医療法人 靖和会 - ぶぎん地域経済研究所

訪
探
業
企
医療法人 靖和会
地域社会に真摯に向き合い
心の通う医療・看護・介護を実践し35年
医療法人靖和会は、昭和35年に木川一男会長が東飯能駅前に「木川接骨院」を開院したのが始
まりである。接骨師として地域医療に関わることで、
「高齢者が安心して入院できる病院」の必要
性を痛感、周りに医療関係者がいない中で、さまざまなご縁に恵まれ昭和55年に飯能靖和病院開
設を果たす。三男一女の子どもたちもそれぞれ医師となり、彼らを中心に医療法人靖和会と靖和
会グループを展開している。今回は、今や飯能市のみならず埼玉県南西部の中核となる医療、介
護サービス機関として発展を続けている靖和会グループ木川一男会長に、創業の経緯や事業展開、
将来展望について話を伺った。
■高齢者医療の実態を知り、病院創立へ
族が安心して任せられ、高齢者の尊厳を損な
わない病院の必要性を痛感したのです。
私は小説の「姿三四郎」に憧れて、中学時
そして自らの手で病院開設に向けて動き始
代から柔道を始め、早く黒帯になりたいとの
めました。しかし、病院開設において最も高
一念で寝食を忘れて稽古に励みました。中央
いハードルとなったのが医師の確保でした。
大学に入学してからも、柔道を続けながら社
病院経営の経験もないうえ、親戚にも誰も医
会科の教員免許を取得しました。卒業にあ
師がいない状況だったからです。
たって、当時三段であった私に先輩が、
「木
万策尽きる思いの中、弟の知人から一人の
川、柔道整復師の資格を取って、接骨院を開
女性の先生を紹介されました。それはまさに
業したらどうだ?」とアドバイスをしてくれ
暗闇で一筋の光明がもたらされたようでし
たのです。
た。その後、初代院長となる井上泰代先生か
卒業後、昼は上野の金井整形外科に勤め、
ら、
「生涯の集大成として社会に手を差し伸
夜は東京柔道整復学校に通いながら柔道整復
べたい」とのお言葉を頂戴し、来て頂けるこ
師の免許を取得しました。当時は飯能市内に
とになったのです。井上先生は当時、既に
接骨院そのものが少なかったこともあり、昭
82歳というご高齢でしたが、非常にお元気
和35年、27歳の時に東飯能駅前に木川接骨
で、何より老人医療に関する思いが私と合致
院を開業することができました。
しており、遂に希望が叶う日が来ました。井
毎日さまざまな患者さんを診ていましたが、
上泰代先生を招聘し、接骨院開業から20年、
片道30㎞もある山奥へ往診に行き、骨折し
昭和55年12月、47歳の時に病床数138床の
ているにもかかわらず、一人寝ているお年寄
飯能靖和病院を開設することができました。
りも数多く診察しました。飯能地域の高齢者
医療の厳しい実態
■四人の子どもを医師に
を目の当たりにし
これからの医療を考えて、子どもたちにも
た時、療養型病院
医師になることを勧めました。皆特段迷うこ
設立の思いが強く
となく医師を目指して勉強し、お陰様で私の
芽生え、何より家
願い通り四人とも医師になってくれました。
木川接骨院(平成11年撮影)
―井上泰代先生について―
井上先生は老人医療への考
え方として、次のようなこと
をおっしゃっていました。
「個
室を無くして、すべてを大部
屋にしなさい。食事は外部委
託にするのではなく、心を込めて自分たちで作るべきだ」
と。94歳で天寿を全うされる少し前まで飯能靖和病院の
ため、地域の老人医療のため、ご尽力されました。
井上院長時代の忘れられない出来事は、秩父宮妃殿下
勢津子様においで頂いたことです。井上先生が財団法人
結核予防会に関係していたこともあり、結核予防会総裁
秩父宮妃殿下と井上院長を囲んで(昭和60年6月)
として妃殿下の当院慰問が実現しました。
現在、長男浩志が医療法人靖和会の飯能靖
なくなりました。そこで、満床状態が続いて
