東 京 岩 高 会 報 総会開催案内 第 57 号 平成27年7月11日 午 前 十 一 時 開 会 ( 上 野 公 園 グ リ ー ン パ ー ク ) 平 成 二 十 七 年 十 一 月 二 十 八 日 ( 土 曜 日 ) 第 5 9 回 東 京 岩 高 会 総 会 笑 顔 の 花 を 咲 か せ よ う 上 野 の 丘 に 岩 高 家 族 の 年 に 一 度 の 大 結 集 詳細は2ページに掲載 早春の深山牧場(写真:土井 祐之 S54年卒) 第59回 東京岩高会総会 開催案内 1.第59回 総 会 開 催 案 東京岩高会総会のご案内 (1)日 時:平成27年11月28日(土曜日)11:00~15:00 (2)場 所:東京都台東区上野公園1-59(上野公園西郷像よこ) 上野公園グリーンパーク(旦妃楼飯店・地下1階) 電話 (3)会 03-3828-5571 費:男性:7,000円 女性:6,000円 30歳未満で初めて参加される方はご招待(会費無料)と致します。 内 (4)出欠連絡:9月30日までに同封の葉書にてお申込み下さい。 出欠の変更やお問い合わせは、下記までご連絡下さい。 東京岩高会 同 支部長:佐々木くに子 090-7828-1623 幹事長:長 沼 090-5339-8141 和 秋 (5)還暦の会:今年は49年卒が対象であり、当日は当会よりお祝いを進呈いたします。 今年は平成27年卒の新たな仲間達が大勢参加の予定です。 お誘い合わせの上お越し下さいますようご案内申し上げます。 2.東京岩高会 年会費ご協力のお願い 東京岩高会は、皆様方から頂いた貴重な年会費が活動の支えとなっております。 昨年は180名の皆様方から浄財を賜りまして、真に有難うございます。 本年度も引き続き倍旧のご協力の程、宜しくお願い致します。 (1)年 会 費 :3,000円 (2)振込期限:総会開催前の10月31日を目途に同封の郵便振替用紙により最寄りの郵 便局で振込みをお願いします。なお振込みに当たりましてはATMをご利用戴くと手 数料が軽減されます。 多くの皆様方のご協力をお願い申し上げます。 東京岩高会 支部長 佐々木くに子 幹事 第58回総会受付をご担当なさった皆様方 年 会 費 協 力 の お 願 い 一同 第58回総会第一部終了後(P10~P11 に拡大写真掲載) 2 進 学 や 社 会 人 と し て 関 東 方 面 へ の が 誕 生 い た し ま し た 。 拶 」 に よ り 1 2 7 名 の 同 窓 会 新 会 員 葛 岡 同 窓 会 長 の 「 入 会 歓 迎 の ご 挨 出 席 さ せ て 頂 き ま し た 。 岩 高 会 よ り 佐 藤 政 弘 副 支 部 長 と 共 に 岩 高 体 育 館 に 於 い て 執 り 行 わ れ 東 京 二 月 二 十 七 日 「 同 窓 会 入 会 式 」 が 進 め る 事 が 出 来 ま し た 。 と ご 協 力 を 頂 き ま し て 新 た な 歩 み を 校 高 橋 義 典 校 長 先 生 の 力 強 い ご 理 解 本 部 同 窓 会 葛 岡 重 利 会 長 様 及 び 母 を 踏 み 出 し ま し た 。 し ま し て 、 新 し い 取 り 組 み の 第 一 歩 三 月 卒 業 の 若 き エ ネ ル ギ ー を お 借 り 東 京 岩 高 会 の 今 年 は 平 成 二 十 七 年 申 し 上 げ ま す 。 ご 支 援 ご 協 力 を 賜 り ま し て 厚 く 御 礼 せ 皆 ん 暑 会 様 か い 員 方 。 毎 の に 日 み は で な 東 す さ 京 が ん 岩 お 。 高 変 佐々木くに子 会 わ 同窓会 に り 東京支部長 変 御 (就任H20/11~) わ 座 S37年卒 ら い 鳥矢崎出身 ぬ ま 明 日 に 繋繋 がぐ る 同 窓 会 東 京 支 部 長 と の 顔 合 せ 会 ( 2015/2/27 初 め て の 試 み と な っ た 上 京 予 定 )者 と ま た 、 新 会 員 を 育 て て い く に は 年 く 薦 め て ま い り ま す 。 化 に 力 を 注 ぐ 同 窓 会 で あ り た い と 広 ぎ 、 岩 高 を 取 り 巻 く 地 域 環 境 の 活 性 今 こ そ 若 い 会 員 の 皆 様 方 と 手 を 繋 題 を 抱 え て い る と 聞 い て お り ま す 。 現 在 、 母 校 岩 高 は 深 刻 な 少 子 化 問 共 は 圧 倒 さ れ ま し た 。 中 を 育 て 上 げ ら れ た 逞 し さ を 感 じ 私 達 の 発 進 力 は 正 に 、 二 度 の 大 震 災 の 参 加 し た い で す 」 と 前 途 有 望 な 若 者 年 間 は 楽 し か っ た で す 。 同 窓 会 に も に な り た い 」 と 。 そ し て 「 岩 高 の 三 来 は ふ る 里 や 社 会 に 貢 献 出 来 る よ う お 越 し を お 待 ち し て お り ま す 。 昨 年 の 総 会 に 出 席 し た 皆 様 今年の総会では、49年卒の還暦のお祝いがあります。 皆様のお越しをお待ちしておりまぁ~~~す ! 3 上 京 し た ば か り の 新 卒 者 達 は 「 将 弾 み ま し た 。 上 野 公 園 グ リ ー ン パ ー ク に て 皆 様 の る 先 輩 後 輩 達 の 話 題 は 時 代 を 超 え て 十 一 月 二 十 八 日 ( 土 ) 午 前 十 一 時 同 じ ふ る 里 、 同 じ 学 び 舎 を 共 有 す な 新 風 が 吹 き 込 ま れ ま す 。 に 至 り ま し た 。 の 新 卒 者 と 東 京 岩 高 会 役 員 の 懇 親 会 と 決 め 、 都 合 良 く 出 席 の 叶 っ た 5 名 岩 高 の 若 さ み な ぎ る 新 卒 者 の 爽 や か 像 に 湧 き 、 今 年 は 上 野 公 園 の 一 角 に 昨 年 は 土 井 氏 の 懐 か し い 故 郷 の 映 は 四 月 十 八 日 、 八 丁 堀 キ ャ プ リ ス 」 交 信 が 始 ま る や 進 展 が 早 く 「 歓 迎 会 そ の 後 2 2 名 の 上 京 者 と の メ ー ル お り ま す 。 場 が 賑 わ う も の と 嬉 し い 予 測 を し て 歓 迎 の 会 」 が ダ ブ ル の 喜 び と な り 会 し 上 げ て お り ま す 。 九 年 卒 「 還 暦 を 祝 う 会 」 と 「 新 会 員 と 母 校 の 連 帯 し た ご 配 慮 に 感 謝 を 申 第 五 十 九 回 東 京 岩 高 会 総 会 は 四 十 初 め て の 試 み が 実 現 致 し 、 同 窓 会 務 に 当 た る 覚 悟 で お り ま す 。 顔 合 わ せ 」 を 設 定 し て 頂 き ま し た 。 上 京 者 は 2 2 名 お り 、 式 典 後 に 「 初 の 運 営 促 進 を 計 り た い と 役 員 一 同 任 会 費 ご 協 力 者 の 増 加 を お 願 い し 、 会 年 四 月 一 日 で 十 周 年 を 迎 え ま し た 。 栗 原 市 は 栗 原 1 0 町 村 が 合 併 し 本 こ と を 大 い に ご 期 待 申 し 上 げ ま す 。 組 み が 、 同 窓 会 活 動 の 起 爆 剤 に な る り 敬 意 を 表 し ま す 。 よ う と す る 新 し い 取 り 組 み に 衷 心 よ 期 待 を 託 し 、 若 い 世 代 に 将 来 を 繋 げ の で は な い か と 思 い ま す 。 新 卒 者 に い る よ う な 心 の よ り ど こ ろ に な れ る と っ て 、 身 近 に お 父 さ ん お 母 さ ん が 親 元 を 離 れ て 都 会 で 暮 ら す 新 卒 者 に よ う と す る 東 京 支 部 の 先 進 的 な 取 り 代 の 参 加 を 促 し 、 同 窓 会 の 輪 を 広 げ 強 く し な け れ ば な り ま せ ん 。 若 い 世 生 徒 の た め に 支 援 で き る 環 境 を 一 層 よ う 母 校 と の 連 携 を 密 に し 、 学 校 や 巻 く 環 境 の 変 化 に 敏 感 に 対 応 で き る 我 々 同 窓 会 と し て も 、 母 校 を 取 り 合 え る よ う に な っ た と 伺 い ま し た 。 い 、 2 0 名 程 が い つ で も 連 絡 を 取 り れ ま し た 。 そ の 後 メ ー ル の 交 換 も 行 移 さ れ る 新 卒 者 と の 懇 談 の 場 を 持 た 面 に 進 学 や 社 会 人 と し て 生 活 の 場 を を 頂 き ま し た 。 終 了 後 に は 、 東 京 方 頂 き 、 支 部 の 活 動 状 況 を 含 め ご 挨 拶 藤 副 支 部 長 様 に は わ ざ わ ざ ご 出 席 を 東 京 支 部 か ら 佐 々 木 支 部 長 様 、 佐 員 と し て 迎 え る こ と が で き ま し た 。 て お り ま す 。 変 計 画 が 進 む の で は な い か と 危 惧 し い 数 に な り 、 さ ら に 市 内 の 高 校 の 改 数 を 考 慮 す る と 、 4 0 0 人 に 満 た な 九 年 後 は 市 外 の 高 校 に 出 て 行 く 生 徒 で す 。 こ の 子 供 た ち が 高 校 入 学 す る 年 小 学 校 に 入 学 し た 児 童 は 4 9 1 人 か ら 5 6 0 人 に な り ま す 。 市 内 で 今 造 工 学 科 の 募 集 が な く な る と 来 年 度 市 内 4 校 の 現 在 の 募 集 定 員 は 、 創 執 り 行 い 、 卒 業 生 1 2 7 名 を 同 窓 会 二 月 二 十 七 日 、 母 校 体 育 館 に お い て 平 成 二 十 六 年 度 の 同 葛岡 重利 窓 同窓会会長 会 (就任H25/8~) 入 S41年卒 会 鶯沢出身 式 旧鶯沢町長 を て き ま し た 。 母 校 を 取 り 巻 く 環 境 が 大 き く 変 わ っ 決 め ま し た 。 少 子 化 の 進 行 と と も に ㉘ ㉔ 同 窓 会 総 会 に 参 加 し て 総 会 の 講 演 を 通 じ て 岩 高 会 総 会 に 出 席 し て ま た お 会 い し ま し ょ う 思 え ば 遠 く へ ・ ・ ・ 同 窓 会 ・ 楽 し い 交 流 を 築 高 同 窓 会 東 京 支 部 長 い と し き 人 へ 本 部 総 会 に 参 加 そ の し て 2 ) 編 佐 藤 集 正 人 喜 【 特 集 】 ( ふ る さ と 歴 史 探 訪 上 京 し た 新 卒 者 の 声 新 卒 者 歓 迎 会 に 参 加 【 話 の 玉 手 箱 ・ 会 員 の 窓 新 】 卒 の 皆 様 石 佐 渋 佐 新 野 藤 谷 々 卒 木 の く 皆 久 公 恵 輝 力 に 子 様 ㉓ ㉒ ㉑ ㉑ ⑳ ⑲ ⑱ ⑯ ⑮ ⑮ ⑭ 須 土 古 吉 菅 藤 井 舘 野 原 由 康 祐 芳 玲 美 之 之 子 子 子 年 会 費 ・ 会 計 報 告 山 本 会 計 幹 事 高 校 が 閉 校 と な り ま し た 。 れ 、 平 成 二 十 三 年 三 月 に は 鶯 沢 工 業 舎 と し て 創 造 工 学 科 が 創 設 編 入 さ 業 高 校 が 生 徒 募 集 を 停 止 し 、 鶯 沢 校 こ の 間 、 平 成 二 十 一 年 に は 鶯 沢 工 皆 様 の 益 々 の ご 活 躍 を お 祈 り 申 し 上 り ま す 。 結 び に 東 京 支 部 の ご 発 展 と 境 づ く り に 取 り 組 ん で 参 る 所 存 で あ ら 同 窓 会 に 若 い 世 代 の 入 会 を 促 す 環 本 部 に お い て も 情 報 を 共 有 し な が 宮 城 県 岩 ケ 崎 高 等 学 校 同 高 葛 佐 窓 橋 岡 々 会 【 ご 挨 拶 】 東 京 岩 高 会 総 会 ・ ・ ・ ・ ・ 《 開 催 案 内 次 そ し て 昨 年 、 宮 城 県 教 育 委 員 会 は げ ま す 。 会 長 同 、 窓 会 同 入 ・ 会 生 式 徒 で の 檀 皆 上 様 に ( 立 2 つ 月 葛 2 岡 7 同 日 窓 ) 会 【 編 集 雑 記 帳 】 来 年 度 か ら 創 造 工 学 科 の 募 集 停 止 を 【 総 会 報 告 東 】 京 岩 高 会 総 長 会 沼 幹 事 長 開 催 報 告 ・ 総 括 ⑬ ⑨ 第 5 8 回 在 校 生 ( 三 年 生 ) 宮 総 学 城 仙 同 務 校 県 台 窓 部 長 岩 支 会 長 ケ 部 会 崎 長 長 高 等 学 校 狩 小 髙 野 畑 橋 新 し い 取 り 組 み に 期 待 東 京 支 部 長 雄 征 義 樹 也 典 木 清 重 く 志 利 に 子 ⑦ ⑥ ⑤ ⑤ ④ ③ 目 》 ・ ・ ・ ・ ・ ② 4 こ と が 必 要 な の で す 。 ば す だ け で な く 、 健 康 寿 命 を 伸 ば す 自 立 し た 生 活 を 送 る に は 、 寿 命 を 伸 活 で き る よ う 配 慮 し た い も の で す 。 な 生 活 の 中 で 、 お 互 い に 、 健 康 に 生 む な ど 、 人 そ れ ぞ れ に 見 合 っ た 様 々 仕 事 を 続 け る 、 趣 味 や 旅 行 を 楽 し 新 し い 年 度 が ス タ ー ト し て い ま す 。 工 学 科 6 7 名 、 全 校 生 徒 3 3 7 名 で ま し た 。 現 在 、 普 通 科 2 7 0 名 、 創 造 迎 え 1 1 3 名 の 新 入 生 が 入 学 し て き さ て 、 本 校 創 立 七 十 四 年 目 の 春 を ワ ー ク の 賜 物 と 思 い ま す 。 チ ー ム だ け に 、 日 頃 の 練 習 と チ ー ム た し ま し た 。 部 員 不 足 が 悩 み だ っ た ル 選 手 権 大 会 に 男 女 と も に 出 場 を 果 チ ー ム が 参 加 す る 宮 城 県 バ レ ー ボ ー 某 図 書 に 『 健 康 寿 命 を 伸 ば す た め 5 伸 び る と さ れ て お り ま す が 、 健 康 で と 、 平 均 寿 命 は 男 女 と も 今 後 さ ら に 日 本 の 将 来 推 計 人 口 に よ り ま す と を 意 味 し ま す 。 が 必 要 と な る 可 能 性 が 高 い と い う こ 年 、 こ の 期 間 は 介 護 な ど 人 の 手 助 け が 9 . 0 2 年 、 女 性 が 1 2 . 4 0 健 康 寿 命 と 平 均 寿 命 の 差 は 、 男 性 1 . 1 9 歳 、 女 性 が 7 4 . 2 1 歳 。 年 の 日 本 人 の 健 康 寿 命 は 、 男 性 が 7 ま 生 題 関 ご 厚 す 活 で ) 2 存 皆 生 。 で 日 が 0 知 様 労 き 常 提 0 で は 働 る 生 唱 0 し 「 省 期 活 し 年 ょ 健 間 が た に う 康 の 」 制 言 W か 寿 発 と 限 葉 H 。 命 表 」 高橋 清志 定 さ で O で と 義 れ 「 ( は 同窓会 い さ る 健 世 、 仙台支部長 う れ こ 康 界 2 (就任H25/04~) 言 て と 上 保 0 S44年卒 葉 お な の 健 1 岩ケ崎出身 り く 問 機 3 を も 多 数 い ら っ し ゃ る と 思 い ま す 。 同 様 の 生 活 環 境 に あ る 同 窓 生 の 方 々 つ い て も 考 え る よ う に な り ま し た 。 