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2015年1月29日(木)
博士論文公開報告会
日本における鉄道運輸システムの展開
―国有鉄道貨物部門のミドル・マネジメントと情報構造―
東京大学大学院経済学研究科 経済史専攻博士課程
日本学術振興会特別研究員
二階堂 行宣
1
序 論
1. 課題と方法
研究のモチベーション
:大企業の組織運営メカニズムと、その長期的変遷への関心
・Chandler(1962)・・・米国大企業4社を例に、分権的事業部組織の誕生を描写
→市場環境と経営管理方式の間の密接な関係を指摘
→マネジメント手法の変化=専門経営者による「組織改革」
・Williamson(1975)・・・「企業の境界」、市場/企業の代替性を指摘
→組織内部の「均衡」について、精緻な理論的分析が進む
・Chandler(1977)・・・その枠組みを受け、「近代企業」の生成過程を分析
→階層組織内のマネジメント(visible hand)の有効性を強調
→資源配分におけるトップ・マネジメント(=スタッフ)の重要性
2
→ 研究の進展:企業組織の全体像の解明へ
・組織形態の多様性
中間組織:Williamson(1985)
国際比較:青木(1992)、浅沼(1997)
官僚組織への注目:コッカ(1992)、鴋澤(2006)
・組織の内部へ
ミドル・マネジメントの機能と役割:谷口(2002)
経営学的接近:リソース・アロケーション・モデル
・組織の経済学・比較制度分析
制度の強靭性を、モデルを用いて演繹的に解明
静学的かつ精緻な分析手法の採用
その一方、短期間を対象とした静学的分析にとどまる
→ 帰納的アプローチ/演繹的アプローチの「乖離」
→ 組織内部のプレーヤーの諸行動から、帰納的に均衡状態=制度を抽出し、
その積み重ねによって長い時間軸をカバーする(経済史・経営史)
3
2. 研究視角の設定
課題:日本の国有鉄道における運輸業務の形成と展開過程を明らかにすること
・巨大な国鉄・・・人員/組織/輸送量
・「運輸」・・・客貨の運転計画・輸送管理・営業販売活動などを含む「システム」概念
・一朝一夕に完成したものではなく、国鉄の80年(1907~1987)をかけて徐々に形
成・変容した
→鉄道史研究に「システム概念」を導入し、その変遷を通じて、国鉄の組織運営メカニ
ズムとダイナミズムを長期的に明らかにする
4
視角①:長期的な視点からの鉄道史研究
→「システム」変遷(=均衡移動)を観察するため、時間軸を確保
・先行研究の整理
・戦後初期・・・大島(1949)、国鉄の「やせ形」経営の限界を指摘
・幹線鉄道史研究の登場
国鉄の「正史」・・・「日本鉄道史」「日本陸運十年史」「日本国有鉄道百年史」
星野(1970,1971,1972)・・・明治期幹線鉄道会社の資金調達
原田(1989)・中村(1998)・・・業務運営における「システム」概念の導入
・分割民営化の影響・・・財政面からのアプローチ
中西(1985)、角本(1989)、運輸経済研究センター(1998)
・経営史研究の隆盛
中村(2005)・・・日本鉄道における組織改革と人事管理
林(2010)・・・戦前国鉄の経営行動の合理的側面を、輸送面から再検討
・視角の多様化と対象時期の収斂
「局地鉄道史」の登場
政治史・文化史・労働史・社会史の視点
戦前期が中心 ←資料的限界
分析対象期間の短縮傾向・・・「たこ壺」化 (cf. 中村1998)
→「総合化」の対象としての国鉄の重要性 : 時期・規模・範囲の広さ
5
視角②:組織内のミドル・マネジメントへの着目
→ミドル・マネジメントによる環境変化への対応と、全体の「システム」との密接な関係
・鉄道史研究とミドル・マネジメント
中村(1998)・・・官鉄における技術者集団の役割・形成過程
禹(2003)・・・国鉄労使関係・雇用慣行の形成過程
吉田・広田(2004)・・・ノン・エリート層の昇進チャネルと部内教育
→国鉄におけるミドル・マネジメント=「課」
トップ
・経営組織論からの接近・・・坪山(2008)
衰退組織が外部資源獲得の際に発表する「タテマエ」の形成過程に注目
→第一次再建計画期(1969~75)の国鉄貨物部門が事例
