今日におけるセツルメン卜運動と 大学地域協働に関する一考察

今 日におけるセツルメント運動と大 学地 域協 働にl
射する一考 察(
高木)
今日におけるセツルメン卜運動と
大学地域協働に関する一考察
高
はじめに
木 博 史*
性について問題提起を行うことを目的としてい
I
. 今 日におけるセツルメント運動
る
。
l
l
. 今日 におけるセツルメン ト運動の形態
I)学習支倭活動と してのとり くみ
I.今日におけるセツルメント運動
2)多文化共生としてのとり くみ
3)底J
i
j
所づ くりとしてとり くみ
4)今日における I
セツルメン ト運動』の特徴
まず、今日におけるセツルメント運動を考え
i
l
l
. 大学地域協働とセツルメン ト運動
I
V
. 新たな地域福祉活動拠点、
の憐f
誌を 目録して
ていくうえで、そもそもセツルメント運動とは
おわりに
どのようなものなのかに言及しておく必要があ
るだろう内
l
8
8
0
年代イギリス
『
地域福祉事典』によれば、 f
はじめに
において開始されたもので、産業資本主義から
独占資本主義へ移行する過程で形成 ・累積され
今日、大学生の地域活動を表すものとしてセ
た、都市スラム街の下層労働者 ・家族を対象Jl)
ツルメント運動という言葉は必ずしも表舞台に
としたもので f
貧困住民の住む地に、教養があり
登場してくる言葉ではないが、地域福祉の源流
問題意識を持つ中産階級の大学教師や学生、教
ともいえるものであり、ぞの意義は、格斧社会
会関係者などが拠点を設けて移り住み(=セツ
の拡大やグローパル化といった情勢の中、貧困
ルメント)、その生活と自立に必要な知識とサー
の連鎖の解消に向けたとりくみや多文化共生の
ビスを提供するとともに、居住環境や社会制度
とりくみとして再び重吏性を増してきている。
の改善を働きかけて、社会改良を推進したJ2)
セツルメント運動の歴史的経緯は、社会改良
運動である。
運動あるいは社会運動としての側面を強く持っ
とうした経緯から、今日においても大学生が
てきた。一方で、今日においては社会運動その
貧困家庭や不登校児、外国人労働者の子どもな
ものに関心表示す大学牛は少なくなってきてい
セツ
どに対する学稗支援情動は、一般的には、 f
る現実がある。活動に参加する者の中にも自覚
ルメント運動J としてボランティア活動の一つ
社会改良j の意識を持っ
的に 『
社会運動」や f
であるととらえることができるだろう。
ている者は必ずしも多くない。こうした変遷を
その後、活動がわが固にも広がってくるが、
たど ってきたセツルメント運動に積極的な意義
戦時体制に突き進むにつれて、『
戦時中、セツル
を見出していくとするならば、新たな価値を見
メントをはじめ自由な先進的な運動は危険思想
出すことである。
とみなされ、弾圧を受け、人政翼賛運動あるい
本稿では、今円にお付る大学牛の地域活動と
は動員型の一色に統ーされ介内戦後、新しい憲
してのセツルメント運動の実態からその現状と
課題について考察を行いその特徴を整理し、さ
法で 『
福祉を追求する権利をすべての国民が有
し.....• J とうたわれ、社会活動の自由が保障
らにこのセツルメン卜運動を大学地域協働の取
されるようにな った。ボランティア活動発揚の
り組みのーっとして位置づけてい くととの可能
。
基盤が生まれたのである J3)と述べられている
本
岐阜経済入学経済学部准教綬
- 25一
地域経済
第 34号 20
15.3
つまり .創始当初は.貧困を中心とした格差
学力に自信がなく紐歴書の記入等が困難な親.