が 気 に 掛 る よ う に な り 、 健 康 寿 命 に 自 覚 す る と 共 に こ れ ま で 以 上 に 健 康 な る な ど 、 今 で は 年 を 取 っ た こ と を 知 人 と の 会 話 で は 健 康 問 題 が 話 題 に る よ う に な り 、 ま た 同 年 代 の 友 人 や み 疲 れ が 残 る な ど 体 力 の 衰 え を 感 じ 二 歳 ご ろ か ら 徐 々 に 仕 事 の 疲 れ や 飲 込 ん で お り ま し た が 、 二 年 前 の 六 十 私 も 、 六 十 歳 ま で は 壮 年 だ と 意 気 る 事 が 必 要 な の だ 』 と あ り ま し た 。 い 人 は 働 け る よ う な 社 会 環 境 を 整 え な く と も 七 十 歳 く ら い 迄 は 、 働 き た 健 康 寿 命 を 伸 ば そ う と す れ ば 、 少 に 改 め て 感 謝 申 し 上 げ ま す 。 も の と 思 い ま す 。 皆 様 の 温 か い お 心 に と っ て 、 心 強 い 応 援 を い た だ い た た 。 親 元 を 離 れ 生 活 を 始 め る 卒 業 生 す る 卒 業 生 の 歓 迎 会 を 開 催 頂 き ま し を 卒 業 し 関 東 方 面 に 進 学 ま た は 就 職 員 の 皆 様 の ご 配 慮 に よ り 、 今 春 本 校 特 に 今 年 は 支 部 長 さ ん を は じ め 役 申 し 上 げ ま す 。 い た だ い て お り ま す こ と に 深 く 感 謝 動 に ご 理 解 を 賜 り 、 ご 支 援 、 ご 協 力 を 東 京 岩 高 会 の 皆 様 に は 本 校 の 教 育 活 佐 々 木 く に 子 支 部 長 さ ん を は じ め 、 こ と と お 慶 び 申 し 上 げ ま す 。 ま た 、 ま 同 し 本 窓 た 校 生 。 に 赴 の 任 皆 し 様 て に 二 は 、 年 高橋 義典 益 目 々 の 第24代学校長 春 (赴任H26/04~) ご 清 を 鶯沢出身 栄 迎 え の 区 大 会 の 優 勝 チ ー ム の 男 女 各 1 6 レ ー 部 は 、 新 人 大 会 の ベ ス ト 8 と 地 実 を 結 ん だ も の と 思 い ま す 。 ま た バ こ の 冬 の 間 に 行 っ た ト レ ー ニ ン グ が の 試 合 で 代 表 権 を 逃 し て い る だ け に 復 活 戦 を 勝 ち 上 が っ た も の の 、 最 後 た し ま し た 。 昨 年 秋 の 大 会 で は 敗 者 り 、 二 十 一 年 ぶ り に 県 大 会 出 場 を 果 宮 城 県 大 会 北 部 地 区 予 選 を 勝 ち 上 が り 、 野 球 部 は 春 季 東 北 地 区 高 校 野 球 8 入 り を 果 た し ま し た 。 今 年 度 に 入 部 、 卓 球 部 女 子 シ ン グ ル ス で ベ ス ト 昨 年 秋 の 新 人 大 会 で は 男 子 バ レ ー 所 に 見 ら れ て い ま す 。 り 、 休 日 も 含 め て ひ た む き な 姿 が 随 … ( 中 略 ) … 部 活 動 に も 積 極 的 に 取 り 組 ん で お こ れ ら の 要 件 は ほ ぼ 満 た さ れ る 。 取 り 組 む 生 徒 の 姿 が あ り ま す 。 ま た 、 と 、 普 通 に 規 則 正 し く 働 い て い れ ば 員 室 前 の 廊 下 や 自 習 室 な ど で 勉 強 に た 感 動 で あ る が 、 よ く 考 え て み る に 取 り 組 ん で い ま す 。 放 課 後 に は 、 職 は 心 の 健 康 、 ド キ ド キ は 五 感 を 使 っ 塾 し 、 毎 朝 多 く の 生 徒 が 黙 々 と 学 習 は 三 度 の 規 則 正 し い 食 事 、 ニ コ ニ コ 自 学 自 習 「 愛 宕 塾 」 も 四 月 二 十 日 に 開 健 康 寿 命 の こ と テ ク テ ク は 適 度 な 運 動 、 カ ミ カ ミ ニ コ ・ ド キ ド キ 」 が 大 切 。 に は 、 「 テ ク テ ク ・ カ ミ カ ミ ・ ニ コ 努 力 の 丘 に 花 は 咲 く ま す 。 ま た 、 今 年 で 二 十 年 目 を 迎 え た て 毎 日 の 授 業 に 熱 心 に 取 り 組 ん で い 生 徒 た ち は そ れ ぞ れ の 目 標 を 持 っ て 、 進 学 重 点 学 力 向 上 事 業 校 と し て も 宮 城 県 教 育 委 員 会 の 指 定 事 業 と し ま ず 、 普 通 科 で は 平 成 二 十 七 年 度 年 度 も そ の 実 績 を 継 続 で き る よ う に め て 全 員 の 進 路 が 決 定 し ま し た 。 今 早 々 に 内 定 を 得 て 、 進 学 希 望 者 も 含 就 職 面 で も 昨 年 度 は 希 望 者 全 員 が る 資 格 に も 多 数 の 生 徒 が 合 格 し て 、 穂 乃 香 さ ん ( 文 字 出 身 ) が 応 募 し た 大 会 愛 称 と し て 本 校 現 三 年 生 の 千 葉 ン タ ー ハ イ が 開 催 さ れ ま す が 、 そ の 山 形 ・ 福 島 の 南 東 北 三 県 で 南 東 北 イ さ て 、 平 成 二 十 九 年 度 に は 宮 城 ・ と 思 い ま す 。 今 後 と も 微 力 な が ら お 役 に 立 ち た い す 。 私 も 同 窓 会 担 当 の 教 職 員 と し て と ご 健 勝 を 祈 念 し て お り ま す 。 岩 高 同 窓 生 の 皆 様 の 益 々 の ご 活 躍 せ し ま す 。 お か げ で 、 高 い 専 門 性 が 要 求 さ れ な り ま す 。 ら 、 ぜ ひ よ ろ し く お 引 き 立 て 願 い ま 岩 ケ 崎 高 校 の 近 況 に つ い て お 知 ら お 世 話 に な っ て い ま す 。 岩 高 ニ ュ ー ス 東 京 岩 高 会 の 皆 様 、 小畑 征也 日 本校総務部長 頃 (赴任H22/04~) よ 同窓会本部 り 事務局長 大 仙台出身 変 に よ る 実 践 指 導 が 行 わ れ て い ま す 。 て お り 、 県 内 企 業 の 高 度 熟 練 技 能 者 も の づ く り 人 材 育 成 事 業 が 展 開 さ れ ト マ ン 2 1 事 業 」 の 指 定 を 受 け て 、 創 造 工 学 科 で は 、 「 み や ぎ ク ラ フ 合 わ せ て 徐 々 に 変 わ っ て ゆ く こ と に と に な り ま す 。 学 校 の 体 制 も そ れ に 校 舎 の 創 造 工 学 科 は 閉 科 を 迎 え る こ を 迎 え る 平 成 三 十 年 三 月 に は 、 鶯 沢 し た が っ て 、 現 在 の 一 年 生 が 卒 業 生 達 と 東 京 で 会 う 機 会 が あ り ま し た け と な れ ば 、 と 思 い ま す 。 若 い 同 窓 で の 同 窓 会 活 動 に 足 を 伸 ば す き っ か 思 い ま す 。 若 い 人 達 が 少 し で も 東 京 か け て 頂 き ど れ ほ ど 心 強 か っ た か と 立 派 に 務 め 、 高 い 評 価 を 得 ま し た 。 験 発 表 の ほ か に 、 岩 高 生 が 進 行 役 を で は 、 本 校 の 志 教 育 の 取 り 組 み の 体 栗 駒 の 伝 創 館 で 開 催 さ れ た 発 表 会 学 生 と な る こ と が 決 ま り ま し た 。 度 の 入 学 生 が 創 造 工 学 科 の 最 後 の 入 工 学 科 で す が 、 残 念 な こ と に 、 今 年 年 度 も 2 9 名 の 新 入 生 を 迎 え た 創 造 学 科 と し て の 着 実 な 実 績 を 挙 げ 、 今 こ の よ う に 、 県 北 で は ユ ニ ー ク な な 意 義 が あ る も の と 思 っ て い ま す 。 な 顔 合 わ せ 会 を 設 け る こ と に は 大 き 私 ど も 教 職 員 が 協 力 し て 、 こ の よ う い た た め 短 時 間 で は あ り ま し た が 、 会 が 実 現 し ま し た 。 日 程 が 詰 ま っ て 新 入 同 窓 会 員 た ち も 励 ま し の 言 葉 を 育 活 動 の 成 果 を 発 表 し ま し た 。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 高 等 学 校 が 連 携 ・ 協 力 し て 日 頃 の 教 さ せ て い た だ き ま す 。 の ご 発 展 を お 祈 り 申 し 上 げ 、 挨 拶 と 様 の ご 健 勝 と 東 京 岩 高 会 の ま す ま す ま 協 は 生 の 己 最 す 力 今 咲 徒 姿 実 学 後 。 を 後 く 諸 は 現 習 に 賜 と 」 君 誠 に に な り も と に に 向 し り ま 皆 話 対 頼 け て す 様 し し も て も ま よ の 、 て し 日 、 し 部 う 温 激 は く 々 活 た お か 励 、 が 「 思 努 動 願 い し 努 い 力 に 、 同 い ご て 力 ま す し 窓 申 支 い の す る て 生 し 援 ま 丘 。 岩 も の 上 、 す に そ 高 、 げ ご 。 花 の 生 自 皆 地 区 と し て 、 栗 駒 ・ 鶯 沢 地 区 の 小 中 が 、 県 教 育 委 員 会 指 定 の 志 教 育 推 進 ま し た 。 こ れ も 昨 年 度 に な り ま す 導 ・ ご 助 言 を い た だ く 機 会 に 恵 ま れ 態 勢 で 指 導 に 当 た っ て 参 り ま す 。 チ ャ レ ン ジ す る 生 徒 に は 手 厚 い 支 援 木 く に 子 支 部 長 さ ん ら と の 顔 合 わ せ 職 す る 予 定 の 三 年 生 2 0 余 名 と 佐 々 僭 越 な が ら 私 も 授 業 を 行 い 、 ご 指 に 実 地 調 査 と し て お 見 え い た だ き 、 度 は 文 部 科 学 省 の 教 科 調 査 官 が 本 校 取 り 組 ん で い ま す 。 ち な み に 、 昨 年 し て 英 語 教 育 の 指 導 の 工 夫 と 改 善 に 目 を 迎 え 、 県 内 九 校 の う ち の 一 つ と 充 実 支 援 事 業 も 昨 年 度 に 続 い て 三 年 の 一 つ で す 。 ま た 、 先 進 的 英 語 教 育 山形県庁で表彰を受ける千葉穂乃香さん 入 会 式 の 後 に 、 東 京 方 面 へ 進 学 ・ 就 の 働 き か け が あ っ て 二 月 末 の 同 窓 会 平 成 二 十 六 年 度 は 東 京 岩 高 会 よ り 思 い ま す 。 校 」 の 文 字 を 目 に す る こ と に な る と な と こ ろ で 「 宮 城 県 岩 ケ 崎 高 等 学 今 後 、 大 会 ポ ス タ ー を は じ め 色 々 で 表 彰 式 が 行 わ れ ま し た 。 0 1 7 」 が 採 用 さ れ 、 先 日 写 山 真 形 上 県 庁 ) 進 学 指 導 の 充 実 に 取 り 組 ん で い る と ( こ ろ で す 。 こ ち ら は 県 内 十 校 の う ち 「 は ば た け 世 界 へ ・ 南 東 北 総 体 ・ 2 6 舎 と 鶯 沢 校 舎 で ま と ま る 総 会 と な り 計 が 両 校 舎 で 一 つ と な り 、 岩 ケ 崎 校 五 月 に は 生 徒 会 総 会 、 今 年 か ら 会 力 を し て い ま す 。 毎 日 の 朝 に 視 聴 覚 は な く 、 勉 強 や 部 活 動 で も 多 く の 努 さ て 、 岩 高 生 は 多 く の 行 事 だ け で の 作 品 や 吹 奏 楽 部 の 演 奏 に 多 大 な 賞 て い ま す 。 ま た 、 文 化 部 で も 美 術 部 新 人 ベ ス ト 8 な ど 多 く の 記 録 を 残 し し て き ま し た 。 月 が 過 ぎ 、 多 く の 行 事 や 活 動 を こ な 入 生 オ リ エ ン テ ー シ ョ ン と 忙 し い 四 ま し た 。 入 学 式 を 始 め 、 対 面 式 や 新 花 に 合 わ せ て 多 く の 新 入 生 が 入 学 し 岩 ケ 崎 の 地 に も 春 が 狩野 雄樹 訪 (カノ ユウキ) れ 、 3年生 桜 生徒会副会長 の 尾松出身 開 に な っ た こ と と 思 い ま す 。 技 大 会 が で き て 素 晴 ら し い 球 技 大 会 総 合 体 育 館 を お 借 り し 、 有 意 義 な 球 も 多 く の 賑 わ い が あ り ま し た 。 栗 駒 度 か ら 二 日 間 開 催 に な り 、 例 年 よ り た 。 ま た 、 七 月 に は 球 技 大 会 、 昨 年 人 県 ベ ス ト 8 や 陸 上 部 の 高 跳 び で 県 ま を 授 暇 て 文 朝 対 徒 室 部 す 高 業 で そ 、 の 自 策 が で 活 。 め の の し 基 四 習 の 通 行 動 よ 復 課 て 礎 つ で 場 い わ で う 習 外 課 的 の は に 、 れ は と を で 外 な 科 国 活 自 て 、 真 中 は 、 学 目 語 用 己 い 昨 剣 心 セ 放 習 に 、 し の る 年 に に ン 課 を お 英 て 学 愛 度 講 自 タ 後 行 い 語 い 習 宕 は 義 分 ー 課 っ て 、 ま の 塾 卓 に の 試 外 て の 数 す 向 。 球 臨 学 験 や い 学 学 。 上 多 部 ん 習 対 長 ま 習 、 ま や く で で 能 策 期 す を 小 た 受 の 個 い 力 や 休 。 し 論 、 験 生 ま う そ は す に れ 自 。 精 ぞ 分 一 れ と 杯 が 戦 頑 充 う 張 実 一 っ し 年 て た 間 い 一 に き 年 な た 間 り い に ま と な す 思 る が い よ 、 7 経 験 を す る 一 年 間 、 三 年 生 に と っ て い 一 年 間 、 二 年 生 に と っ て は 多 く の 一 年 生 に と っ て は 初 め て の 事 が 多 生 懸 命 頑 張 っ て い ま す 。 「 尚 志 育 英 」 を も と に 文 武 両 道 、 一 勉 強 へ の 意 識 が と て も 高 く な り ま し く い ま す 。 岩 高 の 建 学 の 精 神 で あ る た 自 習 室 を 利 用 し た り し て 、 生 徒 の に あ ふ れ 、 何 事 に も 真 剣 な 生 徒 が 多 な 制 度 に な り 、 昨 年 度 か ら 開 設 さ れ 向 に あ り ま す が 、 私 た ち 生 徒 は 活 気 六 月 に は 定 期 考 査 、 今 年 か ら 新 た 毎 年 岩 ケ 崎 高 校 の 生 徒 数 は 減 少 傾 キ ャ ン パ ス 春 秋 き ま し た 。 残 し て い る 部 活 動 も あ り ま す 。 活 動 ご と に 良 い 成 績 を 残 す こ と が で 大 会 や コ ン ク ー ル な ど で も 好 成 績 を ま し た 。 そ し て 支 部 総 体 も あ り 各 部 賛 の 声 を い た だ い て お り ま す 。 各 種 7 8 ① ② ③ ・ 岩 ケ 崎 高 校 学 校 長 高 橋 清 志 高 橋 義 典 同 窓 会 と い た し ま し て は 今 年 で 鶯 ・ 同 窓 会 か ら ご 挨 拶 を 会 頂 き 長 ま し た 。 