組織内における経理部門・長期計画部門・貨物運輸部門の相互関係
ミドル・マネジメントへのインタビュー調査を多用
・課長(+総括補佐)+補佐(事務官)+課員で構成
・ミドル・マネジメント内部の階層性
・・・課長(+総括補佐)/ 担当補佐
官庁時代に起因する身分格差が持続
→国鉄は企業か官庁か?(cf. 波形・堀越編2000)
副総裁・理事(次官)
局長
局長
局長
課長
ミドル
・係の役割
・・・業務運営の基本単位
特に「補佐」が分厚いミドル・マネジメントを形成
総裁(大臣)
係
課
局長
課長
係
局長
課長
係
担当補佐
(事務官)
担当補佐
(事務官)
担当補佐
(事務官)
各課員
各課員
各課員
・・・企業組織・官庁組織の「準同型性」(青木1992)
地方機関・現場
6
視角③:「組織の経済学」的視点の導入
→演繹的アプローチの成果を導入し、巨大企業組織の運営メカニズムの一端を解明
・組織の経済学におけるミドル・マネジメントの役割(伊藤・森谷2009)
①例外問題解決
②情報処理
③モニタリング
④リーダーシップ
→①・②に注目:ミドル・マネジメントを組織内情報構造の結節点としてとらえる
ミドル・マネジメントによる情報収集能力の優劣が、機能のカギ
・ミドル・マネジメントをめぐる情報構造は?(cf. 青木1992)
集権/分権をめぐるトレード・オフ(Alonso, Dessein, Matouschek2008)
Adaptation
Coordination
集権組織
×
○
分権組織
○
×
→階層的ミドル・マネジメントを介し、組織内にどのような情報構造を構築するか(adaptation)
組織内で、各下部組織の利害をどのように調和させるか(coordination)
補佐
現場
補佐
現場
課長
トップ
現場
ミドル
7
現場
3. 問題の限定
①国鉄業務の概観
「関連事業」
余剰人員対策
労組
用地・出資
補完
「労務」
要員合理化
「財務」
政府機関
設備投資・赤字線
職場管理
「運輸」
旅客・貨物・運転
現場
「技術主管部門」
建設・施設・車両・電気など
→「運輸」は国鉄における中核的な業務
主要業務の結節点となり、事務・技術双方の接点でもある
→事例として、貨物運輸部門を選択
①経済史的インパクト
②経営史的インパクト
③ミドル・マネジメントの大きな役割
8
②貨物運輸システムを構成する主要業務とは?
運輸局
(営業局・業務局)
・サービス重視
貨物課
(総務課・営業課) ・収入に関心
・輸送効率重視
(輸送課) ・輸送量に関心
配車課
②「運用」
①「輸送」
・列車ダイヤの計画 ・貨車流動の調整計画
・貨車の列車編成 ・荷主への貨車配給
・各地の出貨需要把握
・列車の活殺
⑤「設備」
・貨車の整備計画立案
・地上設備計画立案
・技術陣・経理との媒介
③「取扱」
④「営業」
・運賃・等級・制度の管轄
・通運・付随業務との関係
・契約・割引条件の管理
・地方販売状況の管理
・荷主への働きかけ
・契約・割引の提案
※「設備」単独で一課を形成
する時期も存在する
・運輸部門全体・・・①~⑤に担当補佐(事務官)が存在する分権組織
・各係・・・地方担当者を配下に従えた強固な集権組織
9
③貨物運輸部門における運輸システムの変遷
官庁による経営
(鉄道院、鉄道省など)
官鉄+私鉄
1872
開業
公共企業体
日本国有鉄道
JR体制
1987
民営化
1949
公社化
1907
国有化
1920
配車課
設置
1965
第3次長期計画
開始
1930s前半
自動車輸送
急伸
1926
中山貨物課長
就任
1939
柏原配車課長
就任
1956
貨物設備近代
化委員会発足
1984
ダイヤ改正
1975
スト権スト
①「輸送」
②「運用」
③「取扱」
④「営業」
⑤「設備」
輸送
システム
「地方優位」
「サービス重視」
「中央集権」
(縮小期)
(模索期)
「戦時」
「近代化」
「直行系」
10
4. 全体の構成
序 論
第1章
鉄道貨物運輸システムの制度設計・・・1910~20s前半
「地方優位」→「中央集権」
「運用」の登場、制度的基盤の確立
第2章
設備・営業業務の形成・・・1920s前半~30s
「サービス重視」の確立と継続
「設備」・「営業」の登場
