バーンクンメートゥンノイ小学校 支援訪問 報告 2015 年 1 月 26

バーンクンメートゥンノイ小学校
支援訪問
報告
2015 年 1 月 26-27 日
参加者
三原健三
山口馨右
望月
戸井田恵一
戸井田紗代子
今井美香子
今井
市毛みどり
アッサウィン キヨサワット
市毛雄翔
市毛翔乃
ソータニンキッティシラパノーン(トン)
合計 12 名
今回の訪問目的は新しいプロジェクトを立ち上げる為の相談と現地の人々への古着の寄付
及び子供達へ日本のカレーライスを食べさせてあげたいというものでした。
古着はチェンマイ在中の皆様方からの寄付とチェンダオやシンガポールなどからも集まり合計ダン
ボールの入れ物が 12 個にもなりました。
事前に集まった荷物のほかにも当日の食事の材料などがあり・校長先生をはじめ学校先生方の協力
で事前にオムコイに運んでもらうことが出来大変助かりました。
今回は内田洋行株式会社からの寄付が現金化しその分で花火を購入
CoCoイメージからは土地を耕したりする際に必要となる鍬やジョウロが寄付され
フレンド株式会社からはクスリなどの医薬品が寄付され
グリーンライフサポート株式会社からは 60 個のコムファイが寄付されました。
それらを車に運びいれ・・子供たちとの楽しい時間を想像しながら
当日朝 08 時集合でオムコイにむけて 片道 7 時間の道のりを出発です。
前回の往復は皆疲れていたので・ほとんどの景色を見ずに通り過ぎてきた道でしたが・・
今回はゆっくり景色を堪能しながらオムコイ市クンメートゥン村手前の町(病院にて休憩)にて山
からの迎えを待つために休憩・・です今回は軽食を用意していたので・それぞれが・のんびりと休
憩しながらその迎えを待つことが出来ました。
2 時間ほどのんびりと田舎を楽しみながら・・すでに前回苦労して上った山道の凄さを忘れている
誰もです・・今回はどういうことがおこるだろうかと・多少・・期待しておりました。
2 週間前に大雨が降りまさかの泥沼化したあの山道に・不安はありましたが・・それは乾きデコボ
コになった道は今度は恐ろしい揺れで窓に頭をぶつけながら進みます・・
幸い 2 台のトラックで迎えにきてくれたので・・外の赤土の煙をかぶらずには済みましたが・たっ
た 30kmの道のりが・恐ろしく長い時間を感じました。
もちろん前回上がれなかった坂道にはコンクリートがしかれてはいるものの・・これは雨季には
また大変だな・・と思いました。
この場所が本当に山の中にあることを知る山道なのです。
1 時間半ほどで現地到着・・途中宿舎に泊まらない子供達が徒歩で帰るなか車を見ると立ち止まり
皆ワイをしています・中を覗き込んで笑顔で・それは・・好印象を訪れた人々に与えました。
宿舎住まいの子供達がみな橋を渡り・・出向かえてくれます。
荷物を運ぶのを手伝います・と皆がよってきてくれます・・
本当に子供達のその笑顔と様子は嬉しくきてよかったと感じる瞬間で本当にここにこれなかった
方々が気の毒でなりません。
明るいうちに目的であるカレーライスを作らなければなりません・・
1 次回は皮むきをもってこよう・・
2 包丁を寄付したほうがよさそうだ・・ 心の中で次回への教訓です。
皆休まず・・材料切り・・切れない包丁で皮を向いて切るのはこれは・大変な技でした
夕刻が近づいてきているのに・・カレーをゆでることがかないません・これは全員かなり焦りがあ
りました。
山の夕暮れは深深と始まり・だんだんと体がひえてきます、昼間脱いだ防寒着を腰に巻き・・
羽織る・・そしてそれでも寒くて服を重ねてき始めます・・
山の温度というのは急激に下がるので驚き、そして水の冷たさに悲鳴を上げました、水は氷水のご
とくに冷たいのです。
いよいよもってまっくらになりました・しかし・カレーライスはまだ完成しないのです
小分けにして・・ガス台を 3 台使い・火を通してから・大なべに移すこと・・30 分ほど