葛 岡 敬 重 称 利 略 ) 沢 工 業 高 校 同 窓 会 と の 統 合 三 年 目 を ・ 同 窓 会 仙 台 支 部 長 ( ご 来 賓 の 方 々 を 紹 介 致 し ま す 。 〃 〃 副 支 支 部 部 長 長 亀 遠 山 藤 ・ 迫 桜 高 校 同 窓 会 東 京 支 部 晶 幸 子 治 ご 来 賓 を 代 表 し て 以 下 の 三 名 の 方 幹 幹 事 務 事 事 局 長 〈 記 ・ 長 沼 〉 9 閉 会 の 辞 は 東 京 岩 高 会 ・ 佐 藤 政 弘 巻 き 起 こ っ た 会 と な り ま し た 。 高 」 と 校 歌 斉 唱 を 行 い 大 歓 喜 の 渦 が を 務 め た 卒 業 生 で 「 フ レ ー フ レ ー 岩 正 に 「 絆 」 の ラ イ ン と な り 、 応 援 団 「 高 校 三 年 生 」 「 ふ る さ と 」 を 歌 い 部 長 に よ る 開 会 宣 言 が 行 な わ れ 支 部 四 十 六 年 卒 東 京 岩 高 会 ・ 後 藤 直 副 支 前 支 支 部 部 長 長 千 玉 阿 熱 佐 田 井 部 海 藤 長 の 司 会 進 行 で 始 ま り 、 開 会 の 辞 は ・ 築 館 高 校 同 窓 会 東 京 支 部 英 順 重 光 公 雄 一 一 顕 輝 ①佐々木支部長、②葛岡会長、③高橋校長 ④「東北のまん中で写真日記」スライド放映を 歓喜の声を上げながら見入る出席者の皆様方 副 支 部 長 が 行 い 、 大 盛 会 の う ち に 閉 長 を 務 め 六 年 目 の 佐 々 木 く に 子 支 部 〃 〃 〃 〃 〃 ④ 会 と な り ま し た 。 長 の 挨 拶 で 総 会 の 幕 を 開 き ま し た 。 最 後 は 、 出 席 者 が 腕 を 組 み 合 い 方 よ り 暖 か い 拍 手 が 贈 ら れ ま し た 。 守 っ て い き た い と い う 思 い が 感 じ ら 映 像 に お い て は 、 故 郷 の 美 し い 姿 を 平 成 元 年 卒 の 須 藤 康 之 様 に 対 し 先 輩 近 況 報 告 で は 、 初 め て 参 加 さ れ た 総 会 は 五 十 二 年 卒 ・ 高 橋 聖 副 支 部 役 員 の ご 出 席 を 頂 き ま し た 。 ら は 昨 年 に 引 き 続 き 同 窓 会 東 京 支 部 在 郷 近 隣 の 築 館 高 校 や 迫 桜 高 校 か 名 を 超 え る 大 盛 会 と な り ま し た 。 ・ ・ 恩 岩 師 〃 〃 ケ 〃 崎 高 校 仙 総 教 学 台 務 校 支 部 頭 長 部 長 長 出 席 を 頂 き 、 昨 年 に 引 き 続 き 1 0 0 同 窓 生 と 御 来 賓 、 総 勢 1 1 5 名 の パ ー ク に て 開 催 さ れ ま し た 。 日 ) 午 前 十 一 時 、 上 野 公 園 グ リ ー ン 写 し 出 さ れ 、 郷 愁 ム ー ド が 漂 い 、 最 か ら 、 ふ る さ と の 四 季 折 々 の 映 像 が 上 げ て い る 五 十 四 年 卒 の 土 井 祐 之 様 う 」 等 の 販 売 が 行 な わ れ ま し た 。 「 し そ 巻 」 や 「 ま ぼ ろ し の ま ん じ ゅ て 、 菅 原 由 美 子 幹 事 に よ る 栗 駒 の な お 本 年 も 復 興 支 援 の 一 環 と し 「 東 北 の ま ん 中 で 写 真 日 記 」 を 立 ち 大 師 の 御 札 が 贈 ら れ ま し た 。 第 五 十 八 回 第 五 十 八 回 ・ 東 京 岩 高 会 総 会 は 、 東 京 岩 高 会 総 会 開 催 報 告 ・ 同 〃 〃 〃 〃 〃 窓 会 常 任 幹 事 常 任 幹 事 常 副 副 会 任 会 会 幹 長 長 長 事 千 小 西 高 高 加 佐 佐 菅 葉 畑 塚 橋 橋 藤 藤 々 原 木 紀 征 久 義 清 和 勝 浩 雄 也 良 典 志 洋 美 行 紀 後 に 映 し 出 さ れ た 文 字 ・ 深 山 牧 場 の 平 成 二 十 六 年 十 一 月 二 十 九 日 ( 土 曜 今 年 の 特 別 講 演 は 地 元 で ブ ロ グ 満 場 一 致 で 採 択 ・ 承 認 さ れ ま し た 。 り 、 佐 々 木 く に 子 支 部 長 が 再 選 さ れ 年 度 は 二 年 に 一 度 の 役 員 改 選 に あ た た 出 席 さ れ た 同 窓 生 へ 高 野 山 の 弘 法 の 還 暦 ( 四 十 八 年 卒 ) の 節 目 を 迎 え 十 歳 の 古 希 ( 三 十 八 年 卒 ) 、 六 十 歳 八 十 歳 の 傘 寿 ( 二 十 八 年 卒 ) 、 七 後 葛 藤 岡 家 重 光 利 び に 次 年 度 の 計 画 案 が 発 表 さ れ 、 今 担 当 幹 事 か ら 活 動 報 告 や 会 計 報 告 並 秋 幹 事 長 が 議 長 に 選 出 さ れ た 後 、 各 議 事 進 行 は 、 五 十 三 年 卒 の 長 沼 和 で 、 や が て 懇 談 が 始 ま り ま し た 。 し 四 十 八 年 卒 ・ 千 葉 正 宏 様 の 発 声 乾 杯 は 還 暦 を 迎 え る 同 窓 生 を 代 表 誠 に 素 晴 ら し い 講 演 と な り ま し た 。 席 も 頂 き 二 十 五 名 が 集 い ま し た 。 四 十 八 年 卒 が 対 象 で 、 仙 台 か ら の 出 を 頂 き 、 今 年 の 「 還 暦 を 祝 う 会 」 は 迎 え 、 同 校 か ら 二 名 の 卒 業 生 の 出 席 く れ な い か 」 と お 声 が 掛 か っ て お り 「 年 老 い た 母 に 見 せ た い か ら 写 真 を よ 」 「 田 舎 に 帰 り た く な っ た よ 」 れ 、 出 席 者 か ら は 「 懐 か し か っ た 第 五 十 八 回 東 京 岩 高 会 総 会 03 湧 き 出 で る 笑 顔 の 泉 岩 高 家か 族い 本総会には岩高同窓生のほか、迫桜高校、築館 高校の卒業生の皆様方、合わせて総勢115名 のご出席を頂きました。 (2014/11/29. 上野公園西郷象前階段にて) 10 こ の 日 の 私 達 の 姿 を 笑 顔 を 届 け ま す 。 11 遥 か な 彼 方 に 逝 っ た 同 胞 の 皆 様 方 へ ・ ・ ・ ・ ・ 02 第58回総会・写真集 次回はあなたの笑顔と 出会いましょう! 平成27年11月28日(土) 上野グリーンパークで待っています 東京岩高会役員一同より 12 平成27年度(H26/11/01~H27/10/31) 属 賛 本 本 本 本 仙 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 卒 年 氏 名 斎藤 君代 S 37 菊池 清子 S 37 芳賀 康雄 S 45 後藤 仁 S 50 菅原 弘幸 S 26 飯田 正量 S 26 伊藤 七郎 S 26 小野寺喜美夫 S 26 亀井 栄利 S 26 栗原 孝允 S 26 佐竹 章 S 26 佐藤 明 S 28 伊藤 末治郎 S 28 及川 博子 S 28 小野寺美代子 S 28 千葉 秀夫 S 28 早坂 章治 S 28 吉野 玲子 S 29 鎌田 匡之 S 29 藤代 實 S 30 白鳥 吉幸 S 30 菅原 正八 S 30 高橋 次夫 S 31 菅原 一 S 31 高橋 貞子 S 32 鈴木 俊之 S 32 高橋 東三 S 32 西島 栄子 S 33 木名瀬五百子 S 33 袋 康男 S 34 石井 紀子 S 34 清田 泰子 S 34 小林 たか子 S 34 佐々木賢太郎 S 34 佐藤 茂 S 34 四ノ宮 信男 (注)表中記号: 属 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 卒 年 S 34 S 35 S 35 S 35 S 35 S 35 S 35 S 35 S 36 S 36 S 36 S 36 S 36 S 36 S 36 S 36 S 36 S 36 S 36 S 36 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 氏 名 千葉 辰夫 石井 邑子 岡本 昭雄 鎌田 正聰 小柳 典子 須田 和恵 高橋 嘉紀 内藤 利雄 大内 敏彦 大久保 信子 小畑 丈夫 加藤 旭孝 久保田 信子 佐々木 稔 菅原 富夫 千葉 圭一 奈須野 栄子 袋 幸男 穂積 宏哉 渡部 朋子 伊藤 克侑 岩泉 冽 岩渕 洋子 岩本 定美 及川 勝美 笈川 くら子 木下 峰子 熊谷 栄子 栗原 しげ子 佐々木くに子 白石 栄子 真保 清美 菅原 巧 菅原 武人 菅原 三千男 鈴木 晃 年会費ご協力者名 属 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 卒年 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 37 S 38 S 38 S 38 S 38 S 38 S 38 S 39 S 39 S 40 S 40 S 40 S 40 S 40 S 41 S 41 S 42 S 42 S 42 S 42 S 42 S 42 S 42 S 42 S 44 S 44 氏 名 須田 陽子 高橋 友子 高松 武巳 武田 桂子 太宰 東臣 千葉 昭一 津田 久子 宮原 ミワ子 結城 家寿子 遊佐 利昭 吉野 久子 岩永 寿子 大関 信輔 加藤 久仁雄 佐藤 次雄 只野 和夫 二川 陽子 佐々木 元子 蘇武 昌三 小山 ハルミ 桑原 盛一 佐藤 光夫 高橋 節郎 谷川 桂子 後藤 次郎 蘇武 巌 小川 晶平 狩野 恒雄 佐藤 美喜子 高橋 秀男 高橋 有子 河合 礼子 千葉 健二 宮本 洋子 飯田 伸雄 伊藤 税 敬称略 属 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 卒年 S 45 S 45 S 45 S 45 S 45 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 46 S 47 S 47 S 47 S 47 S 47 S 47 S 47 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 平成27年7月11日現在 氏 名 伊藤 初雄 大木 貞子 葛岡 制紀 高橋 初美 松岡 育子 浅野 弘巳 伊藤 光男 後藤 直 佐々木 勇伍 佐藤 猛 佐藤 政弘 渋谷 力 菅原 正雄 菅原 良子 高村 浩子 千葉 まし子 長沢 斉 長瀬 真一 野口 栄子 芳賀 進 守屋 みさ子 山本 信子 和仁 洋子 太田 洋子 川村 信子 佐々木 静郎 菅原 修悦 関 幸子 森岡 光子 和久 充 浅野 和優 石井 仁子 岩崎 哲雄 岩松 智恵子 宇佐美 弘子 大久保 廣幸 属 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 東 卒年 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 48 S 49 S 49 S 49 S 49 S 49 S 50 S 50 S 51 S 52 S 52 S 52 S 52 S 52 S 53 S 53 S 53 S 53 S 54 H 1 H 1 氏 名 栗原 武 小甲 定子 佐藤 いつ子 佐藤 久恵 澤田 直子 澤田 由紀子 菅原 典子 鈴木 美作子 高橋 洋 千葉 繁典 千葉 正宏 鳥澤 あや子 本田 みき子 密島 眞夫 森尾 博美 渡辺 秀嗣 熊谷 ふじえ 佐々木 哲夫 菅原 由美子 畠山 純子 松田 清子 熊谷 純一 菅原 俊雄 古舘 芳子 高橋 朗 高橋 聖 千葉 進 二階堂ひろみ 星 光男 高橋 良哉 長沼 和秋 安田 文江 山口 真貴 佐藤 隆仁 須藤 康之 武内 里恵 賛=賛助会員、本=本部、仙=仙台支部、東=東京支部、を示します。 第58回 東京岩高会総会で可決された平成26年度決算報告と平成27年度予算 平成26年度 決算報告 (H25/11/01~H26/10/31) 平成27年度 予算 (H26/11/01~H27/10/31) 収入の部 支出の部 収入の部 支出の部 項目 前期繰越金 金額(円) 140,663 助成金 総会参加費 100,000 854,260 新年会参加費 暑気払参加費 年会費協力金 ご祝儀 広告料 雑収入 金額(円) 862,060 項目 前期繰越金 金額(円) 172,246 新年会費 暑気払費 108,000 117,635 助成金 総会参加費 100,000 800,000 新年会費 暑気払費 100,000 100,000 109,000 100,000 会報制作費 通信運搬費 461,263 30,151 新年会参加費 暑気払参加費 100,000 100,000 会報制作費 通信運搬費 460,000 30,000 565,000 135,000 慶弔費 事務用品費 38,706 34,924 年会費協力金 広告料 465,000 85,000 慶弔費 事務用品費 20,000 40,000 85,000 154 項目 総会費 旅費交通費 年会費受入手数料 120,000 14,340 会議費 本部等総会参加費 78,524 50,456 手数料ほか 計 13 2,089,077 次年度繰越金 計 項目 総会費 旅費交通費 年会費受入手数料 会議費 本部等総会参加費 金額(円) 800,000 120,000 15,000 70,000 50,000 772 172,246 2,089,077 予備費 計 1,822,246 計 17,246 1,822,246 ご ざ い ま し た 。 て も 楽 し み で こ の 日 が 待 ち 遠 し か っ 有 り 難 う ご ざ い ま し た 。 頑 張 り た い と 思 い ま す 。 あ り が と う す 。 先 発 メ ン バ ー に 選 ば れ る よ う に そ れ に 向 け て 練 習 に 取 り 組 ん で い ま か け た 入 れ 替 え 戦 が 行 わ れ る の で 、 た 。 五 月 九 日 に は 二 部 リ ー グ 昇 格 を 加 し 、 見 事 優 勝 す る こ と が で き ま し 大 学 ソ フ ト ボ ー ル の 春 季 リ ー グ に 参 以 上 に 先 輩 方 や 同 級 生 と 会 う 事 が と 心 配 事 も 幾 つ か 有 り ま し た が 、 そ れ え な い か 、 し っ か り 合 流 出 来 る か 、 京 に 行 く と 言 う 事 で 電 車 に 乗 り 間 違 て い た だ き ま し た 。 初 め て 一 人 で 東 ■ 今 回 は 初 め て 岩 高 会 兵藤 優丞 に (ヒョウドウ ユウスケ) H27年卒 参 築館出身 加 さ 土浦市在住 せ と 思 い ま し た 。 良 か っ た で す 。 是 非 ま た 参 加 し た い せ て く れ る よ う な 同 級 生 に 再 会 で き て 「 自 分 も 勉 強 し な い と ! 」 と 思 わ の た め に 大 学 に 入 学 し ま し た 。 そ し 私 は 理 学 療 法 士 に な る の が 夢 で そ じ る 事 が で き と て も 良 か っ た で す 。 五 月 の 連 休 は 埼 玉 県 で 開 催 さ れ た 人 っ ぽ く な っ て い て 思 わ ぬ 変 化 を 感 し た い と 思 い ま す 。 た 。 同 級 生 は 少 し 会 わ な い 内 に 大 む こ と が で き ま し た 。 