時事フランス語 和文仏訳の約束事 第 13 回 繰り返しを避ける (3) 彌永

時事フランス語 和文仏訳の約束事
第 13 回 繰り返しを避ける (3)
彌永康夫
繰返しの問題は,考え始めるときりがない。実際,15 年近く,和文仏訳の講義を進めてきた中
で,この問題に遭遇しなかった授業のほうが珍しかったという気がしている。とはいえ,この連
載をこれだけで終わらせることはできない。次のテーマに移る前に,時事問題を扱うものにとっ
てはしばしばお目にかかる語を三つほど検討したあと,言い換えと同義語との違いについて考え
ることにしたい。
1)「歴史」
まず下の例文を見てほしい。
-「近現代史の歴史的事実について,政府見解の尊重を求める規定を明記するという。」
これはいわゆる「教科書検定」の問題について,2013 年 11 月 15 日付の『沖縄タイムス』が掲
げた社説からの引用である。ここでは,「近現代史の歴史的事実」という日本語に特徴的な繰り
返しと,いささか厳密さを欠いた単語選択に惑わされないよう注意しなければならない。繰返し
とは,言うまでもないが,「歴史」が 2 回使われていることだが,これは 2 回目の「歴史」を「時
代」とすれば避けることができる。「厳密さの欠如」とは,「事実」という語の使い方の問題で
ある。すなわち,本当に「事実」ならば「見解」の相違の対象とはなりえないはずではないか。
ここは「事実」ではなく「出来事」と書くべきところだろう。こうした問題は,日本語をただ読
むだけならばとくに気にもならないことかもしれない。しかし,原文に捉われた訳をしてみると
論理的におかしな点が表面化してくるのである。試訳としては,次の二つを挙げておこう。
Le ministère de l’éducation envisagerait d’instituer des dispositions enjoignant aux éditeurs de respecter la
position officielle du gouvernement en ce qui concerne les événements historiques survenus au cours de
l’époque moderne ou contemporaine.
L’administration compétente se proposerait d’inscrire une règle faisant explicitement obligation aux
éditeurs de respecter les analyses gouvernementales relatives aux événements de l’histoire moderne et
contemporaine.
このように,この例文に限って言えば,繰り返しの問題を解決するのはそれほど難しくはない。
しかし,つねにこううまく事が運ぶわけではない。そうしたときのために知っておくと便利な点
を述べておこう。
日本と近隣アジア諸国との間には,とくに 20 世紀の前半における不幸な関係があり,それがい
まだに清算されていないことを,「歴史の問題 problème de l’histoire」とか「過去の問題 question du
passé」と呼ぶのが一般的だろう。しかしフランスでは,こうした文脈では,「記憶の問題 problème
de mémoire」とか「記憶の義務 devoir de mémoire」という言い方がされる。フランスでこの問題が
マスコミの場で大きく取り上げられることになったのは 1990 年代に入ってからで,それも最初は
むしろ第 2 次世界大戦中の対独協力 collaboration (avec l’occupant nazi)の問題に関連した,国内問題
として登場した。ただし,それがアルジェリアの独立戦争にかかわる歴史の問題,さらにはより
一般的にフランスの植民地主義の問題にまで広がるのに時間はかからなかった。もっとも,フラ
ンス政府として過去の問題について「謝罪の意 repentance」を表明するには至っていない。それど
ころかサルコジは大統領に就任する前も,就任してからも,がんとしてそれを拒んでいた。また,
2005 年にフランスで植民地主義の歴史が国内の治安を大きく揺るがす事態が発生したとき,歴史
学者から「歴史」と「記憶」は厳密に区別されるべきである,という主張がなされた。すなわち,
きわめて図式化して言えば,「歴史」が客観的な学問の分野に属するのに対して,「記憶」は人
それぞれが過去との間に持つかかわりに関するものだというのである。「歴史」をそのようにと
らえると,日本でしばしば問題になる「歴史教科書」の問題は,「歴史」そのものよりは「記憶」
にかかわるものだと言えなくもないかもしれない。さらに付け加えておくと,フランスにはナチ
ス・ドイツによるホロコーストとか,1910 年代にトルコがアルメニアで行った大量虐殺などにつ
いて,一連の「記憶法 loi mémorielle」と呼ばれるものによって,「歴史的事実」を否定すること
は罰せられることになっている。
2)「危機」
「危機」という語の用例は最近ますます増えているようだ。そのたびに crise と繰り返すのは芸
がない。たとえば次の例文である。
-「有権者に安定感を与え続けた大きな要因が,二期目政権を襲った国際金融危機,ユーロ危機
への対応にあったことは間違いない。」(『東京新聞』)
2013 年のドイツ総選挙を扱った社説からの引用である。「国際金融危機,ユーロ危機」と「危
機」が二つ続いているが,フランス語としては同じ言葉の繰り返しを避ける努力をするのは当然
である。そのためにもっとも簡単な方法は,2 回目の crise を celle で受けることだが,そうするに
は一つ,どうしても注意しなくてはならないことがある。それは「国際金融危機」を crise financière
internationale など,crise に形容詞を付ける形で訳すと,正しいフランス語という観点から言えば,
2 回目の crise を celle とすることはできないということである。この困難を避けるためには最初の
crise に形容詞を付ける代わりに,crise+de+名詞(句)とすればよい。そうすれば続けて crise を
celle で受けて,そこでも再び+de+名詞(句)とできるのである。その例を示しておこう。
La façon dont la chancelière a géré la crise qui a frappé la finance internationale, puis celle qui a touché la
monnaie unique européenne, deux crises qui ont marqué son deuxième mandat, a joué, à n’en pas douter,
un rôle majeur dans la confiance qu’elle n’a cessé d’inspirer à ses compatriotes.
