2月 1日(日)カタール・ドーハ に到着

セール ザ ガルフ / カタール国際レガッタ
2015. 2.3 ~ 7
(同時開催:カタール マッチレーシングカップ2015)
大会グレード: マルチクラスでの国際レガッタ、 6艇種
19ヵ国が参加
主 催 者 : カタール セーリング & 漕艇連盟
協
力:カターラ(地区)
公式日程 : 2015.
会
場: カタール国、 ドーハ カターラ
2.3 ~ 7
大会構成: ① OPチームレース (QAT2チーム、UAE2チーム、BRN, IND, INT の 計7チーム)
② フリートレース
10レース
艇種 / A海面: OP, B海面:レーザー 4.7、 レーザーラジアル、 レーザースタンダード、 ホビー16、 470、
(ヨーロッパ、アジア、南米、豪州 の 19ヵ国から97艇が参加 )
カタール セーリング & 漕艇連盟:会長 Khalifa Mohd Al Sewaidi / QAT
テクイカル アドバイザー :
Captain A R Arshad / PAK
レース委員会:委員長 Giuliano ‘Carlo’ Tosi/ ITA(B海面)
チーフ メジャラー
荒川
渡
Alen Kustic /CRO(A海面)
プロテスト委員会:委員長 Luigi Bertini / ITA
Pilsung Lee / KOR
Juhani Soini / FIN
Vladimir Pavlov / RUS
Essa Busmait / BRN
Costas Tsantilis / GRE
Icarus Sailing Media
https://www.youtube.com/watch?v=hSq9xX2BMQE
2月 1日(日) カタール・ドーハ
に到着
12時間の長い夜間フライトの後に、カタール航空803便は、早朝 4:45
ドーハ・ハマダ空港に到着した。
ホテルから出迎えのバスに乗り、まだ
暗い街を走る。同乗の客は 日本からの新婚旅行カップルで イタリアへ向
かうトランジットで立ち寄ったと言う、刈谷と北海道からの2名だった。
中東のこのあたりの国は、今や世界の十字路、旅客と物資輸送の中継地
として栄えている。同じアラブ国ながら油の産出量により 当たりくじを
引いた国は豊かで、はずれくじ を引いた国は
経済的に苦しんでいる。
アラジンが魔法の石油ランプを擦った事で、蜃気楼のような大都会が
突如として出現し、オイルマネーが乾いた土地を灌漑する水のように砂漠の国を潤す。国際イベントを企画することは、
国の地位を高めるための必要経費。そのおこぼれで私も「Sail the Gulf 国際レガッタ」に計測員として招聘された。
この国で計測員を務めるのは2回目、2013年10月にも「Sail Qatar」と言う大会で招聘されており、その時の経験を
活かすことができる。それは日本人は私ただ一人なので、選手を一緒に連れて来れば 選手にとっても 私にとっても
楽しく有意義な時間を過ごすことができると言うアイデアだ。私のクラブの松原穂岳君を誘うと、一緒に来てくれる事
になった。彼は弱冠14歳、昨年の11月まではOPに乗っており、全日本でOPを卒業し、レーザー4.7を始めたばかり。
松原 穂岳
1
もぬけの殻 の クラブ
ホテル
で落ち着き朝食を取ると、丁度 8時頃と
なったので、まず、主催者のアルシャド氏
に挨拶しようとタクシーをドーハ セーリン
グクラブ に向ける。降りてビックリ、写真
のような立派な建物は廃墟となり取り壊
この建物も
今は無い。
されていた。何も聞いていなかったので
頭の中は真っ白となったが、近くの人に
聞くとカターラに移転し『Very far』とて
も遠い所らしい。タクシーに乗り海岸伝い
に20㎞程走る。カターラは文化村などがあ
