(木) 『特別支援教育でベテラン教師に求められるリーダーシップとは』

11 月 18 日(木)
『特別支援教育でベテラン教師に求められるリーダーシップとは』
筆者の勤務校での先生方の年齢構成は、20 歳代が 45%、30 歳代が 15%、40 歳代が 10%、50 歳代が 30%
となっている(ここには教諭の他にも講師の先生方も含まれる)
。年齢構成については、ここ数年若い先生方
が増えてきている実感はあったが、20 歳代が半数近く、20 歳代と 50 歳代の先生を合わせると 4 分の 3 を占
めており、数字の上で年齢構成のいびつさが分かる。本校のような特別支援学校だけでなく、小中学校など
でも先生方の年齢構成には似た傾向が見られるのではないだろうか。
さて、このような年齢構成を考えるなら、研修のあり方も当然これまでのようなものではいかなくなるの
ではないだろうか。まず、若い先生方、とりわけ新規採用の先生方にとって、学問として学んだことと現場
での実践がうまく結びついていかないといけない。自分が学問として学んだことではあるが、一部違った面
を持つといったような「例外」は現実場面ではよくあることである。自分の知っていることから見れば「例
外」でも、現実から見ればそれが普通で、自分の方が「例外」というような場合があることも確かである。
当然、これまで学問としては学ばなかった幅広い内容も関係してくる。
「自分は知らないから」では現場では
済まない。現場では、現実への対応が重要となる。新規採用であってもプロでないといけない。研修のあり
方もこのような点を視野に入れて行なわないといけなくなるだろう。
一方、いわゆる「ベテラン」と呼ばれる先生方(
「経験が長いこと=ベテラン」という図式が必ずしも成り
立つとは限らない)は、校内での指導的な立場を果たしていく必要がある。その場合、特別支援教育として
の要点をふまえた上での校内のリーダー的な役割が求められるだろう。仮に、リーダー的な役割を果たして
いるが、特別支援教育以前の考え方(例えば、
「的確なアセスメント」よりも自分の経験だけをたよりに指導
を行なうこと、PDCA サイクルへの無理解と自分の基準での判断、自閉症と知的障害を同じようにみなすこ
と、など)を基盤に実践を行なっている場合、発達障害と呼ばれる子どもたちへの理解がないままに指導が
行なわれたり、特別支援教育としての内容の充実がないままとなってしまいかねない。専門分野での知識や
それに基づく実践が充分でない若い先生方が「そのような指導でよい」と判断してしまいかねないなら、
「教
育実践」は世間に取り残されていってしまいかねない。
特別支援教育での「専門性」イコール「専門的知識」ではない。確かに、
「専門的知識」は「専門性」に含
まれる。でも、それがすべてではない。
「専門性」には定義しがたい内容も含まれる。例えば、気持ちの余裕
や安心感、自信や信頼感、それらを豊かにしていくことなど、人間形成の基盤を捉える部分も含まれる。も
ちろん、このような部分は教育では重要な基盤ではあるが、
「専門的知識」と択一的なものではない。特別支
援教育では、これらの部分はそのまま重要な基盤であり、むしろ専門的な知識や知見が体系だって整えられ
てきたと言えるだろう。そして、どちらが欠けても特別支援教育は充分でないし、両者が充実していくこと
で特別支援教育は豊かなものとなっていく。
前者に関しては誰もがその大切さには納得するところであるが、
後者に関しては「的確な実態把握」や「PDCA サイクル」を軽視すること、特に現場での「検査アレルギー」
や検査結果利用の軽視は特別支援教育の方向性を誤らせかねないのではないだろうか。
職員の年齢構成に上に示したような特徴が見られる中で、もちろん研修のあり方は変えていくことが求め
られるだろう。その際に、
「ベテラン」と呼ばれる先生方のリーダーシップが、特別支援教育を充実させてい
く方向で発揮されることが重要となる。
「ベテラン」には「ベテラン」の役割がある。このような点に関して、
今回は私見をまとめて提示してみたい。
若い年齢層の割合が急激に増えている現状において、