第3章
戦時・復興期鉄道貨物輸送のダイナミズム・・・1940s~50s前半
「サービス重視」→「戦時」
「運用」の全盛から、復興期の主導権争いへ
第4章
「貨物近代化」への模索と停滞・・・1950s半ば~後半
「模索期」前半
「貨物輸送近代化」構想の成立と停滞
全社的投資計画への包摂
第5章
「貨物近代化」の再編と情報構造・・・1960年代前半~半ば
「模索期」後半→「近代化」期の展望
ミドル・マネジメント上層による構想再編
「近代化」型運輸システムをめぐる情報構造
総 括
11
第1章 鉄道貨物運輸システムの制度設計
・当時の「運用」を裏付けるため、業務責任者の配置と
経歴を職員録などから分析
3000
2,500
2500
2,000
1,500
第一次大戦
国有化
1,000
2000
1500
1000
500
500
0
0
1902
1905
1908
1911
1914
1917
1920
1923
1926
1929
1932
1935
1938
→国有化当初、中央部門に存在したのは「輸送」およ
び「取扱」のみで、ミドル・マネジメント層も極めて薄い
輸送トンキロ(千万トンキロ)
⇔業務別に考察すると、「配車業務」の確立は遅れて
いた可能性がある
ex. 担当者の回想・・・「運用」は依然地方優位
3,000
貨物輸送トンキロ(千万トンキロ)
貨物輸送トン数(十万トン)
①1910s前半、貨物部門では人材的に地方主
導の「運用」が行われていた。
・中央幹部はlocal informationを理解しない
・各地域で輸送が完結しており、情報収集・
指令への動機がない
②1910年代半ば以降、鉄道院・省採用の若手官僚
が、相次いで各地の輸送責任者に就任。
・ただし、地域差が存在。
・旧日本鉄道の管内である首都圏北部・東北地
方では、官鉄系人材が浸透できず。
12
輸送トン(十万トン)
輸送量の推移(1900‐1940年)
・従来、国有化(1907)後すぐに「国鉄」の貨物運輸シ
ステムは確立したと考えられてきた
③第一次大戦勃発により輸送需要が増加し、余剰貨車が消滅。
貨車の地域偏在を空車排出によって是正する必要性が高まる。
→管理局の枠を超えた貨車流通=「運用」中央化の要請
・1910s半ば以降、鉄道院採用者が地方責任者として赴任することで、「運用」中央化の環境が整備
・ただし、東日本ではその動きが遅れ、1919年の輸送混乱の主因となる。
④運輸局配車課設置(1920年)により、「運用」
の中央化が完成
・中山隆吉による制度設計
・「配車の中央集権」を標榜
・配車課員の人材調達
・・・ 旧私鉄出身者は皆無
地方運輸事務所出身者が多い
勤務経験地域は全国を網羅
・背景:指令電話網の全国整備
課長・所長はlocal informationを理解しない
→各地の輸送状況に通じた課員(ミドル・マネジメント)を中央に配置することで、情報の流れを円滑化
①ミドル・マネジメント上層による制度設計により、基本的情報構造が完成
・・・例外問題解決機能の発揮
②集権組織のadaptation問題を、課員の情報収集・分析能力の向上により解決
③貨物・配車両課による「二課体制」の成立
・・・「運用」「輸送」係内の集権的構造/運輸局内の分権的構造が併存
13
第2章 設備・営業業務の形成
輸送量の推移(1900‐1940年)
2500
2,500
配車課創設
2,000
1,500
2000
第一次大戦
国有化
1500
1000
1,000
500
500
0
貨物輸送トンキロ(千万トンキロ)
1938
1935
1932
1929
1926
1923
1920
1917
1914
1911
1908
1905
0
1902
・「取扱」業務の改善
・・・「貨物輸送手続」制定(1925年)
→地方機関へ取扱権限を委譲
中央の情報収集機能を緩和
輸送トンキロ(千万トンキロ)
・1920年代前半以降、輸送需要増加
傾向が一段落し、減収へ
→「質の輸送時代」の開始
3000
3,000
貨物輸送トン数(十万トン)
・設備投資計画の立案・・・中山貨物課長『鉄道運送施設綱要』(1925~1926年)
①綿密な調査に基づく、「改良」重視の設備投資計画
