検疫感染症

検疫感染症
鹿児島大学名誉教授
岡本嘉六
西アフリカにおけるエボラウイルス病や韓国における中東呼吸器症候群(MERS)の
流行によって、伝染病の脅威を身近に感じるようになっている。エボラウイルス病は西ア
フリカを中心に 7 月末時点で 27,784 名の感染者が発生し、11,294 名が亡くなり、1 年以
上経過しても未だ終息に至っていない。韓国では中東からの帰国者 1 名を検疫で見過ごし、
その後も病院での対応が悪かったため、186 名の患者が発生しその内 36 名が亡くなった。
日本にも侵入するのではないだろうか?
という不安とともに、水際作戦として検疫がし
っかり機能しているのだろうかと思う方もいるだろう。その一方で、WHO は、エボラウ
イルス病や中東呼吸器症候群(MERS)を理由として、貿易や旅行の制限を行わないよう
勧告している。確かに、両ウイルスとも輸入症例によって地域的流行を引起した国は韓国
以外にはなく、短期間で封じ込めている。それは、封じ込めを可能にする検疫が実施され
ているからである。WHO 勧告は、旅券発行の停止や発生国からの入国禁止などの規制を
しないように求めているもので、不要不急の渡航自粛と渡航先での予防衛生の奨励、適格
な検疫の実施を禁じてはいない。この違いを理解するのは難しいかも知れないが、検疫と
いう行政措置が二国間紛争の原因となる場合もあり、伝染病の侵入防止対策としての検疫
が国際調和を損ねてはならないという原則を確認しておく必要がある。
検疫実施には、WHO が準拠している国際保健規則(IHR)を尊重しなければならず、
それぞれの国の検疫制度はそれに基づいている。日本では、IHR に準拠した感染症法およ
び検疫法によって、対象とする感染症の種類、検査方法、確認時に実施する措置が定めら
れており、それ以外の感染症を検疫対象としてはならないし、検査方法や確認時の措置が
法令を逸脱することは許されない。感染症法では病気の重篤性や流行の激しさを基に感染
症を一類から五類までに分けているが、検疫感染症と指定されているのはそのごく一部で
-1-
ある。
検疫感染症の一覧
感染症法に基づく
分類
一類感染症
二類感染症
感染症の種類
実施する措置
エボラウイルス病、クリミア・コンゴ
出血熱、痘そう、ペスト、マールブル
グ病、ラッサ熱、南米出血熱*1
鳥インフルエンザ(H5N1、H7N9)、
中東呼吸器症候群(MERS)
、重症急性
呼吸器症候群(SARS)
デング熱、チクングニア熱、マラリア
質問、診察・検査、隔離、停留、消毒等
※隔離・停留先は医療機関
質問、診察・検査、消毒等
(隔離・停留はできない。
)
四類感染症
新型インフルエン
質問、診察・検査、隔離、停留、消毒等
*2
ザ等感染症
※停留は宿泊施設でも可能
*1 南米出血熱とは、アルゼンチン出血熱、ブラジル出血熱、ベネズエラ出血熱、ボリビア出血熱の
総称。
*2 新型インフルエンザ等感染症とは、次に掲げる感染症をいう。
①新型インフルエンザ(新たに人から人に伝染する能力を有することとなったウイルスを病原体とする
インフルエンザであって、一般に国民が免疫を獲得していないことから、当該感染症の全国的かつ急速
なまん延により国民の生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるものをいう)
。
②再興型インフルエンザ(かつて世界的規模で流行したインフルエンザであって、その後流行すること
なく長期間が経過しているものとして厚生労働大臣が定めるものが再興したものであって、一般に現在
の国民の大部分が免疫を獲得していないことから、当該感染症の全国的かつ急速なまん延により国民の
生命及び健康に重大な影響を与えるおそれがあると認められるものをいう)
。
長年に亘って痘瘡、コレラ、ペストおよび黄熟が国際検疫病とされてきたが、人獣共
通感染症(上の表の赤字)の重要性が増したことを受けて、2005 年に国際保健規則(IHR)