「ベテラン」は第一によきパートナーであることが
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求められるだろう。そして、同時によきリーダーであることが求められる。現実には、パートナーは務めら
れても、リーダーになれるとは限らない。それなりの条件が必要となる。若い先生方に向かうべき方向性を
理念とともに理論に基づいて、具体的な取り組みを通して示せることが大切である。それでは、50 歳代をは
じめ「ベテラン」と言われる先生方が、校内でのリーダーとして特別支援教育での専門性を若い年齢層の先
生方に指導していく場合、いったいどのような内容がそれにあたるのかを考えてみたい。
ひとつは、当たり前のことであるが、障害特性の理解に基づいた指導を実践していくことである。例えば、
若い先生が子ども集団を対象に何らかのゲームの指導を行なった後に、自分の指導に関して何らかの助言や
アドバイスを「ベテラン」教師に求めたとしよう。そこに参加していた自閉症のある子どもが「にこにこし
た表情」で参加していたことをあげて、
「彼も楽しめていた」こと、そして「楽しみをみんなで共有できた」
として、
「よかったよ」と評する「ベテラン」教師もいるのではないだろうか。でも、それは本当だろうか。
自閉症のある子どもの場合、自分のつくれる表情が「にこにこ」したものであることで精いっぱいの場合も
考えられる。他の表情をつくることができないのである。また、
「受動型タイプ」の自閉症である場合には、
「イヤ」が言えずに、したくないのに「やらされた」経験をしてしまっている場合もありうる。さらに、彼
を含めて「みんなが楽しみを共有」できたとは何をもって証明できるのであろうか。その場の雰囲気をあく
まで自分の基準に基づいて、その「ベテラン」教師が判断したにすぎない。特別支援教育以前の教育ではそ
れでもよかったのかも知れない。自閉症の心理学的な特性については明確でなかったこともその一つの理由
であった。そこでは、
「みんながいっしょに」という一つの基準があったのかも知れない。ところが、特別支
援教育では自閉症の障害特性(特に、認知特性や感覚特性)をふまえた上で指導計画が作成されるべきであ
るし、ゲーム中での彼の振る舞いのようすはどうであったか、ゲーム指導での環境設定は果たして適切なも
のであったかなどを見直すことが必須である。もちろん、彼の表情がよかったことも何らかの判断の一つの
ポイントにはなりうるが、すでに書いたように判断基準のすべてではない。
「楽しさ」を感じる基準は自閉症
の場合には、我々とは違っている場合があることも確かだろう。そのようなことをはじめ、おしなべて我々
の基準を当てはめて、それで判断してしまっては、自閉症理解とはほど遠い指導がなされてしまう場合も生
じかねない。次の例は現場でよく出される質問の一つである。子どもに「ペンちょうだい」と言ったら、に
こにこしてすぐに渡してくれた。でも、その後すぐにパニックを起こした。どうして、パニックになったの
だろうか、というものである。この場合、実はその「ペン」は本人にとっては大切な物だったのだが、
「ちょ
うだい」という大人のことばと差し出された手に反応してしまい、渡してしまったというのが本当だったの
だろう。これも、自閉症の心理学的な特性を理解することで説明がつくことになる。
二つめは、子どもの振る舞いの理由や原因を客観的な視点も加えて考察できることである。どうしてこの
ような行動を彼はとったのだろうかと考えてみる場合、例えば「いやだったんだろう」とするだけでは不充
分であり、そこに「どうしていやだったんだろう」の視点が必要となる。客観的な視点がそこでは役立つこ
とが多い。子どもの行動を観察して、
「楽しそう」
、
「いやなようす」
、
「がんばっている」と我々はさまざまに
評することがよくある。そこでは我々の基準が大きく働いている場合も少なくないだろう。大切なのは、
「ど
うして」という視点である。分析的にみることで、自分の指導に対しても形成的な評価がようやく可能とな
