VOLUNTAS 2011-2015 ボランティア活動報告集 VOLUNTAS 2011-2015 ボランティア活動報告集 ボランティア委員長あいさつ 敬和学園大学のボランティアと敬和学園大学Σソサエティ ボランティア委員長 山﨑ハコネ 2015年度に本学は、創立25周年を迎えます。本学は神と人とに仕える真のボランティ ア精神の涵養を建学の理念に据えてきました。そのミッション・ステートメントは「本学 は、キリスト教精神に基づく自由かつ敬虔な学風の中でリベラルアーツ教育を行いグロー バルな視点で考え、対話とコミュニケーションとボランティア精神を重んじて隣人に仕え る国際的教養人を育成します」とかかげています。理念と目的に則った人格教育、全人教 育の一環として、地域に根ざしたボランティア活動を推進し、「隣人に仕えるための地域 社会への貢献」をできる担い手、他者と共に生きる「良心的人材」を育成していくことが 本学のボランティア教育の目標です。 そして喜ばしきことに、こうした本学のボランティア教育・ボランティア活動のよき理 解者、協力者として開学以来、側面的支援をもって支えてくださっている団体があります。 その団体が「国際ソロプチミスト新潟」の皆様であり、1994年に「敬和学園大学Σソ サエティ」 (以下Σソサエティと称す)の認証をいただきました。以来ボランティア活動 資金として毎年10万円を助成していただいております。Σソサエティにつきましては、 国際ソロプチミスト新潟の会長田中百合子様のごあいさつの中でふれてくださっておりま すので、省略させていただきますが、今号の『VOLUNTAS』は、Σソサエティの助成 によって発刊されているということを感謝とお礼をもってご報告させていただきます。 同様に、本学においてΣソサエティ助成は、主に大学と地域をつなぐひとつの場である 「ふれあいバラエティ」の活動資金として運用されるとともに、東日本大震災ボランティア 活動の広がりと継続を支援するための活動支援金として用いさせていただいております。 国際ソロプチミスト新潟様にも、毎年「ふれあいバラエティ」にご参加いただき、時にはプ ログラムがマンネリ化してきている点や、学生らしい企画のダイナミックさに欠ける等の 貴重なご助言をいただき、学生たちのボランティア活動を応援してくださっています。 そうしたご期待に少しでもお応えしたいという思いと同時に、学生たちが取り組んでい るさまざまな分野でのボランティア実践を知っていただきたいという思いもあって、この 度、一冊の報告書としてまとめました。主な内容としては、 (1)KeiwaHOPEの活動報告、 (2)ゼミ・ボランティアの活動報告、 (3)個人のボランティア活動、 (7)卒業生の報告など、 敬和学園大学のボランティア活動を紹介する報告書となっています。そして、この報告書 を機に、本学の学生たちが、敬和学園大学Σソサエティのことを、よく理解し、また、その 趣旨を重んじて、ふれあいバラエティをはじめとしてΣソサエティの活動助成を活かすボ ランティア実践に取り組んでいくことができるようにと願っています。そのためにも、Σ ソサエティ助成が、学生たちのボランティア活動を広げ、また、学生らしい企画・運営を もって展開できるために、より公平に呼びかけていくのか等、方法論についても検討を始 めています。これからも、国際ソロプチミスト新潟様とともに、敬和学園大学のΣソサエ ティのあり方を共に考え、一緒に学生たちのボランティア活動を支え、その実践を見守っ ていただきたいと思います。敬和学園大学のボランティア活動のためにご支援ください。 -2- 国際ソロプチミスト新潟様あいさつ 国際ソロプチミスト新潟認証 敬和学園大学Σソサエティ 国際ソロプチミスト新潟 会長 田中百合子 敬和学園大学ボランティア委員会『VOLUNTAS』作成に際しご挨拶申し上げます。 国際ソロプチミストは1921年カリフォルニア州オークランドで職業を持つ80名の女性 によって結成されました。現在世界130ヵ国3,000余のクラブに約80,000名の会員、その うち日本の会員は約12,000名います。 新潟クラブは1976年に誕生し、来年2016年に40周年を迎えます。現在23名で活動し ております。主な活動は スポンサーシップ事業として 敬和学園大学ソサエティ・新潟 市立赤塚中学校生徒会Sクラブ・新潟県立新潟中央高等学校Sクラブ・新潟清心女子高等 学校ND委員会Sクラブがあります。又、奉仕寄付活動として 新潟がんセンター小児病 棟・のんぴーり青山・新潟県女性福祉相談所・自立支援ホーム「たいむ」 ・ネパール女性 教員養成里親基金・バングラディッシュ聾学校・ (財)新潟市開発公社緑化推進室、等の 他、顕彰・援助事業として新潟で頑張っている女性やボランティア団体を国際ソロプチミ ストアメリカ連盟やソロプチミスト日本財団に推薦し、表彰や資金援助することによって その活動を支援しています。 Σソサエティとは、学校や地域に何か役立ちたいと考えている15名以上の学生がつく るボランティアグループで、ソロプチミストがスポンサーとなります。会員である学生た ちが学校と協力しながら、高い水準と理想を持った学校づくり、地域社会をよくするため のボランティア活動に取り組むことによって、将来のリーダーとしての能力を発揮すると 同時に、友情を培い目標を達成したときの喜びを分かち合い、充実感を経験する場となる ことを、私たちソロプチミストは願っています。 1人でできる事には限りがあります。でも2人、3人と人数が集まることによって、よ りおおきな力となります。自分が何かの役に立つことを願い、そういう同じ志をもった仲 間が集まって行動する、それがΣソサエティです。 Σソサエティは、学校の規則・規律に基づいて会員たちの手で細則を定め、組織を運営 します。会員である学生の自主性を重んじることによって、会員はその指導力を発揮し、 将来のよき市民、リーダーとしての能力を伸ばしていきます。 1966年国際ソロプチミストアメリカ連盟大会で、Σソサエティをスポンサーすること が決定しました。 私達ソロプチミスト新潟は、ボランティアの機会が与えられた時に発揮する学生たちの 力に感動すると共に、その活動を助成することを目的として1994年4月に敬和学園大学 Σソサエティを認証し、毎年5月に助成金100,000円をお渡ししスポンサーしております。 今後とも、より良いボランティア活動されることを期待し、又そのご報告をうかがえる 日を楽しみにしております。 最後に、ますますの皆様のご活躍をお祈り申し上げます。 -3- 目 次 ボランティア委員長あいさつ 共生社会学科 准教授 山﨑ハコネ………… 2 国際ソロプチミスト新潟様あいさつ 国際ソロプチミスト新潟 会長 田中百合子………… 3 英語文化コミュニケーション学科 准教授 山﨑 由紀………… 6 ボランティアコーディネーター 池田しのぶ……… 10 英語文化コミュニケーション学科4年 和田 彩音……… 12 英語文化コミュニケーション学科4年 長谷川千紘……… 13 Keiwa HOPE 被災地を伝えよう・被災地と繋がろう Keiwa HOPE活動概要 Keiwa HOPEと共に歩んだ4年間 ボランティアから見つけたこと 募金活動報告 被災地ボランティア ―復興支援インターン― ボランティアコーディネーター 池田しのぶ……… 14 東北での出会い 英語文化コミュニケーション学科2年 山本 果奈……… 16 英語文化コミュニケーション学科2年 石附 風美……… 18 復興支援インターンに参加して 国際文化学科2年 大野 朱理……… 21 被災地を訪れて 英語文化コミュニケーション学科2年 真野 小雪……… 24 募金活動の大変さ 英語文化コミュニケーション学科2年 高橋 真紀……… 27 震災後の被災地は今 英語文化コミュニケーション学科2年 岡村 和……… 22 Halloween Parade 英語文化コミュニケーション学科3年 佐藤 朱莉……… 26 ゼミ・ボランティア ゼミ・ボランティア導入の経緯と活動の実際 英語文化コミュニケーション学科 教授 中村 義実……… 28 国際文化学科 教授 英語文化コミュニケーション学科2年 牧田比菜子 …… 33 英語文化コミュニケーション学科3年 丸山瑛理香……… 34 国際文化学科2年 長濵 美郷……… 35 国際文化学科3年 小薬 慎……… 36 共生社会学科2年 大井 駿介……… 37 共生社会学科3年 小嶋奈津子……… 38 英語文化コミュニケーション学科2年 祖山 恵……… 39 英語文化コミュニケーション学科2年 熊倉 千夏……… 40 「必修」活動から自発的な活動への繋がり 外ヶ輪小学校 教育体験 「夏休みにALTと遊ぼう」に参加して サマースクールに参加して ゼミ・ボランティア ―藤井農園― 地域活性化を目指して ―ともに創る味噌作り― 今までとこれからにつながること 個人活動 房 文慧……… 30 「夏休みにALTと遊ぼう」を振り返って 寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅 -4- 寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅 共生社会学科2年 英語文化コミュニケーション学科3年 中島 綾子 …… 44 共生社会学科2年 原 彩佳……… 46 国際文化学科3年 王 流政……… 48 英語文化コミュニケーション学科2年 庭野 果菜……… 49 英語文化コミュニケーション学科2年 石附 風美……… 50 英語文化コミュニケーション学科2年 山本 果奈……… 52 国際文化学科2年 大野 朱理……… 54 共生社会学科2年 近藤 光明……… 56 共生社会学科2年 佐藤 葵……… 58 共生社会学科3年 青木 雄佑……… 60 英語文化コミュニケーション学科3年 鈴木 雛琴……… 64 「はばたけ21~未来の子どもたちへ~」に参加して 川瀬 由花……… 42 はつらつ体験塾を通して学んだこと 中学校での通訳・学習支援ボランティアを通して学んだこと 遠野まごころネットでのボランティア ふたつのプログラムからの学び ボランティア活動を通して 子どもと関わるボランティア ボランティアフォーラムに参加して サークル活動 フェアトレードとの出会い ふれあいバラエティから得たこと 俺たちの活動 AYFに参加して 共生社会学科1年 敬和学園大学のボランティア教育の実践と課題 五十嵐 光……… 62 共生社会学科 准教授 ボランティアコーディネーター 池田しのぶ……… 68 敬和学園大学におけるボランティア活動支援 学生時代の活動と社会とのつながり 山﨑ハコネ……… 66 かつて学生だったわたしから、いま学生のあなたへ 在学時の思い出 卒業生(04V031)坂井万里央……… 70 相手を思いやる気持ち 卒業生(07K007)平野 友里……… 72 海外ボランティア報告書 卒業生(07L026)村山 美樹……… 74 卒業生(05L054)MIRIAM PERVERSI…… 71 得た経験が私の一生の宝物 ボラセンから始まる思いで ボランティアで学んだこと 小さなことでも役に立つ 卒業生(07K025)姜 玉涛……… 73 卒業生(08L004)長谷川貴拓……… 75 卒業生(09L020)菅家 茜……… 76 卒業生(10V012) 丸山るり子……… 77 活動の様子……………………………………………………………………………………… 78 発表資料………………………………………………………………………………………… 88 メディア掲載…………………………………………………………………………………… 92 編集後記 学生係・ボランティア委員 浅羽 智美……… 93 -5- ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 被災地を伝えよう・被災地と繋がろう 英語文化コミュニケーション学科 准教授 山﨑 由紀 (Keiwa HOPE顧問) 2011年3月11日の東日本大震災の発災から4年の時間が経過しました。発災直後に Keiwa HOPE(Keiwa for Helping Other PEople)と名付けられた敬和学園大学にお ける被災地復興支援活動も、毎年、異なる経験を積み重ねながら、新たな局面を迎えてい ます。2011年の震災発生以来、新潟県北部の大学として、何ができるのかを常に自問し 個人活動 ながら歩み続けた4年間でした。 発災直後の大学では震災当時の2年生・3年生が中心となり、すぐに募金活動が始まり ました。Keiwa HOPEでは学生だけではなく、卒業生、教職員が共に活動を続けてきま した。震災から一週間後の卒業式での募金や、新発田市社会福祉協議会との街頭共同募金 などが最も早い時期の取り組みです。一方で、東北地方に隣接しながら、交通網が遮断さ れなかった日本海側の主要都市として、被災地から祖国に帰る方達とその手続きに奔走す サークル活動 る領事館のお手伝いを中国人留学生たちが中心となって行いました。また福島県の隣県と して境を接する新発田市の大学として、避難してこられたご家族の子どもたちの教育支援 などにも取り組みました。このような活動が2011年3月から5月初旬にかけての中心的 なものでした。 私たちの暮らす新潟市・新発田市・阿賀野市などで活動を行った密度の濃い時間ではあ ボランティア教育 の実践と課題 りましたが、被災地に出るのには時間がかかりました。発災当時の被災地においては専門 性の高い支援が求められており、学生たちが初めて岩手県の被災地を訪れたのは5月の連 休明けのことでした。 「テレビの報道で知っていたのとは違う衝撃があった」 「テレビや新聞では匂いまではわからない。行かな ければ感じることができないものがある」 学生時代の活動と 社会とのつながり 学生たちが現地で行ったことは、被災したお宅 の掃除や、被災者の方の津波で汚れた思い出の 品々の洗浄や処分、被災した保育園の訪問など、 学生の力でできる範囲の行動ではありましたが、 被災地で必死の復興をめざし、祈りとともに生き ていらっしゃる方々との交流は、何にも代え難い 活動の様子 経験となりました。最初の活動から戻った学生た ちが口々に語っていたのは、「忘れてはいけな い」という言葉でした。 -6- 具体的な目標として掲げた訳ではありませんが、Keiwa HOPEでの活動に参加した誰 もが、この思いを共有していました。5月に被災地に同行しなかった学生たちは、被災地 に向かったチームの活動を通して、被災した幼稚園・保育園が設備を失い、遊具なども支 援の対象としては後回しとなっている状況を知り、その後の学内月例募金となる5日間の 募金活動を開始しました。多くの工夫が考え出されました。募金活動が毎月11日の前後 に5日間連続で行われること、募金をした人に手作り焼き菓子が提供されること、学内 サークルも募金応援のためにパフォーマンスを行ったり、ポスターを作成するなど、積極 的な協力があり、多くの敬和学園大学関係者がこの募金活動に参加することとなったので す。学内での募金活動は楽しい雰囲気を醸成していましたが、同時にその活動が毎月繰り 返されたことによって、毎月の募金の準備段階から震災を思い起こす機会となったのは小 ントも開催されるようになりました。 学食を運営する株式会社蒲城様もご協力をくださり、日替わり定食や週替わり丼に50 円追加するとコーヒーや味噌汁が提供され、その追加分を本学で行う募金の一部としてく ださいました。これらは「ささえ愛メニュー」と名づけられ、現在も続けられています。 個人活動 さな成果だったと言えるでしょう。2年目からは学期末のチャリティ・パーティーのイベ ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 被災地を忘れない 学内のアクティブラーニング系を中心とする講義・演習、学外活動を通じた募金協力も 活動が3年目に入る頃、報道される被災地で は、瓦礫も撤去され、離れた地域に暮らす私たち には一見、日常が取り戻されつつあるかのような 錯覚が芽生えました。実際に被災地から離れた地 も社会全体に蔓延していたのかもしれません。 震災そのものの被害をほとんど受けなかった新 潟も例外ではなく、その社会の空気は募金活動に も顕著に表れるようになりました。その中でも変 わらずに募金活動へのご協力を頂いた皆さまに 先輩たちの活動を引き継いだ学生たちの中にも 様々な模索がありましたが、困難な時期でした。 発災当時と、その後の緊張の糸が切れてしまった ような社会と学内の両方の空気を知る世代の学生 たちは、発災当時の活動を大切にする意識が強 るだけでは、声の届きづらい苦しい期間に入っていました。現地活動にも参加した上級生 たちには、募金活動に対する格別な思いもありました。このような時期にも遠野まごころ ネット様を通じて、東北被災地の進学を目指す若い方たちへの支援を継続できたのは、困 難な中での成果です。一方で、この先の活動をどのようにしていくか、という大きな課題 を抱えることになったのです。 -7- 活動の様子 く、活動の大胆な刷新よりも継続を目指しました。しかし、「被災地を忘れない」と訴え 学生時代の活動と 社会とのつながり は、格別の感謝を申し上げます。 ボランティア教育 の実践と課題 域においては、長い震災一色の報道に対する疲弊 サークル活動 あり、教職員の積極的な協力もありました。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 被災地を伝えよう・被災地と繋がろう 震災から4年目を迎える2014年度が始まる直前に変化が起こりました。2013年4月の 入学生たちが1年次を終える頃のことです。1年生としての学びを終える彼らが春休みを 迎え、積極的に様々なボランティア活動に参加し始めました。中越での震災をきっかけに 始まった社会人の方々の被災地活動「新潟恩返し隊」には2月・3月と継続して参加し、 宮城県気仙沼市の離島大島での民宿再生のお手伝いをさせて頂きました。また同時期に開 催された東京での「学生ボランティアフォーラム」に参加した学生たちもおりました。こ こでは震災に対応するボランティアだけではなく、児童労働問題やフェアトレードといっ た国際的な問題に取り組む活動にも関心が持たれ、新潟に戻ってからの新たな活動に結び ついています。 東日本大震災発生当時、高校1年生から2年生に進級しようという時期を迎えていた人 個人活動 が多数を占めるこの学年は、 「何かをしたくても自分たちだけではまだできない」という 思いを抱えながら、高校生としての2年余りを過ごしてきた人たちでした。大学での様子 が一通りわかり始めた1年次の終わりに、「今度こそ自分たちも何かができる」とボラン ティア・センターへの相談が相次いだのは、考えてみれば自然なことだったのかもしれま せん。 この学生たちは、2年生の夏休みに(2014年8月) 、復興人材育成教育を目指す復興大 サークル活動 学(主に仙台を中心とした大学コンソーシアム)の募集する「復興支援インターン」に参 加させて頂きました。被災地の企業様での職業体験を通じ、被災地で現在必要としている もの・人、そしてその問題点を現場で学ぶ機会となりました。具体的な課題解決を発想す る必要に迫られた貴重な経験でした。水産物加工会社での体験、仮設住宅での新聞配達な どを、新潟に戻ってからの学生生活の中で、どのように理解し、自らの血肉として消化し ボランティア教育 の実践と課題 ていくのかは、各学生にとっての大きな課題であったかと思います。 幸いなことに、これらの活動を報告させて頂く機会が多く与えられたのも、この学年の 体験の特徴的な部分となりました。学内で毎週金 曜日に行われるチャペル・アッセンブリ・アワー や新発田市社会福祉協議会主催の「災害ボラン ティア養成講座」での報告、また「復興支援イン 学生時代の活動と 社会とのつながり ターン」においては現地で共催の復興庁から復興 大臣政務官(小泉進二郎氏)を迎えての報告会な どを行いました。2014年12月の東北学院大学にお ける「大学間連携災害ボランティアシンポジウ ム:復興状況の変化と学生ボランティアの役割」 においては、全国の学生グループの報告に加えて 活動の様子 頂いたり、学生たちのパネルディスカッションに 参加させて頂くと同時に、専門的見地からの学生 ボランティアへの要請を学ぶ機会ともなり、実り の大きなものでした。学生たちにとっては、志を 同じくする全国の学生の皆さんとの交流の機会で もあり、今後の活動により弾みをつけるものでし -8- ム、仙台における第三回国連防災世界会議での報告も行いました。このような報告のたび に、自分たちの体験を総括し直す機会が与えられてきたことは、代え難く大きな学びとな りました。 この後のページでそれぞれの学生が述べているように、被災地を訪れた学生たちは、今 後、どのように被災地を伝えていくか、そしてどのように被災地と繋がっていくかを考え ています。3年前に発刊した報告書において「被災地を忘れない」というボランティア参 加学生の思いを書きましたが、現在の学生たちの思いは「被災地を伝えよう」「被災地と 繋がろう」という言葉に集約されようとしています。 学内から新潟へ。全国の学生と共に、日本中へ。そして、世界へ。 がっていく様子は、個々の成長の姿でもあり、実を伴う「つながり」と言えるでしょう。 発災直後からのKeiwa HOPEでの一つ一つの学生参加の活動実績の上に積み上げられて きたものが、内容的にも、地域的にも、 「つながり」においても広がりつつあることを、 楽しみに、そして頼もしく見守っております。 個人活動 一人一人の「大学生として何かがしたい」という思いが、学内外での学びを通して広 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ た。2015年3月には新潟日報メディアシップにおける新潟インターンシップフォーラ 学生たちの思いは被災地を「忘れない」で頂きたいこと、そのために「伝えていく」こ ちを中心とする敬和学園大学における震災復興の取り組みへのご支援とご協力をお願い申 し上げます。 サークル活動 と、そして被災地と日本中が、人と人が「つながる」ことです。どうぞ今後とも、学生た ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 -9- ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ Keiwa HOPE活動概要 ボランティアコーディネーター 池田しのぶ 1.概要 Keiwa HOPEプロジェクトは二つの大きな活動を柱としています。そのひとつは現地 活動、もうひとつは募金活動です。2011年3月11日の地震発生以降、現在までに11回の 現地活動と22回の募金週間(2014年度は12月を募金月間として4回開催) 、3回のチャ リティ・パーティ等を行ってきました。 現地活動は、震災発生直後には本学関係者が現地の教会や災害ボランティアセンター等 個人活動 の中間支援組織を活用して活動場所としていましたが、2012年3月の気仙沼大島以降は 現地活動中に知り合った方が中心となる社会人グループ(チーム杉本)に合流させていた だく活動も組み込んでいきました。2012年度からは東北学院大学が主催する大学間連携 ボランティアネットワーク(大学連携)に参加することによって、宮城県内において、大 学生を中心とした活動の機会が多く与えられるようになり、引率を伴わず学生のみで活動 できる機会も徐々に増えました。また2013年度末には新潟県内で震災発生直後から宮城 サークル活動 県内での活動を継続している社会人グループ(新潟恩返し隊)が主催する活動に参加する など、学生が他大学や社会人と活動をともにしながら多くの経験と学びを得られるような 機会をとらえながら活動を継続しています。 下記に現地活動と募金活動の一覧を示します。現地活動はがれき撤去や仮設住宅の訪 問など、支援活動を伴う活動のみを記載し、視察等で学生教職員が現地入りしたものを 募金活動から募金を預かったものを除外してあります。 【現地活動】※日程は移動日を含む 年度 岩手県釜石市等 13名 9月8日~12日 岩手県宮古市 11名 3月2日~4日 宮城県気仙沼市大島 6名 8月4日~7日 宮城県山元町 2名 10月5日~7日 宮城県気仙沼市大島 3名 2月19日~23日 岩手県釜石市ほか 10名 8月8日~9日 宮城県仙台市 2名 2月22日~24日 宮城県気仙沼市大島 4名 3月28日~30日 宮城県気仙沼市大島 13名 新潟恩返し隊 8月24日・9月11日 宮城県南三陸町 3名 大学連携 9月1日~5日 宮城県石巻市 2名 2月14日~21日 宮城県南三陸町 2名 3月10日~15日 岩手県陸前高田市ほか 5名 本学 本学 チーム杉本 15 大学連携 チーム杉本 本学 19 名 計 12 名 - 10 - 30 計 2014 主催者 5月16日~20日 名 活動の様子 2013 参加者数 計 2012 活動場所 名 学生時代の活動と 社会とのつながり 2011 活動日程 計 ボランティア教育 の実践と課題 除きました。また募金活動もKeiwa HOPEが主催したもののみとし、他団体が実施した 大学連携 新潟恩返し隊 大学連携 大学連携 遠野まごころネット 年度 活動月 チャリティ・パーティ 募金総額 2011 5月、6月、7月、10月、11月、12月、1月 - 954,105 2012 4月、5月、6月、7月、11月、12月 1月 579,598 2013 4月、6月、7月、10月、11月、12月、1月 7月、12月 650,065 2014 12月3日、4日、10日、11日、17日、18日 12月(けいわおどるわ) 410,205 ※2011年度~2013年度は、各月4日~5日間の募金週間として実施した。 2.プロジェクトとしてのKeiwa HOPE グループに名称をつけたものですが、結成当初から学生団体として組織しないことを決め ていました。なぜなら、そこには学生のみならず卒業生、教員、職員など、つまり敬和学 園大学に連なる人々が多く集まっていたからであり、募金活動を支援してくれる人も含め てKeiwa HOPEのメンバーだと考えたい、関心があればどこでも、いつでも活動したい 個人活動 Keiwa HOPEは2011年3月17日に行われた震災支援の有志ミーティングで集まった ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 【募金活動】 人を受け入れたい、団体に所属するメンバーだけでなく活動そのものをKeiwa HOPEと しかし、募金活動が盛んになる一方で、募金活動のメンバーのみがKeiwa HOPEという 団体のメンバーであるような捉え方をする学生が増えました。また、特に震災後に入学し た学生たちの中からは、 「復興支援活動やボランティア活動には関心があるが、Keiwa HOPEの募金活動にはあまり関心がもてない、現地活動をしても、その活動がKeiwa そのことも一因となって2014年度には募金週間を継続することができませんでした。 いま、震災の記憶風化は著しいと感じます。地図上では新潟県と被災地域である東北地 方の太平洋沿岸地域はそれほど遠くないように感じますが、実際に現地に行こうとすると その際に要する時間や公共交通機関の少なさ、不便さに驚かされます。震災直後は東北自 動車道などの交通網が寸断されていたために、新潟県内では救援の陸路として多くの支援 を通してしか被災地の現状を感じることができません。原発事故後にあれほど急激に高 まった節電への意識やそれによる行動も、もはや見たり、感じたりできなくなっています。 しかし、国の集中復興期間が2015年度で終了すること、一度延長した仮設住宅の入居 期限も2015年度末で切れてしまうというせっぱ詰まった状況下で暮らしている方々が岩 手、宮城、福島県には9万人以上いらっしゃるのだということを私たちは決して忘れては 活動意欲のある学生に受け入れられる、プロジェクトとしての意義を取り戻し、継続して いかなければならないのです。 参考: 『河北新報』2014.07.01社説 - 11 - 活動の様子 いけないと思います。日常生活の中で感じることができないからこそ、Keiwa HOPEは 学生時代の活動と 社会とのつながり 車両が通行しましたが、いま被災地に向かう車両を県内でみかけることはなく、メディア ボランティア教育 の実践と課題 HOPEとして取り扱われることには抵抗がある」 、という声が多く寄せられるようになり、 サークル活動 して息の長い支援活動を行っていきたい、と考えたからでした。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ Keiwa HOPEと共に歩んだ4年間 英語文化コミュニケーション学科4年 和田 彩音 私が敬和学園大学に入学したその年は忘れもしない、東日本大震災が発生した年だ。過 去に例のない甚大な被害、毎日報道される地獄のような光景に多くの人が被災地の支援に 立ち上がった。私もそのうちの一人である。大学生活の中でKeiwa HOPEの一員として 活動してきたその活動をまとめたいと思う。 三度現地活動に参加し、被災地の変化をこの目で見てきた。私が初めて活動に参加した のは、9月の岩手県宮古市での現地活動だった。震災から半年経った被災地には瓦礫や崩 個人活動 れた建物が点在していて、津波の爪痕が生々しく残っていた。それまでメディアを通して でしか見たことのなかった被災地の姿を見たときは、自分に何ができるのかと不安になっ た。今まで現地ボランティアといえば瓦礫の撤去やヘドロの掻き出しといった肉体労働を 想像しており、自分が行動したところで成果は微々たるものでしかないと思ったからだ。 しかし、それだけがボランティアではないということを現地の方から教えてもらった。活 動の中で出会ったあるおばあさんは、津波で全てを失い生きる希望をなくしていたが、ボ サークル活動 ランティアの人と交流を重ねたことで次第に気持ちが前向きになったと言う。ボランティ アには肉体労働だけでなく、精神的なボランティアもあるということを知った。 二度目に参加した三月の宮城県気仙沼市大島の活動では、津波の爪跡はまだ濃く残っ ていたものの、作業内容は牡蠣養殖用のイカダ作りと、自立のための支援へと変わって いた。 ボランティア教育 の実践と課題 三回目の現地活動 で は再び岩手県を訪れた。今回は四箇所の幼稚園・保育園を訪問 し、学内募金で集めた義援金を届けた。また、遠野まごころネットの方から話を伺う機会 があり、被災地の今後の課題を知ることができた。現在、被災地が求めているものは金銭 による支援、現地への訪問、震災を風化させないことだと言っていた。自立したくても、 多大な費用や時間、人員を要するのが現状だ。一日も早い復興のためには、まだ多くの支 援が求められている。 学生時代の活動と 社会とのつながり 現地活動の他に月に一度学内募金を行っていたが、試行錯誤の連続だった。震災のあっ た年は多く集まっていた募金の額が年々減少していったのだ。どのような大災害であって も、時間の経過があり、ましてや被災地でなければ人々の意識はすぐに風化してしまうの かと痛感した。再び募金を集めるため、募金者に学生教職員手製のお菓子を渡すベイク サービスやチャリティーパーティーなどを実施した。募金額は少しずつ上昇していった が、それも時間が経てば新鮮味がなくなり、募金活動自体を休止するという結果になっ 活動の様子 た。震災を忘れないという気持ちを持ち続けることは意外にも難しいことなのだと思い知 らされた。 今年の3月で震災から4年が経過する。私はその月をもって敬和学園大学を卒業し、大 学生活に終止符が打たれるが、震災復興の終わりはまだ見えない。今後も私に出来ること を見つけていこうと思う。 - 12 - 英語文化コミュニケーション学科4年 長谷川千紘 私は2年半の間、大学で東日本大震災復興支援活動を行ってきた。最初はそんなに深く 関わることはなかった。自分の趣味として、友達が喜ぶようなお菓子を作り、サークルで 演奏するだけだった。しかし、それらの自分の好きなことが、自然と私の活動への参加に つながっていった。募金を呼びかけたり、チャリティパーティーの計画を立てたり。多く の人からの協力や行動に、私は活動中助けられた。助け、助けられながら活動をしていく 中で、私は自分自身の目で被災地を見たいと思うようになった。さまざまなメディアが取 2年生のときに、春休みを利用して、私は現地にボランティアに行った。高台から被災 地を見たとき、私は胸がつまり、言葉を失った。残っていたのは家の土台だけ。道脇に積 まれた多くの瓦礫。何も無い駅のホーム跡。どれほどの津波だったのか、私には想像でき なかった。自然の力の前では、いかに人の力が弱いかを教えられた。そして、復興するに 個人活動 り上げていることが、どこまで本当なのか。