東京岩高会報 第57号

東
京
岩
高
会
報
総会開催案内
第 57 号
平成27年7月11日
午
前
十
一
時
開
会
(
上
野
公
園
グ
リ
ー
ン
パ
ー
ク
)
平
成
二
十
七
年
十
一
月
二
十
八
日
(
土
曜
日
)
第
5
9
回
東
京
岩
高
会
総
会
笑
顔
の
花
を
咲
か
せ
よ
う
上
野
の
丘
に
岩
高
家
族
の
年
に
一
度
の
大
結
集
詳細は2ページに掲載
早春の深山牧場(写真:土井 祐之 S54年卒)
第59回 東京岩高会総会 開催案内
1.第59回
総
会
開
催
案
東京岩高会総会のご案内
(1)日
時:平成27年11月28日(土曜日)11:00~15:00
(2)場
所:東京都台東区上野公園1-59(上野公園西郷像よこ)
上野公園グリーンパーク(旦妃楼飯店・地下1階)
電話
(3)会
03-3828-5571
費:男性:7,000円
女性:6,000円
30歳未満で初めて参加される方はご招待(会費無料)と致します。
内
(4)出欠連絡:9月30日までに同封の葉書にてお申込み下さい。
出欠の変更やお問い合わせは、下記までご連絡下さい。
東京岩高会
同
支部長:佐々木くに子
090-7828-1623
幹事長:長 沼
090-5339-8141
和 秋
(5)還暦の会:今年は49年卒が対象であり、当日は当会よりお祝いを進呈いたします。
今年は平成27年卒の新たな仲間達が大勢参加の予定です。
お誘い合わせの上お越し下さいますようご案内申し上げます。
2.東京岩高会
年会費ご協力のお願い
東京岩高会は、皆様方から頂いた貴重な年会費が活動の支えとなっております。
昨年は180名の皆様方から浄財を賜りまして、真に有難うございます。
本年度も引き続き倍旧のご協力の程、宜しくお願い致します。
(1)年 会 費 :3,000円
(2)振込期限:総会開催前の10月31日を目途に同封の郵便振替用紙により最寄りの郵
便局で振込みをお願いします。なお振込みに当たりましてはATMをご利用戴くと手
数料が軽減されます。
多くの皆様方のご協力をお願い申し上げます。
東京岩高会
支部長 佐々木くに子
幹事
第58回総会受付をご担当なさった皆様方
年
会
費
協
力
の
お
願
い
一同
第58回総会第一部終了後(P10~P11 に拡大写真掲載)
2
進
学
や
社
会
人
と
し
て
関
東
方
面
へ
の
が
誕
生
い
た
し
ま
し
た
。
拶
」
に
よ
り
1
2
7
名
の
同
窓
会
新
会
員
葛
岡
同
窓
会
長
の
「
入
会
歓
迎
の
ご
挨
出
席
さ
せ
て
頂
き
ま
し
た
。
岩
高
会
よ
り
佐
藤
政
弘
副
支
部
長
と
共
に
岩
高
体
育
館
に
於
い
て
執
り
行
わ
れ
東
京
二
月
二
十
七
日
「
同
窓
会
入
会
式
」
が
進
め
る
事
が
出
来
ま
し
た
。
と
ご
協
力
を
頂
き
ま
し
て
新
た
な
歩
み
を
校
高
橋
義
典
校
長
先
生
の
力
強
い
ご
理
解
本
部
同
窓
会
葛
岡
重
利
会
長
様
及
び
母
を
踏
み
出
し
ま
し
た
。
し
ま
し
て
、
新
し
い
取
り
組
み
の
第
一
歩
三
月
卒
業
の
若
き
エ
ネ
ル
ギ
ー
を
お
借
り
東
京
岩
高
会
の
今
年
は
平
成
二
十
七
年
申
し
上
げ
ま
す
。
ご
支
援
ご
協
力
を
賜
り
ま
し
て
厚
く
御
礼
せ
皆 ん 暑 会
様 か い 員
方 。 毎 の
に
日 み
は
で な
東
す さ
京
が ん
岩
お 。
高
変
佐々木くに子
会
わ
同窓会
に
り
東京支部長
変
御
(就任H20/11~)
わ
座
S37年卒
ら
い
鳥矢崎出身
ぬ
ま
明
日
に
繋繋
がぐ
る
同
窓
会
東
京
支
部
長
と
の
顔
合
せ
会
(
2015/2/27
初
め
て
の
試
み
と
な
っ
た
上
京
予
定
)者
と
ま
た
、
新
会
員
を
育
て
て
い
く
に
は
年
く
薦
め
て
ま
い
り
ま
す
。
化
に
力
を
注
ぐ
同
窓
会
で
あ
り
た
い
と
広
ぎ
、
岩
高
を
取
り
巻
く
地
域
環
境
の
活
性
今
こ
そ
若
い
会
員
の
皆
様
方
と
手
を
繋
題
を
抱
え
て
い
る
と
聞
い
て
お
り
ま
す
。
現
在
、
母
校
岩
高
は
深
刻
な
少
子
化
問
共
は
圧
倒
さ
れ
ま
し
た
。
中
を
育
て
上
げ
ら
れ
た
逞
し
さ
を
感
じ
私
達
の
発
進
力
は
正
に
、
二
度
の
大
震
災
の
参
加
し
た
い
で
す
」
と
前
途
有
望
な
若
者
年
間
は
楽
し
か
っ
た
で
す
。
同
窓
会
に
も
に
な
り
た
い
」
と
。
そ
し
て
「
岩
高
の
三
来
は
ふ
る
里
や
社
会
に
貢
献
出
来
る
よ
う
お
越
し
を
お
待
ち
し
て
お
り
ま
す
。
昨
年
の
総
会
に
出
席
し
た
皆
様
今年の総会では、49年卒の還暦のお祝いがあります。
皆様のお越しをお待ちしておりまぁ~~~す !
3
上
京
し
た
ば
か
り
の
新
卒
者
達
は
「
将
弾
み
ま
し
た
。
上
野
公
園
グ
リ
ー
ン
パ
ー
ク
に
て
皆
様
の
る
先
輩
後
輩
達
の
話
題
は
時
代
を
超
え
て
十
一
月
二
十
八
日
(
土
)
午
前
十
一
時
同
じ
ふ
る
里
、
同
じ
学
び
舎
を
共
有
す
な
新
風
が
吹
き
込
ま
れ
ま
す
。
に
至
り
ま
し
た
。
の
新
卒
者
と
東
京
岩
高
会
役
員
の
懇
親
会
と
決
め
、
都
合
良
く
出
席
の
叶
っ
た
5
名
岩
高
の
若
さ
み
な
ぎ
る
新
卒
者
の
爽
や
か
像
に
湧
き
、
今
年
は
上
野
公
園
の
一
角
に
昨
年
は
土
井
氏
の
懐
か
し
い
故
郷
の
映
は
四
月
十
八
日
、
八
丁
堀
キ
ャ
プ
リ
ス
」
交
信
が
始
ま
る
や
進
展
が
早
く
「
歓
迎
会
そ
の
後
2
2
名
の
上
京
者
と
の
メ
ー
ル
お
り
ま
す
。
場
が
賑
わ
う
も
の
と
嬉
し
い
予
測
を
し
て
歓
迎
の
会
」
が
ダ
ブ
ル
の
喜
び
と
な
り
会
し
上
げ
て
お
り
ま
す
。
九
年
卒
「
還
暦
を
祝
う
会
」
と
「
新
会
員
と
母
校
の
連
帯
し
た
ご
配
慮
に
感
謝
を
申
第
五
十
九
回
東
京
岩
高
会
総
会
は
四
十
初
め
て
の
試
み
が
実
現
致
し
、
同
窓
会
務
に
当
た
る
覚
悟
で
お
り
ま
す
。
顔
合
わ
せ
」
を
設
定
し
て
頂
き
ま
し
た
。
上
京
者
は
2
2
名
お
り
、
式
典
後
に
「
初
の
運
営
促
進
を
計
り
た
い
と
役
員
一
同
任
会
費
ご
協
力
者
の
増
加
を
お
願
い
し
、
会
年
四
月
一
日
で
十
周
年
を
迎
え
ま
し
た
。
栗
原
市
は
栗
原
1
0
町
村
が
合
併
し
本
こ
と
を
大
い
に
ご
期
待
申
し
上
げ
ま
す
。
組
み
が
、
同
窓
会
活
動
の
起
爆
剤
に
な
る
り
敬
意
を
表
し
ま
す
。
よ
う
と
す
る
新
し
い
取
り
組
み
に
衷
心
よ
期
待
を
託
し
、
若
い
世
代
に
将
来
を
繋
げ
の
で
は
な
い
か
と
思
い
ま
す
。
新
卒
者
に
い
る
よ
う
な
心
の
よ
り
ど
こ
ろ
に
な
れ
る
と
っ
て
、
身
近
に
お
父
さ
ん
お
母
さ
ん
が
親
元
を
離
れ
て
都
会
で
暮
ら
す
新
卒
者
に
よ
う
と
す
る
東
京
支
部
の
先
進
的
な
取
り
代
の
参
加
を
促
し
、
同
窓
会
の
輪
を
広
げ
強
く
し
な
け
れ
ば
な
り
ま
せ
ん
。
若
い
世
生
徒
の
た
め
に
支
援
で
き
る
環
境
を
一
層
よ
う
母
校
と
の
連
携
を
密
に
し
、
学
校
や
巻
く
環
境
の
変
化
に
敏
感
に
対
応
で
き
る
我
々
同
窓
会
と
し
て
も
、
母
校
を
取
り
合
え
る
よ
う
に
な
っ
た
と
伺
い
ま
し
た
。
い
、
2
0
名
程
が
い
つ
で
も
連
絡
を
取
り
れ
ま
し
た
。
そ
の
後
メ
ー
ル
の
交
換
も
行
移
さ
れ
る
新
卒
者
と
の
懇
談
の
場
を
持
た
面
に
進
学
や
社
会
人
と
し
て
生
活
の
場
を
を
頂
き
ま
し
た
。
終
了
後
に
は
、
東
京
方
頂
き
、
支
部
の
活
動
状
況
を
含
め
ご
挨
拶
藤
副
支
部
長
様
に
は
わ
ざ
わ
ざ
ご
出
席
を
東
京
支
部
か
ら
佐
々
木
支
部
長
様
、
佐
員
と
し
て
迎
え
る
こ
と
が
で
き
ま
し
た
。
て
お
り
ま
す
。
変
計
画
が
進
む
の
で
は
な
い
か
と
危
惧
し
い
数
に
な
り
、
さ
ら
に
市
内
の
高
校
の
改
数
を
考
慮
す
る
と
、
4
0
0
人
に
満
た
な
九
年
後
は
市
外
の
高
校
に
出
て
行
く
生
徒
で
す
。
こ
の
子
供
た
ち
が
高
校
入
学
す
る
年
小
学
校
に
入
学
し
た
児
童
は
4
9
1
人
か
ら
5
6
0
人
に
な
り
ま
す
。
市
内
で
今
造
工
学
科
の
募
集
が
な
く
な
る
と
来
年
度
市
内
4
校
の
現
在
の
募
集
定
員
は
、
創
執
り
行
い
、
卒
業
生
1
2
7
名
を
同
窓
会
二
月
二
十
七
日
、
母
校
体
育
館
に
お
い
て
平
成
二
十
六
年
度
の
同 葛岡 重利
窓
同窓会会長
会
(就任H25/8~)
入
S41年卒
会
鶯沢出身
式
旧鶯沢町長
を
て
き
ま
し
た
。
母
校
を
取
り
巻
く
環
境
が
大
き
く
変
わ
っ
決
め
ま
し
た
。
少
子
化
の
進
行
と
と
も
に
㉘ ㉔
同
窓
会
総
会
に
参
加
し
て
総
会
の
講
演
を
通
じ
て
岩
高
会
総
会
に
出
席
し
て
ま
た
お
会
い
し
ま
し
ょ
う
思
え
ば
遠
く
へ
・
・
・
同
窓
会
・
楽
し
い
交
流
を
築
高
同
窓
会
東
京
支
部
長
い
と
し
き
人
へ
本
部
総
会
に
参
加
そ
の し
て
2
)
編 佐
藤
集
正
人 喜
【
特
集
】
(
ふ
る
さ
と
歴
史
探
訪
上
京
し
た
新
卒
者
の
声
新
卒
者
歓
迎
会
に
参
加
【
話
の
玉
手
箱
・
会
員
の
窓
新 】
卒
の
皆
様
石 佐 渋 佐 新
野 藤 谷 々 卒
木 の
く 皆
久 公
恵 輝 力 に
子 様
㉓ ㉒ ㉑ ㉑ ⑳ ⑲ ⑱ ⑯ ⑮ ⑮ ⑭
須 土 古 吉 菅
藤 井 舘 野 原
由
康 祐 芳 玲 美
之 之 子 子 子
年
会
費
・
会
計
報
告
山
本
会
計
幹
事
高
校
が
閉
校
と
な
り
ま
し
た
。
れ
、
平
成
二
十
三
年
三
月
に
は
鶯
沢
工
業
舎
と
し
て
創
造
工
学
科
が
創
設
編
入
さ
業
高
校
が
生
徒
募
集
を
停
止
し
、
鶯
沢
校
こ
の
間
、
平
成
二
十
一
年
に
は
鶯
沢
工
皆
様
の
益
々
の
ご
活
躍
を
お
祈
り
申
し
上
り
ま
す
。
結
び
に
東
京
支
部
の
ご
発
展
と
境
づ
く
り
に
取
り
組
ん
で
参
る
所
存
で
あ
ら
同
窓
会
に
若
い
世
代
の
入
会
を
促
す
環
本
部
に
お
い
て
も
情
報
を
共
有
し
な
が
宮
城
県
岩
ケ
崎
高
等
学
校
同
高 葛 佐 窓
橋 岡 々 会
【
ご
挨
拶
】
東
京
岩
高
会
総
会
・
・
・
・
・
《
開
催
案
内
次
そ
し
て
昨
年
、
宮
城
県
教
育
委
員
会
は
げ
ま
す
。
会
長 同
、 窓
会
同 入
・ 会
生 式
徒 で
の 檀
皆 上
様 に
( 立
2 つ
月 葛
2 岡
7 同
日 窓
) 会
【
編
集
雑
記
帳
】
来
年
度
か
ら
創
造
工
学
科
の
募
集
停
止
を
【
総
会
報
告
東 】
京
岩
高
会
総
長 会
沼
幹
事
長
開
催
報
告
・
総
括
⑬ ⑨
第
5
8
回
在
校
生
(
三
年
生
)
宮
総 学 城 仙 同
務 校 県 台 窓
部 長 岩 支 会
長
ケ 部 会
崎 長 長
高
等
学
校
狩 小 髙
野 畑 橋
新
し
い
取
り
組
み
に
期
待
東
京
支
部
長
雄 征 義
樹 也 典
木
清 重 く
志 利 に
子
⑦ ⑥ ⑤
⑤ ④ ③
目
》
・
・
・
・
・
②
4
こ
と
が
必
要
な
の
で
す
。
ば
す
だ
け
で
な
く
、
健
康
寿
命
を
伸
ば
す
自
立
し
た
生
活
を
送
る
に
は
、
寿
命
を
伸
活
で
き
る
よ
う
配
慮
し
た
い
も
の
で
す
。
な
生
活
の
中
で
、
お
互
い
に
、
健
康
に
生
む
な
ど
、
人
そ
れ
ぞ
れ
に
見
合
っ
た
様
々
仕
事
を
続
け
る
、
趣
味
や
旅
行
を
楽
し
新
し
い
年
度
が
ス
タ
ー
ト
し
て
い
ま
す
。
工
学
科
6
7
名
、
全
校
生
徒
3
3
7
名
で
ま
し
た
。
現
在
、
普
通
科
2
7
0
名
、
創
造
迎
え
1
1
3
名
の
新
入
生
が
入
学
し
て
き
さ
て
、
本
校
創
立
七
十
四
年
目
の
春
を
ワ
ー
ク
の
賜
物
と
思
い
ま
す
。
チ
ー
ム
だ
け
に
、
日
頃
の
練
習
と
チ
ー
ム
た
し
ま
し
た
。
部
員
不
足
が
悩
み
だ
っ
た
ル
選
手
権
大
会
に
男
女
と
も
に
出
場
を
果
チ
ー
ム
が
参
加
す
る
宮
城
県
バ
レ
ー
ボ
ー
某
図
書
に
『
健
康
寿
命
を
伸
ば
す
た
め
5
伸
び
る
と
さ
れ
て
お
り
ま
す
が
、
健
康
で
と
、
平
均
寿
命
は
男
女
と
も
今
後
さ
ら
に
日
本
の
将
来
推
計
人
口
に
よ
り
ま
す
と
を
意
味
し
ま
す
。
が
必
要
と
な
る
可
能
性
が
高
い
と
い
う
こ
年
、
こ
の
期
間
は
介
護
な
ど
人
の
手
助
け
が
9
.
0
2
年
、
女
性
が
1
2
.
4
0
健
康
寿
命
と
平
均
寿
命
の
差
は
、
男
性
1
.
1
9
歳
、
女
性
が
7
4
.
