「自分の命は自分で守る」東日本大震災に学ぶ ―登米市立中津山小学校

「自分の命は自分で守る」東日本大震災に学ぶ
―登米市立中津山小学校との交流を通して―
豊橋市立豊南小学校
1. 昨年度の児童訪問
(1)6年生の歓迎をうけて
8月26日、運営委員の児童2名と教師
2名が中津山小を訪問した。一昨年度の校
長、安全主任の訪問を受け、2学期の始業
式にあわせた訪問であった。当日は、6年
生が玄関で横断幕を用意して来校を待って
いてくれた。子ども達は、テレビ電話を通
して、数回交流があった。学校をあげての
歓迎に驚くとともに実際に6年生と対面でき緊張がほぐれたようだった。
(2)学校紹介
始業式の前に全校児童に向けて豊南小
学校の学校紹介の時間をいただいた。豊
南小の恵まれた自然環境(わんぱくの
森、百花園、竹林)や運営委員会の行っ
ているあいさつ運動、そして、学校自慢
のひとつであるたてわり清掃についてパ
ワーポイントを使って紹介した。
次に、中津山小学校の紹介を聞いた。
東日本大震災以降に行った避難訓練は真剣味が増したということだった。
(3)記念品贈呈
記念品として6年生全員で作った、竹炭
を贈った。学校にある竹林の竹を地域ボラ
ンティアの方の指導と支援を受け、心をこ
めて作ったものだった。
その後、校長室で教育長と校長と懇談し
た。中津山小は宮城県の中では地震の被害
は少ない方であったということだが、校庭
が地割れしたり、教室はものがぐちゃぐち
ゃになったりしたそうだ。理科室は一年間使用ができなかったという話を聞いて子ども
たちはとても驚いていた。わずか、3時間たらずの訪問であったが児童のみならず教職
員にとっても心に残る訪問となった。
2.まだ残る震災の爪痕
今回、中津山小訪問の前日となる8月25日、仙台を出発してタクシーで被災地を見
学した。タクシーの運転手さんが語り部となって震災当日の様子や被災状況そして震災
後の顛末などを詳しく説明してくれた。震災後3年がたっていたが、命の重さと常日頃
の防災への備えについて深く考えさせられる時間となった。
<児童の感想文より>
一日目は、タクシーに乗って被災地をまわりました。まず、仙台市荒浜地区にある観音様
を見に行きました。観音様は、荒浜地区をおそった津波と同じ高さに建ててあります。十二
mもあるそうです。まわりを見ると、ほとんどの建物が流され、今は廃校となった中学校だ
けがぽつんと残されていました。たくさんの人も津波によって亡くなってしまったそうで
す。次に向かったのは、大川小学校跡地です。大川小は、学校の壁がくずれて、先生や子ど
もたちのほとんどが亡くなったそうです。例え立派な学校でも、津波には負けてしまうこと
を知り、本当にこわくなりました。私の通う豊南小学校の建物は少し古いし、太平洋もすぐ
近くにあるので心配です。避難訓練をもっとしっかりおこなったり、もしものときにどこへ
逃げるかなども決めておいたりしなければならないと思いました。(中略)
今回の旅行で学んだことは、自分たちの命を守るためにどうすればよいのかを、日ご
ろから考えることが大切だということです。大川小学校では、危険な川の方へ逃げてし
まい、たくさんの命を落とすことになりました。目の前に山があり、そこにさえ行けば
助かる状況だったのに、とても残念だと思います。命を落としてからでは遅いし、命を
落とさなくても、あとで後悔をしないようにしておきたいです。さらには、自分たちだ
けでなく、まわりの人たち、特に低学年の子を守れるようにしたいです。登下校中に地
震が起こったら、低学年の手を引いて、安全なところまで避難できるようにします。
私たちの住む愛知県では、近いうちに地震が起きると言われています。いつ起きても
自分の命を守れるように、今回学んだことを生かしていきたいです。
3.今後の交流
・ 学校紹介の資料を交換する。
模造紙に学校の自然環境、学校行事、児童会活動の様子等をまとめ豊南小から中津
山小へ送る。中津山小からはA4サイズのデータで送ってもらい拡大プリンターで印
刷し豊南小で掲示する。
・ テレビ電話による交信
無理がない形で継続していきたい。