是正のための社会運動としての一つの手段とし
子育てに不安を抱える親などを対象J4)とした
て行われていたといえるが、今日においては、
ものである。その中心的な取り組みの柱として
必ずしもそうした目的ばかりではない。もちろ
『
放課後学習J を位置付けている。
ん、従来の社会運動的側面が否定されているわ
0
1
2
年度)には、 1
0
9
名の登
この放課後学習(2
けではないが、不登校児の支援や多文化共生の
、 7
0日の実施で、小学生
録者がおり、毎週 3回
足がかりとして、あるいは、活動参加者自身の
を対象として行われた。
0
この活動の担い手は.主に大学生である。 2
自己実現のーっとして行われているものも多い。
また、現代においては、交通網の発達により 「
移
名の登録者がおり、平均で 7名− 9名の大学生
り住むJ必要性が縮小してきたり、「貧困j とい
う言葉をどのようにとらえるか、あるいは、「貧
が、子どもたちと積樋的にコミュニケーション
困J以外の課題を抱えているなど新たな展開を
る。スタッフには事前に活動の目的や意義につ
見せてきているといえるだろう。 また、活動に
いての研修が行われる。
を図りながら勉強を教えるというスタイルであ
参加する担い手の意識としても創始当初のもの
近年、 「
子どもの貧困』がクローズア ップされ
とは変化してきでおり、とくに「社会改良」に
てきており 、「
貧岡の連鎖」についても盛んに語
対する意識は大きく変化してきでいるといえる
られてくるようになった。筆者は、との貧困の
だろう。
今
連鎖が自己責任論と表裏一体の関係であり f
次章では、そうした実態について事例を踏ま
えて考察していきたい。
回、駿屈する 『自己責任』論のポイントは 『
競
争』に負けるのは自分の努力不足であると。誰
でも努力すれば、例えば 『
偏差値の高い大学』
n.
わ が 固 に お け る 今 日 の セ γルメント
に入学でき、卒業後は大企業に就職でき、収入
運動の形態
の高い仕事に就けるかもしれないが、ぞれがう
まく いってもいかなくても、現在の社会状況は
ここでは、今日におけるわが国のセツルメン
『自己資任』だけになすりつけJ5》られている状
ト運動の形態について事例を通して考察を進め
ていくことにする。
況を憂いている。そして、「『所得の高い家庭の
子ども』は、塾や家庭教師といった学校以外の
『
習いごと』によって学力を高めていくととがで
::入れる可能性
きるため『偏差値 ω高い大学』 1
1)学習支援活動としてのとりくみ
筆者は、沖縄県において 『
貧問の連鏑安解消
が高く、その結果、『所得の高い家庭』となる可
現代の寺子屋』プロジェク トj にアドバ
する F
、
能性は高いという言説は一般化しているJ引が
イザー的立場で関わってきた。ここでは、この
こうした状況を克服するための活動としての取
取り組みを通し、学習支援活動を中心とした取
り組みの意義が大きくなってきているだろう。
り緩みについて考察していきたい。
とのような学習支援活動の取り組みは、今日
当プロジェクト は
、 NPOや学校関係者、 地域
では、多くの地域で取り組まれてきており、現
0
11
年度から 2
0
1
2
年度にか
住民の協力のもとに 2
代におけるセツルメント運動の一つの形態とい
けてトヨタ財同の助成手侵けて実施されたプロ
えるがろう
ジェクトであり主に X地区を対象に行われた。
いう目的が一つの大きな目標となっており、セ
n
主
主
子
、 f貧岡の連鎖j 干争解消すると
貧困の解消に向けた取り組みとして、『言葉や発
ツルメン卜運動の起源にも比較的近い問題意識
達に遅れのある児童、不登校児童、学校や聡場
のもとで活動されているのではないだろうか。
一方で、「貧困Jの解消を目的とする活動には
に所属せずにいわゆるニートと呼ばれる未成年
者、外国籍で日本語でのコミュニケーションが
じする現代的な課題も見えてきている。そ
潜在f
十分に取れない親、就労怠欲はあるが基礎的な
れは、そうした取り組みが行われている地域に
- 26一
今日におけるセツルメント運動と大学地域協働にl
射する一考察(
高木)
ここで取り 上げる事例は.市民活動団体であ
対する差別や偏見が助長されるのではないかと
いう懸念や当事者に 「
貧困Jとい う意識がない、
る大垣外国人コミュニティ ーサポー トセンター
あるいはそのような状態であることを他者に知
CAPCOが担い、筆者の勤務校である岐阜経済
られたくないという状況がある。つまり、 「
この
大学地域経済研究所の附置機関と して開設され、
