5 月 22 日(土) 11:00 11:40(西校舎 519 番教室) マンテーニャの描く大理石模様と岩山 ̶「芸術家としての自然」とのパラゴーネ ̶ 聖徳大学 松下 真記 「芸術家としての自然」が石に絵を描くという逸話は古代のプリニウスなどで語られてお り、アルベルティも『絵画論』の中で引用している。いわゆる「チャンス・イメージ」とし て「『神=自然』が大理石に絵を描く」という概念は、アルベルティを代表とするようなマ ンテーニャ周辺の人文主義的文化の中では広く知られていた。 マンテーニャは生涯を通じて美しい大理石模様を執拗に描いた。その中で例えば<聖ルカ 祭壇画>(Milano, Brera)では、中央の聖ルカの書見台を支える円柱の大理石模様の中に、 画家の署名がこっそりと描き込まれている。<カメラ・デッリ・スポージ>(Mantova, Palazo Ducale)内では、壁に描いた大理石模様の中に年記が隠し込まれている。 こうした作例では「自然=神」が絵を描くというまさにその「大理石」の上に、画家の痕 跡が残されているわけであり、ここには「芸術家としての自然」に自らをなぞらえようとい う意思、もしくは「芸術家としての自然」に挑戦を仕掛けようという画家の自負が読み取れ るといえるのではないか。マンテーニャの描く大理石模様には、単に貴石の代用品であった り、あるいは彫刻とのパラゴーネであったりするという意味以上に、こうした人文主義的な 意味合いが積極的に込められていたと思われる。 <オリーブ山の祈り>(London, N.G.)では、キリストが跪く画面中央の大きな岩の上に、 マンテーニャの名がそこに彫られたかのように小さく描き込まれている。この署名は、この 絵の作者が誰であるのかを示す文字として普通に解釈できると同時に、この「岩」を創出し た作者を示す文字のようにも見える。すなわち画家が、「岩」を創出した「自然=神」に自 らをなぞらえているように見える。ここに描かれるような岩は、マンテーニャのみならずス クァルチョーネ系統の画家(一部のフェラーラ派を含む)にある程度共通して見られる一種 独特の岩山である。Wamberg によれば、まるで細胞分裂を起こしたようにいくつもの分節 を内包して多層的に重なり合っているような形を持つこの風変わりな乾いた岩山は、「産出 する自然」「自生する岩」の表現である可能性があるという。プリニウスやストラボン、ア ルベルティなどには、石が別の石を生む話、石切場では自然に石が成長して穴が埋められる 話が語られており、マンテーニャ周辺の知的文化土壌(おそらくアリストテレス主義的パド ヴァ人文主義)の中でこうした考えはよく知られていた。とするならば、この独特の岩山の 上に自らの署名を描き込んだマンテーニャは、そこに、自らと「自ら生成する自然」を重ね 合わせていたと言え、この作例は画家が自らを「芸術家としての自然」になぞらえようとし ていたことの傍証となるだろう。これらは、見る人が見れば認識し得るような一種の戯れ、 知的仕掛けとしての署名だったかも知れない。
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