ぜ ひ ま た 参 加 時 間 が 経 つ の が あ っ と い う 間 で し 人 だ け の 参 加 で し た が 、 と て も 楽 し こ と が で き ま し た 。 今 回 は 女 子 は 一 平 成 二 十 七 年 卒 上 京 者 の 歓 迎 会 に 参 加 し て こ と が で き 、 充 実 し た 時 間 を 過 ご す の こ と な ど 楽 し い 話 を た く さ ん す る 方 や 同 級 生 と 地 元 の こ と や 大 学 生 活 美 味 し い 料 理 を 食 べ な が ら 、 先 輩 ど 宜 し く お 願 い し ま す 。 は あ り ま す が こ れ か ら も ご 指 導 の ほ お り ま す 。 世 間 に 出 た て の 不 束 者 で 深 め て い く こ と が で き た ら と 思 っ て 同 級 生 と と り と め の 無 い 話 し を し た し を 聞 い た り 、 久 し ぶ り に 再 会 し た た で す 。 そ し て 先 輩 方 の 楽 し い お 話 り 、 美 味 し い お 料 理 を い た だ い た り で 待 ち 遠 し か っ た で す 。 岩 高 出 身 の 先 輩 方 と の 交 流 を も っ と と も あ り ま し た が 、 こ の 日 が 楽 し み こ れ か ら も こ の よ う な 会 を 通 し て 東 京 に 行 く の は 初 め て で 不 安 な こ 本 当 に あ り が と う ご ざ い ま し た 。 歓 迎 会 に 参 加 さ せ て 頂 き ま し た 。 素 晴 ら し い 歓 迎 会 を 開 い て い た だ き ● 今 回 、 東 京 岩 高 会 高橋 亜実 ・ 新 (タカハシ アミ) H27年卒 卒 尾松出身 上 ソフトボール部 京 小山市在住 者 ■ 今 回 は 私 達 の た め に 小野寺 和樹 こ (オノデラ カズキ) H27年卒 の 金成出身 よ う 宇都宮市在住 な 話 の 玉 手 箱 ・ 会 員 の 窓 緊張気味の新卒者の皆様(5名出席)。 かつての私達の姿が忍ばれます。 歓談後は打ち解けて笑顔が広がります。 (八丁堀のキャプリス前にて) (前列5名が新卒上京者の皆様) 見守る諸先輩方も感激の笑顔です。 14 が あ っ た よ う で 蘇 武 前 校 長 も 憤 懣 や 今 年 の 三 月 に 県 教 委 よ り 急 な 決 定 作 業 に あ た っ た 数 か 月 間 の 苦 労 が 報 日 だ け で な く 平 日 の 夜 遅 く ま で 編 集 よ り お 褒 め の 言 葉 を 頂 い た 事 は 、 土 「 素 晴 ら し い 会 報 だ 」 と 多 く の 皆 様 菅 原 正 雄 編 集 長 の 出 席 に 際 し 、 な っ た の は い う ま で も あ り ま せ ん 。 か ら の ご 挨 拶 で あ り 、 何 か 嬉 し く き 、 そ れ は も ち ろ ん 本 校 の 生 徒 た ち う 元 気 な 挨 拶 が 幾 重 に も 優 し く 響 < 結 び > 15 残 念 な 報 告 が 御 座 い ま し た 。 先 ず は 母 校 に て 四 月 よ り 着 任 さ れ 工 学 科 は 迫 桜 高 校 に 移 行 さ れ る と の て 出 席 さ せ て 頂 き ま し た 。 が 三 十 年 卒 業 を も っ て 終 了 し 、 創 造 お り ま し た 。 遇 し ま し た ら 、 「 こ ん に ち わ 」 と い 集 長 、 浅 野 幹 事 、 並 び に 私 の 四 名 に 本 部 総 会 に 出 席 し て 部 同 窓 会 に 、 佐 々 木 支 部 長 、 菅 原 編 ベ ル デ ィ 栗 駒 に て 開 催 さ れ た 岩 高 本 平 成 二 十 六 年 八 月 二 日 ( 土 曜 日 ) ぷ り な お も て な し を 頂 き ま し た 。 進 行 で 流 石 に 元 気 良 く ユ ー モ ア た っ 今 回 は 五 十 年 卒 、 六 十 年 卒 が 当 番 歓 待 さ れ 終 始 御 配 慮 を 頂 き ま し た 。 向 か い ま し た 。 十 五 時 よ り の 総 会 に と の 試 合 も 激 戦 で 好 試 合 と 話 さ れ て 喝 采 で し た 。 岩 高 の 第 二 回 気 仙 沼 高 し て 甲 子 園 に 出 場 と の 事 、 満 場 拍 手 行 の 奈 の 須 息 野 子 毅 さ さ ん ん が 利 総 府 会 高 第 の 一 エ 部 ー 司 ス 会 と 進 嬉 し い ニ ュ ー ス と し て は 六 十 年 卒 然 に も 、 五 ~ 六 名 の 女 子 高 校 生 と 遭 本 校 に 向 か う 前 の 道 の り で は 、 偶 く 感 じ た 一 日 で あ り ま し た 。 は ア テ ン ド 頂 き 、 同 窓 会 で の 絆 を 強 総 会 後 は 恒 例 の 二 次 会 会 場 へ 向 か 高 橋 校 長 先 生 よ り 岩 高 創 造 工 学 科 幹 事 長 長 沼 和 秋 い 、 そ の 後 も 夜 遅 く ま で 葛 岡 会 長 に る よ う に 心 が け て い ま す 。 こ れ か ら 栄 養 を 考 え バ ラ ン ス の よ い 食 事 を す と 感 じ ま し た 。 特 に 食 事 に 関 し て 、 分 一 人 で や っ て み る と 毎 日 大 変 だ な ぼ 母 が し て く れ て い た の で 、 い ざ 自 お 褒 め の 言 葉 を 頂 き 会 談 致 し 会 場 に ま な 言 す 話 個 の 。 が 性 話 で 豊 で き か よ る な く の 人 盛 で た り と ち 上 て と が も 出 っ 充 会 て 実 い い し 、 ま て 様 す い 々 。 が 集 ま っ て い る の で 、 地 元 の 話 や 方 い も の ば か り で す 。 日 本 全 国 か ら 人 な る の で 時 々 混 乱 し ま す が 、 興 味 深 大 学 の 授 業 は 高 校 ま で と 時 程 が 異 お り ま し た 。 て い こ う と 思 い ま し た 。 あ る け れ ど 、 将 来 を 見 据 え て 頑 張 っ 不 安 に な る こ と や 失 敗 す る こ と も れ か ら は 関 心 の あ る こ と に 挑 戦 し て や り た い 事 が た く さ ん あ る の で こ 張 っ て い き た い で す 。 が 、 時 々 地 元 で の こ と を 思 い 出 し 頑 年 間 で 辛 い こ と も あ る と 思 い ま す じ る と と も に 、 頑 張 ら な き ゃ と い う 経 っ て い な い の に す ご く 懐 か し く 感 わ れ た と 思 い ま し た 。 過 ご し て い き た い と 思 い ま す 。 調 管 理 を し っ か り し て 、 毎 日 楽 し く ま す ま す 勉 強 が 大 変 に な る の で 、 体 い き た い で す 。 パ ワ ー も も ら い ま し た 。 こ れ か ら 四 ご せ て い ま す 。 た 。 地 元 を 離 れ て ま だ 一 ヶ 月 程 し か 今 ま で 食 事 や 洗 濯 な ど の 家 事 は ほ 楽 し い 時 間 を 過 ご し て い ま す 。 安 で し た が 徐 々 に 慣 れ て き ま し た 。 慣 れ な い 環 境 で の 生 活 は と て も 不 親 切 な 近 所 の 方 々 に 支 え ら れ な が ら 家 族 か ら の メ ー ル や 気 の 利 く 友 人 、 は 慣 れ ず 大 変 な こ と ば か り で す が 、 の 日 々 で す 。 ま だ ま だ 一 人 暮 ら し に 山 梨 に 来 て 早 一 ヶ 月 。 毎 日 が 勉 強 て 不 安 を 打 ち 消 し て い ま し た 。 を 覚 え 、 毎 日 実 家 の 愛 犬 の 画 像 を 見 土 地 で 一 人 暮 ら し を す る こ と に 不 安 最 初 は 知 り 合 い の い な い 知 ら な い り 、 バ イ ト も は じ め 、 ホ ー ム シ ッ ク た 。 友 人 も 出 来 、 サ ー ク ル に も 入 暮 ら し や 学 校 生 活 に も 慣 れ て き ま し 地 元 を 離 れ て 一 ヶ 月 が 経 ち 、 一 人 て い る の で 、 毎 日 充 実 し た 日 々 を 過 人 が で き 、 授 業 に も や り が い を 感 じ し か し 、 学 校 が 始 ま っ て か ら は 友 い 、 地 元 の 話 や 思 い 出 を 語 り ま し す 。 先 日 久 し ぶ り に 地 元 の 友 人 に 会 に な る 暇 が な い ほ ど 充 実 し て い ま 菅 原 優 奈 ( 野 田 市 ) 故 郷 を 離 れ て 感 じ た 事 ] る か た な い 気 持 ち を 傍 に き て 語 っ て … … … た 高 橋 義 典 校 長 先 生 、 西 塚 久 良 教 頭 [ 先 生 と 他 の 先 生 方 に 出 迎 え ら れ ま し ( て 一 時 間 ほ ど 近 況 を 伺 い 、 東 京 岩 高 ) 会 第 五 十 六 号 会 報 に 対 し て 絶 賛 さ れ 新 卒 上 京 者 の 声 高 橋 優 花 ( 都 留 市 ) 井 上 悠 子 ( 杉 並 区 ) 葛 岡 茉 樹 ( 習 志 野 市 ) を 告 げ た 。 し デ に 聞 ど に と 私 も 「 リ 用 こ う 早 。 呼 の し は ー 意 え 切 く 心 び 口 」 い ト し て り 打 臓 出 、 さ た き 出 っ が し の M れ フ た す た 思 中 男 て レ ら ? 。 い 音 は 乾 で し ー ど あ 応 っ が き す ま ズ う い 答 切 鳴 言 。 っ が す つ が り る も た す る の あ 駆 。 葉 が し 。 べ ? 沈 っ け 一 う て 先 痛 た た 回 も ま 頭 刻 な ら 後 、 し く か ま 声 先 の 2 、 出 も ら で が ず 様 回 し い け ど 事 実 な ん だ よ ね 。 そ の 事 実 失 っ た こ と 今 で も 信 じ ら れ な い 。 悔 「 先 生 、 俺 ね 、 娘 と 母 親 を 津 波 で の ア ル バ ム の こ と を M 男 に 持 ち 出 私 は 、 ず っ と 気 掛 か り で い た 一 冊 生 憎 不 在 。 を 手 土 産 に 彼 の 自 宅 を 訪 問 し た が 、 方 不 明 の ま ま だ っ た 。 で 発 見 さ れ た 。 残 念 な が ら 長 女 は 行 た だ 頷 く だ け だ っ た 。 言 え な い 自 分 を な じ り な が ら 、 私 は 「 昔 と 変 わ ら な い な あ 」 と 、 何 も し た 。 子 ど も た ち が 喜 び そ う な 菓 子 ア ル バ ム を M 男 の も と に 戻 す こ と に そ ろ そ ろ 時 期 か と 思 い 立 ち 、 私 は 波 に 襲 わ れ 、 三 ヶ 月 後 に 母 親 は 遺 体 長 女 ( 当 時 小 学 6 年 ) が 押 し 寄 せ た 津 波 に 飲 ま れ た 。 こ の 津 波 で 母 親 と 生 ま れ 育 っ た 集 落 も 家 も 一 瞬 に し て 2 k m ほ ど 上 流 付 近 に あ っ た 自 分 の 沿 岸 部 を も 襲 っ た 。 北 上 川 河 口 か ら を 送 っ て い る 」 と 気 さ く に 話 す 。 と し て 、 大 変 だ け れ ど 充 実 し た 日 々 斐 あ っ て 取 得 。 現 在 で は 中 間 管 理 職 に 関 す る 諸 資 格 取 得 を 勧 め ら れ 、 甲 上 司 に も 恵 ま れ , 道 路 維 持 管 理 事 業 「 今 の 仕 事 に 満 足 し て い る 。 良 き あ れ は 彼 の 長 女 が 小 学 校 中 学 年 頃 も 結 婚 し 三 人 の 女 の 子 に 恵 ま れ た 。 と 感 じ つ つ 。 さ ら に 歳 月 が 経 ち 、 彼 も 昔 と 一 向 に 変 わ ら ぬ 頑 固 者 だ な ! ル バ ム を 預 か る こ と に し た 。 あ い つ の こ と だ と 記 憶 す る 。 だ っ た 。 家 を 津 波 で 流 出 , 何 と か 家 族 は 無 事 も 被 災 者 で , 石 巻 市 北 上 町 に あ る 実 あ の 日 、 M 男 は 石 巻 市 北 上 の 実 家 発 生 。 そ の 後 に 大 津 波 が 石 巻 地 方 の そ し て 午 後 2 時 4 6 分 に M 9 の 地 震 か ら 仙 台 へ 平 常 通 り の 通 勤 だ っ た 。 気 が す る ん で す よ 」 と 語 る 。 子 の 元 気 な 声 が 聞 こ え て く る よ う な 「 こ こ に 来 る と 娘 に 会 え る 。 あ の 半 ば 強 引 に 託 す M 男 の 決 意 に 折 れ ア 持 っ て い る べ き だ 」 と 固 辞 し た が 、 『 思 い 』 を 語 る た め に も お ま え が 仙 台 で 理 容 業 に 従 事 す る H 男 。 H 男 は M 男 と は 中 学 時 代 か ら の 親 友 で 、 回 っ て い た 。 番 号 を 教 え て く れ た の 2 0 1 5 年 3 月 5 日 , 夜 の 8 時 を こ う 語 っ た 。 い 。 彼 は 、 被 災 時 と そ の 後 の 様 子 を る だ け で 何 も 言 え な い 自 分 が 口 惜 し ま ま M 男 と の 会 話 に 浸 っ た 。 傾 聴 す 何 度 も 足 を 運 び 、 時 を 過 ご し た 。 隣 人 の 声 を 頼 り に 、 北 上 川 の 川 縁 に 波 襲 来 直 前 に 長 女 を 見 か け た と い う 震 災 後 も 勤 務 の な い 日 に 彼 は 、 津 生 ま れ て く る 子 ど も た ち に 、 そ の 求 め た 日 々 を 綴 っ た も の だ 。 将 来 に 「 お ま え が 必 死 に な っ て 夢 を 追 い い し ま す 」 う に 「 0 9 0 携 帯 の 番 号 を 一 つ 一 つ 」 確 。 か め る よ -****-**** な い 。 何 と か 気 を 振 り 絞 り 自 分 の 名 徐 々 に 気 持 ち も 解 れ 、 時 の 流 れ る ち ま っ た 」 逞 し さ を 感 じ る 。 と す る こ の 言 葉 に 、 凜 と し た M 男 の と へ の 焦 燥 を 感 じ つ つ も 立 ち 直 ろ う ら 。 先 生 だ か ら 預 け ら れ ま す 。 お 願 の 生 き 方 を 語 る 一 番 大 事 な も の だ か 「 し ば ら く 預 か っ て く だ さ い 。 俺 心 臓 の 振 り 子 が 一 瞬 静 渋谷 力 止 し 私立明成高校 た 臨時職員 。 S46年卒 あ れ か ら 四 年 ( そ の ( 2 ツ ) ナ グ ) 尾松出身 れ た し 、 連 絡 先 デ ー タ も 全 部 流 さ れ 長 女 を 亡 く し た こ と で 、 生 き る こ の 結 婚 前 だ っ た と 思 う 。 よ 。 通 じ な い は ず で す 。 携 帯 も 流 さ 男 の 顔 が 携 帯 の 向 こ う に 見 え る ) た あ る 日 、 ふ と 私 を 訪 ね て き た 。 