②操車場再配置など、大規模投資に基づくサービス向上を企図
③サービス向上を目的とする長期計画が確立(ただし自動車との協同思想は希薄)
→貨物部門内に「設備」業務が出現
・1926年以降、「運輸関係設備会議」が各地で開催
・背景:改良資金の抑制傾向 ←政党間の対立
・貨物部門と経理・技術部門との間に、情報の流通チャネルが完成
14
輸送トン(十万トン)
(1)「設備」業務の形成
(2)「営業」業務の形成
国内自動車保有台数の動向(1913~45年)
140
・競争条件の悪化
自動車の進出+1930s前半の景気好転
120
・輸送効率/輸送サービスのトレード・オフ
単位:千台
100
短期 :相対的な輸送力不足「鉄道非常時」
→配車課:効率を妨げるサービス重視を忌避
80
総保有台数
(うちトラック台数)
60
40
長期 :輸送シェア急落のおそれ
→貨物課:更なるサービス向上を志向
20
0
1913 1915 1917 1919 1921 1923 1925 1927 1929 1931 1933 1935 1937 1939 1941 1943 1945
→貨物課主導による「営業」業務の全国展開
=サービス重視路線の継続
・(例)名古屋鉄道局による猛烈な出荷誘致運動(片岡謌郎・柏原兵太郎)
・荷主訪問・運賃割引などの実施
・一方、「取扱」面では日本通運を権力的に創設し、運賃低減を図る
①係の新設とともに「設備」「営業」業務が出現(=主要5業務形成)
・・・ミドル・マネジメント上層による例外問題解決能力の発揮
②「サービス重視」型運輸システムが1930年代後半まで継続(cf.先行研究との関係)
③分権的「二課体制」に起因するcoordination問題が顕在化
・・・輸送力の相対的不足状況下で発生
個別荷主への対応→貨車運用効率低下→構内作業複雑化→「運用」の不満
15
第3章 戦時・復興期鉄道貨物輸送のダイナミズム
輸送量の推移(1900‐1940年)
3000
2,000
1,500
輸送力不足へ
2500
2000
第一次大戦
国有化
1500
1000
1,000
500
500
自動車燃料統制
0
貨物輸送トンキロ(千万トンキロ)
1938
1935
1932
1929
1926
1923
1920
1917
1914
1911
0
1908
・柏原兵太郎の配車課長就任(1939年)
①従来の施策の転換
・大型貨車の増備
・小口貨物輸送の縮減(ex. コンテナ廃止)
配車課創設
1905
→配車課「運用」主導で、輸送効率重
視の施策が全面的に展開
2,500
1902
・1937年以降、自動車燃料の統制開始
→自動車との競争が緩和
陸運貨物の鉄道転移が開始
輸送トンキロ(千万トンキロ)
3,000
輸送トン(十万トン)
(1)「戦時型」運輸システムの構築
貨物輸送トン数(十万トン)
②「現車集配」の導入(1940~41年)
・「一車追い」方式
・地方の報告様式を厳密化し、貨車の極限利用を狙う
③「計画輸送」の導入
・荷主の事前申告に基づき、輸送力を事前に配分→出荷波動の調整
・制度的基盤として、陸運統制令を発布(1940年)→大口荷主の出荷義務を定める
・「鉄道輸送協議会」発足(1942年)により、国家レベルで制度が拡大
→中央に過大な情報を蓄積し、「運用」による輸送力の効率的利用を行おうとする試み
→通信インフラ破壊、および各統制機関の情報処理能力不足で、local information収集に失敗
16
(2)「戦時型」運輸システムの終焉
復興期・・・輸送需要の変動に伴い、貨物課・配車課の主導が刻々変化
=adaptationを優先するあまり、一貫性を欠く施策運営→coordination問題の再燃
第1期:輸送需要の急増(1945~48年)
・重点産業指定に伴う「一億三千万屯輸送運動」(1948年度)
・配車課「運用」による全国的な現車集配の励行
・貨物課「取扱」による不満の表明・・・「サービスを犠牲に」
第2期:輸送需要の減退(1949~50年)
・ドッヂラインの実施→需要減退、輸送力不足の解消
・公共企業体設立に伴う「独立採算化」→サービス向上による増収
・貨物課主導による「運送サービス向上運動」(1950年)
・・・急行列車網の整備、小口貨物列車・生鮮食料品列車の設定
