老人の尊厳と死について Dignity and death in

東北大学 工学研究科・医学系研究科 『工学と生命の倫理』・『生命倫理』
Tohoku University Ethics of Engineering and Life / Life Ethics
2015 年度
第 6 回(5 月 27 日)
講師:庄子 清典 SHOJI Kiyonori
題目:老人の尊厳と死について
Dignity and death in aged person
<概要・Summary> (受講者のレポートからの抜粋・Selected from the students' assignments)
1.
介護施設における3つの課題として、安全度と自由度、道具の進歩と社会的価値観の変化、
延命問題とその判断が挙げられる。まず、安全度と自由度は反比例関係にある。即ち、自由
には必ず危険が伴うということである。次に、道具の進歩、例えばスマホの普及により老人
は時代から取り残されてしまうことがある。また、昔は挨拶や近所づきあいが大切であった
が、現代社会では核家族化が進んでいる風潮があり、社会的変化も存在している。最後に、
延命問題には、意思の尊重と延命の葛藤が存在する。
2.
In this lecture, director Shoji discussed issue of the Aged. How to take care of old people,
make them live safely, and also keep their dignity at the same time. First, director Shoji
talked about the relationship between Degrees of safety and freedom. The relationship of
safety and freedom is inverse proportion, so how to keep the balance between those two
things is important. Then, he introduced the influence of developments in instruments and
change in social values on the ages. Old people have to face many difficulties because of
the changing. Finally, he talked about life prolongation and keep dignity. How to decide to
keep medicine care on the patients, and how to establish the dignity for the Death, it is also a
big issue to discuss.
3.
特別養護老人施設等の介護施設における課題として、大きく 3 つが挙げられる。第一に、
安全度と自由度の関係であり、それは一般的に反比例の関係にある。例えば、救急センター
などでは健康に対する安全度は高いが、生活における自由度は低い。介護施設においてはこ
のバランスをどのように両立していくかが課題である。次に、道具の進歩と社会的価値観の
変化が挙げられる。介護施設に入所する老人にとって、現代の道具や価値観は自身が長年確
立してきた価値観や習慣をしばしば否定し、ストレスを感じさせてしまうことがある。第三
の課題として、延命の問題とその判断が挙げられる。ふつう延命の判断をする段階では、も
はや本人がその判断を下すことが困難な状況にある。そのため、その判断を誰が下すのかと
いう問題が発生する。また、発語、摂食が無くなった場合、延命のために患者に負担をかけ
る胃ろうを造設するかなど、課題は多い。以上の課題はあるが、老人が長年確立してきた尊
厳を最大限尊重し、どこで、どのように、誰と、死を迎えるか支援することが大切である。
<意見・Opinion> (受講者のレポートからの抜粋・Selected from the students' assignments)
1.
今回の講義では特に、人生の終わりの迎え方について考えさせられた。最も印象に残った
内容も後半に話をしていただいたところで、私としては死ぬまで生きることよりも生きて死
ぬほうを選びたいと思った。また、家族に対しても同じような想いを持っている。話の中に、
死期が近くなった方が施設に入ってから何年も会っていなかった旦那さんと共に故郷を見
に行き、数日後に息を引き取られたというものがあったが、後は最期を迎えるだけという状
況になってから長くは生きようという考えはあまりなく、いっその事生きる日が少なくなっ
たとしても充実して死を迎えたいと考えている。そのような最期を迎えるためにも、今とい
う時間を充実したものにして、悔いのない人生を送りたいと思う。
2.
人の尊厳と死を天秤にかけなくてはいけない延命についての問題は授業時間中に討論の
場が与えられたが非常に難しい問題と感じた.2 か月前,私の祖父が闘病のため亡くなった.
親族としては治る見込みがなくても最後まで生きてほしい,一緒にいてほしいと当然思った.
幸い祖父は最後まで闘病して安らかに逝ったが,もし祖父が闘病を拒否していたら,祖父の
思いを尊重したい気持ちと生きていてほしいという思いに板挟みになり大変だっただろう.
この体験から患者自身が死ぬことを選択してその通りに処置をしても,正解であるとは限ら
ないと感じた.患者自身の意思であっても最後の決定は一緒に戦った親族にも決める選ぶ権
利があり,両者が納得できる点を見つけていく必要があると思う.
3.
私は,今回の講演を通して,
「安楽死」と「終活」ついて考えていた.極端ながら,私は
このどちらのアクションも,自らの死についてポジティブに捉えた上のものだと考えている.
外国では安楽死を認めている所もあるが,日本ではそれはまだ認められていない.これは,
意思決定がどこまで本人の意思かを判断することの難しさによるものだと思う.そのような
自発,非自発安楽死の是非に対して,私は,自分の最期を予め希望しておく終活が効果的な
のではないかと考えた.メメント・モリというと大袈裟だが,我々もいずれ身を持ってこの
問題に直面することを考えると,自らの死に自らの意思を明確に残しておくことが必要なの
ではないかと思う.
