絵画考ー 一 九四五 年の清水登之から

予てから覚悟はしていたが、、、
それ以来、
し
絵画考ー一九四五年の清水登之から 辻 耕
背景写真=清水登之生家(離れ部分)
2015 / 12 / 09 / Wed.-12 / 20 / Sun.
(12/20/Sun./9:30-13:30)
9:30-17:30 (12/11/Fri./9:30-20:00)
東京都美術館ギャラリーB
協力:中野冨美子/杉村浩哉、正木基、
中川陽介
【関連企画】
●素材8=公開制作
『戦争画STUDIES』展会場で、育夫像の模写から展開する絵画を制作します
*12月15日
(火)、17日
(木)
は会場不在のため、制作はお休みです。
●座談会
12月19日
(土)
杉村浩哉氏(栃木県立美術館 特別研究員)
×中野冨美子氏(清水登之長女)
「ちいさな物語:もう一つの戦争画から見えるものー清水登之・育夫像より」
耕
辻
もう一つの戦争画といわれる〝ちいさな物語〟を読み解く。
辻 耕「絵画考ー消す≒描くことについて」
(ビデオ、2015)
絵画考ー一九四五年の清水登之から
魂がこもってるんじゃなかしらね…
TSUJI KO of 2006-2015
未完の絵画は、観る側にそれを埋める余
地がある。画家がやろうとしたことに耳
を傾けることで、わたしたちもその時代
に足をかけることはできないか。
70年という時間を巡り、現在を測る。
制作から七十年、初公開の3点を含む4点の﹁育夫像﹂たち⋮
息子の戦死を受け、画家が描き続けたその絵は〝ナニモノ〟なのか。
SHIMIZU TOSHI of 1945
清水家墓地の写真
ニ
辻 耕『対画ー育夫像』
(油彩、2015 年)
素材7 ﹁育夫像裏面履歴﹂と﹁清水登之履歴﹂︵壁面裏︶
家族写真と日記
『
素材6
清水登之の家族写真+登之昭和20年の日
記より主に育夫像についての記述コピー。
会場入口
素材5
し
絵画2
魂が込められているんじゃないかしらね…
何
た
素材2
清水登之『育夫像』
(油彩、1945 年、公益財団法人 大川美術館蔵)
ナ
語るのか
わ
その絵
清水登之作﹁育夫像﹂映像の
模写から展開した辻作品。
『
は
を
清水登之の場合、『育夫像』を描くということはこのように一般的な画
面との関係はなかったように思います。育夫と向き合うことは彼の望みで
画家の娘が語るその絵を見たのは2003年「さまよえる戦争画」(NHK
ありながら、「戦死に追いやってしまったのではないか」という自責の念
ハイビジョンスペシャル)の番組内でした。
を自らに問い続けるとても厳しいものだったのではないでしょうか。もし
ちが同時にあったかも知れません。
素材1
かしたら思い出そうとする心と、責められることから逃れたいという気持
る古い家屋の軋みそうな階段、薄暗がりの中に浮かび上がるそれらの肖像
清水登之作の﹁育夫像﹂
⋮大川美術館所蔵の4点の絵画。
向日葵の背景にぼんやりと建つ登之の生家と、画家の娘によって導かれ
画面に立ち上がる像は決して育夫本人の存在を弱めることなく、それだ
屋の空気とそれらの絵画が抱えているようで強い印象を受けました。
け登之の中で強くあり続けたのではないか。だからこそ、絵画が完成する
清水登之作﹁育夫像﹂写真の
模写から展開した辻作品。
素材3
「自分はこんなにも強い想いで絵を描いた事がない」と同時に「ここに
絵画1
画は、あの戦争と戦争によって画家に起きた出来事をそのままに、その部
ための「描き手と画面上との自立した関係」がなく、その絵は未完成のま
は何かとても大切なものがある」と感じ、『育夫像』の映像をもとに3点
まだったのではないか…と思います。
の絵画を制作したのが始まりです。そして、その後2011年に大川美術館
わたし(第三者)と登之との決定的な違いは、育夫氏本人との関わりの
有無で、『育夫像』と向き合うことは出来ても育夫氏本人との関係はない
作したのが今回の作品になります。
ということです。しかし、だからといって清水登之と育夫氏にあった父と
絵画3
のご好意で初めて『育夫像』4点を見て、あらためてその写真をもとに制
子の関係、息子を失ったことの悲嘆や戦争画を描いたことについての思い
する絵はもとの絵に近づいているとはいえ、制作しながら感じるのは、描
を想像することは、まったく不可能なことなのでしょうか。描けば描くほ
けば描くほど『育夫像』とも登之が向き合っていた育夫の写真からも遠ざ
ど、近づけない距離を知るにしても、できるだけその距離をとらえたい。
素材8
映像をもとに描いた『育夫像』、写真から展開した『育夫像』、参考に
とで現在までの時間を照射し、画家と戦争画、絵画とはなにかを探るプロ
一憂し、画面と互いに自立した関係が持てたときに、絵が完成をするのだ
ジェクトです。
左から『突撃(1943)
』の前で(1943 年 11 月 23 日)
、
▶
◀上記『育夫像』裏面に記された
育夫氏の履歴
映像※
▶
辻 耕『再生記』のために(写真にドローイング、2006 年)
※参考図版
『ミリ油田地帯確保部隊の活躍(1942)
』の前で
扮装したモデル役・育夫と登之
▶
と思います。
︻作品配置図︼
主張を強めていきます。描き手は時にその主張によって振り回され、一喜
公開制作
視線をもたらすのか。これは1945年の清水登之に添い、距離をはかるこ
素材4
70年前、画家が向き合っていた“その絵”は、わたしたちにどのような
絵を描く過程では画面上に像が立ち上がることによって世界が生まれ、
※ 映 像 1 : 素 材﹁ 2 ﹂の育 夫 像
の制作過程を映像化したもの。
映 像 2 : 素 材﹁ 2 ﹂の 元 と なっ
た写真中、
モチーフである育夫
氏 が 時 間 と と もに 消 えてい く
映像。
かっていくのではないかということです。
渡米時代から毎日のように綴った日記より、
『昭和 20 年の日記』