Bestopia

ト
ピ
ア
Bestopia
< 2015 年 1 月 >
古賀 順子
シャルリー・エブド社襲撃テロ
例年になく暖かく、穏やかなお正月が開けた 1 月
7 日、パリで信じられないテロ事件が起こりました。
カラシニコフ銃で武装、防弾、覆面姿のクアシ兄弟
がシャルリー・エブド社に乱入し、12 名を射殺、11
名の重軽傷者を出しました。標的になったのは、シ
ャルリー・エブドの風刺イラスト画家カビュ、ヴォ
ランスキー、シャルブ、ティニュス、同席していた
ジャーナリストです。毎週水曜日朝の編集会議を狙
った計画テロで、イスラム教の神を侮辱した報復だ
とし、殺戮を終え、新聞社を出た二人は、駆けつけ
た警官と銃撃戦を交わし、警官を射殺、逃亡しまし
た。路上での銃撃戦の画像が世界中に流れ、誰もが
ショックを受け、怒りを覚えずにはいられない惨事
となりました。事件発生から間もなく、テロ反対の
スローガン「Je suis Charlie 」が、ツイッター、フ
ェイスブックで流れます。
翌 8 日朝、パリの南モンルージュで、交通事故の
整理をしていた 26 歳の女性警官がアメデイ・クリ
バリという別のテロリストに背後から射殺され、こ
ちらも逃走するという事件が起きました。シャルリ
ー・エブド社襲撃と直接の関係はないと思われてい
ました。
翌 9 日朝、逃亡中のクアシ兄弟は、パリから 40km
北東の小さな町ダマルタン・アン・ガエルの印刷所
に立て篭もります。周囲を完全包囲し、最後の銃撃
戦に向けて準備が始まります。
13 時、予想外の事態が発生。パリの東ポルト・ド・
ヴァンセンヌのユダヤ食品スーパー「カシェール」
で武装乱入、人質事件が発生。犯人は、前日モンル
ージュで女性警官を射殺したクリバリ。クアシ兄弟
とクリバリは共犯であったことが判明します。二カ
所で同時テロという異例の展開となりました。
17 時。同時強行介入。銃撃戦が交わされ、テロリス
トは 3 名ともに射殺。強行突破時に人質への被害は
「 パリ通信 37 号 」
http://jkoga.com/
平成二十七年一月
ス
第三十七号
ベ
ありませんでしたが、スーパー占拠時に 4 名が犠牲
になっています。
7 日から 9 日の恐怖の三日間、17 名の犠牲者を出
すフランス国内で最悪テロ事件となりました。フラ
ンスがマリに介入して以来、フランスはテロのター
ゲットになっています。内務大臣ベルナール・カザ
ヌーブは、2013 年夏以降、未然に防いだ重大なテロ
計画が 5 件、ジアデイスト勧誘サイト摘発が約 200
件、
テロのあり方も大きく変化していると言います。
クアシ兄弟、クリバリはパリで生まれたフランス国
籍です。フランス社会で落ちこぼれ、刑務所で誤っ
た信仰に染まり、格安航空券を使ってシリア、イラ
ク、イエメンで兵器訓練を受けています。
2012 年 3 月、トウールーズでユダヤ人学校の生
徒 3 名を含む、7 名の犠牲者を出したモハメッド・
メラのテロから少しの時間しか経っていません。テ
ロの脅威は常に存在します。
フランスは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教
が共存する国です。過激派とは何ら関係のないイス
ラム教フランス人は、非常に居心地の悪い思いを強
いられています。フランスの長い歴史を見ると、シ
ャルルマーニュ、聖ルイ王を始め、キリスト教徒を
守るのがフランス王の義務でした。政教分離の共和
制になり、様々な人種、価値観、思想、信仰を持っ
た人たちが住むフランスで、多様性を尊重しつつ、
平和共存をしていくことの難しさを感じます。
11 日日曜日、レピュブリック広場からテロ反対行
進が行なわれます。1944 年 8 月パリ解放行進と同
じ規模になると予想されています。フランス共和制
の土台である「自由」を守るという意味で、同じ重
要性を持ちます。今回のテロ事件は、表現の自由だ
けでなく、フランス社会の様々な問題を提起してい
ます。しかし、
「Je suis Charlie 」を掲げ、フラン
ス国民が一同に行進する姿は、一大事が生じたとき
のフランスの団結力、動員の強さの表れです。被害
者の死を無駄にしない社会に変わることを期待した
いと思います。
―― 平成 27 年 1 月 パリ通信 37 号 ――