り、また展示会場用地として確保されて
いる所だった。降りて歩いてディンギーの
マストを探し、やっと遠くにあるモノを見
つけた。アルシャド氏に会い、訳を聞くと
空港からの幹線道路の側道に面していた
旧クラブは、子供達にとって危険な立地
2013年に来た時の ドーハ セーリングクラブ
条件なので2ヶ月前に移ったと言う。
大会主催者の カタール セーリング連盟は ほとんど
アルシャドが切り盛りしている。 面会していて
も傍らで順番に人が待ち、それぞれ3-4分ずつ
の打ち合わせする。 大会直前の準備でとても
忙しそうなので、お勧めの観光スポットを聞い
てから
早々に会場から立ち去る事にした。
到着日の今日から大会に集中するのもいいが
最終日が土曜日でその夜に帰国しなければ
ならない事情から 観光するには今日しかない。
アルシャドが勧めてくれた5つの選択肢から、
今迄 見たことのない世界が広がる
デザート サファリ の半日ツアーに決めた。
砂質はサラサラで足跡は風ですぐに消える
サファリの語源
はアラブ語で旅
の事。ドーハか
ら南西に60㎞
走り、サウジア
ラビアの国境に
この崖を4WDで降る
達した。
2
入口の駱駝の所でタイアのエアを抜き
ここでまたエアを入れて一般道に戻る
2月 2日(月)前日/
朝
プラザ イン ドーハ は 役員用のホテル、まだ
ほぼ誰も到着していない。運営スキルを国際レベルで維持するために、ジュリー、
レース委員 の多くを海外から調達している。
昔、第3回 OPアジア選手権は
タイで開催し、レース委員長だけが派遣され、現地のスタッフが信用できず、
委員長自らがすべてのマークを打ち、スタートのスリットを行い、スタート後は
フィニッシュ艇に急行し、順位を取る。という神業のような事をしていたが、
それよりも、いつもの慣れたチーム一式をレース委員長が連れてきた方が良い
運営ができると言うものだ。
役員達は、昼から夜にかけて続々と到着した。
ホテルの食事は とても良かった
毎朝 8時
バスが
迎えに来る。
往きは15分
で行くが、
帰りは
ラッシュで
1時間かかる。
カタール人
の乗る車
チームレースの練習をしている QAT
会場に行き 借用艇で早速練習を開始
レース日程
2月 3日(火曜日)
09:00 ~ 16:00
公式到着日
受付(登録)および 計測
13:00 ~ 16:00 OP チームレース
13:00
2月 4日(水曜日) 09:00
11:00
OP以外の練習レース
チームリーダース ミーティング
掲示された書類は、各国宛の箱に
そのコピーが入っており持ち帰る。
レース 1,2&3
2月 5日(木曜日) 11:00
レース
4,5&6
2月 6日(金曜日) 13:00
レース
7&8
2月 7日(土曜日) 11:00
レース
9&10
夕刻
レター箱(pigeon hole) と 公式掲示板
閉会式 & 夕食
たった1艇で練習する穂岳 対岸は埋め立て地で 高級住宅街 パール 戸建ての地域一帯は
カタールのパスポートが無いと立入禁止。マイホームに入るのにパスポートがいるなんて おかしな国だ。
さっそく計測を開始
昨日 観光で遊んだために、計測の準備は何もしていない。
スタッフ達も 私が来てくれれば大丈夫、と思っている。2013年の時には、ある程度用意してくれ
ていたが、今回は ただ大きなセール計測テーブルが備わっているだけだ。 アルシャドに OPのセー
ルテンプレートはあるか? と尋ねると、「倉庫のどこかに 転がっているんじゃないか?」とそっ
けない。他の計測員はヨハニが IJ として来たが今日は暇なので手伝ってくれる。彼は国際OP協会
の副会長(ヨーロッパ水域)を2年前まで勤め、母国フィンランドでは 公式計測員とレースオフィサー