どこまで復興が進んでいるのか。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ボランティアから見つけたこと はまだまだ時間がかかると思う。 気をもらった。短い時間だったが、一緒に交流を楽しんだ。復興支援のための現地の作業 は地道な作業が多く、腕や手が痛くなることもあった。それでも、私たちが行った活動が 少しでも復興につながればと思う。 その後、私は被災地に対してのメディアの情報を鵜呑みにするのではなく、疑いをもっ る少林寺拳法の道場で伝えた。反応はそれぞれだが、何をしたのか、見てきたのか伝える ことも大切だと思う。 「百聞は一見にしかず」ということわざがある。まさにその通りだ と考えた。被災地がどうなっているか実際に自分の目で見ないとわからない。私は大学で のボランティア活動を通して、誰かを考えて行動する大切さや、自分自身の目で見て、溢 れる情報に振り回されないこと、人との繋がりを大切にすることを学んだ。私は活動が私 ボランティア活動と口で言うのは簡単だが、実際に行動するのはとても難しく勇気がい る。誰かのためにしてあげたいと思っているだけでは行動に踏み出せない。何かをするた めには一歩踏み出し、自ら行動することが大切である。 「ボランティアはイメージアップ だろう」と言われたこともある。だが、イメージアップのためなら誰かを思って行動する ことはできない。一歩先に進むこともできないし、自分自身の成長にも繋がらない。何よ がある。 困っている人がいたら助けることからボランティアは始まる。私は卒業しても、何らか の形でボランティアを続けられたらと思っている。 - 13 - 活動の様子 り活動として続けることができず、そこまでで終わってしまう。活動は続けることに意味 学生時代の活動と 社会とのつながり 自身の成長に繋がったことに感謝している。視野を広くして物事を見られるようになった。 ボランティア教育 の実践と課題 て見るようになった。現地で見てきたこと、してきた活動について、大学や私が通ってい サークル活動 被災した保育園、幼稚園の訪問では子どもたちが元気に迎えてくれて、その温かさに元 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 募金活動報告 募金活動報告 ボランティアコーディネーター 池田しのぶ ボランティアセンター 池田しのぶ 1.概要 1.概要 Keiwa HOPE プロジェクトで行ってきた募金活動には、大きくわけて二つの役割がある。 Keiwa HOPEプロジェクトで行ってきた募金活動には、大きくわけて二つの役割があ 一つは自ら実施する募金活動の主体としての役割、もう一つは他団体や個人から寄せられ る。一つは自ら実施する募金活動の主体としての役割、もう一つは他団体や個人から寄せ る募金の受け入れ窓口としての役割である。まず、主体としての募金活動は更に 4 つに分 られる募金の受け入れ窓口としての役割である。まず、主体としての募金活動は更に4つ 類でき、一つは 2011 年 5 月に行われた第 1 回現地活動の際に大学で行われた 5 日間の募金 に分類でき、一つめは2011年5月に行われた第1回現地活動の際に大学で行われた5日 個人活動 活動をその後も継続した募金週間、二つめは入学式や卒業式での募金活動、三つめは学期 間の募金活動をその後も継続した募金週間、二つめは入学式や卒業式での募金活動、三つ 末等にイベントとして企画実施したチャリティ・パーティ、四つ目は学食にコーヒーや味 めは学期末等にイベントとして企画実施したチャリティ・パーティ、四つめは学食にコー 噌汁つきのサービスメニューとして導入していただいたささえ愛メニューがある。次に窓 ヒーや味噌汁つきのサービスメニューとして導入していただいた「ささえ愛メニュー」が 口としての役割の中では、十二齊市やハロウィーンパレード等、担当教員がいるクラスや ある。次に窓口としての役割の中で、十二斎市やハロウィーンパレード等、担当教員がい 学生団体が主催して行った活動からの募金を受け入れてきた。 2014 年 12 月末までに Keiwa るクラスや学生団体が主催して行った活動からの募金を受け入れてきた。2014年12月末 HOPE に寄せられた募金額は、総額で 2,593,973 円にのぼる。 までにKeiwa HOPEに寄せられた募金額は、総額で2,593,973円にのぼる。 さて、下のグラフは、年度ごとの募金額を、募金活動の種類別にまとめたものである。 さて、下のグラフは、年度ごとの募金額を、募金活動の種類別にまとめたものである。 サークル活動 ○ページの活動概要の中でも述べたとおり、震災の記憶風化が進み学生の意識が変容して 10ページの活動概要の中でも述べたとおり、震災の記憶風化が進み学生の意識が変容し ていく中でも、一定以上の活動を継続できていることは評価できるのではないだろうか。 いく中でも、一定以上の活動を継続できていることは評価できるのではないだろうか。尚、 尚、2014年度の募金額のうち、半額近くを占めるチャリティ・イベント「けいわおどるわ」 2014 年度の募金額のうち、半額近くを占めるチャリティ・イベント「けいわおどるわ」は、 は、学生団体が卒業生らと協力して開催したものだが、特筆すべきものとして、チャリ 学生団体が卒業生らと協力して開催したものだが、特筆すべきものとして、チャリティ・ ボランティア教育 の実践と課題 ティ・パーティに分類した。 「けいわおどるわ」については、72ページ卒業生の坂井万里 パーティに分類した。 「けいわおどるわ」については、○ページ卒業生の坂井万里央氏の報 央氏の報告をお読みいただきたい。 告をお読みいただきたい。 募金の種類 受け入れ窓口(学内外イベ 受け入れ窓口 (学内外イベント、 個人等) ント、個人等) 1,200,000 1,000,000 学生時代の活動と 社会とのつながり 800,000 チャリティ・パーティ等イ チャリティ・パーティ等イベント ベント 600,000 卒業式・入学式 卒業式・入学式 400,000 ささえ愛メニュー ささえ愛メニュー 200,000 0 2011年度 2012年度 2013年度 2014年度 募金週間 活動の様子 2.寄付先 2.寄付先 2011年3月11日の震災発生直後の卒業式や入学式では来場者から多くの募金が寄せら 2011 年 3 月 11 日の震災発生直後の卒業式や入学式では来場者から多くの募金が寄せら れ、すぐにまとまった金額が集まった。そこで被災地に向かうNPOの活動を支援するた れ、すぐにまとまった金額が集まった。そこで被災地に向かう NPO の活動を支援するため めに募金を支援金として送金したり、学校で使う文具、幼稚園や保育園の遊具、仮設住宅 に募金を支援金として送金したり、学校で使う文具、幼稚園や保育園の遊具、仮設住宅の の扇風機など、特に被災地での物資調達が難しい時期は県内で物資購入をして送ったり - 14 - 大学や教会等の関係者から入る情報をもとに、きめこまかな寄付を行った。2012 年度は被 稚園や保育園に子どもに必要な物品を購入していただくための寄付とした。2013年度、 災地での活動をコーディネートする NPO に活動資金としての寄付、前年度同様幼稚園や保 2014年度は、被災地の高校生の進学資金を基金として設立している「まごころサンタ基 金」に全額を寄付している。募金活動の際は寄付先がわかりやすいよう説明したり、前年 育園に子どもに必要な物品を購入していただくための寄付とした。2013 年度、2014 年度は、 度の寄付先の一覧をボードに掲げたりすることによって、預かった募金が明確に、形と 被災地の高校生の進学資金を基金として設立している「まごころサンタ基金」に全額を寄 なって主として子どもたちに届いていることを示す努力を行っている。下記に、寄付金額 付している。募金活動の際は寄付先がわかりやすいよう声を出したり、前年度の寄付先の を種類別に集計したものを示す。ここでの義捐金とは、日本赤十字社や日本ユニセフ協会 一覧をボードに掲げたりすることによって、預かった募金が明確に、形となって主として など著名な団体で行っていた被災地支援募金であり、活動支援金は被災地支援活動を行う 子どもたちに届いていることを示す努力を行っている。下記に、寄付金額を種類別に集計 団体等への直接的な寄付、その他は送金の際に発生する振り込み手数料や雑費である。 したものを示す。ここでの義捐金とは、日本赤十字社や日本ユニセフ協会など著名な団体 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ と、大学や教会等の関係者から入る情報をもとに、きめこまかな寄付を行った。2012年 扇風機など、特に被災地での物資調達が難しい時期は県内で物資購入をして送ったりと、 度は被災地での活動をコーディネートするNPOに活動資金としての寄付、前年度同様幼 で行っていた被災地支援募金であり、活動支援金は被災地支援活動を行う団体等への直接 義 活 捐 動 金 種類 支 義捐金 援 金 まごころサンタ基金 活動支援金 物資 援 支 そ 次 金 支援金 の 他 その他 年 度 繰 次年度繰越 越 231,810 219,430 0 2012 年度 50,000 0 0 2013 年度 0 0 2014 年度 0 0 0 0 650,000 400,000 98,225 0 00 650,0000 400,0000 98,225 400,000 0 500,000 00 00 231,810 50,000 0 0 400,000 500,000 0 0 4,640 2,520 0 0 4,640 0 0 954,105 954,105 2,520 10,598 10,598 552,520 552,520 0 65 65 650,065 650,065 0 10,205 10,205 410,205 410,205 ※2014 年度は 12 月末の集計結果 ※2014年度は12月末の集計結果 寄付の種類 100% 80% 次年度繰越 次年度繰越 70% その他 その他 60% 支援金 支援金 50% 物資 物資 40% 基金 基金 30% 義捐金 義捐金 10% 0% 2011年度 2012年度 2013年度 - 15 - 2014年度 活動の様子 支援金 支援金 20% 学生時代の活動と 社会とのつながり 90% ボランティア教育 の実践と課題 合 計 合計 2011 年度 0 サークル活動 物 まごころサンタ基金資 219,430 2014年度 個人活動 種 類 2011年度 2012年度 2013年度 的な寄付、その他は送金の際に発生する振り込み手数料や雑費である。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 被災地ボランティア―復興支援インターン― 英語文化コミュニケーション学科2年 山本 果奈 私は、2014年8月25日から31日にかけて宮城県南三陸町で行われた復興支援インター ンに参加しました。この活動は、日本各地の大学生が東日本大震災で被災した企業で職業 体験をすることを通して、被災地の現状、そして被災地産業の抱えている問題、復興の進 捗について、実際に見て聞いて感じて学んだことを広く発信することが目的とされていま した。 私が復興支援インターンに参加したきっかけは、去年の春休みにはじめて参加したボラ 個人活動 ンティア活動でまた東北に行きたいという思いが強くなったからです。そんなときに夏休 みを利用した復興支援インターンがあるから行こうと友人に誘ってもらいました。はじめ て参加したボランティア活動は宮城県気仙沼での民宿再生のお手伝いでした。それは1泊 2日と短い期間だったので、今度はこの復興支援インターンで一週間、被災した地域や産 業について学びたい、自分が被災地のためにできることはあるのだろうかと思い、この復 興支援インターンに参加することにしました。いざ、この復興支援インターンに参加しよ サークル活動 うと決めたものの、知らない土地で他大学の学生と一週間生活を共にするのは大丈夫だろ うかなど、はじめは少し不安でした。ですが、いざ参加してみると一週間は本当にあっ という間でしたし、実際に企業で職業体験をさせていただいたのはとても貴重な体験で した。 敬和学園大学から参加した私を含め3人は、カネキ吉田商店で職業体験をさせていただ ボランティア教育 の実践と課題 きました。カネキ吉田商店は主にめかぶの加工、出荷をしている会社です。私たちは商品 の梱包作業をしました。パック詰めされた商品がベルトコンベアーで流れてくるので、そ れを箱や袋に詰める作業を朝8時45分から4時半頃まで休憩を3回挟んで行いました。 はじめてのことだったので戸惑いましたが、日を追うごとに慣れていきました。また、カ ネキ吉田商店では従業員の方々にとても良くしていただきました。お昼休みに手作りのお 惣菜を分けてくださったり、名前を覚えて気さくに話しかけていただいたり、本当に嬉し 学生時代の活動と 社会とのつながり かったです。従業員の方の仲の良さや人柄がこの会社の最大の魅力であると感じました。 そして、私たちは従業員の方から伺ったお話や職業体験を通してカネキ吉田商店の抱える 課題を見つけました。それは「長く働いてくれる若者がいない」ということです。実際に 若い人はあまり見かけませんでした。 この問題を広く知ってもらうことが重要だと思い、私たちは学校に戻った後、情報発信 の方法を考え、実際に活動してきました。チャペル・アッセンブリ・アワーで活動報告を 活動の様子 する場を設けていただいたり、外部から大勢の方がいらっしゃる敬和祭でポスター展示を 3人で協力して行ったりしました。また、このような活動をする中で私たちより下の学年 の人達にも被災地ボランティアや復興支援インターンに参加してもらい、敬和学園大学か ら被災地への支援を絶やさずに行っていってほしいという思いも生まれました。そのため には、実際に被災地でのボランティア活動経験のある人が、その重要性や魅力を伝えてい かなくてはなりません。これが私たちのこれからの課題であると考えます。 - 16 - 日本大震災からもうすぐ4年が経とうとしていますが、まだまだ被災地への支援が必要だ と感じます。また、震災を風化させないためにも、東北に足を運ぶことも大切だと思いま す。 実際に被災地に行ってみると、新聞やテレビで見るよりもはるかに大きな衝撃を受け ます。そして「この震災のことを忘れてはいけない」と強く思います。なので、私はこれ からも被災地ボランティアを続けていきたいです。夏休みなどの長期休暇を利用してボラ ンティア活動ができるのは大学生の今だからだと思います。ですから、今の自分にできる ことを探して行動していきたいです。残りの大学生活2年間、いろいろなことにチャレン ジできればと考えています。また、ボランティア活動を通して、人としても成長していき たいです。たくさんの人に出会い、そこからいろいろなことを吸収して自分の糧にできる ようにしたいです。私は復興支援インターンに参加する前は、人前に立つことも苦手でし 緊張しなくなりました。これからは積極的に意見が言えるようになりたいです。発信力を 身に付けるというのが私自身の課題です。 私は復興支援インターンに参加してから、東北、被災地のことを考える時間が増えまし た。スーパーに行ってお世話になったカネキ吉田商店さんの商品を見つけると嬉しくなり 個人活動 た。ですが、活動報告会など大勢の人が集まるところでの場数を踏むことで、だんだんと ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 私は復興支援インターンに参加して、ボランティアへの関心がより深くなりました。東 ますし、 「皆さん元気にしているかな、また東北に行きたいな」と思います。そして職業 繋がりや、新潟から東北を想う気持ちは、 「被災地でボランティア活動をする」という以 外でも私にできる大切なことなのではないかと感じています。 また、この復興支援インターンでかけがえのない仲間と出会うことができました。九州 や関西、東北の学生と出会い、学年もバラバラですが、とても仲良くなることができて本 間だけではなく、復興支援インターンを通して出会うことのできたカネキ吉田商店の皆様 や、インターン期間中、私たちの世話をしてくださった東北学院大学の職員の方や復興庁 の方々、そして一番近くで応援し支えてくださった敬和学園大学の教職員の方々には感謝 の気持ちでいっぱいです。私がこの活動に参加できたのはたくさんの方の支えがあったか らだと思います。この気持ちを忘れずにこれからの大学生活を送っていきたいです。復 た。 学生時代の活動と 社会とのつながり 興支援インターンに参加して良かったと改めて思います。本当にありがとうございまし ボランティア教育 の実践と課題 当に良かったです。これからも交流を続けていきたいと思っています。一緒に活動した仲 サークル活動 体験の時の思い出や良くしていただいた方々の顔が頭に浮かびます。こうした人と人との 活動の様子 - 17 - ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 東北での出会い 英語文化コミュニケーション学科2年 石附 風美 気仙沼大島でのボランティア 2014年2月、私は友人に誘われて初めて、新潟恩返し隊というボランティア団体が募 集をしていた気仙沼大島での民宿再建のボランティアに参加しました。気仙沼大島は宮城 県にある島で、東日本大震災では津波により島を二つに分断されました。しかし、 「1000年ほど前、津波により島が三つに分断された」という言い伝えにより島民の防災 意識は高く、大島で亡くなった方は島民の1%ほどで、他の地域と比べると少ないと言え 個人活動 ます。震災の時は気仙沼市内で起こった火災の火が、津波により流された家などを伝って 大島の亀山に引火、頂上まで到達しました。 私は初めて気仙沼に行くにも関わらず、事前に気仙沼について調べるということをしま せんでした。前述のものは宿泊先での語り部の会で知ったことや、帰ってきてから調べた ものです。出発の日も、現地の人にどのように声を掛ければよいのかということに関して 少し考えていたくらいで、それ以外は特に何も考えることなく、とにかく初めての東北を サークル活動 楽しみにしていました。そのくらい軽い気持ちだったのです。しかし気仙沼に到着して車 窓から周りの景色を見ると、家の基礎だけが残っていたり、震災後まだ手が付けられてい ない建物があったり、線路が途中で途切れていたりと、目に見るもの全てが衝撃的で、何 も知らないまま来てしまったことを後悔しました。活動先の民宿は、津波の被害にはあっ ていませんが、地震により崩れた家具などがそのままの状態で残されていました。20人ほ ボランティア教育 の実践と課題 どのメンバーで役割分担し、私は民宿の女将さんの指示のもと、家の中にあるものを「いる もの」と「いらないもの」に分けたり、家の窓を綺麗に拭いたりしました。活動前はどのよ うに声掛けをしたらよいのか心配をしていましたが、女将さんをはじめ現地の方はとても明 るく気さくで、活動が終わる夕方には「民宿始めたら遊びに来てよ!」と言ってくださいま した。しかし、分別作業の時にたまに見られた少し寂しげな表情が私は忘れられません。 宿泊先の休暇村で開かれていた震災語り部では、被災当時の生々しい様子を聞くことが 学生時代の活動と 社会とのつながり でき、その時の気仙沼の写真なども見せていただきました。実際に被災した方の話を聞く のは初めてで衝撃を受け、今でも話している時の表情や声を思い出すと少し胸が苦しくな るくらい、記憶に残っています。語り部の後、友人と私は新潟恩返し隊の隊長・棚村さん にお願いし、廊下のソファでいろいろな話を聞かせていただきました。新潟恩返し隊設立 の経緯や、震災後の活動、これから目指すものなどの話は、時間や疲れを忘れてしまうく らい充実していて、気付いたら二時間ほどが経過していました。 活動の様子 初めての東北でのボランティアは私に人と出会うことの幸せを教えてくれ、3月の二度 目の気仙沼大島での民宿再建ボランティアや、その後のボランティア活動、復興支援イン ターンへの参加につながっています。 復興支援インターン 復興支援インターンは東北学院大学の夏ボラ(夏季集中ボランティア)のひとつで、被災企業 - 18 - 私は夏休みにまた東北へ行きたいと思い、ボランティアセンターの池田さんに相談して夏ボ ラを教えてもらいましたが、最初は復興支援インターンに参加したいという気持ちはありませ んでした。夏ボラにはインターン以外にも傾聴ボランティアや仮設住宅への新聞配達のボラン ティアなどがあり、そのような実際に体を動かしてボランティアをするような活動の方に興味 があったからです。しかし、被災企業で職業体験をさせていただくことや、復興支援に興味関 心のある大学生と一緒に一週間を過ごし、復興や被災企業のことについて学ぶことができるの はとても貴重なことだと気づき、友人ふたりを誘いインターンに参加することにしました。 私たちが参加したのは南三陸町での復興支援インターンでした。一日目は東北学院大学 を出発、南三陸町に到着し、津波の被害に遭い今は使われていない旧南三陸町立戸倉中学 校校舎を訪れました。校舎は坂を上ったところにあり、海をすぐ近くに眺めることができ に押しつぶされたような外の連絡通路の屋根や、止まっている時計を見て、本当に来たの だと感じることができました。とてもきれいで見晴らしもいい校舎でしたが、一度被害に 遭ってしまった場所に学校を作ることはできないため、もうそこで学校として使うことは できないそうです。戸倉中学校を後にし、一週間宿泊する平成の森につき、その日から毎 個人活動 ましたが、ここまで津波が襲ってきたことが初めは信じられませんでした。しかし、何か ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ での職業体験を通して感じたことや学んだことを全国各地で発信し、復興を目指す活動です。 晩学生間でミーティングが行われました。初日のミーティングでは、自己紹介と翌日から に参加した学生は全部で17人。最終日まで一緒に活動をする中でその団結力は強まり、 インターン後の今も連絡を取っています。全国で一緒に頑張っている仲間ができたこと は、復興支援インターンの最大の収穫だと思っています。 私たちのインターン先はメカブやアワビの加工・発送を行っているカネキ吉田商店でし んから被災当時の工場の様子や、その後の動き、現在の様子などをうかがいました。午後は 渡辺さんの計らいで、南三陸町の海岸沿いを端から端までドライブしました。ドライブをし ながら渡辺さんが「ここは○○が建っていたんだ」 「ここはこういう風に水が入っていった んだ」などと教えてくださりました。そして最後に、周りに何もない場所で「前はここにう ちが建っていたんだ」と教えられたとき、私はなんと答えてよいかわかりませんでした。 たちの仕事はパック詰めされてベルトコンベアーから流れてくるメカブを発泡スチロール に詰めるという作業でした。作業を教えてくれるおばちゃんたちは慣れた手つきで詰めて いきますが、私はベルトコンベアーの速さについていけずに悪戦苦闘しました。三日目、 四日目も同じ工場で作業をさせていただき、やっと慣れてきたと思ったころに職業体験は 終了してしまいました。工場で働いているおばちゃんたちとも、せっかく仲良くなって名 今回、カネキ吉田商店の渡辺さんへの質問や、学生間のミーティングを通じてわかった 被災企業の問題は、 「企業で働く若者が少ない」ということでした。実際に工場に入って みても、若い人は復興アルバイトで来ている数名しかおらず、それ以外はみんな年配の方 ばかりでした。この問題を解決するためには、まずは若い人たちが被災した地域に行って くれるようにならなくてはいけません。私は、私たち以外にも東北に行きたいという学生 - 19 - 活動の様子 前も覚えてもらったくらいでのお別れでとても寂しかったです。 学生時代の活動と 社会とのつながり 二日目から実際に作業着に着替え、工場に入って職業体験をさせていただきました。私 ボランティア教育 の実践と課題 た。インターン初日、カネキ吉田商店が休業日だったため、午前中は営業部長である渡辺さ サークル活動 始まるインターンについての説明がありました。今回、南三陸町での復興支援インターン ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ が増えてくれるように、東北の魅力について推していきたいと思います。私たちの報告会 や発表を聞いて何か考えてくれる人がいると嬉しいです。 二回目の復興支援インターンと岩手でのボランティア 二年生の春休み、私は再び復興支援インターンに参加しました。企業は夏と同じカネキ 吉田商店でした。参加しようと思った理由は、長期休暇を利用してまた南三陸町に行きた かったからと、夏のインターン後の情報発信が自分の中でとてもモヤモヤとしていたので それを解消したかったからです。 今回の復興支援インターンには、プログラムに事前研修が含まれていました。事前研修では 「誰をターゲットに、何を伝えて、その人たちにどうなってほしいか」ということを考えました。 「若者の力が足りないからそのことを伝えて若い人を南三陸町に呼ぼう」という私たちの前回の 個人活動 結論をもとにした情報発信ですが、二回目の参加の時に「若者って誰だ」 「若い人に南三陸町 に来てどうしてほしいんだ」と突っ込まれて答えることができませんでした。事前研修を経て私 の一週間の目標は、前回の内容を考え直し、すべてのことを明確にすること、に決まりました。 約一週間の日程の中で、従業員の方との会話の中から解決の糸口を見つけ、宿泊先の平成 の森に戻ってきてから他の企業に行っている大学生と情報交換をし、夜遅くまで東北学院大 学の職員の方に話を聞いてもらい、部屋ではカネキチームで話し合いを重ねました。たくさん サークル活動 の人と話しあって、やっとのことで導き出した私たちの結論は『若者の力とはつまり活気で ある』ということです。今思い返してみると、入ってくる情報の一つ一つに振り回され、 色々考えすぎて、とても遠回りをしていた気がします。なんでこんなに時間がかかったんだ ろう…でもこの悩んだ時間がなかったら、たくさんの人の意見を聞いてみようとも思ってい なかったと思います。私は元々考えるのがへたくそなので、周りの人に考えを整理するのを ボランティア教育 の実践と課題 助けてもらったりすることもしばしばです。今回もそうでした。本当に本当に周りの人には 感謝しています。1人では何も出来ないということを改めて思い知らされた一週間でした。 大学生の春休みは本当に長いので、私は岩手に行くことも出来ました。3月10日の朝 に出発、鈍行で行ったのと荒天だったので現地に到着したのは夜の10時過ぎでした。翌 日の3月11日、東日本大震災から4年が経った東北で『高田に輝(ひかり)の花を』と 『夢あかり』という二つのキャンドルナイトのイベントのお手伝いをしました。 学生時代の活動と 社会とのつながり 2時46分、作業している手を止めてみんなで海に向かって黙祷をしました。目を瞑っ てお祈りをすると、風がいっそう強くなったように感じました。毎年3月11日は天気が 荒れますが翌日になると晴れるそうです。亡くなられた方の思いが残っているのかな、と 色々な人が仰っていました。 『高田に輝の花を』のイベントでは、色々な思いが詰まった 手づくりの灯篭が並べられ、その一つ一つに点火をしていきました。 私は昨年の春休みに初めて東北でのボランティアに参加し、復興支援インターンという 活動の様子 形でその後も東北に赴いていました。インターンが終わると、参加してよかった、また行 きたいと充実した気持ちで新潟に帰ってきていました。ボランティアも同じです。しか し、これらは全部東日本大震災が起こらなければ、なかったことです。今たくさんの人と 繋がり、助けられながら活動をしていますが、それを大学生活が充実している、楽しい、 と感じているだけでは失礼です。震災が起こったこと、復興に向かってがんばっている人 たちがいることを忘れずにこれからも活動を続けていきたいと思います。 - 20 - 国際文化学科2年 大野 朱理 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 - 21 - 個人活動 私は夏季休暇を利用して8月25日~31日の間、復興支援インターンというものに参加して きました。この活動は復興大学主催、復興庁が共催となって行われているもので、全国の大学 生が被災地に赴き、被災企業に入ってのインターンシップを体験します。また、体験の内容や そこで感じたものを自分たちの地元に持ち帰り、広く情報発信していくことが目的です。 なぜ、この復興支援インターンに参加しようと決意したかというと、友達に誘われたか らというのが大きなところです。今回私を含め3人がインターンに参加しました。その中 の1人が一緒に行こうと誘ってくれました。私は当初、同じような日程で傾聴、被災され た方からお話を聴いたりするボランティアに参加しようと考えていました。しかし、友達 から企業にインターンシップに行けるボランティアは滅多にないものだと言われるうち に、そちらの方に行ってみようという気になりました。実際に行ってみて、社員の方から 貴重なお話も伺うことができたので参加してよかったと感じています。 25日からの日程についてですが、当日はオリエンテーションということで東北学院大 学にて南三陸町のことや、復興庁の方から被災地の現状、国がどのような取り組みを行っ ているかの説明がありました。その日のうちに南三陸町へ向かい、語り部をしていただい たり、バスで南三陸町を回ったりしました。26日から29日はインターンシップとしてカ ネキ吉田商店という企業で職業体験をしました。カネキ吉田商店さんは主にメカブの加工 を行っている企業で、私たちはメカブの加工品の梱包をしました。30日は南三陸町さん さん商店街で毎月最後の日曜日に開催されている福興市にてお手伝いをしました。そこで は漁農レストランを経営されている松屋さんというところで売り子をしました。最終日、 31日は東北学院大学に戻り報告会が行われました。報告会には復興大臣政務官である小 泉進次郎議員もいらっしゃり、とても緊張したことを覚えています。 カネキ吉田商店さんでの体験では、 「働く」という大変さは当然のことながら、震災当時 がどのような状況だったのか、どのように生産ラインを修復したのか、会社の今後の展望 も知ることができ、充実したものでありました。カネキ吉田商店さんで働いている方の多 くは30代から40代の女性で、母親のように厳しくも優しく作業内容を教えていただきま した。この方たちがほぼ毎日腰を曲げての作業をしているのかと考えると、若い人をもっ と雇用して分担をした方がいいのではないかと感じました。実際、生産本部長の方からお 話を伺っているときも、企業も南三陸という町そのものも若い人材を求めているといった 内容が何度も出てきました。宿泊先に戻って、ほかの企業にインターンに行っている学生 も集まって行われる反省会でも、似ている内容が報告として挙がっていました。 しかしながら、カネキさんでも福興市でお世話になった松屋さんでも私達にとても温か く接してくださり嬉しかったです。とくに松屋さんで売り子をしていたときは、 「物の味わ かんないで売れないでしょ!」と陳列されてある商品のほとんどをご馳走になりました。 また、出店しているお店の方全員と言っても過言ではないくらいにいろいろな方とお話し してはおすそ分け合いをしていました。商品を買ったお客様にも、おまけと言っては袋に 他の商品を詰め込んで、利益よりもみんなの笑顔を大事にされているようでした。カネキ さんからも「また来てね」のお言葉を頂いた上に、家に大きな発砲スチロールにメカブ商 品がたくさん入って届きました。このように人情に厚く、頼もしい方々と1日を過ごせた ことをとても嬉しく思います。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 復興支援インターンに参加して ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 震災後の被災地は今 英語文化コミュニケーション学科2年 岡村 和 私は2014年9月1日から9月4日の3泊4日で宮城県石巻市へ、 「夏ボラ」として仮設 住宅支援というボランティアをしに友人の真野小雪さんと訪れました。 「夏ボラ」とは「夏 季集中ボランティア」の略称で夏休みを利用した大学間連携復興支援活動のことです。連 携団体は一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンターといいます。この原稿で は、私が石巻市で見たこと、体験したことを述べていきたいと思います。 