〇第14集( 1970年度) 白い花 二年 松本 侑子 六 月 にな ると 、白 い花を咲かせる木が、家にある。木といっても、六十センチ余 り の低 くこんも りしたもので、小指の先ほどの葉が全体をびっしり覆った地味な木だ。 それ が、梅雨 のころ、小さな白い花を、根元のあたりから枝の先まで、鈴なりに咲か せる 。その星 のような形の花は、花びらの先が、仄かに桃色を帯びていて、離れて見 ると 、花があ まりにも小さいせいか、木が薄桃色のヴェールをまとったかのようにも 見える。 ま た 丁度 同じ 頃、 さつきが一斉に、目の覚めるような美しい花を華やかに開く。 勝 ち誇ったよう に、 色と りどりの花が、ふり注 ぐ光を浴びている。 同 じ 時期 に開 く対 照的なこの二つの花を見ていると、人間にも、同じ二つの型が あ るよ うで、面 白く思う。私は、白い花が好き。プランターに植えられ、置き去りにさ れた ままなの に、鉛筆のしんほどの枝にも、花をつけるこの木を、いとおしく思う。 夕方など 、この 木の傍らに 、腰を降ろし 、ぼんやりすることがよくある 。そうして 、 | | 心に 浮かんで は消えるさまざまなことを考える。日曜日の退屈な午後 もっとも 、 それ は暇とい うのではなく、勉強は山ほど残っているのだが、片付ける気もしない。 かと いってと りたててやりたい事もない午後は、決まってそばに座り込み、とりとめ のない事を考 える 。 天 気 の良 い日 など 、そうしていると、足長蜂がやってくる。近くに巣があるのだ 。 金色の羽を光 らせ 、勢いよく飛びまわる 。刺されるのが怖くて 、慌てて逃げていたが 、 . こち らが恐れ るほど、敵は私を意識していない様子。顔をひきつらせてじっとしてい ると 、完全に 無視 する 。蜂にしてみれば 、私な ど 、美しい花も蜜もない無恰好なモノ 、 ぐら いにしか 思っていないのだろう。意のむくまま、風に吹かれるままに、飛びまわ っている。 そ ん な蜂 の姿 を目 にすると、時々どうしようもなく、羨ましくなることがある。 そ の自 由で、気 楽で、何一つ自分を束縛する物のない生活に、憧れることがある。野鳥 を見 てもそう 思う。小鳥を飼っているせいか、よく野鳥が訪れる。まいておいた餌を つい ばむ野鳥 を、物蔭から見ていると、その天真爛漫の明るさ、力強さに、いつの間 にか 気をとら れ、息をとめるようにして見つめる自分に、はっとする。籠に閉じ込め られ 、自由に はばたけない小鳥。毎日決まったように水浴びする飼鳥の、染み一つな い真 白な翼も 、この時ばかりは、心なしか醜く思われる。日々の暮らしの中で、私を とり まく全て の人、物。それらが、私を縛る煩雑なものに、時々感じられるのだ。周 囲を 気にかけ 、流されている私。飼鳥が鳥本来の生き方を失ったように、私も自分本 来の 自分が、 よくわからない。あらゆる物からとき放たれた私は、一体どんな人間な のだろう 。日常 的な 次元ではなく 、もっと根本的で本質的な自由への憧れは尽きない 。 し か し、 胸の すく ような自由への憧れ、それとは裏腹に、自由につきまとう負担 の よう なものが 、感じられてならない。全てが自分の意志のみで決定される喜び。しか . し、 それは時 に苦痛である。長期休暇を迎える前、憂鬱になるのは、私だけであろう か。 意気込ん でたてた計画も、ペースが乱れ始め、そして、言いようのない倦怠感、 .. 虚脱 感に身を 沈める日々。この作文にしても、題材自由ということが、苦痛だった。 何を 書こうか 、と考え悩む。去年も、締切寸前まで考えあぐねた末、やっと書き始め た。 時間と競 争しながら仕上げた作文は、当然のことながら、目も当てられないひど い文章。 そ れ だけ に今 年は 、題材を探そうと、さまざまなジャンルの小説、随筆、雑誌を 早 くか ら読みあ さった。しかし、十日前となっても、一向に題材は見つからず、焦り始 めた 私の目に 、一冊の月刊誌がとまった。月刊誌といっても、化粧品の宣伝を狙った 薄い 本で、そ れに毎月、各界有名人のエッセイが載る。今月号のエッセイは、本来自 分で 決めるべ き卒論のテーマを、教授に与えてもらった女子大生についてだった。そ して 「人から テーマを与えられなければ、自分のテーマを見つけられないような人間 は 、 自 分 の 人 生 を 生 き る こ と が 出 来 な い 。」 と結 ん で い た 。 作 文 の 題 材 を 探し 得 よ う と、 やっきに なって読んでいた私にとって、この時の衝撃は大きかった。どんな時で も、 自分を客 観視してしまい、心底から本気になれないことを哀しむ私も、この時は そんな余裕さ えな かっ た。 