米国 Kaiser Permanente 訪問記 明石医療センター 麻酔科、愛仁会本部 学術部 井上慧人 この度、愛仁会本部学術部の事業として 2015 年 9 月 15 日~20 日の期間をいただき、米国サ ンフランシスコにある Kaiser Permanente を訪問し、米国における医療経営についての調査を 行いましたのでここに報告致します。 Kaiser Permanente は、HMO(Health Maintenance Organizations)を基本とするマネジ ドケア組織であり、カリフォルニア州(サンフランシスコ・オークランドを拠点とする北カリフォルニア 地域とロサンゼルス・パサディナを拠点とする南カリフォルニア地域)、コロラド州、ジョージア州、ハ ワイ州、中部大西洋地域、北西部地域およびオハイオ州という 8 つの地域に展開しており、オーク ランドにこれらの統括本部が置かれている米国でも最大級の組織です。また、2014 年の annual report によると、Kaiser Permanente の被用者は 177,445 人、契約医師が 17,791 人、病院、 診療所その他医療施設はあわせて 659 施設存在し、約 960 万人の加入者を扱っているとされて おり、このことからも Kaiser Permanente が日本の医療機関とは異なるスケールで保険、病院サ ービス、医師サービスを一体としたサービス(Integrated Health Care Delivery System)を顧客 に提供していることがうかがえます。 このような巨大組織である Kaiser Permanente ですが、その地盤となる地域はカリフォルニア 州北部であり、今回訪れたのもそのカリフォルニア州北部、Redwood City にある Kaiser Permanente Redwood City Medical Center でした。そこでは病院見学もそこそこに、内科医で ある Dr. Scott Smith を調整役として多くの管理者クラスの医師にインタビューを行い、Kaiser Permanente 全体としての理念、戦略、システムについての情報を得て、日本国内で経験すること が困難であろう新たな視点から多くの知見を獲得することができました。 Kaiser Permanente の組織経営は、IT を十分に活用した効率的で安定感のあるシステム(e.g. ルーチンの患者説明の動画は病室にあるモニターでいつでも見られるようになっています)や事故 やトラブルを未然に防ぐためのシステム(e.g. 病室の名札に患者固有のリスクが列記されています) に代表されるような、医療の現場における細々とした工夫もさることながら、何よりも理念・戦略を推 進するために最適化された組織そのものの在り方・ダイナミクスが際立っており、日本における医療 経営のパラダイムシフトの兆しを感じさせるものでした。その中でも特に、Kaiser Permanente のミ ッションの一つでもある”thrive”という言葉が非常に印象的であったため、ここに一例としてご紹介 させていただこうと思います。 すなわち、Kaiser Permanente では、”thrive”という言葉をキーワードに掲げ、予防医学を重視 しています。そもそも”thrive”という英単語は、辞書的には「繁栄する」「(人・動植物が)丈夫に育 つ」という意味ですので、日本語では「清栄」や「健勝」という言葉が最も近いと思いますが、この理 念を簡単に説明すると、「病気を治す」ことではなく「健康であること」が目標であるということです。 具体的には自然食の食事(e.g. 週一回病院の敷地内で自然食品の市場が開かれます)や運動を 推奨し、また健診にも力を入れており、たとえ病気になっても可能な限り軽症のうちから介入するこ とで重症化を防ぐということに力点を置いています。 また一方で、Kaiser Permanente は古くは舗装業に端を発しており、現在の米国で主流となっ ているマネジドケアの原型となる雇用主提供医療保険の構想がその成り立ちに重要な役割を果た しているという側面を持っています。そもそもマネジドケアというシステムは、prepayment すなわち 保険料の前払いによって組織が収益を得るシステムであるため、お金がかかる治療を行う必要の ある患者が少ない方が組織の利益が増大し、従業員の負担も軽減します。すなわち潜在的に患者 となりうる Kaiser の加入者が予防医学によって病気にならない、たとえなったとしても重症化しな い(すなわち”thrive”)ということが、加入者(顧客)にとっても、病院組織やそこで働く従業員にとって も大きなメリットとなるのです。 他の一般的な医療組織において、組織、医療従事者、患者の関係性が、その各々が自らの利益 を追求することによって限られた利益(幸福)の総和を奪い合うという「三すくみ」のような状態に陥っ ていることとは対照的に、全ての関係者が同じ方向を目指し、幸福の総量が増加するようなシステ ムになっているという点で、Kaiser Permanente は画期的な組織構造を有していると考えられま す。 このようにお互いの理念・ビジョンが一致している状況は、組織が従業員と顧客のそれぞれと強い エンゲージメントを形成しやすくするものであるということは多くの文献で述べられており、強い組織 が形成される礎となりうる非常に重要なものです。それゆえに、長期的な視野で見れば、愛仁会に おいても組織、従業員、顧客が理念・ビジョンを共有し、同じ目標に向かって力を尽くすことができ るようなシステムを構築することは必要不可欠と言えるでしょう。しかしながら、米国の医療制度・環 境は日本のものとは大きく異なるため、Kaiser Permanente のシステムをそのまま流用することは できず、日本の制度・環境に最適化された組織構造を新たに創出することが我々の大きな課題と なります。また仮に組織の在り方が日本の制度・環境に最適化されたとしても、日本国内では行政 による医療制度改革が常に行われ続けている状況であり、普遍的・恒久的に理想を実現できるシ ステムとしてあり続けることは不可能であると考えられます。しかし、だからこそ我々はプロフェッショ ナルとして「行為の中の省察」を常に行い、医療においても、経営においても、その瞬間ごとの最 適解を模索し続ける必要があります。その最適解を求め続けるためには不断の努力が必要となる ことは言うまでもないことですが、今回の調査がその一助となるのであれば幸甚です。 最後になりましたが、このような機会を与えてくださった内藤理事長をはじめとする愛仁会理事の 皆様、不在の間の業務をカバーしていただいた明石医療センターの皆様や愛仁会本部の皆様に 厚く御礼申し上げます。有難うございました。
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