彼 「 あ 、 そ れ 古 い 携 帯 の 番 号 で す い と す る か の よ う に 声 を 押 し 殺 す M M 男 は 高 校 を 卒 業 し て し ば ら く し い と し き 人 へ た ん だ が ? 」 と 私 。 「 何 度 も お ま え の 携 帯 に 電 話 を か け ど 。 全 部 津 波 に 流 さ れ ち ま っ て 」 。 も っ と 早 く に 連 絡 と 思 っ た ん だ け 「 あ 、 先 生 。 し ば ら く 振 り で す 。 ( 背 負 っ た も の の 重 さ を 感 じ さ せ ま 分 ま で 残 っ た 家 族 を 守 ん な き ゃ ね 」 ま だ 家 族 が い る ん だ も ん 。 あ の 子 の 生 き な き ゃ 駄 目 な ん だ よ ね 。 だ っ て か ら は 目 を 背 け ず 逃 げ ず に 前 向 き に が 一 杯 に 詰 ま っ て い た 。 で 野 球 児 と し て 頑 張 っ た 思 い 出 と 夢 う し ア だ 、 ル 。 そ し バ て ム に 詫 は び 彼 た 。 が 詫 中 び 学 た か 理 ら 由 高 校 は ま こ 16 違 う だ ろ う 。 ま さ に 心 の 支 援 ・ 復 興 が 不 可 欠 で あ 『 絆 』 と い う 言 葉 が 行 き 交 う 中 で な か っ た も の が 見 え て き て も い る 。 ◇ ◇ ◇ ( つ か ) え て い た 心 の 重 し を 幾 分 軽 M 男 の 言 葉 が し ば ら く 私 の 胸 に 痞 に 行 き 語 り か け る ん だ 」 ら 、 ま た ( 娘 が 流 さ れ た ) あ の 場 所 と 信 じ て い る 。 挫 け そ う に な っ た と か 家 族 を 励 ま し 後 押 し し て く れ る れ に ね 、 亡 く な っ た 娘 も 天 国 か ら 俺 俺 の 言 葉 で き ち ん と 伝 え る か ら 。 そ 「 先 生 、 大 丈 夫 だ よ 。 俺 の 思 い は 出 現 、 家 族 構 造 や 夫 婦 の 構 造 の 変 ざ い 』 な ど の 卑 下 ・ 揶 揄 す る 言 葉 の て ら く 』 る や 『 学 仮 校 設 ・ 住 地 居 域 の 面 中 ( で づ の ら 『 ) う し し て い る 。 例 え ば , 周 囲 の 無 理 解 か て 心 身 ス ト レ ス 問 題 が 顕 在 、 深 刻 化 ら れ て い る 人 が 未 だ 多 く い る 。 そ し 身 共 に 不 自 由 な 生 活 を 長 期 的 に 強 い 設 住 宅 入 居 者 数 も 3 万 人 を 超 え 、 心 県 内 で の 避 難 生 活 者 は 7 万 人 、 仮 ◇ と 遊 び 空 間 の 喪 失 な ど こ れ ま で 見 え 化 、 孤 独 死 、 子 ど も た ち の 学 習 空 間 鎮 魂 の 灯 ( 平 成 二 十 七 年 三 月 十 一 日 ) 鎮 魂 の 碑 ( 平 成 二 十 七 年 三 月 十 一 日 ) 17 せ ず に 済 ん だ は ず だ と 悔 や ま れ る 。 ム を 戻 す 時 期 を 先 延 ば し す れ ば 流 出 し た の だ 。 あ の 時 、 も う 少 し ア ル バ 語 っ て あ げ る べ く 愛 娘 を も 一 人 亡 く ら ず に 、 あ の 日 に 大 津 波 で 流 失 。 伝 言 を 置 き お い と ま し た 。 も た ち に 語 っ て あ げ な さ い 」 と 短 い ム に お ま え ら し い 言 葉 を 添 え て 子 ど の 貴 重 な 思 い 出 と 『 夢 』 を 、 ア ル バ 「 こ れ か ら は 、 お ま え の 少 年 時 代 れ な い が 。 な い 。 そ れ は 重 荷 と も と れ る か も 知 ち 、 未 来 を た ぐ り 寄 せ な け れ ば な ら く 「 震 災 の お か げ で 」 と 奮 い 立 せ メ る い い ー 風 る で ジ 評 背 は 被 景 よ 害 が 」 り と あ と 大 一 る ふ き 体 よ さ く 化 う ぎ な し だ 込 る た 。 む 。 と 復 の 「 き 興 で 震 そ を は 災 の 妨 な の ダ げ 関 心 の 低 下 等 支 援 の 風 化 が 加 速 し て が あ る と い う 。 復 興 半 ば に あ っ て 、 目 を 迎 え 先 行 き 不 安 が 募 っ て い る 感 そ ん な 中 被 災 地 で は 震 災 か ら 四 年 談 員 と し て 携 わ っ て き た 。 教 室 は 課 後 学 び 教 室 」 ( 市 教 委 主 催 ) の 相 こ の 二 年 間 、 小 中 学 生 対 象 の 「 放 何 が 必 要 か ? い 。 震 災 が 残 し た 傷 跡 を 癒 や す の に が か か る こ と を も 忘 れ て は い け な り 継 い で い く の だ ろ う か と 。 を ど う 受 け 止 め 、 い か に 未 来 へ と 語 す る 被 災 者 た ち の 奮 闘 か ら 得 た 教 訓 市 内 小 中 学 校 に 設 置 さ れ た も の 。 生 徒 の 自 主 的 学 習 を 支 援 す る た め に 間 が 失 わ れ 、 そ の 確 保 が 難 し い 児 童 く さ れ 、 学 習 環 境 や 時 間 、 遊 び の 空 生 活 や 仮 設 住 宅 等 で の 生 活 を 余 儀 な 3 ・ 1 1 の 震 災 ・ 津 波 に よ り 、 避 難 ( 絆 ) 」 を 託 す ! 部 』 た ち に 未 来 へ の 大 き な 「 ツ ナ ギ 未 来 を 担 う 、 こ の 小 さ き 『 語 り … … … ( 結 び ) M 男 の 思 い 出 ・ 夢 を 子 ど も た ち に 語 運 命 の 悪 戯 か 。 そ の ア ル バ ム は 、 ・・・・ る 。 生 活 の 復 興 に 時 間 が か か る の と ◇ く し て く れ る の が 分 か っ た 。 ・・・・ 年 四 ? 年 2 が 0 長 経 1 か っ 5 っ た 年 た 。 3 四 あ 月 年 っ 1 ? 1 と 日 震 い 。 災 う あ 後 間 れ の の か 復 四 ら ・・・・ 同 じ よ う に 、 人 の 心 の 修 復 に も 時 間 興 再 生 の ス ピ ー ド を ど う 捉 え る か で う ◇ 後 世 に ◇ 語 り 継 ◇ ぐ こ と ◇ が 必 要 ◇ だ 。 1 の 惨 状 と そ れ か ら 立 ち 上 が ろ う と た 。 こ の 小 さ き 使 者 た ち が 、 3 ・ 1 た ち の 笑 い 声 や 笑 顔 に 接 し て 思 っ 挫 け な い 心 と 「 風 化 」 さ せ な い よ 担 当 し た 小 学 3 ・ 4 年 生 の 子 ど も 出 席 が 少 な い の で 、 女 性 の 出 席 を 増 年 に な る と こ ろ で 、 ま だ ま だ 女 性 の 男 女 が 合 併 し て か ら は よ う や く 十 周 で 、 長 い 伝 統 が あ り ま す 。 し か し 、 同 窓 会 は 戦 前 か ら 存 在 し て い た よ う 築 高 同 窓 会 東 京 支 部 は 、 男 子 高 の ( 栗 原 市 が 直 面 し て い る 問 題 も 同 じ 減 少 な ど 共 通 の 問 題 を 抱 え て い ま す 会 員 の 減 少 、 高 齢 化 、 そ し て 収 入 の る こ と が で き ま す 。 ど の 同 窓 会 も 、 に し て 各 々 の 同 窓 会 の 運 営 に 役 立 て す し 、 他 の 同 窓 会 の 運 営 方 法 を 参 考 い る の で は な い で し ょ う か 。 を 深 め る こ と は 大 変 有 意 義 な こ と で こ れ が 貴 会 の 活 力 の 原 動 力 に な っ て と は 素 晴 ら し い こ と だ と 思 い ま す 。 同 窓 会 同 志 が 互 い に 交 流 し 、 親 睦 大 変 有 難 う ご ざ い ま し た 。 員 が 重 要 な 役 割 を 担 っ て お ら れ る こ く 、 そ の う え 、 会 長 を は じ め 女 性 会 貴 会 の 総 会 は 女 性 の 出 席 者 が 多 長 様 に ご 出 席 頂 き ま し た 。 部 長 様 、 佐 藤 副 支 部 長 様 、 長 沼 幹 事 の 支 部 総 会 に は 貴 同 窓 会 の 佐 々 木 支 な い か と 思 い ま す 。 つ も は 当 方 の 総 会 よ り も 多 い の で は は 出 席 し て い た と 思 い ま す の で 、 い と の こ と で し た が 、 そ れ で も 百 人 程 交 流 を は か る こ と と な り 、 昨 年 七 月 京 同 窓 会 、 そ し て 古 川 高 校 同 窓 会 と 貴 高 は じ め 栗 原 市 内 の 他 の 高 校 の 東 昨 年 か ら 築 高 同 窓 会 東 京 支 部 は 、 昨 年 は い つ も よ り 出 席 者 が 少 な い て い る よ う で す 。 変 楽 し く 過 ご さ せ て 頂 き ま し た 。 も 、 運 動 部 ・ 文 化 部 共 に 低 調 に な っ 和 気 藹 々 と し た 総 会 で 、 私 共 も 大 こ せ と 言 っ て い る よ う で す 。 部 活 う ご ざ い ま し た 。 総 会 に ご 招 待 い た だ き 大 変 あ り が と 昨 年 十 一 月 二 十 九 日 佐藤 公輝 の 築館高等学校 貴 同窓会 高 東京支部長 同 S38年卒 窓 築館出身 会 を 行 き 、 築 高 は 岩 高 に 追 い つ き 追 い し た 。 し か し 、 今 で は 岩 高 の 方 が 先 面 で 活 躍 し て い る 先 輩 方 が 大 勢 い ま 致 し ま す 。 当総会で壇上に立つ 佐藤公輝様 卒年毎の近況紹介 (氏は右から3人目) 貴 同 窓 会 の 益 々 の ご 発 展 を お 祈 り 北 の 雄 な ど と 称 し て お り 、 実 際 各 方 い て お り ま す 。 私 共 の 頃 は 築 高 は 県 で か な り レ ベ ル ア ッ プ し て い る と 聞 願 い 致 し ま す 。 き 合 い を し て い た だ く よ う 心 か ら お と も あ れ 、 こ れ か ら も 楽 し い お 付 と こ ろ で 、 岩 高 は 近 年 、 学 力 の 面 と 思 い ま す 。 楽 し い 交 流 を 同 窓 会 同 志 の は 実 に う ら や ま し い 限 り で す 。 て い ま す 。 従 っ て 貴 会 の 女 性 の 活 躍 や す こ と が 私 共 の 課 題 の 一 つ に な っ る な ど と い う 機 会 が あ っ て も よ い か 話 し 合 う 場 を 設 け て 解 決 方 法 を 考 え よ う で す ) 。 今 後 、 こ れ ら の 問 題 を <ISO14000:2004 取得> - 環境に思いやり - 金属スクラップ・リサイクル 株式会社 ハガ 栗原市栗駒中野田町西150 TEL 0228-45-3421 FAX 45-5300 栗原田町にある広大な敷地と工場全景 代表:芳賀 恭(S46卒・岩ヶ崎出身) 18 の で し た 。 り 「 ク ラ ス 会 」 に 繋 げ た い と い う も 今 回 参 加 し た 理 由 は 、 も う 一 つ あ 集 ま る と 聞 き と て も 楽 し み で し た 。 し ま し た 。 同 級 生 は 二 十 五 人 ぐ ら い 半 分 で ド キ ド キ し な が ら 総 会 に 参 加 会 え る と の 事 で 懐 か し さ 半 分 、 不 安 今 回 は 、 四 十 二 年 ぶ 石野 久恵 り に S48年卒 同 細倉出身 級 東京都在住 生 と 伝 え た い か ら で す 。 人 が い た ら 「 と り あ え ず 会 お う 」 と と い う と 、 私 の よ う に 将 来 に 不 安 な た か 話 調 た て 初 来 が 所 二 は な 。 大 を べ 。 い め ま て 、 の 十 退 ま ぜ 体 し て そ る は た し 五 確 七 職 ず そ の た も れ の 十 近 ま 十 認 年 し 名 ん 名 り ら で か 通 況 い 通 の に て 簿 な 簿 あ っ も も 程 を ま 送 為 や か 作 に を の た 中 確 し 知 し っ 手 る ら 成 名 ら た た 作 手 り 学 と か 認 か せ 。 う 紙 と 簿 る こ 、 の 返 決 の ら ち を ま 意 始 に こ の 自 同 出 信 る 七 出 り 見 め こ と 手 宅 級 来 が 返 通 し ま も 、 だ が で や 会 ま 無 信 は た し あ 開 わ 出 、 実 の せ く 用 戻 の た り 催 る 来 な 家 名 ん 、 葉 っ で 。 平 時 の ま ん に 簿 で 届 書 て す 住 成 期 か し と 電 を し い も 会 を 四 人 で 行 い ま し た 。 ち ま し た 。 協 力 者 を 集 め 第 一 回 準 備 高 校 の ク ラ ス 会 を や り た い と 思 い 立 番 は 人 か な ? 。 友 人 関 係 を 見 直 し 、 同 窓 会 に 参 加 し 言 え ば 、 今 回 の て い ま す 。 そ う な と 思 っ た り し あ れ は 二 年 前 の 春 、 姉 が 大 学 に 入 19 た よ う に 感 じ ま し た 。 出 来 る と 良 い か 人 と も 懐 か し さ の せ い か 、 話 が 出 来 他 の ク ラ ス と も 代 に は 、 あ ま り 話 を し て い な い 男 の 会 が 楽 し く な り 懐 か し く 思 い 出 さ れ ま し た 。 高 校 時 ど ・ ・ ・ ク ラ ス 話 し て い る と 、 こ の 人 居 た 居 た と 、 る と 良 い の だ け 思 っ た り 、 こ の 人 誰 ? と 思 い な が ら ラ ス 会 に 向 か え な い 人 が い て 、 こ の 人 魔 女 か な 等 と く そ の 勢 い で ク 驚 く こ と に 高 校 の 時 と 全 く 変 わ ら 準 備 会 は 、 楽 し ん で し た 。 真 も 集 め ま す 。 ら 一 緒 の 人 以 外 は す ぐ に は 判 り ま せ が い る の で 、 写 の 人 は 同 じ テ ニ ス 部 の 人 と 小 学 校 か 作 っ て く れ る 人 あ り 殆 ど の 人 が 判 っ た の で す が 、 男 参 加 し て み る と 、 女 の 人 は 面 影 が 趣 味 や ス ポ ー ツ も 考 え た け ど 、 一 す 担 会 ラ 準 ま 今 ス 。 等 計 ス 備 る 度 ラ を 等 会 会 の は の の で だ 、 イ 決 役 進 は ろ 何 ド め 割 行 、 う 人 を ま 分 、 ク 。 集 同 窓 会 に 出 席 し て ま ま で 良 い の か 不 安 に な り ま し た 。 ん な 日 が 続 く の か な 」 と 思 う と こ の し て い ま し た 。 「 退 職 す る と 毎 日 こ ふ と 気 づ く と 犬 と 見 つ め 合 い ボ ー と 出 勤 の 続 い た あ る 日 、 陽 だ ま り の 中 り 家 に 居 な い 事 が 増 え 、 夫 も 日 曜 日 は 、 第 三 回 目 の 準 備 会 を 開 き ま す 。 の 温 泉 に 決 ま り ま し た 。 