私がこのボランティアに参加した理由は、最初は友達に誘われたからでした。しかし、 個人活動 はじめから震災復興ボランティアにいつかは必ず参加したい、と思っていたのでいい機会 だと考え、この夏ボラに参加することを決めました。今回が私にとって初めての東北での 被災地復興ボランティアということもあり、出発前まではとても緊張していて不安もたく さんありました。しかしいざ現地に着いて、東北学院大学で活動内容の説明を受けると、 仮設支援に行きそこに住んでいる住民さんと会話をする、というボランティアが大変そう でもあり、楽しそうだと感じました。 サークル活動 一日目は、東北学院大学でオリエンテーションをした後に石巻市に移動し、石巻市内で もっとも被害が大きかった門脇、南浜地域に行きました。そこで見た、 「がんばろう石巻」 の看板は、石巻市に住む黒澤健一さんが自宅兼仕事場だった場所が津波に流されてしまっ た跡地に作ったものでした。その場所には、津波の到達地点を表す地点標も建っていまし た。津波は高さ6.9メートルまで達したそうです。そして、次に震災当日に津波から逃げる ボランティア教育 の実践と課題 ために被災地の方々が登った日和山に、実際に私たちボランティアも登りました。頂上ま では急な石段が続いており、頂上まで登るころには息が上がってしまいました。震災当日 は、この急な石段を子どもからお年寄りが駆け上ったそうです。頂上からは門脇、南浜地 域を一望できました。私が訪れた際には、その地域の場所は緑がとても多くなっていまし たが、震災前は住宅がたくさん立ち並んでいたそうです。その時の景色からは想像もつき ませんでした。また、門脇、南浜地域は海から近く、危険区域に指定されたため、この地 学生時代の活動と 社会とのつながり 域に家が建つことは二度とありません。そして、その後宿泊所であるピースボートいしの まきに戻り、夜に震災当日、被災者の方が撮ったビデオを鑑賞しました。その映像は、テ レビなどでは放送されていないものもありました。家が流されていく様子、人が流されて いく様子、 「逃げろ」と大きな声で叫んでも、届かなかった声など、震災当日の様子がそ のまま記録されていました。この映像を観たとき、私は大自然の力の前には、どんなに科 学技術が発達していたとしても敵わないのだな、と改めて実感しました。 活動の様子 活動二日目と三日目は、実際に仮設住宅に行き、 「仮設きずな新聞」というピースボート いしのまきが独自に作成している地域のハッピーニュースなどをまとめた新聞を、ボラン ティアをしているメンバーでペアを作り、二人一組で指定された仮設住宅に手渡しで配り に行きました。二日目は、南境団地、三日目は大森団地に行きました。最初は、住民さん と何を話せばいいのか、ちゃんと渡すことが出来るのかなど不安がありましたが、配達を していくうちに慣れて、笑顔で新聞を配ることができるようになりました。しかし、中に - 22 - い、といった住民さんもいらっしゃいました。反対に、ピースボートのボランティアが配 達する仮設きずな新聞をとても楽しみにしてくださっている住民さんや、仮設住宅に入居 してからご近所さんがあまりいなくて話し相手がいないというような住民さんは笑顔でボ ランティアを迎えてくれました。また、中には1時間から2時間お話をしてくださる住民 さんもいらっしゃいました。 「新潟から来ました」というと、 「やっぱり冬は雪がすごいの?」 と住民さんからも話を続けてくれることもありました。また、石巻の方言を教えてくれた り、震災当日のことを話してくれる住民さんもいらっしゃいました。私も逆に新潟の方言 を教えたりと住民さんとのコミュニケーションを楽しみました。なぜ、新聞をただ配達す るだけではなく、その住宅の住民さんとコミュニケーションをとるのかというと、震災以 前では地域の方々と交流があったけれど、仮設住宅に入居してから交流がなくなったとい くて家で一日中テレビを見ている、というような方とのお話し相手として、少しでも住民 さんが元気になってくれるようにコミュニケーションをとるためです。また、住民さんが 健康で、元気でいらっしゃるか、という確認の意味も込めて、コミュニケーションをとっ ています。住民さんとコミュニケーションをとっていると、住民さんを元気づけるために 個人活動 う方が多かったり、体が悪くて一人では外出が出来ないという方がいたり、やることがな ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ は新聞を要らない、という住民さんもいらっしゃったり、あまり人と話すのが好きではな ボランティアをしているにもかかわらず、ボランティアである私が元気な住民さんに逆に 興は進んでいるように見えて進んでいなくても、復興しよう、と頑張っている住民さんか ら私がたくさんの元気をいただきました。 最終日は、 「我が家の災害対応ワークショップ」を行いました。ワークショップでは、 最初にワークシートに自分の一日の行動を書き込みました。また、そのワークシートには 推測しました。そして、実際に被災した状況をイメージして、震災発生から三日後までの 自分の行動を予測してワークシートに記入しました。これは、支援物資が届くまでに約三 日かかるため、発生から三日後までの行動を把握するためです。いつどこで震災が起こる かは誰にもわかりません。その時のために、家族とどのように連絡を取り合うのかなど、 家族と防災についてを事前に話し合っておくことが大切だということを、このワーク 今回、夏ボラという形で被災地に赴き、初めてボランティアを体験しました。わからな いことだらけだった活動でしたが、現地の方はもちろん、一緒に活動をしてきたボラン ティアメンバーのみんながとても優しく接してくれたおかげで緊張も解けて、リラックス してボランティアをすることが出来ました。この活動を通して、短い間でしたがかけがえ のない仲間ができました。また、石巻で体験したことや見たことは、ボランティアをした こうした文書であったり、発表をさせていただける場を大切にして、これからも周りの人 に被災地のことを伝えていきたいと思います。 最後に、ボランティアを行うにあたって、さまざまな援助をしてくださったみなさまに 感謝いたします。本当にありがとうございました。 - 23 - 活動の様子 私たちが、被災地を知らない人たちに伝えていかなければならないと思います。だから、 学生時代の活動と 社会とのつながり ショップで学びました。 ボランティア教育 の実践と課題 自分の家が震災にあったときに、転倒・落下・移動してしまう家具がどれだけあるのかも サークル活動 たくさんの元気をもらいました。復興に対して前向きな姿勢をみせる住民さんや、まだ復 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 被災地を訪れて 英語文化コミュニケーション学科2年 真野 小雪 私は、夏季集中ボランティアの略称で夏休みを利用した大学間連携復興支援活動のこと をいう「夏ボラ」に9月1日から4日まで参加し、東日本大震災の被災地である宮城県石 巻市で仮設住宅支援を行ってきました。ボランティアをしようと思った理由は、テレビな どのメディアでしか被災地のことを知らなかったので実際に赴き自分の目で被災地を見て、 被災者の方々の生の声を聞いてみたいと思ったのと、年月が経つにつれてメディアで取り 上げる機会も減ったため現在の状況を知ることが困難になってきたと感じたからです。連 個人活動 携団体は一般社団法人ピースボート災害ボランティアセンターといいます。ピースボート 災害ボランティアセンターとは、東日本大震災を受けて立ち上げた一般社団法人で、 「国境 を越えた災害支援は、地域や世界の平和を作る」という想いで各地での支援活動を行って いる団体です。 まず、活動一日目に石巻市内で被害が大きかった門脇、南浜地域に行ってきました。そ こには、 「がんばろう石巻」と書かれた看板がありました。この看板は、石巻市に住む黒澤 サークル活動 健一さんが、自宅兼仕事場だった店舗が津波の被害にあったにもかかわらず、 「何か自分に できることはないか」という思いから、廃材を利用し作ったものです。雨や風にさらされ て塗装が剥げてしまうため、何度も塗り直しているそうです。黒澤さんのグループは、毎 年3月11日になると看板の周りで追悼キャンドルが灯し、亡くなった方々の冥福を祈る そうです。 「がんばろう石巻」の近くに津波到達地点を表しているポールもありました。 ボランティア教育 の実践と課題 津波は6.9メートルの高さまで到達したそうです。この地域は海沿いに面していたため、 町のほとんどが津波に流されてしまいました。また、震災当日に被災地の方々が津波から 避難するために登った日和山に実際に登りました。頂上まですべてが急な石段で、ひとつ ひとつの石段は高さがあり、頂上に着く頃には息が上がってしまいとても疲れました。こ の石段を震災当日に、体が不自由なお年寄りや子どもまでもが、命からがら駆け上って日 和山に登ったというのは、とても大変だったと思いました。頂上から下を見たときに辺り 学生時代の活動と 社会とのつながり 一面に草原が広がっていました。もともとその地域は住宅がたくさん建っていました。し かし、現在は危険区域に指定されたため二度と住宅が建つことはないそうです。この説明 を聞いたとき、自分の家を失った悲しみ、そして同じ場所に二度と家を建てることができ ない悲しみは、計り知れないと思いました。 活動二日目と三日目に石巻市の南境団地と大森団地に行き、仮設住宅支援を行いまし た。現在石巻市には仮設住宅が133団地あり、約14,000名が入居しています。 活動の様子 そこで私は、災害支援拠点であるピースボート石巻が2011年10月より地域のハッピー ニュースや仮設住宅を住みこなすコツやさまざまな記事を掲載している「仮設きずな新 聞」を仮設住宅一軒一軒に配達してきました。 「こんにちは、ピースボートです。仮設きず な新聞をお届けに来ました」と元気よく挨拶をして住民さんが出てきたら、仮設きずな新 聞を手渡しました。 「体調はいかがですか?」や「玄関のお花きれいですね」などと住人さ んに話しかけました。そうするとご年配の住民さんは「最近暑くてね~」や「毎日手入れ - 24 - のか戸惑いもありましたが、だんだん話すことが楽しくなっていきました。 私が訪ねた住民さんの中にご主人を津波で亡くされた方がいました。その方のご主人は お坊さんで、寺に避難してきた人を助けるためにご自身も津波に巻き込まれて亡くなった そうです。でもその方は悲しみを微塵も感じさせず、寧ろ明るく初対面の私に話してくだ さいました。またその方は自分がボランティアの方に助けられたから今度は何か自分がボ ランティアをしたいが、何をすればいいか分からないし、近場でなければできないから、 なかなかボランティアができないと仰っていました。それを聞いたとき、何の不自由もな く学校に行き、ボランティアをする機会に恵まれている自分は、とても幸せなのだと改め て思いました。 最終日には、 「我が家の災害対応ワークショップ」がありました。ワークショップでは 危険があるのか、例えば家具の転倒、落下、移動などを一人一人が真剣に考えました。そ の後、事前に用意した今住んでいる地域のハザードマップを利用して、災害が起きた際の 避難場所をグループ内で話し合いました。そして、プログラムの最後に活動の振り返りを 行いました。ここではまたグループに分かれ、自宅に帰ったらやるべきことを話し合い、 個人活動 配られた冊子に、家族の一日の行動を記入し、もし地震が起きた際に自分の家にはどんな ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ しているの」という風に返事をしてくださいました。最初は初対面の人と何を話せばいい 発表しました。私のグループでは、自宅に戻ったらSNSを利用して周りの人にボラン 私は実際に自宅の危険な家具を探し、家族に知らせ、そして家具の固定を行いました。 この活動を通して難しいと感じたことは、緊張してしまい住人さんと話が弾まない、そ して知らない人が訪ねてくることをよく思っていない住民さんとの接し方が分からないと いうことでした。実際に、チャイムを鳴らしても居留守をされ、私たちが去った後にポス ない人が訪ねてきたら居留守を使いたくなるのも理解できますが、実際に自分がそうされ るととても悲しくなり、どうしたらいいのか分からなくなることもありました。それで も、そこは割り切って活動を続けました。 最後に、石巻市での仮設住宅支援という活動で、私は今回初めて被災地を訪れました。 実際に訪れたことによって被災地や仮設住宅の現状と課題などを知ることができました。 年月が経つにつれて住宅が傾き、頭痛などの健康被害が出ているということがあげられま す。また、3月11日のことを思い出してしまい、不眠症になってしまう方もいらっしゃい ました。これらの方たちの心のケアが被災地では重要になってきていると改めて感じまし た。 被災地を訪れたと言っても、たった一回だけではほんの少ししか現地のことを知るこ とが出来ませんでした。なので、私はこれからもボランティアをし続けていこうと思いま 活動の様子 す。 学生時代の活動と 社会とのつながり 仮設住宅の課題として、以前は田んぼだったところを埋め立てて仮設住宅を建てたせいで、 ボランティア教育 の実践と課題 トに入った新聞を取りまた家に入って行ってしまった方もいました。正直なところ、知ら サークル活動 ティアについて伝える、家族と防災について話し合うということを行うことにしました。 - 25 - ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ Halloween Parade 英語文化コミュニケーション学科3年 佐藤 朱莉 毎年ハロウィンの時期に、児童英語ク ラスの先生と学生を中心に教職員有志や たくさんの学生が、仮装をしてパレード を行っています。 私たちのハロウィンパレードの目的は、 募金活動です。本来のハロウィンでは 個人活動 “Trick or Treat !”(お菓子をくれなきゃ、 いたずらするぞ!)と声をかけて、近所 の人からお菓子をもらいます。ですが私 たちは、募金してくれた友達や教職員の みなさんにお菓子を渡しています。 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 募金で集まったお金は、2013年、 学生時代の活動と 社会とのつながり 2014年にはKeiwa HOPEを通じて東 日本大震災被災者の皆さまのために活 用されました。 仮装パレードで私たちが楽 しむだけでなく、同時に募金 活動ができるのでとても良い 活動の様子 イベントだと思っています。 これからも児童英語のクラス のみんなでハロウィンを盛り 上げていきたいと思います。 - 26 - 英語文化コミュニケーション学科2年 高橋 真紀 私は、2014年12月の頭から冬休みに入るまでの三週間、水曜日と木曜日の週に二回募 金活動を行いました。募金活動は、先生や有志でお菓子を作っていただき、それを募金し てくださった方に渡していました。 この募金活動は2年生五人が主体となって動きました。この五人は春に被災地ボラン ティアに行ったメンバーです。私を含めた五人は、春に民宿の再建のお手伝いをさせてい ただきました。再建のお手伝いのほかにも、被災した土地を回りました。自分の目で見て 実際に被災された方とあまりお話しすることはできなかったのですが、再建先の民宿のお 母さんはとても元気でいつもにこにこしていて、逆にこちらが元気をもらうばかりでし た。そして、今回の募金の目的は被災地の子どもたちへの進学のためでした。ボランティ アに行った際に、震災で一番大きな被害にあった小学校に行かせてもらいました。自分た 個人活動 みて改めて復興の進みの遅さを感じました。この時に仮設住宅などにはいけなかったので ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 募金活動の大変さ ちよりも小さくて元気いっぱいな子どもたちが被害にあったと思うと、とても胸が痛みま 思い、今回の募金活動に参加しました。目標金額を三万円に設定してスタートした募金活 動でしたが、その設定金額を一万円以上も上回る結果となりました。 初めて募金活動をしてみて、人に伝えるという難しさを痛感しました。毎回三十個ほど のお菓子を渡し切るということを目標にやりましたが、昼休みの限られた時間内で渡し切 過ぎてしまうと人が通らないことも多々あり、自分たちからアネックスやオレンジホール (学生食堂)にお菓子を持って募金をお願いすることもありました。ただ立って、 「募金お 願いします」と言っていてもなかなか募金してもらえないので、 「おいしいお菓子はいかが ですか?」と言葉を変えて声掛けをして、募金してもらえるような工夫をしました。お菓 子に設定された金額以上に募金してくれる人や、たくさんお菓子が欲しいからたくさん募 今回募金活動でいくつか反省点も見つかりました。今回の募金活動をしている最中にこ の募金は何の募金なのと質問を受けることが多くありました。自分たちはわかっていても 相手には伝わっていないのだと思い、募金活動の場所を見てみると、パネルやポスターな どどういう募金活動をしているのかパッとみてわからないことに気が付きました。次回の 募金活動の際には一目で活動内容がわかるようパネルやポスターなど準備する必要がある いです。 - 27 - 活動の様子 と思いました。また、全体的に準備の時間が足りなかったので次回は万全な体制で臨みた 学生時代の活動と 社会とのつながり 金してくれる人がいて、とても嬉しかったです。 ボランティア教育 の実践と課題 るというのはなかなか大変でした。アネックス前の廊下でやっていたのでお昼のピークを サークル活動 した。そんな大きな被害がある中で今生きている子どもたちの進学の補助ができるならと ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ゼミ・ボランティア導入の経緯と活動の実際 英語文化コミュニケーション学科 教授 中村 義実 2007年、本学では新発田学研究センターが開所した。また、2008年には、学生が経営 する喫茶店「まちカフェ」が新発田市の中心街に誕生し、さらに、新発田市の寺町でかつ て営まれていた朝市「十二斎市」の復活に学生が携わる活動が展開を見せていた。この時 期、大学と地域の連携がかつてないほどに問われることになった。 「ゼミ・ボランティ ア」制度は、このような大学地域間連携の動きにタイミングを合わせるかのように、 2008年度の試行期間を経て、2009年度より正式導入された。 個人活動 「ゼミ・ボランティア」導入以前は、2001年度以降、1年次の「基礎ゼミ」を基軸とする ボランティア活動が行われていた。1年次必修の「ボランティア論」の講義とボランティ ア・センターによる事前事後指導のもとに、指定された一日に1学年全体で行われる。綿 密な準備期間を経て、 「基礎ゼミ」担当の各教員はゼミ生を引率して、近隣の一機関を訪 問し、一日かけてのボランティア活動を行う。この一日は「ボランティア・ディ」と命名 された。 サークル活動 「ボランティア・ディ」は、講義による理論学習と、ボランティア・センターによる実 践指導が結合することにより、本学のボランティア活動が正課としての体系を整えること に貢献した。大学と地域間の連携は進展し、基礎ゼミにおける準備と実践を通して、 「基礎 ゼミ」メンバー間、教員と学生間に連帯感と達成感が生み出され、一年生全体に有意義な 学びの機会が提供された。 ボランティア教育 の実践と課題 だが、 「ボランティア・ディ」の課題がいくつか存在した。一つは、1年次前期という 基礎ゼミの開講期である。入学当初ということもあり、学生の心の準備が伴わないケース が見られた。また、活動日が一日に限定されることにより、訪問先の都合を活かせない ケースや、活動の選択肢に制約があるため、必ずしも活動内容がゼミ全体の希望を活かせ ないケースが見られた。 これらの打開策として考案されたのが「ゼミ・ボランティア」である。2年次の「専門 学生時代の活動と 社会とのつながり ゼミ」の年度内で、担当教員と学生の話し合いを通して、ボランティア活動の内容、日 時、手順を自由に決定し実施する。実施後に提出される報告書をもって、当該ゼミの単位 が最終的に認定される。 「ゼミ・ボランティア」活動は2年次「演習」履修者の単位取得の条件となった。大学 創立以来受け継がれてきた、学生全員が参加するボランティア活動の伝統は、こうして新 たな制度に受け継がれた。 活動の様子 先述したように、学年、学期を問わず、恒常的に地域との連携が求められる時代背景が 「ゼミ・ボランティア」の導入を後押しした。 「ゼミ・ボランティア」は、 「サービス・ラー ニング」という概念を理念にして考案された。学生が大学で学んだ成果を地域社会の諸問 題の解決のために役立て、貢献と学習の双方が相互に効果を高め合うことを意図するもの である。学生と教員が一体になって取り組むボランティア活動に、地域の教育力が加わる ことにより、創造的なダイナミズムが生み出される可能性を期待した。 - 28 - 歴史を刻んだ。各ゼミの専門性が反映された活動、その時々のイベントのニーズに機敏に 応じた活動、新しい地域貢献活動等、ボランティア活動に独自性、多様性が生まれた。ま た、学内や近隣の環境美化活動を通して、足元にどれだけ多くの必要とされる仕事がある かを再認識する機会も生まれた。NPO法人、民間国際交流団体、地域自治体、大学施設 係等との新しい連携が生まれ、活動の幅の広がり、実践の深みを確認できた。 「ゼミ・ボランティア」の課題は、活動の継続性、発展性にある。2年次ゼミで行った ボランティア活動が、その後、進化と深化をとげる形で自発的に3年次、4年次ゼミへと 引き継がれていくことが理想であり、本学ボランティア教育の成果はそこに結実する。真 のボランティア精神が大学全体、学生全体に根づいていくまでには、今後もたゆまぬ努力 と工夫が必要である。 ①自治体イベント・学内イベント補助: 城下町新発田雑煮合戦、赤谷どんつきまつり、城下町新発田スポーツフェスタ、赤谷ご 個人活動 ●「ゼミ・ボランティア」活動の実例(2009年度~2014年度) ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 正式導入の2009年度以降、2014年度に至るまで、 「ゼミ・ボランティア」は6年間の ざいしプロジェクトそば試食会、新潟国際映画祭、新潟フォトウォーク、エコモードコ 少年合唱団コンサート、ルワンダフルコンサート、十二斎市(大学主催) 、餅つき交流 会(学内) 、等 ②福祉関連イベント補助・施設交流活動: 、スマイルキッズボランティア(障がい児支援) 、自然まるごと佐渡島(被災者支 (宮城) 援) 、新潟県視覚障がい者福祉大会・文化祭、世界網膜の日全国大会イン新潟、ふれあい バラエティ(学内) 、クローバー祭り、Keiwa HOPEチャリティパーティ(学内) 、等 ③国際交流・教育関連、環境美化活動関連: 、海岸清掃、福島 語教室(外国人の学習サポート) 、夏休みにALTと遊ぼう(児童英語) 潟清掃、新発田市内の寺院清掃、大学入試試験前の学内清掃、福島潟保全活動(サワオ グルマの種を取ろう!) 、図書館蔵書点検(学内) 、農作業手伝い(藤井農園) 、二宮家 バラ展肥料作業、等 学生時代の活動と 社会とのつながり トキめき新潟国体に備えてのスポーツ公園清掃、学校給食のゴミ回収活動、新発田日本 ボランティア教育 の実践と課題 住民作品展と福祉バザー、福祉施設での交流、幼稚園での交流、民宿再生ボランティア サークル活動 レクション、展覧会設営(長野県) 、ワクワクウォークラリー、アメリカフェニックス 活動の様子 - 29 - ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 「必修」活動から自発的な活動への繋がり 国際文化学科 教授 房 文慧 大学から車で8号線、116号線に沿って行けば(長岡方面) 、道の駅「良寛の里 わしま」 の道路標示が見えてきます。そのエリアには良寛の里美術館、地域交流センターもてなし 家があり、江戸時代越後新潟に生まれ育った偉人良寛さんが書かれた書や詩歌がここに数 多く保存されています。 良寛さんがこのような詩を書かれています。 花無心招蝶(花は無心にして蝶々を招く) 個人活動 蝶無心尋花(蝶は無心にして花々を尋ねる) 花開時蝶来(彩花が開く時に蝶が飛んで来る) 蝶来時花開(蝶が来る時に花が迎える) 吾亦不知人(自分は他人を知らず) 人亦不知吾(他人も自分を知らず) 不知従帝則(自分達のエゴのために犠牲になっているものが自然のままとなる) サークル活動 良寛さんは自然を愛し、生物を愛して、人を愛し、自分の寝ている布団を盗んだ泥棒さえ も愛していました( 「盗人の取り残したる窓の月」 。自分のモノを取られてなくなってしまっ たけれど、まだ窓から見る月がある。泥棒は布団が自分より必要である) 。良寛さんこそ、無 心にして自発的かつ無償的に助け合う調和の世界に活動して生きていた偉人であります。常 ボランティア教育 の実践と課題 にボランティアをすることは、良寛さんの自然な姿であり、人間本来の生き方でもありま す。 ボランティアの意味合いとは、自由な意思で他者とコミュニケーションを取り合いなが ら、無心に、無償で他者のために必要に応じて活動すると同時に、自分自身も向上させる ということであります。現代において、ボランティア活動の原点は、まさに良寛さんの人 と人との助け合いの精神とつながります。無心に自主的にボランティアをする人格・資質 学生時代の活動と 社会とのつながり を養うためのきっかけとして、敬和学園大学は2年次時点において、学生全員にゼミ・ボ ランティア体験活動(ゼミ・ボランティア活動と略)の実施を必須としております。 「ゼミ・ボランティア活動」は、2009年から大学2年生全員を対象に各専門ゼミの一環 として開設して、今年6年目になりました。その活動は専門ゼミの学習をスタートさせる と同時に、ゼミ生に自分が自分を探し、新しい自分を拓くことを促して、さらに3年次、 4年次または卒業した後も自発的にボランティア活動を行うように促そうとしています。 活動の様子 今までの活動はまちづくり、交流イベント開催、周辺環境整備、福祉関連及び国際交流を 中心としてきました。これらの目的を達成するために、2年次専門ゼミの指導教員は、ゼ ミ生と一緒に活動プロセスをコーディネートします。 ①計画を立てる―大学ボランティアセンター又は地域関係者等からボランティア情報を 得る。それらの情報に基づいて、ゼミ生と一緒にゼミ・ボランティア活動の心構え、 - 30 - ②活動を実施する―その後ゼミ生が1日ボランティア現地体験活動を行いに行きます。 ③自己評価及び総括―さらに活動終了後に心得及び反省を重ねて行きます。 最近の2年次ゼミ・ボランティア活動内容 年度 活動場所 参加者数 主な活動内容 備 考 新発田市内小中学 生ゴミ回収・搬送・堆肥化の為の手伝い 校4校 2009 ユー&ミーの会事 11人 小学生との国際交流ワークショップ及びスポー ツ交流 務所内 7月 七夕イベント 市堆肥センター 2010 1箇所 小中学校6校 生ゴミ回収・搬送・堆肥化の為の手伝い、一般 8人 作業参加 市堆肥センター 市内野菜畑、事務所 2011 (NPO法人ユー& 堆肥を使って成長した野菜の収穫手伝い、収穫 7人 大学構内 した野菜の調理、地元秋収穫祭祝会開催の手伝 い 11人 構内清掃 廊下・階段掃除 教室内ドア・内窓・机・椅子等の点検と清掃 10月 収穫祭開催 1月 大学センター 試験準備 知的・精神的・身体的障がいがある方を対象と センター する地域交流イベント。サービス利用者の付き 8月 9人 添い・買物介助、物品搬入・搬出、喫茶コー クローバー祭 ナー販売・接客、駐輪場整理及び会場全体設 開催 置・後片付け 知的・精神的・身体的障がいがある方を対象と 2014 豊栄福祉交流 センター する地域交流イベント。サービス利用者の付き 8月 12人 添い・買物介助、物品搬入・搬出、喫茶コー クローバー祭 置・後片付け 注:この表の内容は2年次房ゼミの例として纏めたものである。 これらの活動を通じて、ゼミ生各個人の自己再構築力を養い、次のステップに展開して もらえるよう心掛けていきます。 表は、2年次時点における最近6年間においての房ゼミ・ボランティア活動内容をま 化する1日体験活動プログラムがあります。毎年活動する場所が違いますが、基本的には 新発田市にあるNPO法人ユー&ミーの会の指導・協力を頂きながら、ユー&ミーの会員 を手伝い、市内の小・中学校をいくつか回って学校給食残渣をバケツに集めてきて、ユー &ミーの会員と一緒に集めてきた給食残渣を小型トラックに乗せて郊外地にある市の堆肥 センターへ運んで行き、最後にバケツを洗い、ユー&ミーの会に返すようなプログラム - 31 - 活動の様子 とめたものであります。この中には、2009年から3年間続いていた生ごみ回収及び堆肥 学生時代の活動と 社会とのつながり ナー販売・接客、駐輪場整理及び会場全体設 開催 ボランティア教育 の実践と課題 2013 豊栄福祉交流 サークル活動 ミーの会) 2012 廃棄物処理センター及び堆肥センターを見学・ 6月 個人活動 新発田市内保育園 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 内容、準備作業等を話し合います。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ と、出来上がった堆肥で育成した野菜を収穫するようなプログラムを行いました。 また、生ごみ回収・利用活動の合間には小学生の授業時間に合わせて各種ワークショッ プ ( 「北京オリンピックマスコットの意味」 「なぜ日本ウサギが少なくなったのか」 )や、七 夕祭及びスポーツゲームなどの交流活動も行いました。 2年次ゼミ生達は普段大学、アルバイト先、自宅といった三点式の生活パターンになり がちで、地域小中学校の「地域食の循環」教育現場の様子を見ることができず、ユー& ミーの会員さん、地域の方々と接することもできませんでした。しかし、1日だけのゼ ミ・ボランティア活動を体験して、貴重な機会を得ることができ、また小中学生の笑顔、 地域の方々の笑顔を自分の労働でみることができました。自分達の小さな行動とよい社会 づくり、温かい輪の形成との接点を強く感じる1日になり、そしてゼミ生達はゼミ生同士 の団結力、日本人学生と外国人学生とのコミュニケーション力が一段と高まったと感じま 個人活動 した。 2年次のゼミ・ボランティアを行ったことは、これからの自発的なボランティア活動、 継続的なボランティア活動のきっかけとなります。以前はボランティア活動が高いレベル での奉仕活動であり、強い使命感を持つ人々だけがボランティア活動に参加すると理解さ れていました。が、現在では周りとともに楽しく生きていくために常に自主的に何かの行 動を起こし、自分の行動で自分自身も他者も向上させる考え方に変化してきました。上の サークル活動 表に纏めた同一ゼミの学生はゼミ・ボランティアをしてから卒業するまでの間に個人で自 主的に活動するのはもちろんのこと、ゼミ仲間に呼びかけて自主的に活動した例も年々増 えています。 例えば、2011年3月東日本大震災が発生した直後、卒業する直前の4年次ゼミ留学生 3名は自主的に新潟市内に設けられた3ヶ所の避難所で5日間(3月15日~20日。21日 ボランティア教育 の実践と課題 卒業式)ボランティアとして奮闘しました。2011年9月に4年生になった6人は自ら実 行委員として「エコフェスタ2011 in 新発田」に参画していました。また2013年に4年 次学生となった5人が自ら企画して「エコカーニバル2013 in 新発田イオンモール」に 出店し、環境教育一環とする1日エコクイズコーナーを催しました(9月22日) 。さら に、今年度(2014年度)卒業するゼミ生は、授業の合間に商店街の活性化及び地域文化 振興への貢献などをテーマとして、2か月間毎週1回ペアを組んでまちカフェ・りんくに 学生時代の活動と 社会とのつながり てボランティア活動を続けていました(10:00~13:00、6月~7月の2ヶ月間) 。ゼミ 生らはランチの食材についてどれが地元産、どれが外国産かを集計し、統計データも作り ました。これらの活動を通じて学生達が成長した側面を発見することができました。必要 に応じて工夫するボランティアは、良寛さんのような、人間本来の生き方だと学ぶことが できました。 活動の様子 小さな良寛の里美術館があるエリアに来て、美味しい良寛むすびを味わいながら、良寛 さんの本物に触れて、他人に尽くした真なる偉人の気持ちを感じられるこの場所は、ボラ ンティア教育の現場としても大変貴重な「世界」だとしみじみ思いました。 - 32 - 英語文化コミュニケーション学科2年 牧田比菜子 今年の9月に6日間という期間で、新発田市の外ヶ輪小学校で教育体験としてボラン ティアを行いました。8時から16時までの8時間、教室や体育館などで児童たちと触れ 合い、共に学び合いました。 各学年に一人ずつ配属され、児童の学習の補助を中心に、丸付けや楽器の指導など、さ まざまな活動を行いました。昼休みには体育館で児童たちと鬼ごっこやお絵かきをして遊 びました。最終日には、5年生の合宿のプランである登山に同行しました。私たちはグ の教育体験では、教員の方々や子どもたちから学ぶことがたくさんあり、毎日楽しく有意 義な日々を過ごすことができました。 この教育体験を通して、普段授業で学んだことは実践しなければ身につかない、という ことを実感しました。一番そのことを感じたのは、児童とのコミュニケーションです。 個人活動 ループを引率し、花や虫の観察をして自然との触れ合いを児童と一緒に楽しみました。こ ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 外ヶ輪小学校 教育体験 私は2年生を担当させていただいたのですが、個性豊かな子どもたち一人一人に対応す ました。そして一緒に遊ぶことになったのですが、多くの子どもは鬼ごっこがしたいと言 います。しかし、教室でお絵かきをしたい子、フラフープがしたい子と意見が分かれてし まいました。そこで私は意見が多かった鬼ごっこをしようと提案し、体育館に移動して汗 をいっぱい流して楽しく遊びました。 子どもたちは参加しなくなってしまいました。私はどうにかみんな一緒に遊ばせようとし ましたが、結局最後まで遊ぶことはありませんでした。 私はもう少し子どもたちみんなの意見をきちんと聞いていれば良かったなと後悔しまし た。そのとき、たくさんいるから一人一人に対応できないのは仕方ない、と自分のしたこ とを正当化しようとしていたことに気がつきました。しかし、この後悔と発見は次の機会 今回の教育体験のおかげで私の授業に対する姿勢が大きく変わりました。普段から現場 に立った時のことを考えながら授業を受けるようになったのです。 「わたしならこんな時 こう対応する」と自分の中で考えを深めることが出来るようになってこそ、本当の意味で 学ぶことができるのだ、と身をもって実感することができました。 教員の方々から学んだことはもちろんたくさんありましたが、それ以上に児童たちから ボランティアという違った立場から教育の現場を見ることができてとても勉強になりまし た。この貴重な体験を忘れずに日々精進していきたいと思っています。 - 33 - 活動の様子 気づかされることが多かった6日間でした。教師ではない、比較的児童たちの目線に近い 学生時代の活動と 社会とのつながり に活かすことで、より良い実践に繋げることができると思っています。 ボランティア教育 の実践と課題 しかし、その日から鬼ごっこをするグループにあの時意見が分かれてしまった少数派の サークル活動 るのは大変でした。昼休みになると私の周りにたくさんの子どもたちが集まってきてくれ ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 「夏休みにALTと遊ぼう」に参加して 英語文化コミュニケーション学科3年 丸山瑛理香 私は大学2年生の夏休みに新発田市の地域交流センターで行われた、 「夏休みにALTと 遊ぼう」というイベントで学生ボランティアをしました。このイベントは新発田市の小学 校の児童とALTの先生方が集まって1日ゲームや歌などで英語を学ぶというものでし た。対象は1~4年生で、当日は100人を超える小学生が集まり、初めはその人数の多さ と子どもたちの元気の良さに圧倒されてしまいました。 最初に子どもたちを出迎え、名前を確認し、使用する資料を渡し、名札を首から下げる 個人活動 ように指示をすることを頼まれました。時間になると多くの子どもたちが入ってきて、そ の日初めて聞く名前をチェックし、子どもたちが理解しやすいような言葉遣いと声の大き さで指示をするのは慣れてくるまで難しく感じました。子どもたちを整列させ、ALTの 先生方と学生ボランティアの自己紹介が終わると、活動が始まりました。私は児童英語教 育の授業を履修しているのですが、活動やALTの先生方の行動や子どもたちとの関わり 方を実際に見ることで多くのことを学ぶことができました。子どもたちはいつでも活発 サークル活動 で、場所の移動と整列だけでもかなり時間がかかっていたように感じました。その際、先 生方が子どもたちを整列させ、話を聞く態度をしっかりとするように注意していたのです が、それでも騒がしくなってしまう子どもには先生が近くに行って、ALTの先生が話を している間中そばについていました。そうすることでその子どもは動き回ったり、大声を 出したりしなくなっていたので、ただ単に口頭で指示するだけではなく、こちらから何ら ボランティア教育 の実践と課題 かの行動をとってあげることが大切なのだと感じました。 また、話の最中に子どもが大きな声で反応した際も、先生方はその反応をきちんと拾い 上げて聞いてあげていたのが印象的でした。そのおかげで子どもたちは楽しそうに活動内 容に反応しながら真剣に取り組んでいる様子でした。私たち学生ボランティアは、子ども たちの様子を見て、孤立している子どもや活動の際に困っていそうな子どもを見つけて、 そのサポートをするように言われていました。活動を始めたばかりの頃は子どもたち一人 学生時代の活動と 社会とのつながり 一人を見ている余裕がなく、なかなか気を配ることができませんでした。しかし、3限目 の、アルファベットとそのアルファベットが使われている英単語を学習する活動の際に は、2限目の時の倍の人数の子どもがいたのにもかかわらず、全体の進んでいるスピード についていけていない子どもを見つけて教えてあげることができたので良かったです。そ れを機に自信が少しついたので、昼食の時間からは積極的に子どもたちと関わり、楽しく 充実した時間を過ごすことができました。そして、イベントが終わる頃には子どもたちが 活動の様子 懐いてきてくれて無邪気な笑顔でとても幸せな気分になりました。 このイベントは、初めはゼミ・ボランティアとして参加したものでした。しかし、普段 の生活の中でこのようなたくさんの子どもたちの教育の場面に関わることがなく、教職課 程を履修している私にとってはとても貴重な体験になりました。また、大学の講義では学 ぶことのできない多くのことを学び取ることができたので、参加して良かったと思います。 - 34 - 国際文化学科2年 長濵 美郷 私は、ゼミ・ボランティアとして8月4日、6日、8日の3日間サマースクールに参加 しました。サマースクールとは、新発田日本語教室が主催している、外国からきた保護者 をもつ小学生、中学生を対象とした学習支援活動です。 一日目は、中学3年生の男の子に数学を教えました。内容は平方根の計算でした。忘れ ているところがあったのですが、教科書を読んで思い出し、自分の言葉で噛み砕きながら 教えることができたと思います。勉強しながら、勉強とは関係のない話もすることができ 「そんなことないよ」と言ったのですが、宗教上の問題があり、同じ宗教を信仰している 人としか結婚できないという話を聞きました。私は何と言えばいいのかわからず戸惑って しまいました。そして、自分の宗教に対する知識のなさを痛感しました。 二日目は、中学2年生の男の子と読書感想文の宿題をしました。漢字の間違いや、常 個人活動 ました。その男の子に、 「自分を好きになってくれる人なんていないんだ」と言われ、私は ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ サマースクールに参加して 体・敬体をそろえることは指摘できましたが、彼が感想文に書きたいことをうまく日本語 おり、その方は彼と円滑にコミュニケーションをとっていて、私も多言語を操ることがで きるようになりたいと強く思いました。 三日目は、中学2年生の女の子と数学の宿題をしました。問題の解き方はわかっていて も、たまにケアレスミスをしてしまうところがありました。内容は因数分解で、数学の問 た。マジックショーをみんなで見て、お菓子を食べて、非常に楽しい時間を過ごすことが できました。 三日間のボランティアを通して思ったことがあります。このボランティアをしているとき、 生徒たちから「先生」と呼ばれていました。ただの大学生なのに、 「先生」と呼ばれるこ とが、恥ずかしくとてもくすぐったかったです。現在私は、教職課程を履修しています。 先生になるための勉強をしてるよ」と言ったことがあります。サマースクールで教えるこ との難しさを実感しましたが、同時に楽しさも覚えていました。 「なんとなく」で教職課 程を履修し始めたのですが、教職課程を履修した理由が見つかった気がしました。改めて、 自 分がやりたいこと、目指すものと向き合えたと思います。また、私は初対面の人と話すの が苦手なところがあり、身構えてしまい、それが生徒にも伝わったのか、多くは話すこと 験になりました。サマースクールに参加することができて本当に良かったです。これから の学生生活に役立てていきたいと思います。 - 35 - 活動の様子 が出来なかったのが残念です。しかし、小学生や中学生と触れ合うことができる貴重な経 学生時代の活動と 社会とのつながり 生徒に「先生は先生になるんですか?」と聞かれて、 「先生になれるかわからないけど、 ボランティア教育 の実践と課題 題は新鮮でした。三日目は最終日ということで、お楽しみ会にも参加させていただきまし サークル活動 に直せず、言葉の壁を実感しました。他のボランティアの方に中国語や英語を話せる方が ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ゼミ・ボランティア―藤井農園― 国際文化学科3年 小薬 慎 私は、ゼミ・ボランティアとして藤井農園で二回の農業体験を行った。そこで行ったこ と、感じたことを書いていきたいと思う。 事前にゼミの先生から聞いたことは、新発田の赤谷で自給自足の生活を行っている夫婦 がいるということだった。そのような生活が果たして出来るのかというのが最初に思った ことだ。 ゼミ・ボランティア当日、あいにく天気は雨だったが、ともかく決行するということで 個人活動 大学を出発した。車で30分ぐらい移動し現地に着いたが、そこはカーナビで表示されな い山奥にあった。農園に着いたとき、どこまでが農園の畑か分からないぐらいの広い土地 に、二階建てのログハウスが建っているのが目に入った。 予想以上に雨が強くなり、午前中の作業を断念した私たちは、ログハウスで雨宿りさせ てもらった。ログハウスの中は、とても快適だった。昼になっても天気は変わらなかった ので、どんなに天気が悪かろうとも午後の作業は断行することに決め、昼食を挟み作業を サークル活動 開始した。午後の作業は、次の日に行われるイベントに使う仮設の屋根の骨組みの設営 と、人参の収穫だった。骨組みの設営は、位置調整に悩んだだけで、それほど大変では無 かったが、その後の人参の収穫が大変だった。収穫し、そのあとで人参の泥を水で落と し、葉を取る作業だった。作業はすべて終わったが、作業時間が短かったため、また来る ことを決め農園をあとにした。 ボランティア教育 の実践と課題 二回目のゼミ・ボランティアも、天気はあいにくの雨で、小屋の中での作業だった。内 容は小豆の木の枝からサヤを採る作業とジャガイモを品種ごとに分ける作業だった。そも そも、小豆のサヤの状態を見るのは初めてだった。小豆は一つの枝に30~40近くのサヤ がついており、午前中は、サヤ採りにかかりきりになった。お昼は農園さんのご好意でお いしいご飯を提供してもらった。全て農園で取れた産物を使った料理は、新鮮でとても味 がよかった。午後の作業は、ケースにバラバラに入っているジャガイモを品種別に分け、 学生時代の活動と 社会とのつながり 腐っているジャガイモを除外する作業だった。作業中、思ったことがある。この作業を夫 婦二人でやりイベントなどを行うのは大変だが、やりがいがあって楽しそうだな、という ことだ。 ほぼ自給自足の生活は辛いことや大変な事も多いが、このような素晴らしい生活も悪く ないなと思った。このような体験をさせてくれた大学とゼミの先生に感謝しつつ、またこ のような機会があれば参加したいと思った。 活動の様子 - 36 - 共生社会学科2年 大井 駿介 はじめに 私たちは、山﨑ハコネ先生ゼミのボランティアでマナの家で、味噌作りを行うことを決 めました。味噌作りの他にはバザーも候補として上がっていましたが、私たちのゼミで地 域の人と協力して味噌を作ることで地域の活性化に繋がるのではないかという考えでまと まり、ゼミ・ボランティアで味噌作りを行うことを決めました。 活動の様子 - 37 - 学生時代の活動と 社会とのつながり おわりに 私達は今回のボランティアを通して多くのことを見て、経験し ました。ボランティアをさせていただく前は地域との関わりなど についてあまり考えていませんでした。しかし、味噌作りを通し て地域との関わりの大切さ、近頃減少している人とのコミュニ ケーションの大事さなどに改めて気づくことが出来ました。これ からもこの事を忘れないようにしたいと思います。 ボランティア教育 の実践と課題 3.地域の方々との関わり 今回は味噌作りの他にも多くの地域の方々との関わりがありまし た。例えば、参加してくださった地域の方のお子さんをお母さんが 作業している間、遊ばせたり、昼食を学生で作っているときに美味 しくなるコツを教えていただいたりと様々でした。それは私達にとっ て貴重な体験となりました。 サークル活動 2.当日の流れ 当日はまず、大豆を煮る作業から始めました。大豆を煮ている最中は灰汁が出るので、そ れを取る作業と火の加減を調節する作業をし、それと同時進行で他の人たちは味噌作りの会 場作りをしました。会場作りは、椅子の設置や煮た豆を潰す機械などを設置するなど様々で した。会場作りを終えると、地域の方やマナの家の利用者の方なども続々と来てくださっ て、煮た豆を潰す作業を一緒にしました。その作業と同時進行で、潰した豆に入れる塩と麹 の分量分けをしました。分けた塩と麹を潰した豆の入った大きい樽に混ぜ合わせ「味噌玉」 というものを作り、その味噌玉を樽に叩き付け空気を抜き、表面を平らにし最後にそれに塩 を振り、1年間寝かせて完成です。その作業を終え、地域の方などを除き学生で後片づけを しました。後片付けは豆を潰す機械や豆を煮る時に使った鍋などを洗いました。地域の方か らお借りした物もあるので、お借りした時よりきれいにするつもりで洗いました。 個人活動 1.事前準備 まず、私たちが味噌作りをするにあたって、地域の人を交えて、味噌作りの打ち合わせ 会を行いました。打ち合わせ会では、当日の流れの案を提案し、当日に使用する道具の個 数や参加者の人数、参加費、実施日を確認した後、味噌作りの経験がある越前小学校に視 察に行き、それを記録したものを見せていただきました。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 地域活性化を目指して―ともに創る味噌作り― ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 今までとこれからにつながること 共生社会学科3年 小嶋奈津子 私は、2年生のゼミ・ボランティアから、ぷれジョブ石山のイベントにボランティアス タッフとして参加している。 まず、ぷれジョブとは支援の必要な子どもたちを生まれた地域で育てる活動・障がい児 等の職場体験を支援している団体である。 今回のゼミ・ボランティアでは、ぷれジョブ石山のイベントのウォークラリーに企画か ら参加させていただいた。まず、会議では去年のウォークラリーの反省を踏まえて、 個人活動 ウォークラリーの内容など他大学の学生と話し合いながら企画することができた。ウォー クラリーには小さい子どもから高齢の方まで参加するので全員が楽しめ、地域住民がぷれ ジョブの存在を知り、興味を持つような企画について話し合った。 当日は、チェックポイント担当と参加者と歩くボランティアにわかれた。チェックポイ ントに立つボランティアは着ぐるみを着てクイズを出題するのだが、グループが到着する まで、一般の方々の好奇の目に晒されたことがよかったのか、自分たちからぷれジョブに サークル活動 ついて話すこともあれば、相手から何をしているのか聞かれる こともあり、ぷれジョブについて一般の方々に知ってもらう良 い機会になったのではないかと思う。そして、参加者には去年 参加してくれた人も多く、私たちにも声をかけてくれる子ども たちがおり、覚えてもらえたことがうれしかったのと同時に、 ボランティア教育 の実践と課題 身近な存在ではない私たちが輪の中に入っても違和感なく受け 入れてもらえることがとてもうれしかった。 また、2回目のゼミ・ボランティアとして参加して感じたことは、ぷれジョブは地域に まだしっかりと根付いていないということだ。しかし、去年のウォークラリーのことを知って いる方も多く、イベントが行われるごとに少しずつぷれジョブが地域に浸透しているように 感じた。このように感じたことから、これからも継続的に活動に参加していきたいと思う。 学生時代の活動と 社会とのつながり そして、ぷれジョブの活動は、障がい者福祉について改めて考える機会になった。障が いをもっている人に焦点をあてるのはもちろん、その周りにいる家族がどのような思い で、どのような活動を行っているのか学ぶことができた。そして、地域で暮らしている障 がいをもっている人たちが当たり前に暮らせるように、家族やその周りの人々がどのよう な活動をし、働きかけているのかを知ることができた。障がいをもっている人が暮らしや すいのはもちろん、障がいをもった子どもが安心して生活でき、その家族が安心して育て 活動の様子 られるような環境づくりが必要なのだと思った。また、今回の活動を含め、これからの将 来を担っていく子どもたちが活躍している場について知ってもらえたらと思う。 去年に引き続き、ボランティアに参加して人との関わりが深くなったと思う。一回限り の出会いではないため、これからもそのつながりを大切にし、子どもたちが充実した時間 を過ごせるようにゼミ・ボランティアの活動だけで終わらせることなく、自主的に関わっ ていきたい。 - 38 - 英語文化コミュニケーション学科2年 祖山 恵 私たちのゼミでは「教育」をテーマとしているので、ゼミ・ボランティア活動は、夏期 休暇中に新発田市の生涯学習センターで行われた「夏休みにALTと遊ぼう」という子ど もたちの学習プログラムにボランティアとして参加した。一日という短い時間だったが、 普段の大学の講義では得られない、私たちにとって様々な貴重な体験をしてきた。 この日は、午前中からネイティブスピーカーの先生による授業が行われる。活動は子ど もたちの受付からスタートし、受付が済んだ子どもたちは授業に入る前に全体で一度集 自己紹介をした。突然のことに緊張したが、大勢の子どもたちの前に立たせて下さった先 生方のおかげでとても貴重な体験ができたなと感じている。 それぞれの授業はいくつかのクラスに分かれて行われた。私たちボランティア学生は1 クラスにつき、2人ずつついてボランティアをした。授業の補助をさせていただいたり、 個人活動 まった。私たちもネイティブスピーカーの先生に続いてステージ上で、一人ひとり英語で ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 「夏休みにALTと遊ぼう」を振り返って 先生が授業を行う様子を見させていただいたり、といったことができるということは普段 活動の内容とは、ALTの先生の授業準備(プリント、道具の配布など)や子どもたち の授業補助である。活動中子どもたちからは、問題に取り組んでいる最中の悩んでいる様 子、問題が解き終わって喜んでいる様子など、身近でさまざまな表情が見られた。しか し、夏休みだからか、子どもたちの集中力が切れてしまったときが何度かあった。時に トラブルに日々対応しているのだと思うと、改めて尊敬の気持ちが強まったと共に、ボラ ンティアを通してこのような場面に遭遇でき、貴重な体験が出来た。 また、この「ALTと遊ぼう!」の活動は学校の環境とは異なり、市内のいくつかの学 校の生徒が集まるので、いつも一緒に勉強していない仲間との交流もできる。まだ名前も 知らない相手に対して、英語でお互い自己紹介をしたり、発表したり、聞き合ったりす 気持ちにさせられた。子どもたちにとってこの「ALTと遊ぼう!」が貴重な体験となっ ていることを感じた。 活動を振り返ると、自分の肌で教育現場を感じることができたことが貴重だった。私た ちが小学生の頃は、英語はクラブ活動や、月に数回のALTの先生との授業だけだったた め、大学入学後に小学校高学年の外国語活動の話を聞いてもイメージし難かった。今回、 このボランティアが私自身の教職履修の強い動機付けになったと感じている。 - 39 - 活動の様子 小学校で英語を使うことが、他の教科と同様に浸透してきているということを実感した。 学生時代の活動と 社会とのつながり る、そんな一日を過ごす中で、子どもたちが仲良くなっていく様子が見られ、あたたかい ボランティア教育 の実践と課題 は、授業中にも関わらず喧嘩が始まってしまうこともあった。教師というのは、この様な サークル活動 大学で学んでいる私たちにとても新鮮だった。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅 英語文化コミュニケーション学科2年 熊倉 千夏 私が今回、なぜ「寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅(寺100) 」に参加したのか。理由は簡 単で、大学時代に何か思い出に残ることがしたかったからだ。きっかけは友人が寺100の 校内説明会に誘ってくれたことだった。1年間、大学生活を過ごしてみて、なんとなくこ のまま大学生活が終わってしまうのではないかと不安を抱いていた矢先の話だった。 「100㎞歩くってなんだかすごいなぁ」という興味本位であった。説明会には活き活きと 話をする学生スタッフがいて、私にはとても眩しく見えた。何よりも、本番の様子の動画 個人活動 に映る子どもたちや学生たちの一生懸命な姿に感動した。さらに、この事業の開催地は、 私の地元である三条市も含まれているということもあり、参加することを決心した。振り 返ると、寺100は、私自身かつ私の人生を180度変えた大きな出会いであった。今までの 私は人見知りで、なかなか初対面の人と上手く話せず、引っ込み思案な性格であった。そ んな自分が嫌で変わりたいとずっと思っていた。寺100には他大学・専門学校から学年、 性別の異なる学生が集まる。私が大学に入ってから、他の学校に通う同年代の人たちと関 サークル活動 わる機会がそれまでないに等しい状況であった。いかに自分が狭い世界で生活していたの かということに気づいた。初めはなかなか周りに馴染めず、距離があった。しかし、研修 を通して、だんだんと心の壁がなくなっていった。今まで誰にも言えなかった思いを受け 入れてくれる場所ができた。私は、自分の思っていることを相手に伝えるのが苦手だ。批 判されたら嫌だな、間違っていたらどうしよう、などと不安になって、黙ってしまうの ボランティア教育 の実践と課題 だ。そして、あの時言えばよかったなぁと後悔して、もやもやしてしまうのだ。寺100で は、問題に対して、みんなで意見を言い合い、解決することが求められた。周りの学生の 積極的な姿勢に、圧倒されるばかりだった。自分に意見を求められても、なかなか答えら れないことが多かった。しかし、自分の意見を言うチャンスは、皆平等であると気づい た。色んな意見や考え方があるということを寺100で実感した。些細なことでも気づき、 発信することが重要であると理解した。 学生時代の活動と 社会とのつながり 寺100には心得・綱領がある。 「積極的な姿勢・謙虚な心・整理整頓・時間管理・全員 参加・一日一生」 「私には素晴しい力があります。はてしない可能性があります。何事も くじけず、弱音を吐かず、出きる、出きる、必ず出きるの精神で一歩一歩前進すれば、必 ずゴールに到達することを知っています。私は多くの人たちや自然の恵みをはじめ、有形 無形様々な支えがあって生かされています。さらには、人生においての試練や苦労にも感 謝できる、強く優しい人間です。 」これらを始めに全員で大きな声で唱和するのが決まりだ。 活動の様子 最初に聞いたときは、スタッフの声の大きさに驚いた。心得・綱領の内容は、生きていく 上で大事なことばかりである。この心得・綱領から教わったことは数え切れない。例え ば、真っ先に手を上げること、お世話になった施設には挨拶とお礼をすること、靴や鞄は 揃えて並べること、などいずれ社会に出た時に活かせることである。正直、私はご飯を食 べるときに、いただきますやごちそうさまを言わない人間だった。しかし、寺100で食べ 物を育てて、私たちに届けてくれる人や料理を作ってくれる人に対してのお礼であること - 40 - 100で出会った人から友達、家族、今までに私と関わってくれた人たちがいるからこそ、 今の自分がいることに感動し、心から感謝した。 それから、私は班のリーダーに任命された。第一希望の役職であった。実際は戸惑いを 隠せなかった。今までのリーダー経験にいい思いがあまりなかった。過去にとらわれずに 前に進みたかったというのが希望した理由だった。そして、今の自分に足りないのはリー ダーシップだと思ったからだ。リーダーとは何か、他の班リーダーと考えた。しかし、な かなかまとまらず、リーダーについてぼんやりした状態だった。自分にリーダーが務まる のか、リーダーとしてちゃんと子どもたちを導いていけるのか、不安しかなかった。それ でも、悩みを共有し、それぞれの思いを聞いて、ぶつかり合って、一緒の方向に向いて頑 張る仲間が支えてくれた。私は一人じゃない、51人の学生スタッフと頼もしい社会人ス 番の5日間は歩いたというよりも駆け抜けるように早かった。初日に子どもたちと会った とき、嬉しさ半分、不安半分だった。自分自身、常に目の前のことにいっぱいいっぱいに なってしまっていた。私の班には最年少の4年生ですごく甘えん坊の女の子がいた。初日 から班から遅れていて、夕飯も食べなかった。どうやらホームシックになっていたよう 個人活動 タッフがいる。そう思うだけで、とても心強かった。本番までの道のりは長かったが、本 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ を深く学んだ。以降、私はきちんといただきます、ごちそうさまを言うようになった。寺 だった。私はどうしていいのか分からず、とにかくそばにいて、話を聞いて励ますことし し、その子はめげずに頑張ると言ってくれた。その言葉が胸に響いて、私は全力をかけて 班を引っ張り、支えようと決意を固くした。日を追う毎に子どもたちが逞しくなっていく 姿に勇気付けられた。最終日、弥彦山登山で最後の班になりながらも班全員で登頂した。 ゴール手前の大鳥居で最年少の女の子が自ら、 「これで最後だから、みんな言いたいこと言 どもたちが口々に自分の思いを伝えている姿を見て、自分のやってきたことが報われた気 がした。子どもの可能性は本当に無限大だと実感した。辛くても、あきらめず、仲間とと もに一生懸命に頑張る子どもたちの姿は一生忘れない。 この事業は私の知っているボランティアとはかなり異なっていた。子どもたちが100㎞ 無事に完歩するサポートをすることが学生の役目だ。思っていた以上に肉体的にも精神的 自分のためではなく、人のため、子どもたちのためだからこそ頑張れた。共に頑張るかけ がえない仲間がいたから頑張れたと思う。寺100のおかげで、自分のことが少し好きにな れた。きっと一人で100㎞歩くことは難しい。苦楽を共にする仲間や多くの支えがあるか ら達成できることである。たかが100㎞、されど100㎞だが、やってみる価値は大いにあ る。普段味わえないような経験をすることができる。しかし、寺100の事業認知はまだま けて、大学から新しい学生スタッフを輩出したい。寺100の魅力を周りに広め、知って頂 くことに力を注ごうと思う。 - 41 - 活動の様子 だ低いのが問題である。今後は、校内での事業認知の活動を活発に行い、次回の開催に向 学生時代の活動と 社会とのつながり にも苦痛を味わった。しかし、負荷や試練を乗り越えなければ、成長はないと教わった。 ボランティア教育 の実践と課題 おう!」と泣きながら、班の仲間に訴える姿が印象的で胸を打った。それがきっかけで子 サークル活動 かできなかった。まだ小さい子どもが親から離れることの辛さを目の当たりにした。しか ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅 共生社会学科2年 川瀬 由花 初めに、寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅についてご紹介します。100㎞徒歩の旅は1998 年に社団法人つくし青年会議所(以下つくしJC)主催で開催されたのがスタートです。 子どもたちの「生きる力」を醸成させるための事業を模索研究され、 「体験型学習」こそが 生きる力の醸成に最も効果的であるとの考えのもと、地域教育の一環として、つくしJC により「つくし路100㎞徒歩の旅」が誕生しました。そもそも、何故100㎞なのかと言う と、地域に密着した、自分たちの「生活圏」で安全面とともに「学び多き負担」を考え一 個人活動 日平均20㎞、5日間(4泊5日)で100㎞を歩くとしたからです。100㎞徒歩の旅の目的 である「生きる力」と言うのは、文部科学省が掲げており、変化の激しいこれからの社会 を生きる子どもたちに身に付けさせたい「確かな学力」 、 「豊かな人間性」 、 「健康と体力」 の3つの要素からなる力です。又、 「自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に 判断、行動し、よりよく問題を解決する能力」と言うことでもあります。子ども達に「生 きる力」を醸成させるために大切なのは、子どもの力を信じ解決出来るときには、その子 サークル活動 どもの力に任せ、一人では解決することが難しく助けが必要な時に助けてあげる。生きる 力を身に付けるのは子ども自身であり、子ども自身の力によるものだからです。では、何 故100㎞徒歩の旅に学生が参加するのか?それは、子どもの面倒を見ること、子ども達が 100㎞歩ききるために近くでサポートをするためです。子ども達は大人(親世代)に対し ては本音をなかなか言わないし、見せないのです。しかし、お兄ちゃんお姉ちゃん世代は気 ボランティア教育 の実践と課題 を許すことが出来る世代です。なので、大人では出来ない役割を学生が担うという訳です。 また、学生は100㎞徒歩の旅の成功に向けての学びはもちろんのこと、様々な自己啓発の 場ともなるため100㎞徒歩の旅は学生の育成にも繋がります。 私が寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅に参加した理由はとても単純です。自分が成長した かった、子どもと関わりたかったからです。学校で開催された説明会に行き話を聞いた 時、 「これだ!」と直感的に思いました。参加して、私は子ども達と歩く役職ではなく、生 学生時代の活動と 社会とのつながり 活補助課になりました。生活補助課は食事の準備、休憩所の設営、施設やトイレの掃除な ど、参加者の生活支援を行う役職です。この役職は出来ていて当たり前の仕事をしなくて はいけません。しかし、やったこともないテントの設営、短い時間内での食事の準備、掃 除、必要以上に道具を消費しないなど、普段は意識せずに行っていることに制限がかかる だけで、こんなにもスムーズに運ばず、仕事が間に合わないのだと苦戦しました。上手く いかず社会人の方に何度も注意されました。どうしたらもっとスムーズに仕事をこなして 活動の様子 いけるのだろう?課のメンバーと連携を上手く取るにはどうしたらいいのだろうと悩みま した。そんな時、社会人の方に「物事を考えるときに自分本位になってしまうのは当たり 前。それを理解した上で相手思考になることが大切」と言われました。少し考えれば分か るような単純なことなのに、私はこのことを忘れ、 「自分が何とかしなければ」とばかり考 えていたのです。言われてから相手のことを見て、考え、行動してみました。