4.
今回の講義を聴いて,普段はあまり意識しない介護のことについてよく考えさせられた.
私の家族からは年を取って手が付けられなくなったら施設に入れて放っておいてくれ,延命
もいらないとよく言われていた.今はまだピンと来ないが実際にそんな未来が訪れたら自分
はどうするのだろうか.延命をしてほしくないということが本人の意思だったとしても,延
命を行わないことが間接的に家族を殺していることになるのではないかと考えてしまう.死
に方を選ぶというのが本人の人としての尊厳を最大限に守っているということはもちろん
理解でき,全くその通りであるということは分かってはいるが,家族である自分は延命拒否
を簡単には選択出来ないと思う.
5.
Very interesting class. The professor had very easy to understand and quality slides, with
the right amount of keywords and diagrams. He was very concise with his speech and also
delivered heart-felt stories from witnessing and aiding a few near-death senior citizens. I
especially liked his freedom and safety diagram as it made it easy to understand something
none of us had stopped to think about yet, i.e. how you r life changes once you reach
advanced age. The provided examples also gave a vivid account of what kind of troubles not
only the senior citizens but the supporting family members undergo during this difficult time,
such as deciding whether or not to put your relative (or yourself) on life support to prolong life
for a little longer. The professor even allowed enough time for a proper question and answer
session. As I said before: very interesting class and very good presentation!
6.
「私たちは、生きようとする邪魔をしない、人生を全うしてこの世を去ろうとする邪魔を
しない」という言葉がとても印象的だった。本人とのコミュニケーションが難しくなり、生
きようとする意志を見逃してしまったり、本人の尊厳を無視してしまっている形で延命をし
てしまっている状況が存在する。家族の立場からすればできるだけ長生きしてほしいと思う
が、安心して死を迎えられるように本人の本当の気持ちをくみ取ってあげ、最後の選択をサ
ポートしてあげることが大事なのだと思いました。
7.
介護施設の人手不足という現状について、私はドラマを見たことがあり高齢化社会の現状
では非常に問題になっていると以前から思っていたが、実際に自分の家に生活させる上での
リスクについて深く考えたことはありませんでした。なので、自分の家で生活することで事
故が起きやすくなるというリスクの他に、携帯電話やパソコンなど現代社会が要因でのスト
レスなどのリスクは考えたことがありませんでした。なので、より老人を自宅で生活させる
のは危険が大きいということが理解できた上、庄子先生の「自由度と安全性の関係」につい
てのお話はとても印象に残りました。この問題についても、正解がない上にそれぞれの老人
に対して積極的に接することが大事であることから、より介護施設の人手不足が問題になり
そうと感じました。
8.
安全度と自由度がトレードオフの関係にあると知ったが,入居者の状態に合わせて対応す
るのは介護側の負担も大きく,大変だろうと思った.また,介護現場で延命の判断をするの
は,医療現場よりも難しいことであると感じた.なぜなら,判断能力がなく,親族でもない
人間の判断をせねばならないからである.治療に関することだけでなく,看取りケアでの帰
省などの,入居者の命を削りかねないケアの判断もせねばならず,大変難しい仕事である.
少しでも長く生きられることが良いのか,満ち足りた最期を迎えられることが良いのかとい
ったことはよく議論になるが,本講義では後者に比重を置いているであろう方の話を聞くこ
とができ,参考になった.
9.
自分の本国の中国では、一人っ子政策によって、子供は年を取った両親を養う時間や余裕
があまりないらしい。その結果として、近年介護施設に自分の親を預ける人がますます増え
ている。講義で先生が仰った通り、老人の死や延命に関する問題が最も難しい。自分の親も
昔面白半分で将来は迷惑にならないように、介護施設にいかせて、最後は安楽死を受けさせ
るという話をした。良く考えると、子の重りにならないため、あえて子から離れ、死さえ自
らで選ぶ。そして子供としては、親の命か親の願いかの究極の選択を直面する。正直、未だ
に自分は正しい答えは出していない。命を前にして、正しい選び方はそもそも存在しないと
しか言えない。
10.
今年の一月末に祖母を亡くした身としては今回の話は大変貴重な話であった.今後いつに
なるかはわからないが自分の死期が近づいてきたときにどのようにすれば綺麗に逝くこと
が出来るか,ということについて考えた. まずはいつ話が出来なくなるか不明であるため,
定期的に自分の財産等含め自分の扱いに対する意思表示をしようと思った.次に中身になる
が,延命治療は希望しないつもりである.機械によって医学上の「生きている状態に保たれ
ている」ことは人間らしく生きているということには当たらないと考えたからである.その
分「生きている時間」は自由にしたいことをやりぬこうと思った. 感想を考えた中で祖母
は臨んだ治療を受けることができ,結果尊厳ある死を迎えられたのではないかと思い,遺族
として心が安まった.