の仕事もしていると言う。ヘルパーは前回活躍してくれたビドーだけ、資料はエントリーリストのみ
計測フォームが欲しい と言うと、コピーしてきたのは なんとOPの セール基本
計測用紙、なにも解ってはいない。QATのコーチが、明日はOPのチームレース
があり 午後にはその練習したいので先に計測したいと言ってきた。それで計
測項目はエントリーリストの余白に書き込み、今夜私がフォームを作り明日それ
に転写する事にした。本大会はマルチクラスで この体制では限度がある。大会
スタンプもない、計測日は今日と明日だけ。それで思い切ってセールの厳密な
計測はOPのみとし、他クラスはセールの証明とセール№のチェックだけとした。
Juhani Soini
大会計測フォームを 夜ホテルに帰り作る
各装備にはサインで大会限定使用を印した。
3
2月 3日(火)公式到着日
OP, レーザー3艇種、470、ホビー16
のうち、昨日は OPとレーザーを先着
順に計測したが、午後からOPのチー
ムレースのため、他をストップする。
ヨハニは IJ の持ち場に戻ったため
不足分に、丁度風が無くて手の空い
ていた穂岳を充て 助けてもらう。
午後は、OP以外の艇が 大きすぎて
テントに入らないために、ビドーは
2台の救急車が
常時待機していた
バース計測(サインのみ)を行う。
アルシャドは 人員補強で ウーシャさん
を補充してくれた。彼女は
計測知識もあり、昨年バーレーン
/アジアで一緒に計測を行った
バラ の奥さん。今回は子ども2人
とインドチームとして来ていた。
午後、海上ではチームレースをしている。
イカルスと言う 空中撮影を
得意とするメディアチームが
来ていた。
午後、何とか風が出てきたので 穂岳は海上練習に出る。
遅くまでかかって 決勝はUAEとINDが対戦い、インドが優勝!
RRS付則 G3について
OPのセールについては IODA大会
ビドーはエジプト出身、カイトセーラーだ。体重が106kgもありながら
バック転ができる。レース前は計測補助員、レース中は
のテンプレートを用いて計測したが、それ以外の艇種はセールのタックに
レース運営員として活躍。 車で送って
ある証明と、セール№ をチェックするのがやっとの状態、セール№ は
くれたり私達の面倒をよく見てくれた。
クラス規則を満たしていないものが多いが、帆走指示書の 1.規則 -1.6
『規則 G3を適用し、借用艇については、レース委員会が裁量する。』
を解釈した。G3は『レース公示や帆走指示書に記載された場合は、借用
艇の国籍文字やセール№は クラス規則に違反していても良い。』という
もの、本大会は全艇 借用艇なので、国籍文字なしで1桁の番号でも良
い事とした。しかし同じ番号が数件あり、これでは成績が混乱するので
後から計測した艇に付いては番号を変更させた。また OPのNED320は
選手は BEL(ベルギー)だが貼り換えられないのでそのままとされた。
4
ポルトガルの470選手
ホビー16 のセイルは大きい
2月 4日(水)レース初日
今日の11時からスタートするが、まだ
計測を受けていない艇がかなりある。
不参加かもしれないが、事務局と裏を
取る暇もなく 公式掲示で催促した。
中には 今日到着して計測もせずに出艇してしまう
艇もいた。 また 計測フォームが未返還やサイン忘れ
も多く、対策は帰着時に待ち伏せするしかない。
国際大会は多国籍がごった返しなので、虱潰しが
一番いい。
全艇が出艇し、明日からの海上計測
について打ち合わせしようと事務所に向かうと、
アルシャドが向こうから来る。話しかけると「歩き
ながら話そう。」本当に忙しい人だ。2013年の時
には 全艇種を海上計測したが、あまり効果的では
なかったので、OP だけに絞る事にした。今年秋に
開催する OPアジア/カタールに向けて、IODAの海