が全面改訂された。日本でも、同様の理由で 1998 年に「伝染病予防法」が廃止されて「感
染症法」となり、それと同時に「検疫法の一部改正」が行われた。1989 年以降の検疫で見
つかった検疫感染症の罹患者数の推移を眺めると、かつて多かったコレラは 1990 年代に
減少し、2008 年以降見つかっていない。デング熱が急増しており、東京の代々木公園での
国内感染も問題になっている。チクングニア熱はサルと蚊の間でウイルスが循環しており、
日本にも生息するヒトスジシマカが媒介するとされている。マラリアはハマダラカが媒介
する原虫による病気で、これはヒトの血液中で増殖し、動物は関与していない。これらの
蚊が媒介する 3 種の伝染病は、温暖化に伴う蚊の生息域の変化によって、国内流行の恐れ
-2-
があると懸念されている。
検疫所において発見された検疫感染症罹患者数
出典:検疫業務年報
2015 年 3 月 27 日
検疫伝染病には人獣共通感染症が多いことは上で見たとおりだが、ヒトへの感染が報
告されている微生物の約 60%、800 種類以上が動物に由来するとされている。ヒトに最も
近縁のサルが罹る病原体は、ヒトにも感染するエボラ出血熱やマールブルグ病など重大疾
病が多いことから、2005 年 7 月に原則輸入禁止となった。試験、研究又は動物園での展示
用に限り輸入することができるが、米国、中国、インドネシア、フィリピン、ベトナム、
カンボジア等の指定施設で飼育され、輸出国政府機関の監視下で 30 日以上の係留検査を受
けて輸出国政府機関が発行する証明書を取得しなければならない。その他の動物について
も、感染予防のため、輸入禁止措置が採られているか、または検疫対象とされており、動
物とそれが媒介する感染症を次表に示す。
-3-
人獣共通感染症に関連して輸入禁止または検疫義務が課せられている動物
対象動物
感染症
感染症法
エボラ出血熱、マールブルグ病、細菌性赤痢、結
サル
核
イタチアナグマ、タヌキ、ハクビシン
重症急性呼吸器症候群(SARS)
ヒトコブラクダ
中東呼吸器症候群(MRES)
ヤワゲネズミ(マストミス)
ラッサ熱
プレーリードッグ
ペスト
狂犬病、ニパウイルス感染症、リッサウイルス感
コウモリ
染症
犬
エキノコックス症
うさぎ目
狂犬病、野兎病
ペスト、狂犬病、サル痘、腎症候性出血熱、ハン
齧歯目に属する動物
タウイルス肺症候群、野兎病及びレプトスピラ症
鳥インフルエンザ(H5N1、H7N9)、新型インフ
鳥類に属する動物
ルエンザ等感染症、ウエストナイル熱
狂犬病予防法
犬、猫、アライグマ、キツネ、スカンク
狂犬病
犬と猫は、家庭で飼育され濃厚接触する機会が多く、世界で毎年 6 万人以上が死亡し
ている狂犬病を伝播することから、厳格な規制が行われている(犬、猫を輸入するには)。
指定地域(アイスランド、オーストラリア、ニュージーランド、 フィジー諸島、ハワイ、
グアム)からの場合はマイクロチップによる個体識別などの必要事項が記載された輸出国
政府機関発行の証明書が必要だが、輸入検査において、輸入条件を満たしていることが確
認された犬又は猫は、通常、短時間で検査終了となる。それ以外の地域から輸入する場合
には、マイクロチップによる個体識別の外に、狂犬病予防注射と狂犬病の抗体価の確認、
輸出国での 180 日間の待機を行ったことなどが輸出国政府機関発行の証明書が必要となり、
到着時の輸入検査も入念に行われる。
エキノコックスには、犬を終宿主・羊を中間宿主とする単包条虫とキツネを終宿主・
齧歯類を中間宿主とする多包条虫があり、表では単包条虫を対象とする。いずれも、終宿
主の糞便中に排出された虫卵を中間宿主(ヒトを含む)が飲食物を介して摂取することに
よって感染する。中間宿主で虫卵が孵化し、幼虫が体内を迷走して嚢胞を形成するので重
-4-
要臓器が侵されると深刻化する。日本には多包条虫のみが北海道などに存在する(愛知県
における犬のエキノコックス症感染事例について(平成 26 年))。
その他の表に示されている野生動物は、輸入禁止または輸入届出制度の下にある。野