ってくる。
三つめは、書いてまとめることである。自分の実践を、①子どもの現状(実態)
、②指導目標(設定理由な
どの仮説を含む)
、③指導内容や方法、そして④結果と考察(反省を含む)というような筋道で書いてみるこ
とである。指導案とは別に、目標設定の「仮説」を含めてこのような項目で何回か書いてみることで、自分
の実践について自分で見つめなおしてみる力が育っていく。また、このような書き方をすることで、
「PDCA
サイクル」を有効に自分の実践に利用できるようになってくるだろう。論理的に筋道立てて考える練習にも
なる。それは、
「どうして」の視点も豊かにしていくだろう。
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四つめは、子ども理解の上で、あるいは指導上で困難に行き当った時は、さまざまな専門性と連携してい
くことである。医療からの視点、心理学のより専門分野からの視点(例えば、心理検査の利用と解釈)はま
ず重要なものとなる。これらの分野では、すでに多くの科学としての知見が積み重ねられてきており、
「ベテ
ラン」教師が経験だけから意見するのとは、状況の判断においては比べものにならないほど対応の視野が広
がる。もちろん、経験は重要である。
「ベテラン」教師の経験にこれらの視点を加えて助言できることが大切
となる。
五つめは、さまざまな視点を持ち、広い視野から状況の把握と対応を考えることがあげられる。ベテラン
教師が若い年齢層の先生に教えることの中でも、最も大切なポイントであるかも知れない。さまざまな視点
を持たずに視野が狭いと、自分の基準に固執しやすくなる。その場合、視点の少なさと狭さゆえに、他の基
準を受け入れることが難しくなることが考えられる。見方が違うことで、他者や相手への自分の気持ちの持
ち方やあり方もかたくなになりやすい。そうすると、自分を守るために、他者や相手の基準に対して攻撃的
とならざるを得なかったり、そうなりがちとなるかも知れない。あるいは、以前に脳科学者の茂木健一郎さ
んが新聞に書いていたことだが、人はしっかりとした信念を持ち、芯がしっかりとしているほど、まわりに
対して柔軟に対応できるようになると言う。確固とした考えや信念を持ち、自分を失わずにおれることから
さまざまな見方に対してもそれを受け入れ、対応していくことが可能となる。つまり、さまざまな視点を持
ち、視野を広げ、そこから考えて自分の芯をしっかりと作って持っている者は、柔軟にさまざまな状況やそ
の時のさまざまな考え方に対して対応ができていくようになるのだろう。
ここに提案したことは、若い先生方を指導していく際のポイントを私見として書いたものである。もちろ
ん、若い先生方を指導する「ベテラン」教師がこれらの点について自ら実践していることが求められる。そ
うでなく、特別支援教育以前の実践からの経験だけで若い先生方のリーダーとして振る舞っているなら、そ
れらの若い先生方にとっては不幸としか言いようがないだろう。まさに、自分の実践が自分たちだけにしか
通用しない「ガラパゴス化」の状態に陥ってしまうことになるだろう。
学校の先生方の年齢比率に大きな偏りが見られてきており、さらに特別支援教育の考え方や実践が世間で
当たり前のものとなってきていることは現実である。学校でのベテラン教師はこの事態を充分に理解して若
い先生方の指導を行なっていくことが強く求められる。若い先生方だけが研修に励めばよいのではなく、現
状からは「ベテラン」教師の多くも上にあげたようなポイントについての研修に励んでいく必要があると思
われる。そして、ベテラン教師が自分たちのこれまでの、そして現在の実践をそこに加えていくことで、若
い先生方のよきリーダーとして機能していくことが必要である。若い先生方が広く教育の、そして特別支援
教育の専門家として育っていくことで、発達障害や知的障害等のある子どもたちの人生はより豊かなものと
なっていくことができるのではないだろうか。
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