何とか先が見え始め・ます。
子供達は防寒着を着て・今日のために作られたステージの前で皿を持ちお菓子をもらい待つていま
す・・おなかが空いただろうに・気の毒になりました。
20 時カレーライス完了
先生の合図ともに・皆で順番にならびます。
200 人分の予定でしたが・・翌朝も全員食べることが出来・・400 人は出来たことになります。
食べることより食べさせることが出来たことへの充実感
本当にお疲れ様でした。
参加者の皆さんのいい顔が印象的でした。
このあと歓迎会に・・また感動です。
今回は教育委員会からの調査が行われている中の訪問となり・偶然にも教育委員長と食事をともに
したりお互いを紹介しあういいチャンスでもありました。今回の訪問調査はこのバーンクンメート
ゥン学校がチェンマイ県内のランクがどのくらいにあるかを調べるために
そしてこうして訪れた人たちへの学校や生徒達の受ける姿勢を見るためのものであり・
なかなか今回は工夫され志向を凝らした歓迎会でありました。
子供達がカレン族の衣装に着替えて伝統舞踏を披露してくれたり・・驚いたのはバンブーダンスで
す・本来数名でやるものを 10 名ほどで行うという難しい技を披露してくれました。
深深と夜は更けいすやテーブルが寒さで濡れ始めています・・昼間の温度と 20 度以上の温度差で
す。このあと無事花火を打ち上げ・全員で協力しながらコムファイをあげて・感動の時間をすごす
ことが出来ました。
朝から晩までの興奮しっぱなしの老体には疲れが隠せず・・皆バラバラにとこにつくのですが・・
今回寝袋を持ち込む提案は大正解で・・寝袋を頭まで被りなんとか寒さを凌ぎました。
翌朝・・頭の上で人の声が始まること朝 04 時・・
まだ薄暗い中を子供達が先生を起こして・朝食べるために用意した・パンを焼くために準備してお
りました・なんとも・子供達は焼きたてのパンにバターを塗りジャムを付けて食べたことがないん
だそうです・それは食べられるという期待と感動で・興奮して眠れなかった様子です・・
昨晩のカレーとご飯ともに・朝は焼きたてパンとオバスチンの暖かいココアとスイカが振るまわれ
ました・・170 名の生徒にこれを食べさせるということの大変を思い知ります・・この山奥で・材
料も難しいだろうなかで・頑張る先生方に拍手です。
食事の前にには必ず仏様に手を合わせ今日の食事は誰のお陰でそれが食べれます、そしてその内容
をキチンと言葉に出して・お祈りしておりました。食べられることに感謝します・その言葉を聴い
たとき・・仏の教えもクリスチャンの教えも表現は違うけれども・同じことを説いているはないか
と・・宗教のいい部分を垣間見た気がしました。
住民が集まりだしました・先生方が住民に焼きたてのパンを配ります・・住民の方々にとっても
焼きたてのパンは生まれて初めて・・そういわれたら・・大変でも注文して運んできたかいもある
ものです・・良いかをして食べておりました。
子供たちの両親もこの学校の卒業生・普通なら中学高校と勉強が出来るはずなんでしょうが・・こ
のオムコイの貧困の具合からしたら・小学校を卒業するものやっとです・その後は両親の手伝いを
して自分の兄弟の世話をしながらの勉強・・早いこになれば・・13 歳 14 歳で結婚して 15 歳には子
供を生んで家庭を築いておりました・・・未だその環境は改善できるものではなく・難しい状況で
あることがよくわかります。
食事のあとは寄付の品物の贈与です。
住民の方々に送るべく用意した 12 箱分の古着・・
そして今回は内田洋行株式会社からの寄付が現金化しその分で花火を購入
CoCoイメージからは土地を耕したりする際に必要となる鍬やジョウロが寄付され
フレンド株式会社からはクスリなどの医薬品が寄付され
グリーンライフサポート株式会社からは 60 個のコムファイが寄付されました。