や は り、 自由 とは 、好き勝手とか、束縛からの解放のみではないと思う。自分で 考 え 、行動し 、も しそ れが失敗すれば 、自分で後始末すること 、自主的な判断 、行動 力 、 責任 感を伴う 厳しいものが、自由だと思う。私は、そんな意味での「自由」な生き方 をしていきた い。 実 は 、そ のこ とよ りも、私にとって興味深かったことがある。作文の題材を得よ う と、 多くの小 説に目を通した。しかし、やはり小説は小説だった。日々の暮らしの中 には 、小説の ような劇的な喜び悲しみは、そうあるものではない。あるのは、変わり ばえ のしない 単調な日々の繰り返しで、人それぞれ悩みや、苦しみを抱きながら、着 実に 生きるよ り他はないのである。それ故に、人はドラマチックな小説を読むのだろ うか 。それに 、どんな日常茶飯事を描いた小説であるにしろ、それと全く同じ体験を する人は、誰 一人 いな い。人それぞれ、自分 だけの日々を生きている。 一 日 中、 音も なく 降り続くつゆの雨に、例の白い花は、ほとんど散ってしまった 。 花を慈しむよ うな 枝を 離れ、色あせた花が土 の上に積み重なっている。 し か し、 孔雀 サボ テンに、初めてのつぼみがついた。わずかずつではあるけれど 、 一日一日と確 実に ふく らむつぼみを見ながら 、どんな花かしら 、と楽しみにしている 。 講評 蜂 | | | | 庭の白い花 自由への憧れ 、目でとらえたものから内省の対象への推移が 、 ごく 自然に巧 みに描かれている。少女らしいセンチメンタリズムと確かな「暮らしの 中」 の省察と が、ほどほどに融合していて、快い青春のリズムを伝える。大仰なゼス チャーを避け てし っか りと見ている澄んだ「 目」が、美しい。 ※補足 当時の本校 教諭 によ る講評です。以下の作品についても同様です。 〇第45集( 2012年度) 引 退 レー ス 三年 持田 佑樹 中 国 総体 男子 16 00メートルリレー予選。一~三走まで三位でつないできたバ ト ンを受け 、四 人中 唯一の三年生である私が走り出す 。前との差は近い 、これは行ける 。 前半 から 飛 ば す。後半 勝負は分が悪い。早めに追いついた方がいいな。一時二位ま で順位を上げ た。 二 百 メー トル を過 ぎ、背後から気配がする。ついに後続の選手に並ばれる。もう 追 いついて来や がっ たか 、誰がお前なんかに抜 かれるか、こっからが勝負だ。 お か しい 、脚 が動 かない。一気に二人の選手が抜き去っていく。こんなはずじゃ な い。 誰が予選 落ちなんてするか。でも、身体が言うことを聞かない。おい、何やって んだ俺!! 残 り 百メ ート ル。 待てよ、誰があんなキツい練習を好きこのんでやってきたと思 っ てんだ、ここ で粘 るた めだろ。あきらめんな !! 予 選 四着 。準 決勝 まであとコンマ何秒で、まさかの予選落ちを喫した。荒い呼吸 の 中で 、現実を 受け止めることができなかった。付き添いの一年生が、目に涙を溜めな がら私にドリ ンク を渡 した。あぁ、俺のせい で終わったんだな……。 「ホントも うち ょい でしたよ。皆、よく走ったじゃないですか 。」 「俺以外は な 。」 確かそんな 事を 言っ て、ふてくされながら部員たちの待つスタンドに戻った。 他 の リレ ーメ ンバ ーは、まだ戻って来ていなかった。部員たちが労いの言葉をか け てくれたが、 ただ ただ 、「ごめん」と力なく返すことしかできなかった。 し ば らく して 、あ との三人が戻ってきた。私は下を向いた。コイツらの頑張りを 私 がす べて水の 泡にしたのだ。コイツらが私を責めることはしなくても、私自身が自分 を許せない。 「先輩、こ んな の買 ってきたんすよ 。」 声 を かけ られ たの で、一応顔を上げた。売店で買ってきたらしき、先程のレース の フィ ニッシュ タイムが刻まれたキーホルダーを持って、満面の笑みで私を見ていた。 「 これ 、先 輩も 持っていてくださいよ 。ほら 、一応チームベストですよ 、ははは 。」 自分でも 、こ の瞬 間どんな気持ちになったのかよくわからない 。ただ急に涙が溢れ 、 止まらなくな った 。 私 は 物 事 を 達 成 で き な か っ た の に 、「 で も 頑 張 れ た か ら 良 か っ た 」 と 正 当化 す る の が非常に嫌い であ る 。この会場でも 、三年生と思しき奴のそんな声が聞こえてきた時 、 「 バ カ じ ゃ ね ぇ の 」 と 本 気 で 思 っ た 。「 誰 が そ ん な 綺 麗 事 言 っ て 引 退 す る かよ 。 