プロジェクトを遂行している地域に『貧困地区』
学生主体で運営を行う 「
まちなか共同研究室マ
であるといった一種の fラベリング』を行って
イスター倶楽部J の学生がスタ ッフの一部とし
いるのではないかという批判J7Jが生じること
てかかわって いる 「
ソンニョ ・ド ・フトロ j の
も予想された。 当プロジェクトではこうした懸
取り組みである。
念を克服するために 「
誰でも気軽に参加できる
「ソンニョ ・ド ・フトロ」とは、ポルトガル
企画J8】をめざす配慮 ・検討を行った。その結
語で f
将来の夢J という意味である。 Z
医者の勤
果、 100名を超える登録者とな ったことは一定
務校 (
以下、本学)の立地する岐阜県大垣市は、
の成果を上げることができたと考えることがで
9
9
0年に行わ
工業を営む大企業も少なくなく 、 1
きる。
れた 『
出入国管理及び難民認定法 (
入管法) Jの、
貧困問題に対応するという意味でオーソドッ
日系人やその家族に定住援を認める改正を行っ
クスな形のセツル メント運動として当プロジェ
た《ぞれに伴い、ポルトガル需長公用語とする
クトの取り組みを とらえるならば、との差別や
日系ブラジル人の移民が僧加してきたと いう経
偏見といった問題は避けて通れないであろう。
。マイスター倶楽部の報告書によれ
緯がある 9)
しかしながら、現在は、そのような問題意識
9
8
0年代以降に渡目した 「
ニュ ー
ば、こうした 1
や対象者との関係性だけでは、もはや取り組み
カマーj と呼ばれる外国人の予どもは 「
異なる
そのものを語 り尽 くすこと はできない。時には、
文化や生活習慣に身を置き、引越 しを繰 り返す
「子どもに教えられるj 経験とも体験する 乙とが
主に教育や人間関係が変化し
傾向が強い。そのj
あるだろう例セツルメント運動の創始当初は、
ていく中で、不安やストレスミモ抱えることが多
大学生はある意味では 『
特権階級Jであり、参
、さらに f
親たちは仕事に忙し く
、 子ども
くJ10)
加者自身がその立場を f自覚J していたであろ
とのコミュニケーションの時聞がとりにく い上
、
うと考えられるが、大学進学率が飛躍的に向上
日本語を党える機会が少なく 、子どもの教育に
し、大学の大衆化が進んだことが対象者との関
関して必要な情報が不足しがちにな った り、理
係性に影響を与える要因のーっといえる。
解できない傾向にあるJ川 と指橋 している。
こう した状況から 、外国人の子どもは学校で
このように今日 におけるセツル メント運動は、
問題意識や対象者との関係件と いった側而にお
の牛訴に適応することに時間がかかった り、あ
いて、一定の変化を遂げてきたといえるであろ
るいは困難を抱える ことも少なくないが、学生
。
つ
お姉さんJといった位置づけ
を I
お兄さんj や 「
で、自分に近い位置にいるi
f
在とし意識し、時
2)多文化共生としてのとりくみ
にはさまざまな相談も含めたコミュ ニケーショ
次に、「多文化共生」の取り組みというべき事
ンを行う場と して、まさに「多文化共生の場j
例について考察する。基本的には学習支援活動
の提供としての取り組みであると いえるだろう。
としてのと りくみでああが、前述し弁事例がキ
:
−ちも、その
宏
文
子、担い手とすあ参加すゐ学牛 t
に f日本人の子ども j を対象としていたものに
様子から子どもたちとの 「
勉強を教えるj とい
対して、主な対象が 『
外国人の子ども J となっ
うよ りも、そのことを一つの手段として子ども
ている事例である。必ずしも 『
貧困Jや 『
貧困
たちとの交疏を交しみたいという意識であるこ
の連鎖の解消j を念頭においたものはなく、コ
とがうかがえる。そのような意味では、との場
ミュ ニケーション能力の向上なども含めた取り
:
、 I
勉強を教えるJI
教わる j という機能
が単 I
組みとなっている点が特徴的である。
別
だけでなく、それらを包含しつつも、も っと f
-27一
地域経済
第 34号 2015.3
の機能J が求められていることが示唆されてい
ろうか。それは.セツルメント運動の従来の目
る。そして、そのことがまさに「多文化共生J
や 『
居場所づくり J といったものである。セツ
的である 「
貧困の連鎖の予防や解決J に向けて
の取り組み、様々な国籍の子どもたちを含めた
ルメント運動と「居場所づくり j の関係性につ
『
多文化共生』 としてのとりくみから広がった
いては次節で言及することとする。
「居場所づくり j の概念である。