上計測がどういうものか、新しい選手にアピールし
たい意向のようだ。「DPIを持っているか?」と聞
かれ、「ホテルのパソコンにある。」と答えると、
すぐに取ってきてくれと言われた。私は送迎バスに
ただ一人乗り、ホテルを往復した。
穂岳
3レースを実施、穂岳は 7位ー10位ー7位
DPIとは 違反に対し、
その重さを裁量して下す
判断の基準。ジュリーは
IODAの発行したこの表
がないと 適切なペナル
ティが与えられない。
6名分コピーし配布した
5
2月 5日(木)
レース 2日目 / 会 場 点 景
相変わらず計測フォームが揃わないが、その合間に会場ウォッチング
向こうから歩いて
くるのはビドー。
左は B海面 のブイ
右の2艇は A海面の
運営艇。スタートの
ピンエンドが、スター
トしてから移動して
フィニッシュ本部艇
を務めた。
出艇・帰着申告は タリ-方式
会場はすべてが仮設、写真上から2番目はレン
タルトイレと更衣室。右手前のレーザー5段積み
カタールはセーリング & ローイング連盟なので 漕艇も置かれていた
は、トロリーが そのまま積めば ラックとなる
優れたアイデア。
彼女らはヨットを知らないボランティア
受付嬢
各種フォーム配布所 案内所
ただし 配布のみ、提出は所轄へ
ランチ配布所
欲しい人には誰にでも配る
アバウトな方式
6
休憩 エリア
Opti
フリートレース / A海面
R-4
スタート直後
私の持ち場は、A海面(OP)の海上計測。B海面の穂岳とは離れ離れ。
この日は風のコンディションが悪く、R4は一度ノーレース。再スタート後
は1レースが出来たものの、R5はまたノーレースとなってしまった。
風の吹きそうな気配は 全くない
帆走指示書で 1マークまで25分以内に達せず N旗(ノーレース)が揚がる
ウーシャの 娘 Nithya (11才)は
本部船の50m風下に
女子3位で入賞した。
マザーボートを待機させているので
風待ちで乗り込む選手もいる。
海上計測とはフィニッシュ直後に、10位までのうち 3艇を選び、
レース中にクラス規則に違反していたかどうかを検査するもの。
OPは 伝統的に、年少者クラスゆえ 安全規定にシビアである。
レース前計測が 調整できない項目を計測するのに比べ、調整で
きる項目については レース直後に行う以外にない。
センターボードが透けるほど 水がきれい
風が吹いてきて再レースのクラス旗UP、ジュリーは ヨハニ(FIN) と リー(KOR)
R-4 再スタートの瞬間
R-4 の計測順序は ジュリーの指示で
3位、7位、9位 を検査する。なんと
3位は ウーシャの息子 Mahesh(13才)
が入ってきたので 彼女はとても喜ぶ
IND13820 、IND1356 、NED3200
の3艇とも 合格 だった。
7
ウーシャ Balachander
2月 6日(金)
レース 3日目 / イスラム休日
金曜日はイスラムの休日なので午前はレースをせず 回教徒はモスクに行くらし
い。バスは10時の迎えなので ホテルでくつろいだ。陸上計測の方は 1日目が吹い
たので、昨日は装備の交換、ホビー16のハルの浸水で 交換手続きがあった。計測
フォーム回収のほうは、昨日ほとんど片付き、470の PAK6だけがホテルに忘れて未
回収だったが、今朝届けてくれて完了した。レース開始後 3日目までかかるなんて
事は前代未聞、この土地柄をよく表している。
ビトー、ウーシャ、私 は人手が少なくも 計測
チームの目的を達成した事を喜び合い 写真を
撮った。
ポカリスェットの
クーラー、
発泡スチロール製
セール計測テーブル
カザフスタンの
レーザー選手
昨日の穂岳は7位だった
本大会 インドは大奮闘。チームレースの優勝。 個人戦優勝は
写真左の IND1356 女子3位入賞の IND1394 総合3位にも