俺 は 違うんだ 。」 そ れ だけ に、 あの 時なぜ涙が溢れたのかが自分でもわからなかった。もちろん、 た だの 悔し泣き でもない。そんなに単純な頭ではない。いつか、少し大人になったら、 あの涙の意味 がわ かる 日が来るのだろうか。 引退した日 の夜 はも っとしみじみしたものになるかと思ったが 、そうでもなかった 。 数時 間経てば 気持ちも落ち着き、また宿舎で皆がいつも通りに接してくれたのも有難 かった。 「 先 輩、 なん かT シャツとかくれないですか? 僕三レースも先輩の付き添いし た んで、すっご い疲 れた んですよ 。」 一 年 生の Iが 言っ た。確かに、レース前のウォーミングアップ中に緊張を紛らわ そ うと した私に お茶をひっかけられたりなど、意味もなく迫害されたIの寿命は十年縮 めら れてしま ったであろう。仕方がないので一番気に入っていた水色のTシャツを渡 すと 、Iは狂 喜乱舞した。最後の夜がこれか……。溜め息をつきながらも、不思議と 満足 している 自分がいた。引退に関してあんなに頑なな思いを持っていたのに、結局 気 持 ち は 晴 れ て い た 。「 俺 っ て よ く わ か ら ん 奴 だ な 」 と 思 い な が ら ペ ン を 執り 、 最 後 の陸上ノート を書 いた 。様々なことを思い出 したが、もう涙はなかった。 数 日 後、 現役 部員 へのあいさつも兼ねて部活動へ足を運んだ。短距離パートは、 口 々に 「淋しい 」とか言いながらも、彼ららしく元気に練習していて安心した。すると 先日Tシャツ をあ げた Iが不気味な笑みを浮 かべて近づいてきた。 「 あ のT シャツ 、皆 から似 合わないって言 われたんで 、ほ とんど着てないんです よ 。」 「だったら 返せ や!!」 例のごとく Iに 向か ってお茶が飛んでゆく。Iが喜んだのは言うまでもない。 卒 業 した ら、 また 奴らに会いに行こう。そして、あの時に泣き崩れてしまってき ち んと言えなか った 一言 を伝えよう。 「ありがと う」 と。 講評 毎 年 この 時期 、三 年生の部活動体験記を読ませてもらう。いずれも熱い思いがあ ふ れている 。尊 い 。この歳になってもうらやましい 。その中で今回は一風変わった( ? ) 持田 君の体験 記を選んでみた。一人称での語りによるリアルな思い。この臨場感。皆 さんにもぜひ 感じ てほ しい。 〇第47集( 2013年度) その歌やめ ろォ 三年 女子 その 鳥の 鳴 き 声に気が ついたのは、今年の五月頃だった。学校というものの例にも れず 、出雲高 校の敷地内には多くの木があって、たくさんの鳥が棲みついている。だ から 鳥のさえ ずりは、風や坂下を走る車の音と同じように、私にとってはあたりまえ のもので、こ れま で気 にとめたことはなかっ た。 と こ ろが ある 日、 私は、鳥のさえずりの中に、さえずりがメロディになってるや つ がい ることに 気がついた。だいたいその辺にいる普通の鳥のさえずりなんて、ピチュ ピチ ュとかチ ュルルルとかくらいで、音程やリズムなんてないものだ(少なくとも人 間 に は わ か ら な い )。 う ぐ い す の 「 ホ ー ホ ケ キ ョ 」 な ん か は ち ょ っ と メ ロ ディ っ ぽ く 聞こ えるが、 こいつのさえずりはそれよりもっとはっきりしたリズムと音程を持って い た 。 し か も 、 そ れ か ら 気 を つ け て 聞 い て い る と 、 こ い つ は 毎 日 毎 日 、「 同じ 音 程 」 「同 じリズム 」でさえずっているのである。これはもうれっきとした「歌」といえる だろう。 そ し てさ らに 注意 深く聞いていると、うぐいすが「けきょ、けきょっ」という自 信 なさ げな音か らだんだん「ホーホケキョ♪」と上手に鳴けるようになるように、こい つも 、日々自信 をつ け 、「 上達 」していくように思えるのだ 。まるで「 オレ上手だ ろ 。 かっこいいだ ろ~ 。」と言わんばかりに。 問題 なの は 、 こいつの メロディがちょっと、いや、かなり「変」だということであ る。こいつの 歌は で、 最後の「 どっどっどっどっ」は三回だったり四回だったりとバリエーションがあ る 。 し か し 、 音 楽 的 に は こ れ で は お か し い 。「 ど ど ど れ み 」 と き た ら 、 本 当 は 、「 そ ど~ 」でフレ ーズを完結させるか、せめて「ふぁれ」で次につなげるか、だろう。