2
1
歳
。
年
の
日
本
人
の
健
康
寿
命
は
、
男
性
が
7
ま 生 題 関
ご
厚 す 活 で ) 2 存 皆
生 。 で 日 が 0 知 様
労
き 常 提 0 で は
働
る 生 唱 0 し 「
省
期 活 し 年 ょ 健
間 が た に う 康
の
」 制 言 W か 寿
発
と 限 葉 H 。 命
表
」 高橋 清志
定 さ で O
で
と
義 れ 「 (
は
同窓会
い
さ る 健 世
、
仙台支部長
う
れ こ 康 界
2
(就任H25/04~)
言
て と 上 保
0
S44年卒
葉
お な の 健
1
岩ケ崎出身
り く 問 機
3
を
も
多
数
い
ら
っ
し
ゃ
る
と
思
い
ま
す
。
同
様
の
生
活
環
境
に
あ
る
同
窓
生
の
方
々
つ
い
て
も
考
え
る
よ
う
に
な
り
ま
し
た
。
が
気
に
掛
る
よ
う
に
な
り
、
健
康
寿
命
に
自
覚
す
る
と
共
に
こ
れ
ま
で
以
上
に
健
康
な
る
な
ど
、
今
で
は
年
を
取
っ
た
こ
と
を
知
人
と
の
会
話
で
は
健
康
問
題
が
話
題
に
る
よ
う
に
な
り
、
ま
た
同
年
代
の
友
人
や
み
疲
れ
が
残
る
な
ど
体
力
の
衰
え
を
感
じ
二
歳
ご
ろ
か
ら
徐
々
に
仕
事
の
疲
れ
や
飲
込
ん
で
お
り
ま
し
た
が
、
二
年
前
の
六
十
私
も
、
六
十
歳
ま
で
は
壮
年
だ
と
意
気
る
事
が
必
要
な
の
だ
』
と
あ
り
ま
し
た
。
い
人
は
働
け
る
よ
う
な
社
会
環
境
を
整
え
な
く
と
も
七
十
歳
く
ら
い
迄
は
、
働
き
た
健
康
寿
命
を
伸
ば
そ
う
と
す
れ
ば
、
少
に
改
め
て
感
謝
申
し
上
げ
ま
す
。
も
の
と
思
い
ま
す
。
皆
様
の
温
か
い
お
心
に
と
っ
て
、
心
強
い
応
援
を
い
た
だ
い
た
た
。
親
元
を
離
れ
生
活
を
始
め
る
卒
業
生
す
る
卒
業
生
の
歓
迎
会
を
開
催
頂
き
ま
し
を
卒
業
し
関
東
方
面
に
進
学
ま
た
は
就
職
員
の
皆
様
の
ご
配
慮
に
よ
り
、
今
春
本
校
特
に
今
年
は
支
部
長
さ
ん
を
は
じ
め
役
申
し
上
げ
ま
す
。
い
た
だ
い
て
お
り
ま
す
こ
と
に
深
く
感
謝
動
に
ご
理
解
を
賜
り
、
ご
支
援
、
ご
協
力
を
東
京
岩
高
会
の
皆
様
に
は
本
校
の
教
育
活
佐
々
木
く
に
子
支
部
長
さ
ん
を
は
じ
め
、
こ
と
と
お
慶
び
申
し
上
げ
ま
す
。
ま
た
、
ま
同 し 本
窓 た 校
生 。 に
赴
の
任
皆
し
様
て
に
二
は
、
年 高橋 義典
益
目
々
の
第24代学校長
春 (赴任H26/04~)
ご
清
を
鶯沢出身
栄
迎
え
の
区
大
会
の
優
勝
チ
ー
ム
の
男
女
各
1
6
レ
ー
部
は
、
新
人
大
会
の
ベ
ス
ト
8
と
地
実
を
結
ん
だ
も
の
と
思
い
ま
す
。
ま
た
バ
こ
の
冬
の
間
に
行
っ
た
ト
レ
ー
ニ
ン
グ
が
の
試
合
で
代
表
権
を
逃
し
て
い
る
だ
け
に
復
活
戦
を
勝
ち
上
が
っ
た
も
の
の
、
最
後
た
し
ま
し
た
。
昨
年
秋
の
大
会
で
は
敗
者
り
、
二
十
一
年
ぶ
り
に
県
大
会
出
場
を
果
宮
城
県
大
会
北
部
地
区
予
選
を
勝
ち
上
が
り
、
野
球
部
は
春
季
東
北
地
区
高
校
野
球
8
入
り
を
果
た
し
ま
し
た
。
今
年
度
に
入
部
、
卓
球
部
女
子
シ
ン
グ
ル
ス
で
ベ
ス
ト
昨
年
秋
の
新
人
大
会
で
は
男
子
バ
レ
ー
所
に
見
ら
れ
て
い
ま
す
。
り
、
休
日
も
含
め
て
ひ
た
む
き
な
姿
が
随
…
(
中
略
)
…
部
活
動
に
も
積
極
的
に
取
り
組
ん
で
お
こ
れ
ら
の
要
件
は
ほ
ぼ
満
た
さ
れ
る
。
取
り
組
む
生
徒
の
姿
が
あ
り
ま
す
。
ま
た
、
と
、
普
通
に
規
則
正
し
く
働
い
て
い
れ
ば
員
室
前
の
廊
下
や
自
習
室
な
ど
で
勉
強
に
た
感
動
で
あ
る
が
、
よ
く
考
え
て
み
る
に
取
り
組
ん
で
い
ま
す
。
放
課
後
に
は
、
職
は
心
の
健
康
、
ド
キ
ド
キ
は
五
感
を
使
っ
塾
し
、
毎
朝
多
く
の
生
徒
が
黙
々
と
学
習
は
三
度
の
規
則
正
し
い
食
事
、
ニ
コ
ニ
コ
自
学
自
習
「
愛
宕
塾
」
も
四
月
二
十
日
に
開
健
康
寿
命
の
こ
と
テ
ク
テ
ク
は
適
度
な
運
動
、
カ
ミ
カ
ミ
ニ
コ
・
ド
キ
ド
キ
」
が
大
切
。
に
は
、
「
テ
ク
テ
ク
・
カ
ミ
カ
ミ
・
ニ
コ
努
力
の
丘
に
花
は
咲
く
ま
す
。
ま
た
、
今
年
で
二
十
年
目
を
迎
え
た
て
毎
日
の
授
業
に
熱
心
に
取
り
組
ん
で
い
生
徒
た
ち
は
そ
れ
ぞ
れ
の
目
標
を
持
っ
て
、
進
学
重
点
学
力
向
上
事
業
校
と
し
て
も
宮
城
県
教
育
委
員
会
の
指
定
事
業
と
し
ま
ず
、
普
通
科
で
は
平
成
二
十
七
年
度
年
度
も
そ
の
実
績
を
継
続
で
き
る
よ
う
に
め
て
全
員
の
進
路
が
決
定
し
ま
し
た
。
今
早
々
に
内
定
を
得
て
、
進
学
希
望
者
も
含
就
職
面
で
も
昨
年
度
は
希
望
者
全
員
が
る
資
格
に
も
多
数
の
生
徒
が
合
格
し
て
、
穂
乃
香
さ
ん
(
文
字
出
身
)
が
応
募
し
た
大
会
愛
称
と
し
て
本
校
現
三
年
生
の
千
葉
ン
タ
ー
ハ
イ
が
開
催
さ
れ
ま
す
が
、
そ
の
山
形
・
福
島
の
南
東
北
三
県
で
南
東
北
イ
さ
て
、
平
成
二
十
九
年
度
に
は
宮
城
・
と
思
い
ま
す
。
今
後
と
も
微
力
な
が
ら
お
役
に
立
ち
た
い
す
。
私
も
同
窓
会
担
当
の
教
職
員
と
し
て
と
ご
健
勝
を
祈
念
し
て
お
り
ま
す
。
岩
高
同
窓
生
の
皆
様
の
益
々
の
ご
活
躍
せ
し
ま
す
。
お
か
げ
で
、
高
い
専
門
性
が
要
求
さ
れ
な
り
ま
す
。
ら
、
ぜ
ひ
よ
ろ
し
く
お
引
き
立
て
願
い
ま
岩
ケ
崎
高
校
の
近
況
に
つ
い
て
お
知
ら
お
世
話
に
な
っ
て
い
ま
す
。
岩
高
ニ
ュ
ー
ス
東
京
岩
高
会
の
皆
様
、 小畑 征也
日
本校総務部長
頃 (赴任H22/04~)
よ
同窓会本部
り
事務局長
大
仙台出身
変
に
よ
る
実
践
指
導
が
行
わ
れ
て
い
ま
す
。
て
お
り
、
県
内
企
業
の
高
度
熟
練
技
能
者
も
の
づ
く
り
人
材
育
成
事
業
が
展
開
さ
れ
ト
マ
ン
2
1
事
業
」
の
指
定
を
受
け
て
、
創
造
工
学
科
で
は
、
「
み
や
ぎ
ク
ラ
フ
合
わ
せ
て
徐
々
に
変
わ
っ
て
ゆ
く
こ
と
に
と
に
な
り
ま
す
。
学
校
の
体
制
も
そ
れ
に
校
舎
の
創
造
工
学
科
は
閉
科
を
迎
え
る
こ
を
迎
え
る
平
成
三
十
年
三
月
に
は
、
鶯
沢
し
た
が
っ
て
、
現
在
の
一
年
生
が
卒
業
生
達
と
東
京
で
会
う
機
会
が
あ
り
ま
し
た
け
と
な
れ
ば
、
と
思
い
ま
す
。
若
い
同
窓
で
の
同
窓
会
活
動
に
足
を
伸
ば
す
き
っ
か
思
い
ま
す
。
若
い
人
達
が
少
し
で
も
東
京
か
け
て
頂
き
ど
れ
ほ
ど
心
強
か
っ
た
か
と
立
派
に
務
め
、
高
い
評
価
を
得
ま
し
た
。
験
発
表
の
ほ
か
に
、
岩
高
生
が
進
行
役
を
で
は
、
本
校
の
志
教
育
の
取
り
組
み
の
体
栗
駒
の
伝
創
館
で
開
催
さ
れ
た
発
表
会
学
生
と
な
る
こ
と
が
決
ま
り
ま
し
た
。
度
の
入
学
生
が
創
造
工
学
科
の
最
後
の
入
工
学
科
で
す
が
、
残
念
な
こ
と
に
、
今
年
年
度
も
2
9
名
の
新
入
生
を
迎
え
た
創
造
学
科
と
し
て
の
着
実
な
実
績
を
挙
げ
、
今
こ
の
よ
う
に
、
県
北
で
は
ユ
ニ
ー
ク
な
な
意
義
が
あ
る
も
の
と
思
っ
て
い
ま
す
。
な
顔
合
わ
せ
会
を
設
け
る
こ
と
に
は
大
き
私
ど
も
教
職
員
が
協
力
し
て
、
こ
の
よ
う
い
た
た
め
短
時
間
で
は
あ
り
ま
し
た
が
、
会
が
実
現
し
ま
し
た
。
日
程
が
詰
ま
っ
て
新
入
同
窓
会
員
た
ち
も
励
ま
し
の
言
葉
を
育
活
動
の
成
果
を
発
表
し
ま
し
た
。
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
高
等
学
校
が
連
携
・
協
力
し
て
日
頃
の
教
さ
せ
て
い
た
だ
き
ま
す
。
の
ご
発
展
を
お
祈
り
申
し
上
げ
、
挨
拶
と
様
の
ご
健
勝
と
東
京
岩
高
会
の
ま
す
ま
す
ま 協
は 生 の 己
最 す 力 今 咲 徒 姿 実 学
後 。 を 後 く 諸 は 現 習
に
賜 と 」 君 誠 に に
な
り も と に に 向 し
り
ま 皆 話 対 頼 け て
す 様 し し も て も
ま
よ の 、 て し 日 、
し
部
う 温 激 は く 々 活
た
お か 励 、
が
「 思 努 動
願 い し 努 い 力 に
、
同
い ご て 力 ま す し
窓
申 支 い の す る て
生
し 援 ま 丘 。 岩 も
の
上 、 す に そ 高 、
げ ご 。 花 の 生 自
皆
地
区
と
し
て
、
栗
駒
・
鶯
沢
地
区
の
小
中
が
、
県
教
育
委
員
会
指
定
の
志
教
育
推
進
ま
し
た
。
こ
れ
も
昨
年
度
に
な
り
ま
す
導
・
ご
助
言
を
い
た
だ
く
機
会
に
恵
ま
れ
態
勢
で
指
導
に
当
た
っ
て
参
り
ま
す
。
チ
ャ
レ
ン
ジ
す
る
生
徒
に
は
手
厚
い
支
援
木
く
に
子
支
部
長
さ
ん
ら
と
の
顔
合
わ
せ
職
す
る
予
定
の
三
年
生
2
0
余
名
と
佐
々
僭
越
な
が
ら
私
も
授
業
を
行
い
、
ご
指
に
実
地
調
査
と
し
て
お
見
え
い
た
だ
き
、
度
は
文
部
科
学
省
の
教
科
調
査
官
が
本
校
取
り
組
ん
で
い
ま
す
。
ち
な
み
に
、
昨
年
し
て
英
語
教
育
の
指
導
の
工
夫
と
改
善
に
目
を
迎
え
、
県
内
九
校
の
う
ち
の
一
つ
と
充
実
支
援
事
業
も
昨
年
度
に
続
い
て
三
年
の
一
つ
で
す
。
ま
た
、
先
進
的
英
語
教
育
山形県庁で表彰を受ける千葉穂乃香さん
入
会
式
の
後
に
、
東
京
方
面
へ
進
学
・
就
の
働
き
か
け
が
あ
っ
て
二
月
末
の
同
窓
会
平
成
二
十
六
年
度
は
東
京
岩
高
会
よ
り
思
い
ま
す
。
校
」
の
文
字
を
目
に
す
る
こ
と
に
な
る
と
な
と
こ
ろ
で
「
宮
城
県
岩
ケ
崎
高
等
学
今
後
、
大
会
ポ
ス
タ
ー
を
は
じ
め
色
々
で
表
彰
式
が
行
わ
れ
ま
し
た
。
0
1
7
」
が
採
用
さ
れ
、
先
日
写 山
真 形
上 県
庁
)
進
学
指
導
の
充
実
に
取
り
組
ん
で
い
る
と
(
こ
ろ
で
す
。
こ
ち
ら
は
県
内
十
校
の
う
ち
「
は
ば
た
け
世
界
へ
・
南
東
北
総
体
・
2
6
舎
と
鶯
沢
校
舎
で
ま
と
ま
る
総
会
と
な
り
計
が
両
校
舎
で
一
つ
と
な
り
、
岩
ケ
崎
校
五
月
に
は
生
徒
会
総
会
、
今
年
か
ら
会
力
を
し
て
い
ま
す
。
毎
日
の
朝
に
視
聴
覚
は
な
く
、
勉
強
や
部
活
動
で
も
多
く
の
努
さ
て
、
岩
高
生
は
多
く
の
行
事
だ
け
で
の
作
品
や
吹
奏
楽
部
の
演
奏
に
多
大
な
賞
て
い
ま
す
。
ま
た
、
文
化
部
で
も
美
術
部
新
人
ベ
ス
ト
8
な
ど
多
く
の
記
録
を
残
し
し
て
き
ま
し
た
。
月
が
過
ぎ
、
多
く
の
行
事
や
活
動
を
こ
な
入
生
オ
リ
エ
ン
テ
ー
シ
ョ
ン
と
忙
し
い
四
ま
し
た
。
入
学
式
を
始
め
、
対
面
式
や
新
花
に
合
わ
せ
て
多
く
の
新
入
生
が
入
学
し
岩
ケ
崎
の
地
に
も
春
が 狩野 雄樹
訪 (カノ ユウキ)
れ
、
3年生
桜
生徒会副会長
の
尾松出身
開
に
な
っ
た
こ
と
と
思
い
ま
す
。
技
大
会
が
で
き
て
素
晴
ら
し
い
球
技
大
会
総
合
体
育
館
を
お
借
り
し
、
有
意
義
な
球
も
多
く
の
賑
わ
い
が
あ
り
ま
し
た
。
栗
駒
度
か
ら
二
日
間
開
催
に
な
り
、
例
年
よ
り
た
。
ま
た
、
七
月
に
は
球
技
大
会
、
昨
年
人
県
ベ
ス
ト
8
や
陸
上
部
の
高
跳
び
で
県
ま を 授 暇
て 文 朝 対 徒 室
部 す 高 業 で そ 、 の 自 策 が で
活 。 め の の し 基 四 習 の 通 行
動
よ 復 課 て 礎 つ で 場 い わ
で
う 習 外 課 的 の は に 、 れ
は
と を で 外 な 科 国 活 自 て
、
真 中 は 、 学 目 語 用 己 い
昨
剣 心 セ 放 習 に 、 し の る
年
に に ン 課 を お 英 て 学 愛
度
講 自 タ 後 行 い 語 い 習 宕
は
義 分 ー 課 っ て 、 ま の 塾
卓
に の 試 外 て の 数 す 向 。
球
臨 学 験 や い 学 学 。 上 多
部
ん 習 対 長 ま 習 、 ま や く
で
で 能 策 期 す を 小 た 受 の
個
い 力 や 休 。 し 論 、 験 生
ま う そ は
す に れ 自
。 精 ぞ 分
一 れ と
杯 が 戦
頑 充 う
張 実 一
っ し 年
て た 間
い 一 に
き 年 な
た 間 り
い に ま
と な す
思 る が
い よ 、
7
経
験
を
す
る
一
年
間
、
三
年
生
に
と
っ
て
い
一
年
間
、
二
年
生
に
と
っ
て
は
多
く
の
一
年
生
に
と
っ
て
は
初
め
て
の
事
が
多
生
懸
命
頑
張
っ
て
い
ま
す
。
「
尚
志
育
英
」
を
も
と
に
文
武
両
道
、
一
勉
強
へ
の
意
識
が
と
て
も
高
く
な
り
ま
し
く
い
ま
す
。
岩
高
の
建
学
の
精
神
で
あ
る
た
自
習
室
を
利
用
し
た
り
し
て
、
生
徒
の
に
あ
ふ
れ
、
何
事
に
も
真
剣
な
生
徒
が
多
な
制
度
に
な
り
、
昨
年
度
か
ら
開
設
さ
れ
向
に
あ
り
ま
す
が
、
私
た
ち
生
徒