すると、少 しずつですが仕事がスムーズに出来るようになっていき、自然と課のメンバーとも打ち解 - 42 - なことで、足元に落ちていたのに、私は一杯一杯になっていたせいで見えなくなっていま した。一杯一杯の状況だからこそ冷静になり、他人の言葉、行動に目を向けることが大切 なんだと学びました。人は人でしか磨けない。まさにその通りです。気づかせてくれる人 がいるから私達は成長できるのです。100㎞徒歩の旅に参加していなければこのことに気 づくこともなかったと思います。 寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅に参加してみて、人との繋がりの大切さを実感することが 出来ました。研修は大変でしたが同じ目標に向かって頑張る仲間の存在が心強く、研修の 大変さよりも仲間に会えることが糧になっており、どんな困難でも乗り越えられました。 社会人の方も仕事をしながらこの100㎞徒歩の旅に関わっていて、周りの理解を得るのは 社会人の方の方が難しいのに、研修、本番と参加して全体のサポートをしてくれ、団長を 来年は3年生になり実習や勉強が今よりも忙しくなってきます。しかし、私は3年生に なっても寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅に参加するつもりです。 「忙しい」と言う言葉は自 分の可能性を潰すような言葉だと私は思います。忙しいからやらないのは諦めているから です。私は忙しいを理由に諦めたくはありません。100㎞徒歩の旅は、まだ私が知らない 個人活動 はじめ社会人の方々を本当に尊敬しています。私もこんな大人になりたいと思います。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ けられ、連携もとれるようになったのです。自分が悩んでいたことの答えは意外にも単純 世界が沢山あることを教えてくれます。それを新しい仲間と一緒に見たい。今年出来な 加して思えるようになりました。とはいえ、来年、再来年の目標や夢を追いかけるのは大 変です。だから、今、目先にある目標に向かって努力します。今は第八回の学生スタッフ を集めなくてはいけません。スタッフを集めるために動くのは社会人の方ではなく、私達自 身が動き集めます。 自分たちで考え行動するのは難しいですが、同時にとても楽しくもあり ていきます。少しでも興味をもってもらえるように写真展やDVD上映などこれからも頑 張っていこうと思います。 寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅に参加して急激な成長ではありませんが、私自身少し変わ る事ができました。色々な考えに触れ視野が広がりました。100㎞徒歩の旅に参加して損 なんてありません。逆に得るものがたくさんあります。行けば何かが変わります!そんな 最後に、これを読んでくださって少しでも寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅に興味をもって 頂けたら幸いです。 学生時代の活動と 社会とのつながり 経験をしてみませんか? ボランティア教育 の実践と課題 ます。この活動には制限がないので、自分たちで思いついたこと、やりたいことを実行し サークル活動 かったことを来年はやり遂げたい。もっと多くの人と関わりたいと、100㎞徒歩の旅に参 活動の様子 - 43 - ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 「はばたけ21~未来の子どもたちへ~」に参加して 英語文化コミュニケーション学科3年 中島 綾子 私は大学2年生から「はばたけ21~未来の子どもたちへ~」という事業の学生ボラン ティアをしています。最初に「はばたけ21」とは何なのかを紹介します。 「はばたけ21」とは、1992年に始まった環日本海時代の “草の根交流” 事業です。毎年 夏休みにロシアのハバロフスクとウラジオストク、中国のハルビンと西安、そして韓国の ウルサンの子どもたちを日本に招いて、約1週間日本の小学生と国際交流をします。 この「はばたけ21」では、ボランティアは社会人スタッフ、学生リーダー、学生ス 個人活動 タッフ、リートレチームという風に分類されています。学生リーダーは初参加の学生で、 班のリーダーとして子どもたちと約一週間をともに過ごします。そして学生スタッフは学 生リーダーを経験した二年目以降の学生で会の運営に携わります。その学生スタッフの中 でもリートレチームというものがあり、リートレは学生リーダーの指導やプログラムの進 行をします。 今年の「はばたけ21」の本番の日程は六日間で、最初の二日間を国立妙高青少年自然 サークル活動 の家で、残りの四日間を新潟市で過ごしました。学生リーダーと日本の子どもたちは事前 に顔を合わせていますが、海外の子どもたちとは妙高で初めて顔を合わせます。その為、 妙高では各班での自己紹介やエール作り、運動会、野外炊飯、星空ウォッチング、キャン プファイヤー、そして各都市出し物というプログラムを行います。エール作りでは各班に 分かれ、アイデアを出し合います。それぞれの班で個性溢れる楽しいエールが毎年できま ボランティア教育 の実践と課題 す。運動会では4つの色に分かれ、おそろいのTシャツを着て競技をします。国を超えて 同じチームのメンバーを応援する姿が見られ、一気に子どもたちの仲が深まっていくよう に思います。各都市出し物では学生リーダーとそれぞれの都市の子どもたちが用意した出 し物を披露します。これらのプログラムを通して子どもたちは仲を深め、お互いの国につ いて学びます。新潟市に戻ってきてからは新潟や日本の文化を知ってもらうプログラム や、これからの自分達について考えるようなプログラムを行います。プログラムの内容は 学生時代の活動と 社会とのつながり ホームステイ、ダイニチ工業の工場見学、思い出帳づくり、世界子ども会議、水土体験、 はばたけ祭り、お別れ会です。世界子ども会議では「これからも友情を続けていくために はどうすればよいか」について話し合います。水土探検では新潟市内を二つのコースに分 かれて散策します。一昨年は福島潟やせんべい王国を含む北区コースと、新潟日報社の見 学やふるさと村、白山神社の参拝などを含む中央区コースがありました。昨年は新潟の漫 画について知ってもらおうと新潟市マンガの家とマンガ・アニメ情報館に行きました。は 活動の様子 ばたけ祭りでは茶道、書道、うちわづくりをして日本の文化を体験してもらいました。 私は大学2年生の時に母からの紹介で「はばたけ21」を知りました。ちょうど何か子 どもに携わるボランティアをしたいと思っていたのでこのボランティアに申し込みました。 最初は何気なく申し込んだボランティアでしたが、苦労もたくさんありました。本番前 に何回か行われる研修では「はばたけ」独自のあいさつやキャンプネームに慣れず、恥ず かしさが捨てられなかったり、あいさつや返事などについて注意されたりしました。本番 - 44 - の通じないロシアの子にばかり目をかけてしまい、日本の女の子に「リーダーは全然か まってくれないから嫌だ」と言われたこともありました。このように大変だったことはた くさんありましたが、やはり楽しかったと思えますし、やってよかったと思います。恥ず かしがらずに自分が思いきり楽しんでダンスなどをすれば、子どもたちも楽しんでくれま す。挨拶や返事は私たちが子どもたちのお手本にならなければなりません。 「嫌だ」と言わ れてしまった子とも向き合うことをやめなかったおかげで、最後のお別れ会では「大好き。 リーダーの班でよかった」と言ってもらうことができ、今でも手紙交換をしています。 二年目の今年は、昨年の自分の体験を伝えたいと思い、リートレチームに入りました。 毎回のトレーニング内容を考えたり、プログラムの進行をしたり、今年はそれほど直接的 に子ども達とは関われませんでしたが、裏方の仕事を通して全体のことを見ることがで 私はこの「はばたけ」でたくさんの事を学ぶことができました。 「当たり前のことを当 たり前にすることの大切さ」 。この当たり前の事には挨拶や返事、そして時間などのルー ルを守ることなどが含まれます。 「一人一人としっかり向き合うことの大切さ」 、 「先を見て 行動することの大切さ」 、 「主体的に行動することの大切さ」 、他にもたくさんのことを学ぶ 個人活動 き、二年目も一年目とはまた違うやりがいや達成感を得ることができました。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ では私は日本人の女の子二人とロシアの女の子一人の班のリーダーをしたのですが、言葉 ことができました。この「はばたけ」で学んだことは日常生活でも役立っています。敬和 とたくさんの人に参加してもらいたいと思います。 サークル活動 からこの「はばたけ」に参加している学生は現在私一人だけです。この活動を広げ、もっ ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり - 45 - 活動の様子 画像は2014年のはばたけ世界こども会議の集合写真 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ はつらつ体験塾を通して学んだこと 共生社会学科2年 原 彩佳 私は、 「はつらつ体験塾」というボランティアに3回参加した。ここではまず、はつらつ 体験塾について説明し、そのあとで私自身の体験やそこから学んだことを述べる。 「はつらつ体験塾」とは、学校や教室に行けない・行きづらいと感じている小・中学生を 対象とした、新潟県教育委員会・新潟県少年自然の家が主催して行っている不登校児童生 徒体験活動推進事業である。第一回を新潟県少年自然の家、第二回を国立妙高青少年自然 の家、第三回を新潟県立青少年研修センターで、スマイルキャンプ、フレンドリーキャン 個人活動 プ、チャレンジキャンプという名称で徐々にステップアップしていくキャンプを1泊2日 (チャレンジキャンプは2泊3日)行っている。私たち学生ボランティアは、実際に子ど もたちと関わる前に、次のような説明を受け、事前の心構えをする。はつらつ体験塾の役 割は、まず手段として、人とのかかわりがある体験をすること、あまり経験がない・負荷 がある・感情が生まれる体験をすることであり、次に目的として、楽しさ・喜び・自信な どの感情の向上を図ることで社会性・自立性を育成すること、コミュニケーション能力の サークル活動 向上を図り、理想として最終的には学校復帰や社会適応を目指すことである。学生ボラン ティアの役割は5つある。1つ目は子どもの情報をしっかりと聞き、一人一人違った実態 であることを理解し、それぞれの子どもにあった対応を心掛けること。2つ目は各プログ ラム、食事時間や休憩時間も子どもと一緒に活動し、子ども同士のかかわりを支えること である。3つ目は子どもを支援することで、目的に合った子どもへの言動(見守る、励ま ボランティア教育 の実践と課題 す・勇気づける、助ける、寄り添う、指導する)に結び付けること。4つ目は子どもの良 い変化を認め本人に伝えることにより、価値づけ心のエネルギーをつけること。そして最 後の5つ目はキャンプ終了後に、キャンプでの子どもの様子を記録することである。ま た、私たち学生ボランティアの特性は子どもと年齢が近いこと、社会人ではないこと、不 登校児童生徒への専門的な知識・理解が浅いことである。そのうち長所としては近い将来 のモデルとして子どもたちと同じ視点で大人や社会を見ることができることであり、短所 学生時代の活動と 社会とのつながり としては子どもたちの感情に左右されやすいことや子どもたちに対して構えすぎることで ある。言動に責任がないことは良い面も悪い面もあるため注意しなければならない。最後 に、はつらつ体験塾はゆったりとしたプログラムになっているため、自由な時間が多く存 在する。この時間の使い方を誤るとはつらつ体験塾の本来の目的を失ってしまうため、教 育の場であることを心掛ける必要がある。 さて、ここからは学んだことを述べるが、私は何かボランティアをしたいという漠然と 活動の様子 した思いと子どもが好きという気持ちから、ボランティアセンターに勧められ、2014年 9・10・11月に国立妙高青少年自然の家で開催されるはつらつ体験塾に参加した。全体を 通して、子どもとの接し方、支えるのではなくお互いに助け合うこと、自分も楽しむこ と、年上としての自覚をもつこと、どんな些細なことであっても褒めること、あいさつや 感謝の気持ちは自然と出る癖をつけることが必要だと学んだ。事前研修会で学生ボラン ティア1人に対し1人または2人の子どもが担当になる(子どもに担当であることは言っ - 46 - 女の子だった。2人ともはつらつ体験塾には何度も参加したことがあり、私が困っている 所を何度も助けてもらい、2人に常に感謝を感じていた。夜にスタッフミーティングがあ り、1日目の子どもの様子についての情報交換、2日目のねらいや注意事項の確認などが 行われた。この時、ベテランの学生ボランティアの話し方、考え方をみて、話すときは明 確な目標と具体例とともに自分の意見をはっきり述べており、一点に集中するのではなく 視野を広げ、子どもたちの表情や様子といった情報を得ることが大切であると感じた。 一番印象に残っていることは、チャレンジキャンプの2日目の妙高アドベンチャーであ る。妙高アドベンチャーとは2班が合同になり、山の中に入り壁を登ったり狭いスペース に全員で立ったりしながら難題を突破していくものである。無事に成功させることがで き、最後に子どもは子ども同士、学生ボランティアは学生ボランティア同士で円になりお もとの接し方や考え方が違うなと若干負い目を感じていたが、 「あなたの周りはいつも笑っ ている」や「安心して任せられる」などやさしい言葉をかけてもらい、自分には自分の個 性・役割がありここではそれを活かすことができると自己肯定感を得ることができた。 私はこの活動で色々な体験をすることができた。お互いに協力し合いながら山に登った 個人活動 互いに良い所を伝え合うことになった。他の学生ボランティアは教職を学んでおり、子ど ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ てはいけない) 。初めて担当した子どもは中学2年生の大人しい女の子と3年生の元気な り川を探検したり、星を見たりご飯を作ったりと数えきれない思い出を作ることができた。 かったと思えることである。また、人前で話すことや自分の意見を話すことが苦手であっ たが、ここではそんな機会がたくさん設けられており、ベテランの学生ボランティアが フォローをしてくれたりお手本になってくれたりしたおかげで、改善することができた。 はつらつ体験塾は子どもたちだけでなく、私たち学生ボランティアの成長の場になるた ボランティア教育 の実践と課題 め、これからも続けていきたいと思う。 サークル活動 そして、子どもが成長していく姿を目の前で感じられることがこの活動をしていて最もよ 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 - 47 - ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 中学校での通訳・学習支援ボランティアを通して学んだこと 国際文化学科3年 王 流政 個人活動 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 大学近くの猿橋中学校に、中国から中学生が転校して来ました。初め、彼は日本語があ まり理解できませんでした。そこで私は2014年4月から1年間猿橋中学校の学習ボラン ティアをやりました。 私は、2012年頃、アルバイト先の先輩の子どもさんにしばらく日本語を教えたことが ありました。しかし、今回は、生徒と学校の間の通訳、かつ一週間毎に2科目の授業(英 語、数学、社会、体育、音楽、家庭の中から定められている教科)を一緒に学習しまし た。授業中にわからない言葉や単語、先生の質問などの通訳をやりながら、休憩の時に中 国語で話したり、新しい生活の不安、悩みなどを聞き、アドバイスをし、彼がストレスを 解消できるよう努めました。 今回のように、中学の教室に入って学習支援活動をしたのは、初めてです。中学生と一 緒に授業をして、日本の中学校の授業の形を初めて知りました。日本の授業は、中国の授 業に比べ自由で、生徒中心の授業であること、中国の教育では、先生が教えるのが主であ るのに対し、日本は生徒の自主学習を主としていると感じました。また、日本の中学校で の学習時間が中国と比べて3分の2しかないことに驚きました。初めての環境で勉強して いる彼は緊張で落ち着くことができませんでした。私は、彼と教科書を読みながら、自身 の日本語学習経験と、今までの小さい子どもに言葉を教えた経験を活かして、彼がより早 く新しい学校生活に慣れるようにしました。彼が「日本の1限の授業の内容が少ない」と 言っていたのは印象的でした。彼の日本語が上手になるため、 『みんなの日本語』の本を あげ、家に帰っても日本語の勉強ができるようにし、わからないところは、次のボラン ティアの時、私が教えました。日本の中学校の先生の方々が優しいという面に対して、中 国の先生が厳しいという感じもして、日本では生徒と先生との距離が友達のように感じま した。 日本の教育は学習だけではなく、体育、音楽、美術なども重視しています。彼と一緒に 家庭科という授業を受けた時に、裁縫も勉強させていて、驚きました。私の中学校時代に は、このような実践的な学習プログラムがありませんでした。当時の中国では、学習でき る子は学習ばかりやらせて、体育、音楽、美術などできる子は体育、音楽などを主として 練習させていました。彼も身長が高いので、バスケット部で楽しく活躍しています。 日本の学校では、絶対制服を着ることとされ、校内で携帯電話使用を禁止されていま す。また、学習時間内に買い物することも禁止されています。最初は携帯を禁止されてい ることを知らず、携帯で彼と一緒に遊んだこともあって、恥ずかしかったです。一方で、 中学校校庭には商店や自動販売機もないのです。中国では学生に学食以外の食べ物を禁止 することは考えられません。中国では、制服を着る日が決まっているので、その日以外の 日は、私服を着ています。日本のやり方は、子どもたちに公平、欲の抑え、和への重視を 教育したいのかな、と考えました。私服を着ることで、皆が服の値段や外観を比較してし まうからではないかと思いました。 今回のボランティアで中学校の先生たちや大学の先生もいろいろ協力してくださり、心か ら感謝しております。異文化体験する機会を与えられて、自分力、コミュニケーション力を 向上することができました。今後もこのようなチャンスがあれば、またやってみたいです。 - 48 - 英語文化コミュニケーション学科2年 庭野 果菜 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 - 49 - 個人活動 遠野まごころネットは、Keiwa HOPEの募金の送り先としてなんとなく名前を知って いました。なぜなら私は、Keiwa HOPEの学内の募金活動にパフォーマンスという形で 参加してきましたし、昨年は、チアリーダー部員として東日本大震災チャリティーダンス 公演「けいわおどるわ」に参加し、収益金を遠野まごころネットに寄付する、という形で 関わらせていただいたからです。 今回私は、岩手県遠野市にある遠野まごころネットにお世話になり、陸前高田市、大槌 町でボランティアをさせていただきました。活動を通して、多くのことを知り、感じ、学 ぶことができました。 陸前高田市では地元の方と一緒に3.11の追悼式典のお手伝いをさせていただきまし た。そこでは、地元の方と作業をしました。地元の方は笑顔を交えながら明るく話しかけ てくださったので、緊張していた私も和やかな雰囲気で作業することができました。そん な中ふと外の風景に目を向けると震災遺構やかさ上げされている土、そのかさ上げのため に山から土を運ぶ大きなベルトコンベアが見えました。本当にここに人が住んでいたのか と思ってしまうほど、私の生きてきた中で信じがたい風景でしたので、寂しい気持ちにな りました。明るく接してくれた方にも東日本大震災を経験したという事実があることを改 めて思いました。 大槌町ではハーブの郷というところで、遠野まごころネットさんで一緒に寝泊りしてい るボランティアの方々とラベンダーの藁巻きと花壇の修理作業をしました。前のボラン ティアの方が作った花壇に植えられたラベンダーに藁を巻く作業で、ハーブの郷ではまた 次のボランティアの方がラベンダーを収穫して商品にし、販売するそうです。ハーブの郷 では遠野まごころネットさんを通じて復興へのボランティアのリレーがつながっていると 感じました。このリレーは復興まで続いてほしいと思いました。しかし、ボランティアは 震災直後から比べれば年々減少し続けているという現状があります。被災された方の多く は忘れてほしくないという思いがあると聞きました。ボランティアの人がいるだけで安心 するという声もあるそうです。 被災地のことを他人事のように思ってしまう人もいると思います。実は私もその中の一 人でした。私自身も2004年に中越地震で被災し、支援を受けた経験があります。大学生 になってからその恩返しをしたいと思うようになり、昨年2月に初めて復興支援ボラン ティアを気仙沼で経験しましたが、そうするまでに、東日本大震災が起きてから3年が 経っていました。 今回のボランティア活動を通して、私がすべきことは微力でも震災の記憶を風化させな いようにすることだと考えました。これから被災地での復興の現状をより多くの人に知っ てもいたいです。東北に行こうと思うことは今からでも遅くありません。ボランティアは まだまだ必要とされています。ただ活動するだけではなく是非現地の方と交流していただ きたいと思います。東北の人は温かくて、また会いに来たいと思わせてくれます。私自身 また遠野に行きたいと思っています。 最後に、今回のボランティアでお世話になった遠野まごころネットの皆さん、一緒に活 動した友人、私たちを心配してくださった大学教職員の皆さんのおかげでボランティアを 無事行うことができたことを感謝したいと思います。ありがとうございました。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 遠野まごころネットでのボランティア ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ふたつのプログラムからの学び 英語文化コミュニケーション学科2年 石附 風美 ここでは私が2014年に参加したボランティアの中でも、災害に関わることについて書 いていきます。 災害ボランティア養成講座 私は昨年の6月14日、大学で行われた『災害ボランティア養成講座~初級編~』に参加 しました。午前中は新潟災害ボランティアネットワーク李仁鉄さんによる講義が開かれ、 個人活動 災害救援・復旧の全体像と、被災者とニーズについて学びました。お昼は、実際に災害の 時に使われるハイゼックスで炊いたご飯と、非常食のカレーを食べました。ハイゼックス は特殊な袋に水と米をいれて鍋に入れて炊くもので、袋を開封しなければ日持ちもするの で、災害時にとても役に立つそうです。午後の部では、実際に災害が起こった時の様々な “決断すべき場面” での分かれ道を描いたゲーム、 『クロスロード』が行われました。たと えば、 「避難所で傾聴ボランティアをしているときに、相手が自治会の会長について文句 サークル活動 を言い始めたらどうするか A→言うのをやめさせる、B→傾聴活動なのでそのまま黙っ て耳を傾ける」 。AかBを選んでグループで話し合いをします。Aを選んだ人からは「その まま話させておくのは、その人のその後の避難所生活にも関わってくるからやめさせ る」、Bを選んだ人からは「傾聴活動はその人の話をじっくりと聞くことで、相手のスト レスを少しでも軽減させるための活動なのだから自分の意見を言う権利はない」という答 ボランティア教育 の実践と課題 えが出ました。私はAを選びましたが、Bの人の意見を聞くと考えも少し変わりました。 このゲームで出題された設問には答えがありません。自分では最善の策だと思っていても、 そこにいるすべての人に最善の策ではないということや、様々な考え方があることを意識 して問題を解決していかなくてはならないことなどを改めて考えることができました。 セイフティアドベンチャー防災キャンプ in 三条 学生時代の活動と 社会とのつながり そして災害ボランティア養成講座の講師の李さんからのお誘いで、8月7日から8日に かけて一泊二日で行われた『セイフティアドベンチャー防災キャンプ in 三条』に学生ス タッフとして参加させていただくことができました。この防災キャンプは、水害の多い三 条市で行われた水害のための防災訓練で、小学5年生から中学1年生までを対象に、避難 所を想定した中学校の体育館で行われたものです。 当日の朝、中学校に集合し、体育館に災害ボランティアステーションを模した本部作り 活動の様子 などをして、危険個所探索活動をしながら学校に向かう参加者の小中学生の到着を待ちま した。やがて子どもたちが到着し始め、全員がそろうと開会式、オリエンテーションに続 き、最初のプログラムである “マップ大作戦活動” が始まりました。これは学校に来るま でに行っていた危険個所探索活動の続きで、地区ごとの班に分かれて大きな地図に危険箇 所や、水害の時の避難経路などをペンで書き込んでいく活動です。私たち学生スタッフは 各班を回り、作業のアドバイスをしたり、あまり参加していない子どもに声を掛けたりし - 50 - の子どもが原稿なしでもみんなきちんと発表をしていて驚きました。その後、李さんから 講評を頂き、昼食の時間になりました。この防災キャンプでの食事では、アルファー米や マジックパスタなどの非常食体験が行われました。夕食は災害時の炊き出し体験というこ とで食事係の子どもたちの手作りカレーだったのですが、実際に避難所で生活をしたとき に、食料がそろっているわけではない、ということを想定して、人数分の材料が準備され ていませんでした。子どもたちにはその中でどのように人数分の食事を用意するか、とい うミッションが与えられ試行錯誤をした結果、スープカレーを作ることになりました。私 たちは普通にカレーを作り、少ない量をみんなで分けて食べると予想していたので、子ど もたちのひらめきにまたも驚かされました。 一日目のプログラムは、救命救急講習会やプールでの洪水時の水流体験活動、食事班・ りました。各プログラムの合間に引率者とスタッフでミーティングが行われ、それぞれ気 づいたことや改善した方がよいことなど考えを出し合いました。社会人のミーティングで は鋭い視点から様々な意見が出てきましたが、そのどれもが臨機応変に対応されていまし た。社会人の人には普通の話し合いなのかもしれませんが、学生から見ると学ぶことがた 個人活動 福祉班・施設班に分かれての活動、語り部さんによる体験談を聞く会が開かれ、就寝とな ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ました。作ったマップは体育館の壁に貼り、各班の代表が発表をしました。ほとんどの班 くさんある濃密な時間で、とても勉強になりました。 ていました。李さんから「あまり口出しをしないように、子どもたちに考えさせよう」と いう指示があったこともあり、子どもが中心になって防災キャンプが開かれるような環境 作りがされていました。もし子どもが何か悩んでいる様子だったら、子どもが自分で答え を見つけられるようにそのヒントをあげて、直接は言わないようにしたり、答えが出てく 考え方を尊重するように進行を進めていたから、みんなでスープカレーを食べるという案 が出たり、施設班の子どもたちは寝る前に体育館の床を掃除したり、玄関の靴を揃えたり したのだと思います。子どもたちは誰にも言われずにやったということを先生に褒めら れ、私たちは微笑ましくなり、とても良い雰囲気が広がっていました。 防災キャンプには様々な子が参加していましたが、その中に一人、周りとあまりよくな がその子が一人にならないように行動するうちに、積極的に話しかけてくれるようになり ました。夜は一緒に寝る約束をしましたが、スタッフのミーティングが長引き、戻った時 には寝てしまっていました。しかしその隣には、おそらくその子が私のために敷いてくれ た毛布が一枚並べられていて、とても嬉しくなったと同時に、待っていてくれたことを申 し訳なく思いました。でも、とてもとても嬉しかったです。 的確な指示の出し方などを学ぶことができました。そしてそれらは、これまでたくさんの ことを経験してきた大人だからできることだと思いました。私もこれからまた様々な活動 に参加し、そのようなスキルを身につけていきたいです。 - 51 - 活動の様子 私は防災キャンプから、子どもたちとの関わり方、臨機応変に対応することの大変さ、 学生時代の活動と 社会とのつながり じめていない女の子がいました。最初はその子は私と話すのも嫌そうな感じでしたが、私 ボランティア教育 の実践と課題 るような質問の仕方をしたりしました。サポートするスタッフたち全員で子どもの発想や サークル活動 今回学生スタッフとして私は、子どもたちにあまり口出しをしないように動こうと決め ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ボランティア活動を通して 英語文化コミュニケーション学科2年 山本 果奈 私は敬和学園大学に入学して、1年生の終わりから今まで約1年間、ボランティア活動 に関わってきました。高校生の頃からボランティアに興味がありましたが、何も出来ずに いました。ですが、1年生の終わりに友人から被災地でのボランティア活動に参加しない かと誘われました。私は迷わず参加することを決めました。東日本大震災発災当時、高校 生だった私は被災地に行ってボランティア活動をしたいという思いは強くあったものの、 実際に被災地に行くことは出来ず悔しい思いをしていました。 個人活動 そんな中での被災地ボランティアの誘いは、私にとって本当に良い機会だと感じまし た。そして、昨年の3月に宮城県気仙沼大島で民宿再生のボランティアをさせていただき ました。ボランティアに行く前は被災地に行くことも、ボランティアをするというのもは じめてだったので不安もありました。ですが、新潟恩返し隊という社会人の方々が多くい らっしゃるボランティア団体とご一緒させていただいたおかげで、ボランティア経験の豊 富な社会人の方との交流もでき、自分にとってとても良い経験になりました。 サークル活動 はじめて被災地を訪れ、自分の目で防災庁舎や大川小学校を見て、震災当時のお話を聞 かせていただくと、テレビや新聞で見るよりはるかに大きい衝撃を受けました。実際に 行ってみなければわからなかったことも多くあるので、ボランティア活動をしに行って本 当に良かったと感じました。 それ以来私はボランティア活動への関心が高まり、昨年の夏休みには一週間被災した企 ボランティア教育 の実践と課題 業で職業体験をする復興支援インターンにも参加しました。ボランティアは大学生の今だ からこそできることだと思います。大学生の強みであるフットワークの軽さで、今しかで きないことをこれからも探して、行動に移していきたいです。 また、私は共生ボランティアネットに所属しています。2014年12月に募金活動を行い ました。この募金は、東日本大震災で被災した子どもたちの進学資金に使われるというこ とでした。私を含め2年生の4人が幹部となり、一週間に2回、昼休みに募金活動を行い 学生時代の活動と 社会とのつながり ました。募金をしてくださった方に200円につきひとつ、お菓子を提供するという形で行 い、先生方やお菓子作りの得意な学生に焼き菓子を作ってもらいました。また、共生ボラ ンティアネットに所属している方々にも募金活動のお手伝いをしてもらい、無事一ヶ月 間、計6回の募金活動を終えることができました。はじめて募金活動の企画、運営に携 わってみて、本当に大変でしたが、当初の目標金額よりも多くの募金が集まったことは良 かったと思いますし、やりがいを感じました。はじめは4人でどのくらいの期間、どう 活動の様子 やって募金活動を行うかとても悩みました。ですが、募金活動があることを知ってもらう ためのポスター作成やSNSを利用した告知をしたり、4人とも授業など忙しい中、活動 してきました。私は募金活動初日に窓口に立って「募金お願いします。」と言いながら募 金の呼びかけをしましたが、立ち止まってくれる人はあまりおらず不安でした。それでも 積極的に通りかかる人に声をかけ順調に募金が集まり、美味しくてかわいいお菓子とたく さんの方の協力を得て、初日の募金活動を終えました。