No.466 高山光明寺 伝親鸞像が町文化財に指定されました

高山光明寺 伝親鸞像が町文化財に指定されました
たかやまこうみょうじ
しうんざん
こさつ
高山光明寺は、紫雲山光明寺と号する浄土真宗の古刹です。このたび、このお寺に「親鸞像」として伝わる木
像を調査したところ、町内に残る数少ない鎌倉時代の製作のものであることがわかりました。当像は、町にとっ
て特に文化的価値が高いと認められますので、町文化財として指定いたしました。
▶問合せ=生涯学習課 ☎738- 4628
平成26年3月
(2014.3)
所 有 者 高山光明寺(高山419番地)
時 代 鎌倉時代
ひじはり
ぞうこう
ざ おく
ひざはり
法 量 像高 24.7㎝、臂張 14.8㎝、膝張(最大幅)16.6㎝、坐奥 10.4㎝
とうはつ
そでうち
むねまえ
形 状 頭髪を正面で左右に振り分け、耳を覆って両肩から腰まで長く垂らす。袖内にした両手を胸前 で 屈
No.466
して坐す。
ちょうがん
さいしき
品質構造 ヒノキ材、一木造り、彫眼、もと彩色仕上げ。現状は、底面を除いた全面に墨塗り。 銘 文 (像底墨書)
しょうげん
ぼ た つ とし
「承元二戊辰歳
二月中旬作之 ぐ とくぜんしん
愚禿善信」
ぞうてい
編集/豊能町役場 総務部秘書広報課 発行/平成26年(2014)3月1日 (毎月1回1日発行)
〒563-0292 大阪府豊能郡豊能町余野414番地の1 ☎072-739-0001(代)3413(直) FAX 072-739-1980
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伝 来 像底の銘文からもわかるように、親鸞像として伝えられてきたものである。
ず
し
備 考 台座、厨子あり
説 明 ず
し
ぞうていめい
厨子内に安置される、像底銘から親鸞の像と伝えられる像である。
りょうひじ
むねまえ
髪を左右に振り分けて両肩から背中まで流し、袖の内にした両手の両臂を屈して胸前にし、坐す。左右に振り
ふくせい
分けた髪は、女性や童子に見られる。服制による判別も、現在のところ難しいが、一般的には女神像と考えら
しもぶく
れている。下膨れで面長な顔にやや厳しい眼、やや盛り上がりのある肩、奥行のある頭部と体部などから、本
像は前代の様式を残す鎌倉時代の製作と推定される。
くっそん
ちょうせい
ず
し
像底部の朽損の状態から、本像は神木などの由緒ある木から彫成されたことが考えられる。厨子は、台座板裏
しょうげん
面の銘によると、寛文元年(1661)
、京都の山路重直が製作したものである。(「承元二」年は、鎌倉時代前
ぐ とくぜんしん
期の年号で西暦では 1208 年にあたる。また、「愚禿善信」とは親鸞上人の別号である。)
厨子に安置された木像
木像正面
像底墨書
高山光明寺
高山光明寺について
しうんざん
浄土真宗西本願寺派に属し、紫雲山光明寺と号する。777 年に光仁天皇の子、開成皇子が、勝尾寺
の奥院として創設したと伝えられる。1232 年親鸞上人が当寺に逗留の際、住職であった乗意が弟子と
なり、光明寺の名を受け、真言宗から浄土真宗に帰依したとされる。現在の建物は寛保年間(1741 ~
44)のものである。
人の動き
H26.1月末日
前月比
面 積
人口
21,774
人
-49人
34.37㎢
ホームページアドレス:http://www.town.toyono.osaka.jp/
男
10,443
人
-25人
女
11,331
世帯数
人
8,735世帯
-24人
-6世帯