エレーヌ・シュミットに聞く。

フランス の バロック・ヴァイオリニスト、
エレーヌ・シュミット がついに来日する。
パリのレコード会社 Alpha(アルファ)の演奏家の中で、
レオンハルトと並ぶトップ・アーティストである。
発売されたCDはいずれも世界中で称賛を浴びている。
ヴァイオリニストの仕事なんてなおさら。私
んです―― 日本ではこの昆虫はおなじみです
は長い間落ち込んでいました。こんなときに
よね ――それがスカートをはい上がってくる
んですよ(この昆虫は一生のうちの一時期を木の
中で送るのに、その木が燃えていたんですからね)。
ハは圧倒的な天才として演奏者を怯えさせた
ケストラや、たまに室内楽のレパートリーを
そこで虫を払い落とすために、ヴァイオリン
り、父親のように罪を咎めるようなところが
シュミットのバッハほど、聴き手の心に迫るものはない。バロ
たくさん持っているアンサンブル、声楽家を
を弾きながらちょっと体を揺すろうとしまし
あります。そのため、多くの音楽家は ―― 少
ック建築物が目の前に現われるような感興をもよおし、静謐さ
援助しますが、間違っても私のようなバロッ
た。私のパートナーは不審に思い、声援の目
なくとも私の想像では ―― 軽やかさ、柔和さ、
の中に美しい光がふり注ぐようだ。バロックの流儀をここまで出
ク・ヴァイオリニストを援助することはあり
配せを送ってよこしました。でも、蜂は逃げ
高揚感をもってこの音楽に近づくことができ
ません。その上、私はお金の世界に全然縁が
ないんです。それどころか、もうウェストま
ないまま終わってしまいます。彼の音楽全体
ありませんでした。
で上がってきていました。
の中で煮えたぎる並はずれた知性が、音響の
である。さらにシュミットの無伴奏は、人間のもつ意思の強さと
私はシャンパーニュ地方や、エルミタージ
アンコールが終わったらちょっと手を止め
楽しさ、情緒の演劇性、旋律の完全さ、ある
弱さを、深く静かに語りかけてくるような不思議な魅力をもつ。
ュ、シャトーヌフ・デュ・パープなどの大手の
て虫を追い払うことに決めたのですが、虫は
いはリズミカルな創造の歓喜を弱めるなどと
作品の真価を実感できるチャンスは、めったに訪れるもので
フランス・ワイン醸造家に手紙を書きました。
冬の寒さのためかストーブの熱のためかひど
いうことはありえないと思いますよ。
はない。ステージ中央にひとりで立つ音楽家の頭上に、ある瞬
その方々からとても親切な返事をいただき、
く弱っていて飛ぶことができません。私はと
私は音楽が知性と天分を刻印されていれば
間、天界と結ばれたかのような神秘ともいえる音像が見える(感
ワイン(もう飲んでしまいましたけど)まで送っ
うとう手で払いました。お客さんは、私のひ
いるほど、さまざまな感覚とそれを供するた
ていただきましたが、誰一人としてディスク
どくおかしな身振りを見てびっくりしていま
めの精神を汲み上げることが必要になると思
の資金を援助しようとはしませんでした。私
したね。
っています。さもないと知性は乾いた冷たい
か… !? 彼女の演奏に接し、作品の奥深さに開眼する人も多い
音になってしまいます。ソナタとパルティー
は2005年2月にケルンでコンサートをし、ド
のではあるまいか。
イツ放送が録音してくれて好評だったので、
しかし何と言っても、自分が演奏をしたい
タで、音楽が私の中に深く入ってくるにまか
今回の日本ツアーの会場は、理想的なキャパシティと素晴らし
彼らに助けてほしいと頼んでみました。すぐ
ろいろなステージを、強い内面性と、自己超
せ、常に心を開いて、ほとんど先入観を持た
い音響を持ち合わせたホールが選ばれた。この限られた空間で
に同意してもらいましたが、ケルンにある、
克と、パートナーたちとのさらに融和的なダ
ず、我を忘れて、この非常に豊かで難解なテ
時を重ねられる愉悦こそ、何ものにも代えがたい至福のひととき
彼らの美しいコンサート兼レコーディング用
イアローグの場として記憶しています。特に、
クストに沿ってやってみることにしました。
に違いない。
のホールで録音することはできませんでした。
ソナタとパルティータというプログラムで、