また、との活動の特徴ーっとして大垣市の委
『
居場
中島喜代子らは、「居場所Jの定義を f
託事業として行われているということもあげる
所』は他者から認められたり 、他者から自由に
ことができるだろう。こうした取り組みは‘最
なって自分を取り戻したりして得られるような
初は問題意識を持った人々や組織によって活動
『自分を確認できる場所』と定義J12)している。
が開始され、広がりの中で行政との連携や支援
を引き出すことになっていくが、行政の支援を
居場所j の概念は、 1980
年代に入り、少
従来、 f
年犯罪や少年非行、いじめなどの問題が深刻化
引き出すことは容易ではない。その取り組みの
し、自殺や不登校の問題などが社会問題化し始
実績や効果が蓄積されていることが重要な判断
めた頃に登場してきた概念である。
一方で、セツルメント運動は、すでに述べた
基準になる。そのような意味では、この取り組
みの意義が行政安電力かしたといっても過言では
ように一定の教義表有する中芦階級以上.の大学
ないだろう。一方で、行政の支援を受け続けて
関係者を中心とした取り組みであったととを考
いくためには諜題も大きい。修者は、生活困窮
えると、明らかに「教えるJ「教えられるJの関
者支援の領域の研究を行っているが、学習支援
係性の中で取り組まれてきたものであるといえ
活動は行政の支援を受けているところも少なく
階層J
る。そこには明らかに 「
階級j あるいは 「
ない.特に学習支援活動の場合、参加者数や進
の優位性が存在し、その関係性は現実問題とし
学にどれだけ貢献したかといっ数千やデータと
て「上下関係J である側面は否定できない。そ
いったものに日がいきがちになることであるの
のような意味では、セツルメント運動における
多文化共生」や、後ほど詳しく言
このことは、 f
居場
対象者と活動の担い手の関係性の中では、 f
及するが、『居場所づくり j という価値観とは時
所J を創出していくこと自体は大きな目的とは
には相反することにもなりうる。参加者個人の
されていないといえるだろう。
ペースでゆっくりじっくり向き合おうとすれば
しかしながら、今日の活動には、必ずしも、
するほど数字やデータとして表れるものは必ず
社会改良Jや f
社会運動」に積極的
自覚的に f
しも良い方向へ進むとは限らないからである。
にかかわり 、「勉強を教えるj という行為こそが
この活動はぞうした葛藤やジレンマ接合みなが
そのことにつながっているのだという意識が情
ら継続されてきたものであることにも言及して
動の中に顕在化、あるいは潜在化しているとは
おきたい。
いえない。例えば、最初に取り上げた貧困の連
鎖を解消することを目的とした事例においても、
3)「居場所づくり J としての 「
セツルメント
運動」
プロジェクト終了後の報告書において、子ども
たちと大学生ボランティアの関係性を示唆する
二つの事例を通して見えてきたことは、入学
勉強を教えてもらうというよりも
ものとして f
牛が中心となり学宵支援常勤という手段手通し
ボランティアと話し弁い子が多い内お気に入 η
て活動を通して、子どもとのコミュニケーショ
のボランティアさんがいるときに合わせてくる
ンを図る取り組みであるところは共通している。
子もいたj 「子ども遥の言葉づかいが荒かったj
一方では「貧困」に対する構造的視点の希薄化
といった芦や、大学生ボランティアの側からも
も否定できない状況であるが、そとうした活動
『
子どもたちと勉強以外の面で関わりをもてた
が従来のセツルメン卜運動の視点に加えて、新
ら良いと思うJ といった声も上がっていたゆ。
たな価値を創造しているといえるのではないだ
ことからもそのことが示唆されているといえる
- 28一
今日におけるセツルメント運動と大学地域協働にl
射する一考察(高木)
だろう。
中村みどりは.日木の大学セツルメントにつ
いて 「
歴史的事実の一部として記録される日本
4)今日における 「
セツルメント運動Jの特徴
の大学セツルメントは、その活動の源流である
こうした活動実態を踏まえ、今日における 「
セ
1
9世紀におけるイギリスの大学のセツルメント
ツルメント運動」を再考してみると活動参加者
の精神を受け継ぎ、『大学拡張』と『社会調査』
における社会改良や社会運動的側面の意識は希
を柱としてなされた大学人(教員と学生)に よ
薄化してきている といえる。
る活動として、戦前から戦後にわたって展開さ
一方で.こうした 『
居場所づくり j の側面が
れた。そこでは.大学での研究と教育活動は.
