五十嵐レポート - MU投資顧問株式会社

五十嵐レポート
平成 27 年 5 月 1 日
2年経過した量的・質的金融緩和政策
目標に届かない物価上昇率
「異次元の金融緩和政策」とも称される現在の量的・質的金融緩和がスタートして 2 年
が経過した。2012 年 4 月 4 日の金融政策決定会合後の記者会見の席で、黒田日銀総裁が「2
年、2%、2 倍、2 倍以上」と 2 の数字を 4 つ並べたフリップで、新しい政策を説明した光
景が思い出される。言うまでもなくこれは、2 年後をめどに、前年比 2%の消費者物価上昇
率を実現させる。そのためにマネタリーベースを 2 倍に増やし、日銀が保有する長期国債
の平均残存期間を 2 倍以上に伸ばす、ということを意味している。
現在、4 つのうち 3 つは実現していると言っていいだろう。2 年が経過し、マネタリーベ
ースは 2 倍になり、保有国債の残存期間は 2 倍以上になったと思われる。しかし肝心の物
価上昇目標が全く実現していない。それはなぜだろうか。大きく 2 つの原因があると思う。
1 つは、2 年前には全く想定していなかった環境変化が起こったことだ。もう 1 つは、目標
達成のための手段が間違っていた、もっと言えば、そもそも目標の設定を間違えていたと
いうことだと思う。
お金を増やせば物価は上がる?
想定外の環境変化とは原油価格の大幅な下落だ。一次エネルギーの大半を輸入に依存し
ているわが国にとって、原油の輸入価格の下落は大きな意味を持つ。直接、間接に利用さ
れる量が多いだけに、国内物価を下落させるとともに国内の実質所得を増加させるからだ。
実際、消費者物価の上昇率はどんどん小さくなってきた。数字で見ると、昨年 4~6 月期に
は前年同期比上昇率は 3.4%(生鮮食品を除く総合)だったが、今年2月には同 2.0%、3
月には同 2.2%にまで縮小している。
このうち消費税率引き上げの影響がそれぞれ 2%程度あるから、その影響がなくなる 4 月
になれば上昇率はゼロか若干マイナスに落ち込むと見込まれる。原油価格の下落は、ガソ
リンや灯油の価格の下落といった直接的な効果で消費者物価を 0.2~0.3%程度押し下げて
いるし、それ以外にも様々なルートで影響を及ぼしているのは間違いない。しかしそれら
の点を考慮したとしても、(消費税引き上げの影響がなくなる)2 年後に 2%上昇という日
銀の物価上昇目標は全く達成されそうにないことになる。
そこで重要になるのが、手段が間違っていたというもう 1 つの原因だ。日銀が効かない
手段を講じている可能性である。手段はマネタリーベースを増やすことだが、そもそも、
それが物価を上昇させる(と想定されている)メカニズムとはどんなものだろうか。
一番元にある考え方は、物価とお金の価値は反比例するというものだ。お金とモノを交
換する場合、お金の価値が低下すれば、同じモノと交換するためにはより多くのお金が必
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要になる。これはそのモノの価格が上昇することを意味するから、お金の価値が下がれば
物価が上がることが理解できる。そこで、お金を「有難味が薄れる」まで供給を増やせば
価値が下がり、物価が上昇するのだ。マネタリーベースというお金の供給を増やせば物価
を上げられるという考え方がここから出てくる。
マネタリーベースを増やすという政策
では、マネタリーベースとは何だろうか。その定義は、市中に流通している日銀券と、
銀行が日銀に預けている当座預金との合計だ。世間ではよく、日銀がマネタリーベースを
増やす行為を「日銀が輪転機を回す」とか「日銀がお金を刷る」と言うが、厳密には間違
いだ。どちらの表現も現金(日銀券)を増やす行為を意味しているのだろうが、日銀がい
くら紙幣を印刷しても市中の日銀券が増えるわけではない。市中の日銀券の量を決めるの
は、あくまでわれわれ(家計や企業)であって日銀ではない。われわれが預金口座から現
金を引き出すから市中に日銀券が出てくるのだ。日銀は受け身で輪転機を回すに過ぎない。
したがって、日銀がマネタリーベースを増やすのであれば、増やすものは銀行が日銀に
預けている当座預金(以下、日銀当預という)の方だ。その残高を 2 年間で 2 倍にしよう
