東日本大震災を忘れないために ~宮城県南三陸町を再訪して(平成 27 年7月)~ 神奈川県立秦野高校 校長 神戸秀巳 昨年長男が宮城県北部の登米市に住むことになったのをきっかけに、小田原の自宅から 車で長男のアパートに向かい、さらに隣接する南三陸町を訪ねてみました。 「校長室」記事 宮城県南三陸町はいま ~あの日を忘れない~ (平成 26 年3月) http://www.hadano-h.pen-kanagawa.ed.jp/gaiyou/koutyou/h25-koucyou006.pdf 今年7月に時間をやりくりし、東北新幹線(⇒岩手県一ノ関駅)と大船渡線を乗り継い で気仙沼駅で下車し、レンタカーを借りて南三陸町へ向かいました。以前にその南にある 石巻市や女川町などへ行ったとき、南三陸町を数回通ったことがあります。 <防災庁舎県有化>「河北新報」記事 H27.7.8 南三陸町、管理に積極関与 東日本大震災で43人が犠牲になった宮城県南三 陸町防災対策庁舎をめぐり、佐藤仁町長は7日、村 井嘉浩知事に県有化の受け入れを正式に伝えた。佐 藤町長は献花台の清掃など維持管理に積極的に関与 する方針を明らかにした。 県庁を訪れた佐藤町長は会談で「県有化後もこれ まで通り線香や献花の管理は町職員に任せてほしい」 と提案。村井知事は「意見を尊重したい」と答えた。 県と町は近く、仮に知事や町長が交代しても20 31年3月まで県有化を維持する方針や、建物の無 償譲渡など契約内容を盛り込んだ協定書を締結する。 さらに県は老朽化の程度を確認するため実施する現地調査の結果を踏まえ、鉄骨の塗装作業や鉄柵整 備などに掛かる事業費を、今秋申請する第13次復興交付金に盛り込む。 村井知事は「町民の皆さんが真剣に考え、下した苦渋の決断。震災を象徴する施設でもあり、県が責 任を持って管理することを約束する」と話した。 防 災 対 策 庁 舎 周 辺 か さ 上 げ 工 事 中 志津川高校の近く 宮 城 県 三 陸 道 工 事 災害復旧工事 南三陸町や気仙沼市では、非常に多くの場 所でかさ上げ工事等が行われており、土を運 ぶダンプカーが大変目立っており、主要道路 は渋滞が発生しています。 上の2種類の黄色い旗を前部に付けている ダンプカーが数多く走っていました。 宮城県南三陸町ホームページ より ※写真の位置を一部変更しました http://www.town.minamisanriku.miyagi.jp/index.cfm/7,6307,38,html 南三陸町にはお車で通行する際に、カーナビが役に立たない箇所が存在しますので、ご 注意ください。南三陸町には、かさ上げ等震災復興の工事のための通行止めや迂回路新設 により、実際の道路とカーナビの登録道路データが著しく異なる箇所が存在します。 【次の2枚は今年7月時点です】 ※道路のあちらこちらでダンプカーを誘導するための警備員を数多く見かけました うしなったものを取り戻すことはできない。そのことを、私の会った人たちは悲観して いなかった。だからあらたに作るのだ。やると決めたら、動き出すよりほかにない。この 先がいかに途方もなくとも。雪の積もった平地に、かなしみも喪失も未だ強く残っている。 でも、絶望はない。絶望している余裕なんて、ないのだ。ここで暮らす人たちよりも、私 のほうが勝手に絶望していたのではないか。そのことが恥ずかしく思える。 釜石に向かう道の途中、家の取り払われた空き地にぽつりと建っていた、手書きの看板 の文字が目に焼きついている。「ご支援ありがとうございます。いつか必ず恩返しいたしま す。気をつけてお帰りください」と、書いてあった。こんなところでも、見知らぬ他者を気 遣っている。 角田光代著『降り積もる光の粒』(2014 年8月初版発行) 第四章『三陸再訪 いつか明かりは灯る』(288 頁2~10行)より
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