霊降臨後 第10主日 礼拝説教 (2015年8月16日) 飯川雅孝 牧師 聖書 ヨハネ14章1-14節 主題 『盆の時に思う』 (説教) 昨日で「盆」も終わり、日本の世の中も明日の月曜日から新しい動きの中に入って行きます。 仏教の考えとして、祖先の霊が戻って来る時とされています。大多数の人が墓参りをし、職人や医者など 普段忙しく働いている人にとっては仕事を休むことが通例となり、 依頼する側は日頃のお世話を感謝をす る時です。また、一方では、都会にある核家族が田舎で孫の顔を見たさに首を長くしているお年寄りのと ころに出かけることを強く印象つけられる時でもあります。 私も毎年、故郷のお墓に行きます。墓の前 に立つと幼い頃から親が生きていた頃まで一緒に来たことを想い出します。 それと同時に人間の生き方に ついて考えさせられる時が与えられます。つまり、自分自身が変えられる時が与えられているということ です。その中でも、人間、挫折ほど大きなものはありません。挫折を生かすことができるか、それに負け てしまうかは大きな岐路です。それを決めてしまうものは、その時自分を支えてくれた方がいた、自分を 支えるものがあった。これに納得される方は多いと思います。人間、自分の生き方に納得した上で、最後 の死を迎える。そうありたいものであります。 本日の聖書箇所はその意味で、イエスはわたしたちを導いておられます。この箇所の前で、ユダの裏切 りやペトロがイエスを知らないということをイエスが指摘されたので、弟子たちは不安になっている。イ エスに従ってきた弟子たちは、この世で生きる職業上の糧や親族係累との関わりは経ち切って来た。頼り にするのはイエスがすべてですから、イエスへの依存は本当に大きかった。今、彼らはイエスがユダやペ トロのことで思わぬことをいったのでイエスと自分たちの間に断絶があり、不安を感じている。しかし、 実際はそんなことよりも、イエスは自分の十字架の死を前にしている。弟子たちはそのことに全く気が付 いていない。だから、自分が亡くなった時に弟子たちが安心するように伝えております。 「行ってあなた がたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。 ・・わたしのいる所 に、あなたがたもいる。 」とはそのことです。弟子たちはこれまでイエスに付いてきて霊的には訓練され ていましたが、ここではイエスの道に付いて来ることがどういうことであったかを確認させます。それは わたしたち一人一人に、自分の生き方への問いかけとイエスの愛の中に入るように促した言葉です。 「わ たしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。 」 とは自分の生き方への責任を問うている言葉です。これに対して弟子たちは、的外れな質問をします。そ れでは「あなたが父と言われる神を示して下さい。 」それに対してイエスはあきれながらもその質問に答 えられます。 「フィリポ、こんなに長い間一緒にいるのに、わたしが分かっていないのか。わたしを見た 者は、父を見たのだ。 」イエスは自分に示された神の子としてのカリスマを見なさい。そして、あなたが わたしを信じ、神の力をいただきなさい。それは神の栄光がこの世にあらわれることなのだ。これはわた したちのためにこの世で生きる責任と知恵を伝えております。 同時にやがて来るべき自分の死をどう受け 止めて行くかを意味するのであります。 ルネッサンスの始まった頃イタリア・フィレンツのダンテが書いた歴史上あまりに有 名な『神曲』があります。彼は国内の政争に人生を翻弄され、まことに数奇に富み、ま たこの世では身の置き場のない旅人でした。次にその畢竟の著作に触れてみましょう。 彼は正直に自分の罪深い生活を告白しています。冒頭に、自分が若いころ人生の道を 踏み外して暗闇から正しい道に立ち戻ろうとしていたと語っていることです。三匹の動 物:豹(肉欲の象徴);獅子(傲慢の象徴);牝の狼(食欲:金の欲の象徴)が出てき ます。三匹の野獣はとても猛々しくダンテは圧倒されて希望を失いかけます。人間を破 1 滅に陥れる誘惑はまことに強いのであります。