その後の募金活動にも顔を出し、 - 52 - た方の中には、 「頑張っているね」と声をかけてくださる方もいて、とても嬉しかったで す。また、悪天候で募金活動ができないのではないかと思われた日も、協力して目標金額 の募金が集まったことには達成感を感じました。そして、1年生もこの募金活動に参加し てくれて良かったです。 私たちの後にもこの募金活動を行ってほしいので、今後は活動していく学年の横のつな がりだけでなく、縦のつながりもつくっていければと思います。募金活動だけではなく、 ボランティアに興味をもってくれる後輩が増えるといいなと思います。そのためには、1 年生が多く集まる場で私たちが行っている活動について知ってもらうことが大事なのでは ないかと考えます。 また、募金活動を終えてみてわかったことですが、せっかく学生や先生方から協力して で募金してくれた人はよくわからない様子でした。なので、今後募金活動を行うことがあ れば、募金の報告の仕方を改めたいと思います。例えば、募金活動の結果どのくらいの金 額が集まったのかと感謝の気持ちを書いてポスターのようにして掲示するなど、また募金 してくださった方に被災地に向けたメッセージを書いてもらうなどの方法があると考えてい 個人活動 いただき集まった募金なのに、いくら集まったのかが目に見える形で報告されていないの ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 回数を重ねるごとに要領も得てきてスムーズに行うことができました。募金してくださっ ます。もし、また募金活動をする機会があれば今度はそうしようと思います。そして今回 また、被災地と敬和学園大学との繋がりを強くして、今後も支援を行っていければと思い ます。 様々なボランティア活動に携わっていく中で、例えば被災地ボランティアであったり、 復興支援インターンであったり、募金活動であったり、ただ活動をするだけで終わらない いただいたり、復興支援インターンでは特に学外でも報告させていただく機会を与えてい ただいており、本当にありがたいことだと思っています。自分がしてきた活動を広く知っ てもらえるとともに、自分自身でも活動内容を振り返り、今後につなげていくための課題 などを見つけることができるので、活動報告は大切なことだと思います。また、復興支援 インターンの活動報告を東北学院大学でさせていただいた時には、全国各地の大学の被災 になりましたし、関心をもちました。そこでまた、他大学の学生と知り合い、意見交換す ることを通して、人との繋がりができるので良い機会だと思います。大学生活の残り2年 間、これからもボランティア活動に積極的に参加したいと思います。 学生時代の活動と 社会とのつながり 地支援への取り組みや、工夫を凝らした活動の進捗について聞くことができてとても勉強 ボランティア教育 の実践と課題 ことがボランティアのいいところだと思います。活動をしたら、学校で活動報告をさせて サークル活動 の募金月間で集まった募金を被災地に届けるということもしたいと考えています。そこで 活動の様子 - 53 - ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 子どもと関わるボランティア 国際文化学科2年 大野 朱理 この夏、私は多くの貴重な体験をしました。その中に二つ印象深いものがあります。一 つは8月の8、9日に三条の中学校で行われた防災キャンプです。これは小学校5、6年 生と中学1年生を対象に災害が起きたという設定の下、学校で避難生活を行い、実際に災 害が起きたときに備えるというものでした。私がこのボランティアに参加しようと思った きっかけは、ボランティアに関するある講座を受講した際に、講師をされていた方に「こ んなの企画してるんだけど、どう?」と誘われたためです。私は被災地に行って支援する 個人活動 というボランティアには参加した経験がありましたが、防災を学習するといったボラン ティアには参加したことがありませんでした。なので、とても興味を持ちました。さらに 私は教職課程を履修していて、将来教員になることが目標なので、子ども達と一緒に学習 もできるという点に魅力を感じ、参加しようと決意しました。 初日はまず、子ども達が自分の自宅から避難所の学校まで歩いて、どこが自然災害が起 きたら危険かを考え、学校に着いてから地図に書き込む作業をしました。そのときはグ サークル活動 ループワークをしている子どもの間に入って、作業が進んでいなかったらアドバイスをし て回りました。その後、子ども達が消防の方からお話を聴いている間に次の流れを確認し たり、周りと溶け込めていない子はいないかなどの確認も行います。この防災キャンプで は『施設班』 『調理班』 『福祉班』の3グループに分かれ作業をしました。学生ボランティア は私を含め3人いたので、担当のグループを決めました。私は施設班に決まり、防災グッ ボランティア教育 の実践と課題 ズの販売などを行う会社の方からの指示を受けながら、子ども達の様子を見ました。 施設班の主な活動は、毛布の搬入、お手洗いの場所が分かるよう矢印が書かれた張り紙 の設置、夕飯で使う一斗缶をリサイクルしたかまどでの火おこしなどがありました。ただ たんに機械的に作業をするのではなく、最初に「避難所にはどんな人が来るでしょうか?」 や、 「お年寄りは体育館のどこだと生活しやすいかな?」など様々な人が出入りするという ことを想定して、体育館のどこに毛布を置いておけばいいのか、お手洗いへ案内する張り 学生時代の活動と 社会とのつながり 紙はどこへ、どの位置に貼ったらいいのかを考える時間が設けてありました。すると子ど も達は「避難所は外国の人もいると思う!ボランティアの人も!」 「張り紙は背の低い子ど もにも見えるように少し低い位置にしよう!」と自分で考えて行動するようになったのです。 他の2つの班でも子ども達が率先して動いている姿が見受けられました。調理班では、 限られた食材の中で何をどのくらい作るかまで考えたらしく、夕飯はカレーとサラダでし た。福祉班では高齢者、車椅子体験をしていかに生活が困難かを学びました。また、 「そ 活動の様子 こに段差があるよ!」などと障害物をいち早く教えたりすることもだんだんと上手になっ ていきました。 朝は、体育館の固い床に毛布1枚という普段とは違う環境のために寝られなかったらし い子ども達を起こし、毛布を畳むように指示を出すところからスタートしました。二日目 の日程は三条市にある三条防災ステーションにて、水害の脅威、水害からどのように復興 したのかを学習しました。そこでは施設班を指揮していた防災グッズ等を販売する会社の - 54 - 泥水を真水に変えるという実演をして下さいました。黒い水が透明に変わるのを子ども達 は興味津々で見ていました。学校に戻って二日間のまとめを行い、閉会式をして防災キャ ンプが終わりました。 二つ目は新発田市にある小学校での6日間のボランティアです。このボランティアは、 教職課程を履修している人を対象に呼び掛けられ、私を含めて6人が参加しました。ちょ うど6人だったこともあり、各学年を1人ずつが担当することになり、私は1年生でし た。また最終日は5年生の登山合宿に同行して、一緒に山を登りました。 1年生は2クラスあり、1日ずつ交互に1組、2組にお邪魔して先生のお手伝いをしま した。初めの挨拶の時から私を温かく迎えてくれて嬉しかったです。朝の会から帰りの会 までずっと子ども達と過ごしました。5日間、1年生を見ていて感じたことは、積極的で た。私が小学生だった頃は先生に「わかるひとー?」と言われても手を挙げる子はあまり いませんでした。しかし、みんなは「はい!!」と大きな声で自分にあててほしいというよ うに勢いよく手を挙げていました。他の学年を担当した学生に訊いても同じようなことが あったと驚いていたので、最近は積極的な子が多いなと感じました。また、算数の時間に 個人活動 あるということ、感受性が豊かなこと、自分を表現することが上手であるということでし ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 方が、自社から汚れた水をろ過して飲料水に変える機械を持ってきてくださり、その場で 分からない子に「これはね?」と教えてあげる場面もたくさん見ることができました。そ いた生徒がいたことでした。そのとき私はなんて感受性の強い子たちなんだろうと思い、 より一層言葉づかい、動作に気を付けていこうと決めました。 ささいなことで生徒同士が喧嘩になることも多々ありました。原因を聞けば遊具や物を 巡っての喧嘩がほとんどでした。しかし、仲直りさせようと思うと一苦労で先生を頼って 間子どもへの接し方について勉強しました。6日間が慌ただしく過ぎる中で嬉しいことも ありました。それはボランティアの日がちょうど私の誕生日で、みんなでハッピーバース デーのうたを歌ってくれたことでした。お手紙ももらいました。 最終日は5年生と一緒に登山をしましたが、やはり1年生とは随分違って大人だなと感 じる程でした。班長を任された子は集団行動を乱さないように一生懸命に班の子を先導し 人でやるのではなく友達に問いかけているようでした。後日、担当していた班の子たちか ら絵付きで「一緒に登山してくれてありがとう」などのメッセージをいただきました。 防災キャンプと小学校でのボランティアで多くの子ども達と関わることができました。 関わっていく中で、指示をすることの難しさ、いけない事はいけないと伝える難しさを痛 感しました。子ども達の学習の場ではありましたが、私自身、周りのスタッフさんであっ これから後2年間教職課程を履修します。その中には中学校でのインターンシップや、 4年生になれば母校での教育実習が待っています。それに備えてこういったボランティア 経験はとても勉強になりました。これからも子ども達と関われるようなボランティアに進 んで参加していきたいと考えています。 - 55 - 活動の様子 たり、教員の方から助けていただきながら多くのことを学びました。 学生時代の活動と 社会とのつながり ていました。どう歩けば疲れないかや、この草、花、虫はなんだろうと考えることも、1 ボランティア教育 の実践と課題 しまうこともありました。先生が冷静に優しく諭すように話しかけているのを見て、6日 サークル活動 して私が驚いたことは、道徳の時間『命のアサガオ』を先生が読んでいた時、涙を流して ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ボランティアフォーラムに参加して 共生社会学科2年 近藤 光明 私はこの度、2月25日~27日の3日間、東京都で開催された第三回学生ボランティア フォーラムに参加してきました。 この学生ボランティアフォーラムとは、ボランティア活動に励んでいる、もしくはボラ ンティアに興味のある学生のための国内最大のネットワークフォーラムのことで、各々の ボランティアに対する取り組みや情報などを共有・交換し、ボランティアに対する意識を 高めていく目的で設けられたものです。今年で三回目の開催となる今回のフォーラムで 個人活動 は、北は北海道から南は沖縄までの全国各地から500名もの学生が東京都のオリンピック センターに集い、意見の共有や交換を行いました。 初日は学生シンポジウムが開かれ、代表3名の学生シンポジストによるパネルディス カッションでプログラムが進んでいきました。 シンポジスト3名はそれぞれ「震災復興ボランティア」や「地域密着型ボランティア」 、 「地域の魅力を再発見する取り組み」とジャンルや規模が異なる活動を行っていました。 サークル活動 しかし、初めはポスター・声掛けなど些細なことがきっかけで活動を始めたというこ と、人との出会いでこれまでにないような刺激を受けてボランティアを続けたいという気 持ちが湧いたこと、そのおかげでボランティアを楽しむことができているという三点が共 通していました。 「本気で取り組んだボランティアは自分の人生観を変えるきっかけとなる」 と三名のシンポジストは口を揃えて発言しており、その言葉は決して遠いものではなく、 ボランティア教育 の実践と課題 誰にでも当てはまる身近な言葉のように感じました。 二日目はフォーラムの目玉である分科会とアクションマーケットが開かれ、学生同士の 自主的な交流や意見交換を中心としたプログラムが進みました。 私は七つある分科会のうち、地域でのボランティア活動を中心に据えた第三分科会に参加し ました。第三分科会では過疎地域での里山保護に取り組むNPO法人『JUON NETWORK』 の鹿住貴之氏と、都市と農村を繋いで山村の再生を図るNPO法人『山村塾』の小森耕太 学生時代の活動と 社会とのつながり 氏をゲストスピーカーに招き、地域を舞台としたボランティアについてのディスカッショ ンを班ごとに行いました。学生同士で学生ボランティアの強みや弱み、地域でのボラン ティアの魅力についての意見を交換・共有し、最終的に班で考えた新しい地域ボランティ アのアイデアを発表し合いました。 夕方から夜にかけて開かれたアクションマー ケットでは、各々の大学が実際に取り組んでいる 活動の様子 ボランティアが紹介されていました。紹介されて いたボランティアは、災害復興ボランティアや フェアトレード推進ボランティアといったような 比較的馴染み深いものから、ウミガメの産卵場所 保全及び改善のボランティアや間伐などといった 大学や地域の特色が表れているものなど、実に - 56 - ンティアはそのニーズや取り組む側が持っている能力によって様々な形をとるということ を実際に確かめることができました。 最終日は総括として「クロージングシンポジウム」が開かれました。クロージングシン ポジウム開催にあたり、大学教授やNPO法人、さらには企業の社会貢献本部など多様な 分野の方々がシンポジストを務められ、総括や総評が行われました。 「高齢社会とどう向き合うか」や「資源を浪費しない生活について」などについてのシン ポジウムが行われた後、 「ここで得た学びや経験を生かし、新しい一歩を踏み出して活躍 してほしい」という参加者全員への願いが伝えられて三日間のプログラムは幕を下ろしま した。 今回のフォーラムにおいて、ボランティアが持つ役割のキーワードに「ボランティアが 過疎や地域住民の高齢化による人手不足が深刻な現在において非常に重要です。具体的に は農作業の手伝いや荒れた田畑の復旧、子どもの面倒を見るなどといったものがそれらに あたるのではないでしょうか。 いずれも非常に身近なボランティアなので、募集をかけているのを見かけることが多い 個人活動 もつ行政や事業の補完機能」がありました。これらの役割は、都市部よりも地方における ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 様々な形のボランティアが見受けられました。このアクションマーケットによって、ボラ のではないかと思います。たしかに遠方に赴いてボランティアをすることも大切ですが、 ます。 私は今年度、体操や子育て支援など、主に地元の子どもたちを対象にしたボランティア を行ってきました。来年度はこれらのボランティアの実施を継続するとともに、傾聴など の高齢者関連の活動も行っていきたいです。 サークル活動 確実に手が届く身近なボランティアに目を向けることも同じように大切だと私は考えてい ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 - 57 - ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ フェアトレードとの出会い 共生社会学科2年 佐藤 葵 私は今年、フェアトレード(FT)推進サークルというものをつくりました。フェアト レードとは、直訳すれば「公平な貿易」です。先進国が行う国際的な貿易は、経済的・社 会的に立場の弱い途上国の小規模生産者にとっては決して「公平な貿易」ではなく、時に 貧困を拡大させてしまいます。このような経済格差をなくす公平な貿易を目指し、ヨー ロッパを中心に1960年代からフェアトレード運動が広がっていきました。つまり、フェ アトレードとは、発展途上国で作られた農作物や手工芸品を、通常の国際市場価格よりも 個人活動 高めの価格で買い取り、継続的に取引を行うことで、生産者の自立や持続可能な生活向上 を促す「人と地球にやさしい貿易のしくみ」です。 私がこのFTという言葉に出会ったのは1年生の2月、東京で行われた東京ボランティ アフォーラムという学生と支援者の集いでした。そこでは、他大学の人との交流会や分科 会という分野別でボランティアについて勉強したりしました。そこで神戸国際大学にある 「Fair clover」というフェアトレード推進クラブのシンポジウムを聞きました。これが サークル活動 フェアトレードという言葉との出会いです。行動するきっかけは、4つあります。1つめ は、とても身近な問題であり、普段私たちがしている「お買い物」が原因であると知り、 刺激を受けました。人間は生きていく上でどうしても安いお買い物をしてしまいます。私 もそうです。これが間違っているわけではありませんが、生産者側の生活を考えれば公平 な取引が一番いいと思います。まず自分たちも見直す必要があるなと思いました。2つめ ボランティア教育 の実践と課題 は、この活動報告を聞いたあと、フェアトレード商品を見たい!と思い、東京のとある無 印良品へ行きました。しかし、見つけることができませんでした。店員さんに相談したら 「取り扱っていません」と言われましたが、私たちは諦めることができず、探し続けまし た。唯一の商品、手作りお菓子のキットを見つけることができました。店員さんにも知ら れていない「フェアトレード」とは……と大きなショックを覚えました。3つめは、貧困 に苦しむ途上国の生産者たちがいて、その中でも「児童労働」として幼い子どもたちが家 学生時代の活動と 社会とのつながり 族のために働いているという現実を知ったことです。学校に行くのがあたりまえの私たち とは違って、この子たちからは教育を受ける機会が奪われている、こんなことはあっては いけないと考えました。そして、最後の4つめは、日本での認知度の低さです。日本での フェアトレードの認知度は約25%。イギリス、アイルランド、スイス、オランダ、オース トリア、 フィンランドでの認知度は80%を超えています。世界と比べ低いことがわかりま す。 そして日本に広めるにはまず、地元の新潟から広めて全国に広まればいいなと思いまし 活動の様子 た。この4つをきっかけにして、また誰にでもできる国際協力だと学び、新潟へ持ち帰り 活動しようと決心しました。新潟に帰ってきてからはすぐに、仲間を集め、サークルをつ くることができました。まずは、自分が知識不足のため、勉強会に行ったり、パソコンで 調べたり、本を読んだりして情報収集するところから始めました。 サークルでは、新潟にあるフェアトレードショップや新潟フェアトレード推進委員会と 連携してさまざまなことを考え行ってきました。オープンキャンパスにおける普及活動、 - 58 - フェアトレードイベントの主催など一年で様々なことをすることができました。オープン キャンパスでは、難しい現実と私たちの考えがどうやったらうまく高校生に伝わるか考え ました。見やすいパワーポイントをつくったり、わかりやすい言葉に置き換えたり工夫し ました。フェアトレードファッションショーでは、私は司会という大役を任せていただき ました。原稿もなくひたすらカタカナを読む練習。特徴やここがポイントだなと思ったと ころを探したり、模索しながら行いました。新潟の人通りの多いところで行ったので若い 人から、ご年配の方まで様々な方が見に来てくれました。フェアトレードファッションモ デルでは、学生のような若い子でも着られるよとアピールできたらいいなと思いモデルを やらせていただきました。この服は、フェアトレードショップにあるものをその日に見 て、着て、写真を撮るという活動でした。全身フェアトレード商品に囲まれたのは、この 託販売では、サークルメンバーの都合上、ひとりで行うことになりました。委託販売を行 うきっかけは、大学の先生に頼まれそれを承諾したところから始まりました。初めての委 託販売。ひとり。不安しかありませんでした。どのような商品をどのくらい発注したらい いか、お釣りはいくらいるか、なにがどのくらい売れるか予想するのは大変でした。しか 個人活動 日が初めてでした。着心地がとてもよくて、たくさんの人に着てほしいと思いました。委 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ フェアトレードファッションショー、フェアトレードファッションモデル、委託販売、 し、一回行ったことで反省や改善点を見つけることができ、さらに私自身が成長できたと そしていま、全国で行われるフェアトレードの大イベント『バレンタイン一揆』を新潟 の学生代表として、企画しています。これを行いたいと思ったきっかけは、 「バレンタイン 一揆」 という映画との出会いでした。映画の内容は、日本の高校生や大学生がガーナのカ カオ生産地を訪ね、児童労働の現状を理解し、ガーナの子どもや若者との交流を通じ、世 ことを目的としています。ガーナで児童労働の問題を知った3人は、バレンタインにチョ コレートを通して世界の問題について考え、フェアトレードで作られたチョコレートを買 うことを目指し、 『バレンタイン一揆』というイベントを企画しました。これがきっかけと なり、この企画は東京に本部をおき、去年から2月にイベントを行っているそうです。 「バ レンタインデーに、みんなが心をひとつにして、世界にHAPPYを届けよう!愛のある は初めてなので、一からのスタートになります。新潟らしさを取り入れつつ、一般の方に 興味をもってもらえるように頑張っています。 このサークルをつくってから、様々な人と出会い、たくさんの経験をさせてもらい、普 段の大学生活ではできないような活動をすることができました。 「児童労働」という言葉は、 フェアトレードを学ばなければ知らなかった言葉です。世界と比べれば日本は平和で、家 の世の中です。なのに、まだ贅沢を求めています。私たちは、幸せの中にいるということ を忘れているのかもしれません。いま、やらなければいけないことをしっかりすべきだと 気付きました。そして、自分自身だけの幸せを願うのではなく、世界中の幸せを願えるよ うな人が増えていけば嬉しいです。 - 59 - 活動の様子 族も食べるものも住むところも恵まれた人が多いと思います。学校に行くのがあたりまえ 学生時代の活動と 社会とのつながり チョコレートをバレンタインに選んでもらおう」という思いが込められています。新潟で ボランティア教育 の実践と課題 界で必要な取り組みを考え、実践したことから、彼らの経験を同世代の多くの人に伝える サークル活動 思います。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ふれあいバラエティから得たこと 共生社会学科3年 青木 雄佑 今年度のふれあいバラエティも無事に成功を収めることができました!‥‥と言っても 多くの方が「ふれあいバラエティ?何それ?」と頭に疑問符を浮かべてしまうのが現状で しょう。簡単に説明をすると、ふれあいバラエティは外出の機会が少ない福祉施設のご利 用者を大学にお招きして、ふれあいバラエティでしか味わうことのできない特別なひとと きを過ごしていただくお祭りのようなイベントです。学内のボランティアサークル・共生 ボランティアネットが主体となり、毎年学園祭前日に催されています。主として新発田地 個人活動 域の福祉施設のご利用者を対象にお招きし、大学のパーム館(体育館)で学生と触れ合い ながら、その年のテーマ毎のちょっとしたゲームやパフォーマンスを楽しんでいただきま す。主役はあくまで来てくださるご利用者の皆様。運営する私たちは皆様に笑顔になって いただけるよう、また、 「来年もよろしくね」と言っていただけるよう全力でおもてなし をさせていただくのみです。 ふれあいバラエティの運営主体は共生ボランティアネットではありますが、多くの方々 サークル活動 に支えられて成り立っています。かつては小さなイベントだったそうですが、いつの間に か規模が大きくなり、私たち共生ボランティアネットだけではとても運営しきれないほど のイベントに成長しました。そこで今年は当サークル外からも有志を募り、多くの人員で 頑張っています。また、ご利用者の皆様にご覧いただくパフォーマンスも学内のダンス サークルやブラスバンド部にお願いをしています。ふれあいバラエティは学園祭前日に行 ボランティア教育 の実践と課題 われるため、パフォーマンスをしてくださる各サークルも時間の無い中、ふれあいバラエ ティのために特別なメニューを考えてくださって います。もちろん、多大なる資金援助もあってこ そ成り立つイベントです。本当に多くの方に支え られているふれあいバラエティですが、一方で、 課題もあります。 学生時代の活動と 社会とのつながり これは私自身の人望の無さやリーダーシップの 欠如が招いたことでもあるのですが、人の上に立 つというのは本当に難しいことであります。ス タッフが約40名、パフォーマンスサークル3団 体20名、これだけの人数が集まると連絡調整も 難しいものになります。ふれあいバラエティの準 活動の様子 備は本番2ヶ月前の夏休みから始まります。夏休 み中に屋台や装飾作りの作業を終わらせなければ なりません。しかしながら、サークル外の有志の 参加が少なく、当サークルの3・4年生10名程度 がメインとなって、少ない人数の中で進めなけれ ばなりませんでした。 「有志として名乗りを上げ - 60 - した皆が思っていたことだと思います。参加して くれた約10名のメンバーは参加していないメン バーの分を補って余りあるほど積極的に活動して くれ、なんとか夏休み中に準備しておくべきこと を終えることができました。それぞれに夏休みの 間にやりたいことがあるだろう中、それでも頑 張ってくれたメンバーには本当に感謝しています。 来年度は次代の担い手に任せることになります が、真に皆で作り上げるふれあいバラエティにな ることを願っています。 ていた課題があります。それは、お越しくださっ た皆様への一層密なおもてなしをするということ です。これまでも総監督であるボランティアセン ターの池田さんから「もっとおひとりおひとりへ 個人活動 もう一つ、ふれあいバラエティが慢性的に抱え ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ たからにはやるべきことをやって欲しい」と参加 の細やかな対応が必要なのでは?」と改善を促さ ずにいました。そんな折、今年度のふれあいバラエティではスタッフの人手不足が問題と なり形態を大きく変える必要性が出てきました。例年はお昼過ぎから一度に50名を超え るご利用者、職員の方々をお招きし、大量の人員を投入してイベントを行っていました が、今年度はお招きするご利用者の数を減らし午前・午後の2部制を採ることにより、 可能となりました。ご来場くださったご利用者、職員の方にも「これいいね」と仰っていた だき、一同考えあぐねた甲斐もあったというものです。2部制を採りお招きする人数を減ら すということに、私自身はお招きすることのできない方々に罪悪感のようなものを覚えま したが、身の丈に余ることをしてご満足いただけないよりも、身の程を知り、今できる最 善を尽くすことが大切であるということも学びました。 がありましたが、当日は有志もパフォーマンスをしてくれたサークルのメンバーも皆がお 越しくださったご利用者の皆様にとても丁寧なおもてなしをしている様子が窺え、ご利用 者や職員の方にも評価していただきとてもよいイベントになったと感じます。ふれあいバ ラエティはこれから先も今年度のように様々な課題を突きつけられることがあるでしょ う。しかし、今まで作り上げてきたふれあいバラエティの “型” を壊すことを恐れてはい 思っていただけるようなイベントを作り上げることがふれあいバラエティの目的です。第 一に優先すべきはご利用者皆様の笑顔であることを忘れずに、フレキシブルで可能性あふ れるふれあいバラエティを作り上げていって欲しいと思います。 最後に、若輩者の私と共に今年度のふれあいバラエティを作り上げてくださった皆様に 心より感謝を申し上げます。 - 61 - 活動の様子 けないと思います。足を運んでくださった皆様に笑顔があふれ、また次の年も来たいと 学生時代の活動と 社会とのつながり 今年度のふれあいバラエティでは参加意欲の低下や人手不足など幾つもの問題点、課題 ボランティア教育 の実践と課題 40名程度のスタッフでも1対1に近い形でご利用者の皆様に密なおもてなしをすることが サークル活動 れていたのですが、なかなか解を得ることができ ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 俺たちの活動 共生社会学科1年 五十嵐 光 個人活動 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 私達の活動は今年から始まりました。きっかけは、牧師をしている兄が言った言葉です。 「聖書研究サークルを作れよ。 」これが始まりです。実は私の将来の夢もまた、牧師になる 事です。兄はこのサークル活動が一つの訓練になると言いました。言われた当初はまだ入 学前の時期だったので、現実味はありませんでした。しかし、それ以降祈るようになりま した。 「サークルを作るための必要を与えてください。 」それでも、入学するまでは心の中 に不安がありました。 入学式の頃から、サークルを作り始めました。最初はマツミハイツに住んでいた同じ高校 出身の友人に声をかけました。学校が始まった翌週から高校が一緒だった人達を勧誘しま した。幸いなことにみんなが入ってくれて、最初の不安が無くなりました。しかし、すぐ に新しい不安要素が出てきました。それは、同じ高校の人しかサークルにいないという事 です。私はまた祈りました。 「新しい繋がりを与えて下さい。 」そうすると、共生社会学科 のバスハイクがありました。それはグループごとに分かれて新発田市を巡るというもので した。その中で出会ったのが今の副部長をしてくれている稲田君です。どうやって話した かは忘れてしまいましたが、新しい繋がりが与えられました。その後のオリエンテーショ ンキャンプの中でも新たに繋がりが広がっていきました。メンバーは揃いました。次にす るべきことは、顧問の先生を見つけることでした。その時なぜか浮かんだのは、山崎ハコ ネ先生でした。そして、ボランティア論の時に直接お願いしました。断られてしまうかと 思っていましたが、まさかの「いいよ」という返事が返ってきました。その時はとても嬉 しかったです。そうして、この瞬間サークルが生まれました。 最初の活動として、サークルの名前を考えました。出来る限り怪しい雰囲気がでないよ うな物にしようとしました。はじめは女子が誰もいなかったため、サークル名は「俺たち のバイブル」になりました。私が考えたものです。そして、活動の趣旨を決めました。聖 書をただ読むだけではなく、行動の中で一人一人が何かを感じながら人のために何かをす る事や、いろいろな事に感謝出来るように成長するというものになりました。 活動も段々と始めていきました。しかし、問題も出てきました。私以外のほとんどが聖 書に触れた事があまりない人たちです。その違いから最初の頃は聖書を毎回10章ずつ読 んでいましたが、聖書を読むことを苦痛に感じる人も多く、私自身もしんどいと感じまし た。そこから何かしようとみんなで話し合いました。 そのような時に、ハコネ先生が私の家の畑を使って何か育てようと言ってくれました。 こうして、作物を育てて被災地に送る計画「俺たちの畑」が始まりました。まず、五泉市 にある畑に車で向かいました。たくさんの雑草が生えており、まずはそれを引き抜く作業 から始まりました。長い年月をかけて育った雑草は根が強く大変な作業でしたが、みんな の力で終わらせることが出来ました。そして、そこに枝豆を植えました。しかし、それ以 降、僕たちは枝豆の存在を忘れてしまい、ほぼすべてが枯れてしまいました。最初の種ま きは大失敗でした。ここで終われば最悪の結末だったと思います。しかし、僕たちはもう 一度、挑戦しようと思います。来年の種まきではこの失敗を生かしていきたいと思いま す。何を植えるべきか、またみんなと顧問と話し合いながら決めていきたいと思います。 このほかの活動としてはハコネ先生が運営していらっしゃる老人ホームでの讃美歌の奉 - 62 - 個人活動 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 - 63 - ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 仕が与えられました。