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表│ 和琴弾奏例
以上、文献或いは絵巻物といった歴史資料に表れた
和琴、筆の状況を通して両者の違いについて略記した
その動きは、天平勝宝 4年に行われた東大寺大仏関
が、次に奈良時代以降の社会的動向、特に雅楽の動向
根供養で頂点にいたるものの、この後、天平 8年には
と関連づけて両者をみ ていこ う
。
雅楽寮のもと掌握されていた本邦国有の土着芸能が歌
3.和琴と撃と雅楽の動向
事が我国に伝来した時期は不明であるが、天平勝宝
8年の東大寺献物l
援にはその名が見えることから、恐
舞所の設置により独立化の傾向を示していく。また、
その後の律令体制の動揺は雅楽寮においても使用楽器
の制限、人員削減を伴い、次第に雅楽寮としての機能
らく遺構使、遺麿使による大陸との交流の中で摂取し
も有名無実化していく結果となり、それまで重要 な政
た伎楽や唐楽といった東洋楽的芸能の演奏楽器として
治手段であった雅楽も宮廷歌舞へと変貌を余儀なくさ
渡来したものと考えられる。
れ、ついには遺麿使廃止による国風文化展開の中で、
一方、 我国にはこの東洋的芸能とは別に、本邦固有
の芸能が存在するが、これらは記紀等の文献にみられ
貴族社会に湾け込んでいくこととなった。
この国家統制された雅楽が、律令体制の崩壊により
る国楢奏や楯伏舞、或いは形象埴輪中に認められる埴
次第に貴族社会の私的歌舞へと変貌していく過程は、
輪芸能などに代表される土着芸能の類である。
先に述べた、和琴と等の弾奏例に認められる差異に極
このように我国の律令体制前夜に於いては、異なる
めて正確に反映していると考えられる。
こ種の芸能が存在するわけだが、両者は律令体制の確
それは、律令体制から摂関政治体制へと政治体制が
立のなかで、雅楽というかたちで融合、整備されてい
変化、移行していく中で、それまで、国家への服属を表
-2-
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代
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表 2 絵巻物にみる弾奏例
無論、両者の楽器としての性能の違いという点も大
現していた国檎奏、楯伏舞等の土着芸能は、律令制確
きく影響していると考えられる。
立時においては、体制確立にかかる儀礼として重要な
すなわち、晋頭、両者の形態的差異にて述べたよう
意義をもっていたものの、安定、そして崩壊期を迎え、
新政治体制確立の渦中で、上記の{義礼的芸能は形骸化
に、演奏法的にみた場合、和琴は事に比べ弦数が少な
していくこととなり、その過程に於いて主な使用楽器
いため、音域や音種が劣っていること、また、実際の
であった和琴も、衰退に至ったものと考えられる。
演奏時において和琴は、主として曲の調子を整えるた
一方、準についていえば、遣唐使廃止以降、それま
め部分的な使用に用いられているのに対し、寧は曲の
で摂:取された大陸文化が租輔され、国風文化が開花し
伴奏に多く用いられていること、これら両者の楽器と
ていく中、先述した私的歌舞が成立していく状況にお
しての性能差、あるいは、使用時の奏法の違いが費族
いて使用楽器も大きく変化、且つ一般化していったこ
の私的演奏の場面に於いて、和琴は取扱いの難しい弦
とは容易に想像できることであり、ここに、和琴の衰
楽器として認識、敬遠されたことも想像に難くない。
以上、和琴と事という、似て非なる弦楽器二種の今
退と等の普及という、向者の今日的在り方の遠因を認
日的盛表状況に付いて、文献に表れた両者の弾奏場盟、
めることができるのではなかろうか。
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