は
活
気
六
月
に
は
定
期
考
査
、
今
年
か
ら
新
た
毎
年
岩
ケ
崎
高
校
の
生
徒
数
は
減
少
傾
キ
ャ
ン
パ
ス
春
秋
き
ま
し
た
。
残
し
て
い
る
部
活
動
も
あ
り
ま
す
。
活
動
ご
と
に
良
い
成
績
を
残
す
こ
と
が
で
大
会
や
コ
ン
ク
ー
ル
な
ど
で
も
好
成
績
を
ま
し
た
。
そ
し
て
支
部
総
体
も
あ
り
各
部
賛
の
声
を
い
た
だ
い
て
お
り
ま
す
。
各
種
7
8
①
②
③
・
岩
ケ
崎
高
校
学
校
長
高
橋
清
志
高
橋
義
典
同
窓
会
と
い
た
し
ま
し
て
は
今
年
で
鶯
・
同
窓
会
か
ら
ご
挨
拶
を
会 頂
き
長 ま
し
た
。
葛
岡 敬
重 称
利 略
)
沢
工
業
高
校
同
窓
会
と
の
統
合
三
年
目
を
・
同
窓
会
仙
台
支
部
長
(
ご
来
賓
の
方
々
を
紹
介
致
し
ま
す
。
〃 〃
副 支
支 部
部 長
長
亀 遠
山 藤
・
迫
桜
高
校
同
窓
会
東
京
支
部
晶 幸
子 治
ご
来
賓
を
代
表
し
て
以
下
の
三
名
の
方
幹 幹 事
務
事 事 局
長
〈
記
・
長
沼
〉
9
閉
会
の
辞
は
東
京
岩
高
会
・
佐
藤
政
弘
巻
き
起
こ
っ
た
会
と
な
り
ま
し
た
。
高
」
と
校
歌
斉
唱
を
行
い
大
歓
喜
の
渦
が
を
務
め
た
卒
業
生
で
「
フ
レ
ー
フ
レ
ー
岩
正
に
「
絆
」
の
ラ
イ
ン
と
な
り
、
応
援
団
「
高
校
三
年
生
」
「
ふ
る
さ
と
」
を
歌
い
部
長
に
よ
る
開
会
宣
言
が
行
な
わ
れ
支
部
四
十
六
年
卒
東
京
岩
高
会
・
後
藤
直
副
支
前 支
支 部
部 長
長
千 玉 阿 熱 佐
田 井 部 海 藤
長
の
司
会
進
行
で
始
ま
り
、
開
会
の
辞
は
・
築
館
高
校
同
窓
会
東
京
支
部
英 順 重 光 公
雄 一 一 顕 輝
①佐々木支部長、②葛岡会長、③高橋校長
④「東北のまん中で写真日記」スライド放映を
歓喜の声を上げながら見入る出席者の皆様方
副
支
部
長
が
行
い
、
大
盛
会
の
う
ち
に
閉
長
を
務
め
六
年
目
の
佐
々
木
く
に
子
支
部
〃 〃 〃 〃 〃
④
会
と
な
り
ま
し
た
。
長
の
挨
拶
で
総
会
の
幕
を
開
き
ま
し
た
。
最
後
は
、
出
席
者
が
腕
を
組
み
合
い
方
よ
り
暖
か
い
拍
手
が
贈
ら
れ
ま
し
た
。
守
っ
て
い
き
た
い
と
い
う
思
い
が
感
じ
ら
映
像
に
お
い
て
は
、
故
郷
の
美
し
い
姿
を
平
成
元
年
卒
の
須
藤
康
之
様
に
対
し
先
輩
近
況
報
告
で
は
、
初
め
て
参
加
さ
れ
た
総
会
は
五
十
二
年
卒
・
高
橋
聖
副
支
部
役
員
の
ご
出
席
を
頂
き
ま
し
た
。
ら
は
昨
年
に
引
き
続
き
同
窓
会
東
京
支
部
在
郷
近
隣
の
築
館
高
校
や
迫
桜
高
校
か
名
を
超
え
る
大
盛
会
と
な
り
ま
し
た
。
・
・
恩
岩
師 〃 〃 ケ 〃
崎
高
校 仙
総 教 学 台
務
校 支
部 頭 長 部
長
長
出
席
を
頂
き
、
昨
年
に
引
き
続
き
1
0
0
同
窓
生
と
御
来
賓
、
総
勢
1
1
5
名
の
パ
ー
ク
に
て
開
催
さ
れ
ま
し
た
。
日
)
午
前
十
一
時
、
上
野
公
園
グ
リ
ー
ン
写
し
出
さ
れ
、
郷
愁
ム
ー
ド
が
漂
い
、
最
か
ら
、
ふ
る
さ
と
の
四
季
折
々
の
映
像
が
上
げ
て
い
る
五
十
四
年
卒
の
土
井
祐
之
様
う
」
等
の
販
売
が
行
な
わ
れ
ま
し
た
。
「
し
そ
巻
」
や
「
ま
ぼ
ろ
し
の
ま
ん
じ
ゅ
て
、
菅
原
由
美
子
幹
事
に
よ
る
栗
駒
の
な
お
本
年
も
復
興
支
援
の
一
環
と
し
「
東
北
の
ま
ん
中
で
写
真
日
記
」
を
立
ち
大
師
の
御
札
が
贈
ら
れ
ま
し
た
。
第
五
十
八
回
第
五
十
八
回
・
東
京
岩
高
会
総
会
は
、
東
京
岩
高
会
総
会
開
催
報
告
・
同
〃 〃 〃 〃 〃 窓
会
常
任
幹
事
常
任
幹
事
常 副 副 会
任 会 会
幹 長 長 長
事
千 小 西 高 高 加 佐 佐 菅
葉 畑 塚 橋 橋 藤 藤 々 原
木
紀 征 久 義 清
和 勝 浩
雄 也 良 典 志 洋 美 行 紀
後
に
映
し
出
さ
れ
た
文
字
・
深
山
牧
場
の
平
成
二
十
六
年
十
一
月
二
十
九
日
(
土
曜
今
年
の
特
別
講
演
は
地
元
で
ブ
ロ
グ
満
場
一
致
で
採
択
・
承
認
さ
れ
ま
し
た
。
り
、
佐
々
木
く
に
子
支
部
長
が
再
選
さ
れ
年
度
は
二
年
に
一
度
の
役
員
改
選
に
あ
た
た
出
席
さ
れ
た
同
窓
生
へ
高
野
山
の
弘
法
の
還
暦
(
四
十
八
年
卒
)
の
節
目
を
迎
え
十
歳
の
古
希
(
三
十
八
年
卒
)
、
六
十
歳
八
十
歳
の
傘
寿
(
二
十
八
年
卒
)
、
七
後 葛
藤 岡
家 重
光 利
び
に
次
年
度
の
計
画
案
が
発
表
さ
れ
、
今
担
当
幹
事
か
ら
活
動
報
告
や
会
計
報
告
並
秋
幹
事
長
が
議
長
に
選
出
さ
れ
た
後
、
各
議
事
進
行
は
、
五
十
三
年
卒
の
長
沼
和
で
、
や
が
て
懇
談
が
始
ま
り
ま
し
た
。
し
四
十
八
年
卒
・
千
葉
正
宏
様
の
発
声
乾
杯
は
還
暦
を
迎
え
る
同
窓
生
を
代
表
誠
に
素
晴
ら
し
い
講
演
と
な
り
ま
し
た
。
席
も
頂
き
二
十
五
名
が
集
い
ま
し
た
。
四
十
八
年
卒
が
対
象
で
、
仙
台
か
ら
の
出
を
頂
き
、
今
年
の
「
還
暦
を
祝
う
会
」
は
迎
え
、
同
校
か
ら
二
名
の
卒
業
生
の
出
席
く
れ
な
い
か
」
と
お
声
が
掛
か
っ
て
お
り
「
年
老
い
た
母
に
見
せ
た
い
か
ら
写
真
を
よ
」
「
田
舎
に
帰
り
た
く
な
っ
た
よ
」
れ
、
出
席
者
か
ら
は
「
懐
か
し
か
っ
た
第
五
十
八
回
東
京
岩
高
会
総
会
03
湧
き
出
で
る
笑
顔
の
泉
岩
高
家か
族い
本総会には岩高同窓生のほか、迫桜高校、築館
高校の卒業生の皆様方、合わせて総勢115名
のご出席を頂きました。
(2014/11/29. 上野公園西郷象前階段にて)
10
こ
の
日
の
私
達
の
姿
を
笑
顔
を
届
け
ま
す
。
11
遥
か
な
彼
方
に
逝
っ
た
同
胞
の
皆
様
方
へ
・
・
・
・
・
02
第58回総会・写真集
次回はあなたの笑顔と
出会いましょう!
平成27年11月28日(土)
上野グリーンパークで待っています
東京岩高会役員一同より
12
平成27年度(H26/11/01~H27/10/31)
属
賛
本
本
本
本
仙
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
卒 年 氏
名
斎藤 君代
S 37 菊池 清子
S 37 芳賀 康雄
S 45 後藤 仁
S 50 菅原 弘幸
S 26 飯田 正量
S 26 伊藤 七郎
S 26 小野寺喜美夫
S 26 亀井 栄利
S 26 栗原 孝允
S 26 佐竹 章
S 26 佐藤 明
S 28 伊藤 末治郎
S 28 及川 博子
S 28 小野寺美代子
S 28 千葉 秀夫
S 28 早坂 章治
S 28 吉野 玲子
S 29 鎌田 匡之
S 29 藤代 實
S 30 白鳥 吉幸
S 30 菅原 正八
S 30 高橋 次夫
S 31 菅原 一
S 31 高橋 貞子
S 32 鈴木 俊之
S 32 高橋 東三
S 32 西島 栄子
S 33 木名瀬五百子
S 33 袋 康男
S 34 石井 紀子
S 34 清田 泰子
S 34 小林 たか子
S 34 佐々木賢太郎
S 34 佐藤 茂
S 34 四ノ宮 信男
(注)表中記号:
属
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
卒 年
S 34
S 35
S 35
S 35
S 35
S 35
S 35
S 35
S 36
S 36
S 36
S 36
S 36
S 36
S 36
S 36
S 36
S 36
S 36
S 36
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
氏
名
千葉 辰夫
石井 邑子
岡本 昭雄
鎌田 正聰
小柳 典子
須田 和恵
高橋 嘉紀
内藤 利雄
大内 敏彦
大久保 信子
小畑 丈夫
加藤 旭孝
久保田 信子
佐々木 稔
菅原 富夫
千葉 圭一
奈須野 栄子
袋 幸男
穂積 宏哉
渡部 朋子
伊藤 克侑
岩泉 冽
岩渕 洋子
岩本 定美
及川 勝美
笈川 くら子
木下 峰子
熊谷 栄子
栗原 しげ子
佐々木くに子
白石 栄子
真保 清美
菅原 巧
菅原 武人
菅原 三千男
鈴木 晃
年会費ご協力者名
属
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
卒年
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 37
S 38
S 38
S 38
S 38
S 38
S 38
S 39
S 39
S 40
S 40
S 40
S 40
S 40
S 41
S 41
S 42
S 42
S 42
S 42
S 42
S 42
S 42
S 42
S 44
S 44
氏
名
須田 陽子
高橋 友子
高松 武巳
武田 桂子
太宰 東臣
千葉 昭一
津田 久子
宮原 ミワ子
結城 家寿子
遊佐 利昭
吉野 久子
岩永 寿子
大関 信輔
加藤 久仁雄
佐藤 次雄
只野 和夫
二川 陽子
佐々木 元子
蘇武 昌三
小山 ハルミ
桑原 盛一
佐藤 光夫
高橋 節郎
谷川 桂子
後藤 次郎
蘇武 巌
小川 晶平
狩野 恒雄
佐藤 美喜子
高橋 秀男
高橋 有子
河合 礼子
千葉 健二
宮本 洋子
飯田 伸雄
伊藤 税
敬称略
属
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
卒年
S 45
S 45
S 45
S 45
S 45
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 46
S 47
S 47
S 47
S 47
S 47
S 47
S 47
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
平成27年7月11日現在
氏
名
伊藤 初雄
大木 貞子
葛岡 制紀
高橋 初美
松岡 育子
浅野 弘巳
伊藤 光男
後藤 直
佐々木 勇伍
佐藤 猛
佐藤 政弘
渋谷 力
菅原 正雄
菅原 良子
高村 浩子
千葉 まし子
長沢 斉
長瀬 真一
野口 栄子
芳賀 進
守屋 みさ子
山本 信子
和仁 洋子
太田 洋子
川村 信子
佐々木 静郎
菅原 修悦
関
幸子
森岡 光子
和久 充
浅野 和優
石井 仁子
岩崎 哲雄
岩松 智恵子
宇佐美 弘子
大久保 廣幸
属
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
東
卒年
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 48
S 49
S 49
S 49
S 49
S 49
S 50
S 50
S 51
S 52
S 52
S 52
S 52
S 52
S 53
S 53
S 53
S 53
S 54
H 1
H 1
氏
名
栗原 武
小甲 定子
佐藤 いつ子
佐藤 久恵
澤田 直子
澤田 由紀子
菅原 典子
鈴木 美作子
高橋 洋
千葉 繁典
千葉 正宏
鳥澤 あや子
本田 みき子
密島 眞夫
森尾 博美
渡辺 秀嗣
熊谷 ふじえ
佐々木 哲夫
菅原 由美子
畠山 純子
松田 清子
熊谷 純一
菅原 俊雄
古舘 芳子
高橋 朗
高橋 聖
千葉 進
二階堂ひろみ
星 光男
高橋 良哉
長沼 和秋
安田 文江
山口 真貴
佐藤 隆仁
須藤 康之
武内 里恵
賛=賛助会員、本=本部、仙=仙台支部、東=東京支部、を示します。
第58回 東京岩高会総会で可決された平成26年度決算報告と平成27年度予算
平成26年度 決算報告 (H25/11/01~H26/10/31)
平成27年度 予算 (H26/11/01~H27/10/31)
収入の部
支出の部
収入の部
支出の部
項目
前期繰越金
金額(円)
140,663
助成金
総会参加費
100,000
854,260
新年会参加費
暑気払参加費
年会費協力金
ご祝儀
広告料
雑収入
金額(円)
862,060
項目
前期繰越金
金額(円)
172,246
新年会費
暑気払費
108,000
117,635
助成金
総会参加費
100,000
800,000
新年会費
暑気払費
100,000
100,000
109,000
100,000
会報制作費
通信運搬費
461,263
30,151
新年会参加費
暑気払参加費
100,000
100,000
会報制作費
通信運搬費
460,000
30,000
565,000
135,000
慶弔費
事務用品費
38,706
34,924
年会費協力金
広告料
465,000
85,000
慶弔費
事務用品費
20,000
40,000
85,000
154
項目
総会費
旅費交通費
年会費受入手数料
120,000
14,340
会議費
本部等総会参加費
78,524
50,456
手数料ほか
計
13
2,089,077
次年度繰越金
計
項目
総会費
旅費交通費
年会費受入手数料
会議費
本部等総会参加費
金額(円)
800,000
120,000
15,000
70,000
50,000
772
172,246
2,089,077
予備費
計
1,822,246
計
17,246
1,822,246
ご
ざ
い
ま
し
た
。
て
も
楽
し
み
で
こ
の
日
が
待
ち
遠
し
か
っ
有
り
難
う
ご
ざ
い
ま
し
た
。
頑
張
り
た
い
と
思
い
ま
す
。
あ
り
が
と
う
す
。
先
発
メ
ン
バ
ー
に
選
ば
れ
る
よ
う
に
そ
れ
に
向
け
て
練
習
に
取
り
組
ん
で
い
ま
か
け
た
入
れ
替
え
戦
が
行
わ
れ
る
の
で
、
た
。
五
月
九
日
に
は
二
部
リ
ー
グ
昇
格
を
加
し
、
見
事
優
勝
す
る
こ
と
が
で
き
ま
し
大
学
ソ
フ
ト
ボ
ー
ル
の
春
季
リ
ー
グ
に
参
以
上
に
先
輩
方
や
同
級
生
と
会
う
事
が
と
心
配
事
も
幾
つ
か
有
り
ま
し
た
が
、
そ
れ
え
な
い
か
、
し
っ
か
り
合
流
出
来
る
か
、
京
に
行
く
と
言
う
事
で
電
車
に
乗
り
間
違
て
い
た
だ
き
ま
し
た
。
初
め
て
一
人
で
東
■
今
回
は
初
め
て
岩
高
会 兵藤 優丞
に (ヒョウドウ ユウスケ)
H27年卒
参
築館出身
加
さ
土浦市在住
せ
と
思
い
ま
し
た
。
良
か
っ
た
で
す
。
是
非
ま
た
参
加
し
た
い
せ
て
く
れ
る
よ
う
な
同
級
生
に
再
会
で
き
て
「
自
分
も
勉
強
し
な
い
と
!