というわけだが、具体的には銀行から主として国債を購入して代金を日銀当預口座に振り
込むという方法を取っている。
日銀当預残高の増加は何を意味するのだろうか。日経新聞等ですら「日銀が、どんどん
お金を刷って、世の中を回るお金を増やす」といった書き方をしているのだが、日銀券が
倍増するわけでないことはすでに指摘したとおりだ。だから増えるとされる「世の中を回
るお金」とは日銀当預を指すことになる。
「世の中を回る」とは、それが使われて持ち主が替わることを意味する。確かに銀行が
貸出を実行し、借り手がそれを支払いに充てれば、その銀行の日銀当預が引き出されて、
支払いの相手方の取引銀行の日銀当預に替わる。その意味ではお金が「世の中を回る」の
だが、日銀が日銀当預を増やしても「世の中を回る」お金の量が増えるとは限らない。日
銀が増やすと決める前から、十分すぎる日銀当預がすでに存在していたからだ。日銀当預
と「世の中を回る」お金は別物だ。日銀当預は例えば貸出というルートを通じてわれわれ
の預金を増やし、これが使われることでお金が「世の中を回る」ことになる。
「世の中を回
る」お金が増えれば、有難味が薄れてお金の価値が下がる(=物価が上がる)ことになる
だろう。しかし、すでに有り余っていた日銀当預をさらに増やしてみたところで、
「世の中
を回る」お金が増える可能性は極めて低いと考えられる。
「期待」を重視する日銀
もっとも日銀は、こうした事情を当然理解しているから、マネタリーベースの増加→「世
の中を回る」お金の増加→物価上昇というルートで政策目標が達成されるとは想定してい
ない。日銀の論理は、
「需給ギャップの改善と予想物価上昇率の上昇」によって物価上昇を
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実現させるというものだ。具体的には、大胆な金融緩和(=マネタリーベースの大幅な増
加)が物価上昇予想を高め、それが需要の増加を通じて需給ギャップを改善させ、実際に
物価を上昇させるという理屈だ。このメカニズムはうまく機能するだろうか。
日銀は、企業や家計の物価上昇予想が高まると設備投資や消費などの需要が増加すると
考えている。たとえば今後 1 年間に物価が 2%上昇し、自社の売上げも見合って 2%程度増
加すると予想している企業にとっては、1%の借入れ金利は実質的には-1%に相当するか
ら借入れが促進される。企業が借入れを増やしてそれを支出すれば、経済全体では需給ギ
ャップが改善して物価上昇につながる、という理屈なのだ。同様に、今後物価が上昇する
と予想する家計は消費を先送りするようなことはしないから、物価上昇予想が高まれば消
費も増え、この面からも需給ギャップが改善して物価が上昇する、というわけだ。このよ
うに、
「予想物価上昇率の上昇→需給ギャップの改善→物価上昇の実現」という流れが想定
されているのだ。
しかし考えてみると、企業が設備投資を検討する際に、借入れ金利の水準は判断材料の 1
つではあるだろうが、主たる材料だとは言い難い。消費にしても、消費税率の引き上げで
物価が一気に上昇するような場合には駆け込み的に消費が増加することはあるが、物価が
緩やかに、連続的に上昇するような局面で消費が刺激されるとは考えにくいと思われる。
結局、需給ギャップが改善(=縮小)すれば物価上昇につながるだろうが、物価上昇予
想の高まりが需給ギャップの改善につながるとは言えないのではないだろうか。また、そ
もそもマネタリーベースの増加が物価上昇予想を高めるのかという疑問もある。
この点については、①皆が「マネタリーベースの増加→物価上昇」というメカニズムを
理解している、②皆がそのメカニズムが現実に機能すると信じている、という 2 つの条件
が満たされる必要があるだろう。
しかしすでに検討したように、マネタリーベースを増やせば物価上昇が実現するという
メカニズムは働きそうにない。効果がない手段を講じても望む結果は得られないのだ。①
と②の条件がまったく満たされないとは言わないが、空前のハイペースでマネタリーベー
スを増加させても物価が上昇してこないという状況が続けば、物価上昇予想が高まること
は期待できないのではないだろうか。
大きく動いた株価と為替レート
もっとも、量的・質的金融緩和は株式相場や為替相場に大きな変化をもたらした。次頁