第3期:輸送需要の急拡大(1950~52年)
・朝鮮戦争勃発・景気過熱→戦時型運輸の再現
・配車課「運用」による貨車運用効率の向上努力
・貨物課が志向するサービス向上路線との両立
・・・貨車停留時間の短縮化、貨車数の増備
①coordination問題の解決とその限界
・戦時期・・・ミドル・マネジメント上層の主導 ⇔ 情報収集面におけるミドル下層の負担を無視
・復興期・・・急激な環境変化に伴うadaptationの優先 ⇔ 出貨安定・対抗機関の復活で限界に
②各業務に共通するメリットの発見→coordination問題の発生自体を抑制
速達概念(「輸送」)、基礎輸送力増備(「設備」)、情報処理機能向上(「運用」)
→大規模投資を伴う「貨物輸送近代化」構想(=質・量の両立路線)に結実
17
第4章 「貨物輸送近代化」への模索と停滞
(1) 「貨物輸送近代化」構想の成立
1950年代前半の状況変化: coordination問題の再燃(前述)
自動車輸送の復権(トラックが補助的→基幹的な貨物輸送手段へ)
→少量物品輸送でのサービス劣化・シェア喪失が先行
①貨物課「取扱」による対応
・中間荷主への対応(小型貨車増備・重量扱運賃制度)
→配車課の反発、審議室の介入による決着
・国鉄自動車を利用した協同輸送
→通運・トラック業界の反発で挫折
通運業者
車扱
小口扱
→速達概念の導入・・・ヤード系輸送における停留時間短縮
輸送効率向上(配車)、サービス向上(貨物)を両立
小口混載扱
路線便
②長期計画の必要性
・第一次五ヶ年計画に対応した貨物部門の長期計画
・貨物・配車両課を挙げた構想が部内で求められる
大口荷主
小 口 荷 主
国鉄サービス
・1950年代半ば以降、スピードアップを協同で模索
・・・コンテナ試験輸送の開始
小口扱の計画的削減(代用車削減)
ヤード系輸送・・・「宿場送り」の発展形
・「貨物設備近代化委員会」(1956~58年)
・・・スピードアップを体系化
→貨物駅集約+大設備投資(計500億円)
ユニットロード導入+自動車との協同
18
18
→「貨物設備近代化委員会報告書」(1958年2月)
・coodination問題の発生自体を抑制することを目指す
・巨額投資による輸送力・輸送サービスの底上げ
・立案におけるミドル・マネジメント上層(村田理ら)の大きな関与
・特徴:①通運業者との協同を模索
②積極的な新技術導入を企図
③投資額の大きさゆえに、全社的資金計画に組み込まれる
(2) 「貨物輸送近代化」構想の停滞
選択
車扱
小口扱
小口混載扱
②通運問題・・・通運業の免許性は維持(通運事業法)
一方で彼らのトラック兼営を認可
→補完から競合へ
「漠然たる不信感」の醸成(原岡幸吉)
大口荷主
通運業者
路線便(自社・
他社)
・構想実施の阻害要因
①資金的制約
・第一次五ヶ年計画(1957~60年度)
・・・資金不足で老朽施設更新を優先
・第二次五ヶ年計画(1960~64年度)
・・・当初は「貨物輸送近代化」を盛込む
東海道新幹線の建設開始で資金不足へ
小 口 荷 主
国鉄サービス
・「戦時型」運輸システムの終焉
・部外のステークホルダーとの交渉増加→ミドル上層の役割が変容・増大
・阻害要因により、coordination問題は解決されず→1960年代前半は各業務による個別対応が継続
19
第5章 「貨物輸送近代化」の再編と情報構造
・貨物部門各業務による分権的な対応を、貨物課・配車課の順に確認する
・その背後で構築された組織内の情報構造を分析する
(1)投資条項改正と小口貨物輸送改善―原岡幸吉と貨物課―
貨物課「取扱」による対応・・・通運問題の解決に向け、原岡貨物課長を中心に施策を展開
①国鉄法「投資条項」の改正(1962年4月)
・営業局による「マーケティング活動」の開始
・発展する臨海工業地帯の大口荷主と直結し、出貨の安定・増収を図る
→建設資金不足を、自治体・荷主との共同出資による「臨海鉄道会社設立」で克服
その際、障害となる規制を法律改正で緩和し、広汎な出資能力を獲得
(→cf. その後の国鉄・JR関連事業発展の基礎となる)
②小口貨物輸送改善(1965年10月)
・小口扱の不採算性がさらに拡大→最終解決をめざす必要性