活動に目的の一つにな ってきていることが一つ
科学的に社会問題の解決に対峠することにあ
の特徴であるといえるのはないだろうか。そし
てこの 『居場所」 というのは、従来 『
対象者J
り、大学人が果たすべき社会貢献への精神が明
確に貫かれていた」 川 ことを指摘している。大
として参加していたもののみならず、活動の主
学の地域協働は、「その大学がなぜその地域にあ
居場所Jと
な担い手である大学生にとっても f
るのか? J という 聞いに対する答えでなければ
して機能しているということである。
ならな い
。 地域で必要とされない大学は
、 言う
もちろん、今日、全同で取り総支れている同
;
tでもなく学牛にも必要とされないのである内
様の取り組みは、もはや「セツルメント運動J
そのような意味では、地域協働というのは単な
ではないと いう議論も想定できるが、時代とと
る「理念J のよう なものだけでなく具体的な手
もにそのあり方や目的が変化しており、積極的
段と方法で示されなければならない
。 大学は 「
知
な意義を見出すこともできると いえる。そのよ
の集積j と称されることもしばしばであるが、
うな意味で、本稿では、貧困問題に対応すると
学生Jや f
教
蓄積された 『
知J を、あるいは f
いった活動のみならず、多文イじ共生にとりくみ
員J といった人材をどのよっにどのように地域
といった同様の常勤についても「セツルメント
に還元していくのかが常に問われているといっ
運動J の範障に加え考察を行ってきた.
大学人」とされて
てもよい。また、ここでは、f
いるが、やはり組織的な対応がなされるという
i
l
l
.セ ツ ル メ ン ト 運 動 と 大学 地 域 協 働
ことが強力な支援体制の構築につながるという
ことを考えれば、大学の社会貢献活動のーっと
ことまで、今日におけるセツルメント運動の
して位置付けるととには違和感はないであろう。
活動について二つω事例を通して考察を進めて
また、中村は 『
学生の精神的成長や懇善意識の
きたが、セツルメント運動の制始当初の思想や
高支 ηは、社会貢献活動安行うことに限らず、
方法を必ずしも受け継いでい るわけではないが、
あらゆる場における様々な体験が影響し合って
時代とともに形を変えながらも、それらの活動
育成されるものであると考えられる。そうした
そのものは広く浸透してきたと いえるだろう。
人間形成の過程の中で学聞を体系的に学ぶこと
そのような意味では、積極的な意義を持 ってい
と、自分の社会的な役割はとは何かという とと
るが、こうした活動は、事業性や収益性が低い
に触れたときに、自立した連帯的意識とそれを
ので、やはり何らかの支援がなければ継続する
ことに岡難接伴う内一方で、そこに参加する学
実現に移すための行動が学生の中に生まれてく
あ
」 15》と指摘し、こうした学び存支える体制存
生が地域の子どもたちとの交流を過し、人間的
整備していくことに取り組んでいくことが f
大
にも成長していくことを考えれば、地域におけ
学教育の社会的意義としていっそう求められて
る人材の育成や大学などの社会貢献活動として
いく j附 と述べている。セツルメン ト運動は社
は多いに有効であるだろう。そとで、ことでは
会貢献活動の一つである。中村が指摘するよう
セツルメン卜運動と大学地域協働活動について
に多様な体験が学生の成長を促すとするならば、
考察を進めていく
。
学習支援活動を通した子どもたちの交流は、地
- 29一
地域経済
域貢献や社会貢献という枠内にとどまらずに教
第 34号 20
15.3
り組みが必要になってきているのである。