和病院院長、次男泰宏は医療法人泰一会を立
い た 飯 能 靖 和 病 院 で は、 昭 和62年 に 思 い
ち上げて飯能整形外科病院院長、三男の好章
切って168床の増床を行いました。現在の靖
は認知症を中心とした飯能老年病センター院
和会飯能病院の基盤は、この時に作られたと
長として、靖和会グループを支えてくれてい
考えています。
ます。また長女の典子も東京都武蔵野市でレ
一方、医療界において、決して花形分野と
ディースクリニックを開業しています。
はいえない高齢者医療を中心に置くというこ
私は43年間続けていた接骨院を平成13年
とは、ある意味冒険でもありました。それで
に廃業、子どもたちそれぞれの病院経営の後
も飯能靖和病院は、特例許可病院として地道
ろ盾となり、円滑な連携を図るために靖和会
に地域の老人医療を担ってきました。介護保
グループを立ち上げました。今は子どもたち
険制度が出来たことで、早くから老人医療を
の“潤滑油”になるべく、グループの会長を
手掛けていた飯能靖和病院、靖和会グループ
しています。
としては、更に大きく飛躍することができた
のです。
■地域の老人医療の中心として着実に発展
以下、グループ全体の主な取り組みを年次
を追って紹介しますと、平成9年に飯能好友
医療法人靖和会、靖和会グループの歴史の
中で、医療制度改革や
川島
介護保険制度などが大
きく関わってきたこと
1
靖和会グループ施設点在マップ
は否定できません。
昭 和60年 の 医 療 法
の改正に伴い、地域医
められました。この改
割り当てられたため、
飯能市東吾野医療介護センター
東吾野
介護老人保健施設 やまぶきの郷
飯能老年病センター
東飯能
東
武蔵藤沢
武
東
武
池
線
狭山ヶ丘
国
道
武
宿
西
新
JR
八
高
線
みずほ台
入曽
西
入間
鶴瀬
三芳スマート
稲荷山
公園
仏子
特別養護老人ホーム 入間つつじの園
青梅
特別養護老人ホーム 第二つつじの園
狭山PA 入間市
飯能
社会福祉法人靖和会
上福岡
社会福祉法人靖和会
狭山市
介護老人保健施設 いるまの里
6
新河岸
新狭山
狭山日高IC
医療法人泰一会
床や病院の新設ができ
南古谷
特別養護老人ホーム
つつじの園
飯能靖和病院
飯能整形外科病院
指扇
川越
川越
社会福祉法人靖和会
医療法人靖和会
医療法人泰一会
健康増進センターメディカルフィットネス Style
本川越
西川越
笠幡
武蔵高萩
高麗川
武蔵横手
5
川越市役所
●
霞ヶ関
圏央鶴ヶ島
医療法人靖和会
医療法人泰一会
4
埼玉医科大学総合
医療センター
鶴ヶ島
鶴ヶ島JCT
的場
医療法人靖和会
病床数が満たされてい
る圏域については、増
一本松
西大家
正を機に、地域ごとに
医療圏と必要病床数が
川角
2
3
介護老人保健施設小江戸の郷
鶴ヶ島
武州長瀬
毛呂
療計画と病床規制が定
医療法人靖和会
坂戸
坂戸
袋
線
新所沢
医療法人泰一会
所沢リウマチ・
スポーツクリニック
小手指
東所沢
号
医療法人泰一会
介護老人保健施設 みかじま
西所沢
所沢
新秋津駅
清瀬駅
上
線
北朝霞
所沢
新座
武
蔵
野
線
飯能靖和病院の施設
税金を投入して運営している状態で、飯能市
長より市立病院の立て直しについて直々に相
談を受けました。院内では、当然のごとく賛
否両論、侃々諤々の議論となりましたが、最
終的には、
「飯能市への恩返し」との思いか
ら決断に至りました。
“一日も早い黒字化”という命題に向かっ
て、これまでにない発想の転換で再生事業を
スタートしたのです。それまで飯能市立病院
病院(現在の飯能老年病センター )を開設しま
は全50床の一般病院でしたが、飯能靖和病
した。ここは当時、全国最大規模の老人性認
院の院長である長男浩志が中心となって再生
