銀杏 時が忘れた木 ピーター・クレイン ブランカ ヴァン ハッセルト イチョウの木を見たことがないという日本人はいないでしょう。 はい、東京都のシンボルマークにもなっている、扇形の葉をつ ける木です。イチョウの葉は中央で割れているものがあり蝶の 羽に似ています。(二浅裂)しかし、私たちがよく目にする木 の葉とは違っていることにお気づきでしょうか。無数の針状の 葉脈が並んでくっついて一枚の葉を形作っています。事実、イ チョウの木は他の木とは異なっているのです。 イチョウは、植物分類上裸子植物1門イチョウ網に属します。 進化論的には、裸子植物から被子植物、つまり、花を咲かせる 植物へと進化してきました。イチョウの木は、進化論的にみる と裸子植物の中でもより原始的な部類に属します。イチョウ網 はソテツ網とともに、シダ植物と針葉樹の属するマツ網の間に 位置します。私の出身地である西ヨーロッパの一部では、イチョ ウは外来種であり、まだまだとても珍しい品種の樹木です。古 くからイチョウの標本として知られ、現存している木が2本あり ますが、そのうちの一つはオランダのユトレヒトに、もう一つ はベルギーのハッセルトにあります。どちらもイチョウの木が 最初にヨーロッパに持ち込まれた18世紀からのものです。 著者ピーター・クレインはイェール大学の森林学と環境学の 教授です。イギリスの王立キューガーデンの元監修者でもあり ます。彼はこの本丸ごと1冊を「時が忘れた木、イチョウ」の記 述に捧げ、とても楽しい読み物に仕上げています。冒頭の数章 では葉、若枝、種子について述べられています。若いイチョウ の木は真っ直ぐで細く、枝は短く尖っていて水平に伸びるのが 特徴的です。若い木には先が2つに割れた葉が多いこと、また、 そのような葉は枝ではなく垂直方向に伸びる幹に多くついてい ることがわかっています。短く尖っていて水平に伸びる枝には、 扇形の葉が多くついています。イチョウの木は雌雄異株で、雄 木と雌木の区別があります。雄木は花粉を出し雌木には果実と 種子ができます。種子ができるようになるまでには約30年かか るため、それまでは木の雌雄の判別ができません。しかし、一 度種子ができると、それははっきりとわかります。白っぽいベ ルベットのような丸い果実は、鼻につく特有な匂いを放ちます。 嘔吐物のような匂いです。大人の木になると、横にも成長し、 樹冠を大きく広げていきます。生育に適した環境であれば、樹 齢数百年以上にも達します。イチョウは水分を多く必要とする ので、川岸が最高の生育環境です。 続く章では、化石の中に残る記録をたどって時代をさかのぼ ります。イチョウの子孫は3億年も前(石炭紀)のものが発見さ れています。花を咲かせる植物はたった1億5千年ほど前ですか ら、その倍も昔から存在していたというわけです。イチョウの 木が存在していた痕跡は全ての大陸で、また南北どちらの半球 でも発見されています。イチョウの祖先となる木は、頻繁な激 しい火山活動による急激な気温上昇、酸性雨、また、悪臭を放 つ大気に見舞われたペルム紀を生き延びました。その後、恐竜 が絶滅したもう一つの地質学上の危機的な年代、白亜紀をイチョ ウは生き抜きます。さらに化石資料をたどると、氷期と間氷期 を繰り返す氷河期の気候変動にあわせて北へ、あるいは南へ移 動したことがわかります。南北両極の近くで生育していた時期 もありました。暮れない夜や明けない朝の期間が数ヶ月ごとに 繰り返される環境を生き抜いたのです。そんなイチョウの木が、 いったいなぜ現代では希少種になってしまったのでしょうか。 ほぼ中国とその周辺でのみ生育する、絶滅に近い状態になって しまったのはなぜなのでしょうか。一つの仮説はこうです。イ チョウの木自体は強く、どんな苛酷な環境でも生き残れるとし ても、その種子が古代と同様にして広がることができなくなっ た、という説です。銀杏特有の匂いを好む動物が過去には存在 し、その動物が、鳥がベリー類の種子を糞によって運ぶのと同 じ要領で、イチョウの種子を運んでいたのかもしれません。そ の役割を果たしていた動物が絶滅してしまったというわけです。 種子が拡散しなければ、気候の変動に 伴って生育場所を変えていくことはで きません。 