」
と
思
わ
の
た
め
に
大
学
に
入
学
し
ま
し
た
。
そ
し
私
は
理
学
療
法
士
に
な
る
の
が
夢
で
そ
じ
る
事
が
で
き
と
て
も
良
か
っ
た
で
す
。
五
月
の
連
休
は
埼
玉
県
で
開
催
さ
れ
た
人
っ
ぽ
く
な
っ
て
い
て
思
わ
ぬ
変
化
を
感
し
た
い
と
思
い
ま
す
。
た
。
同
級
生
は
少
し
会
わ
な
い
内
に
大
む
こ
と
が
で
き
ま
し
た
。
ぜ
ひ
ま
た
参
加
時
間
が
経
つ
の
が
あ
っ
と
い
う
間
で
し
人
だ
け
の
参
加
で
し
た
が
、
と
て
も
楽
し
こ
と
が
で
き
ま
し
た
。
今
回
は
女
子
は
一
平
成
二
十
七
年
卒
上
京
者
の
歓
迎
会
に
参
加
し
て
こ
と
が
で
き
、
充
実
し
た
時
間
を
過
ご
す
の
こ
と
な
ど
楽
し
い
話
を
た
く
さ
ん
す
る
方
や
同
級
生
と
地
元
の
こ
と
や
大
学
生
活
美
味
し
い
料
理
を
食
べ
な
が
ら
、
先
輩
ど
宜
し
く
お
願
い
し
ま
す
。
は
あ
り
ま
す
が
こ
れ
か
ら
も
ご
指
導
の
ほ
お
り
ま
す
。
世
間
に
出
た
て
の
不
束
者
で
深
め
て
い
く
こ
と
が
で
き
た
ら
と
思
っ
て
同
級
生
と
と
り
と
め
の
無
い
話
し
を
し
た
し
を
聞
い
た
り
、
久
し
ぶ
り
に
再
会
し
た
た
で
す
。
そ
し
て
先
輩
方
の
楽
し
い
お
話
り
、
美
味
し
い
お
料
理
を
い
た
だ
い
た
り
で
待
ち
遠
し
か
っ
た
で
す
。
岩
高
出
身
の
先
輩
方
と
の
交
流
を
も
っ
と
と
も
あ
り
ま
し
た
が
、
こ
の
日
が
楽
し
み
こ
れ
か
ら
も
こ
の
よ
う
な
会
を
通
し
て
東
京
に
行
く
の
は
初
め
て
で
不
安
な
こ
本
当
に
あ
り
が
と
う
ご
ざ
い
ま
し
た
。
歓
迎
会
に
参
加
さ
せ
て
頂
き
ま
し
た
。
素
晴
ら
し
い
歓
迎
会
を
開
い
て
い
た
だ
き
●
今
回
、
東
京
岩
高
会 高橋 亜実
・
新 (タカハシ アミ)
H27年卒
卒
尾松出身
上
ソフトボール部
京
小山市在住
者
■
今
回
は
私
達
の
た
め
に 小野寺 和樹
こ (オノデラ カズキ)
H27年卒
の
金成出身
よ
う
宇都宮市在住
な
話
の
玉
手
箱
・
会
員
の
窓
緊張気味の新卒者の皆様(5名出席)。
かつての私達の姿が忍ばれます。
歓談後は打ち解けて笑顔が広がります。
(八丁堀のキャプリス前にて)
(前列5名が新卒上京者の皆様)
見守る諸先輩方も感激の笑顔です。
14
が
あ
っ
た
よ
う
で
蘇
武
前
校
長
も
憤
懣
や
今
年
の
三
月
に
県
教
委
よ
り
急
な
決
定
作
業
に
あ
た
っ
た
数
か
月
間
の
苦
労
が
報
日
だ
け
で
な
く
平
日
の
夜
遅
く
ま
で
編
集
よ
り
お
褒
め
の
言
葉
を
頂
い
た
事
は
、
土
「
素
晴
ら
し
い
会
報
だ
」
と
多
く
の
皆
様
菅
原
正
雄
編
集
長
の
出
席
に
際
し
、
な
っ
た
の
は
い
う
ま
で
も
あ
り
ま
せ
ん
。
か
ら
の
ご
挨
拶
で
あ
り
、
何
か
嬉
し
く
き
、
そ
れ
は
も
ち
ろ
ん
本
校
の
生
徒
た
ち
う
元
気
な
挨
拶
が
幾
重
に
も
優
し
く
響
<
結
び
>
15
残
念
な
報
告
が
御
座
い
ま
し
た
。
先
ず
は
母
校
に
て
四
月
よ
り
着
任
さ
れ
工
学
科
は
迫
桜
高
校
に
移
行
さ
れ
る
と
の
て
出
席
さ
せ
て
頂
き
ま
し
た
。
が
三
十
年
卒
業
を
も
っ
て
終
了
し
、
創
造
お
り
ま
し
た
。
遇
し
ま
し
た
ら
、
「
こ
ん
に
ち
わ
」
と
い
集
長
、
浅
野
幹
事
、
並
び
に
私
の
四
名
に
本
部
総
会
に
出
席
し
て
部
同
窓
会
に
、
佐
々
木
支
部
長
、
菅
原
編
ベ
ル
デ
ィ
栗
駒
に
て
開
催
さ
れ
た
岩
高
本
平
成
二
十
六
年
八
月
二
日
(
土
曜
日
)
ぷ
り
な
お
も
て
な
し
を
頂
き
ま
し
た
。
進
行
で
流
石
に
元
気
良
く
ユ
ー
モ
ア
た
っ
今
回
は
五
十
年
卒
、
六
十
年
卒
が
当
番
歓
待
さ
れ
終
始
御
配
慮
を
頂
き
ま
し
た
。
向
か
い
ま
し
た
。
十
五
時
よ
り
の
総
会
に
と
の
試
合
も
激
戦
で
好
試
合
と
話
さ
れ
て
喝
采
で
し
た
。
岩
高
の
第
二
回
気
仙
沼
高
し
て
甲
子
園
に
出
場
と
の
事
、
満
場
拍
手
行 の
奈
の
須
息
野
子
毅
さ
さ
ん
ん
が
利 総
府 会
高 第
の 一
エ 部
ー 司
ス 会
と 進
嬉
し
い
ニ
ュ
ー
ス
と
し
て
は
六
十
年
卒
然
に
も
、
五
~
六
名
の
女
子
高
校
生
と
遭
本
校
に
向
か
う
前
の
道
の
り
で
は
、
偶
く
感
じ
た
一
日
で
あ
り
ま
し
た
。
は
ア
テ
ン
ド
頂
き
、
同
窓
会
で
の
絆
を
強
総
会
後
は
恒
例
の
二
次
会
会
場
へ
向
か
高
橋
校
長
先
生
よ
り
岩
高
創
造
工
学
科
幹
事
長
長
沼
和
秋
い
、
そ
の
後
も
夜
遅
く
ま
で
葛
岡
会
長
に
る
よ
う
に
心
が
け
て
い
ま
す
。
こ
れ
か
ら
栄
養
を
考
え
バ
ラ
ン
ス
の
よ
い
食
事
を
す
と
感
じ
ま
し
た
。
特
に
食
事
に
関
し
て
、
分
一
人
で
や
っ
て
み
る
と
毎
日
大
変
だ
な
ぼ
母
が
し
て
く
れ
て
い
た
の
で
、
い
ざ
自
お
褒
め
の
言
葉
を
頂
き
会
談
致
し
会
場
に
ま な
言
す 話 個 の
。 が 性 話
で 豊 で
き か よ
る な く
の 人 盛
で た り
と ち 上
て と が
も 出 っ
充 会 て
実 い い
し 、 ま
て 様 す
い 々 。
が
集
ま
っ
て
い
る
の
で
、
地
元
の
話
や
方
い
も
の
ば
か
り
で
す
。
日
本
全
国
か
ら
人
な
る
の
で
時
々
混
乱
し
ま
す
が
、
興
味
深
大
学
の
授
業
は
高
校
ま
で
と
時
程
が
異
お
り
ま
し
た
。
て
い
こ
う
と
思
い
ま
し
た
。
あ
る
け
れ
ど
、
将
来
を
見
据
え
て
頑
張
っ
不
安
に
な
る
こ
と
や
失
敗
す
る
こ
と
も
れ
か
ら
は
関
心
の
あ
る
こ
と
に
挑
戦
し
て
や
り
た
い
事
が
た
く
さ
ん
あ
る
の
で
こ
張
っ
て
い
き
た
い
で
す
。
が
、
時
々
地
元
で
の
こ
と
を
思
い
出
し
頑
年
間
で
辛
い
こ
と
も
あ
る
と
思
い
ま
す
じ
る
と
と
も
に
、
頑
張
ら
な
き
ゃ
と
い
う
経
っ
て
い
な
い
の
に
す
ご
く
懐
か
し
く
感
わ
れ
た
と
思
い
ま
し
た
。
過
ご
し
て
い
き
た
い
と
思
い
ま
す
。
調
管
理
を
し
っ
か
り
し
て
、
毎
日
楽
し
く
ま
す
ま
す
勉
強
が
大
変
に
な
る
の
で
、
体
い
き
た
い
で
す
。
パ
ワ
ー
も
も
ら
い
ま
し
た
。
こ
れ
か
ら
四
ご
せ
て
い
ま
す
。
た
。
地
元
を
離
れ
て
ま
だ
一
ヶ
月
程
し
か
今
ま
で
食
事
や
洗
濯
な
ど
の
家
事
は
ほ
楽
し
い
時
間
を
過
ご
し
て
い
ま
す
。
安
で
し
た
が
徐
々
に
慣
れ
て
き
ま
し
た
。
慣
れ
な
い
環
境
で
の
生
活
は
と
て
も
不
親
切
な
近
所
の
方
々
に
支
え
ら
れ
な
が
ら
家
族
か
ら
の
メ
ー
ル
や
気
の
利
く
友
人
、
は
慣
れ
ず
大
変
な
こ
と
ば
か
り
で
す
が
、
の
日
々
で
す
。
ま
だ
ま
だ
一
人
暮
ら
し
に
山
梨
に
来
て
早
一
ヶ
月
。
毎
日
が
勉
強
て
不
安
を
打
ち
消
し
て
い
ま
し
た
。
を
覚
え
、
毎
日
実
家
の
愛
犬
の
画
像
を
見
土
地
で
一
人
暮
ら
し
を
す
る
こ
と
に
不
安
最
初
は
知
り
合
い
の
い
な
い
知
ら
な
い
り
、
バ
イ
ト
も
は
じ
め
、
ホ
ー
ム
シ
ッ
ク
た
。
友
人
も
出
来
、
サ
ー
ク
ル
に
も
入
暮
ら
し
や
学
校
生
活
に
も
慣
れ
て
き
ま
し
地
元
を
離
れ
て
一
ヶ
月
が
経
ち
、
一
人
て
い
る
の
で
、
毎
日
充
実
し
た
日
々
を
過
人
が
で
き
、
授
業
に
も
や
り
が
い
を
感
じ
し
か
し
、
学
校
が
始
ま
っ
て
か
ら
は
友
い
、
地
元
の
話
や
思
い
出
を
語
り
ま
し
す
。
先
日
久
し
ぶ
り
に
地
元
の
友
人
に
会
に
な
る
暇
が
な
い
ほ
ど
充
実
し
て
い
ま
菅
原
優
奈
(
野
田
市
)
故
郷
を
離
れ
て
感
じ
た
事
]
る
か
た
な
い
気
持
ち
を
傍
に
き
て
語
っ
て
…
…
…
た
高
橋
義
典
校
長
先
生
、
西
塚
久
良
教
頭
[
先
生
と
他
の
先
生
方
に
出
迎
え
ら
れ
ま
し
(
て
一
時
間
ほ
ど
近
況
を
伺
い
、
東
京
岩
高
)
会
第
五
十
六
号
会
報
に
対
し
て
絶
賛
さ
れ
新
卒
上
京
者
の
声
高
橋
優
花
(
都
留
市
)
井
上
悠
子
(
杉
並
区
)
葛
岡
茉
樹
(
習
志
野
市
)
を
告
げ
た
。
し
デ に 聞 ど に と
私 も 「 リ 用 こ う 早 。 呼
の し は ー 意 え 切 く 心 び
口 」 い ト し て り 打 臓 出
、 さ た き 出 っ が し
の
M れ フ た す た 思
中
男 て レ ら ? 。 い 音
は
乾
で し ー ど あ 応 っ が
き
す ま ズ う い 答 切 鳴
言
。 っ が す つ が り る
も た す る の あ 駆 。
葉
が
し 。 べ ? 沈 っ け 一
う
て 先 痛 た た 回
も
ま
頭 刻 な ら 後 、
し
く
か ま 声 先 の 2
、
出
も
ら で が ず 様 回
し
い
け
ど
事
実
な
ん
だ
よ
ね
。
そ
の
事
実
失
っ
た
こ
と
今
で
も
信
じ
ら
れ
な
い
。
悔
「
先
生
、
俺
ね
、
娘
と
母
親
を
津
波
で
の
ア
ル
バ
ム
の
こ
と
を
M
男
に
持
ち
出
私
は
、
ず
っ
と
気
掛
か
り
で
い
た
一
冊
生
憎
不
在
。
を
手
土
産
に
彼
の
自
宅
を
訪
問
し
た
が
、
方
不
明
の
ま
ま
だ
っ
た
。
で
発
見
さ
れ
た
。
残
念
な
が
ら
長
女
は
行
た
だ
頷
く
だ
け
だ
っ
た
。
言
え
な
い
自
分
を
な
じ
り
な
が
ら
、
私
は
「
昔
と
変
わ
ら
な
い
な
あ
」
と
、
何
も
し
た
。
子
ど
も
た
ち
が
喜
び
そ
う
な
菓
子
ア
ル
バ
ム
を
M
男
の
も
と
に
戻
す
こ
と
に
そ
ろ
そ
ろ
時
期
か
と
思
い
立
ち
、
私
は
波
に
襲
わ
れ
、
三
ヶ
月
後
に
母
親
は
遺
体
長
女
(
当
時
小
学
6
年
)
が
押
し
寄
せ
た
津
波
に
飲
ま
れ
た
。
こ
の
津
波
で
母
親
と
生
ま
れ
育
っ
た
集
落
も
家
も
一
瞬
に
し
て
2
k
m
ほ
ど
上
流
付
近
に
あ
っ
た
自
分
の
沿
岸
部
を
も
襲
っ
た
。
北
上
川
河
口
か
ら
を
送
っ
て
い
る
」
と
気
さ
く
に
話
す
。
と
し
て
、
大
変
だ
け
れ
ど
充
実
し
た
日
々
斐
あ
っ
て
取
得
。
現
在
で
は
中
間
管
理
職
に
関
す
る
諸
資
格
取
得
を
勧
め
ら
れ
、
甲
上
司
に
も
恵
ま
れ
,
道
路
維
持
管
理
事
業
「
今
の
仕
事
に
満
足
し
て
い
る
。
良
き
あ
れ
は
彼
の
長
女
が
小
学
校
中
学
年
頃
も
結
婚
し
三
人
の
女
の
子
に
恵
ま
れ
た
。
と
感
じ
つ
つ
。
さ
ら
に
歳
月
が
経
ち
、
彼
も
昔
と
一
向
に
変
わ
ら
ぬ
頑
固
者
だ
な
!
ル
バ
ム
を
預
か
る
こ
と
に
し
た
。
あ
い
つ
の
こ
と
だ
と
記
憶
す
る
。
だ
っ
た
。
家
を
津
波
で
流
出
,
何
と
か
家
族
は
無
事
も
被
災
者
で
,
石
巻
市
北
上
町
に
あ
る
実
あ
の
日
、
M
男
は
石
巻
市
北
上
の
実
家
発
生
。
そ
の
後
に
大
津
波
が
石
巻
地
方
の
そ
し
て
午
後
2
時
4
6
分
に
M
9
の
地
震
か
ら
仙
台
へ
平
常
通
り
の
通
勤
だ
っ
た
。
気
が
す
る
ん
で
す
よ
」
と
語
る
。
子
の
元
気
な
声
が
聞
こ
え
て
く
る
よ
う
な
「
こ
こ
に
来
る
と
娘
に
会
え
る
。
あ
の
半
ば
強
引
に
託
す
M
男
の
決
意
に
折
れ
ア
持
っ
て
い
る
べ
き
だ
」
と
固
辞
し
た
が
、
『
思
い
』
を
語
る
た
め
に
も
お
ま
え
が
仙
台
で
理
容
業
に
従
事
す
る
H
男
。
H
男
は
M
男
と
は
中
学
時
代
か
ら
の
親
友
で
、
回
っ
て
い
た
。
番
号
を
教
え
て
く
れ
た
の
2
0
1
5
年
3
月
5
日
,
夜
の
8
時
を
こ
う
語
っ
た
。
い
。
彼
は
、
被
災
時
と
そ
の
後
の
様
子
を
る
だ
け
で
何
も
言
え
な
い
自
分
が
口
惜
し
ま
ま
M
男
と
の
会
話
に
浸
っ
た
。
傾
聴
す
何
度
も
足
を
運
び
、
時
を
過
ご
し
た
。
隣
人
の
声
を
頼
り
に
、
北
上
川
の
川
縁
に
波
襲
来
直
前
に
長
女
を
見
か
け
た
と
い
う
震
災
後
も
勤
務
の
な
い
日
に
彼
は
、
津
生
ま
れ
て
く
る
子
ど
も
た
ち
に
、
そ
の
求
め
た
日
々
を
綴
っ
た
も
の
だ
。
将
来
に
「
お
ま
え
が
必
死
に
な
っ
て
夢
を
追
い
い
し
ま
す
」
う
に
「
0
9
0
携
帯
の
番
号
を
一
つ
一
つ
」 確
。 か
め
る
よ
-****-****
な
い
。
何
と
か
気
を
振
り
絞
り
自
分
の
名
徐
々
に
気
持
ち
も
解
れ
、
時
の
流
れ
る
ち
ま
っ
た
」
逞
し
さ
を
感
じ
る
。
と
す
る
こ
の
言
葉
に
、
凜
と
し
た
M
男
の
と
へ
の
焦
燥
を
感
じ
つ
つ
も
立
ち
直
ろ
う
ら
。
先
生
だ
か
ら
預
け
ら
れ
ま
す
。
お
願
の
生
き
方
を
語
る
一
番
大
事
な
も
の
だ
か
「
し
ば
ら
く
預
か
っ
て
く
だ
さ
い
。
俺
心
臓
の
振
り
子
が
一
瞬
静 渋谷 力
止
し 私立明成高校
た
臨時職員
。 S46年卒
あ
れ
か
ら
四
年
(
そ
の
( 2
ツ )
ナ
グ
)
尾松出身
れ
た
し
、
連
絡
先
デ
ー
タ
も
全
部
流
さ
れ
長
女
を
亡
く
し
た
こ
と
で
、
生
き
る
こ
の
結
婚
前
だ
っ
た
と
思
う
。
よ
。
通
じ
な
い
は
ず
で
す
。
携
帯
も
流
さ
男
の
顔
が
携
帯
の
向
こ
う
に
見
え
る
)
た
あ
る
日
、
ふ
と
私
を
訪
ね
て
き
た
。
彼
「
あ
、
そ
れ
古
い
携
帯
の
番
号
で
す
い
と
す
る
か
の
よ
う
に
声
を
押
し
殺
す
M
M
男
は
高
校
を
卒
業
し
て
し
ば
ら
く
し
い
と
し
き
人
へ
た
ん
だ
が
?
