401 自著「ノスタルジア鈴鹿の山」

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宮妻峡界隈
宮妻峡は四日市市水沢町地内、鎌ヶ岳と入道ヶ岳の間にある渓谷である。ここに四日市市公
営の「宮妻峡ヒュッテ」がある。管理運営は第3セクターにまかされている。
私が最初に利用したのはもう40年も前だろうか、私の住む市の登山教室で学んだ仲間で登
山愛好会を結成し、その第1回懇親山行が宮妻峡ヒュッテ宿泊、翌日に鎌ヶ岳に登るというも
の。ヒュッテに夕方集合し自炊での楽しい懇親会が始まる。すると他の団体や個人の登山者が、
カモやネギを背負い酒持参でどんどん増えてくる。部屋のあちこちで酒盛りや山の歌、山の自
慢話に花が咲きだす。時間の経つのも忘れるほどだ。聞いてみると小屋の管理人が大の酒好き。
同じ酒党の連中は家族の反対があって家では飲めない。そこで土曜日にここに集まり、気兼ね
なく気炎を上げるという。名付けて宮妻土曜会。ヒュッテは原則素泊まりだが温泉付きで非常
に安い。当時は畳の日本間で1泊 250 円、板の間なら金 70 円だった。あるとき大阪の人が1
ヶ月近くこの板の間で連泊した。山が好きということより夫婦喧嘩の逃避らしかった。最後は
奥さんが迎えに来て1件落着したが。いまも大人素泊まり 740 円で他に比べてもメッチや安い。
この土曜会の中に名古屋港区のD工業大学山岳部OBパーテイがいた。
在学中は師弟の間柄だが、卒業して何年もなると先生と学生の間は完全に山仲間となり、
いまは一緒に山行をするという。先生を「△△ちゃん」と生徒OBが呼び、まったく羨やまし
く和やかな空気が漂っていた。私たちが泊まったとき、ほぼ徹夜で飲んだ彼らだが、朝起きて
みるとシャンとして朝食をとり、7時過ぎには入道ヶ岳への新道を登っていった。
宮妻ヒユッテは車道から内部川の川原に下りた場所にある。庭先の川原は花崗岩の白砂が堆
積して美しい。だがこの土地は表面 10cm 程度の腐葉土。その下は固い花崗岩の岩盤があり、
雨水は染み込まない。腐葉土の保水力も貧弱なために、雨が降るといっきに谷の水が増る。こ
れを知らない登山者は川中の白砂にテントを張る。だが夜の雨で水が増え川の中に取り残され
孤立する。ある年、新婚夫婦がテントで寝て
いたとき、ヒュッテの客が見ている前で鉄砲水がテント
を襲い二人は流された。あとで発見された遺体は
身体中の骨がバラバラに折れていたという。
またある年、少年ボーイスカウトの団体が宮妻渓谷
でキャンプ体験していたが、急な雷雨が渓谷一帯を襲
い大洪水が発生。子供たちはヒュッテに避難したが、
道路が決壊して孤立してしまった。このため自衛隊
工作部隊が出動して道路を修復、5日も後に救出された
〔上空から宮妻峡〕
のである。
宮妻ヒュッテから最短距離で入道ヶ岳に登る道は「宮妻新道」である。
昔この道はなかったが、ふわく 185Hさん、1026Mさんらが所属していた藤内壁岩登り常連で
作る「藤内クラブ」の人々が、連日交代で手分けして新道を造成したものである。
また宮妻渓谷最奥の中谷では日本最大の煙水晶が発見されている。 水沢集落から渓谷沿い
の車道を走ると、途中の崖の下に小さな水場が作られている。 その上あたりの山が
「水晶山」と呼ばれ、あちこちに煙水晶がゴロゴロ落ちていて、ときどき鉱石マニアが拾いに
やってくる。