それはそれとして,この語は本来,経済にしろ政治にしろ,あるいは軍事にしろ,きわめて重
大な事態を指すものであったが,最近はいわば「意味のインフレ inflation sémantique」とでもいう
べき現象が顕著で,経済分野に関して言うと,単なる不景気とか景気停滞についてもしばしば用
いられるようになっている。同じように,経済とか金融政策に関連して日本では「出口戦略」と
いう表現がなされる状況で,フランスでは sortie de crise という言い回しが用いられる。この場合
の crise は本当に「危機」を指すというよりは,sortie de と一体になって政策の転換点を指してい
ると理解したほうが実態に即しているようである。また政治や軍事の分野でも crise が用いられる
ことが多いが,たとえば crise nucléaire iranienne というとき,本当に「危機」的な状態が問題なの
ではなく,日本では単に「イランの核問題」と言われている状況を指すこともまれではない。こ
のように,「危機」という語が出てきたとき,crise を繰り返さないために使える言い換えとして
は,affaire, conflit, dossier, problème, question などがあるだけでなく,経済・金融問題についてはさ
らに,banqueroute, chute, débâcle, déconfiture, dégringolade, dépression, effondrement, faillite, krach,
marasme, récession, stagflation などなど,状況によっていろいろな語が頭に浮かぶ。
3)「受賞」
日本語ではごく普通の言葉なのに,フランス語にはきわめて訳しにくいものは決して少なくな
い。一つの例を挙げると「受賞」がある。時事関係ではそう頻繁に登場する言葉ではないが,た
とえば日本人がノーベル賞を「受賞」したりすると,マスコミがこの語で埋まることになる。2012
年,京都大学の山中教授がノーベル医学賞の受賞者となったときもその例にもれなかった。当時,
『日本経済新聞』が掲載した社説から引用してみよう。
-「再生医療の夢膨らませるノーベル賞受賞 日本人の生理学・医学賞受賞は 1987 年の利根川進
氏以来,25 年ぶり 2 人目になる。東日本大震災や原子力発電所の事故で国内では科学技術への信
頼が揺らいでいるだけに,山中教授の受賞は日本の科学界や国民全体に勇気と元気を与えるもの
になるだろう。」
最初は社説のタイトルであり,体言止めになっているために,なおのこと訳しにくいのは事実
だが,それ以上に問題なのは,「受賞」という語そのものの訳語が見つからないことだろう。も
ちろん,「受賞する」とか「受賞者」ならば辞書に出ているが,それではこのタイトルには使え
ない。たとえば「受賞する」なら obtenir (recevoir) un prix(動詞には gagner も使えるが,ややニュ
アンスが違う),「受賞者」なら lauréat あるいは récipiendaire である。しかしこれでは「賞」そ
のものはつねに prix で済ますことになりかねない(ちなみに,「受賞」ではなくて「授賞」なら
ば décerner のほかにも accorder とか attribuer, donner, octroyer, remettre などの動詞が使える)。そ
れを避けるためには,prix の言い換えとして distinction と honneur が使えることを頭においておか
なければならない。それに加えて,代名詞を適宜用いることで,例文の扱いもかなり楽になるは
ずである。
Le prix Nobel de médecine et les promesses de la médecine régénérative Le professeur Yamanaka est le
deuxième lauréat japonais du prix Nobel de physiologie-médecine, le premier étant M. Tonegawa, qui l’a
reçu en 1987, c’est-à-dire il y a déjà 25 ans. Cette distinction devra encourager et revigorer le monde des
sciences nippon, et plus généralement, tout le peuple de l’Archipel, d’autant que la confiance en science et
technologie a été ébranlée ici par la catastrophe du 11 mars 2011 et l’accident de la centrale nucléaire de
Fukushima.