・貨物課「第二次案」(1963年)・・・小口扱・小口混載扱を一本化し、すべて混載化
「小口会社」を設立し、混載仕立権を付与(←改正投資条項)
→混載仕立の主導権を、通運業者から国鉄へ奪還する試み
通運業界(日通)の強い反発により、国鉄は「第二次案」を撤回
→1965年10月:小口貨物輸送改善(新混載制度)の実施
・制度一本化は達成(通運の妥協)⇔「小口会社」の権限は極めて貧弱(国鉄の妥協)
・混載仕立における利害調整の不在→通運業者のインセンティブが大きく低下
→ 一定の合理化効果を得たものの、通運問題の根本的解決には失敗
通運業者のトラック依存が拡大/国鉄は成長分野である少量物品輸送から事実上撤退
20
(2)第三次長期計画と「コンテナ百万個」―石川達二郎らの長期構想―
配車課による対応・・・資金制約問題の解決に向け、石川配車課長を中心に長期構想を再編
①前提:「白紙ダイヤ改正」の実施
・1961年以降、「優等列車」(直行系)を断続的に増発
・輸送力増強・サービス向上・合理化を同時に達成
・関係各局・ステークホルダーとの綿密な協議
②石川の課長就任
・全国調査に基づくデータ収集
→大口荷主中心の「運用」推進、荷主係の設置
・第三次長期計画編成への対応
→「今後の貨物輸送」(1964年)
・・・直行系コンテナ輸送・物資別輸送への特化を主張(「コンテナ百万個体制」)
そのための専用設備建設計画(コンテナ基地・物資別基地など)
→貨物部門への巨額投資が実現(1965~71年度に約5000億円)
(→cf. 「設備」業務の重要度が向上)
・直行系への特化(=ヤード系からの撤退)に対する部内の反発
・・・ 技術系主管局の警戒:ヤード改良投資額の喪失
原岡貨物課長の反応:通運問題克服の具体案が不在
ミドル下層による評価:「運用」「輸送」担当者にとって非現実的
→ 客観的調査に基づく長期構想再編により、資金制約問題の解決に成功
「白紙ダイヤ改正」を活用した、漸進的・現実的な直行系輸送拡大
→ヤード系・直行系をめぐる新たなcoordination問題
業務運営への影響・・・「運用」の役割低下/「設備」・「輸送」の役割増大
21
(3)「近代化」運輸システム下の情報構造
・第三次長期計画の発足→「近代化」運輸システムの展開(1968年・1972年「白紙ダイヤ改正」)
・それを下支えした情報構造の分析と、その変容
①「輸送」・「運用」業務の実態
「運 用」
「輸 送」
・「定時」業務・・・日々の輸送調整
空車排出権を持つ 「運用定時」の優位
「定 時」
空車排出
命令
輸送障害
時の調整
・「計画」業務・・・輸送実態に応じた列車運行 の変更
白紙ダイヤ改正における「輸送計画」の優位
「計 画」
地方需要の
収集(車扱)
ダイヤ改正
計画の作成
②情報構造の変容
・1960s前半まで・・・ヤード系輸送がメイン
ミドル下層の情報処理能力に依存
右図「③→④→⑤」が中心
・1960s半ば以降・・・「白紙ダイヤ改正」の連続
直行系輸送拡大(第三次長期計画)
・経営改善計画(1969~)
・・・貨物部門の赤字が急拡大
トップ層による(過大な)目標設定
→「輸送」は実需よりも目標値へコミット
次第に、 右図「①→②→⑤」が情報構造のメインへ
→ 貨物部門の意思決定:ミドル上・下層の分離(cf. 「43・10」/「47・3」における地域間急行列車の設定)
ミドルの階層をまたいだ情報構造が構築→垂直的なcoordination問題の発生
次第に、輸送力(目標値)と輸送需要(実需)の乖離が拡大(cf. スト権スト後、「53・10」で是正)
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総 括
(1)展 望
・スト権スト(1975年)の衝撃
・・・貨物輸送の劣位が明確化、過大な目標値設定からの解放
→輸送力・輸送量の乖離解消へ
・国鉄改革と直行系輸送への転換
・・・ヤード系輸送をめぐるcoordination問題の顕在化
→直行系輸送への全面的転換(「59・2」ダイヤ改正)
ヤード系輸送廃止による「運用」の終焉
(2)ミドル・マネジメントの果たす具体的な役割
・拠点である「課」を中心に、外部環境変化に応じた業務の創造・体系化→システムのダイナミズムの源泉