の図は、2011 年以降の日経平均株価とドル円レートの日々の終値をプロットしたものだ。
非常に興味深いことに、野田首相(当時)が国会で衆議院を解散する意向を表明した 12 年
11 月 14 日を境に相場が様変わりの動きをしている。
それは次のように説明することができる。解散・総選挙となれば、おそらく今度は自民
党政権が誕生する。そうなれば安倍自民党総裁が次の首相に選ばれるだろう。ということ
は、安倍さんの「デフレと行き過ぎた円高を是正するために大胆な金融緩和をすべきだ」
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という主張が政策として実現する可能性が高い。大胆な金融緩和(量的緩和)は教科書的
には大幅な円安とデフレ克服につながる。その両方が実現すれば大幅な株価上昇も期待で
きる。こうして市場に円安と株高の期待が生じたのだ。
(円)
21000
株価とドル円相場の推移
(円/ドル)
135
20000
130
19000
125
18000
120
17000
115
16000
110
15000
14000
105
ドル円レート
(右目盛)
100
13000
95
12000
90
11000
85
10000
80
9000
75
日経平均(左目盛)
8000
11
12
(出所)日本経済新聞、日本銀行
13
14
70
15
(年、日次)
投資家がそうした期待を持っているなら、それが実現するのを待ったりはしないだろう。
円が安くなる前に円を売っておき、株価が高くなる前に株を買っておけば儲けが期待でき
る。多くの投資家がそうした行動を取ったことが、実際に相場を動かしたのだ。
ここで注目すべきことは、相場が大きく動き出したのは実際に大胆な量的金融緩和政策
が取られるずっと前だったという事実だ。また、日銀の黒田新総裁が「異次元の」量的・
質的金融緩和を始めたのは 13 年度の初めからだが、その頃には相場の大幅な上昇(株高、
ドル高)はすでに終息気味だったという事実だ。
大胆な金融緩和政策が、経済の本来のメカニズムとして円安や株高をもたらすのであれ
ば、13 年度以降も(大幅な)相場の上昇が続いたはずだ。しかし現実に起こったことは、
そうした政策が実行される前に相場が大きく上昇し、政策が発動されてからは相場の上昇
トレンドは失われるということだった。これは、金融緩和政策が効いていないことを意味
していると言えるのではないだろうか。
換言すると、市場の投機家たちが、「大幅な金融緩和政策」を相場変動の格好の材料とし
て利用したのだ。しかもその政策が円安や株高をもたらすという「もっともらしい理屈」
は立てられるので、賛同者が増えて、そうしたポジションが大規模なものになったのだ。
これを「期待に働きかける政策」が功を奏したのだと言う人は少なくないが、そうだろ
うか。期待とは先取りのことであるはず。この場合においては、大胆な金融緩和が確かな
経済メカニズムを通じて円安と株高をもたらすという事実があって、それを先取りする形
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で相場が動くというなら分かる。しかし、現実にはマネタリーベースを増やしてもそうし
たメカニズムは働いていない。グラフを見れば明らかだ。相場を動かしたのは実需でなく
投機だったのだ。
相場が動かした実体経済
しかし、理由が何であれ相場が大きく動いたのは事実だ。大幅な円安と大幅な株高が実
現したことが実体経済に影響を及ぼしたことは間違いない。
株高は 13 年度の景気に大きく寄与した。この年に家計が得た株式のキャピタルゲインは
25 兆円あった。個人消費総額の 1 カ月分にも相当する額だ。その一部が消費に回ったこと
で、13 年度の GDP 成長率は 2%を超えた(2.2%成長)。もちろん 14 年度からの消費税率
の引き上げを控えて 13 年度末に駆け込み消費があったが、その要因を除いても消費の貢献
は大きかったと言える。
他方で、円安は物価を上昇させる方向に効いた。消費者物価のコアコア指数(全体から
エネルギーと食料品を除いたもの)の推移をみると、10 数年にわたって低下し続けたが、
12 年の終わりに下げ止まり、13 年からは上昇に転じている。その意味ではもはやデフレで