私 は 中 学 の と き 吹 奏 楽 部 だ っ た か ら 、 毎 日 毎 日 何 と い う か 、「 収 ま ら な い 」 メロ デ ィ を 聞 か さ れ る の が 、 気 持 ち 悪 く て た ま ら な い 。 こ い つ が 鳴 き 出 す 度 に 、「 そ こ変 で し ょ っ!」とつっ こみ たく てしかたなくなる。 と、こんな 話を 母に したら、案の定、大変に受けた。 「 そ な に い つ も 鳴 い て い る な ら 、 他 に も 気 が つ い て い る 人 い る ん じ ゃ な い ? 」「 新 聞 部 に ネ タ 提 供 し た ら ? 」「 ブ ラ ス に そ の メ ロ デ ィ 吹 い て も ら っ た ら 、 そ の鳥 ど う す るかなぁ。あ 、ブ ラス より合唱部がいいかな ?」 母 の 無責 任な 提案 に乗る気はさらさらないが、確かに他の人も気づいているかは 気 にな る。そこ で友だちに聞いてみると、ひとりだけ「そうそう! いるよね~、変な 鳴き声の鳥~ !」 とい う人がいた。やっぱり 他の人も気がつくよねぇ。 さ て 、し ばら くし て、私は恐ろしいできごとに出会った。断っておくが決して話 を 作っ ているわ けではない。何かというと、ある日私は、通学路の途中にあるお好み焼 き屋 さんのあ たりで「あの」メロディの鳥の鳴き声を聞いたのだ。始めは、アイツこ んな とこまで 出張してきたかや~と思った。しかし、二回目に鳴いたとき、ふと思っ た。今日学校 で聞 いた ときより、微妙に「下 手」だ。 そ の とき 、私 の脳 裏にこのあいだの東大特別金曜講座で聞いた鳥の話が浮かんだ 。 その 先生の研 究によると、鳥は自分と同じ種類の鳥の鳴き声学習するということだっ た。 時には自 分と違う種類の鳥の鳴き声を学習する個体もいるらしい。鳥の声はもち ろん恋歌。モ テる ため にいい歌学んで、オン ナノコを呼んでいるのだろう。 こ こ で考 えた 。ち ょっと待て! 今鳴いたのはアイツの歌を習ったやつか? ツは 自分の「 自信作」のあの歌を他の鳥に教えているのか? 学ん でいいの か? アイ てかみんな、あんな歌 モテねーぞおいっ。その「弟子」はすでに出雲高校の敷地を越え て広 がり始め ているのだろうか? だとしたら、もしかしたらあと二世代もしたら、 出雲 市じゅう のあの種の鳥が「どどどどどれみふぁみ~どっどっどっ」と鳴くのだろ うか? 今 は 八月 。私 が最 初にアイツの歌に気がついてから三ヶ月が経った。実をいうと 困 った ことに、 近頃では、微妙に異なりながらあのメロディっぽく鳴く鳥は、家の庭で も学校の校内 でも 、確 実に増えている気がす る。 最 初 のア イツ もま だまだ健在だ。私は受験生。暑くて眠くて、なかなか解けない 数 学に ウンウン うなっている補講の窓の外で、今日もアイツは誇らしげにあの収まらな いメロディで 鳴く 。 いいかオマ エ。 私の 受験が終わるまで、その歌やめろォ。 講評 あ ま ちゃ んの 中で 絶対音感の持ち主水口が、鈴鹿ひろ美の歌声に苦しむというの が あっ たが、× ×さんの作品にも僕らのような「凡耳」にはわからぬ世界が紹介されて いる 。ただ思 うのだが、僕が気づかないだけで結構「やつ」のような鳥はいるのでは ない か、そし てまた耳を持っていても気づかない人がいるのではないか。僕は彼女の 「感性」に敬 服し た。 ※補足 文 中 の楽 譜部 分、 本人の手書きをコピー、貼り付けしたものです。原稿用紙が縦 書 きですから「 ど ど ……」も縦書きですね 。 さ て 、文 章か らど ういう作者を想像されたかはわかりませんが、ご覧の通り、文 章 の掲 載はまぁ いいけど名前を出すのは絶対×ということで、匿名。実は相当にシャイ な人 です。ち なみに今は大学で「動物」について学んでおられます。また昭和50年 代の作文集某 号に はお 父上のお名前も……。 〇第48集( 2014年度) A na me le ss S c hin d l er 二年 長岡 日向 子 ~ 「大し たことを したわけではない。当然のことをしただけで す 。」 杉原 千畝~ 息 が 苦し い。 あと どのくらい歩けばよいのだろうか。足は既に限界を迎え、いう こ とを きかない 。顔を上げると、済んだ夜空が広がっている。どこか故郷の空に似てい た。 (二度と、 ポー ラン ドに戻ることなどできないのであろうか 。) 不 意 に祖 国を 思い 、胸が痛む。既に祖国はナチス・ドイツによって占領されてし ま った のだ。次 いで、このリトアニアにもドイツ軍は進軍しようとしている。彼等は私 たち を追って いるのだ。そして捕まったら最後、虐殺されるに違いない。