」
と
私
。
「
何
度
も
お
ま
え
の
携
帯
に
電
話
を
か
け
ど
。
全
部
津
波
に
流
さ
れ
ち
ま
っ
て
」
。
も
っ
と
早
く
に
連
絡
と
思
っ
た
ん
だ
け
「
あ
、
先
生
。
し
ば
ら
く
振
り
で
す
。
(
背
負
っ
た
も
の
の
重
さ
を
感
じ
さ
せ
ま
分
ま
で
残
っ
た
家
族
を
守
ん
な
き
ゃ
ね
」
ま
だ
家
族
が
い
る
ん
だ
も
ん
。
あ
の
子
の
生
き
な
き
ゃ
駄
目
な
ん
だ
よ
ね
。
だ
っ
て
か
ら
は
目
を
背
け
ず
逃
げ
ず
に
前
向
き
に
が
一
杯
に
詰
ま
っ
て
い
た
。
で
野
球
児
と
し
て
頑
張
っ
た
思
い
出
と
夢
う し
ア だ 、
ル 。 そ
し
バ
て
ム
に
詫
は
び
彼
た
。
が
詫
中
び
学
た
か
理
ら
由
高
校
は
ま
こ
16
違
う
だ
ろ
う
。
ま
さ
に
心
の
支
援
・
復
興
が
不
可
欠
で
あ
『
絆
』
と
い
う
言
葉
が
行
き
交
う
中
で
な
か
っ
た
も
の
が
見
え
て
き
て
も
い
る
。
◇
◇
◇
(
つ
か
)
え
て
い
た
心
の
重
し
を
幾
分
軽
M
男
の
言
葉
が
し
ば
ら
く
私
の
胸
に
痞
に
行
き
語
り
か
け
る
ん
だ
」
ら
、
ま
た
(
娘
が
流
さ
れ
た
)
あ
の
場
所
と
信
じ
て
い
る
。
挫
け
そ
う
に
な
っ
た
と
か
家
族
を
励
ま
し
後
押
し
し
て
く
れ
る
れ
に
ね
、
亡
く
な
っ
た
娘
も
天
国
か
ら
俺
俺
の
言
葉
で
き
ち
ん
と
伝
え
る
か
ら
。
そ
「
先
生
、
大
丈
夫
だ
よ
。
俺
の
思
い
は
出
現
、
家
族
構
造
や
夫
婦
の
構
造
の
変
ざ
い
』
な
ど
の
卑
下
・
揶
揄
す
る
言
葉
の
て ら
く
』 る
や 『
学 仮
校 設
・ 住
地 居
域
の 面
中 (
で づ
の ら
『 )
う し
し
て
い
る
。
例
え
ば
,
周
囲
の
無
理
解
か
て
心
身
ス
ト
レ
ス
問
題
が
顕
在
、
深
刻
化
ら
れ
て
い
る
人
が
未
だ
多
く
い
る
。
そ
し
身
共
に
不
自
由
な
生
活
を
長
期
的
に
強
い
設
住
宅
入
居
者
数
も
3
万
人
を
超
え
、
心
県
内
で
の
避
難
生
活
者
は
7
万
人
、
仮
◇
と
遊
び
空
間
の
喪
失
な
ど
こ
れ
ま
で
見
え
化
、
孤
独
死
、
子
ど
も
た
ち
の
学
習
空
間
鎮
魂
の
灯
(
平
成
二
十
七
年
三
月
十
一
日
)
鎮
魂
の
碑
(
平
成
二
十
七
年
三
月
十
一
日
)
17
せ
ず
に
済
ん
だ
は
ず
だ
と
悔
や
ま
れ
る
。
ム
を
戻
す
時
期
を
先
延
ば
し
す
れ
ば
流
出
し
た
の
だ
。
あ
の
時
、
も
う
少
し
ア
ル
バ
語
っ
て
あ
げ
る
べ
く
愛
娘
を
も
一
人
亡
く
ら
ず
に
、
あ
の
日
に
大
津
波
で
流
失
。
伝
言
を
置
き
お
い
と
ま
し
た
。
も
た
ち
に
語
っ
て
あ
げ
な
さ
い
」
と
短
い
ム
に
お
ま
え
ら
し
い
言
葉
を
添
え
て
子
ど
の
貴
重
な
思
い
出
と
『
夢
』
を
、
ア
ル
バ
「
こ
れ
か
ら
は
、
お
ま
え
の
少
年
時
代
れ
な
い
が
。
な
い
。
そ
れ
は
重
荷
と
も
と
れ
る
か
も
知
ち
、
未
来
を
た
ぐ
り
寄
せ
な
け
れ
ば
な
ら
く
「
震
災
の
お
か
げ
で
」
と
奮
い
立
せ メ る い
い ー 風 る
で ジ 評 背
は 被 景
よ 害 が
」 り と あ
と 大 一 る
ふ き 体 よ
さ く 化 う
ぎ な し だ
込 る た 。
む 。 と 復
の 「 き 興
で 震 そ を
は 災 の 妨
な の ダ げ
関
心
の
低
下
等
支
援
の
風
化
が
加
速
し
て
が
あ
る
と
い
う
。
復
興
半
ば
に
あ
っ
て
、
目
を
迎
え
先
行
き
不
安
が
募
っ
て
い
る
感
そ
ん
な
中
被
災
地
で
は
震
災
か
ら
四
年
談
員
と
し
て
携
わ
っ
て
き
た
。
教
室
は
課
後
学
び
教
室
」
(
市
教
委
主
催
)
の
相
こ
の
二
年
間
、
小
中
学
生
対
象
の
「
放
何
が
必
要
か
?
い
。
震
災
が
残
し
た
傷
跡
を
癒
や
す
の
に
が
か
か
る
こ
と
を
も
忘
れ
て
は
い
け
な
り
継
い
で
い
く
の
だ
ろ
う
か
と
。
を
ど
う
受
け
止
め
、
い
か
に
未
来
へ
と
語
す
る
被
災
者
た
ち
の
奮
闘
か
ら
得
た
教
訓
市
内
小
中
学
校
に
設
置
さ
れ
た
も
の
。
生
徒
の
自
主
的
学
習
を
支
援
す
る
た
め
に
間
が
失
わ
れ
、
そ
の
確
保
が
難
し
い
児
童
く
さ
れ
、
学
習
環
境
や
時
間
、
遊
び
の
空
生
活
や
仮
設
住
宅
等
で
の
生
活
を
余
儀
な
3
・
1
1
の
震
災
・
津
波
に
よ
り
、
避
難
(
絆
)
」
を
託
す
!
部
』
た
ち
に
未
来
へ
の
大
き
な
「
ツ
ナ
ギ
未
来
を
担
う
、
こ
の
小
さ
き
『
語
り
…
…
…
(
結
び
)
M
男
の
思
い
出
・
夢
を
子
ど
も
た
ち
に
語
運
命
の
悪
戯
か
。
そ
の
ア
ル
バ
ム
は
、
・・・・
る
。
生
活
の
復
興
に
時
間
が
か
か
る
の
と
◇
く
し
て
く
れ
る
の
が
分
か
っ
た
。
・・・・
年 四
? 年 2
が 0
長 経 1
か っ 5
っ た 年
た 。 3
四 あ 月
年 っ 1
?
1
と 日
震 い 。
災 う あ
後 間 れ
の の か
復 四 ら
・・・・
同
じ
よ
う
に
、
人
の
心
の
修
復
に
も
時
間
興
再
生
の
ス
ピ
ー
ド
を
ど
う
捉
え
る
か
で
う
◇ 後
世
に
◇ 語
り
継
◇ ぐ
こ
と
◇ が
必
要
◇ だ
。
1
の
惨
状
と
そ
れ
か
ら
立
ち
上
が
ろ
う
と
た
。
こ
の
小
さ
き
使
者
た
ち
が
、
3
・
1
た
ち
の
笑
い
声
や
笑
顔
に
接
し
て
思
っ
挫
け
な
い
心
と
「
風
化
」
さ
せ
な
い
よ
担
当
し
た
小
学
3
・
4
年
生
の
子
ど
も
出
席
が
少
な
い
の
で
、
女
性
の
出
席
を
増
年
に
な
る
と
こ
ろ
で
、
ま
だ
ま
だ
女
性
の
男
女
が
合
併
し
て
か
ら
は
よ
う
や
く
十
周
で
、
長
い
伝
統
が
あ
り
ま
す
。
し
か
し
、
同
窓
会
は
戦
前
か
ら
存
在
し
て
い
た
よ
う
築
高
同
窓
会
東
京
支
部
は
、
男
子
高
の
(
栗
原
市
が
直
面
し
て
い
る
問
題
も
同
じ
減
少
な
ど
共
通
の
問
題
を
抱
え
て
い
ま
す
会
員
の
減
少
、
高
齢
化
、
そ
し
て
収
入
の
る
こ
と
が
で
き
ま
す
。
ど
の
同
窓
会
も
、
に
し
て
各
々
の
同
窓
会
の
運
営
に
役
立
て
す
し
、
他
の
同
窓
会
の
運
営
方
法
を
参
考
い
る
の
で
は
な
い
で
し
ょ
う
か
。
を
深
め
る
こ
と
は
大
変
有
意
義
な
こ
と
で
こ
れ
が
貴
会
の
活
力
の
原
動
力
に
な
っ
て
と
は
素
晴
ら
し
い
こ
と
だ
と
思
い
ま
す
。
同
窓
会
同
志
が
互
い
に
交
流
し
、
親
睦
大
変
有
難
う
ご
ざ
い
ま
し
た
。
員
が
重
要
な
役
割
を
担
っ
て
お
ら
れ
る
こ
く
、
そ
の
う
え
、
会
長
を
は
じ
め
女
性
会
貴
会
の
総
会
は
女
性
の
出
席
者
が
多
長
様
に
ご
出
席
頂
き
ま
し
た
。
部
長
様
、
佐
藤
副
支
部
長
様
、
長
沼
幹
事
の
支
部
総
会
に
は
貴
同
窓
会
の
佐
々
木
支
な
い
か
と
思
い
ま
す
。
つ
も
は
当
方
の
総
会
よ
り
も
多
い
の
で
は
は
出
席
し
て
い
た
と
思
い
ま
す
の
で
、
い
と
の
こ
と
で
し
た
が
、
そ
れ
で
も
百
人
程
交
流
を
は
か
る
こ
と
と
な
り
、
昨
年
七
月
京
同
窓
会
、
そ
し
て
古
川
高
校
同
窓
会
と
貴
高
は
じ
め
栗
原
市
内
の
他
の
高
校
の
東
昨
年
か
ら
築
高
同
窓
会
東
京
支
部
は
、
昨
年
は
い
つ
も
よ
り
出
席
者
が
少
な
い
て
い
る
よ
う
で
す
。
変
楽
し
く
過
ご
さ
せ
て
頂
き
ま
し
た
。
も
、
運
動
部
・
文
化
部
共
に
低
調
に
な
っ
和
気
藹
々
と
し
た
総
会
で
、
私
共
も
大
こ
せ
と
言
っ
て
い
る
よ
う
で
す
。
部
活
う
ご
ざ
い
ま
し
た
。
総
会
に
ご
招
待
い
た
だ
き
大
変
あ
り
が
と
昨
年
十
一
月
二
十
九
日 佐藤 公輝
の
築館高等学校
貴
同窓会
高
東京支部長
同
S38年卒
窓
築館出身
会
を
行
き
、
築
高
は
岩
高
に
追
い
つ
き
追
い
し
た
。
し
か
し
、
今
で
は
岩
高
の
方
が
先
面
で
活
躍
し
て
い
る
先
輩
方
が
大
勢
い
ま
致
し
ま
す
。
当総会で壇上に立つ
佐藤公輝様
卒年毎の近況紹介
(氏は右から3人目)
貴
同
窓
会
の
益
々
の
ご
発
展
を
お
祈
り
北
の
雄
な
ど
と
称
し
て
お
り
、
実
際
各
方
い
て
お
り
ま
す
。
私
共
の
頃
は
築
高
は
県
で
か
な
り
レ
ベ
ル
ア
ッ
プ
し
て
い
る
と
聞
願
い
致
し
ま
す
。
き
合
い
を
し
て
い
た
だ
く
よ
う
心
か
ら
お
と
も
あ
れ
、
こ
れ
か
ら
も
楽
し
い
お
付
と
こ
ろ
で
、
岩
高
は
近
年
、
学
力
の
面
と
思
い
ま
す
。
楽
し
い
交
流
を
同
窓
会
同
志
の
は
実
に
う
ら
や
ま
し
い
限
り
で
す
。
て
い
ま
す
。
従
っ
て
貴
会
の
女
性
の
活
躍
や
す
こ
と
が
私
共
の
課
題
の
一
つ
に
な
っ
る
な
ど
と
い
う
機
会
が
あ
っ
て
も
よ
い
か
話
し
合
う
場
を
設
け
て
解
決
方
法
を
考
え
よ
う
で
す
)
。
今
後
、
こ
れ
ら
の
問
題
を
<ISO14000:2004 取得>
- 環境に思いやり -
金属スクラップ・リサイクル
株式会社
ハガ
栗原市栗駒中野田町西150
TEL 0228-45-3421
FAX 45-5300
栗原田町にある広大な敷地と工場全景
代表:芳賀 恭(S46卒・岩ヶ崎出身)
18
の
で
し
た
。
り
「
ク
ラ
ス
会
」
に
繋
げ
た
い
と
い
う
も
今
回
参
加
し
た
理
由
は
、
も
う
一
つ
あ
集
ま
る
と
聞
き
と
て
も
楽
し
み
で
し
た
。
し
ま
し
た
。
同
級
生
は
二
十
五
人
ぐ
ら
い
半
分
で
ド
キ
ド
キ
し
な
が
ら
総
会
に
参
加
会
え
る
と
の
事
で
懐
か
し
さ
半
分
、
不
安
今
回
は
、
四
十
二
年
ぶ 石野 久恵
り
に
S48年卒
同
細倉出身
級
東京都在住
生
と
伝
え
た
い
か
ら
で
す
。
人
が
い
た
ら
「
と
り
あ
え
ず
会
お
う
」
と
と
い
う
と
、
私
の
よ
う
に
将
来
に
不
安
な
た か 話 調 た て 初
来 が 所 二 は
な 。 大 を べ 。 い め ま て 、 の 十 退 ま
ぜ
体 し て そ る は た し 五 確 七 職 ず
そ
の た も れ の 十 近 ま 十 認 年 し 名
ん
名 り ら で か 通 況 い 通 の に て 簿
な
簿 あ っ も も 程 を ま 送 為 や か 作
に
を の た 中 確 し 知 し っ 手 る ら 成
名
ら た た
作 手 り 学
と か
認 か せ 。 う 紙 と
簿
る こ 、 の
返
決 の ら
ち を ま 意 始
に
こ の 自 同 出 信 る
七 出 り 見 め
こ
と 手 宅 級 来 が 返
通 し ま も 、
だ
が で や 会 ま 無 信
は た し あ 開
わ
出 、 実 の せ く 用
戻 の た り 催
る
来 な 家 名 ん 、 葉
っ で 。 平 時
の
ま ん に 簿 で 届 書
て す 住 成 期
か
し と 電 を し い も
会
を
四
人
で
行
い
ま
し
た
。
ち
ま
し
た
。
協
力
者
を
集
め
第
一
回
準
備
高
校
の
ク
ラ
ス
会
を
や
り
た
い
と
思
い
立
番
は
人
か
な
?
。
友
人
関
係
を
見
直
し
、
同
窓
会
に
参
加
し
言
え
ば
、
今
回
の
て
い
ま
す
。
そ
う
な
と
思
っ
た
り
し
あ
れ
は
二
年
前
の
春
、
姉
が
大
学
に
入
19
た
よ
う
に
感
じ
ま
し
た
。
出
来
る
と
良
い
か
人
と
も
懐
か
し
さ
の
せ
い
か
、
話
が
出
来
他
の
ク
ラ
ス
と
も
代
に
は
、
あ
ま
り
話
を
し
て
い
な
い
男
の
会
が
楽
し
く
な
り
懐
か
し
く
思
い
出
さ
れ
ま
し
た
。
高
校
時
ど
・
・
・
ク
ラ
ス
話
し
て
い
る
と
、
こ
の
人
居
た
居
た
と
、
る
と
良
い
の
だ
け
思
っ
た
り
、
こ
の
人
誰
?
と
思
い
な
が
ら
ラ
ス
会
に
向
か
え
な
い
人
が
い
て
、
こ
の
人
魔
女
か
な
等
と
く
そ
の
勢
い
で
ク
驚
く
こ
と
に
高
校
の
時
と
全
く
変
わ
ら
準
備
会
は
、
楽
し
ん
で
し
た
。
真
も
集
め
ま
す
。
ら
一
緒
の
人
以
外
は
す
ぐ
に
は
判
り
ま
せ
が
い
る
の
で
、
写
の
人
は
同
じ
テ
ニ
ス
部
の
人
と
小
学
校
か
作
っ
て
く
れ
る
人
あ
り
殆
ど
の
人
が
判
っ
た
の
で
す
が
、
男
参
加
し
て
み
る
と
、
女
の
人
は
面
影
が
趣
味
や
ス
ポ
ー
ツ
も
考
え
た
け
ど
、
一
す 担 会 ラ 準 ま 今
ス 。 等 計 ス 備 る 度
ラ
を 等 会 会 の は
の の で だ 、
イ
決 役 進 は ろ 何
ド
め 割 行 、 う 人
を
ま 分 、 ク 。 集
同
窓
会
に
出
席
し
て
ま
ま
で
良
い
の
か
不
安
に
な
り
ま
し
た
。
ん
な
日
が
続
く
の
か
な
」
と
思
う
と
こ
の
し
て
い
ま
し
た
。
「
退
職
す
る
と
毎
日
こ
ふ
と
気
づ
く
と
犬
と
見
つ
め
合
い
ボ
ー
と
出
勤
の
続
い
た
あ
る
日
、
陽
だ
ま
り
の
中
り
家
に
居
な
い
事
が
増
え
、
夫
も
日
曜
日
は
、
第
三
回
目
の
準
備
会
を
開
き
ま
す
。
の
温
泉
に
決
ま
り
ま
し
た
。
今
年
五
月
に
開
催
は
、
今
年
九
月
・
場
所
は
仙
台
近
郊
増
え
十
名
集
ま
り
ま
し
た
。
ク
ラ
ス
会
の
を
開
き
ま
し
た
。
参
加
者
は
、
前
回
よ
り
昨
年
第
二
回
目
の
準
備
会
(
左
写
真
)
等
、
ひ
と
り
夢
を
膨
ら
ま
せ
て
い
ま
す
。
り
茶
話
会
を
し
た
り
出
来
る
と
良
い
な
志
で
栗
駒
山
に
登
っ
た
り
温
泉
に
行
っ
た
還
暦
の
ク
ラ
ス
会
を
開
き
、
そ
の
後
も
有
ま
し
た
。
こ
れ
は
参
加
の
ご
褒
美
か
な
。
て
憧
れ
の
W
先
輩
に
お
会
い
し
お
話
出
来
画
を
重
ね
て
今
年
で
四
回
目
を
迎
え
る
。
東
京
岩
高
会
が
総
会
時
還
暦
を
祝
う
企
ま
ま
旅
を
重
ね
て
い
る
。
今
で
も
夜
行
バ
ス
に
乗
り
、
気
の
向
く
西
を
旅
す
る
事
が
多
か
っ
た
。
の
友
人
と
共
に
高
野
山
を
訪
ね
た
り
と
関
訪
問
し
た
菅
原
由
美
子
様
(
金
堂
の
前
に
て
)
係
で
京
都
の
古
刹
を
訪
ね
た
り
、
和
歌
山
高
野
山
真
言
宗
・
春
の
「
結
縁
灌
頂
」
修
行
に
大
学
時
代
、
仏
教
文
学
を
専
攻
し
た
関
に
参
加
す
る
予
定
で
す
。
も
ち
ろ
ん
、
今
年
も
五
月
三
日
~
大
法
会
と
心
が
洗
わ
れ
る
の
を
実
感
し
て
い
る
。
ん
の
一
端
を
体
験
す
る
の
で
す
が
、
ス
ー
ら
れ
た
中
で
、
密
教
仏
教
の
入
り
口
の
ほ
ね
て
い
ま
す
。
一
日
の
一
時
間
と
い
う
限
に
「
結
縁
灌
頂
」
修
行
の
た
め
当
山
を
訪
下 の
会 し ん
宜 さ 方 こ え て ! 「
し い は の る い ! 今
く 。 、 欄 こ る 」 年
ご
ぜ を と 岩 を は
協
ひ ご を 高 合 、
力
同 覧 楽 四 言 ぜ
の
級 に し 十 葉
程
生 な み 九 に ひ
お
の っ に 年 、 東
願
皆 た し 卒 日 京
い
様 方 て の 本 に
し
に や い 仲 中
ま
お お ま 間 で ご
す
伝 身 す 達 活 ざ
。
え 内 。 に 躍 い
私
は
、
四
年
前
か
ら
毎
年
五
月
・
十
月
し
ょ
う
!
