近代 - 悠友館 柔道教室

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先輩の命で道場設立
宮田義彰さんの完全な私設道場、悠友
館が誕生したのは笈ゆ1
年4月。義彰さん
6
9歳のときだ(現在8
3歳)。中央大柔道
部出身という柔道歴を誇るが、大学を卒
業してからは仕事一筋。たまに母校の
道場に遊びに行く程度で、ほとんど柔道
とは関わっていなかった。そんな義彰さ
んがなぜ、
7
0歳を前にして道場を開設
しようと思ったのか? 本人の口からそ
の答えを聞いて一瞬耳を疑った。
「先輩がやれと言ったからなんですよ J
理由は本当にそれだけ?
「何しろおつかない先輩で。OB会で会
ったときに、ついつい仕事場として使っ
ていた事務所を改装中だという話をした
ら
、 『
おまえも中央の柔道部出身なんだ
から、スペースがあるんなら道場をやら
なきゃだめだ』と言われましてね。じゃあ、
ゃるか・・・ってことになったんです」
実は義彰さん、道場を開設する前から
同じ建物の 2階に私的な図書館を設け
るなど、地域貢献に関して高い意識を持
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ク
部
っていた。だから、道場の開設も本人的
にはそれほど違和感がなかったのかも
官帯に付けた赤 ・青・黄色の紐を奪い合う 、通称“しっぽ取
り"
。ゲーム感覚で取り組めるトレーニングだ
しれないが、それにしても思い切ったこ
とをしたものだ。
当然、改築費用は自腹。畳は柔道関係
を生業に している OBから譲り受けたと
いう 。
「私が道場を作るというニュースはたち
会を駆けめぐったようで、 『
今な
まち OB
ら、いらない畳があるから取りに来てく
ださいjって連絡をもらったんで、すよ」
(義彰さん)
中央大柔道部の結束力、恐るべしとい
うべきか。
官片方の足で跳びながら前進するト
レーニング。「
往 jと「復jで左右の足
を入れ替えて行う
ι
ラダートレーニング。宮田学代表から「正確に!
正確にリという声カf何度も飛んだ
しかし、悠友館の物語はまだまだ終わ
らない。道場がスタートして聞もない頃、
ある一人の男が悠友館に送り込まれた。
彼の名は高橋学。もちろん、中央大柔道
部出身であることは言うまでもない。
「現役を退いて、少し時間にゆとりが出
てきた頃に中央大の先輩から話があっ
たんです。 『
宮田が道場を作ったから、
少しのぞいてみてくれないか』ってJ
宮田さんとも面識があった学さん。よ
く知っている先輩からの直々の頼みで‘も
さな
回総運動
弧縦、関胸部転、酬師、腕、臨歩行(倒立郵船、傾倒立、
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勝ブリッジ.後ろブリッジ、子ツポウ、定書置り、足交差、足がらみ、定回し、陵情。
構図
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〈、エピ、逆工ピ、雛ヱピ、西山道手トレーニング
豊富なトレー ニングメ ニュー。実
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右、左、ジャンプ〉
「ところが、いきなり 子供たちの前で『
今
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前回り受け
!日叫~…牟
技の稽古前に 、たっぷ りと時聞を取 っ
て実銭する
ハンドスプリング、わクスプリング、航受晴、前受け身、左右叫
日から君たちの指導をしてくれることに
なった高橋先生で、す』と紹介されたんで
すJ(学さん)
学さんに してみれば、まさに寝耳に水。
とはいえ、大先輩に対して「話が違う」と
いうわけにもいかず・..。
「もちろん、ずっと指導者としてやって
いこうという気持ちは全くありませんで
した。まあ、しばらくは様子を見て、折を
見て断わろうと思っていましたJ
ところが、指導を続けるうちに、学さん
自身が子供を教えることの楽しさに引き
込まれていく 。
「気がついたときには週3-4日、当たり
前のよう悠友館の畳の上に立っていま
した」
さらに驚くべきことに、この学さん、数
年後には宮田義彰さんと養子縁組まで
してしまう 。そのあたりの話はスペース
の関係で割愛させてもらうが、単に同じ