はないのだが、デフレを終わらせたのが円安だ。円安で輸入価格が上昇し、それが川下に
転嫁され、消費者物価の上昇につながっているのだ。
デフレ克服の指標として消費者物価の上昇が掲げられているが、円安のせいで物価が上
昇することで目的が達成されると考えていいのだろうか。円安は輸入サイドで所得を海外
に流出させる。もちろん輸出サイドで海外から所得が流入する効果をもたらすが、日本は
貿易赤字の国だから、差し引きすれば円安で所得は純流出する。つまり、円安で起こるこ
とは、日本株式会社の所得のパイが縮小する一方で物価が上昇するという事態だ。それが
デフレを克服しようとする政策の目標なのだろうか。
しかし冒頭で述べたように、最近、原油価格の大幅な下落が効いて消費者物価の上昇率
がマイナスになる可能性が高まっている。物価の下落がデフレだとすれば、これは望まし
くない事態なのだろうか。昨年の今頃の消費者物価の上昇率は、消費税率引き上げの影響
を除いても 1.5%程度だった。それが 1 年後にはマイナスになろうとしているのだが、デフ
レに逆戻りしていると認識すべきなのだろうか。
結局、消費者物価を上昇させることをデフレの克服だと言い、デフレの克服を金融政策
の目標に掲げていることが間違いなのだと思われる。物価は経済の体温のようなもので、
経済活動の結果だと考えるべきだろう。経済活動が活発になれば自然に物価も上がってく
るのであって、手段を問わずとにかく物価を上げることが経済活動を活発にするわけでは
ないと思う。
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量的・質的金融緩和に出口はあるか
最後に、量的・質的金融緩和の出口について触れておきたい。結論として、私は出口が
ないのではないかという懸念を持っている。
すでに述べたように、今の異次元の緩和政策は「壮大だが効かない」政策だと思う。た
だ規模が大きいだけに、市場の投機家たちに格好の投機材料として利用されている。結果
として生じている円安や株高は実体経済に影響を及ぼすので、大胆な金融緩和政策が効い
ているのだという主張をしても通ってしまいがちだ。失礼な言い方になるが、「雨乞いをし
ているから雨が降ってきたのだ」という主張が、現に雨が降っている以上、簡単には否定
されないということではないだろうか。
しかし、本当は効いていないという見方が正しければ、2%という物価上昇目標の達成は
難しいだろう。15 年度を中心とする期間に達成すると言っていた日銀は、今は達成の時期
は 16 年度の前半になると言い始めている。しかし、それでも達成できそうになければ、も
う一段の追加緩和に踏み切らざるを得なくなるかもしれない。それは、さらに円安を進め
て物価を上昇させるということだろうが、投機家たちにサプライズを与えないと望んだ反
応は得られない。ただでさえ「異次元の」緩和をしているのに、それをさらに(投機家が
驚くほど)拡大しないといけないのだとすれば、いよいよ副作用が心配になる。
というのも、財政再建に関する政府のシナリオが、経済成長を通じた再建であって歳出
削減には不熱心だという問題があるからだ。かりに成長率が十分に高まらなければ、国債
の大量発行が続かざるをえない。その結果、金融緩和の手段であるとはいえ日銀がますま
す多くの国債を購入することと、財政再建が進まず国債の大量発行が続くことが重なると、
日銀が財政ファイナンスをしているという印象を市場に与えかねないことになる。これは
非常に危険な道だ。
こうした事態に陥らないためには、何より政府が信頼に足る財政再建の道を示すことが
必要だが、同時に日銀も国債の購入ペースを落とすべきだ。しかし、物価上昇目標が達成
されない段階でそうすれば、投機筋に逆の意味でサプライズを与えかねない。そう考えれ
ば、日銀はすでに引き返せないところにまで来てしまっているのではないだろうか。
(MU投資顧問客員エコノミスト 兼 三菱UFJリサーチ&コンサルティング
執行役員調査本部長
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五十嵐
敬喜)
MU投資顧問株式会社
登録番号
金融商品取引業者
関東財務局長(金商)
第 313 号
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