今 年 五 月 に 開 催 は 、 今 年 九 月 ・ 場 所 は 仙 台 近 郊 増 え 十 名 集 ま り ま し た 。 ク ラ ス 会 の を 開 き ま し た 。 参 加 者 は 、 前 回 よ り 昨 年 第 二 回 目 の 準 備 会 ( 左 写 真 ) 等 、 ひ と り 夢 を 膨 ら ま せ て い ま す 。 り 茶 話 会 を し た り 出 来 る と 良 い な 志 で 栗 駒 山 に 登 っ た り 温 泉 に 行 っ た 還 暦 の ク ラ ス 会 を 開 き 、 そ の 後 も 有 ま し た 。 こ れ は 参 加 の ご 褒 美 か な 。 て 憧 れ の W 先 輩 に お 会 い し お 話 出 来 画 を 重 ね て 今 年 で 四 回 目 を 迎 え る 。 東 京 岩 高 会 が 総 会 時 還 暦 を 祝 う 企 ま ま 旅 を 重 ね て い る 。 今 で も 夜 行 バ ス に 乗 り 、 気 の 向 く 西 を 旅 す る 事 が 多 か っ た 。 の 友 人 と 共 に 高 野 山 を 訪 ね た り と 関 訪 問 し た 菅 原 由 美 子 様 ( 金 堂 の 前 に て ) 係 で 京 都 の 古 刹 を 訪 ね た り 、 和 歌 山 高 野 山 真 言 宗 ・ 春 の 「 結 縁 灌 頂 」 修 行 に 大 学 時 代 、 仏 教 文 学 を 専 攻 し た 関 に 参 加 す る 予 定 で す 。 も ち ろ ん 、 今 年 も 五 月 三 日 ~ 大 法 会 と 心 が 洗 わ れ る の を 実 感 し て い る 。 ん の 一 端 を 体 験 す る の で す が 、 ス ー ら れ た 中 で 、 密 教 仏 教 の 入 り 口 の ほ ね て い ま す 。 一 日 の 一 時 間 と い う 限 に 「 結 縁 灌 頂 」 修 行 の た め 当 山 を 訪 下 の 会 し ん 宜 さ 方 こ え て ! 「 し い は の る い ! 今 く 。 、 欄 こ る 」 年 ご ぜ を と 岩 を は 協 ひ ご を 高 合 、 力 同 覧 楽 四 言 ぜ の 級 に し 十 葉 程 生 な み 九 に ひ お の っ に 年 、 東 願 皆 た し 卒 日 京 い 様 方 て の 本 に し に や い 仲 中 ま お お ま 間 で ご す 伝 身 す 達 活 ざ 。 え 内 。 に 躍 い 私 は 、 四 年 前 か ら 毎 年 五 月 ・ 十 月 し ょ う ! ! 催 と の 事 。 様 々 な 特 別 公 開 ・ イ ベ ン ト が 年 内 開 一 ま で 五 十 日 間 執 り 行 わ れ 、 さ ら に 年 記 念 大 法 会 が 四 月 二 日 ~ 五 月 二 十 言 密 教 の 聖 地 、 高 野 山 開 創 1 2 0 0 今 年 は 、 弘 法 大 師 空 菅原 由美子 海 東京岩高会 が 幹事 開 S49年卒 い 栗駒出身 た 武蔵野市在住 真 岩 高 会 で 、 三 度 目 の 成 人 式 を や り ま に な い こ の 機 会 に 東 京 で 、 こ の 東 京 企 画 し て い る と は 思 い ま す が 、 滅 多 地 元 で そ れ ぞ れ 「 還 暦 を 祝 う 会 」 を 小 ・ 中 ・ 高 校 時 代 の 同 級 生 と は 、 仲 間 達 に お 声 か け を し て い き た い 。 複 数 に な っ た こ と に 感 謝 し 、 多 く の こ こ 数 年 、 四 十 九 年 卒 の 参 加 者 が た 私 の 年 代 が 祝 っ て 戴 く 年 で す 。 今 年 は 何 と 昭 和 四 十 九 年 に 卒 業 し 今 年 は 東 京 に も ご ざ い ん 札 を お 配 り さ せ て 頂 い て い ま す 。 ら 高 野 山 で 護 摩 炊 き を し て 頂 い た お 思 え ば 遠 く に き た も ん だ 還 暦 を 迎 え ら れ た 皆 様 に 、 初 回 か 20 雲 を 目 指 し て い ま し た 。 代 。 脇 目 も ふ ら ず 、 ず っ と 坂 の 上 の ン 、 2 0 1 1 年 の 東 日 本 大 震 災 時 任 せ 始 め た 1 9 9 5 年 の 地 下 鉄 サ リ つ ま で も 、 い つ ま で も 言 い 続 け て い お 会 い し ま し ょ う 』 と い う 言 葉 を い す る 会 も あ る な か 、 岩 魚 会 で 『 ま た 世 間 で は 高 齢 を 理 由 に 傘 寿 で 解 散 害 に 耐 え な が ら も 四 季 折 々 地 元 に 彩 雄 大 に そ び え 立 つ 栗 駒 山 は 自 然 災 ま た お 目 に 掛 か り ま し ょ う 。 21 心 か ら 感 謝 致 し ま す 。 9 9 0 年 バ ブ ル 崩 壊 。 息 子 に 会 社 を そ し て 1 9 7 8 年 宮 城 県 沖 地 震 、 1 い っ た 1 9 7 0 年 万 国 博 覧 会 時 代 、 育 て が 一 段 落 し て 仕 事 に 没 頭 し て 6 4 年 の 東 京 オ リ ン ピ ッ ク 時 代 、 子 き た こ と 、 子 育 て に 忙 し か っ た 1 9 終 戦 、 西 も 東 も わ か ら ず 東 京 に 出 て 米 軍 機 の 空 襲 を 体 験 し 1 9 4 5 年 の 時 を と い う 挨 拶 。 生 を 感 じ お 互 い パ ワ ー を も ら う 至 福 束 。 同 志 と お 会 い し て 青 春 を 感 じ 人 生 活 し 、 ま た 絶 対 同 じ 会 で 集 う 約 健 康 に 十 分 注 意 し て 日 々 生 き 生 き と う 』 に は 計 り 知 れ な い 気 持 ち が あ り く な っ た 今 、 『 ま た お 会 い し ま し ょ て 、 岩 魚 会 で お 会 い す る た び 絆 も 深 さ を 感 じ ま し た 。 ね 」 と 迎 え て い た だ い た よ う な 温 か り に 「 お 帰 り な さ い 、 よ ぐ 来 ら れ た い ま し た が 、 ふ る さ と の 懐 か し い 訛 テ ー ブ ル と 出 席 者 の 多 さ に 驚 き 戸 惑 広 い 会 場 い っ ぱ い に 並 べ ら れ た を 感 じ る の で す 。 八 十 歳 に な り 同 じ 時 代 を 生 き て き 代 を と も に 生 き て き た と い う 強 い 絆 戦 後 の 混 乱 期 か ら 高 度 経 済 成 長 の 時 最 近 皆 さ ん に お 会 い し て 思 う 事 は う 事 に 気 づ き ま し た 。 し ょ う 』 と 言 う 言 葉 の 重 さ が 全 然 違 と こ ろ が 昨 今 『 ま た お 会 い し ま し ま し た 。 で 写 真 日 記 』 の 上 映 は と て も 感 動 致 中 、 土 井 祐 之 さ ん の 『 東 北 の ま ん 中 場 へ と 向 か い ま し た 。 は 、 い つ に な く 軽 や か な 足 取 り で 会 た り 楽 し い ひ と 時 と な り ま し た 事 を を す る 日 々 で す が 、 今 回 の 出 席 に あ ま な た し 属 修 現 す お 。 み し 当 学 文 在 。 生 夢 な 仲 時 旅 化 、 活 中 が 間 私 行 祭 高 の で ら と は 、 や 齢 基 過 三 一 バ 部 体 の 盤 ご 年 緒 ス 活 育 義 と し 間 に ケ 動 祭 母 な た を 厳 ッ 等 、 と り 青 過 し ト 々 マ の 糧 春 ご い ボ 。 ラ 同 ソ と 時 し 練 ー 居 な 代 て 習 ル ン で っ は い を 部 大 介 て 今 ま も に 会 、 い も し 楽 所 護 い 浮 か び ま し た 。 総 会 が 始 ま り ゆ っ た り と 過 ぎ る 上 野 駅 で 待 ち 合 わ せ を し た 姉 と 私 か っ た 高 校 生 活 が 走 馬 灯 の よ う に 思 会 総 会 に 出 席 さ せ て 頂 き ま し た 。 な っ た 瞬 間 で し た 。 と 同 時 に 楽 し 傘 寿 、 時 間 は 瞬 く 間 に 過 ぎ ま す 。 き ま し た 。 喜 寿 の お 祝 い 会 か ら 今 は 十 九 名 も の 方 と お 会 い す る こ と が で 出 席 出 来 な い 方 が い ら っ し ゃ る な か 念 な が ら ご 逝 去 さ れ た 方 、 ご 病 気 で 昨 年 の 冬 開 催 さ れ た 吉野 玲子 岩 東京岩高会 魚 顧問 会 S28年卒 で 岩ケ崎出身 は 荒川区在住 残 う 』 と 言 っ て い ま し た 。 当 然 の よ う に 『 ま た お 会 い し ま し ょ 声 を か け る 。 以 前 は ま た 会 え る 事 が み つ つ 『 ま た お 会 い し ま し ょ う 』 と 幸 せ を 感 じ ま す 。 だ か ら 名 残 り 惜 し 忘 れ 、 楽 し い 時 間 を 過 ご す と が で き 姉 に 誘 わ れ て 今 回 初 古舘 芳子 め て 東 (旧姓 阿部) 京 S51年卒 岩 鳥矢崎出身 高 新座市在住 ち て い ま し た 。 年 代 を 超 え て 一 つ に 時 、 会 場 内 は 笑 顔 に あ ふ れ 熱 気 に 満 け 声 に 大 き な 声 で 「 オ ー 」 と 返 し た い 、 肩 を 組 み 、 力 強 い 応 援 団 長 の 掛 又 懐 か し い 岩 高 の 校 歌 を 共 に 歌 し ま し ょ う 」 のお 重会 さい を 感 じ る の で す 。 の で は な い か と 思 う と 感 慨 深 い も の え 同 じ 志 し で 今 ま で 生 き て こ ら れ た 環 境 は 違 え ど も 数 々 の 試 練 を 乗 り 越 東・ 京・ ・ 岩・ ・ 高・ ・ 会・ 出に ・ ・ 席 ・ ・ し ・ ・ て じ る で し ょ う 。 会 い す る 度 に 益 々 そ の 一 言 は 重 く 感 そ し て 今 後 私 に と っ て 皆 さ ん と お た 。 栗 駒 山 に 見 守 ら れ 息 づ く ふ る さ な っ て い る 事 を 改 め て 思 い 知 り ま し 離 れ て 暮 ら す 私 達 に は 心 の 拠 り 所 と さ を 感 じ ま し た 。 会 っ た 瞬 間 か ら 高 校 時 代 に 戻 り 時 を 岩 魚 会 「 ま た 切 な も の を そ っ と 教 え て 戴 い た 優 し 八 十 歳 に な っ た 今 も 皆 さ ん と 出 ね と 語 り ま し た 。 忘 れ か け て い た 大 と の 土 地 々 々 を 私 達 も 巡 り 歩 き た い き っ と こ こ に 集 ま っ た み な さ ん も き た い と 思 い ま す 。 り と 恵 み を も た ら し 、 又 ふ る さ と を 昨年の総会で映写したスライドのプロローグ 春・早朝、三迫川堤防の桜並木と栗駒山 夏・世界谷地のニッコウキスゲと栗駒山 秋・なかなか出会えない栗駒山の雲海 冬・三迫川の鉄橋(岩ケ崎)と白鳥の群れ い っ た 驚 き や 歓 声 が 説 明 し て い る 私 ~ 」 「 き れ い ~ 」 「 懐 か し い ~ 」 と 影 し て お り 写 真 は 沢 山 あ る の で す 常 に 私 も 市 内 を う ろ う ろ し な が ら 撮 た と 故 ひ と ル 「 か た 私 し 場 頂 で 故 。 母 郷 と い で あ け 。 の て で い も 郷 校 を 時 っ あ そ て 懇 方 こ 感 た ら の に 離 を た の こ 頂 親 こ の じ 人 え 風 対 れ 過 話 写 は き 会 そ 上 ら の た 景 す て ご し 真 ど 、 で 貴 な れ 心 と は る 暮 さ で を う 「 は 重 い 、 に 安 素 響 堵 栗 強 ら せ 会 送 な 懐 多 な 喜 人 駒 い す て 話 っ っ か く い す び の 体 を な て る 山 思 み も も て た も い な ら 弾 く か し 皆 験 感 が い と 含 を さ い み れ な か さ に じ ら る 共 め 感 ん ま 、 な 」 っ ん な ま 写 の に ま じ の し 楽 い 「 た に り し 真 が 、 し ま 故 た し か メ よ 声 ま た 家 そ 見 て し 郷 。 い 」 ー 」 を し 。 と の て 所 属 し て い ま す 。 ら ず 、 鶯 沢 、 築 館 、 若 柳 の 皆 さ ん も 楽 部 「 駒 美 会 」 は 会 員 も 栗 駒 の み な く る 記 歴 内 ま 話 高 な 実 祭 が 私 て 故 」 も 陸 2 す に 橋 写 習 の 、 が 。 郷 も ブ 地 0 。 な 校 真 授 学 今 所 の こ ロ 震 0 り 長 を 業 校 回 属 風 こ グ か 8 ま 先 撮 の 行 は し 景 か 「 ら 年 し 生 ら に 事 学 て を ら 東 今 に た は せ ま や 校 い 写 始 北 年 発 改 じ て で 鶯 内 ま 真 ま の で 生 め め い 入 沢 で す に り 真 七 し て 先 た ら 校 球 栗 残 ま ん 年 た 御 生 だ せ 舎 技 駒 し す 中 。 岩 礼 方 き て に 大 の て 。 で 私 手 申 に ま 頂 お 会 写 お 今 写 の ・ し も し き い や 真 き 見 真 写 宮 上 お た 貴 て 文 倶 た え 日 真 城 げ 世 。 重 は 化 た く さ ん あ り ま す 。 も 、 変 化 は あ っ て も 懐 か し い も の は て 故 郷 を 眺 め て み て く だ さ い 。 ど う ぞ み な さ ん い つ で も 帰 っ て き 枚 々 々 め く る た び に 「 う わ ~ 」 「 え 故 郷 の 風 景 や 母 校 の 今 の 様 子 を 一 暮 ら し も 、 美 味 し い も の も 、 学 び 舎 と う ご ざ い ま し た 。 然 も 、 街 並 み も 、 お 祭 り も 、 人 々 の 頂 く と い う 講 演 を さ せ て 頂 き あ り が 何 も な い 田 舎 じ ゃ あ り ま せ ん 。 自 溜 め て お り ま し た 趣 味 の 写 真 を 観 て 思 っ て い ま す 。 か 。 昨 年 十 一 月 の 総 会 で は 私 の 撮 り 写 ( ブ 真 ロ グ 日 ) 記「 」東 の 北 講 の 演 を ま 通 ん じ 中 て で の 耳 に も よ く 聞 こ え 、 皆 さ ん に 喜 ん 自 ら も よ く 見 て も ら え れ ば い い な と 東 京 岩 高 会 の 皆 さ ん 土井 祐之 お S54年卒 元 鳥矢崎出身 気 写真倶楽部: で 駒美会所属 す 真 展 で 見 て も ら い 、 カ メ ラ を 通 し て よ 。 多 く の 皆 さ ん に 故 郷 の 風 景 を 写 室 も 開 講 。 活 発 に 活 動 し て い ま す の カ メ ラ 初 心 者 を 対 象 に し た 写 真 教 レ フ を 持 っ た カ メ ラ 女 子 や 年 配 の 方 月 に は 田 舎 で も 増 え て き ま し た 一 眼 で の 倶 楽 部 の 写 真 展 を 行 い 、 こ の 四 昨 年 は 初 め て 築 館 の 栗 原 文 化 会 館 22 意 識 が 低 く 、 帰 省 す る 度 に 父 が 大 事 た が 二 十 ~ 三 十 代 半 ば ま で は 当 事 者 い か ? と い う 不 安 の 中 、 上 野 の 森 に た 。 