さらに次の章では、野生のイチョウ が現在も自然に生育している中国のあ る特定の地域について調査を行ってい ます。ピーター・クレインは、イチョ ウがどのようにして韓国や日本に分布 するようになったのか、その歴史もた どります。おそらくは、交易や文化交 流によって、特に仏教の伝播にともなって伝わっていったので しょう。イチョウは、しばしば寺院の近くで見られました。現 在でもそうです。そのため、「チャイニーズ・パゴダ(塔)・ ツリー」と呼ばれることもあります。イチョウの木の存在がヨー ロッパ史に現れるのは16世紀になってからで、イエズス会宣教 師や貿易商によって記された文献に登場します。シーボルト (『日本植物誌』)やケンペル(『 国奇観』)がより詳細な 記述を遺しています。ヨーロッパに持ち込まれた初期のイチョ ウで、現在も残っている標本のうちのひとつが 、 1761 王立 キューガーデンに植えられたものです。 ケンペルがヨーロッパにイチョウを紹介した際のことについ て最も興味深いのは、その名前です。イチョウの中国名は「銀 杏」です。古い中国の文献によるとその葉の形から「アヒルの 足」とも呼ばれていました。ケンペルはまた、日本人の通訳が 使っていた呼び名についても記しています。「ギンナン」と「イ チョウ」です。堀輝三、堀志保美の研究によると1617年から 1619年の間に成立した辞書『下学集』には、「イチョウ」「ギ ンキョウ」という読みが載っています。一方、1666年成立の 『訓蒙図彙』(きんもうずい)という図解事典には「ギンナン」 「ギンキョウ」という読みが載っていました。イチョウを意味 する英単語ginkgo はginkyo(ギンキョウ) のスペルミスだとい う説もあります。しかし、堀は2文字目のgの は、ケンペルが ドイツ北部の出身であることと関係しているのではないかと考 えました。その地域の方言ではjの音がしばしばgと表記されて いました。 さらに読み進めると、イチョウの利用法について述べられて います。イチョウの木はとても均質で、乾燥させると簡単には 割れません。そのため、古くから漆器としてよく利用されてき ました。そのほかの用途:強烈な匂いの果実の中には固い殻に 覆われたとてもおいしい種子が入っています。この美味な種子 については、含まれる成分のいくつかに対してアレルギー反応 を起こす人もいるのですが、様々なことが紹介されています。 今日では、イチョウの木は果樹園でも育てられています。背の 高い雄木が低めの雌木よりも上に伸びています。欧米で、イチョ ウの効能といえば、その実ではなく葉の効能のことでしょう。 イチョウの葉を じたお茶は、記憶力、注意力欠如、 怠感な どに効果があると言われています。また、イチョウは薬草とし てだけでなく、観賞用の樹木として最もよく知られています。 厳しい環境に耐えうるその適応力で、イチョウの木は街中でも 成長します。イチョウ並木は世界中の街路や公園で見ることが できます。葉が分解されるのに時間がかかるのが難点ですが。 また、果実の放つ匂いがあるので、雌木は市街地では避けられ ています。 イチョウの歴史はある意味ではサバイバルストーリーだとピー ター・クレインは言います。今、イチョウは世界中に広く分布 し、災難(火事、嵐、病気)の際にも生き残ることができるだ ろうと考えられています。しかし、そのような強運に恵まれな い希少種がどれくらいあることでしょう。人々が他の地域の人々 や環境と関わるときに宗教が大きく影響している地域が、世界 には多く存在します。キリスト教などのように、自然界に背を 向け内的世界を中心に見つめる、という宗教では、自然界に対 する考察が周辺的な位置付けになってしまうのです。 1裸子植物:花の咲かない(胚珠が子房に包まれていない)植物 で、コニファーやマツなどがそれにあたる。ほとんどが針葉樹。 I-News 105 August/September 2015 The Summer Issue 訳: 小越 二美 (Fumi Kogoe) 18
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