インドが入り、そして1位から6位迄に IND選手は4名いた。
IND1394
IND1380
IND1356
ホビー 16
マルチクラス大会は
R-5 / 安全規定の違反者続出
艇種がにぎやかで楽しい
指定された3艇、QAT1、BRN118、QAT88を検査する
と、センターボードがハルと結ばれていない(NOT TIED)
パドルを積んでいない(NO PADOLE) 笛がない(NO WHIST
LE) 艇が続出。それぞれの選手に対してレース委員会から
抗議すると伝える。すると見ていたコーチが寄ってきて
「チャーター艇で配布されなかったから積んでいないん
だ。」と言い訳する。彼はバーレーンのカシム、昨日まで
はA海面で運営をしていた筈だが、今日はB海面でコーチ
をしている。彼は昨年のOPアジア/バーレーン大会では
QATのコーチ艇 今年のOPアジアはカタールなのでイタリアからコーチを呼び強化
8
キーパーソンとして腕を振るった海軍大佐/キャプテンだ。
しかし、レース公示には チャーター艇はスパーとフォイルしか供給されない、
選手はセールとパドル・あか汲みを持参すること。と太字で明記されている。
また帆走指示書は各艇種共通だが、安全規定にはOPだけの追加記述があり
笛・パドル・あか汲み等の搭載が具体的に書かれている。これらは OPに
とっては誰もが知る 確定された手順なので、審問でくつ返すことは難しい。
しかし カシムは怒り心頭に達し「他の艇も搭載していない筈なので写真に
撮ってみんなが違反している事を証明する。」と的外れな事を言っている。
整理すると、QAT1=①センターボード(NOT TIED) ②パドル(NO PADOLE)
BRN118= ①センターボード(NOT TIED) ②パドル(NO PADOLE)
計測艇はドライバー付のレンタル艇
③笛(NO WHISTLE)
QAT88= ①センターボ
ード(NOT TIED)
②パドル(NO TIED)
③笛(NO WHISTLE)
R-5 のフィニッシュを待つ計測艇 2位 4位 6位 を検査する
と もうボロボロだった。
これらは 基本を指導す
るべきの コーチが悪い。
6位の QAT88
1位フィニッシュのオランダ女子
4位 は BRN118
R-6 /計測 異常なし
3位はIND 2位はQAT
2、4、6位を
計測艇に呼び寄せる
ニーナ
アレン
ウーシャ
ニーナは A 海面のレース委員長 アレンの部下、仲間4人と共にクロアチアからやってきた。フニッシュのアンカーリングで一度スリップして
大き過ぎるアンカーで打ち直したことがあり、又少し吹いてきたので、計測艇に大きいのを取ってきてくれと頼まれた。アレンに言うと
「大丈夫だよ、彼女は心配性なんだ。」そのアレンは必ずU旗を揚げてスタートする。私はウーシャに『アレンのあだ名を考えたよ。Uフ
ラッグ アレン』と言うと彼女は大笑い。R-6の海上計測は IND1356、IND1380、IND1399 と偶然すべてがインドだったが全く問題は
なかった(これが普通)インドナショナル選手権では、上位3艇、中位3艇、下位3艇を計測すると言う。特に下位が大切と言っていた。
穂岳は5R-8位 6R-3位
帰着は夕方となり、自力で
黄昏時に帰ってきた。こち
らでは 手を振れば 運営が
曳いてくれるが、黙ってい
れば『ほっといてくれ』と
の意思表示らしい。B海面
クネクネしたビルは“ジグザグビル”
遠くから見ると蜃気楼のように見える
まではかなり遠いので何も
知らない彼は薄暮時に着岸
9
― 計測の抗議 ―
R-6の海上計測を終えると 直ちに帰着、抗議書を
書き始める。風待ちもあり 2つレースを行っただけだが時間がかかった。
さらに3名、計8件の内容なので 審問が夜長引けば 今夜のショッピング予定