誰 も 話 し 相 手 は い な い の で は な に 初 め て 参 加 さ せ て い た だ き ま し こ う し た 経 緯 を 経 て 東 京 岩 高 総 会 き い て く れ た 事 で し ょ う 。 き っ と 目 を 細 め な が ら こ の 日 の 話 を 終 わ り ま し た 。 父 が 生 き て い た ら こ う し て 、 私 の 初 ・ 東 京 岩 高 会 が に つ い て は 、 も ち ろ ん 知 っ て い ま し さ て 、 同 窓 会 に つ い て で す が 、 会 た 当 因 た み り に 前 妹 の も よ 岩 う 高 に 卒 岩 業 高 生 に で 進 す 学 し 。 ま し 皆 、 岩 高 の 卒 業 生 で あ っ た 事 か ら 、 高 に 決 め た の は 、 父 、 三 人 の 叔 父 が ケ 崎 高 校 に 入 学 し ま し た 。 進 路 を 岩 学 校 と 進 み 、 昭 和 六 十 一 年 四 月 に 岩 崎 で 生 ま れ 、 岩 ケ 崎 小 学 校 、 栗 駒 中 込 ん だ 次 第 で す 。 に 声 を か け て い た だ き 、 参 加 を 申 し 窓 会 で 講 演 さ れ る こ と を 聞 く と と も る よ う に な り ま し た 。 そ の 中 で 、 同 を み つ け 、 栗 太 郎 さ ん と や り 取 り す ブ ロ グ 「 東 北 の ま ん 中 で 写 真 日 記 」 『 栗 太 郎 さ ん 』 こ と 土 井 祐 之 さ ん の 今 回 の 東 京 岩 高 会 で 特 別 講 演 さ れ た ま ど り 会 が 頂 も り 同 他 く き 呼 そ し か 、 へ そ 熱 き 顔 そ 級 界 2 参 い ん 父 う た ら 同 」 れ く 岩 を の 生 し 0 加 て で の し 。 こ 年 と か な 高 出 後 、 ま 0 し お い 「 こ 代 思 ら り で し も 同 し 6 て り ま 岩 た 数 の い は ま 培 父 事 窓 た 年 い 、 す 高 中 、 年 参 つ 、 し っ の あ 生 。 晩 る 同 ) 愛 昨 、 加 つ 「 た た 仏 る の 通 秋 と 級 が 」 参 者 も い 。 人 前 毎 方 夜 、 の 会 強 ( 年 加 が 先 つ 夏 と に に 々 、 そ こ 、 い 私 を い に か 、 人 手 、 が 葬 ん と 同 こ は 偶 迷 な 述 は と を 実 ご 儀 な で 窓 と 勝 然 っ い べ 東 の 合 家 列 に 父 し 会 は 手 家 て こ た 京 絆 わ の 席 多 が た に 母 に お と と 岩 内 に せ 方 下 く 突 。 も か そ り な お 高 よ ら う が 胸 て に さ の 然 な り ま し た 。 目 を 受 け る ほ ど の 大 所 帯 で の 撮 影 と の 記 念 撮 影 。 観 光 客 が 立 ち 止 ま り 注 最 後 は 、 西 郷 さ ん の 銅 像 前 階 段 で を 見 な が ら の 熱 唱 で し た 。 た が 、 二 番 三 番 は 完 全 に 歌 詞 カ ー ド は 、 ぼ ん や り と 記 憶 に 残 っ て い ま し と 思 い ま す 。 一 番 の 歌 詞 に つ い て 卒 業 以 来 、 二 十 数 年 ぶ り に 唄 っ た ) に し ま っ て い た 「 岩 高 同 窓 会 報 」 に ( 目 を 通 す く ら い で し た 。 と 、 私 は 昭 和 四 十 六 年 に 栗 駒 町 岩 ケ そ し て 校 歌 斉 唱 。 先 ず 簡 単 に 私 の 経 歴 に 触 れ ま す 写 真 も 多 く あ り ま し た 。 と 思 い ま す 。 し く 思 う と と も に 、 考 え さ せ ら れ る の 感 想 に つ い て 述 べ さ せ て 頂 き た い け な が ら 紹 介 す る と い う も の で 懐 か 23 が 、 卒 業 以 来 、 二 十 数 年 経 て 初 め て 話 を 頂 き 、 何 を 書 こ う か 迷 い ま し た ン に 映 し 出 し 一 枚 一 枚 コ メ ン ト を つ が 撮 影 さ れ た 故 郷 の 写 真 を ス ク リ ー 土 井 さ ん に よ る 講 演 は 、 土 井 さ ん 第 5 8 回 ・ 東 京 岩 高 会 総 会 の フ ィ ナ ー レ で 皆 様 、 有 難 う ご ざ い ま し た 。 段 と は 違 っ た 世 界 が 開 け ま す よ 。 今 回 、 東 京 岩 高 会 報 へ の 寄 稿 の お 平 成 元 年 卒 の 須 藤 で ご ざ い ま す 。 総 会 に 初 め て 参 加 さ せ て 頂 き ま し た き ま し た 。 た 不 安 は す ぐ ど こ か へ 吹 き 飛 ん で 行 沢 山 声 を か け て 頂 く な ど 、 抱 い て い が り の 会 に 参 加 し て み ま せ ん か 。 普 う 、 た だ た だ 岩 高 の 卒 業 生 と い う 繋 一 年 に 一 度 、 年 も 仕 事 も 立 場 も 違 昨 年 十 一 月 二 十 九 日 、 東 京 岩 高 会 岩 ケ 崎 出 身 ・ 横 浜 市 在 住 須 藤 康 之 ( 平 成 元 年 卒 ) た ほ か 、 父 や 叔 父 を 知 る 方 々 か ら も 着 い た 諸 先 輩 方 か ら 話 し か け て 頂 い 会 が 始 ま っ て か ら も 、 同 じ 円 卓 に 意 義 な 時 間 で し た 。 が 、 い ざ 参 加 し て み る と 、 と て も 有 参 加 す る ま で は 不 安 も あ り ま し た 初 め 東て 京参 岩加 高し 会た 総 会 役 員 の 方 々 を 紹 介 し て 頂 き ま し た 。 長 様 か ら 佐 々 木 支 部 長 様 を は じ め 、 着 き 会 場 に 入 る と 、 早 速 、 長 沼 幹 事 み な さ ん る 方 々 ( 特 に 平 成 卒 の 後 輩 に あ た る 最 後 に 、 こ れ か ら 参 加 を 考 え て い ) 大 合 唱 の う ね り が 広 が る 会 場 同 窓 会 に 参 加 し た 経 緯 と 、 参 加 し て に 宛 て て ・ ・ ・ 私 自 身 、 ら れ 、 栗 原 ・ 清 水 ・ 仲 村 ・ 会 津 の 四 古 書 に 「 久 利 波 良 」 と い う 訓 が 知 極 殿 と は 摂 関 藤 原 師 実 。 汰 領 目 宗 録 成 」 に 京 「 極 陸 殿 奥 領 国 内 栗 」 原 と 荘 あ り 年 、 貢 京 沙 建 長 五 年 ( 一 二 五 三 ) の 「 近 衛 家 所 鎌 倉 期 に 見 え る 荘 園 名 で 、 初 見 は よ り も 独 り ぬ る 夜 そ 淋 し か り け る 」 和 物 語 」 に は 「 御 狩 す る 栗 駒 山 の 鹿 の 山 と し て 知 ら れ 、 平 安 中 期 の 「 大 呼 ん だ と も 言 わ れ る 。 往 古 よ り 信 仰 栗 原 郡 に あ る 駒 ケ 岳 な の で 栗 駒 山 と 駒 ケ 岳 ・ 駒 形 山 ・ 駒 岳 と も い い 、 栗 改 宥 た し い 堂 堂 台 明 一 ⑤ 原 め 日 が 、 た 伽 ) 宗 天 メ 栗 寺 医 和 、 平 と 藍 を 奥 皇 ー 駒 。 作 上 元 泉 い を 中 州 二 ト 山 山 が 禄 の う 備 心 総 年 ル ・ 上 再 二 藤 。 え に ( に く 品 興 年 原 た 、 三 本 五 礎 り 寺 し 仙 氏 び 僧 十 山 八 石 こ と 、 台 滅 重 数 六 で 七 が ま 称 宗 の 亡 な 一 坊 あ ) 発 や し 派 恵 後 る 千 に り の 見 ま た を 沢 廃 戦 人 分 、 開 さ 。 真 山 寺 乱 を か 金 山 れ 現 言 竜 と で 配 れ 色 で た 寺 宗 宝 な 焼 し 、 ( 、 。 名 に 寺 っ 失 て 七 本 天 用 の 地 に 関 連 す る 事 を 紹 介 す る 。 残 る 。 つ い で に こ の 軍 記 が 示 す 栗 原 平 田 森 は 現 在 の 里 谷 の 北 方 に 地 名 が 呼 び 替 え 善 政 を 施 し た 」 と の 記 述 。 森 に 居 宅 が あ り 、 初 ケ 崎 を 岩 ケ 崎 と 「 森 館 城 主 の 平 弥 平 兵 衛 師 門 は 平 田 ・ 坂 上 田 村 麿 造 立 の 清 水 寺 の 再 興 ① 栗 原 郡 ・ く り は ら の こ お り ど を 紹 介 し た い 。 ③ 栗 原 荘 ・ く り は ら の し ょ う ( 文 献 上 の 初 出 し の こ と ) 、 由 来 な 参 考 に 、 郷 土 の 歴 史 と 地 名 の 初 見 郷 の 古 い 地 名 に 触 れ た 歴 史 書 な ど を な ら な い こ と を 祈 り な が ら 、 我 が 故 し て い る が 、 古 く か ら の 地 名 が 無 く 二 百 年 前 の 古 代 栗 原 郡 の 名 前 を 踏 襲 い 市 、 四 国 中 央 市 な ど 。 栗 原 市 は 千 不 明 で あ る 。 新 た に 三 駅 を 置 く と あ る が 、 詳 細 は る 。 延 暦 二 三 年 ( 八 〇 四 ) 栗 原 郡 、 配 さ れ た 。 古 代 栗 原 郷 内 と 考 え ら れ 駅 と 磐 井 郡 の 間 に あ り 、 駅 馬 五 匹 が 平 安 期 に 見 え る 駅 名 。 陸 奥 国 玉 造 て 近 側 の 県 す ら 「 で 置 是 九 た ② い に に 築 の と 」 こ あ が 伊 日 。 栗 る 土 あ 館 遺 考 は れ る 告 治 条 神 原 。 塁 る 字 跡 え 音 は こ げ 城 に 護 駅 と 出 城 に ら の り と ら 也 「 景 ・ 大 土 生 登 れ 類 」 を れ 」 陸 雲 く 溝 文 野 録 る 似 と 示 、 と 奥 元 り の 化 で さ 。 性 、 し そ あ 国 年 は 跡 財 、 れ 伊 か 郡 て の っ 栗 七 ら が 管 富 、 治 ら い 起 て 原 六 の わ 理 野 所 城 同 名 る こ 、 郡 七 え ず セ 小 在 跡 じ の 。 り 栗 を き か ン 学 地 は 地 「 伊 が 原 置 十 に タ 校 は 、 名 く 治 伊 郡 く 一 残 ー の 現 宮 を り の 治 の 。 月 っ 付 南 在 城 指 は 訓 城 設 本 二 三 迫 初 ケ 崎 」 と し て 見 ら れ る 。 六 代 後 堀 河 院 の 頃 、 「 陸 前 国 栗 原 郡 は 「 森 館 軍 記 」 に 十 三 世 紀 初 め 八 十 十 二 世 紀 末 で あ る が 、 岩 ケ 崎 の 初 見 わ れ る 。 南 ア ル プ ス 市 、 つ く ば み ら が 出 現 し て 嘆 い て い る 方 は 多 い と 思 由 緒 あ る 地 名 が 消 失 し 、 「 珍 地 名 」 近 年 の 広 域 合 併 に よ り 中 世 か ら の ら れ た こ と を ご 存 知 で し ょ う か 。 古 代 の 栗 原 郡 が 千 二 百 年 前 に 設 け 迫 川 歴流 史域 との 地 名 特 集 佐藤 正喜 S40年卒 岩ケ崎出身 横浜市在住 ) 郷 か ら 成 り 八 世 紀 半 ば ま で は 律 令 政 ふ る さ と 歴 史 探 訪 ( 府 の 支 配 下 に 属 さ ず 蝦 夷 の 地 で あ っ 沢 に あ る 真 言 宗 白 馬 山 栗 原 寺 の 地 下 査 に よ り 、 現 在 の 栗 駒 尾 松 字 栗 原 西 第 三 節 つ あ 方 云 「 記 平 げ ④ っ に 々 陸 録 中 安 ん 栗 た か 」 奥 と 世 期 じ 原 。 け と 国 し の に 寺 て あ 栗 て 栗 ・ 見 「 る 原 同 原 く 高 。 荘 時 荘 ら り 倉 三 一 期 の れ は 荘 迫 迫 の あ る ら 」 か 内 「 っ 寺 と ら 板 朽 た で 院 い 北 崎 木 地 ら 名 う の 郷 文 域 、 。 俗 荘 磐 地 書 を 発 称 掘 園 井 頭 」 示 も 地 職 に す 調 り 山 定 期 現 ば 三 城 羽 野 衛 藤 治 岩 岩 黄 ⑦ さ に 在 、 町 「 観 辺 す 原 五 ケ 鎌 ケ 金 岩 れ 黒 の 岩 余 黒 蹟 を る 泰 年 崎 倉 崎 寺 ケ る 岩 日 ケ り 岩 聞 固 た 衡 ( に 期 の 崎 。 口 蓮 崎 と 口 老 め め が 一 比 に 街 宗 領 し 城 志 た 栗 源 一 定 見 古 、 」 」 と 原 頼 八 さ え 稲 道 上 主 称 ) 行 中 て を に あ ・ 朝 九 れ る 「 屋 付 寺 村 い あ は る 三 軍 ) る 地 黒 敷 近 西 家 る げ 富 。 迫 の 八 。 名 岩 、 で の の 。 、 沢 江 ・ 平 月 「 で 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り 、 銀 山 扱 い 九 ) 書 上 写 に 「 細 倉 銀 山 之 山 師 平 家 追 討 を 祈 願 し 藤 原 秀 衡 が 社 殿 を る 。 寿 永 年 中 ( 一 一 八 二 ) 源 義 経 が し た と い う 営 岡 に 屯 岡 八 幡 宮 が あ 「 笹 ヶ 森 館 」 。 長 照 寺 。 館 に 居 住 、 末 裔 小 野 寺 道 戒 入 道 の 小 野 寺 清 国 が 平 泉 合 戦 に 従 軍 し 松 倉 配 下 と な っ た 。 宝 永 六 年 ( 一 七 古 〇 西 部 の 細 倉 鉱 山 跡 は 昭 和 六 二 年 閉 秋 法 館 跡 ( 南 郷 佐 野 前 ) 。 南 郷 地 区 で 迫 留 源 ・ 栗 守 頼 八 原 家 義 幡 郷 任 村 片 に 子 宛 父 沢 が 八 子 が 幡 」 わ 戦 神 と れ 勝 社 あ た 祈 。 る 地 願 前 。 と し 九 し 陣 年 て 所 の 「 二 に 役 四 ) 、 北 畠 顕 家 よ り 論 功 行 賞 と し て る ( 安 永 風 土 文 記 治 ) 年 。 間 ( 一 一 八 五 ) 沢 氏 が 恩 賞 と し て 与 え ら れ た 「 三 迫 ・ 松 倉 村 り 、 天 正 期 に 鉛 山 中 心 に 伊 達 氏 の 支 山 。 大 同 年 間 の 開 発 と の 伝 承 も あ 臣 の 樋 渡 典 膳 の 居 館 ・ 樋 渡 館 が 伝 わ と み さ ハ 」 を 当 地 と す る 。 葛 西 氏 家 る 徳 満 寺 城 。 橘 遠 江 の 居 館 と さ れ る 山 金 剛 寺 、 袋 の 袋 豊 後 を 城 主 と 伝 わ 沢 と 比 定 さ れ る 。 北 郷 の 曹 洞 宗 鴬 沢 う く い さ わ の 住 人 云 々 」 と 見 え 、 鴬 二 年 ( 一 三 八 〇 ) の 某 書 状 に 「 二 迫 ・ 鴬 沢 村 ( 北 郷 ・ 南 郷 ・ 袋 ) 康 暦 元 弘 四 年 ( 一 三 三 鋭 神 社 は 坂 上 田 村 麿 造 立 と 伝 わ る 。 期 の 石 母 田 家 文 書 ) 。 高 松 に あ る 雄 田 氏 の 足 軽 町 大 鳥 町 が あ っ た ( 寛 永 る 。 こ の 街 道 沿 い に 岩 ケ 崎 城 主 石 母 が 通 り 、 岩 ケ 崎 を 経 て 一 関 に 通 じ る 説 が あ り 、 中 世 の 岩 ケ 崎 城 主 で 富 し り り ・ た 一 ・ 攻 鳥 。 関 深 め 沢 に 谷 た 村 通 村 記 述 じ 富 る 岩 が 沢 。 ケ あ の 往 崎 る 訛 古 か 。 