それから、毎週の活動の中で練習を始めました。幸いにも声楽部の 人がおり、音程などいろいろな面でリードしてもらい、なんとか形にすることが出来まし た。持ち歌は3曲ほどになりました。ホームで歌う日は不安でしたが、讃美歌を披露する と、思ったよりも好評価をいただきました。讃美歌の「どんな時でも」は私たちの代名詞 と言えるようなものになりました。クリスマスの老人ホームの奉仕のために「どんな時で も」を含めた讃美歌を練習しています。夏休みにもお祭りで讃美歌を披露する機会があ り、讃美歌の奉仕が多く与えられていました。 また、この他にも敬和学園大学内でのクリスマスツリーの設置や、Keiwa Lunchへの出 演、BSNラジオの収録などいろいろな体験が与えられました。本当に感謝です。いずれ は、テレビ出演などもしてみたいです。 一方、これまでには多くの失敗や反省点も出てきました。良かれと思ってやったことが 裏目に出てしまうことが多々ありました。ある牧師先生を勝手に招き聖書研究の時間を 持って頂いた時も、自分たちは何も問題に気づきませんでしたが、実際には牧師先生と大 学や先生方の間で先に話し合うべきことがあったそうです。自分の軽率な行動でこのよう な事態になってしまって、本当に申し訳ない気持ちになりました。 しかし、この中で学んだこともあります。それは理想を現実にするためには準備が必要 だということです。私は先のことばかり考えてしまい、それを行動に移すことが出来てい ませんでした。私のその場だけの発言で、いろいろな人に迷惑をかけていたことに気づき ました。今後はより慎重な発言を心がけ、計画を立てるためにもまずは、未来ではなく今 を一所懸命に取り組むことが大事だと思いました。今与えられている活動や奉仕を、自分 たちの出来る限りを尽くしていくことが、新しい奉仕や活動を与えられる道だと思いま す。その上でこんな事がしたいというような話し合いをしていきたいと思います。 それを踏まえて今、考えているのは、他のキリスト教系の大学の人達と関わりを持ちたい ということです。宗教部長の下田尾先生ともこのことを話しており、少しでも実現するた めに、面倒だと思ってしまう作業もしっかり積み重ねていきたいと思います。 今年は教会との交流も持つ事が出来ました。今後も交流を続けていきたいです。いろい ろな教会でのお手伝いや、イベントに参加するなど、サークルの仲間と様々な場所に出向い てみたいです。そして、今後はもっとサークルとしての活動の場を広げていきたいと思いま した。県外の教会の奉仕などもやってみたいですし、ここに書ききれないくらいの理想が私 の頭の中にあります。この理想を一つでも現実のものに変えていけたらと思います。 初年度の一年間でメンバーが多くなったのは自分にも驚きでした。同じ高校出身でもそ れほど話したことが無い人も多くいて、繋がりが深められました。今では敬和学園高校以 外のメンバーも増えました。女子も一人ですが仲間になりました。僕はもっと多くのメン バーに参加してほしいと思います。多くなりすぎると統率しづらくなるなど問題も出てき ます。ですが、人間がすることに完璧な事はありません。人間自身が完璧ではないからで す。それならば、自分のしたい事をしたいと思います。いろいろな個性を持ったメンバー が集まり、男性も女性もいて、その中でお互いを補う様々な意見が出ると思いますし、 サークルとしての活動の幅も広がると私は思います。また、来年度になれば新入生が入学 してきます。その中にもサークルに新しい風を送り込んでくれるような存在がいると思い ます。これからの活動も、神様により頼みながら歩んでいきたいと思います。その導きの 中で与えられる奉仕活動や、新たなメンバーにより感謝していきたいです。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ AYFに参加して 英語文化コミュニケーション学科3年 鈴木 雛琴 はじめに 私は、2014年の11月23日から12月3日の10日間、フィリピンで開催されたAsian Youth Forum11に参加しました。私は教職課程を履修しており、忙しさで留学へ行く時 間は全くありませんでした。しかし入学当初から在学中には絶対に一度は外国に行きたい と考えており、そこで先生方から話を聞き、短期間の海外研修であるAYFの存在を知 り、参加することに決めました。 個人活動 1.AYFとは Asian Youth Forumは、鳥取大学のKip Cates教授とその他多くの協力者の方々に よって1999年に設立されました。毎年アジア各国から大学生や若者を募集し、英語を共 通言語として異文化交流やボランティア活動、学術的セミナーを開催し、各々の異文化理 解、異文化間のコミュニケーション、リーダーシップにおける能力の向上を目的としてい サークル活動 ます。開催国は毎年変更され、これまでに韓国やロシア、タイ、台湾、また日本でも開催 されました。私が参加したAYF11では、ボランティア活動として英語教育や、異文化交 流として参加国別のプレゼンテーションなどが行われました。プレゼンテーションの準備 にあたっては、日本の文化を伝えるということで、フェイスブック上で話し合い、日本の 参加大学ごとにculture, place, peopleを各々担当しプレゼンテーションを作成しまし ボランティア教育 の実践と課題 た。私達敬和学園大学はそのうちのplaceを担当しました。メンバーが4人であったた め、北海道、東京、京都、大阪の4つの都道府県を選び、それぞれが一都道府県の発表を 担当しました。プレゼンテーションはフィリピンのパシグ大学で行われたのですが、大き なホールで多くの学生を前にしての発表は非常に緊張しました。しかし、他国の方々に自 国の文化に関するプレゼンテーションを聞いてもらえるという機会は非常に貴重であるた め、緊張とともに感謝の気持ちもありました。他国のプレゼンテーションもとても興味深 学生時代の活動と 社会とのつながり く、文化の違いを改めて感じることができました。他にも、異文化交流として各々が自国 の民族衣装を着て、その国伝統のダンスをお互いに披露しました。 2.AYFでのボランティア活動 フィリピンでは、社会的に貧富の差が問題 として取り上げられています。一部の地域で 活動の様子 は、子どもたちに充分な教育環境が整ってい ない、というのが現状です。今回は、そう いった地域の一つであるミンドロ島へ行き、 山岳地帯で暮らすマンギャン族という民族 と、カラパンという町に住む小学生に2日間 にわたって英語を教えました。英語指導に向 - 64 - カラパンの小学生 グループに分かれ、教材選びから始めまし た。グループ内でそれぞれ指導内容を考え、 限られた時間の中で本番に向けて何度も練習 しました。そしてプログラムの1日目、私は マンギャン族が住む集落を訪れました。英字 新聞や絵本を題材とすることになっており、 私のグループでは絵本を題材として英語指導 を行いました。 まず絵本のコピーを子どもたちに配りまし た。絵本を読む前に、絵本の中で取り上げら 山岳地帯で暮らすマンギャン族の子どもたち 意味を教えつつ、内容理解をしてもらえるように努めました。外国の子どもに英語を教え るのはこの時が初めてであり、緊張と不安でいっぱいでしたが、子どもたちはとても授業 に積極的で、教えている側としても楽しく指導することができました。2日目には、カラ パンの小学校を訪れ、同じように英語の授業を行ってきました。2日間にわたって、英語 個人活動 れている単語の意味を教え、それを踏まえてから内容へと進みました。本文中でも単語の ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ けての事前準備では、メンバーが国籍問わず 指導だけではなく、休み時間や授業外の時間でも子どもたちと交流をしました。日本から 本当に充実した2日間を過ごすことができました。 3.AYFでの経験を通して AYFの活動を終えて帰国してから、私は海外ボランティアに興味を持つようになりま と考えていました。しかし、実際にAYFを通してボランティアに参加し貴重で楽しい時 間を過ごしたことで、海外ボランティアに対する興味・関心が強くなり、日本に帰ってき てもそのことに関してインターネットや本などで調べ、実際に海外ボランティア機関の説 明会にも行きました。AYFでのこの2日間は私の中のボランティアに対する見方を大き く変えてくれたと感じています。正直フィリピンに行くまで私は、ボランティアはやりが 捉えていました。しかし、フィリピンでのボランティアでは辛いなどといった事はなく、 非常に楽しくやりがいを実感 できる時間を過ごしました。 AYFでのこういった体験 が、私にとってとても貴重で 活動の様子 有意義な時間となったことに 学生時代の活動と 社会とのつながり いはあるが、それとともに厳しいと感じることもたくさんあり、とても辛いものであると ボランティア教育 の実践と課題 した。フィリピンへ行くまでは、海外でボランティア活動なんて私には絶対にできない、 サークル活動 持参したシャボン玉で一緒に遊んだり、お互いに歌やダンスなどを披露し合ったりなど、 本当に感謝しています。今後 もこの経験を忘れず、大切に していきたいです。 Asian Youth Forum 11 - 65 - ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 敬和学園大学のボランティア教育の実践と課題 共生社会学科 准教授 山﨑ハコネ (ボランティア委員長) 1.はじめに 本学は開学以来、 「ボランティアをする大学」をモットーにかかげ、積極的に学生のボラ ンティア活動を支援し、カリキュラムに導入してきています。時系列順に言えば、 「福祉体 験学習」 (2日) 、 「ボランティア学習」 (1日) 、 「ゼミ・ボランティア体験」 (1日) 、と名称 や仕組みは変遷してきていますが、一貫して「全員参加型のボランティア」教育実践の扉 個人活動 を開いて来ました。また、2000年から「ボランティア論」が必修となり、ボランティア 活動の入門プログラムを履修後に、次の段階として「ゼミ・ボランティア」を体験すると いう仕組みとなっています。 (ゼミ・ボランティアについては報告書内で中村義実教授が説 明しておられますのでご参照ください。)さらに、自主的・継続的なボランティア活動に 対して最大8単位まで単位認定しています。 (45時間以上の場合1単位、90時間以上2単位) サークル活動 2.敬和学園大学のボランティア教育の現状 しかしながら、学習の一環で経験したボランティア活動の経験が、その後どのように活 かされ、活動が持続し、発展しているかについては、いままでにきちんと検証されてこな かったという反省があります。 今日、初等、中等、高等教育の現場では、ボランティアと関連する授業が導入されてい ボランティア教育 の実践と課題 ます。当法人で見れば、敬和学園高校の労作や修養会でしょうか。敬和学園高校から本学 の共生社会学科に入学してくる学生たちに限ったことではありませんが、震災時のボラン ティア経験や修養会で体験したボランティア活動が彼ら自身に対して影響を与えているよ うで、 「人の役に立ちたい」 「人を助ける仕事に就きたい」という思いを抱いて学科を選択 してきている傾向があるように思われます。その一方で、ボランティア活動体験を持たな い学生たちも入学してきます。ボランティア活動の動機づけという教育的意義も、全員参 学生時代の活動と 社会とのつながり 加型の「福祉体験学習」や「ボランティア学習」の頃は、 「ボランティアは自主的なものな のに」という声に表されるように十分に理解されていたとは言えないものがありました。 現在の段階を踏むボランティア教育プログラムにおいて、どこまで改善できているかはわ かりませんが、2年次を対象とした「ゼミ・ボランティア」は、専門演習の専門性を活か しつつ地域社会の中で実践されてきており、活動先は年々広がっています。 これまでのゼミ・ボランティア活動報告書を見る限りにおいて、活動参加が自発的意思 活動の様子 決定によるかどうかにかかわらず、ひとたび活動に参加し、ボランティア活動を通じて自 らの行動の役立ちが実感できれば、活動に満足し、 「次もボランティア活動に参加したい」 というボランティア活動継続の動機づけになっているということは言えるかと思います。 しかし、そうしたボランティア活動継続が動機づけられることが明らかとなっても、本 学において、カリキュラムに組み込まれたボランティア教育としての体系は、ボランティ ア活動の教育的効果に着目した学年ごとに段階を経て深化する構成にはなっておらず、未 - 66 - 3.就職(進路)登録カードに見る学内外のボランティア活動 これまで正課授業の一端をみてきましたが、もう一方で学生たちの課外自主活動である 学内外のボランティア活動においても、ボランティア教育の体系化を目指していくことが 必要であると思われます。筆者は『共生社会学科創立10周年記念誌』の中で、共生社会 学科の学生を中心に、学内外のボランティア活動による実践が、学生たちにどのように影 響を与えてきたのかについて「就職(進路)登録カード」 (以下登録カードと称す)を参 考に、実態を明らかにしました。むろん、共生社会学科の1期生(2004年入学)から7 期生(2010年入学)までの245名の登録カードとなりますので、はなはだ限界のあるも のであります。 て考えているか」等の項目でボランティア活動について触れている者は43名で16.92%で あり、学内外のボランティア経験について具体名をあげてボランティア活動を報告してい る者を加えると48.03%となりました。記載の内訳は学内ボランティア活動が51%、学外 ボランティア活動が49%でした。学内ボランティア活動で最も多いのがふれあいバラエ 個人活動 しかし、その結果によれば、 「大学生活で一生懸命にやったこと」 、 「卒業後の進路につい ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 整理のままであることが問題であって、今後の取り組むべき課題であると思われます。 ティで、特徴としては、 「大学の3年間」 、 「毎年」という表現で、継続性を表していました。 味深い記載としては、新発田市社会福祉協議会主催の「summer倶楽部ふくし」の実行委員 等として企画・運営に携わった5人が全員その意義とやりがいを報告していました。 4.これからの敬和学園大学のボランティア教育実践の課題 と言えます。しかしながら、登録カードにボランティア活動のことを記載した学生を追っ てみると、4年次も自主的に、継続してそのイベント等の中心的人材としてかかわってい る者が多く、学内外のさまざまなボランティア活動経験を積み重ねていた実態が見えてき ました。 さて、最近の学生たちのボランティア活動の取組動向を知る上でもこの報告書は、重要 ネットワークや地域をも巻き込んだボランティア実践が展開されています。さらに復興支 援、地域の問題の解決にあたっていく学生たちの姿も多く見かけるようになりました。そし て、本学は、全学対象のアッセンブリアワーにおいて報告会の機会(年2回)を持っています。 さらに、県内外に出て行って、ボランティア活動の実践報告をしてくる学生たちもいます。 今後はますます、本学のアクティブラーニング教育プログラムにより、 「大学内の学び」 されます。その意味でも、委員会事業で開講しているボランティアコーディネーター養成 プログラムを正課授業にしていく検討が求められます。また、本学の資源を活かした海外 ボランティアの継続、ボランティアマネジメントなどのボランティア教育効果に着目した 1回生から4回生までの段階で構成されるボランティア教育の体系化を、正課授業と課外 のボランティア活動支援の両面において整備していくことが急務であり期待されます。 - 67 - 活動の様子 を「地域・世界に」移した地域貢献活動やボランティア活動が盛んになっていくことが想定 学生時代の活動と 社会とのつながり な成果となりました。報告書にみられるように、学内外問わず、サークル、大学間等の ボランティア教育 の実践と課題 登録カードは3年次作成のため、4年生のボランティア活動動向を把握することは困難 サークル活動 学外ボランティア活動は多様で、幅広い地域のボランティア活動に参加していました。興 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 敬和学園大学におけるボランティア活動支援 ボランティアコーディネーター 池田しのぶ 1.ボランティアセンターおよびボランティア事業の概要 敬和学園大学のボランティア事業は、ボランティアセンター(N24)を拠点として、 ボランティア委員会により運営されている。ボランティア委員会は委員長と4名の教員、 実務担当者としてのボランティアコーディネーター及び事務局員により組織されている。 2014年度のボランティア委員会は、山﨑ハコネ委員長、房文慧委員、中村義実委員、山 﨑由紀委員とボランティアコーディネーター、浅羽智美学生係員の6名である。大学設立 個人活動 時から現在まで、学生ボランティアセンターや学生コーディネーターは存在せず、解決す べき大きな課題となっている。 また、実施しているボランティア関連事業は、①1年次生対象のボランティア論・学習 セミナー、②2年次生対象のゼミ・ボランティア、③Keiwaふれあいバラエティ、とい う三つの年間行事と、④その他、震災復興支援や災害ボランティア活動、ボランティア コーディネーション力検定などの単年度事業、およびボランティアの単位認定にかかる事 サークル活動 務等である。 (1)ボランティア論・学習セミナー ボランティア論・学習セミナーは、2006年度までボランティア・デイとして1年次生 が特定の日に一斉にボランティア活動を行ってきたことを重視する意味で、通常2クラス ボランティア活動支援 で行っているボランティア論の時間を2コマの連続授業として、その年に応じたテーマを 設定した上で外部講師を招聘したり、映画を上映したりするという特別授業として実施し ている。 2012年度は災害復興をテーマとして震災復興支援を行っている複数団体からの事 例報告会を開催した。2013年度、2014年度は児童労働をテーマとしてNGO団体ACEの 活動報告や大学生が児童労働の問題に気づき、行動を始めるという映画「バレンタイン一 揆」の上映を行った。この企画実施後、2014年度には学内にフェアトレード推進サーク 学生時代の活動と 社会とのつながり ルが設立され、県内外の学生と連携しながら活動を展開することにつながっている。 (2)ゼミ・ボランティア ゼミ・ボランティアは「ボランティア・デイ」の代替プログラムとして、2006年度から 試験的に導入し、2007年度から実施している全学生にボランティア活動の機会を提供す るしくみである。導入の経緯や現状については28ページの中村義実委員(導入時ボラン 活動の様子 ティア委員長)や学生の活動報告をお読みいただきたい。 (3)Keiwa ふれあいバラエティ Keiwa ふれあいバラエティは、地域の福祉サービス事業所の利用者を大学にお招きし て楽しい時間を過ごしていただくという、開学以来継続している学生主体のイベントであ り、学園祭のプレ・イベントとして、前日に体育館を会場として実施している。例年午後 - 68 - 体、午後2団体という少ないお客様にゆっくりと学生との交流を楽しんでいただけるよう 工夫して開催した。この報告に関しても、60ページの青木雄佑くんの報告をお読みいた だきたい。 (4)その他 突発的に起きる災害のボランティア活動支援やその年ごとに異なる学生の個性的な活動 の支援、報告会の企画、運営や、2013年度に実施した(特活)日本ボランティアコー ディネーター協会のボランティアコーディネーション力3級検定の開催など、学生のボラ ンティア活動推進のための単発的な事業は必要に応じて実施している。尚、ボランティア センターでは通常業務として、日常的なボランティアに関する相談窓口の運営はもちろん、 ボランティア単位の認定手続きもあわせて実施している。 2.学生ボランティアセンターの設立に向けて 学生のボランティア活動推進のために、学生自身によるボランティアセンターの運営と 個人活動 SNSや学内掲示板を用いた情報提供といったボランティアコーディネーション業務と、 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ のみの半日プログラムであるが、2014年度は一日を通じたプログラムとして、午前1団 学生ボランティアコーディネーターの存在が重要である。それは、身近な存在である学生 大限に活用できるからである。また、ボランティアが必要とされる地域社会や人と関わる ことで、社会にある課題に気づき、解決に取り組むことができる、市民社会の担い手とな ることをより実践的に学ぶ機会を多く与えられるからである。 ボランティア委員会では、これまで学生ボランティアセンター設立に向けたとりくみを 行われた学生ボランティアフォーラムに参加したり、長野県の松本大学にある「工房ゆ め」を見学したりしながら、学生ボランティアセンター設立の準備をすすめる機会を設け たことがある。しかし、ボランティアコーディネーターが他の業務を複数兼務しているた め、学生スタッフを育てる、支援するという時間をもつことができないまま2011年度の 東日本大震災のボランティア活動支援にとりくまなければならなくなり、結果として学生 不況下で育った現在の大学生は、学費や生活費を捻出するためにアルバイトをしたり、 資格取得のための講義、講座を多く受講したりするため自由な時間をあまりもっていな い。かつて「大学生は休みが多くて時間があるから」と言われ期待されたボランティア募 集に応じることのできる学生は少ないのである。また、ボランタリーな意志、意欲のある 学生には授業を真面目に受け、資格取得にもとりくみ寸暇を惜しんでアルバイトを行う者 と関わることで、ボランティアを募集する側も、市民社会の担い手としての価値を認めた 上でともに課題解決に取り組みたいという立場が明確となりWin×Winの関係構築が可 能となってきた。学生ボランティアセンター、学生コーディネーターの存在がその関係を 推進し大学ボランティアセンターを新たなステージへ導いてくれるはずだ。 - 69 - 活動の様子 が多く、無償の労働力として搾取されてはいけないと強く感じる。しかしそのような学生 学生時代の活動と 社会とのつながり ボランティアセンター設立の計画が頓挫してしまったのである。 ボランティア活動支援 全く行ってこなかったわけではない。2009年には当時のボランティア学生を伴い京都で サークル活動 同士が価値観を共有し、ともに学び、成長できるからであり、学生間のネットワークを最 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ かつて学生だったわたしから、いま学生のあなたへ 2007年度 共生社会学科卒業生 坂井万里央 (柏崎市社会福祉協議会勤務・敬和学園大学チアリーダー部コーチ) 個人活動 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 「ボランティア活動」と言われても、正直よくわかっていない学生だった私。そもそも 「ボ ランティアって何か偽善っぽい」と斜めから見るようなタイプだったので、学内に掲示され ている福祉関係施設のボランティア募集を見ても、ひとり「う~ん」と首をかしげていた。 そんな私の学生時代を振り返った時に、まったくボランティア活動しなかったのか、と 言われるとそうでもない。某高校ダンス部所属だったので、とりあえずの特技は「ダン ス」 。とにかく踊ることが好きである。ボランティアとは全く関係のないところで「ダン スを活かして何かしたい」と思っていた時、ダンス部時代の顧問から「小学校の授業で、 ダンス指導の手伝いを探している」と声がかかった。自発的に人の役に立ちたい、という ボランティア精神よりも先に「何だか、おもしろそう!」というのが第一印象で即快諾。 数回に渡って小学5年生の体育の授業に参加し、ダンスのステップ指導と作品づくりを手 伝った。最後の授業は、子ども達のダンス発表会。はじけるような笑顔で踊る子ども達を 目にした時、何とも言えない達成感で胸がいっぱいになった。授業後には、子ども達や先 生方から、たくさんの「ありがとう」をいただき、自分が楽しい、という単純な理由で協 力したことが人の役に立った経験で、素直に嬉しかった。その時の経験が始まりで、学生 時代は、ダンスが活かせる場所を自分で探して活動をした。指導補助だけでなく、高齢者 施設や、障がい者のスポーツ大会でのダンス披露もした。当時の私に、ボランティアして いる意識があったか?と問われると、それ以上に「楽しい」が先行していたので、いまだ に自分の中で「ボランティア活動」という言葉と結びつかない部分もあったりするが、と にかくいい経験だったことに違いはない。 無理に何かをやろうとするのではなく、自分の興味関心が向く方向に従って、学校とも バイト先とも違う社会と出会う。それが、学生時代にしかできないボランティア活動だと 思う。今の学生たちにも、趣味や特技を活かしてどんどん外に出て行ってほしい。「趣味 や特技は別に…」という人も、もちろんいると思うのだが、どんな学生にも、自分の内側 だけでない外の社会にも興味関心を持ってもらいたい。社会を広く見渡せば、ほんの少し の手助けで何とかなることがいっぱいある。学生は若くてパワーがあるのだから、その力 をもっと社会に活かしてほしい!と、三十路を手前に切に思うのだ。 現在の私は、社会福祉協議会に勤務しており、仕事柄、災害があると全国津々浦々に支 援へ向かうことがある。どんな災害でも、被災地の現状を知れば知るほどに「何とかした い、私にできることは何だ?!」と感じる。私は特別に正義感が強いわけではないがこん な気持ちになるので、たぶん誰でも「大変な現状」を目の前にすれば、同じような気持ち になるだろう。現状を知ることから、その先にある自発的な行動、ボランティアにつなが ることはたくさんある。 2014年12月21日に、コーチをしている本学チアリーダー部主催で、東日本大震災復興 支援のチャリティダンス公演を行った。学生時代の様々な経験が、公演企画の出発点だ。 様々な経験の中で成長した自分が社会人となり、被災地支援を通して芽生えた気持ちから チャリティ公演が生まれた。ボランティア精神なんて立派なものではないが、 「誰かのた めの何かを」と思う気持ちが私を行動に移した。学生たちにも、まずは知り、一歩を踏み 出すところから始めてほしいと願っている。 - 70 - 2008年度 英語文化コミュニケーション学科卒業生 MIRIAM PERVERSI サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 - 71 - 個人活動 私は、敬和学園大学に入学する前からボランティアなどに興味がありました。人助けす るというよりは、助けを必要としている人の立場になり、必要なものがあれば自分の出来 る限りを尽くす、あるいはただ話を聞くだけでもその人の重荷を少し分けてもらうという 意味を持つのではないか、など、一区切りにボランティア、人助けと言わずに、相手の立 場にたつということ。相手は私が経験した事のない人生を歩んでいる、それを考えただけ でその人は自分よりすごいのだと思えるからです。 在学中に、長岡の地震でボランティアをする機会があり、家のガレキや、道路にあった 沢山の泥を取り除きながら、同時に休み時間には子どもと一緒に避難しているお母さん方 や、お年寄りの方の話を聞きました。その時が一番ボランティアをしている実感がありま した。その災害現場にはたくさんの人がいましたが、本当に助けを必要としている人の中 に家の掃除や、ガレキの撤去や泥を除去する事の他に、ただ話を聞いてほしい、今大変な のは家ではなくて家族が一緒にいられないことが問題となっている人たちがいます。もち ろん行動も大事ですが、ただ一緒に座って話を聞くこと、励ましの言葉なんて本当は彼ら にはその時必要なかったのかもしれない、必要だったのはただ一緒にお昼を食べながら、 散歩しながら話をきいてくれる人、自分の人生やこれからどうするかなどの話が出来る人 なのかもしれない、私はそんな印象を強く持ったのです。 ほかに、外国人として、小学校などに行き、パスタやピザを子どもたちと作りながら自 分の国を紹介する時が一番楽しかったです。つまり会話する、話すことです。子どもの感 性は本当に独特で私はボランティアをする前にたくさん自分の国について勉強し、色々な パワーポイントを使いましたが、一番子どもたちが楽しんでいたのは質問の時間やピザや パスタを食べながら楽しく会話をしている時間でした。一緒に給食を食べる機会もあり、 子どもたちは私に箸の持ち方などを教えてくれました。そして自分がパパやママに毎日箸 の持ち方などを教わった事を話してくれるのです。毎回、そのようなボランティアに行く ときは楽しくて、笑う事がたくさんありました。 多くの思い出が蘇ります。その思い出は今も残っています。自分が結婚し、子どもが出 来ると色々な人から聞いた話や、関わったたくさんの子どもたちの表現豊かな感性を自分 の子どもにも持ってほしい、こんな大人になってほしいと思うのです。実際、卒業し、あ る市のボランティアセンターで働く機会を与えられましたが、そこでも自分のためになる 話や仕事が出来ました。その間に震災があり、その地を実際に自分で踏みながらより一 層、人との繋がりに自分の時間を使うようになりました。私にとってボランティアは人と のつながりです。それ以外にありません。人助けはその次です。 この場をかりて、私の第一歩を歩む道を備えてくれた大学に感謝します。もしあの経験 をしていなかったら卒業後にそのような仕事についたり、人と繋がる事の大切さを経験し なったでしょう。大学で得たものは知識だけではありません。人と人との関係の大切さ、 自 分は一人で生きているのではない事。今の自分がいるのは、いろいろな人と繋がってきた 結果なのだと強く思います。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 在学時の思い出 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 相手を思いやる気持ち 2010年度 国際文化学科卒業生 平野 友里 (まちカフェ・りんく) 個人活動 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 皆さんは、 「ボランティア」にどのような印象を持っているでしょうか。例えば、どこか の施設のイベントに参加したり、募金活動をしたりする「善いこと」 、或いは、知らない人 のために自分の時間を割いたり、報酬がないという条件に引け目を感じてしまう「大変な こと」 。そのなかでも、 「相手のためにすること」という印象がもっとも強いのではないか と思います。しかし、本当にそれだけでしょうか。 この報告では、なぜ私が「ボランティアは生きる力になる」と思うのかについて書いて みます。私の場合、その大きな理由はまちカフェ・りんくでの活動にありました。 在学中、私は共生ボランティアネットに所属し、ボランティアセンターを通して、障が い者施設のお祭りや運動会のお手伝い、高齢者施設での食事作りなどに出掛けていまし た。学内では年に一度『ふれあいバラエティ』というお祭りが行われ、共生ボランティア ネットを中心とした有志が集まり、地域の福祉施設の方々を大学にお招きし一緒に楽しい 時間を過ごす、ということを行っていました。活動を通して様々な人と出逢い、沢山のこ とを学びました。しかし、今思えばその時は行事を遂行することに気持ちがいっぱいで、 自分が参加しているということに「自己満足」していたように思えます。 そのような中で、4年生の夏、まちカフェ・りんく(以下、りんく)のスタッフ募集が あり、面白そうだという軽い気持ちで活動に参加しました。りんくのお客様にはご高齢の 方が多く、中には一人で暮らしていてあまり話し相手がいない人もいます。その方はス タッフである学生とお話しすることが楽しみで、注文は「ついで」のようなもので、帰り 際に「ありがとう」 「また来るね」と言ってもらえました。りんくは接客業ですから当た り前かも知れませんが、いわゆる行事のボランティアとはまた違い、一人ひとりの方との 距離がぐっと近くに感じられました。それまで「一般的な」ボランティア活動ばかりでし たが、そうでなくても身近にできることは沢山あると感じたのです。“相手を思いやる気 持ち” それこそがボランティアだと言っても過言ではないと思います。そして、 「ありがと う」 と言ってもらえると、何よりも自分の心が満たされます。 