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NDU 日本ドキュメンタリストユニオン 1971 年作品、専修大学「総合科目(土屋昌明先生)」授業(19・20 担当・前田年昭)
度線
アメリカ
は一九七二年まで占領下に
おいた沖縄と一九五二年ま
で占領下においた日本(本
土)を引き裂き、往来すら
ままならなかった。米ソが
朝鮮半島を南北に引き裂い
た 度線のように。
七一年、
は「 度線」
を越えてこのドキュメンタ
リーを制作、コザを中心に
沖縄に強いられた政治的状
況をとらえようとした。政
治的・社会的最下層のモト
シンカカランヌーたちの目
は、 沖 縄 に 対 す る 大 和 ―日
本本土との関係が差別、収
奪、
犠牲の歴史に他ならず、
「本土復帰」は新たな第三
次琉球処分だと明らかにし
ていく。
このドキュメンタリーを公
開 当 時、 釜 ヶ 崎 へ「 下 放 」
中 の 担 当 講 師( 前 田 年 昭 )
は、日本本土の「革新」が
実は「保守」と同じ貌をし
ていることを知って衝撃を
受け、国境を越える思想と
生き方を考え始める
N
D
U
27
―
38
―
参考図書 山城幸松・金容権『日
本「帝国」の成立』日本評論社、
『沖縄戦記鉄の暴風』沖縄タイ
ムス社
:
国境を越えるドキュメンタリー
上映!
27
【場所地図と交通案内】
水道橋駅西口より徒歩7分/九段下駅
出口5より徒歩3分/神保町駅出口A
2より徒歩3分
特 別
ゲスト
井上 修さん
NDU日本ドキュメンタリストユニオン
日時 6月13日㈯
9時〜12時15分
(上映94分+講義と討論)
場所 専修大学
神田校舎
東京都千代田区神田神保町 3-8
NDU 日本ドキュメンタリストユニオン
大学のサークルなどが集まり、1968年から様々なジャンルの表現物を制作・上映・配布活
(1969・78 分・16mm)
、
『沖縄エ
動をしてきた集団。主に『鬼ッ子 闘う青年労働者の記録』
(1971・94 分・16mm)
、
『倭奴(イエノム)へ 在韓被
ロス外伝 モトシンカカランヌー』
『アジアはひとつ』(1973・96 分・16mm)のド
爆者 無告の二十六年』(1971・53 分・16mm)、
キュメンタリー映画 4 作品を NDU 名義で発表後、一時解散。2006年に再結成し『出草之
歌 台湾原住民の吶喊―背山一戦』(2006・112 分・DV カム)を上映公開する。
予見と中身の落差を躊
躇なく期待して、実践
するNDUとはいったい
なんなのだ?
井上修さんのコメント
沖縄という主題
要素だ。観客は通常、その中身に先立っ
染みのない街では、こうやってうろうろ
NDUの課題は次作にかかっている。巷
て題名を見る。そして題名から何らかの
あちこちを動き回っているととんでもな
の評価はどうあれ我々が創ったものは間
“予見”を持って中身を観ることになる
く思いがけない人やシーンに遭遇するの
違いなくパトロンつきの「PR 映画」だっ
が、もし予見と中身との落差が大きけれ
だ。「モトシンカカランヌー」の後半に
たからこのとき当然次作のための製作資
ば大きいほど観客は、裏切られたり、驚
登場する黒人米兵たちとの出会いもそう
金はそこそこプールできていた。だから
いたり、また時には感動したりもする。
NDU の考えるドキュメンタリーとは超
やって歩き回っていたときだった。直感
簡単にいえば、そういうことを期待する
らはおそらくブラックパンサー党の一派
今度は誰の気兼ねもなく考えることが
できるのだ。でもそのとき NDUのメン
は見事的中だ(後からわかったのだが彼
NDUのはじまり
バーにとって 「次作のテーマを考える」
ための音声と映像なのだ。だから題名は
であるブッシュマスターというグループ
ブラックパンサー党員たち「同」より
マスメディアが今日のように豊富でな
なんてことは必要なかった、と多分全員
そのための重要な手掛かりだ。
訪れるのをひたすら待つしかないという
いずれの政府からも顧みられることがな
が考えていた(はずだ)。「テーマは沖
モトシンカカランヌー
のメンバーではないかということだっ
かったその当時、大学サークルが送り出
た)。こういうびっくりするような出会
ことだった。
いのだ。当時は在日の人たちを中心にし
すメディアは今では考えられないほど社
縄」NDU全員が躊躇なく取り組むこと
「モトシンカカランヌー」―沖縄で元
いの瞬間があるからドキュメンタリーの
会に対して大きな影響力があった。だか
ができる、いわば暗黙の了解ともいえる
手の掛からない商売をする人たちを云
取材はいつもスリリングなんだ。これま
ら誰もが「それぞれの考え方や行動スタ
題材が沖縄だった。ただし矛盾に満ちた
う、特に沖縄本島のさらに南の宮古、八
で述べたようなドキュメンタリーの定石
「出会いの場」は滞在延長が切れる間際
闘はなんと在日アジア人側からの出入
イルが異なってもひとつのグループとし
まま沖縄が返還されようとしているから
ともいえる手順を着実に実行すれば、必
国管理法阻止運動共闘、そして連帯の
て何かを世に問うことができるような、
といって新左翼のプロパガンダ映画のよ
ずとはいえないけれど、実現するはず、
にやってきた。それが映画のオープニン
グに登場するアケミという 17 歳の娼婦