っ は ら た 金 上 地 田 街 名 庄 道 と が と 称 通 す ・ 片 子 沢 村 ・ 二 迫 ・ 稲 瀬 ケ 城 の 奥 州 国 司 安 藤 清 水 寺 と 千 寿 池 。 浄 土 庭 園 千 寿 園 造 成 。 現 在 の 真 言 宗 「 九 戸 神 社 」 が あ る 。 敷 九 ノ 戸 の 地 に 「 首 清 め の 池 」 、 送 さ れ 首 を 刎 ね ら れ た 。 現 在 の 稲 屋 下 八 名 の 降 将 は 花 巻 を 経 て 三 迫 に 護 か け い の く も 武 ・ 。 よ で 津 意 ひ は 「 将 南 う 橋 久 訳 」 し み が 部 、 ち 一 ぞ を 毛 す わ の 首 の 」 渡 橋 れ た く の 九 し で ば と し の 和 「 戸 て 味 い 陸 て せ 歌 政 平 方 う 奥 か い を 実 泉 に 雄 け は 詠 の 付 討 の 叫 伐 ん み ん 泰 い 乱 び 衡 た の や か だ で で の 。 勢 す た 。 、 あ 政 ひ に 首 こ い ろ を の は 実 ら つ か く 以 う 懸 勢 こ ( 葛 西 大 崎 盛 衰 真 記 ん ) 中 。 を 奥 州 上 街 道 崎 の 暴 れ 者 」 と し て 記 述 さ れ て い る も 特 に 狡 猾 で あ っ た ら し く 、 「 岩 ケ 沢 直 綱 は 、 葛 西 ・ 大 崎 の 武 将 の 中 で せ 戦 場 に 化 し た と い わ れ る 。 四 代 富 岩 ケ 崎 陣 で は 葛 西 軍 が 城 下 に 押 し 寄 で あ っ た 。 天 正 七 年 ( 一 五 七 九 ) の 城 ) は 、 葛 西 一 族 の 富 沢 氏 五 代 の 城 築 造 さ れ た と 伝 わ る 岩 ケ 崎 城 ( 鶴 丸 ⑥ 参 照 。 南 北 朝 期 に 富 沢 道 祐 に よ り 「 三 迫 里 屋 城 」 を 昼 夜 八 日 間 に わ た る 佐 清 ・ 。 竹 ・ 水 里 文 中 寺 谷 書 野 に 次 村 に 村 ぐ 「 歴 南 陸 文 史 北 和 奥 朝 四 あ 国 年 る 期 中 ( 寺 の 野 一 で 三 村 三 あ 迫 」 五 る 合 と 五 。 戦 あ ) で 山 ( 封 内 風 土 記 ) と い う 、 近 隣 で は 宗 青 雲 寺 は 元 慶 元 年 ( 八 八 三 ) の 開 し た の で 名 付 け た と い う 。 現 ・ 真 言 の 時 栗 駒 山 か ら 猿 が 雲 に 乗 っ て 飛 来 ⑨ 郷 土 の 地 名 ・ 史 跡 特 記 ・ 稲 屋 敷 村 康 永 元 年 ( 一 三 四 二 ) 文 書 に 南 朝 方 ・ 岩 ケ 崎 村 古 称 黒 岩 口 の 初 見 は 凱 旋 記 念 に 青 雲 寺 を 建 立 し た が 、 そ 川 の 水 源 近 く に 現 存 す る 。 二 ) 源 頼 義 父 子 が 安 倍 貞 任 を 征 伐 し の 建 立 と さ れ る 細 倉 山 神 社 拝 殿 は 鉛 ・ 猿 飛 来 村 康 平 五 年 ( 一 〇 六 で あ っ た こ と が 知 ら れ る 。 二 百 年 前 造 営 し た と い う ( 安 永 風 土 記 ) 。 森 ・ 弁 慶 森 、 行 者 滝 な ど 史 跡 が 数 多 洞 宗 円 年 寺 、 沼 倉 木 鉢 番 所 跡 、 判 官 ( 栗 駒 山 頂 近 く に は 御 室 奥 院 ) 、 曹 井 ・ 仙 北 三 郡 の 総 鎮 守 ・ 駒 形 根 神 社 任 さ れ た 。 沼 倉 村 に は 、 栗 原 ・ 磐 ケ 崎 小 学 校 校 長 、 鴬 沢 町 教 育 長 を 歴 た こ と を 考 え 合 わ せ る と 、 弁 慶 塚 は 洗 い 井 戸 」 が そ の 手 前 の 地 域 に あ っ 首 を 洗 っ て 差 し 上 げ た 「 伝 ・ 義 経 首 に 辿 り 着 い た と 伝 承 さ れ 、 里 び と が て 腰 越 浜 か ら 境 川 を 遡 上 し 白 旗 神 社 議 で あ っ た が 、 義 経 の 首 は 嵐 に の っ 弁 慶 塚 が 何 故 こ こ に あ る の か 不 思 迫 一 帯 を 領 し た 。 戦 功 に よ り 、 伊 豆 の 豪 族 狩 野 氏 が 一 を 経 て 江 戸 時 代 藩 政 期 に は 、 仙 台 藩 領 地 領 有 、 戦 国 時 代 の 国 人 領 主 支 配 藩 政 期 は 仙 台 藩 一 門 白 河 氏 が 明 治 典 、 栗 駒 町 史 、 鴬 沢 町 史 「 参 考 書 」 土 で あ る と 思 う 。 … … … … … 歴 史 的 に も 古 く 由 緒 あ る 誇 結 れ る 郷 > 宮 城 県 史 、 岩 手 県 史 、 ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ ~ < 大 日 本 地 名 辞 書 、 宮 城 県 姓 氏 家 系 事 政 を 経 て 今 日 に 至 る 。 の 地 方 知 行 制 の 領 主 に よ る 支 配 ・ 施 田 に 現 在 も 多 く 住 ん で い る 。 れ 、 栗 駒 山 を 中 心 に 岩 手 、 宮 城 、 秋 の 発 祥 は 陸 前 国 栗 原 郡 沼 倉 邑 と さ 子 孫 は 岩 ケ 崎 他 に 移 住 し た 。 沼 倉 姓 慶 塚 。 実 際 に 訪 れ た が 、 弁 慶 塚 は 首 所 、 藤 沢 市 の 浄 土 宗 常 光 寺 に あ る 弁 霊 碑 、 栗 駒 判 官 森 の 義 経 公 御 葬 礼 し 碑 を 成 と が 社 写 た が 合 十 す 、 に 真 。 白 祀 一 る 判 は は 旗 し 年 両 官 義 上 神 、 に 地 森 経 か 社 義 両 関 の の に 経 地 係 胴 首 ら 、 建 公 の 者 塚 塚 白 立 の 魂 の と 旗 さ 兜 土 熱 一 が 神 れ を ( 意 体 祀 社 た 象 た に に ら 義 の っ ま よ 合 れ 経 で た つ り 祀 て 公 参 鎮 ち 、 せ い 鎮 拝 霊 ) 平 ん た 柳 が 村 分 座 九 暮 宗 文 目 ・ 残 内 岐 禅 二 れ 普 治 ) 一 っ を し 像 才 、 門 迫 て 通 出 が で 政 山 五 村 い り 羽 墓 大 宗 洞 年 る 、 雄 で 往 公 泉 ( ( 。 柿 勝 あ 生 没 院 一 ノ 郡 る し 後 を 真 一 木 に 。 た 四 創 坂 八 番 至 奥 。 年 建 、 九 所 る 州 荒 の 。 曽 平 跡 文 上 砥 祥 読 根 泉 と 字 街 石 月 経 、 征 備 街 道 作 命 に 清 伐 荒 道 か り 日 明 水 の 倉 が ら の に け 、 が 死 去 し た 後 こ の 地 に 隠 棲 し 、 曹 洞 伊 達 の 一 族 格 茂 庭 綱 元 が 藩 祖 政 宗 置 さ れ た の ち 、 中 世 の 鎌 倉 御 家 人 の 村 、 泉 沢 村 は 旧 姫 松 地 区 、 平 形 、 大 村 は 、 旧 尾 松 地 区 、 嶺 崎 村 、 渡 丸 鴬 沢 の 分 家 ・ 故 和 久 日 出 丸 氏 は 岩 て い る よ う に 思 わ れ た 。 な り 子 孫 は 現 在 に 続 く 。 是 安 の 子 で 着 座 の 和 久 宗 友 が 邑 主 に 藩 政 期 に は 、 伊 達 政 宗 の 祐 筆 和 久 ら れ て い る 主 君 ・ 義 経 公 を ガ ー ド し す 高 台 に あ り 、 背 後 の 白 旗 神 社 に 祀 実 検 が 行 わ れ た 鎌 倉 腰 越 浜 を 見 下 ろ ) い 。 な お 、 神 奈 川 県 藤 沢 市 の 白 旗 神 府 の 支 配 下 に 置 か れ 「 栗 原 郡 」 が 設 栗 原 の 地 は 西 暦 七 六 七 年 、 律 令 政 ■ 最 後 に で 確 認 し て 安 心 し て い る 。 住 所 表 示 に 残 っ て い る こ と を 地 図 上 沼 、 菱 沼 真 似 牛 、 栗 駒 嶺 崎 の よ う に 上 記 の 地 名 羅 列 の 所 も 、 栗 駒 菱 地 名 で あ る 。 原 木 、 小 堤 は 旧 津 久 毛 地 区 に あ っ た 重 は 鴬 沢 島 巡 に 逃 れ て 帰 農 し 、 そ の 村 と 称 し 、 の ち 文 字 村 に 転 じ た 。 一 揆 で 秀 吉 軍 と 戦 い 戦 死 、 そ の 子 光 本 社 の 一 の 門 が あ っ た こ と か ら 門 地 記 ) 。 飛 騨 守 十 三 代 家 重 は 葛 西 大 崎 り 勧 請 し た 同 名 三 社 が あ り 、 村 名 は 沼 倉 飛 騨 守 の 岩 目 館 ( 安 永 風 土 寺 文 書 に 沼 倉 少 輔 の 支 配 が 見 え る 。 上 流 域 。 建 武 元 年 ( 一 三 三 四 ) 中 尊 ・ 沼 倉 村 松 倉 村 の 北 、 三 迫 川 の あ 判 里 ・ る 官 び 文 。 び と 字 い が 村 き 義 の 経 沼 産 ・ 倉 物 弁 村 と 慶 の 思 の 駒 え 主 形 て 従 根 く を 神 る 弔 社 の っ よ で た あ ケ の あ 妻 ま ・ る 崎 娘 る ( で 菱 。 七 は 政 後 邑 沼 代 新 岡 の 主 領 田 の 四 で 村 、 主 義 墓 代 続 真 ・ 彰 は 藩 く 中 に 龍 主 。 根 村 嫁 雲 亀 白 牛 日 い 寺 千 河 、 栗 向 だ 。 代 氏 成 が ま の 三 原 義 、 た 乳 代 村 の 後 、 母 義 、 桜 母 の 義 ) 実 で 岩 実 で の 田 26 代表:岡本 浩一 昭和53年卒 岩ケ崎出身 くりこまや 魚河岸直送新鮮食材 故郷の味を今に伝える 【 【 【 【 【 27 住所 交通 電話 品書 代表 】 】 】 】 】 〒132-0021 東京都江戸川区中央4-11-1 JR総武線 新小岩駅 南口~平和橋通り徒歩15分 03-5879-5665 (江戸川高校前) うなぎ、どぜう、旬の鮮魚、郷土料理、創作料理、 千葉 正宏 (S48年卒・岩ヶ崎出身) 写真 東 京 岩 高 会 報 2015年 第57号 に 嫁 の ま つ 江 技 法 は 、 あ や の か ら 娘 の よ し の 、 更 る よ う な 作 業 工 程 で す 。 こ の 貴 重 な 業 と し か 言 い よ う の な い 気 の 遠 く な 当 代 か ら 姪 の 千 葉 京 - 色 に 変 わ ん る ん だ べ な あ 」 と 自 問 自 は 、 「 あ の 緑 の 葉 っ ぱ が 何 で こ ん な 貴 重 な 一 家 で す 。 姑 に 藍 染 め の 技 術 か る と い う 。 そ し て 染 め 上 っ た 時 に 完 成 す る ま で に は 二 年 も の 時 間 が か 正 藍 染 は 、 蓼 藍 の 種 蒔 き か ら 染 が 代千 様葉右 、毅か 四様ら 代、、 目当東 を代京 継の岩 ぐ千高 姪葉会 のま・ 千つ佐 葉江々 京様木 子、支 様千部 。葉長 紀、 千 葉 あ や の 様 右 と 娘 の よ し の 様 。 培 と 染 め 仕 事 を 一 貫 し て 行 っ て い る 正 藍 染 と 称 す る な の で す 。 山 郷 の 農 家 で 養 蚕 と 麻 織 、 藍 の 栽 ぞ め ・ 千 葉 家 の 商 標 登 録 名 称 、 以 下 は 二 十 歳 の 時 で し た 。 世 界 唯 一 の 正 藍 冷 染 し ょ う あ い ひ や が 績 文 明 を 字 治 称 二 え も 十 る ん 二 館 じ 年 で の 生 す 千 ま 。 葉 れ 家 の に 千 嫁 葉 い あ だ や の の 宝 に 認 定 さ れ た 「 千 葉 あ や の 」 の 功 の 伝 承 者 と し て 昭 和 三 十 年 に 人 間 国 る 建 物 が 見 え て く る 。 そ れ は 藍 染 め の 変 遷 を 知 る 上 で 歴 史 的 に も 貴 重 で と い う 素 朴 な も の で す 。 そ れ は 徳 島 大 気 の 温 度 に よ っ て 自 然 発 酵 を 待 つ し か も 、 純 粋 な 木 灰 以 外 は 使 わ ず が 、 あ や の の 技 法 は 我 が 国 染 色 工 芸 の 阿 波 藍 や 志 賀 の 技 法 と 似 て い る 工 芸 館 参 与 の 濱 田 淑 子 著 書 か ら 引 用 に 進 む と 川 沿 い に 愛 藍 人 の 看 板 の あ い 大 土 ヶ 森 を 目 印 栗 駒 山 の 裾 野 を 流 れ る 二 迫 川 に 沿 る と い う 一 貫 し た 作 業 で す 。 作 業 で 作 っ た 藍 玉 を 用 い て 染 め 上 げ り 、 種 を 蒔 く 事 か ら 始 め 、 全 く の 手 法 は 、 麻 を 植 え 糸 を 取 り こ れ を 織 千 葉 あ や の が 認 定 さ れ た 染 織 り 技 事 の 一 部 は 、 東 北 福 祉 大 学 芹 沢 銈 介 美 術 様 方 の 敬 称 を 省 略 さ せ て 頂 き ま し た 。 記 け に な る こ と を 願 い ま す 。 で し ょ う 。 ふ る さ と 再 発 見 の き っ か い 昔 の 暖 か い 記 憶 が 蘇 っ て く る こ と 通 称 ・ 文 字 富 士 ( 2015年 4月 27日・編集長撮影 答 す る ら し い 。 を 厳 し く 教 え 込 ま れ た あ や の は 畑 に ) 有 朋 印 刷 株 式 会 社 ・ 印 刷 自 然 発 酵 も 発 色 現 象 も 神 の 成 せ る 出 て 働 く よ り も 機 織 り や 藍 染 め に 目 ) 子 へ と 受 け 継 が れ て い ま す 。 覚 め て い っ た 。 ( 田 舎 の 山 村 で 代 々 受 け 継 が れ た 希 時 が 経 ち 、 宮 城 の 地 に 東 北 本 線 と ) - 少 な 伝 統 技 法 ・ 命 を 懸 け た 藍 染 め 道 接 が 続 開 す 通 る す 栗 る 原 と 軌 文 道 字 に く も り 一 は 挙 ら に 田 近 園 代 鉄 ( - に 、 皆 様 も そ の 懐 か し き 古 径 を 踏 み 化 の 波 が 押 し 寄 せ 、 も は や 衣 料 を 自 ) 正 雄 し め 、 ふ る さ と が 誇 る 世 界 唯 一 の 正 給 す る 必 要 も 薄 れ 、 文 字 地 区 の 藍 染 ( 菅 原 藍 染 に 触 れ て み ま せ ん か 。 き っ と 遠 当 時 5 9 歳 め の 伝 承 も 途 絶 え て い く の で す 。 ) 〒宮 1城 1県 4岩 ‐ケ 0崎 0高 0等 4学 校 東同 京窓 都会 北東 区京 堀支 船部 1東 京 1岩 5高 1会 0T 7E 0L 50 3 支 部3 長9 1 佐2 々 木7 く9 に6 子7 あ や の は 昭 和 2 3 年 ( 東 京 岩 高 会 編 集 局 編 集 長 の 台 風 の 水 害 で 工 房 が 流 さ れ た 後 も ( 人 再 建 し て 懸 命 に 仕 事 を 続 け た 。 時 代 ) 人 の 波 に 取 り 残 さ れ た か の よ う な 伝 統 ( 行 の 技 法 を 、 何 故 に そ こ ま で し て 守 り ) 集 続 け た の か 、 あ や の さ ん に 逢 っ て 話 ( 発 - 編 し て み た い 衝 動 に 駆 ら れ る 。 ) 平 成 二 十 七 年 七 月 十 一 日 発 行 文 中 は 皆 藍 の 古 径 平成27年4月27日、岩倉測量会長夫妻(千葉毅様・紀代様)のご案内で千葉まつ江様宅を訪問した時の皆様(写真左) 28
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