大学の柔道部の先輩後輩という関係だ
った2人が柔道を介して親子にまでなっ
てしまったのだ。
若い指導者を得たこともあり、悠友館
は順調に発展を遂げた
もう一つ、今回の取材で驚かされたこ
とがあった。学さんから、「うちのヨメで
す」と 1人の女性を紹介されたのだが、な
んと“うちのヨメ"は、“ヤワラちゃん(谷
亮子)の最強のライバル"と称された北田
佳世(現・宮田佳世)さんだったのだ。
礼に始まり礼に終わる
現在、子供の数は約3
0人。それに対し、
指導者(館長・代表 ・コーチ)の数は 8
人。指導者は毎回全員が参加できるわ
けではないが、これだけいれば隅々にま
で目が行き届く 。
練習に関しては、基本的には現在代表
を務める学さんが仕切っているが、すべ
て彼がやるというわけではない。
「指導者によって得意分野があるので、
それを生かしてもらおうというのがうち
のやり方。例えば足技だ、
っ たら江崎(博
正)先生、寝技だ、ったら清水(泰平)先生
にお任せするというように。だから練習
も、自然と変化に富んだ内容になります」
(学さん)
に、江崎さ
道場ヘ行こ
「足払いが来るとわかっていても、気がつ
も大切だからであることはいうまでもな
供たちには、当たり前のことを当たり前
いたときにはひっくり返されていたJと
いが、学さんとしては、「柔道をやめて他
にやれということを、口が酸っぱくなるく
言わしめるほとaの業師だったとか。名人
の競技を始めても困らないように」との
らい言っていますJ(
学さん)
芸は剖歳を過ぎた今も健在で、子供たち
思いもあるという 。
にその技を伝授しているという。
特に礼儀作法に関しては厳しくしつ
「ある意味、我々は金の卵を預かってい
けられているようで、指導者だけでなく、
練習内容はバラエティに富んでいる
るわけですからね。将来柔道家になる
我々取材陣に対しても、 1人 l人が 1対
が、ベースとなるのはフィジカルトレー
かどうかに関係なく、子供たちを正しく
1の挨拶を行っていた。礼儀作法を疎
ニング。これは佳世さんが担当する。
成長させてあげるということが、我々の
かにしている道場はないと思うが、ここ
学さん日く、 「
佳世先生が指導陣に加
責任でもあると考えています」
まできちんとしているところは、そう多く
わってから、フィジカルトレーニングに
指導の中心が義彰さんから学さんに
割く時聞がかなり多くなった」。この日
代わり、その内容も徐々に変化している
強い柔道選手を育てることよりも、立
の稽古を見ていても、 1時間以上は基礎
ようだが、開設以来、一貫して変わらない
派な柔道家を育てることの方がはるか
体力を養うメニュー。しかし子供たちは
ものもある。それは、「心身ともに強く、
に難しいことだし、正当に評価されるこ
それらのメニューを淡々と、しかも確実
思いやりのある子供を育てる」という悠
にこなしていた。毎日の積み重ねによっ
友館のモ ットーだ。
とも少ないが、それが正しいあり方であ
ることに異論を挟む人はいまい。
て、みんなの体力も相当ついているよう
はない。
「子供たちを強くしてあげたいという思
スタートして 1
4年。当たり前のことを
いもありますが、それ以上に、 “1人の柔
当たり前のようにやってきたことが、現
フィジカルトレーニングに重点を置い
道家を育てたい"というのが、父はもちろ
在の悠友館の最大の誇 りであるような
ているのは、柔道をやる上でそれがとて
ん、我々指導者の思い。そのためにも子
気がした。
なのだ。
.練習場所
神奈川県川崎市高津区新作 1
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.ホームページ
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火・木曜日 1
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9:
3
0(トレーニングのみ)
土曜日 1
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0-17:00
日曜・祝日 1
0・
0
0-12:30
.会費
入門金:5
,
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0円
月謝 ・5
,
0
0
0円
.創立 2001年
.代表 宮 田 学