・上層・・・制度設計・長期構想樹立・対ステークホルダー交渉など「例外問題解決」機能
・下層・・・長い業務経験を背景にした「情報処理」機能
(3)組織内部におけるcoordinationのあり方
・中央/地方間のcoordination・・・鉄道国有化以前の旧私鉄「割拠」状況に起因
→1920年の制度設計(中山隆吉)により解決
・配車/貨物課間の水平的coordination・・・輸送力の相対的不足に起因
「貨物輸送近代化構想」の実施停滞で長期化
→「白紙ダイヤ改正」、輸送需要の減退により徐々に抑制
・ミドル・マネジメント上層/下層間の垂直的coordination・・・「近代化」期の情報構造に起因
→上下をめぐる情報構造の分離により、解決困難
(4)国鉄におけるトップ・マネジメントのあり方
・トップ・マネジメントの強いコミットを前提とした、集権的なcoordinationが観察される
・ミドル・マネジメント上層の人事政策を用いた、間接的コントロールにとどまる
→1970年代における機動的対応の喪失/施策のタイム・ラグにつながった可能性
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参考文献
・大島藤太郎(1949) 『国家独占資本としての国有鉄道の史的発展』 (伊藤書店)
・Chandler, Alfred. D. (1962) “Strategy and Structure” (MIT Press)
・星野誉夫(1970, 71, 72) 「日本鉄道会社と第十五国立銀行(1)(2)(3)」
『武蔵大学論集』17巻2~6号(1970年), 19巻1号(1971年), 19巻5・6号(1972年)
・Williamson, Oliver (1975) “Markets and Hierarchies” (Free Press)
・Chandler, Alfred. D. (1977) “The Visible Hand” (Belknap Press)
・中西健一(1985) 『戦後日本国有鉄道論』(東洋経済)
・原田勝正(1989) 『鉄道史研究試論』(日本経済評論社)
・角本良平(1989) 『鉄道政策の検証』(白桃書房)
・Milgrom, Paul, & John Roberts (1992) “Economics, Organization and Management” (Prentice Hall)
・ユルゲン・コッカ(1992) 『工業化・組織化・官僚制』 (名古屋大学出版会)
・青木昌彦(1992) 『日本企業の制度分析』 (筑摩書房)
・浅沼萬里(1997) 『日本の企業組織 革新的適応のメカニズム』 (東洋経済新報社)
・運輸経済研究センター(1998) 『国鉄分割民営化に至る15年』
・中村尚史(1998) 『日本鉄道業の形成』 (日本経済評論社)
・波形昭一・堀越芳昭編(2000) 『近代日本の経済官僚』 (日本経済評論社)
・谷口明丈(2002) 『巨大企業の世紀』 (有斐閣)
・禹宗杬(2003) 『「身分の取引」と日本の雇用慣行』 (日本経済評論社)
・吉田文・広田照幸編(2004) 『職業と選抜の歴史社会学』 (世織書房)
・中村尚史(2005) 「近代企業組織の成立と人事管理」岡崎哲二編『生産組織の経済史』(東京大学出版会)
・鴋澤歩(2006) 『ドイツ工業化における鉄道業』(有斐閣)
・坪山雄樹(2008) 『組織におけるタテマエの計画の策定とその自走』 (一橋大学商学博士学位取得論文)
・Alonso, Ricardo , Wouter Dessein & Niko Matouschek (2008) “When Does Coordination Require Centralization?” American Economic Review, 98‐1
・伊藤秀史・森谷文利(2009) 「中間管理職の経済理論」『日本労働研究雑誌』592号
・林采成(2010)「国鉄の輸送力増強と市場競争」原朗編著『高度成長始動期の日本経済』(日本経済評論社)
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