人には得意、不得意があります。人と関わることは苦手だという人も勿論いると思いま す。実は私もそうでした。人と関わらないで生きていけたら、人間関係のトラブルも起き ず、楽なのではないかと考える日もありました。しかし、人は人と関わらないで生きてい くことはできません。楽しく、周りの人と気持ちよく過ごしていくのに大切なのは、相手 を思いやる心だと思います。その心を、ボランティアの精神を育ててくれたのが敬和学園 大学です。どんなに有名な会社に行っても、財力があっても、偉くなっても、その心がな い人は、いつか人生に躓きを感じるかも知れないと思うのです。 私は、りんくの活動に軽い気持ちで参加したことで、人との接し方や生きていくことへ の考え方を変えることができました。皆さんも自分にできるボランティアをしてみること で、沢山の出逢い、学び、今まで見えていなかった世界や自分がきっと見えてきます。ボ ランティアは相手のためだけにするものではなく、自分自身のためでもあることを、是 非、活動を通して感じて欲しいです。興味のある人もそうでない人も、ちょっと自分の周 りを見渡してみてください。無理なくできるボランティアが、あなたの身近な所にもきっ とあります。 - 72 - 2010年度 国際文化学科卒業生 姜 玉涛 (イロハ観光株式会社勤務) 小さい頃から他者を助けることは大変良いことだと教えられました。日常では人々が助 け合いで互いに成長して行けることは、喜ばしいことだと理解しようとしています。敬和 学園大学国際文化学科での4年間、学習と同時に、大学ボランティアセンター窓口を通し て先生、職員さんと先輩・後輩と一緒に、さまざまなボランティア活動に参加することが できました。それらの活動の中で明るい未来を想像する能力や、助け合い精神を学び、そ 2011年3月11日東日本大震災・福島原発事故が発生しました。13日深夜、福島県佐藤 雄平知事等の被災者救援の要請に応じて、駐日本中国大使館新潟領事館がチャーターした 越後交通の大型バス十数台以上が出発したとニュースで聞きました。領事館関係者から中 国・韓国へ大学入試出張中のゼミの房文慧先生に連絡が行き、その後領事館関係者から 個人活動 こから広がる人々とのつながりの大切さを強く感じることができました。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 得た経験が私の一生の宝物 ―東日本大震災ボランティア活動を通して自分の成長も見えてきた― 15日に私のところに「被災地からの避難者案内などのボランティア活動のために新潟駅 偉君を呼んで新潟駅に行きました。冷え込んでいる夜の新潟駅、人があちこち溢れていま す。特に立食いラーメン屋の中と外にはどこへ行ったらいいかわからない被災地から到着 した中国人、外国人がいっぱいでした。聞いてみたら、バスなどの手段でやって来た福島 県、宮城県からの留学生、研修生及びその家族、一般人でした。僕達は先ず皆さんを新潟 きました。その後、避難所に着いた人々に水、インスタントラーメン、味噌汁、おにぎり などの食べ物、 毛布、タオル及び隔湿シートを配ったり、避難所の衛生環境を維持するた めに掃除・ゴミ回収したり、日本語がわからない人に通訳したりしました。さらに、何も 持たないままやって来た中国国籍の留学生、関係者のための臨時登録手続きや再入国許可 申請書発行などを行う領事館員を慎重に手伝いました。 地からの避難者さんとコミュニケーションを取りながら、やったことがない仕事を次々と 体と脳みそを使ってこなさなければなりませんでした。結局5日間が過ぎました。その前 後に来たバスの数が越後交通だけで110台以上、計6,000人以上のためにボランティア活動 を行いました。3月16日の僕の誕生日すら忘れてしまった自分の成長を感じた瞬間でもあ りました。その日、カップラーメンを食べたことを覚 ボランティア活動には国境がなく、時間も関係あり ません。大学のボランティア体験活動で、自分はいつ でも自然に動いていけば、限りのある力とノウハウを 使って、必ず良い社会の構築、良い人間関係の保持に つなげていくことができると信じています。 - 73 - 活動の様子 えています。とても意義深い誕生日だと思っています。 学生時代の活動と 社会とのつながり 毎日領事館がチャーターした大型バスが次々とやって来て、私達も必死に領事館・被災 ボランティア教育 の実践と課題 市内3つの避難所(新潟市産業振興センター、亀田体育館、中国領事館)まで案内して行 サークル活動 に来てもらえないか」という電話が入りました。私は何も考えずに同ゼミの劉洋君、叢嘉 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 海外ボランティア報告書 2010年度 英語文化コミュニケーション学科卒業生 村山 美樹 (巴山組) 敬和学園大学での4年間は多くの人との出会いがあり、私を成長させてくれた。その中 でも敬和国際ボランティアサークルでの活動は、それまで何事にも受身だった私に成長の チャンスを与えてくれるものだった。時には、活動を続けるべきか悩むこともあり、今思 うと活動の中で反省するところも沢山ある。しかし、ボランティア活動を通じて悩んだこ 個人活動 とは社会人になった今も活かされている。 私が参加していた敬和国際ボランティアサークルは、世界で住宅支援を行う国際NGO に賛同するサークルだった。過去にタイ、マレーシア、フィジー、フィリピンなどの国々 で先輩達が建築活動を行っている。私もタイ、マレーシアでのボランティアに参加した。 現地での滞在は10日間ほどで、家の持ち主になるご家族や現地の大工の皆さん等と一緒 にレンガ造りの家や、木造の家を建てる作業をする。(ハンマーやノコギリなどを使う!) サークル活動 そして、普段は学内や地域で街頭募金やフリーマーケットなど様々なイベントを通じて 募金を集める活動を行った。 そんな活動の中で私が悩んだのは、周囲の目だった。私たちの活動を理解してくださる 声がある一方で、例えば、日本にも困っている人がいるのに、なぜ外国支援なのか?とい う声や、家を建てるだけでは根本的な解決にならない!等、温かくも、厳しい意見が寄せ ボランティア教育 の実践と課題 られることが多かった。正直、すぐに返す言葉が見つけられず、悩み落ち込んだ。多くの 方から協力や募金をいただいている以上、納得してもらえるような広報を行う必要があっ たので、時にプレッシャーに負け、必要以上に気負ってしまった。 しかしながら、たった4年間ではあるが、活動を続けられたのは応援して下さる方々の 存在、そして何よりも、自分の成長を実感出来ていたからだと思う。初めての外国で触れ たタイの文化は私の視野を広げてくれた。それまでの「外国」=「英語圏」という無意識 学生時代の活動と 社会とのつながり の狭い視野から、東南アジアやイスラム文化圏など様々な国に関心を広げることができ た。また、活動の悪い面、苦しい面からも沢山学んだ。悩んでいる私にある先生が「悩ん で止まってしまうのが一番もったいない」と言ってくださり、諦めて逃げてしまっては終 わりだということを学べた。 4年間の活動は決してきれいなものではなく、時に不格好であったと思う。そして社会 人になった今もそれは同じだ。しかし、今与えられた状況の中で、自分でやりがいや意味 活動の様子 を見つける大事さを、私はボランティア活動を通じて学んだ。まだまだ未熟で受身な私だ が、希望を捨てず、これからも諦めず成長する努力を続けていきたい。 - 74 - 2011年度 英語文化コミュニケーション学科卒業生 長谷川貴拓 (株式会社コメリ) サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 - 75 - 個人活動 卒業してから約3年。08L004という学籍番号を久しぶりに入力すると学生時代の思 い出が少しずつよみがえります。そう、私は英語文化コミュニケーション学科だったので す。レポートの文字数稼ぎによく書き込んだ当時はあまり意識しなかったのですが、私は 共生社会学科ではありません。東日本大震災が発生するまではボランティアセンターはも ちろん、ボラセンのヌシ・池田さんの存在すら知りませんでした。震災直後、新発田のカ ルチャーセンターに避難してきた方への炊き出しがあるから手伝わないかと由紀先生に誘 われ、先生も来るものだと思い二つ返事。直後、先生は来ないと判明。だれが学内の関係 者かもわからないまま、たぶん池田さんと思われる方に話しかけ指示を仰いだのを覚えて います。参加していた学生も、数人は見かけたことこそあれど話したことは無く、多くは 名前すら知らない状態。しかし、同じ志を持った仲間と打ち解けるのに時間はかからず… とはいかないのが人見知りの私。作業中は黙々と作業をこなし、終わったらみんなでお茶 でもとのお誘いもバイトが控えていたためダッシュで帰宅。 なぜそんな私が今回こうして寄稿しているのか。それは、一度関わった人を決して離さ ない池田さんのお力はもちろん、ボラセンで出会った仲間たちのおかげです。ボラセンで出 会った共生社会学科の学生たちは皆、気持ちの良い気さくな方であり、次々と学内外のイベ ントへ私を誘ってくれました。Keiwa HOPEの一員として学内での募金活動、2回の現地 活動に参加させていただいただけでなく、十二斎市では当日の販売に加えて、共生社会学科 の実習等でお世話になっている施設へ伺い担当の方と出品する商品の打ち合わせを行いまし た。また、ふれあいバラエティーでは屋台を製作し、景品に使うぬいぐるみを集めたり。だ まって指示に従う性格でもない私はいつの間にか中心へ向かい、どちらかと言えば指示を出 す側に回ることが多くありました。サークルに所属していない私にとって、後輩に指示をだ したり、指導や意見を述べるのは貴重な体験であり、新鮮でやりがいのあるものでした。 きっかけはなんだっていいのです。いつもと違う環境に足を踏み入れることで、見える 景色が驚くほど変わっていきます。学生時代の4年間はとても貴重です。過ぎてしまえば 決して戻らず、思い出して懐かしむことしかできません。その思い出を豊かにするか、単 調でつまらない物にするかは、自分次第です。今、私が思い出して懐かしく思うのは、期 末試験の絶望感。終わらないレポートと迫りくる提出期限。募金テーブルでつくったかき 氷、知恵を出し合ったミーティング、岩手の朝、ペタンク、気仙沼大島のお魚。ボラセン を通して知り合った仲間たちと共に過ごしたごく短い日々。ボランティアだと思うから足 が遠のくのです。ボランティアとは思わず、学生時代の思い出づくりだと思ってはどうで しょう。貴重な経験が待っています。 すでに活動をしている学生も、もし困ったことや支援が必要ならば是非、卒業生に声を かけていただきたい。私達卒業生にできること、卒業生にしか頼めない事、なんでも相談 してほしい。直接会ったことがなければ、池田さんや由紀先生を通してでもかまいませ ん。学科も年齢も関係なくボラセンに集まり、何か楽しい事を始めましょう!周りも巻き 込んでどんどん仲間をふやしましょう!いつかまた皆さんと現地活動やイベントに参加で きるのを楽しみにしています。 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ボラセンから始まる思いで ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ボランティアで学んだこと 2012年度 英語文化コミュニケーション学科卒業生 菅家 茜 (新潟県教員) 個人活動 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 一歩踏み出す勇気。それによって分かった行動する大切さ。行動に移さなければ得るこ とのない経験。 東日本大震災の発生直後、 「何かしたい」 「何かしなければ」と内側から突き動かされる ような思いが湧き上がり行動に駆り立てていきました。最初は本当に衝動的な思いと行動 だったかもしれません。しかし、その一歩がなければ、一人一人の小さな力が集まって大 きな復旧・復興への力も生まれず、さらに自分自身が様々な経験を通して気づいたり学ん だりすることはなかったと思います。 私は現地活動と学内の募金活動に関わらせて頂きました。ボランティアにはそれまで、 自分を犠牲にして相手に尽くすイメージがありましたが、実際に行動したことで全く違う ものだと気づきました。ボランティアとは、何かをしてあげる、何かをされるという関係 ではないということです。同じ目標に向かって、協働していくことだったのです。私は現 地でボランティア活動をする中で、個人や地域、時期によって異なるニーズを把握し、自 分ができることを無理のない範囲でやることが、より良い協働に繋がると感じました。私 が岩手県宮古市でボランティアをさせて頂いた際に、高齢で一人暮らしをされている女性 に出会いました。その方は、ボランティアの人々と会話をすることが何よりも楽しみで、 震災後に笑顔で過ごせるようになったのはボランティアのおかげだと涙ながらに語ってい ました。それを見て、物の修復や清掃だけではなく、ただそこに寄り添う支援も忘れては ならないことに気づきました。ボランティア活動をしていると、私たちは物を直したり、 周りの環境を整えたりするような目に見える部分ばかりに焦点を当てがちです。しかし、 最も大切なことは相手の気持ちを尊重すること、相手の必要なことを把握することです。 その点がずれていれば、私たちのするボランティアはただの押しつけでしかないことを学 びました。 現地活動だけではなく、学内募金活動でも学びが多くありました。震災当初は、被災地 の様子や復旧・復興状況を取り上げるメディアが多く、情報は自然と耳に入ってきまし た。情報があることで、人々の関心は募金にも大きくプラスの影響を与えてくれました。 しかし、時間が経つにつれて報道も少なくなり、人々の関心は薄れ、募金も集まりにくく なっていました。そのような状況を改善するために、皆が意見を出し合ってお菓子を作っ たりパーティーを開いたりと、様々な取り組みをしました。私はその中で、ボランティア では先を見通して新しいことをしていくことも大切だと感じました。さらに、試行錯誤の 連続を私は楽しんでいました。それは「何かをしてあげる」という気持ちではなく、先ほ ども述べた「協働して取り組む」という姿勢だったからだと思います。何事も楽しさがな ければ長く続かないので、ボランティアに関しても楽しさを見つけ、続けていくことが最 終的な目標である復旧・復興に繋がるのだと感じています。 ボランティアをすることで私は多くのことを学ばせて頂きました。現地活動で出会った 社会人のボランティアの方々のように、また自分自身が学生時代に踏み出した一歩を無駄 にしないためにも、そして何よりも復旧・復興のためにボランティアに関わり続けていき たいと考えています。ボランティアで学んだ「行動し、経験し、学んでいく大切さ」を心 に留めて、これから先の様々な場面で実践していきたいです。 - 76 - 2013年度 共生社会学科卒業生 丸山るり子 (菊水酒造株式会社) 2011年3月。Keiwa HOPE(以下HOPE)発足時、私はメンバーの一員ではありませ んでした。被災地支援のボランティアと聞き、私は現地に赴いて泥や瓦礫を撤去する作業 をイメージしました。体力に全く自信の無い私では、役に立たないだろう…と、非常に消 極的な理由から参加するのを躊躇してしまっていたのです。しかし、自分も何か被災地に 役立つことができれば、とずっとモヤモヤと考えていました。 の募金は素晴らしい特典付きで、一定額以上の募金をするとお礼の品としてお菓子がいた だけるというものでした。現金な性格の私は、一石二鳥とも言えるこのシステムに心から 感銘を受け、募金週間が始まると毎日募金ブースに通い、募金をしてはお菓子をもらって いました。このように毎回通い詰める内、私は「このボランティアだったら自分にもでき 個人活動 HOPE発足後まもなくして、被災地支援の為の学内募金週間が開始されました。HOPE ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 小さなことでも役に立つ るかもしれない」と思うようになりました。そして、池田さんの声掛けもあり、気付いた 私がHOPEのメンバーとして行ってきたボランティアは極々簡単なことです。募金週 間中のいずれかの曜日にお菓子を作り寄付をすること。並んでいるお菓子を紹介するポッ プを作成すること。時々募金をすること。これだけのことでした。 ボランティア活動を通じて実感したことは、意外なことが工夫次第で人の為になり得る、 ることができるかもしれません。自分にできることがどんなに小さいことだとしても、最 終的に誰かの為になれば、それは立派なボランティア活動となるのです。 私がしてきたことは、月に数回お菓子を作って大学に持って行くという本当にちょっと したことでした。しかし、私の小さな善意が多くの方の目に留まり、義援金を募ることに 繋がったということは大きな成果であったと思っています。このような成果を出すことが てくださった池田さんには感謝してもしきれません。 学生の皆さんには、どんな形でもいいのでボランティアに携わって欲しいと思います。 その経験は、皆さんの人生の糧になります。人の為になることを考え、実行に移すことは とても難しいことです。しかし、 「こんなことだったら自分にもできるかもしれない」と 可能性を感じれば、それはボランティアを始めるきっかけになります。可能性を活かし、 う。ありがたいことに、敬和学園大学には、ボランティアのための活動基盤が充分に整備 されています。 小さなことでも必ず誰かの役に立ちます。ぜひ、行動に移してみてください。皆さんの ご活躍をお祈りしています。 - 77 - 活動の様子 工夫を凝らし、少しでも成果が出れば、それが自分の自信となってかえってくるでしょ 学生時代の活動と 社会とのつながり 出来たのは、HOPEという活動基盤があったからこそであり、メンバーへの参加を促し ボランティア教育 の実践と課題 ということです。視点を変えて自分を見なおせば、ボランティアに活かせる強みを見つけ サークル活動 時には募金ブースのお菓子つくり係としてHOPEのメンバーの一員になっていました。 Keiwa HOPE 募金活動 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 2011年に発足したKeiwa HOPEも 毎年さまざまな工夫をしながら募金活 動を続けています。 個人活動 サークル活動 毎年、児童英語を履修する学生がハロウィン仮装パレードを行い、 寄付を募っています ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり Keiwa HOPEによる「クリスマスチャリティパーティ」 2013年12月13日(金) 活動の様子 チアリーダー部、OGとのチャリティ公演「けいわおどるわ」では、手作り品も販売し、 被災した高校生の進学のために使われます 2014年12月21日(日) - 78 - 報告:p6~p27 新潟恩返し隊との出会い ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 個人活動 された社会人のボランティアグループです。 東日本大震災の発災直後から、主に宮城県内で、物心両面におけ ボランティア教育 の実践と課題 る支援活動を続けています。 サークル活動 新潟恩返し隊は2004年に新潟で起きた水害や震災を機に結成 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 2014年2月21日(金)~2014年2月23日(日) 2014年3月28日(金)~2014年3月30日(日) - 79 - 報告:p18・p52 ゼミ・ボランティア ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 2年次の専門演習ごとに、ボランティア活動にとりくみます。 学生の希望や演習の専門性が生かされ、地域・社会のニーズに 応じた活動を行っています。 ― 昔ながらのみそづくり ― 山﨑ハコネ ゼミ 個人活動 サークル活動 ― 夏休みにALTと遊ぼう ― ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 山﨑由紀 ゼミ Joy Williams ゼミ 金山愛子 ゼミ ― 福島潟での清掃活動 ― Goodmacher ゼミ 活動の様子 - 80 - 報告:p28~p39 寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 個人活動 サークル活動 4泊5日で子どもたち が100 ㎞を歩きます。 ボランティア教育 の実践と課題 ボランティア学生はこの 運営をサポートしながら 子どもたちの「生きる力」 を醸成します。 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 2014年8月6日(水)~2014年8月10日(日) - 81 - 報告:p40・p43 災害ボランティア養成講座 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ~初級編・中級編~ ― 災害ボランティア養成講座 ~初級編~ ― 個人活動 サークル活動 2014年6月14日(土) ボランティア教育 の実践と課題 新発田市社会福祉協議会が主催した講座です。初級編は本学が会場 となり、学生も参加して地域の方々とともに学ぶことができました。 また中級編では、シンポジウムに登壇させていただき、石巻市での ボランティア活動の報告をさせていただきました。 学生時代の活動と 社会とのつながり ― 災害ボランティア養成講座 ~中級編~ ― 活動の様子 2014年11月29日(土) - 82 - 学生ボランティアフォーラム ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ ターで行われたフォーラムに参加しました。 個人活動 代々木の国立オリンピック記念青少年研修セン 全国各地から集まった、ボランティア活動を行って 活動への意欲や期待がふくらみました。 サークル活動 いる学生たちや支援者との交流を通して、ボランティア ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 2015年2月25日(水)~2015年2月27日(金) - 83 - 報告:p56 Keiwa ふれあいバラエティ ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 個人活動 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 報告:p60 - 84 - 自主企画 が、バレンタインにはフェアトレードのチョコレート を行いました。 報告:p58 個人活動 を買いましょう、と新潟市内で「バレンタイン一揆」 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 2015年2月8日(日) フェアトレード推進サークル「Keiwa Smile Stars」 サークル活動 報告:p62 ボランティア教育 の実践と課題 学生団体 「俺たちのバイブル」 による畑作り 学生時代の活動と 社会とのつながり Asian Youth Forumへの参加 活動の様子 2015年1月26日(月)~2015年2月4日(水) - 85 - 報告:p64 震災復興支援活動 ―宮城県― ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 個人活動 石巻市の仮設住宅に新聞を届ける活動や 自分自身の家での災害対策を考えるワークショップに参加しました。 2014年9月1日(月)~2014年9月3日(水) 報告:p22~p24 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり 夏:2014年8月25日(月)~2014年8月31日(日) 春:2015年2月15日(日)~2015年2月21日(土) 活動の様子 復興支援インターン(夏・春)では、南三陸町の被災企業での職業体験 を通して、復興のために何が必要で、自分たちに何ができるかを考えま した。そして新潟に戻ってからもその具体策を検討し、企画を実践して います。 - 86 - 報告:p16~p21 震災復興支援活動 ―岩手県― ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 個人活動 サークル活動 活動を行いました。陸前高田市、大槌町の住民の方の笑顔に迎えられなが ら、たくさんのことを感じてきました。 ボランティア教育 の実践と課題 KeiwaHOPEの活動先、支援先でもある(特活)遠野まごころネットで支援 学生時代の活動と 社会とのつながり 活動の様子 2015年3月10日(火)~2015年3月15日(日) - 87 - 報告:p39 寺子屋つばさ100㎞徒歩の旅 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 100㎞徒歩の旅とは? 寺子屋つばさ 100㎞徒歩の旅 • 小学生が4泊5日で100km歩く事業 • 全国18ヶ所で開催されている 100km 発祥の地 英語文化コミュニケーション学科 2年 熊倉千夏 共生社会学科 2年 川瀬由花 寺100 個人活動 100㎞徒歩の旅の目的とは? 子どもの 生きる力の醸成! サークル活動 学生の社会学習 家庭教育の重要性の再認識 地域コミュニティーの活性化 100㎞参加のメリット!! ボランティア教育 の実践と課題 • • • • • • 子どもと関われる! 就活に生かせる経験! 自分自身の成長! 夏の最高の思い出! 「友達」ではなく「仲間」ができる! 寄せ書きTシャツ♥ 学生時代の活動と 社会とのつながり 発表資料 ありがとうございました - 88 - 夏季集中ボランティア •夏休みを利用した大学間連携 復興支援活動 2014年夏季集中 ボランティア 1. 2. 3. 4. 5. 6. ~石巻市における活動~ 英語文化コミュニケーション学科 13L029 真野小雪 13L036 岡村和 石巻市(雄勝町)における活動 石巻市(仮設住宅)における活動 気仙沼におけるプロジェクト 陸前高田における活動 山元町における活動 復興支援インターン 人口:震災前162,822人 震災後150,351人 人的被害:死者 3,270名 行方不明者 436名 関連死 253人 建物被害:全壊 19,974棟 半壊 13,098棟 一部損壊 23,615棟 仮設住宅:133団地 約14,000名入居 9月1日(月) 11:00 東北学院大学集合 オリエンテーション 出発 14:00 石巻到着・現地視察 16:00 活動拠点到着 オリエンテーション 18:00 オリエンテーション 終了 21:00 就寝 9月2日(火)~9月3日(水) 8:30 集合ミーティング 9:00 活動場所へ移動 活動 12:00 昼食 16:00 活動終了 17:00 振り返り 18:00 自由時間 サークル活動 スケジュール 個人活動 石巻市の被害状況 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 「夏ボラ」とは? ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり - 89 - 発表資料 ご清聴ありがとうございました バレンタイン一揆 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 個人活動 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 通の雪だるまのデザ 共 インを作成する 参加学生の地元や中 心街でゆきだるまをつくり 写真を撮りwebで紹介 してバレンタイン一揆を 広める。 学生時代の活動と 社会とのつながり 発表資料 - 90 - 国連防災世界会議 新潟県:甲信越地方 敬和学園大学 新潟県新発田市富塚1270 敬和学園大学 ・単科大学3学科 石附風美 大野朱理 山本果奈 ・在籍学生数約600人 ・仙台まで車で4時間 ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 新潟・敬和学園大学 南三陸町を好きに なってもらおう大作戦 個人活動 サークル活動 大学間連携災害ボランティアシンポジウム(2014年12月) 平成26年度春季復興支援インターン(2015年2月) 学食にめかぶメニュー導入 (学生・教職員向け) ◎自分たちの方向性 →訪問意欲・購買意欲向上、 風化防止 活動に参加してもらおう作戦 地産の物を食べてもらう 被災地を実際に見てもらう →風化防止、リピーター 他大学の学生の参加も視野に入れる →訪問意欲、風化防止 今後やるべきこと 活動報告・南三陸町についての説明 →学生になってから活動に 参加したいと思ってもらう 団体づくり ・多方向からアプローチされやすくなるため 高校生向け ・オープンキャンパス ・拡散力・発信力向上のため ・活動継続・人材確保のため 来年度の新入生向け ・入学前スクーリング、団体説明会 ボランティア論 好きになってもらおう - 91 - 発表資料 地元住民との交流 →行ってみたいと思わせる 学生時代の活動と 社会とのつながり 学生 南三陸いいとこポスター展示 (学生・教職員・来場者) ◎ターゲットと情報発信の方法 →現地へ赴くきっかけづくり →訪問意欲向上 →風化防止 南三陸町ツアー(敬和生向け) 実際に現地で食べたい 美味しさを知ってもらう ・新潟の学生が南三陸町に興味関心をもち、好きになってほしい →美味しいと感じてもらう →身近に感じてもらう ・南三陸の魅力をもっと多くの人に知ってもらいたい 学園祭でめかぶ屋台出店 ボランティア教育 の実践と課題 行きたいと思ってもらおう作戦 これまでの活動の見直し ・ランティア Keiwa HOPE ゼミ ボ 個人活動 サークル活動 ボランティア教育 の実践と課題 学生時代の活動と 社会とのつながり メディア掲載 - 92 - 編集後記 「VOLUNTAS2011-2015 ボランティア活動報告集」をお届けします。玉稿をいた だいた方々に心より御礼申し上げます。 未曾有の大震災「東日本大震災」が発生した2011年3月11日に高校3年生であった若者 は本学に入学後、Keiwa HOPE (Keiwa for Helping Other PEople)の一員となり学内 での募金活動、被災地ボランティアと活動を続け、そして、この春大学を卒業しました。 「被災地を忘れないように」と続けてきた学内での募金活動は時間の経過とともにその存 在を薄くしていってしまいましたが、 「被災地を忘れない」という想いは未だ薄れること なく引き継がれています。 「ここ新発田で私たちができることは何か」を考え、活動して きた先輩たちの想いを大切に、被災企業と復興庁が共催する復興支援インターンに参加 し、 「東北へ行き、東北の魅力を新発田で発信する」頼もしい後輩たちの姿が芽吹いてき ています。また、学科でのさまざまな学びを活かし、地域において継続的な活動をしてい る学生の姿もあります。 誤解を恐れずに言うならば、本学の学生は「どこにでもいそうな普通」の学生たちばか りです。しかし、その「どこにでもいそうな普通」の学生たちが、学内外、県内外、国内 外においてボランティア活動を行い、多くの方々と出会い、関わっていく中で、「普通」 に暮らしていただけでは得られない経験を通し、 「生きる力」 「考える力」を蓄えていきます。 それが、日を追うごとにきらきらと輝いていくかれらの表情に現れていくのです。そし て、 「普通とは違う」学生となっていく様を見ることができます。この表情の変化を見る ことが今の私の楽しみの1つでもあります。 今回、VOLUNTASを発行するにあたり、島津印刷株式会社様に大変丁寧なお仕事を していただきました。この場をお借りしまして、厚く御礼申し上げます。 ボランティア委員 浅羽 智美 - 93 - VOLUNTAS 2011-2015 ボランティア活動報告書 編集:ボランティア委員会 発行:2015年3月31日 〒957-8585 新発田市富塚1270 敬和学園大学 ☎0254(26)3636 http://www.keiwa-c.ac.jp 印刷:島津印刷株式会社 VOLUNTAS 2011-2015 ボランティア活動報告集
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