育の一環として位置付けられるべきであり、そ
ここまで見てきたように、今日におけるセツ
うした機会を提供してくれる活動の支援や場の
ルメント運動は、形を変えながらも新しい段階
提供は大学の存在目的にも合致するといえるだ
を迎えてきたといえる。ここに、大学の地域協
ろう。
働の取り組みとして強力な支援体制が整備され
とれまで、セツルメン卜運動は大学の意思と
るならば、大学の地域協働のあり方を模索して
は関係なく学生たち、あるいは関心を持つ一部
いく上で一つの有効な手段ではないだろうか。
の教員の自主的な活動として発展してきた。し
そのためのはまず‘拠点、の準備である。学生た
かし、大学の存在意義の原点を問い直す時、大
ちが取り組みについて準備し、話し合い、振り
学そのものがセツルメン卜運動の拠点であって
もよいと考えることもできる。一方で、貧困問
返ることのできる場所=空間の提供である。こ
れは、 何もセツルメント運動に限らず多くの取
題だけが解決すべき問題ではないということも
り組みにも共通していえることである。幸いに
事実であり、それに対応するために様々な学問
も筆者が勤務する岐阜経済大学地核経済研究所
体系が発展してきた。多様化する学部や学生の
ま
には、大学外に、しかも大垣市の中心部に f
中で、大学本来の力詩集約する場が必要である例
ちなか共同研究室マイスター倶楽部」という拠
筆者はそれが、大学の強力な支援があるセツル
点を所有している。とれは、大学の地域協働と
メント運動拠点、ではないかという選択肢を提示
してすでに一定の資棋として位置付けることが
しておきたい。
でき、こうした発展させる取り組みとして活用
また、筆者は、今日のセツルメン 卜運動の特
することで新たな地域福祉活動拠点の展開が図
徴として「居場所J について述べてきたが、多
られていくのではないだろうか。また、教員も
様化する学生像の中で自己肯定感が低い学生も
単に間人的な研先の対象のみとして関わるので
少なくない数で存在するのこうした活動に関心
はなく、大学の地域貢献活動であること若年向党
居場
を向け参加を促していくことで、自らの f
し、学生の取り組みや活動に積極的に参加、助
所J を見つけることができるのであれば、それ
言などを行っていくことでさらによい循環が生
を支援していくというのも大学の貨務ではない
まれてくるであろう 。そのことが大学地域協働
だろうか。学生が元気になることで地域が元気
を実体のあるものとしていく新たな地域福祉拠
になるといった循環を作っていくととが求めら
点の織築につながっていくのではないだろうか。
れている。
おわりに
N.新 た な 地 場 福 祉 活 動 拠 点、
の構築を
目指して
本稿では、今日におけるセツルメント運動が
学地域協働に関して考察を進めてきたが、 『
セツ
大学の地域協働を考える上で、近年の地方私
ルメント運動Jのその目的ゃあり方を微妙に変
大をめぐる状況の問題を避けて通ることはでき
化させながら今 日に至っていることを明らかに
8
歳入口の減少とともに地方の私立入学
ない
。 1
し、時代に求められる形とそれに対応する入学
は非常に経常が難しくなって者ていゐ内学内が
地域協働のあり方について新干の問題提起存す
けでの教育活動に終始していては、大学として
ることができた。
の存在意義も危うくなることから地域貢献活動
一方で、事例を通した考察を行うことで実態
を掲げている大学も少なくない。 しかし、地域
については、一定の考察はできたが、理論的 ・
貢献活動といったときに、単に公開講座などを
歴史的背景からの分析や検証については十分で
開催し、地域住民に受講の道を開くといっただ
