を愛し救うために、ご自分の命をささげ、贖いの死をとげられた出来事なのです。パウ ロは、このことを「実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、 不信心な者のために死んでくださった。…わたしたちがまだ罪人であったとき、キリスト がわたしたちのために死んでくださったことにより、神はわたしたちに対する愛を示されま した」(ローマ5:6、8)と記しています。 この第二の掟を語られたイエスご自身が、当時のユダヤ人・異邦人の差別なく、今日のわた くしたちに至るまで、一人一人の人間の人格を重んじ、かけがえのない価値ある存在として 愛し、受け入れ、罪を赦して下さっているのです。主イエスの真実な愛は、十字架と復活に よって啓示されています。 このような愛によって、生かされている自分を知った時、わたくしたちはありのままの自 分を愛し、受容し、隣人と共に、神の愛・キリストの愛にならって生かされていく喜びを発 見するのです。隣人とは、もはや自分の気にいった友人や家族や知人だけでなく、自分の出 会うすべての人々のことです。 当時の律法学者やユダヤ人は、この掟を、イスラエル民族にだけ当てはめましたが、主 イエスは、サマリア人のたとえ(ルカ10:25~37)にもあるように人種、国籍、民族、敵 味方の区別なく、すべての人に当てはめられたのです。 礼拝順序の中に十戒を入れたのは、わたくしたちも律法の根本精神を、ただ掟として守る のではなく、神の前に罪を自覚し、福音として、生きる基本として理解したかったからです。 十戒の1~4戒は、神を神として崇め愛すること(神との関係)を、5~10戒は隣人を自 分のように愛すること(隣人との関係)を教えてくれます。十戒は、イスラエルの民に愛と 自由への賜物として与えられました。主イエスは、その根本精神を重要な二つの掟としたの です。わたくしたちは、今、神のこの大いなる恵みの中に招かれ、「神と隣人への愛」を生 きる基本に据えて、主日礼拝を守り、共に根岸での開拓伝道に勤しんでいくようにと、期待 されているのです。 福音を宣べ伝え、キリストの体である教会を建てるために! 福音宣教のすべての業が神の栄光のために!
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