それから、少しずつ、テクストと親しむこと
Alphaはこの業務提携をたいへん喜んでくれ、
次から次へとコンサートを重ねていくことは
によって、そこに優雅さと力を与える、とい
私も同じ思いでした。なんといっても自分で
非常におもしろいですし、1回1回のコンサー
う具合に。
見つけたんですから。
トが特別な輝きを放ちながら他のコンサート
おび
バッハは圧倒的な天才として演奏家を怯えさせたり、
父親のように罪を咎めるような と こ ろ が あ り ま す。
とが
r
q
o
ました。演奏しながら見ると、スズメバチな
いたとしてもほんの少数です。メセナはオー
じる)ことがある…。無伴奏ヴァイオリンとはこんな音楽だったの
B
a
エレーヌ・シュミットに聞く。
シュミット Alphaの芸術監督、ジャン=ポ
ートの上をもそもそ動いているのに気がつき
トを作って売り込むのは無理だったんです、
ソリストを助けてくれる人なんていないし、
せる音楽家は、レオンハルトやシュミットなどほんのひとにぎり
―― Alpha(アルファ)レーベルとの共同作業はい
つどのように始まったのですか。
は途方に暮れました。今さら自分でコンサー
に影響を与えるのです。ステージで初めてバ
音楽は歴史の反映です。
"シャコンヌ"を弾いたときの自己犠牲の感情
ッハの無伴奏だけのプログラムに取り組んだ
―― コンサート中のエピソードでいちばん強
く記憶に残っていることは何ですか。
ときのことや、初めてシャコンヌを弾いたと
――バッハをモダン楽器で演奏することにつ
いてどう思われますか。
きの自己犠牲の感情をはっきり覚えています。
シュミット バッハをモダン・ヴァイオリン
シュミット コンサートに関連した傑作ハプ
その感情は消えず、いまでも胸の奥底に、か
で演奏した音は好きではありません。確かに
ニングはもちろんありますよ。私はオランダ
けがえのないものとして残っています。いま、
音は音ですけど、それが音楽家の態度や身振
のお城で行われたコンサート・シリーズに、
このレパートリーを定期的に演奏することが
りを生み、それが音楽に刻印されることが往々
リュート伴奏付きで出演することになりまし
私にさらなる深みと、誠実さと、さらなる厳
にしてありがちです。非凡な才能でピアノや
た。11月のことで、すでにとても寒くなって
しさを与え、ある意味で私を変えてくれまし
モダン・ヴァイオリンを弾くすばらしい演奏
いました。2人がリハーサルのため昼過ぎに
た。私はヴァイオリンの天上的な、世俗的な、
家は何人かいます。彼らのロマン派より後や
―― レコーディングで、いちばんはっきりと
覚えていることは何ですか。
した。6∼7回やり直しましたが、なすすべが
お城に着いたとき、ホール内の温度はおそら
本当の声を、聞いてもらうとき、とても幸せ
現代音楽の演奏を聴くのは大好きですよ。で
ありません。何度やっても、このひときわや
く10度ぐらいだったでしょう。コンサートは
です。それを私の手と心で届けるのですから。
も、16、17、18世紀のレパートリーを弾く
シュミット 無伴奏ソナタとパルティータを
さしいパッセージに来るとこの音がするんで
18時からでしたが、ホールに暖房を入れてく
美しいクラヴサン、古いオルガン、美しいバ
―― ピリオド楽器を選ばれたのはいつですか、
またそうしたのはなぜですか。
ロック・ヴァイオリンの音ほど私の心を打つ
ール・コンベとはすでに1994年、パリのある
レコーディングしたときのことです。ロ短調
す。きょうはこれでやめようと決めたときは、
れと頼みました。答は、夕方お客さんがやっ
教会で行なったコンサートで遇っていました。
パルティータの中のサラバンド ―― とても美
すでに真夜中の1時半でした。最後に私が「じ
てくるまでは入れないということでした。私
そのときAlphaはまだできていませんでした。
しく、とても穏やかで、とても愛にあふれた
ゃあ、もう一度だけ全部を通して弾いてみる
たちはホールを使用できず、ワードローブと
シュミット バロック・ヴァイオリンを選ん
ビュッシーを演奏しようなんて誰だって思い
私は1999年に、初めてソリストとしてレコ