がフイになるかもしれない。プロテスト委員長はイタリアのルイージ、彼は柔道
家で京都で黒帯を取ったと言う。さらに今年の唐津の420ワールドにIJとして
来日すべく IJの田中さんに呼ばれていると言う。彼の一刀両断の審問の早業
は見事で、3名を同席し8件をいっぺんに片づけようと言うものだった。
私が事実を淡々と述べていると、途中でさえぎり、選手達に事実かどうかだ
ルイージ
ジュリー ルーム
けを尋ねた。無論 全員が肯定したので ジュリー結審のため退席させられた。
再びジュリールームに呼ばれ、裁定が言い渡された。3名とも一番重い罪だけを
DPIにより、出場者数の30%を加算され、本日の全レースに加点すると言うも
のだった。つまり11点×2レース=22得点の追加ペナルティと言うわけだ。
傍聴していた 2名のコーチは納得出ず、外に出てからアレンに詰め寄った。
「いくらなんでも 酷すぎる、この我々の状況をもっとよく考慮して欲しい。」
とニコラス。「ワタル、DPIリストを持っているか?」私はニコラスに差し出す。
彼は暗がりの中で一生懸命に読む。リストは公表されていないので知らない人
ニコラス
QATコーチ
カシム BRNコーチ
は知らない、彼は知らなかったようで無言。「これがIODAのポリシーなのさ。」アレンはそう言った。
アレン
OP レース委員長
早く 早く、との言葉にせかされて
バスに飛び乗る。ウーシャが主催者
に交渉して 各チームをホテルに送っ
た後、モールまで インドの数人と私
達を送ってもらう事になったのだ。
審問と穂岳の片付けまで待っててく
れたバスの運転手は、不満を態度に
表わし荒っぽい運転だが、数ホテル
を回ってから写真の場所に着いた。
ここはアルシャドの一番おすすめスポット、帰国の前に
どうしても寄りたかった所。
最初に砂漠で遊んでか
らは 毎日がヨット漬け、せっかく異文化の国に来たか
らには 珍しさを十分に味わう 又とない機会なのだ。
スケートリンクの周りはフードコート
遊園地も
ある
明日の夜はもう帰国、
荷物をパッキングしな
ければならないので
9時に帰るつもりが、
買い物に時間をかけ
過ぎて 11時の閉店
近くまで過ごした。
10
日本の味に近く懐かしい
2月 7日(土)レース
4日目 /最終日
4日間の日程は 3-3-2-2の計10レースだったが、実際は
2日目が風がなく1レースだったので。3-1-2となって
まだ4つ残っているが、今日は閉会式があるので全部は
無理だろう。昨日の計測で全滅したアラブ諸国は今日の
R-7 では、3艇のうち QAT22と UAE808は合格、昨日
の薬が効いたのか? しかし3番目の QAT51は笛がな
かった。「大丈夫、僕には口笛があるから。」と吹いて
見せるのは、12才くらいの男子。私達は手続き上 抗議
穂岳にも友達ができ始めた。
彼はサウジアラビアの 16才
する旨を選手に伝えるが、事実のみをアレンに報告し、
レース委員会の判断で抗議するシステムだ。
QAT51は
一度コーチ艇に行った後 スグに戻ってきて「あった あっ
た、ここに入れておいたのを忘れてた。」とライフジャ
ケットの中から笛を取り出すしぐさをする。これもアレン
に報告するのみ。次の R-8 では UAE12がセンターボード
カタール水上警察 いつも哨戒していた
が艇に結ばれておらず、笛も無かった。
レース後のチャーター艇の返還や閉会式時間が考慮されて
今日は2つのレース予定が、アレンはやる気でレース日程
の遅れを少しでも取り戻すために、本日3本目の R-9
をスタートさせた。最終日の審問は成績表担当者にとっ
て 審問が決着しないと順位が出なくて気を揉む展開だ。
アレンと話をすると、主催者の意向もあるが 前向きに進
ニーナの艇は 先頭艇が2マークを回る頃フィニッシュラインを設定する