私たちに残 され た時間は あと数ヶ月。もはや無きに等しい。しかし、私たちが唯一助かる方法が ある 。その数 ヶ月の間に日本領事館へ行き、日本のビザを発行してもらい、日本を経 由し て脱出す るというものだ。今となってはそれが唯一の方法である。もうそれ以外 に方法など無 いの だ。 進まぬ足を進め、私は 日本領事館を目指した。 疲 れ と空 腹で 意識 が朦朧とする中、人が大勢話している声が聞こえてきた。声の す る方 を見ると 、老若男女問わず、およそ百人程のユダヤ人らしき人がある建物の前に 集まっていた 。ど うや ら日本領事館前らしい 。私はついに到着したのだ。 (助かった …… ) 私 は 不安 を覚 えつ つも、心のどこかで期待していた。何しろ今日本が掲げている の は『 人種平等 』である。希望を持つのは自然なことであろう。領事館の窓からこぼれ る暖かな光が 、私 たち の足下を照らしていた 。 翌早朝のこ とで ある 。 「ビザの発 行に は、 避難先までの旅費と入国許可証が必要である 。」 私 た ちは 着の 身着 のまま逃げてきたのだ。そのようなことを考えている暇など、 無 いに 決まって いる。怒りに似た感情が湧き上がってくる。結局、私たちを助けてくれ る人 などいな いのだ。ゲシュタポは私たちをどこまでも追うだろうし、抵抗しても無 駄である。私 たち はよ うやく気付いた。 そ れ から とい うも の、私は領事館の前で座り込んで過ごした。もはや立ち上がる 気 力さ えない。 日増しに増えていくユダヤ難民を尻目に、私は領事館を見ていた。する と、 数人のユ ダヤ人が笑顔で門を出てきた。手にビザを持っている。私は卑屈な笑み を浮 かべ彼等 を一瞥した。あいつらは運を持った数少ない人間なのだ。人間とは不平 等に つくられ ているものだなぁと思いつつ、領事館に目を戻す。カーテンが開いてい た。 日本の領 事だろうか、私たちを見ている。夜は遅くまで灯りがついているし、一 体彼 は何をし ているのだ。もし彼がその時間を使って私たちのために働いていたのな らば 、私たち は国外へ行くことができたかもしれないのに、抑えようのない怒りが込 み上げてくる 。そ して 、数日が過ぎていった 。 あ る 朝の こと であ る。何やら騒がしく、私は目が覚めた。周囲を見渡すとユダヤ 人 達が我先にと 領事 館に 詰めかけていた。何事 かと、私は彼等に問うた。 「ビザだよ 、ビ ザが 貰えるんだ!」 彼 は そう 言っ たが 、私は信じられなかった。しかし、この光景からして嘘ではな か ろう。私も彼 等の 輪に 混ざった。 し か し、 そう 簡単 に貰えるものでもないらしい。あれから一ヶ月経ったが、私の 順 番は一向に回 って こな い 。はやく 、はやく 。焦 りばかりが襲ってくる 。するとその時 、 日本 の領事で あろう男性が出てきた。妻や子も一緒である。もしや、と私は思った。 彼等 がソ連か ら退去を命じられているとは知っていたが、こんなに早かったとは。彼 はどうやらベ ルリ ン行 きの列車に乗るらしい 。私は駅へ走った。 あと何分で 出発 する のだろう 。彼等が列車に乗り込んでからもう十分は経っている 。 それでも必死 に彼 に手 を伸ばす。もう駄目か 。 そ の 時手 に何 かが 触った。顔を上げると彼が私に名前を聞いてきた。信じられな か った 。そして 、私がビザを受け取った瞬間、発車ベルが鳴った。私は最後の一人だっ たのだ。 「ありがと う、 スギ ハラ!」 列 車 が進 み始 める と、誰かが叫んだ。彼はスギハラというのか。スギハラ、私は あ なたのように 生き てい きたい。 す る とと なり の男 性が泣き崩れた。彼の周りには妻子らしき人がいる。どうやら 彼 一人だけビザ が貰 えな かったらしい。やはり 人間とは不平等なものだ。 し か し、 それ は人 間の手によって変えられるらしい。私は腰を落とし、男性に一 枚 にの 紙切れを 差し出す。男性は私にありがとう、ありがとう、と何度も言う。私は照 れくさくなり 、こ う言 った。 「大したこ とを した わけではない。当然のことをしただけです 。」 満天の星が 、澄 んだ 空に輝いていた。 講評 「 東 洋の シン ドラ ー」と呼ばれた杉原千畝(すぎはらちうね)の「命のビザ」を モ チー フにして 書かれた作文なのですが、タイトルの意味はなんぞや?と思いつつ読ん で い く と 、「 お ぉ 」 と 驚 く ラ ス ト が 待 っ て い ま し た 。 二 度 目 は タ イ ト ル の 意味 を 深 く 噛みしめなが ら読 みま した。 