!
催
と
の
事
。
様
々
な
特
別
公
開
・
イ
ベ
ン
ト
が
年
内
開
一
ま
で
五
十
日
間
執
り
行
わ
れ
、
さ
ら
に
年
記
念
大
法
会
が
四
月
二
日
~
五
月
二
十
言
密
教
の
聖
地
、
高
野
山
開
創
1
2
0
0
今
年
は
、
弘
法
大
師
空 菅原 由美子
海
東京岩高会
が
幹事
開
S49年卒
い
栗駒出身
た
武蔵野市在住
真
岩
高
会
で
、
三
度
目
の
成
人
式
を
や
り
ま
に
な
い
こ
の
機
会
に
東
京
で
、
こ
の
東
京
企
画
し
て
い
る
と
は
思
い
ま
す
が
、
滅
多
地
元
で
そ
れ
ぞ
れ
「
還
暦
を
祝
う
会
」
を
小
・
中
・
高
校
時
代
の
同
級
生
と
は
、
仲
間
達
に
お
声
か
け
を
し
て
い
き
た
い
。
複
数
に
な
っ
た
こ
と
に
感
謝
し
、
多
く
の
こ
こ
数
年
、
四
十
九
年
卒
の
参
加
者
が
た
私
の
年
代
が
祝
っ
て
戴
く
年
で
す
。
今
年
は
何
と
昭
和
四
十
九
年
に
卒
業
し
今
年
は
東
京
に
も
ご
ざ
い
ん
札
を
お
配
り
さ
せ
て
頂
い
て
い
ま
す
。
ら
高
野
山
で
護
摩
炊
き
を
し
て
頂
い
た
お
思
え
ば
遠
く
に
き
た
も
ん
だ
還
暦
を
迎
え
ら
れ
た
皆
様
に
、
初
回
か
20
雲
を
目
指
し
て
い
ま
し
た
。
代
。
脇
目
も
ふ
ら
ず
、
ず
っ
と
坂
の
上
の
ン
、
2
0
1
1
年
の
東
日
本
大
震
災
時
任
せ
始
め
た
1
9
9
5
年
の
地
下
鉄
サ
リ
つ
ま
で
も
、
い
つ
ま
で
も
言
い
続
け
て
い
お
会
い
し
ま
し
ょ
う
』
と
い
う
言
葉
を
い
す
る
会
も
あ
る
な
か
、
岩
魚
会
で
『
ま
た
世
間
で
は
高
齢
を
理
由
に
傘
寿
で
解
散
害
に
耐
え
な
が
ら
も
四
季
折
々
地
元
に
彩
雄
大
に
そ
び
え
立
つ
栗
駒
山
は
自
然
災
ま
た
お
目
に
掛
か
り
ま
し
ょ
う
。
21
心
か
ら
感
謝
致
し
ま
す
。
9
9
0
年
バ
ブ
ル
崩
壊
。
息
子
に
会
社
を
そ
し
て
1
9
7
8
年
宮
城
県
沖
地
震
、
1
い
っ
た
1
9
7
0
年
万
国
博
覧
会
時
代
、
育
て
が
一
段
落
し
て
仕
事
に
没
頭
し
て
6
4
年
の
東
京
オ
リ
ン
ピ
ッ
ク
時
代
、
子
き
た
こ
と
、
子
育
て
に
忙
し
か
っ
た
1
9
終
戦
、
西
も
東
も
わ
か
ら
ず
東
京
に
出
て
米
軍
機
の
空
襲
を
体
験
し
1
9
4
5
年
の
時
を
と
い
う
挨
拶
。
生
を
感
じ
お
互
い
パ
ワ
ー
を
も
ら
う
至
福
束
。
同
志
と
お
会
い
し
て
青
春
を
感
じ
人
生
活
し
、
ま
た
絶
対
同
じ
会
で
集
う
約
健
康
に
十
分
注
意
し
て
日
々
生
き
生
き
と
う
』
に
は
計
り
知
れ
な
い
気
持
ち
が
あ
り
く
な
っ
た
今
、
『
ま
た
お
会
い
し
ま
し
ょ
て
、
岩
魚
会
で
お
会
い
す
る
た
び
絆
も
深
さ
を
感
じ
ま
し
た
。
ね
」
と
迎
え
て
い
た
だ
い
た
よ
う
な
温
か
り
に
「
お
帰
り
な
さ
い
、
よ
ぐ
来
ら
れ
た
い
ま
し
た
が
、
ふ
る
さ
と
の
懐
か
し
い
訛
テ
ー
ブ
ル
と
出
席
者
の
多
さ
に
驚
き
戸
惑
広
い
会
場
い
っ
ぱ
い
に
並
べ
ら
れ
た
を
感
じ
る
の
で
す
。
八
十
歳
に
な
り
同
じ
時
代
を
生
き
て
き
代
を
と
も
に
生
き
て
き
た
と
い
う
強
い
絆
戦
後
の
混
乱
期
か
ら
高
度
経
済
成
長
の
時
最
近
皆
さ
ん
に
お
会
い
し
て
思
う
事
は
う
事
に
気
づ
き
ま
し
た
。
し
ょ
う
』
と
言
う
言
葉
の
重
さ
が
全
然
違
と
こ
ろ
が
昨
今
『
ま
た
お
会
い
し
ま
し
ま
し
た
。
で
写
真
日
記
』
の
上
映
は
と
て
も
感
動
致
中
、
土
井
祐
之
さ
ん
の
『
東
北
の
ま
ん
中
場
へ
と
向
か
い
ま
し
た
。
は
、
い
つ
に
な
く
軽
や
か
な
足
取
り
で
会
た
り
楽
し
い
ひ
と
時
と
な
り
ま
し
た
事
を
を
す
る
日
々
で
す
が
、
今
回
の
出
席
に
あ
ま な た し 属
修
現 す お 。 み し 当 学 文
在 。 生 夢 な 仲 時 旅 化
、
活 中 が 間 私 行 祭
高
の で ら と は 、 や
齢
基 過 三 一 バ 部 体
の
盤 ご 年 緒 ス 活 育
義
と し 間 に ケ 動 祭
母
な た を 厳 ッ 等 、
と
り 青 過 し ト 々 マ
の
糧 春 ご い ボ 。 ラ
同
ソ
と 時 し 練 ー
居
な 代 て 習 ル
ン
で
っ は い を 部
大
介
て 今 ま も に
会
、
い も し 楽 所
護
い
浮
か
び
ま
し
た
。
総
会
が
始
ま
り
ゆ
っ
た
り
と
過
ぎ
る
上
野
駅
で
待
ち
合
わ
せ
を
し
た
姉
と
私
か
っ
た
高
校
生
活
が
走
馬
灯
の
よ
う
に
思
会
総
会
に
出
席
さ
せ
て
頂
き
ま
し
た
。
な
っ
た
瞬
間
で
し
た
。
と
同
時
に
楽
し
傘
寿
、
時
間
は
瞬
く
間
に
過
ぎ
ま
す
。
き
ま
し
た
。
喜
寿
の
お
祝
い
会
か
ら
今
は
十
九
名
も
の
方
と
お
会
い
す
る
こ
と
が
で
出
席
出
来
な
い
方
が
い
ら
っ
し
ゃ
る
な
か
念
な
が
ら
ご
逝
去
さ
れ
た
方
、
ご
病
気
で
昨
年
の
冬
開
催
さ
れ
た 吉野 玲子
岩
東京岩高会
魚
顧問
会
S28年卒
で
岩ケ崎出身
は
荒川区在住
残
う
』
と
言
っ
て
い
ま
し
た
。
当
然
の
よ
う
に
『
ま
た
お
会
い
し
ま
し
ょ
声
を
か
け
る
。
以
前
は
ま
た
会
え
る
事
が
み
つ
つ
『
ま
た
お
会
い
し
ま
し
ょ
う
』
と
幸
せ
を
感
じ
ま
す
。
だ
か
ら
名
残
り
惜
し
忘
れ
、
楽
し
い
時
間
を
過
ご
す
と
が
で
き
姉
に
誘
わ
れ
て
今
回
初 古舘 芳子
め
て
東 (旧姓 阿部)
京 S51年卒
岩 鳥矢崎出身
高 新座市在住
ち
て
い
ま
し
た
。
年
代
を
超
え
て
一
つ
に
時
、
会
場
内
は
笑
顔
に
あ
ふ
れ
熱
気
に
満
け
声
に
大
き
な
声
で
「
オ
ー
」
と
返
し
た
い
、
肩
を
組
み
、
力
強
い
応
援
団
長
の
掛
又
懐
か
し
い
岩
高
の
校
歌
を
共
に
歌
し
ま
し
ょ
う
」
のお
重会
さい
を
感
じ
る
の
で
す
。
の
で
は
な
い
か
と
思
う
と
感
慨
深
い
も
の
え
同
じ
志
し
で
今
ま
で
生
き
て
こ
ら
れ
た
環
境
は
違
え
ど
も
数
々
の
試
練
を
乗
り
越
東・
京・
・
岩・
・
高・
・
会・
出に ・
・
席 ・
・
し ・
・
て
じ
る
で
し
ょ
う
。
会
い
す
る
度
に
益
々
そ
の
一
言
は
重
く
感
そ
し
て
今
後
私
に
と
っ
て
皆
さ
ん
と
お
た
。
栗
駒
山
に
見
守
ら
れ
息
づ
く
ふ
る
さ
な
っ
て
い
る
事
を
改
め
て
思
い
知
り
ま
し
離
れ
て
暮
ら
す
私
達
に
は
心
の
拠
り
所
と
さ
を
感
じ
ま
し
た
。
会
っ
た
瞬
間
か
ら
高
校
時
代
に
戻
り
時
を
岩
魚
会
「
ま
た
切
な
も
の
を
そ
っ
と
教
え
て
戴
い
た
優
し
八
十
歳
に
な
っ
た
今
も
皆
さ
ん
と
出
ね
と
語
り
ま
し
た
。
忘
れ
か
け
て
い
た
大
と
の
土
地
々
々
を
私
達
も
巡
り
歩
き
た
い
き
っ
と
こ
こ
に
集
ま
っ
た
み
な
さ
ん
も
き
た
い
と
思
い
ま
す
。
り
と
恵
み
を
も
た
ら
し
、
又
ふ
る
さ
と
を
昨年の総会で映写したスライドのプロローグ
春・早朝、三迫川堤防の桜並木と栗駒山
夏・世界谷地のニッコウキスゲと栗駒山
秋・なかなか出会えない栗駒山の雲海
冬・三迫川の鉄橋(岩ケ崎)と白鳥の群れ
い
っ
た
驚
き
や
歓
声
が
説
明
し
て
い
る
私
~
」
「
き
れ
い
~
」
「
懐
か
し
い
~
」
と
影
し
て
お
り
写
真
は
沢
山
あ
る
の
で
す
常
に
私
も
市
内
を
う
ろ
う
ろ
し
な
が
ら
撮
た と 故 ひ と ル 「 か た 私 し 場 頂 で
故 。 母 郷 と い で あ け 。 の て で い も
郷
校 を 時 っ あ そ て 懇 方 こ 感 た ら
の
に 離 を た の こ 頂 親 こ の じ 人 え
風
対 れ 過 話 写 は き 会 そ 上 ら の た
景
す て ご し 真 ど 、 で 貴 な れ 心 と
は
る 暮 さ で を う 「 は 重 い 、 に 安
素 響 堵
栗
強 ら せ 会 送 な 懐 多
な 喜 人
駒
い す て 話 っ っ か く
い す
び
の 体 を な て る
山
思 み も も て た
も
い な ら 弾 く か し 皆 験 感 が い と
含
を さ い み れ な か さ に じ ら る 共
め
感 ん ま 、 な 」 っ ん な ま 写 の に
ま
じ の し 楽 い 「 た に り し 真 が 、
し
ま 故 た し か メ よ 声 ま た 家 そ 見
て
し 郷 。 い 」 ー 」 を し 。 と の て
所
属
し
て
い
ま
す
。
ら
ず
、
鶯
沢
、
築
館
、
若
柳
の
皆
さ
ん
も
楽
部
「
駒
美
会
」
は
会
員
も
栗
駒
の
み
な
く る 記 歴 内
ま 話 高 な 実 祭 が
私 て 故 」 も 陸 2 す に 橋 写 習 の 、
が 。 郷 も ブ 地 0 。 な 校 真 授 学 今
所
の こ ロ 震 0
り 長 を 業 校 回
属
風 こ グ か 8
ま 先 撮 の 行 は
し
景 か 「 ら 年
し 生 ら に 事 学
て
を ら 東 今 に
た は せ ま や 校
い
写 始 北 年 発
改 じ て で 鶯 内
ま
真 ま の で 生
め め い 入 沢 で
す
に り 真 七 し
て 先 た ら 校 球
栗
残 ま ん 年 た
御 生 だ せ 舎 技
駒
し す 中 。 岩
礼 方 き て に 大
の
て 。 で 私 手
申 に ま 頂 お 会
写
お 今 写 の ・
し も し き い や
真
き 見 真 写 宮
上 お た 貴 て 文
倶
た え 日 真 城
げ 世 。 重 は 化
た
く
さ
ん
あ
り
ま
す
。
も
、
変
化
は
あ
っ
て
も
懐
か
し
い
も
の
は
て
故
郷
を
眺
め
て
み
て
く
だ
さ
い
。
ど
う
ぞ
み
な
さ
ん
い
つ
で
も
帰
っ
て
き
枚
々
々
め
く
る
た
び
に
「
う
わ
~
」
「
え
故
郷
の
風
景
や
母
校
の
今
の
様
子
を
一
暮
ら
し
も
、
美
味
し
い
も
の
も
、
学
び
舎
と
う
ご
ざ
い
ま
し
た
。
然
も
、
街
並
み
も
、
お
祭
り
も
、
人
々
の
頂
く
と
い
う
講
演
を
さ
せ
て
頂
き
あ
り
が
何
も
な
い
田
舎
じ
ゃ
あ
り
ま
せ
ん
。
自
溜
め
て
お
り
ま
し
た
趣
味
の
写
真
を
観
て
思
っ
て
い
ま
す
。
か
。
昨
年
十
一
月
の
総
会
で
は
私
の
撮
り
写 (
ブ
真 ロ
グ
日 )
記「
」東
の 北
講 の
演
を ま
通 ん
じ 中
て で
の
耳
に
も
よ
く
聞
こ
え
、
皆
さ
ん
に
喜
ん
自
ら
も
よ
く
見
て
も
ら
え
れ
ば
い
い
な
と
東
京
岩
高
会
の
皆
さ
ん 土井 祐之
お
S54年卒
元
鳥矢崎出身
気
写真倶楽部:
で
駒美会所属
す
真
展
で
見
て
も
ら
い
、
カ
メ
ラ
を
通
し
て
よ
。
多
く
の
皆
さ
ん
に
故
郷
の
風
景
を
写
室
も
開
講
。
活
発
に
活
動
し
て
い
ま
す
の
カ
メ
ラ
初
心
者
を
対
象
に
し
た
写
真
教
レ
フ
を
持
っ
た
カ
メ
ラ
女
子
や
年
配
の
方
月
に
は
田
舎
で
も
増
え
て
き
ま
し
た
一
眼
で
の
倶
楽
部
の
写
真
展
を
行
い
、
こ
の
四
昨
年
は
初
め
て
築
館
の
栗
原
文
化
会
館
22
意
識
が
低
く
、
帰
省
す
る
度
に
父
が
大
事
た
が
二
十
~
三
十
代
半
ば
ま
で
は
当
事
者
い
か
?