めて、抗議する しな
最終の R-9は NED3200はOK。次のBRN117は笛を持っていてもライジャケ
いに関わらず、レース
とひもで結ばれていなかった。これは 一応笛はあるので 10%と軽いDPI。
の終了後、直ちに抗議
次の UAE808は今日2度目で、R-7ではよかったのだが、今回は写真左のよ
書を書き、用意だけは
うにセールの計測バンドがマストの規定位置から外れており 重い違反でDPIで
しておこうと言う事
なければ失格だが、この裁量により失格より軽い30%の加点となった。
になった。
これで『セール ザ ガルフ』全レースは終了した。抗議についてはアレンはレー
アレンの艇は
A海面 海上本部
ス委員会としては あくまで規則には忠実でありたい。との主義を通し 時間
は迫っていたが提出した。主審はルイージに替わりコレッタが丁寧に進めた。
しかし被抗議者4名のうち、終了~撤収のバタバタで2名が現れず欠席審問
となった。本大会はシビアな選手権大会とは性格が異なるので 選手からの抗
議は少なかったが レース委員会は7名を計測抗議し全て成績に反映させた。
審問後 雑談をしていて、アレンのあだ名は『Uフラッグ アレン』と つい出て
しまった。彼はまじめに受け止め「でも イルカ―が言うにはアジア/葉山の
時の RCは パパ(P旗)が多くてゼネリコばかりだったらしいね。それよりは
U旗の方がいいと思うよ。」私は批判した訳でないので 同感ですと言った。
― よくやったね 穂岳 ―
私は穂岳には申し訳ない事をしてしまった。
連れて行くとは言いながら、ろくな支援もせずに、私はB海面には一度も出なかった。
行きたい気持ちは山々で ウーシャもレースの合間に行こう と言ってくれたが、行けば 彼
に声をかけてしまい他艇から公私混同に思われるのを避けたかった。彼は多感な中学2年
生、私は計測の仕事ばかりで 初の海外遠征と言うのに チャーター艇の受領 返還、海上練
習 レース等々・・・全部を彼に任せざるを得なかった。普通ならば監督コーチ、コーチ艇が付
く所を、30分ほどの帆走を要する 沖のB海面で 60艇のレース艇や 運営の中に日本人はた
だ彼一人、心細かったと思う。
レーザー4.7クラスで、14艇中、7位の成績を残した事は
OPを卒業してからまだ3ヶ月しか経っていない事を考慮すれば、
よくやったね! よく
頑張ったね! と惜しみのない拍手をささげたい。
11
全レース終了後
晴れ晴れと帰還し
一皮むけた表情の穂岳
この国に来てから
ちょうど一週間、今
お別れのセレモニー
が始まろうとしてい
る。 席に着くころ
修正された成績表が
届く、よかった 受
賞者には計測抗議の
グランド ハイヤット ホテル
影響はなかった。
OPクラス
レーザー 4.7 クラス
19ヵ国の 子供から大人までが 6つのクラス
のヨットに分かれて それぞれの持ち味を生かした
レースが展開され 顔見知りとなり 仲間となった。
カタールの国章
大会が進行しながら お互いの親交が
深まって行くこの過程は 口では言い
表せないほど興味深いものだ。私も
1月に南アフリカで 選手として出場
した体験から 役員よりも競技者の方
が楽しい事が良く理解できた。しか
し 陰で支える役員がいてからこそ
盛り上がりも高まるものだ。
ある時は選手、ある時には役員、
これを私の目標としよう。
2015.2.14
これからホテルに帰り 荷造り そして帰国の途に就く
穂岳の手には カップも何も無い。しかし、彼はカップ以上のも
のを 自分の手で きっと つかんだはずだ。それは これからの
彼にとって 大きな財産となるだろう。
成績表
12
http://www.qatarsailing.org/zip/STG2015_Results.pdf