いわばサークル活動の延長のようなこと
うなドキュメンタリーを創る気は一切な
それには何よりもまずひたすら自らの足
との最初の出会いだ。我々が持っていた
提案を拒否してしまったのだった。こ
の事情は例えば 1970 年の七・七集会に
が大学を離れても引き続きできないもの
い。「沖縄祖国復帰」という政治課題か
と体力で歩き回ること、そして直感―
ポータブルテープレコーダーには非常に
おける華僑青年闘争委員会の演説の内
だろうか ?」そう考えていた(に違いな
ら最も遠く離れ、本土より数段進歩的と
本当は望んでいるような状況が訪れてい
大きな関心を示した。後から再生したら
容に詳しい。
い)ところに願ってもない話が舞い込ん
いわれているジャーナリズムでさえまと
るにも拘らず、それを直ちに認識しない
思った通り10 数曲の「ざれうた」がほ
だ。「PR 映画を一本作ってくれないか」
とその状況はあっという間に見えなく
とんどフルコーラスで録音されていた。
1972 年沖縄がまもなく日本に返還され
という話だ。映画を作れといわれてもメ
もに取り上げようとしない沖縄のテーマ
は何か ? ここでも NDU 全員はいつも
なってしまうことが殆どだからだ。
アケミもまたアシバーと同じく歌うこと
る。それと共に、全共闘運動は我々の想
ンバーのほとんどは本格的な映画を創っ
のように、そんなものは間違いなくどこ
アシパーたち「モトシンカカランヌー」より
がとても好きだった。マイクを握りテー
像を遥かに上回るスピードで既に退潮
たことがない。でもそんなことで怖気づ
からかきっと降ってくるはずだ、と思っ
重山出身者が多い売春婦に対して差別を
これで NDU の第二作「モトシンカカラ
プレコーダーの操作をアシバーに指示し
期を迎えていた。しかし、またもや幸
いたりはしないのが我々「全共闘世代」、
ていた(に違いない)
。
込めて言われる言葉だ。これで次作の題
ンヌー」は出来る、後は編集するだけだ
ながら多くの曲を歌った。この中には田
名は「モトシンカカランヌー」で決定。
NDU はこの時点ではリップシンクロ(音
と、そのとき何人かのメンバーはそう考
端義男が「十九の春」という曲名でヒッ
運であったのか ? それとも奇跡だった
のか ? このとき NDU の懐には『モト
えていた(はずだ)
。でもちょっと待て
トさせた「尾類小(じゅりぐぁ)―尻
シンカカランヌー』の上映で得たかなり
声と画像が同期して同時に収録できる技
よ、沖縄の、しかもモトシンカカラン
に尻尾がはえている子という意味で娼
に返還されようとしている。それゆえ沖
縄では 69 年 2・4 全島ゼネストが提起
術のことで現在ではビデオにでもフィル
ヌーたちをテーマにしたドキュメンタ
婦を指す ―小唄」も勿論含まれてい
の製作資金があったのだ。だから「次作
を急げ」が NDU の合言葉だった。NDU
ムでも出来て当然の機能だ)での収録は
リー映画がこんなになんの苦労もなく順
た。ドキュメンタリーの定石、「出会い
は『モトシンカカランヌー』の撮影でイ
された。たとえ政治課題ではあっても、
機材が未対応(コストの問題で)のため
調に進んでいって本当にいいものだろう
の場」が訪れるまでひたすら待ったこ
ンタビュウした娼婦達の多くのが宮古・
もし沖縄全島でゼネストが実現したらこ
不可能であった―インタビュウされて
か ? 確かに手馴れたインタビュウ手法
と―NDU 風にいうなら「執着の論理」
八重山など先島諸島出身であることを
れは是非、記録しておかなければならな
い。早速 NDU は 3 名の先遣隊を準備し
いる彼女達が話す音声と映像を同時に
によってモトシンカカランヌーたち自身
だ)―それが第二作『モトシンカカラ
知っていた。だからもしこの次もドキュ
観、そして聴くことによって言葉の意味
メンタリーが創れるなら、そのテーマは
おまけに(後の)NDU および政治運動
題名と内容
組織である黒ヘル軍団「反戦連合」は、
長年アメリカの占領下にある沖縄が
1972 年、多くの矛盾に満ちたまま日本
当初から無思想・無節操・無展望の「三
無主義」がモットーだ。しかも PR 映画
とはいってもテーマは「反戦青年委員
会」
、彼らが連帯して戦いを展開してい
た反合理化闘争、それに加えて 1968年
10・21アメリカのベトナム空爆反対を
必然的な出会い
執着の論理
て出入国管理法阻止の運動が起こってい
幸運であったのか ? 奇跡だったのか ? た。しかしなにを勘違いしたのか全共
合言葉「次作を急げ」
の話を収録することはできた。しかし考
ンヌー』を一作目より更に進化した方法
タンク輸送阻止闘争。特に中央線経由で
た。残念ながら 2・4 ゼネストは実現し
性を超えた彼女たちの存在そのものが見
えてみれば「インタビュウ」という手法
論で成立させたといってもあながち過言
迷うことなく沖縄本島から更なる辺境
は新宿駅を通過することになり、1967
年 8 月、その貨物列車が新宿構内で炎上
なかったが、それでも先遣隊は復帰行進
えてくる、伝わっていくはずだ。だから
自体はどんなにうまくやったとしてもあ
ではないのだ。 音声と同時に映像を収録できないという
る種の「やらせ」
、または相互の予定調
事故を起こしてしまった。それが 1968
年 10・21 国際反戦デイで新宿駅が新左
次の展開は?
