Interview 柄谷行人> 「山人」に見る未来の可能性 『遊動論

<Interview 柄谷行人> 「山人」に見る未来の可能性 『遊動論』刊行 斬新な柳田国男像を提示
毎日新聞 14(H26).3.6
(文中の太字は引用者による)
評論家の柄谷行人さんが、民俗学者・柳田国男(1875~1962 年)を論じた『遊動論』
(文春新書)を刊行した。柳田
の注目した日本列島先住の狩猟採集民「山人やまびと」を遊動民(ノマド)として捉え、普遍的な意味を探っている。
柳田には若い頃も関心を寄せ、初期の代表作『日本近代文学の起源』
(80 年)でも、しばしば言及している。昨年秋、
単行本化していなかった 70 年代の雑誌連載を中心とする『柳田国男論』
(インスクリプト)も出版した。
「その間の時
期は柳田に対する興味が薄れていました。しかし『世界史の構造』を出した後、遊動民について考える中で、もう一度
取り組んでみようと思い始めたのです」
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『世界史の構造』
(2010 年)は柄谷思想の到達点に当たる著作だ。今回の本の巻末に収めた評論「二種類の遊動性」
を読むと、柳田との接点がよく分かる。遊動民は 80 年代に流行したポストモダン思想のキーワードでもあるが、その
中で遊牧民と定住以前の狩猟採集民を区別すべきだという。
「見かけの類似ではなく、遊動が何をもたらすかという点をよく見る必要があります。国家を形成し、しばしば農耕
民を征服もした遊牧民と違って、古い遊動民は収穫物を皆で平等に分け合っていた。柳田が山人と呼んだのはそうした
人々でした」
。両者の違いを、異なる「交換様式」に基づくものと見たのは、柄谷さんの独創だ。
ところで、後期の柳田は「一国民俗学」を唱え、
「常民」と呼ぶ稲作農民に対象を絞ったとして批判されてきた。そう
した通念を、この本は鮮やかに打ち破る。
「柳田が『一国民俗学』を言うようになったのは満州事変(31 年)以後で、
日本が大陸への侵略を強め、東亜新秩序を叫んだ時期でした。つまり、時代状況への抵抗だったことが忘れられていま
す」
また、
「常民」を提示した後も、柳田は「山人の存在を否定しなかった」と指摘する。
「実在しない天狗のようなイメ
一ジで語られますが、柳田が重視したのは山人に見られる土地の共同所有や、生産に関する『協同自助』の観念でした。
それは遊動的な生活に由来するものです」
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柄谷さんは現代人に抑圧を強いる世界の構造を、資本主義経済とネーション(民族)
、国家の3者が分かちがたく結
びついた「資本=ネーション=国家」と呼ぶ。これに対抗し、乗り越える未来の可能性を、山人の「協同自助」的な生
活に見たのだ。
「資本=ネーション=国家は、人々が共同的に生きるあり方を分割してきました。行きつく先は、例えば老人の孤独
死など共同性を失った社会の姿として現れています。日本の農業も、TPP(環太平洋パートナーシップ協定)によっ
て市場化が極まろうとしている。現実の問題への対処は難しいですが、私は理論を徹底的に突き詰めることで抵抗した
いと考えています」
斬新な柳田像とともに、柄谷思想の現在を分かりやすく伝える本である。
【大井浩一】
<この文書は、
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