はなかった。大学地域協働のあり方についても
けでは十分でない。具体的な地域との協働の取
具体的な方向性としてセツルメント運動に対す
- 30一
今 日 に お け る セ ツ ル メ ン ト 運 動 と 大 学 地 域 協 働 にl
射する一考察(高木)
る支援は一つの有効な手段であることの提示は
行うことはできたが、他の活動との連関やその
効果の検証までは行えなかったことは今後の残
された研究課題である。
・白木博史 『
1
i
凶の連鎖を解消する 『
現代の寺子屋』プロジェ
ク卜の成果と課題(緑終報告}』『長 野 大 学 紀 要 第3
5
巻第
2号J 2
0
1
3年
•r
岐阜経済大学まちなか共同研究室マイスター倶来都活動
報告書』 2
01
4
年
守
・銭関空E
r
社会福祉の健史とボランティア活動
ーイギリ
スを中心として 』大阪ボランティア筒会. 1
9
8
0
年
・中ぬ喜代子 l
貸出阿 ・小長井明;
:
;r
r
@
t
冒所』慨念の検討J
F
三重大学教育学都研究紀要 自然符学 ・人文科学 ・社会科
0
0
7
年
学 ・教育科学』 2
【
注】
・中村みどり「大学における社会民献活動の意義について
一入学七ツルメントのl
歴史から見いだすもの ーJ『上智人
l)日本地域福祉学会編集 『地域福祉事典』中央法規‘ 3
7
6
頁. 1
9
9
7
年
学教育学論集(4
8
)
』.2
0
1
4年
・岐阜経済大学まちなか共同研究室マイスター倶楽部
rso
叶1
0d
of
u
l
山百プロジェクトパンフレット J
2)同
3)岡、 3
2
6
頁
4)『
貧困の述鎖を解消する現代の 『芽子屋』プロジェクト j
『トヨタ財団 2
01
0
年度熔峻社会プログラム応募用紙』
5)高木博史「八無縁社会と現代の貧困」山口道宏編著『無
l
j
l
ゆ
身i
l
?
i
鯵社会の老い ・狐立 ・貧困』現 代3館
‘
縁介護
2
0
1l
半、 5
l
l
"
i
6)同
7)高ぶ1
専\!! 『
貧困の述鎖を解消する r
現代の寺子屋』プロ
長 野 大 学 紀 要 第3
4
巻 第 1号』
ジェクトの中間報告J r
2
0
1
2年. 6
6
頁
8)阿. 66頁
9)岐阜経涜大学まちなか共同研究寒マイスター倶楽部活動
緩官三i
'
.2
0
1
4
年. 9
5
頁
1
0
)同‘ 9
8
頁
11) 同
1
2
)中島高代子 ・演出円 ・小長井明夫 『
r
居均所』慢念の検
討j r
三重大学教脊学総研究紀妥自然科学 ・人文符学 ・
社会科学 ・教育科学』 ;
>
0
0
7年
、 88
民
1
3
)高木!
I
l史 『貧困の述鎖を解消する『現代の存子屋』プロ
Y.
r
.クトの成果と課題(良終報告) J 『
長野大学紀'&!
第
3
5
巻第 2号』 2
0
1
3
{
匹
、 5
3
頁
1
4)中村みどり f
大学における社会政献治動の忍・漢について
上智
一大学セツル メントの歴史から見いだすもの−J 『
.
m(48)ι201411". 43頁
大学教育学翁
1
5
)問、忌3
1
'
.
i
1
6
)同
【
参考文献】
・日本1
1
!
!峻布1
祉学会編集 r
!
I
!
!
媛福祉事典』 中央法媛、 1
9
9
7
年
•r
.
;本陣史
f
八無緑社会と現代の貧困J '
"口近宏編著
F
無縁
介 護 単 身 高 働 社 会 の 老 い .{
!
I
i
立 ・貧 困』現 代3館
、 2
0
1
1
年
.,高木博史 f
貧困の連鎖を解消する 『
現代の寺子屋』プロジェ
ク卜 j の中!日l
報告J『
長野大学紀:
l
.
l
! 第34巻第 I号』
- 31一