で、というのが全員のこれもまた“暗黙
に帯同しながらの撮影・録音でともかく
も題名未定の NDU 次作がスタートした
ことは沖縄の「モトシンカカランヌー」
和であることにはなんら変わることはな
のだった。勿論、先遣隊を送ったのには
というドキュメンタリーにとっては多
い。NDU の第二作はモトシンカカラン
『モトシンカカランヌー』を公開したこ
とによって NDU は、ルポライター竹中
翼各派の絶好の標的となった大きな理由
復帰行進の撮影・録音以外にもっと重要
労という強力なキャラクターとの新たな
な課題があった。「まだ決まっていない
分、致命的な欠陥になるに違いないと
NDU の何人かは思っていた(はずだ)、
ヌーたち対しては「やらせ」という手法
でもあった。それを中心とした運動のド
なしに創りたい、それが彼女達に対する
出会いを経験することになった。かつて
キュメンタリー、ということも大いに食
具体的な沖縄のテーマ(取材対象という
だからなんとしてもそれを解決しなけれ
ドキュメンタリストの最低限の仁義だ、
朝鮮半島から日本に強制連行されて広
指を動かされたのだった。『鬼ッ子 戦
べきか)そして未定である題名を探す」
ということだった。特に題名は NDU に
ばならない。
直感の出会い
それを実現する状況―NDU 風にいう
島・長崎で被爆した多数の被爆者が韓国
う青年労働者の記録』
。これが最初のド
ならモトシンカカランヌーと我々の必然
にいる。彼らに今もなお続く被爆という
キュメンタリー映画になった。
とってはその中身に匹敵するほど重要な
インタビュウに加えて映像はカメルポ出
的な「出会いの場」だ。そのような場が
過酷な現実、にもかかわらず彼らは日韓
訴える国際反戦デイで米軍ジェット燃料
身のメンバーが行った。ドキュメンタ
井上修
東京都生。NDU の創立からのメンバー。
一時解散後は、竹中労と併走、
『アジア
懺悔行』(76)、
『山上伊太郎ここに眠る』
(77) のドキュメンタリー映画、琉球の音
楽紹介に携わり、多くのスチール写真を
NDU 作品『出草之歌』
残している。また、
の制作・編集・撮影をする。
ここに掲載したコメントは、『燃ゆる海峡
―NDU と布川徹郎の映画/運動に向けて』
(インパクト出版会)に収録されている井上
修執筆の「
『鬼ッ子 戦う青年労働者の記録』
から『出草之歌 台湾原住民の吶喊―背山
一戦』
まで 44 年とそれ以上、NDU 日本ドキュ
メンタリストユニオンとはいったいなんなの
だ?」より抜粋・再構成しています。
(田中芳秀)
リーの取材では殆どの場合、映像と音声
布川徹郎(1942―2012)
の両方が同時に必要となるのだが、どち
福井県生。NDU の創立からの主要メンバー。米国が覆い隠す歴史を暴いた『太平洋戦
争草稿』
(74)や『bastard on the border 幻の混民族共和国』
(76)
。芝居集団・曲馬
館を追った『風ッ喰らい時逆しま』
(79)
。そして『ベイルート 1982 PLO 撤退から
パレスチナ大虐殺まで』
(82)
、
『パレスチナ 1976 − 1983 パレスチナ革命からわれ
われが学んだもの』
(83)などの作品を残す。2006 年には、
『出草之歌 台湾原住民の
吶喊―背山一戦』を井上修とともに 44 年ぶりに制作、撮影。晩年は、釜ヶ崎に居を
移し、NDS(中崎町ドキュメンタリースペース)のメンバーと共に活動した。
らか一方しか必要としないことも多々あ
り、そのようなときは音声班と映像班は
別々に行動することにしていた。キャメ
ラだけを担いで一日中ひたすらコザの街
のあちこちを歩き回っていることがほと
「モトシンカカランヌー」より
の了解”だった。
んどだった。初めての場所やそんなに馴
アケミさん「同」より