〇第48集( 2014年度) 「 嫌 い」 でつ くら れる「私」 三年 三成 菜月 中 学 の通 学路 。歩 道いっぱいの女子の群れ。薄ピンクとか水色とか、色とりどり の カー ディガン に、華やかなリュックが並び、その頃なんだか流行ってた茶色い厚底の 靴 が 、 全 員 の 足 元 を 固 め て い る 。「 私 」 は 見 る な り 眉 間 に し わ を 寄 せ 、 ペ ダル を 漕 ぐ 足 を 速 め る 。 群 れ を 抜 き 去 っ た 、 そ の 瞬 間 、「 私」 を ひ や か す 言 葉 が 投 げ かけ ら れ て いた ら、その 光景はトラウマのように「私」の脳裏に焼き付いたのだろうが、幸いに もそれは聞こ えて こな かった、気がする。 「 私 」は彼女 に嫌われた 。どうして嫌わ れたのか 、 よく分からない 。だけど 、「 私 」 に向 けられた あからさまな敵意だけはよく分かった。なぜ「私」だけが嫌われるんだ ろう 、途方も なく悲しくなった。小学生の間、特に自己主張もせずにあらゆることを 引き 受け、そ の上我慢が利いた性格は、周囲からは優しい人だと勘違いされた。自ら もそ の勘違い を本当だと信じ込んでいて、誰かが私を嫌っているなんて耳にした経験 がな かった。 こんな自負は、初めて人に嫌われたという痛みを、より一層大きなもの にしたのだっ た。 彼 女 に 嫌 わ れ て い る と 確 信 し て も 、「 私 」 は す ぐ に は 彼 女 に 「 自 分 の 嫌 いな 人 」 と いう レッテル を貼ることをしなかった。彼女が「私」を嫌っているのを表に出す行為 が 目 に 映 る た び 、「 私 」 の 彼 女 に 対 す る ど ろ ど ろ し た 感 情 が 増 幅 し て い っ た。 だ が そ れ を 「 嫌 い 」 と 名 付 け る こ と を し な い で 、「 苦手 」 な の だ と 言 い 聞 か せ て いた 。 嫌 い だと すること に何か恐怖を感じていたからだと思う。一度「嫌い」と口に出してしま えば 、自分の どろどろは堰を切ったように溢れだし、充ち満ちてくるのではないか、 そう案じたの だっ た。 だ か ら と い っ て 、 ど こ か に 収 め て や ら な け れ ば 、 苦 し く て 仕 方 が な い 。「 私」 は あ る屈 折した手 法をとった。それは、彼女が好きだったもの、身につけていたもの、し て い た こ と を 、 彼 女 自 身 の 代 わ り に 、「 私 の 嫌 い 」 と 名 付 け ら れ た 箱 に し まい 込 む こ とだ った。カ ラフルなカーディガン、華美なバッグ、流行りの靴、さらにはスカート を 折 っ て 短 く す る こ と 、” と も だ ち ” と の お そ ろ い 、 も っ と 言 え ば 見 た 目 に気 を 遣 お うと いう意志 自体。それらを皆、自分の「嫌い」だとした。だからその頃の「私」は 所謂 年頃の女 の子らしくあることを拒絶した。たまたまそれらしい振る舞いをして、 内情 を知る由 もない周囲の大人にひやかされて、途端に不機嫌になった。今思うと、 それ は行き場 を失った感情が、屈折の末に行き着いた幼稚な考えに過ぎない。だけど そう いうもの を憎まずに「私」を成り立たせることは、その頃はできなかったのだ。 中 学 の通 学路 の光 景。あれは「私」の子供じみた考えを画像化したようなものだ 。 ふと 目にした ありふれた光景なのに、そこに「私」の稚拙で偏った思考の糸が絡みつ き 、「 私 」 の 心 に 根 を 下 ろ し た も の だ 。 だ け ど 今 「 私 」 は そ の 頃 の 「 私 」 を省 み る こ とが できる。 それはある時「私」の嫌いと名付けたあの箱に、彼女自身を入れてしま ったからだ。 高 校 生に なっ た。 社会の成熟度に驚愕した。みんなが大人だった。元来排他的な 思 考を 宿す、決 して関わりやすくない「私」を、共同体の一員として見なしてくれる。 そし てその温 かい干渉に触れるのが怖くて、あるところまでで協調するのをやめてし まう 「私」を 許容してくれる。束縛めいていない協調とほど良い無関心さや割り切り 加 減 、 そ れ ら が 合 わ さ っ て 調 和 へ 向 か っ て い る 空 間 は 、「 私 」 に と っ て こ の上 な い ほ どに心地よい 。そんな中にいたからだろう 、 「 私 」にとっての彼女の存在が変質す る 、 ある時期を迎 えた 。 家 族 だっ たか 、友 達だったか、自分の方へ意識が向きすぎて、誰に言ったのだか 覚 えて いないけ れど、彼女について初めて「嫌い」という言葉を使ったときだった。