やさしい曲 ―― のドゥブル〔変奏を加えた反復
わね」と言いました。すると、もう音はしな
して使われている小部屋でリハーサルをしま
だのは17年前ですが、その前にモダン・ヴァ
つきませんよね、「もしドビュッシーがヴィ
ーディングしたものを送りました。Christo-
部〕を録音しはじめたのですが、ほどなく、
いんです。この曲はこんなふうにして録音さ
した。17時30分頃、お城の人がすごく大き
イオリンの勉強を完全に終えて、パリのフラ
オラ・ダ・ガンバを知っていたら、きっとこの
phorus(クリストフォルス)レーベルとヘッセ
ピアニッシモのパッセージに来たとき、教会
れたんですよ、一回きりで、編集をしないで。
なストーブに火を入れました。そしてストー
ンス放送管弦楽団などのオーケストラで弾い
楽器のために作曲していただろう」ぐらいは
ン放送の共同制作により、ドイツのフランク
の中で何か音がしていることに気がつきまし
ブの前で演奏してください、と言うのです。
ていました。17、18、19世紀初頭のレパー
言えても。そんなことはばかげています。
その通りにしました ―― できるだけ火から離
トリーはもちろん好きですが、ピリオド楽器
音楽は歴史の反映です。歴史を含み、常に
フルトで録音した、マルコ・ウッチェッリー
た。チッチッチッというような。弾くのをや
ニのヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ
めると、音もしなくなります。音響技師のユ
です。彼はこのディスクをたいへん気に入っ
ものはありません。ヴィオラ・ダ・ガンバでド
れて、かといって離れすぎないようにして。
が好きです。ガットを張った楽器にしかない
歴史を思い起こしています。教育的に、遊戯
ーグに、あなたも聞こえるかときくと、「うん、
―― ほとんどのレコーディング場所は パリの
ノートルダム・ド・ボン・スクールです。シュメル
ツァーをドイツでしたのはなぜですか。
というのは、お客さんに近づきすぎると演奏
繊細さ、洗練されたアーティキュレーション、
的に、あるいは素人っぽくと、いろいろなや
てくれました。彼が新しいレーベルを作ると
ちょっと」。また弾き始めるとさっきと同じ
シュミット 2005年は Alphaが財政的に行
できないからです。
あたたかみと深み、そしてやさしさがあって。
り方で接することができますが、いずれにせ
いうことを知ったので、バッハの通奏低音付
パッセージで、同じことが起きるのです、チ
き詰まっていた年でした。私たちは1月にこ
背中が焼けるようで
きソナタを提案し、すぐに受け入れてもらい
ッチッチッと。私たちは作業を中断して、教
のディスクをパリで録音する予定でしたが、
した、それもものす
ました。とてもうれしかったわ。こうして
会の中を見て廻りましたが、音はしません。
非常な財政困難のため、コンベはレコーディ
ごく。2曲目はロマネ
2000年にレコーディングをしたことが私た
12月のパリですから、寒くて、教会の中には
ングを延期せざるをえなくなりました。彼は
スカでした。とても
ちの共同作業と交友の発端となったわけです
ヒーターが入っていましたが、音はしていま
1ヵ月まえにレコーディングをキャンセルし、
甘くて親しみやすい
が、このレーベルでレコーディングをするこ
せん。ユーグが言うには、そこから音が出て
「あなたにメセナかスポンサーがついてくれ
その曲の最中に、何
とを誇りに思っています。
いたことはこれまで一度もないということで
たら、やることにしよう」と言いました。私
かが私のロングスカ
C Franck Ferville pour Cinquièmes cordes
Photos ○
よ、ある時代の人びとの息づかいや精神を語
――バッハ作品の演奏スタイルはここ数十年
で驚異的に変わりました。あなたのバッハ観
はどのように変わりましたか。
るものであることに変わりはありません。で
シュミット 確かにバッハ演奏の好みと方法
魅力を感じません。
すからラモーをピアノで弾くとかバッハをモ
ダン・ヴァイオリンで弾くことに、私は全然
は、ここ数十年で大きく変化しました。バッ
HÉLÈNE SCHMITT