生動物に関しては、伝染病以外に、ワシントン条約によって絶滅のおそれのある野生動植
物の種の国際取引が規制されており、キツネなどは伝染病とともにそのチェックも必要で
ある(ワシントン条約の対象種(附属書)一覧表)。
これ以外にもサルモネラや大腸菌など動物から直接または飲食物を介して間接的にヒ
トが感染する病気が沢山ある。輸入畜産物については食品衛生法に基づいて検疫が実施さ
れている。
輸入食品の違反条文別の構成(平成 24 年 輸入食品監視統計)
第 6 条 次に掲げる食品又は添加物は、これを販売し、又は販売の用に供するために、採取、製造、輸
入、加工、使用、調理、貯蔵、若しくは陳列してはならない。
一 腐敗し、若しくは変敗したもの又は未熟であるもの。
二 有毒な、若しくは有害な物質が含まれ、付着し、またはその疑いがあるもの。
三 病原微生物により汚染され、またはその疑いがあり、人の健康を損なうおそれがあるもの。
四 不潔、異物の混入または添加その他の事由により、人の健康を損なうおそれがあるもの。
9 条 疾病に罹患、その疑い、異常、またはへい死した獣畜(と畜場法に規定する獣畜)の肉、骨、乳、
臓器及び血液。
第 10 条 人の健康を損なうおそれがある添加物ならびにこれを含む製剤及び食品。
第 11 条 食品・添加物の製造、加工、使用、調理若しくは保存の方法に係る基準、規格の違反。
第 18 条 容器包装またはその原材料に係る規格、それらの製造方法に係る基準の違反。
第 62 条 乳幼児が接触することにより健康を損なうおそれがあるおもちや。
-5-
生きている輸入家畜については、家畜伝染病予防法に基づいて検疫が実施されており、
人獣共通感染症のみならず、ヒトには感染しない家畜固有の感染症が含まれている。
動物の輸入検疫中に摘発された監視伝染病とその措置状況(抜粋)
区分
家畜伝染病
(25 年度)
摘発疾病名
ブルセラ病
ヨーネ病
動物種
豚
めん羊
牛
仕出地域
デンマーク
ニュージーランド
オーストラリア
転帰
殺処分(1)
、再検査後陰性(1)
殺処分(1)
殺処分(2)
牛ウイルス性下痢・
牛
オーストラリア
死亡(1)
、殺処分(17)
、回復(25)
粘膜病
豚丹毒
豚
イギリス
回復(2)
届出伝染病
(25 年度) 伝染性膿疱性皮膚炎 めん羊 ニュージーランド
回復(14)
馬パラチフス
馬
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
ヨーネ病
牛
オーストラリア
殺処分(4)
家畜伝染病
(24 年度)
ピロプラズマ病
馬
カナダ
再検査後陰性(1)
牛ウイルス性下痢・
牛
オーストラリア
死亡(1)
、殺処分(5)
、回復(22)
粘膜病
届出伝染病
サルモネラ症
牛
オーストラリア
殺処分(1)
(24 年度)
馬インフルエンザ
馬
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
※1 殺処分とは、輸入者の意向によるものも含む。
※2 再検査後陰性とは、摘発疾病を疑われたが係留を延長後再検査を行い、感染を広げるおそれがない
ことを確認し解放されたもの。
※3 回復とは、検査を行い陽性であったが係留の延長を行い係留期間中に回復し、伝染性疾病を広げる
おそれがないことを確認し解放されたもの。
※4 当該個体は、疾病摘発後他の疾病により死亡した。
平成 25 年 輸出入検疫中に摘発された監視伝染病とその措置状況
平成 24 年 輸出入検疫中に摘発された監視伝染病とその措置状況
これらの輸出入検疫については、ヒトが感染し得る感染症は WHO が準拠している国
際保健規則(IHR)、家畜の感染症は OIE が準拠している陸生動物衛生規約に従わなけれ
ばならない。それは国際貿易を介した病原体の拡散を防ぐことを最優先するとともに、経
済的紛争を招く各国独自の検疫基準を禁止し国際基準に基づくことで国際的に合意されて
いるからである(WTO/SPS 協定)。
-6-