自 分 の 中 の 禁 忌 を 犯 し て し ま っ た 気 持 ち の 中 で 、「 私 」 が 危 惧 し 続 け て き た 感情 が あ ふ | | れ出 してくる ことはなく、驚いたことにむしろ楽になった。それは同じ世界に共 存し よう、理 解しようとしてきた彼女自身を嫌いの箱へと収納する瞬間だった。視界 が広 くなった ようだった。彼女自体を箱の中に入れてしまったので、代わりに詰め込 ん だ 色 々 な も の は 、 も う そ こ に し ま い 込 ん で お く 理 由 が な く な っ た 。「 私 」は 箱 の 中 から 一つずつ 「嫌い」だったものを取り出して、自分の目で見定めてゆく。とりあえ ず見 た目に気 を遣おうという意志は出しておこう、生活する上で最低限必要だから。 年頃 の女の子 って観念も出しておこう、もう逆上するなんてことしない。ピンクのカ ーデ ィガンだ って本当は罪はない。そうやって少しずつ、彼女だけのものだったもの が 、「私」の ものになっていく。 だが 、こ のこ とが「 私 」の「 嫌い 」が全て消え去ることを意味するのかと言った ら 、 決し てそうで はない。箱が小さくなればなるほど、より黒く濃くなって行く。輪郭は 余 計 に は っ き り し て き て 、「 私 」 は そ の 中 に 残 っ て い る 「 嫌 い 」 を 避 け な がら 、 自 分 の一 部が箱の 中のものを手にしてしまうのを怖れながら、生き方を選択して行く。 「 私 」が 嫌う もの たちは、きっと「私」を嫌うだろう。嫌われるのは嫌だ。また あ のど ろどろの 中にいないといけなくなる。だからその可能性を含むものを「私」は見 ない ようにし てしまう。もちろん良い考えだとは、まして正しい考えだなどとは、決 し て 思 わ な い 。「 私 」 は 今 も 十 分 に 幼 い の か も 知 れ な い 。 で も 、「 嫌 い 」 と 「 私 」 を 乖 離 さ せ る こ と で 、「 私 」 は 成 り 立 っ て い る 。 そ れ は 紛 れ も な い 事 実 だ 。「 私 」 の 中 の「 嫌い」の 箱は、いつも視界の中にちゃんとある。そうやって「私」は今日も生き ている。 講評 事 実 は小 説よ りも 奇なりと言うが、私は、小説は事実以上に真実を語るとも思う 。 三成 さんが創 造した「私」は、危険な操作を経てバランスを維持し、日常を生きてい る。 決して多 数派には属さないだろうが、しかし、共感する人、衝撃を受ける人は意 外に いそう。 リアルで怖い世界だ。この小説、二度の大改訂を経て完成した。受験生 相手 に無理強 いをして反省しているが、決して埋もれさせてはならないテーマだと私 を執着させた 。 〇第48集の 選外 作品 ですが カ ル チャ ーシ ョッ ク 三年 田坂 日 菜子 中 学 三年 生の 夏、 父とアメリカのニューヨークに住む親戚のもとを訪ねた。そこ で | | 私が 最も強く 感じ、驚いたこと それは、アメリカには「エコ」という概念が全く と言っていい ほど 存在 しなかったことだった 。 私 がニ ューヨー クを 訪れたのは2012年の夏。あの東日本大震災が発生した後の日 本 が迎 える、初 めての夏だった。それは同時に、福島第一原子力発電所が停止したこと によ る絶対的 な電力不足を私たちがどう乗り越えるかが試された夏でもあった。日本 全国 至る所で 「節電」の文字が掲げられ、アメリカ行きの飛行機が出る成田空港も例 外ではなかっ た。 そうして私 はア メリ カの地へ降り立った。 「寒っ 」。 それが私の アメ リカ に対する第一印象。 飛 行 機が 到着 した のはニューヨーク市内の空港だった。ニューヨークは、日本で 言 えば 東北地方 とほぼ同じ緯度に位置する上に、日本と違って湿度が低い。そのため、 八月 中旬でも 過ごしやすい気候である……はずだった。いや、少なくとも、外を歩い てい るときは 快適だった。しかし、一歩建物の中へ入ると、これでもかと言わんばか り に 冷 房 が 効 い て い る 。 日 本 人 の 私 に 言 わ せ れ ば 、「 異 常 」 な ほ ど に 。 涼 しい ど こ ろ では ない、寒 い。ニューヨーク人の、これほどまでの暑さ嫌いを想像していなかった 私は 、約一週 間の滞在期間、念のために持っていった長袖のパーカーが必需品になっ ていた。 そ れ から の毎 日、 私は日本との違いに驚いてばかりだった。まず、ゴミの分別と い う概念が存在 しな い 。