彼は神の前に救いようのない自分の姿を 知り挫折させられたのであります。そこにダンテの師となるローマの詩人ヴェルギリウ スが現れます。ところでこのヴェルギリウスはダンテが尊敬したローマ時代の叙事詩の 作者です。この古典は、救いに先だって、ダンテが神の前にどれだけ罪深い人間かを教 えるために、神がまずダンテに地獄の惨状を見に行かせます。そこでは当時の法王とか 社会的地位や名誉ではなく、神に背くような生き方をしたものは、火の責め苦にあった り、まことに苦しむ様をダンテに見せます。次に煉獄といって悔い改めれば天国に行く 道が開かれる世界に行きます。最後に天国に行って聖人たちに会い、そこで世界を動か す至上のものが神の愛であることを知るに至るという物語です。救いの道に導かれるた めには、わたしたちは自分の醜さを妥協することなく正視することを求められます。 さて、ダンテの道案内をしたローマ初期の詩人ヴェリギリウスですが、ドイツのハイ ンリッヒ・シュリーマンという人が伝説を下にギリシャ時代トロイを発掘します。『古 代への情熱』で紹介してありますが、ある酔っ払いが大学に行けなかったのに、雑貨屋 に来て未だに夢を追いかけ高度な学問について語るのに驚きます。自分も同じ恵まれな い身であったシュリーマンはその向学心に目を覚まされ、あきらめていた勉学の道を志 す。シュリーマンを動かした伝説とはギリシャ神話にでてくるトロイ戦争です。ギリシ ャが、なかなか陥落しないトロイを機転により破る物語です。ギリシャは大きな木馬に 兵隊を入れて、トロイに侵入します。不思議な木馬にトロイ軍は虚を突かれます。そこ から出てきた大勢の兵にトロイは敗れます。王子アエネアスはカルタゴに漂着したり、 地中海を彷徨して後、イタリヤにたどり着き、ようやくローマを建国する物語です。ア エネアスは冥界に入った父に会うため、地獄に行きます。ダンテはその構想を『神曲』 で取り挙げたのでしょう。それを書いたのが詩人ヴェルギリウスです。当時ヨーロッパ では、救いのない地獄、悔い改めれば天国に行ける煉獄、そしてこの世で正しい信仰を 持った者が生ける天国があると信じられていました。彼はダンテの前に現れ、人生の半 ば、すなわち煉獄まで道案内をする物語が始まります。そして、キリスト教徒でないヴ ェルギリウスは、最後は神の国へ導くことが出来ないので、煉獄で分かれます。それは ヴェルギリウスがキリストの復活以前の人物なので天国に行けないからです。物語の後 半はベアトリーチェがダンテを天国に道案内する物語に移って行きます。 ベアトリーチェとはダンテの9歳の時と18歳の時2度会って天国にいる気高さを感 じさせた女性として象徴的に描かれております。嫁いでから24歳で早逝したとのこと です。 ダンテは晩年この『新曲』を著すに当たって、イタリア中を放浪する悲惨な旅の中で イエスに従って生きたことから、物語が醸成されて行きます。若い頃、人生の道を外し て霊的暗闇の中にあった彼にヴェルギリウスが人間ダンテに自身の心の底にある罪深さ を教え、そこから救いだし、天国にいるベアトリーチェにある神ともにある高貴な喜び の中に向かえ入れる過程を語っております。聖なる神に出会うと言うことは甘い覚悟で はできません。ある意味では徹底的に自分を叩きつぶされることでもあります。しかし、 神にあっては人を滅亡させることではない。そこにはこの世にはない祝福された喜びの 境地が約束されている。イエスはわたしたちにそのような家を用意して待っていて下さ る。そのような世界があることを信じて、神のみ前に進みたいと思います。 2 ダ ン テ 神 曲 の 図(暗い森( 地上)=>地獄(地下)=>煉獄(一旦地上に出る) =>天国) ①暗い森にいるダンテ(地上) -これからヴェルギリウスの案内で地獄・煉獄の旅 ②冥界の渡し守カロンが 死者の霊を舟に乗せてゆく(地獄に入る) ④煉獄の終わりに天国を前にダンテに呼びかけるベアトリーチェ ③地獄で肉欲に溺れた者が荒れ狂う暴風に翻弄される ⑤ダンテはヤコブの梯子を見る ⑥至高天を見つめるダンテとベアトリーチェ 3
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