と
い
う
不
安
の
中
、
上
野
の
森
に
た
。
誰
も
話
し
相
手
は
い
な
い
の
で
は
な
に
初
め
て
参
加
さ
せ
て
い
た
だ
き
ま
し
こ
う
し
た
経
緯
を
経
て
東
京
岩
高
総
会
き
い
て
く
れ
た
事
で
し
ょ
う
。
き
っ
と
目
を
細
め
な
が
ら
こ
の
日
の
話
を
終
わ
り
ま
し
た
。
父
が
生
き
て
い
た
ら
こ
う
し
て
、
私
の
初
・
東
京
岩
高
会
が
に
つ
い
て
は
、
も
ち
ろ
ん
知
っ
て
い
ま
し
さ
て
、
同
窓
会
に
つ
い
て
で
す
が
、
会
た 当
因 た
み り
に 前
妹 の
も よ
岩 う
高 に
卒 岩
業 高
生 に
で 進
す 学
し
。 ま
し
皆
、
岩
高
の
卒
業
生
で
あ
っ
た
事
か
ら
、
高
に
決
め
た
の
は
、
父
、
三
人
の
叔
父
が
ケ
崎
高
校
に
入
学
し
ま
し
た
。
進
路
を
岩
学
校
と
進
み
、
昭
和
六
十
一
年
四
月
に
岩
崎
で
生
ま
れ
、
岩
ケ
崎
小
学
校
、
栗
駒
中
込
ん
だ
次
第
で
す
。
に
声
を
か
け
て
い
た
だ
き
、
参
加
を
申
し
窓
会
で
講
演
さ
れ
る
こ
と
を
聞
く
と
と
も
る
よ
う
に
な
り
ま
し
た
。
そ
の
中
で
、
同
を
み
つ
け
、
栗
太
郎
さ
ん
と
や
り
取
り
す
ブ
ロ
グ
「
東
北
の
ま
ん
中
で
写
真
日
記
」
『
栗
太
郎
さ
ん
』
こ
と
土
井
祐
之
さ
ん
の
今
回
の
東
京
岩
高
会
で
特
別
講
演
さ
れ
た
ま ど り 会
が 頂 も り 同 他
く き 呼
そ し か 、 へ そ 熱 き 顔 そ 級 界 2 参 い ん 父
う た ら 同 」 れ く 岩 を の 生 し 0 加 て で の
し 。 こ 年 と か な 高 出 後 、 ま 0 し お い 「
こ 代 思 ら り で し も 同 し 6 て り ま 岩
た
数 の い は ま 培 父 事 窓 た 年 い 、 す 高
中
、
年 参 つ 、 し っ の あ 生 。 晩 る 同 ) 愛
昨
、 加 つ 「 た た 仏 る の 通 秋 と 級 が 」
参 者 も い 。 人 前 毎 方 夜 、 の 会 強 (
年
加 が 先 つ
夏
と に に 々 、 そ こ 、 い 私
を い に か
、
人 手 、 が 葬 ん と 同 こ は
偶
迷 な 述 は
と を 実 ご 儀 な で 窓 と 勝
然
っ い べ 東
の 合 家 列 に 父 し 会 は 手
家
て こ た 京
絆 わ の 席 多 が た に 母 に
お と と 岩
内
に せ 方 下 く 突 。 も か そ
り な お 高
よ ら う
が
胸 て に さ の 然
な
り
ま
し
た
。
目
を
受
け
る
ほ
ど
の
大
所
帯
で
の
撮
影
と
の
記
念
撮
影
。
観
光
客
が
立
ち
止
ま
り
注
最
後
は
、
西
郷
さ
ん
の
銅
像
前
階
段
で
を
見
な
が
ら
の
熱
唱
で
し
た
。
た
が
、
二
番
三
番
は
完
全
に
歌
詞
カ
ー
ド
は
、
ぼ
ん
や
り
と
記
憶
に
残
っ
て
い
ま
し
と
思
い
ま
す
。
一
番
の
歌
詞
に
つ
い
て
卒
業
以
来
、
二
十
数
年
ぶ
り
に
唄
っ
た
)
に
し
ま
っ
て
い
た
「
岩
高
同
窓
会
報
」
に
(
目
を
通
す
く
ら
い
で
し
た
。
と
、
私
は
昭
和
四
十
六
年
に
栗
駒
町
岩
ケ
そ
し
て
校
歌
斉
唱
。
先
ず
簡
単
に
私
の
経
歴
に
触
れ
ま
す
写
真
も
多
く
あ
り
ま
し
た
。
と
思
い
ま
す
。
し
く
思
う
と
と
も
に
、
考
え
さ
せ
ら
れ
る
の
感
想
に
つ
い
て
述
べ
さ
せ
て
頂
き
た
い
け
な
が
ら
紹
介
す
る
と
い
う
も
の
で
懐
か
23
が
、
卒
業
以
来
、
二
十
数
年
経
て
初
め
て
話
を
頂
き
、
何
を
書
こ
う
か
迷
い
ま
し
た
ン
に
映
し
出
し
一
枚
一
枚
コ
メ
ン
ト
を
つ
が
撮
影
さ
れ
た
故
郷
の
写
真
を
ス
ク
リ
ー
土
井
さ
ん
に
よ
る
講
演
は
、
土
井
さ
ん
第
5
8
回
・
東
京
岩
高
会
総
会
の
フ
ィ
ナ
ー
レ
で
皆
様
、
有
難
う
ご
ざ
い
ま
し
た
。
段
と
は
違
っ
た
世
界
が
開
け
ま
す
よ
。
今
回
、
東
京
岩
高
会
報
へ
の
寄
稿
の
お
平
成
元
年
卒
の
須
藤
で
ご
ざ
い
ま
す
。
総
会
に
初
め
て
参
加
さ
せ
て
頂
き
ま
し
た
き
ま
し
た
。
た
不
安
は
す
ぐ
ど
こ
か
へ
吹
き
飛
ん
で
行
沢
山
声
を
か
け
て
頂
く
な
ど
、
抱
い
て
い
が
り
の
会
に
参
加
し
て
み
ま
せ
ん
か
。
普
う
、
た
だ
た
だ
岩
高
の
卒
業
生
と
い
う
繋
一
年
に
一
度
、
年
も
仕
事
も
立
場
も
違
昨
年
十
一
月
二
十
九
日
、
東
京
岩
高
会
岩
ケ
崎
出
身
・
横
浜
市
在
住
須
藤
康
之
(
平
成
元
年
卒
)
た
ほ
か
、
父
や
叔
父
を
知
る
方
々
か
ら
も
着
い
た
諸
先
輩
方
か
ら
話
し
か
け
て
頂
い
会
が
始
ま
っ
て
か
ら
も
、
同
じ
円
卓
に
意
義
な
時
間
で
し
た
。
が
、
い
ざ
参
加
し
て
み
る
と
、
と
て
も
有
参
加
す
る
ま
で
は
不
安
も
あ
り
ま
し
た
初
め
東て
京参
岩加
高し
会た
総
会
役
員
の
方
々
を
紹
介
し
て
頂
き
ま
し
た
。
長
様
か
ら
佐
々
木
支
部
長
様
を
は
じ
め
、
着
き
会
場
に
入
る
と
、
早
速
、
長
沼
幹
事
み
な
さ
ん
る
方
々
(
特
に
平
成
卒
の
後
輩
に
あ
た
る
最
後
に
、
こ
れ
か
ら
参
加
を
考
え
て
い
)
大
合
唱
の
う
ね
り
が
広
が
る
会
場
同
窓
会
に
参
加
し
た
経
緯
と
、
参
加
し
て
に
宛
て
て
・
・
・
私
自
身
、
ら
れ
、
栗
原
・
清
水
・
仲
村
・
会
津
の
四
古
書
に
「
久
利
波
良
」
と
い
う
訓
が
知
極
殿
と
は
摂
関
藤
原
師
実
。
汰 領
目
宗 録
成 」
に
京 「
極 陸
殿 奥
領 国
内 栗
」 原
と 荘
あ
り 年
、 貢
京 沙
建
長
五
年
(
一
二
五
三
)
の
「
近
衛
家
所
鎌
倉
期
に
見
え
る
荘
園
名
で
、
初
見
は
よ
り
も
独
り
ぬ
る
夜
そ
淋
し
か
り
け
る
」
和
物
語
」
に
は
「
御
狩
す
る
栗
駒
山
の
鹿
の
山
と
し
て
知
ら
れ
、
平
安
中
期
の
「
大
呼
ん
だ
と
も
言
わ
れ
る
。
往
古
よ
り
信
仰
栗
原
郡
に
あ
る
駒
ケ
岳
な
の
で
栗
駒
山
と
駒
ケ
岳
・
駒
形
山
・
駒
岳
と
も
い
い
、
栗 改 宥 た し い 堂 堂 台 明 一
⑤ 原 め 日 が 、 た 伽 ) 宗 天 メ
栗 寺 医 和 、 平 と 藍 を 奥 皇 ー
駒 。 作 上 元 泉 い を 中 州 二 ト
山
山 が 禄 の う 備 心 総 年 ル
・
上 再 二 藤 。 え に
( に
く
品 興 年 原 た 、 三 本 五 礎
り
寺 し 仙 氏 び 僧 十 山 八 石
こ
と 、 台 滅 重 数 六 で 七 が
ま
称 宗 の 亡 な 一 坊 あ ) 発
や
し 派 恵 後 る 千 に り の 見
ま
た を 沢 廃 戦 人 分 、 開 さ
。 真 山 寺 乱 を か 金 山 れ
現 言 竜 と で 配 れ 色 で た
寺 宗 宝 な 焼 し 、 ( 、 。
名 に 寺 っ 失 て 七 本 天 用
の
地
に
関
連
す
る
事
を
紹
介
す
る
。
残
る
。
つ
い
で
に
こ
の
軍
記
が
示
す
栗
原
平
田
森
は
現
在
の
里
谷
の
北
方
に
地
名
が
呼
び
替
え
善
政
を
施
し
た
」
と
の
記
述
。
森
に
居
宅
が
あ
り
、
初
ケ
崎
を
岩
ケ
崎
と
「
森
館
城
主
の
平
弥
平
兵
衛
師
門
は
平
田
・
坂
上
田
村
麿
造
立
の
清
水
寺
の
再
興
①
栗
原
郡
・
く
り
は
ら
の
こ
お
り
ど
を
紹
介
し
た
い
。
③
栗
原
荘
・
く
り
は
ら
の
し
ょ
う
(
文
献
上
の
初
出
し
の
こ
と
)
、
由
来
な
参
考
に
、
郷
土
の
歴
史
と
地
名
の
初
見
郷
の
古
い
地
名
に
触
れ
た
歴
史
書
な
ど
を
な
ら
な
い
こ
と
を
祈
り
な
が
ら
、
我
が
故
し
て
い
る
が
、
古
く
か
ら
の
地
名
が
無
く
二
百
年
前
の
古
代
栗
原
郡
の
名
前
を
踏
襲
い
市
、
四
国
中
央
市
な
ど
。
栗
原
市
は
千
不
明
で
あ
る
。
新
た
に
三
駅
を
置
く
と
あ
る
が
、
詳
細
は
る
。
延
暦
二
三
年
(
八
〇
四
)
栗
原
郡
、
配
さ
れ
た
。
古
代
栗
原
郷
内
と
考
え
ら
れ
駅
と
磐
井
郡
の
間
に
あ
り
、
駅
馬
五
匹
が
平
安
期
に
見
え
る
駅
名
。
陸
奥
国
玉
造
て 近 側 の 県 す ら 「 で 置 是 九 た
② い に に 築 の と 」 こ あ が 伊 日 。
栗 る 土 あ 館 遺 考 は れ る 告 治 条 神
原 。 塁 る 字 跡 え 音 は こ げ 城 に 護
駅
と 出 城 に ら の り と ら 也 「 景
・
大 土 生 登 れ 類 」 を れ 」 陸 雲
く
溝 文 野 録 る 似 と 示 、 と 奥 元
り
の 化 で さ 。 性 、 し そ あ 国 年
は
跡 財 、 れ 伊 か 郡 て の っ 栗 七
ら
が 管 富 、 治 ら
い 起 て 原 六
の
わ 理 野 所 城 同 名 る こ 、 郡 七
え
ず セ 小 在 跡 じ の 。 り 栗 を
き
か ン 学 地 は 地 「 伊 が 原 置 十
に タ 校 は 、 名 く 治 伊 郡 く 一
残 ー の 現 宮 を り の 治 の 。 月
っ 付 南 在 城 指 は 訓 城 設 本 二
三
迫
初
ケ
崎
」
と
し
て
見
ら
れ
る
。
六
代
後
堀
河
院
の
頃
、
「
陸
前
国
栗
原
郡
は
「
森
館
軍
記
」
に
十
三
世
紀
初
め
八
十
十
二
世
紀
末
で
あ
る
が
、
岩
ケ
崎
の
初
見
わ
れ
る
。
南
ア
ル
プ
ス
市
、
つ
く
ば
み
ら
が
出
現
し
て
嘆
い
て
い
る
方
は
多
い
と
思
由
緒
あ
る
地
名
が
消
失
し
、
「
珍
地
名
」
近
年
の
広
域
合
併
に
よ
り
中
世
か
ら
の
ら
れ
た
こ
と
を
ご
存
知
で
し
ょ
う
か
。
古
代
の
栗
原
郡
が
千
二
百
年
前
に
設
け
迫
川
歴流
史域
との
地
名
特
集
佐藤 正喜
S40年卒
岩ケ崎出身
横浜市在住
)
郷
か
ら
成
り
八
世
紀
半
ば
ま
で
は
律
令
政
ふ
る
さ
と
歴
史
探
訪
(
府
の
支
配
下
に
属
さ
ず
蝦
夷
の
地
で
あ
っ
沢
に
あ
る
真
言
宗
白
馬
山
栗
原
寺
の
地
下
査
に
よ
り
、
現
在
の
栗
駒
尾
松
字
栗
原
西
第
三
節
つ
あ 方 云 「 記
平 げ ④ っ に 々 陸 録 中
安 ん 栗 た か 」 奥 と 世
期 じ 原 。 け と 国 し の
に
寺
て あ 栗 て 栗
・
見
「 る 原 同 原
く
高 。 荘 時 荘
ら
り
倉 三 一 期 の
れ
は
荘 迫 迫 の あ
る
ら
」 か 内 「 っ
寺
と ら 板 朽 た
で
院
い 北 崎 木 地
ら
名
う の 郷 文 域
、
。
俗
荘 磐 地 書 を
発
称
掘
園 井 頭 」 示
も 地 職 に す
調
り
山
定 期 現 ば 三 城 羽 野 衛 藤 治 岩
岩 黄 ⑦ さ に 在 、 町 「 観 辺 す 原 五 ケ 鎌
ケ 金 岩 れ 黒 の 岩 余 黒 蹟 を る 泰 年 崎 倉
崎 寺 ケ る 岩 日 ケ り 岩 聞 固 た 衡 ( に 期
の
崎 。 口 蓮 崎 と 口 老 め め が 一 比 に
街 宗 領 し 城 志 た 栗 源 一 定 見
古
、
」 」 と 原 頼 八 さ え
稲
道 上 主
称
) 行 中 て を に あ ・ 朝 九 れ る
「
屋
付 寺 村 い あ は る 三 軍 ) る 地
黒
敷
近 西 家 る げ 富 。 迫 の 八 。 名
岩
、
で の の 。 、 沢 江 ・ 平 月 「 で
清
口
あ 古 創 こ 鶴 日 戸 黒 泉 七 吾 現
」
水
の
ろ 道 建 れ 丸 向 期 岩 攻 日 妻 在
寺
初
う ( に に 城 守 の 口 め 条 鏡 の
、
菊
と 江 よ よ の の 「 ・ を に 」 栗
見
推 戸 る れ 西 居 奥 一 防 、 文 駒
は
王
⑥
黒
岩
口
・
く
ろ
い
わ
く
ち
な
ど
多
く
の
歌
に
詠
ま
れ
て
い
る
。
24
25
て
殆
ど
の
敵
兵
を
殺
戮
し
梶
原
景
高
な
る
固 岩 が か 記
た
れ 根 積 あ う 「 身 う に つ は 森 討 平 の 五
頼 め 口 現 ら し ・ 地 ⑧ て 下 の る 。 菊 代 口 由 め 、 館 伐 師 前 郎
朝 た ・ れ の た 源
中 い の 開 耕 現 王 わ 伝 来 、 城 ( し 門 に 顕
軍 。 一 る 条 「 頼
世 る 梁 山 雲 在 山 り が し こ の 現 千 は 懸 家
野 。 に 吾 朝
、 。 に と 寺 の 黄 と あ 「 れ 周 住 寿 稲 想 は
は
戦
辺 泰 、 妻 に
松
「 伝 の 黄 金 な る 稲 を 囲 所 の 瀬 し 森
国
に 衡 栗 鏡 よ
菊 わ 末 金 寺 っ 。 屋 通 の 表 前 ケ て 館
山
の
数 軍 原 」 る
道
王 る 寺 寺 」 た こ 敷 っ 低 示 を 城 奪 平
戦
千 は 郡 文 平
を
山 が で は を 菊 の 」 て 湿
奪 に い 師
乱
の 栗 内 治 泉
」 、 耕 新
経
王 城 と 攻 地 は い 押 取 門
の 本 雲 潟 建 丸 攻 名 め に 稲 返 し っ の
の
勇 原 の 五 藤
て
額 堂 寺 県 立 を め 付 寄 稲 屋 し 寄 た 奥
舞
士 ・ 合 年 原
津
が 唐 二 村 し 弔 で け せ 藁 敷 た せ と 方
で 三 戦 八 氏
台
久
掲 破 世 上 た う 師 た た を 上 。 国 い ・
防 迫 地 月 討
毛
に
御 ・ の 七 伐
げ 風 ・ 市 と た 門 と こ 敷 森 二 司 う 千
橋
な
を 黒 名 日 を
ら 屋 中 に い め の い と き ) 迫 を 。 寿
に
っ
で
あ
っ
た
こ
と
、
山
師
が
切
支
丹
の
流
れ
切
支
丹
孫
右
衛
門
」
と
あ
り
、
銀
山
扱
い
九
)
書
上
写
に
「
細
倉
銀
山
之
山
師
平
家
追
討
を
祈
願
し
藤
原
秀
衡
が
社
殿
を
る
。
寿
永
年
中
(
一
一
八
二
)
源
義
経
が
し
た
と
い
う
営
岡
に
屯
岡
八
幡
宮
が
あ
「
笹
ヶ
森
館
」
。
長
照
寺
。
館
に
居
住
、
末
裔
小
野
寺
道
戒
入
道
の
小
野
寺
清
国
が
平
泉
合
戦
に
従
軍
し
松
倉
配
下
と
な
っ
た
。
宝
永
六
年
(
一
七
古 〇
西
部
の
細
倉
鉱
山
跡
は
昭
和
六
二
年
閉
秋
法
館
跡
(
南
郷
佐
野
前
)
。
南
郷
地
区
で
迫 留
源 ・ 栗 守
頼 八 原 家
義 幡 郷 任
村 片 に
子 宛
父
沢 が
八
子
が 幡 」 わ
戦 神 と れ
勝 社 あ た
祈 。 る 地
願 前 。 と
し 九
し
陣 年
て
所 の
「
二
に 役
四
)
、
北
畠
顕
家
よ
り
論
功
行
賞
と
し
て
る
(
安
永
風
土
文 記
治 )
年 。
間
(
一
一
八
五
)
沢
氏
が
恩
賞
と
し
て
与
え
ら
れ
た
「
三
迫
・
松
倉
村
り
、
天
正
期
に
鉛
山
中
心
に
伊
達
氏
の
支
山
。
大
同
年
間
の
開
発
と
の
伝
承
も
あ
臣
の
樋
渡
典
膳
の
居
館
・
樋
渡
館
が
伝
わ
と
み
さ
ハ
」