古着は女性から・・そして男性・そして最後は子供達にもチャンスがありまして・・・
ありがたいことに持ち込んで全ての古着が住民達の手元に届けられ・方の荷が下りたとともに・
このためにたくさんの方々からの協力に感謝いたしました。
住民達の帰り際には・持ちきれないほどの古着をもち・嬉しそうな顔が印象的でした。
このあと・住民の家を数件見学させてもらいました。
一番貧困の酷い老夫婦家では・昨晩の夕食は米に塩を掛けただけのもの・・
これには皆驚きました
見るかぎり 80 歳近いだろう老夫婦でしたが・年齢を聞けば・・今回の参加者の年代と同じ・・66
歳と・・その違いに山での生活の過酷さを感じます。
現地で収穫された米は 1 年間で家族が食べる分は精米しないで家におかれ・・それ以外は自然の中
からの薬草などが主流の食生活で・・ベジタリアンではないけれども、動物淡白はほとんど口にす
る機会がないということ、そして米を売るなどして得たお金のほとんどは病気になった際のクスリ
を買う費用に当てられているということでした。
校長先生を初めき教師達で協力し合い・・寄付を募り
・・成績優秀な子供ではなく・
性格のよい協力的で暖かい子供を 1 年に一度選び・その家に 5 万Bで家を建ててあげるというプロ
ジェクトの家も見せてもらいました。
親孝行ができるうえ・・生きていくために一番大事なことを競いあうことで・いい人材を育てそれ
らのすべての生徒達にも平等に与えられるということの素晴らしさを体験でき。これで終わりじゃ
ないということを教えるものであることに感銘しました。
当初の予定ではここで帰らないと遅くなるだろうということでしたが・・
新しい校庭を見学したり、改めて学校の歴史やここに立てられた理由などの説明を受けました。
2015 年 1 月 26-27 日現在の生徒数
宿舎生活の生徒数 116 名
公務員として勤務教師 8 名
生活指導員
寮母
2名
176 名
バーンクンメートゥンノイ村はまだこの場所から先9kmほどの場所にあります。
しかし 35 年ほど前にこの村から学校を建てて欲しいと要請があったころ・まだここには道はあり
ませんでした・現在のこの場所に行き着いたときには体力が限界で・・厚生省教育委員会はこの場
所への建設を許可したのです、丁度この場所周辺には 12 の村落が分散しており・その中心地でも
あったからでした。
現在の校長先生が赴任してきたばかりのころには・敷地内には竹で出来た小屋やバラック建て小屋
があるだけで、ここで教育を行うというレベルではない状態だったそうです。
それを校長先生は村や町そして県へあるいて・改善を申請し・・寄付を仰ぎ・・たくさんのその様
子を撮影して・・HPを作成することで人々にその存在をうったえました。
最近ではフェイスブックなどに毎日載せることでたくさんの人がタイで一番僻地にある学校として
知られるようになったわけです。
一番苦労しているのは、国の予算内では補いきれない生活費用です、頭の上から脚の先まで・必要
である生活物資(女の子用では整理用ナプキンまで)が不足しています。
それを集めるそれを購入するのも大変なことなのだそうです。
そして子供達が病気になったさいの対応です・・今回のように寄贈された医薬品関係は生徒はもち
ろん周辺の住民にも適用しなければなりません。日本には保健室がありますが・ここにはそれはあ
りませんそのため教師達がそれを代行して対応しているのです。
生きるための全てのものが不足しています。
今回の目的でもあるこの学校に何を寄贈するか・という話し合いでは、校長先生は子供達にたくさ
んの本を読むチャンスを与えてあげたい・そのために図書館を寄贈して欲しいというものでした。
これには参加者一同が・賛否0にして・賛同・・
あたらなプロジェクトが決まりました
・・それは・・
山の子供達へ”自分の夢を実現する”
教育支援
“図書館寄贈”です。