つまり 、リサイクルなどあり得ないのだ 。素材が何であろうと 、 ゴミ は全て一 つの巨大なゴミ箱へ投げ捨てられていく。また、アメリカは大量消費、 大量 廃棄社会 の典型的な例である。スーパーでは一ガロンの牛乳やジュースは、ペッ トボ トルでは なく分厚いプラスチックの容器に入れられている。回収して洗って再利 用… …などさ れるわけもなく、中身を使い切ったら、その容器はゴミとして捨てられ るだ け。また 、あらゆる施設のトイレでは、洗面所の横にペーパータオルが備え付け られ ており、 人々はそれを二,三枚手にとって、使い終わるとゴミ箱へポイ。ハンカ チを持つ人な どい ない 。 これが 、世 界を 先導しているはずの先進国の実態だった 。使いすぎ 、捨てすぎ…… 、 とにかくなん でも「 やりすぎ 」だった 。その事実を目の当たりにした私は愕然とした 。 これ では日本 がどれだけ「エコ」を唱えたところで、世界は何も変わらない。日本人 が節 電に励ん でいた夏、海の向こうではそれと全く正反対の大規模な消費活動が繰り 広げ られてい たのだ。当然の事実かもしれない。けれども私はその事実をこの目で見 て、実感して 初め て、 この現実の深刻さに気 がついた。 日 本 に帰 って きて から、アメリカ人が環境保護に対してどのような意識を持って い るの か興味が わき、パソコンで調べてみた。調べていく中で分かったこと、それは、 アメ リカは国 家や州などの大きな単位での環境保護政策には力を入れているが、国民 一人 一人とい った小さな単位では、環境保護、つまりエコに対する意識はかなり低い とい うことで ある。例えば、アメリカの中でも環境保護に対する意識が高いカリフォ ルニ ア州では 、世界一厳しいと言われる基準の下、自動車の排ガス規制が行われてい る。 そんなカ リフォルニア州のロサンゼルスに、高校一年生の冬、部活動の関係で訪 れた 。そこで 目にしたカリフォルニアの人々の生活は、私がニューヨークで見たもの と大 差なかっ た。もちろん、約三億人のアメリカ国民全員がそんな生活を送っている とは限らない 。しか し 、いくら国家や州レベルで環境保護を推進していると言って も 、 大多 数の国民 の意識がここまで低ければ、エコ先進国などとは口が裂けても言えない だろう。 一般的には 、世界の中で早く発展を 遂げた国ほど 、環境保護に対する高いとされる 。 十八 世紀の産 業革命によっていち早く発展を遂げたヨーロッパ諸国が、現在、ドイツ をは じめとし てエコ先進国となっているのがよい例だ。その点、アメリカはどうだろ うか 。日本よ りも遙かに早い時代に発展したにもかかわらず、環境保護に対する意識 が高いとは言 えそ うに ない。 こ れ らの 意識 の違 いは、文化の違い、もしくは国民性の違いによるものだと言っ て しま えば、そ れまでのことだ。しかし、それを言い訳にして日々進行する環境破壊か ら目 を背ける ことは、今の私たちにはもう許されない。何もしなくても、たとえ何か 対策 を始めた としても、地球環境は日々破壊され、生物の住める場所は減少し続けて いる 。それで もなお、何か手を打つことで、環境破壊の進行を少しでも遅らせ、この 自然豊かな地 球を 、次世代によりよい状態で受け継ぐことが可能になるかもしれない 。 進 行 する 環境 破壊 に対する危機感を地球全体で共有し、行動を起こすこと。これ が 大切 なのは言 うまでもない。それでは、私たちにできることは何だろうか。私が考え るに は、日本 人の持つエコ意識を世界に広めるために、日本で当たり前に行われてい るエ コな活動 を実践し、世界のお手本となるような姿を見せることが必要だと思う。 例え ば、ゴミ の分別やリサイクル、またハンカチの利用といった小さなことも、日本 全体 で徹底す れば、自ずと世界の注目も集まり、それが世界のスタンダードとなる日 もやってくる ので はな いだろうか。 私 た ちに 残さ れた 時間は少ない。日本に生まれた私たちが世界のためにできるこ と は何か、考え 続け てい きたい。 講評に代えて 三成 さん と 同 クラスだ った生徒の作品。本人の弁に拠れば、二年次に課題研究に取 り組 んだこと で問題の設定や、調査法の選択などにスムーズに着手できたが、もう少 しデ ータなど を整理して、主張を根拠づけたかったとのこと。もちろん私も、研究論 文と すれば、 まだまだとは思うが、彼女の進路志望にも結びついたこの呼びかけは、 肉声で語られ た力 強さ を伴っている。
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