を
当
地
と
す
る
。
葛
西
氏
家
る
徳
満
寺
城
。
橘
遠
江
の
居
館
と
さ
れ
る
山
金
剛
寺
、
袋
の
袋
豊
後
を
城
主
と
伝
わ
沢
と
比
定
さ
れ
る
。
北
郷
の
曹
洞
宗
鴬
沢
う
く
い
さ
わ
の
住
人
云
々
」
と
見
え
、
鴬
二
年
(
一
三
八
〇
)
の
某
書
状
に
「
二
迫
・
鴬
沢
村
(
北
郷
・
南
郷
・
袋
)
康
暦
元
弘
四
年
(
一
三
三
鋭
神
社
は
坂
上
田
村
麿
造
立
と
伝
わ
る
。
期
の
石
母
田
家
文
書
)
。
高
松
に
あ
る
雄
田
氏
の
足
軽
町
大
鳥
町
が
あ
っ
た
(
寛
永
る
。
こ
の
街
道
沿
い
に
岩
ケ
崎
城
主
石
母
が
通
り
、
岩
ケ
崎
を
経
て
一
関
に
通
じ
る
説
が
あ
り
、
中
世
の
岩
ケ
崎
城
主
で
富
し り
り
・ た 一 ・ 攻
鳥 。 関 深 め
沢
に 谷 た
村
通 村 記
述
じ
富
る 岩 が
沢
。 ケ あ
の
往 崎 る
訛
古 か 。
っ
は ら
た
金 上
地
田 街
名
庄 道
と が
と
称 通
す
・
片
子
沢
村
・
二
迫
・
稲
瀬
ケ
城
の
奥
州
国
司
安
藤
清
水
寺
と
千
寿
池
。
浄
土
庭
園
千
寿
園
造
成
。
現
在
の
真
言
宗
「
九
戸
神
社
」
が
あ
る
。
敷
九
ノ
戸
の
地
に
「
首
清
め
の
池
」
、
送
さ
れ
首
を
刎
ね
ら
れ
た
。
現
在
の
稲
屋
下
八
名
の
降
将
は
花
巻
を
経
て
三
迫
に
護
か け い の
く も
武
・ 。 よ で 津 意 ひ は 「 将
南
う 橋 久 訳 」 し み が
部
、 ち 一
ぞ を 毛 す
わ の 首
の
」 渡 橋 れ
た く の
九
し
で
ば
と
し の 和
「
戸
て
味
い
陸
て せ 歌
政
平
方
う
奥
か い を
実
泉
に
雄
け は 詠
の 付 討
の
叫
伐
ん み ん
泰 い
乱
び 衡 た の
や か だ
で
で の 。 勢
す た 。
、
あ
政
ひ に
首 こ い
ろ を の は
実
ら つ
か く
以
う 懸 勢 こ
(
葛
西
大
崎
盛
衰
真 記
ん )
中 。
を
奥
州
上
街
道
崎
の
暴
れ
者
」
と
し
て
記
述
さ
れ
て
い
る
も
特
に
狡
猾
で
あ
っ
た
ら
し
く
、
「
岩
ケ
沢
直
綱
は
、
葛
西
・
大
崎
の
武
将
の
中
で
せ
戦
場
に
化
し
た
と
い
わ
れ
る
。
四
代
富
岩
ケ
崎
陣
で
は
葛
西
軍
が
城
下
に
押
し
寄
で
あ
っ
た
。
天
正
七
年
(
一
五
七
九
)
の
城
)
は
、
葛
西
一
族
の
富
沢
氏
五
代
の
城
築
造
さ
れ
た
と
伝
わ
る
岩
ケ
崎
城
(
鶴
丸
⑥
参
照
。
南
北
朝
期
に
富
沢
道
祐
に
よ
り
「
三
迫
里
屋
城
」
を
昼
夜
八
日
間
に
わ
た
る 佐
清
・ 。 竹 ・ 水
里
文 中 寺
谷
書 野 に
次
村
に 村 ぐ
「
歴
南
陸 文 史
北
和
奥
朝
四 あ
国 年 る
期
中 ( 寺
の
野 一 で
三
村 三 あ
迫
」 五 る
合
と 五 。
戦
あ )
で
山
(
封
内
風
土
記
)
と
い
う
、
近
隣
で
は
宗
青
雲
寺
は
元
慶
元
年
(
八
八
三
)
の
開
し
た
の
で
名
付
け
た
と
い
う
。
現
・
真
言
の
時
栗
駒
山
か
ら
猿
が
雲
に
乗
っ
て
飛
来
⑨
郷
土
の
地
名
・
史
跡
特
記
・
稲
屋
敷
村
康
永
元
年
(
一
三
四
二
)
文
書
に
南
朝
方
・
岩
ケ
崎
村
古
称
黒
岩
口
の
初
見
は
凱
旋
記
念
に
青
雲
寺
を
建
立
し
た
が
、
そ
川
の
水
源
近
く
に
現
存
す
る
。
二
)
源
頼
義
父
子
が
安
倍
貞
任
を
征
伐
し
の
建
立
と
さ
れ
る
細
倉
山
神
社
拝
殿
は
鉛
・
猿
飛
来
村
康
平
五
年
(
一
〇
六
で
あ
っ
た
こ
と
が
知
ら
れ
る
。
二
百
年
前
造
営
し
た
と
い
う
(
安
永
風
土
記
)
。
森
・
弁
慶
森
、
行
者
滝
な
ど
史
跡
が
数
多
洞
宗
円
年
寺
、
沼
倉
木
鉢
番
所
跡
、
判
官
(
栗
駒
山
頂
近
く
に
は
御
室
奥
院
)
、
曹
井
・
仙
北
三
郡
の
総
鎮
守
・
駒
形
根
神
社
任
さ
れ
た
。
沼
倉
村
に
は
、
栗
原
・
磐
ケ
崎
小
学
校
校
長
、
鴬
沢
町
教
育
長
を
歴
た
こ
と
を
考
え
合
わ
せ
る
と
、
弁
慶
塚
は
洗
い
井
戸
」
が
そ
の
手
前
の
地
域
に
あ
っ
首
を
洗
っ
て
差
し
上
げ
た
「
伝
・
義
経
首
に
辿
り
着
い
た
と
伝
承
さ
れ
、
里
び
と
が
て
腰
越
浜
か
ら
境
川
を
遡
上
し
白
旗
神
社
議
で
あ
っ
た
が
、
義
経
の
首
は
嵐
に
の
っ
弁
慶
塚
が
何
故
こ
こ
に
あ
る
の
か
不
思
迫
一
帯
を
領
し
た
。
戦
功
に
よ
り
、
伊
豆
の
豪
族
狩
野
氏
が
一
を
経
て
江
戸
時
代
藩
政
期
に
は
、
仙
台
藩
領
地
領
有
、
戦
国
時
代
の
国
人
領
主
支
配
藩
政
期
は
仙
台
藩
一
門
白
河
氏
が
明
治
典
、
栗
駒
町
史
、
鴬
沢
町
史
「
参
考
書
」
土
で
あ
る
と
思
う
。
…
…
…
…
…
歴
史
的
に
も
古
く
由
緒
あ
る
誇
結 れ
る
郷
>
宮
城
県
史
、
岩
手
県
史
、
~
~
~
~
~
~
~
~
~
~
~
~
~
~
<
大
日
本
地
名
辞
書
、
宮
城
県
姓
氏
家
系
事
政
を
経
て
今
日
に
至
る
。
の
地
方
知
行
制
の
領
主
に
よ
る
支
配
・
施
田
に
現
在
も
多
く
住
ん
で
い
る
。
れ
、
栗
駒
山
を
中
心
に
岩
手
、
宮
城
、
秋
の
発
祥
は
陸
前
国
栗
原
郡
沼
倉
邑
と
さ
子
孫
は
岩
ケ
崎
他
に
移
住
し
た
。
沼
倉
姓
慶
塚
。
実
際
に
訪
れ
た
が
、
弁
慶
塚
は
首
所
、
藤
沢
市
の
浄
土
宗
常
光
寺
に
あ
る
弁
霊
碑
、
栗
駒
判
官
森
の
義
経
公
御
葬
礼
し 碑 を 成 と が 社
写 た が 合 十 す 、 に
真 。 白 祀 一 る 判 は
は
旗 し 年 両 官 義
上
神 、 に 地 森 経
か
社 義 両 関 の の
に 経 地 係 胴 首
ら
、
建 公 の 者 塚 塚
白
立 の 魂 の と
旗
さ 兜 土 熱 一 が
神
れ を ( 意 体 祀
社
た 象 た に に ら
義
の っ ま よ 合 れ
経
で た つ り 祀 て
公
参 鎮 ち 、 せ い
鎮
拝 霊 ) 平 ん た
柳
が 村 分 座 九 暮 宗
文 目 ・ 残 内 岐 禅 二 れ 普
治 ) 一 っ を し 像 才 、 門
迫 て 通 出 が で 政 山
五
村 い り 羽 墓 大 宗 洞
年
る 、 雄 で 往 公 泉
(
( 。 柿 勝 あ 生 没 院
一
ノ 郡 る し 後 を
真
一
木 に 。 た 四 創
坂
八
番 至 奥 。 年 建
、
九
所 る 州 荒 の 。
曽
平
跡 文 上 砥 祥 読
根
泉
と 字 街 石 月 経
、
征
備 街 道 作 命 に
清
伐
荒 道 か り 日 明
水
の
倉 が ら の に け
、
が
死
去
し
た
後
こ
の
地
に
隠
棲
し
、
曹
洞
伊
達
の
一
族
格
茂
庭
綱
元
が
藩
祖
政
宗
置
さ
れ
た
の
ち
、
中
世
の
鎌
倉
御
家
人
の
村
、
泉
沢
村
は
旧
姫
松
地
区
、
平
形
、
大
村
は
、
旧
尾
松
地
区
、
嶺
崎
村
、
渡
丸
鴬
沢
の
分
家
・
故
和
久
日
出
丸
氏
は
岩
て
い
る
よ
う
に
思
わ
れ
た
。
な
り
子
孫
は
現
在
に
続
く
。
是
安
の
子
で
着
座
の
和
久
宗
友
が
邑
主
に
藩
政
期
に
は
、
伊
達
政
宗
の
祐
筆
和
久
ら
れ
て
い
る
主
君
・
義
経
公
を
ガ
ー
ド
し
す
高
台
に
あ
り
、
背
後
の
白
旗
神
社
に
祀
実
検
が
行
わ
れ
た
鎌
倉
腰
越
浜
を
見
下
ろ
)
い
。
な
お
、
神
奈
川
県
藤
沢
市
の
白
旗
神
府
の
支
配
下
に
置
か
れ
「
栗
原
郡
」
が
設
栗
原
の
地
は
西
暦
七
六
七
年
、
律
令
政
■
最
後
に
で
確
認
し
て
安
心
し
て
い
る
。
住
所
表
示
に
残
っ
て
い
る
こ
と
を
地
図
上
沼
、
菱
沼
真
似
牛
、
栗
駒
嶺
崎
の
よ
う
に
上
記
の
地
名
羅
列
の
所
も
、
栗
駒
菱
地
名
で
あ
る
。
原
木
、
小
堤
は
旧
津
久
毛
地
区
に
あ
っ
た
重
は
鴬
沢
島
巡
に
逃
れ
て
帰
農
し
、
そ
の
村
と
称
し
、
の
ち
文
字
村
に
転
じ
た
。
一
揆
で
秀
吉
軍
と
戦
い
戦
死
、
そ
の
子
光
本
社
の
一
の
門
が
あ
っ
た
こ
と
か
ら
門
地
記
)
。
飛
騨
守
十
三
代
家
重
は
葛
西
大
崎
り
勧
請
し
た
同
名
三
社
が
あ
り
、
村
名
は
沼
倉
飛
騨
守
の
岩
目
館
(
安
永
風
土
寺
文
書
に
沼
倉
少
輔
の
支
配
が
見
え
る
。
上
流
域
。
建
武
元
年
(
一
三
三
四
)
中
尊
・
沼
倉
村
松
倉
村
の
北
、
三
迫
川
の
あ 判 里
・ る 官 び
文 。 び と
字
い が
村
き 義
の 経
沼
産 ・
倉
物 弁
村
と 慶
の
思 の
駒
え 主
形
て 従
根
く を
神
る 弔
社
の っ
よ
で た
あ ケ の あ 妻 ま
・ る 崎 娘 る ( で
菱 。 七 は 政 後 邑
沼
代 新 岡 の 主
領 田 の 四 で
村
、
主 義 墓 代 続
真
・ 彰 は 藩 く
中 に 龍 主 。
根
村 嫁 雲 亀 白
牛
日 い 寺 千 河
、
栗
向 だ 。 代 氏
成 が ま の 三
原
義 、 た 乳 代
村
の 後 、 母 義
、
桜
母 の 義 ) 実
で 岩 実 で の
田
26
代表:岡本 浩一
昭和53年卒
岩ケ崎出身
くりこまや
魚河岸直送新鮮食材
故郷の味を今に伝える
【
【
【
【
【
27
住所
交通
電話
品書
代表
】
】
】
】
】
〒132-0021 東京都江戸川区中央4-11-1
JR総武線 新小岩駅 南口~平和橋通り徒歩15分
03-5879-5665
(江戸川高校前)
うなぎ、どぜう、旬の鮮魚、郷土料理、創作料理、
千葉 正宏 (S48年卒・岩ヶ崎出身) 写真
東
京
岩
高
会
報
2015年
第57号
に
嫁
の
ま
つ
江
技
法
は
、
あ
や
の
か
ら
娘
の
よ
し
の
、
更
る
よ
う
な
作
業
工
程
で
す
。
こ
の
貴
重
な
業
と
し
か
言
い
よ
う
の
な
い
気
の
遠
く
な
当
代
か
ら
姪
の
千
葉
京
-
色
に
変
わ
ん
る
ん
だ
べ
な
あ
」
と
自
問
自
は
、
「
あ
の
緑
の
葉
っ
ぱ
が
何
で
こ
ん
な
貴
重
な
一
家
で
す
。
姑
に
藍
染
め
の
技
術
か
る
と
い
う
。
そ
し
て
染
め
上
っ
た
時
に
完
成
す
る
ま
で
に
は
二
年
も
の
時
間
が
か
正
藍
染
は
、
蓼
藍
の
種
蒔
き
か
ら
染
が
代千
様葉右
、毅か
四様ら
代、、
目当東
を代京
継の岩
ぐ千高
姪葉会
のま・
千つ佐
葉江々
京様木
子、支
様千部
。葉長
紀、
千
葉
あ
や
の
様
右
と
娘
の
よ
し
の
様
。
培
と
染
め
仕
事
を
一
貫
し
て
行
っ
て
い
る
正
藍
染
と
称
す
る
な
の
で
す
。
山
郷
の
農
家
で
養
蚕
と
麻
織
、
藍
の
栽
ぞ
め
・
千
葉
家
の
商
標
登
録
名
称
、
以
下
は
二
十
歳
の
時
で
し
た
。
世
界
唯
一
の
正
藍
冷
染
し
ょ
う
あ
い
ひ
や
が
績
文 明 を
字 治 称
二 え
も 十 る
ん 二 館
じ 年 で
の 生 す
千 ま 。
葉 れ
家 の
に 千
嫁 葉
い あ
だ や
の の
宝
に
認
定
さ
れ
た
「
千
葉
あ
や
の
」
の
功
の
伝
承
者
と
し
て
昭
和
三
十
年
に
人
間
国
る
建
物
が
見
え
て
く
る
。
そ
れ
は
藍
染
め
の
変
遷
を
知
る
上
で
歴
史
的
に
も
貴
重
で
と
い
う
素
朴
な
も
の
で
す
。
そ
れ
は
徳
島
大
気
の
温
度
に
よ
っ
て
自
然
発
酵
を
待
つ
し
か
も
、
純
粋
な
木
灰
以
外
は
使
わ
ず
が
、
あ
や
の
の
技
法
は
我
が
国
染
色
工
芸
の
阿
波
藍
や
志
賀
の
技
法
と
似
て
い
る
工
芸
館
参
与
の
濱
田
淑
子
著
書
か
ら
引
用
に
進
む
と
川
沿
い
に
愛
藍
人
の
看
板
の
あ
い
大
土
ヶ
森
を
目
印
栗
駒
山
の
裾
野
を
流
れ
る
二
迫
川
に
沿
る
と
い
う
一
貫
し
た
作
業
で
す
。
作
業
で
作
っ
た
藍
玉
を
用
い
て
染
め
上
げ
り
、
種
を
蒔
く
事
か
ら
始
め
、
全
く
の
手
法
は
、
麻
を
植
え
糸
を
取
り
こ
れ
を
織
千
葉
あ
や
の
が
認
定
さ
れ
た
染
織
り
技
事
の
一
部
は
、
東
北
福
祉
大
学
芹
沢
銈
介
美
術
様
方
の
敬
称
を
省
略
さ
せ
て
頂
き
ま
し
た
。
記
け
に
な
る
こ
と
を
願
い
ま
す
。
で
し
ょ
う
。
ふ
る
さ
と
再
発
見
の
き
っ
か
い
昔
の
暖
か
い
記
憶
が
蘇
っ
て
く
る
こ
と
通
称
・
文
字
富
士
(
2015年 4月 27日・編集長撮影
答
す
る
ら
し
い
。
を
厳
し
く
教
え
込
ま
れ
た
あ
や
の
は
畑
に
)
有
朋
印
刷
株
式
会
社
・
印
刷
自
然
発
酵
も
発
色
現
象
も
神
の
成
せ
る
出
て
働
く
よ
り
も
機
織
り
や
藍
染
め
に
目
)
子
へ
と
受
け
継
が
れ
て
い
ま
す
。
覚
め
て
い
っ
た
。
(
田
舎
の
山
村
で
代
々
受
け
継
が
れ
た
希
時
が
経
ち
、
宮
城
の
地
に
東
北
本
線
と
)
-
少
な
伝
統
技
法
・
命
を
懸
け
た
藍
染
め
道 接
が 続
開 す
通 る
す 栗
る 原
と 軌
文 道
字
に く
も り
一 は
挙 ら
に 田
近 園
代 鉄
(
-
に
、
皆
様
も
そ
の
懐
か
し
き
古
径
を
踏
み
化
の
波
が
押
し
寄
せ
、
も
は
や
衣
料
を
自
)
正
雄
し
め
、
ふ
る
さ
と
が
誇
る
世
界
唯
一
の
正
給
す
る
必
要
も
薄
れ
、
文
字
地
区
の
藍
染
(
菅
原
藍
染
に
触
れ
て
み
ま
せ
ん
か
。
き
っ
と
遠
当
時
5
9
歳
め
の
伝
承
も
途
絶
え
て
い
く
の
で
す
。
)
〒宮
1城
1県
4岩
‐ケ
0崎
0高
0等
4学
校
東同
京窓
都会
北東
区京
堀支
船部
1東
京
1岩
5高
1会
0T
7E
0L
50
3
支
部3
長9
1
佐2
々
木7
く9
に6
子7
あ
や
の
は
昭
和
2
3
年
(
東
京
岩
高
会
編
集
局
編
集
長
の
台
風
の
水
害
で
工
房
が
流
さ
れ
た
後
も
(
人
再
建
し
て
懸
命
に
仕
事
を
続
け
た
。
時
代
)
人
の
波
に
取
り
残
さ
れ
た
か
の
よ
う
な
伝
統
(
行
の
技
法
を
、
何
故
に
そ
こ
ま
で
し
て
守
り
)
集
続
け
た
の
か
、
あ
や
の
さ
ん
に
逢
っ
て
話
(
発
-
編
し
て
み
た
い
衝
動
に
駆
ら
れ
る
。
)
平
成
二
十
七
年
七
月
十
一
日
発
行
文
中
は
皆
藍
の
古
径
平成27年4月27日、岩倉測量会長夫妻(千葉毅様・紀代様)のご案内で千葉まつ江様宅を訪問した時の皆様(写真左)
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