「同義語」と「言い換え」
フランス語は語彙が相対的に限られた言葉だと言われている。別の言い方をすると,完全な同
義語はそれほど多くはない。それにもかかわらず古くから数多くの同義語辞典が出版されている
が,それらの中で,一つの見出しの中に並べられている複数の語それぞれに固有のニュアンスや,
使い方,他の語との組み合わせなどを説明しているものは少ない。その意味では,Hachette の『同
義語辞典』がもっとも充実しているのかもしれないが,時とするとニュアンスの違いを強調する
あまり,重箱の隅をつつくような説明がないともいえない。逆に Le Robert の『同義語・ニュアン
ス・反対語辞典』は,個々の語に関する説明がきわめて限られているので,そこで見つけた語を
再度,仏仏辞書で調べて用法を確かめないと,誤った使い方をしかねない。最後に Antidote は,
同義語という名で単語だけでなく成句や複数語の組み合わせまで上げており,それなりに面白い
ものも多いが,やはりニュアンスや用法の説明が欠けているので,利用には注意が必要である。
日本語と比べるととくに目立つフランス語の特徴の一つが,繰り返しを嫌うということにある
のに,語彙がどちらかというと貧しいだけでなく,完全に同義語と言えるものが少ないというこ
とは,迂言法 périphrase の役割が大きくなることを意味する。もっとも,日本語では迂言法などと
いう語はまずふつうにはお目にかからないだろう。また,フランス語の辞書で périphrase を調べる
と必ず,これは figure de style であると説明されているが,この成句の日本語訳「文飾」もそれだ
けでは何のことかすぐにはわからないのではないだろうか。話を分かりやすくするために,ここ
では périphrase を「言い換え」と呼ぶことにしよう。それをごくわかりやすく説明しているのが,
カナダのケベック州政府が管理している「言語問題トラブルシューティング集 La Banque de
dépannage linguistique (http://bdl.oqlf.gouv.qc.ca/)」で,その書き出しを引用すると,La périphrase est
une locution ou une suite de mots qu’on emploie pour désigner quelque chose (ou quelqu’un) qu’on aurait
pu désigner à l'aide d'un seul mot.となっている。その「効用」として,直前に使われた語の繰り返し
を避けられることを第 1 に挙げているが,それに加えて,「périphrase は本質的にそれが指し示す
現実を描写し,
その特定の側面を際立たせるものである。こうして périphrase は現実を美化したり,
和らげたり,否定的な価値を加えたりする,コノテーションを伴うことがある Essentiellement
descriptive et mettant l'accent sur certaines caractéristiques de la réalité qu'elle désigne, cette figure de style
peut suggérer des connotations : elle peut ainsi embellir, atténuer ou déprécier cette réalité.」と説明してい
る(http://bdl.oqlf.gouv.qc.ca/bdl/gabarit_bdl.asp?t1=1&id=4100)。
フランスでは古くから,文学の分野でも,日常生活の中でも,様々な périphrase が用いられてき
たし,工夫もされてきた。その中でもマスコミの分野で頻用されるもののいくつかをすでに挙げ
たが,périphrase にはしばしば文化や歴史,一般教養などの背景知識が含意されており,それらを
知らないと理解できないものも多い。
たとえば la langue de Molière はフランス語,la langue de Shakespeare は英語を指すし,l’homme du
18 juin はド・ゴール将軍の別名である。これらのうち最初の二つは説明の要もないだろう。第 3
番目の périphrase は,1940 年 5-6 月の戦闘でフランスが敗れたことを受けて,ロンドンに逃れた
ド・ゴールが同年 6 月 18 日,イギリスの BBC 放送を通じて,「フランスは一つの戦闘を失った
が,戦争には破れていない la France a perdu une bataille, mais la France n’a pas perdu la guerre」とい
う有名な言葉(実は,ド・ゴール自身はこの発言をしなかったと言われている。ただし,1940 年
7 月に自由フランスの名でロンドン市街に張り出されたポスターにはこの言葉が載っている)と
ともに,フランス国民にナチス・ドイツに対して抵抗(レジスタンス)を続けるように呼びかけ
たという史実に基づいている。また,文学の素養を必要とする périphrase の例としては,l’auteur de
Madame Bovary はいうまでもなくフローベルだし,l’astre au front d’argent は月の言い換えである
(ラマルティーヌの詩「湖 Le lac」による)。さらに凝ったものとして,「肘掛け椅子」を les
commodités de la conversation という périphrase があるが,これはモリエールの喜劇『才女気取り Les
précieuses ridicules』が出どころである。
この最後の例は,日本でも宮中言葉とか女房言葉など,特殊な言葉遣いが存在していたことを
思い出させる。これほど持って回ったものではないにしろ,périphrase の乱用はときとして,嫌味
に響く恐れもあるので注意しなくてはならない。
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