知症の専門病院でした。そして平成10年に
戦略を練りました。山間部である東吾野地区
飯能靖和病院が介護力強化の承認を受け、靖
で求められる医療体制を徹底的に分析し、新
和会グループ初の福祉施設、特別養護老人
たに診療所と介護老人保健施設を併設した複
ホーム「つつじの園」を狭山市柏原に開設し
合施設「飯能市東吾野医療介護センター」と
ました。
して生まれ還らせたのでした。
飯能靖和病院においては、平成12年に介
また、家族構成や生活環境にも注目し、在
護保険に対応するため、療養型新病棟(南館
宅介護が続けられるよう訪問診療にもより一
240床)を建設しました。翌平成13年には
層積極的に取り組みました。併せて1階に外
療養型転換工事が完了し、全館療養型になり
来用診察室と機能訓練室、2階に通所リハビ
ました。そして平成14年に医療法人靖和会
リテーション(デイケア)と入院診療を行う
を設立、平成17年に老人性認知症の専門病
19床の診療所、3階に介護保険で利用可能
棟(南新館60床)の増床によって、総病床
な定員29名の介護老人保健施設を置きまし
数は現在の形である480床となりました。
た。全国でも珍しく、埼玉県内でも初めての
■旧飯能市立病院を再生させ、
全国的な先進モデルとして高評価を得る
さらに医療法人靖和会は、埼玉県のみなら
ず、全国にその名
を知らしめるよう
な事業に着手して
いきます。
平 成22年、 飯
能市から指定管理
者として「旧飯能
(上)飯能市東吾野医療介護センター
(下)飯能市との基本協定調印式
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ぶぎんレポート No.197 2016 年 3 月号
試みとなりました。
医療法人靖和会における病院、介護施設運
営のノウハウを最大限生かした独自の戦略が
功を奏し、当初の予定よりもかなり早い段階
で経営改善することができたのでした。この
事業については、山間部の地域医療の成功モ
デルとして全国の自治体からの視察も多く来
ています。そして、指定管理者として現在2
期6年目に入っています。
■最近の事業について
市立病院」の再生
平成25年の2月に医療法人靖和会として、
を託されました。
3施設目となる介護老人保健施設「小江戸の
当時の飯能市立病
郷」を開設できました。これにより靖和会グ
院といえば、市が
ループとして、総ベッド数が1,661床とな
毎年2億円近くの
り、総職員数も1,700人を超えています。今
VISIT
【 彩 の国企業探訪 】
木川会長の座右の銘でも
あり、靖和会グループの
理念をあらわしている
「恕」
後も新たな事業展開の構想を持っています。
埼玉県内の病院の先駆けとしては、「運転
手向け簡易脳ドック」に参加しています。こ
れは、一般社団法人「運転従事者脳MRI健
診支援機構」が中心となって構築しているシ
ステムですが、運転中の体調急変による死亡
事故を未然に防ぐため、バスやトラック、タ
クシーの運転手の皆さんを対象として、脳
ドックの半額ほどの「簡易脳検査」を会社や
団体単位で受けられるというものです。飯能
靖和病院は、当初から参加する全国の6医療
機関の一つとして協力しています。
■人生の原点は「恕」にあり
会長室に「恕」という孔子の言葉が書かれ
た額が飾ってあります。この一字に、私自身
の生き方、そして靖和会の理念が凝縮されて
います。私の座右の銘の「恕」は、「その身
になって他人の気持ちを思いやり、それを受
け入れ、認め、許すこと」を意味しています。
また靖和会グループの理念である「心のかよ
う医療・看護・介護」にも通じ、人生と病院
経営の原点と
なる一字です。
五葉松をお手植えされる
秩父宮妃殿下
(昭和60年6月)
現在のお手植えの松
靖和会グループ 木川一男会長(左)と
医療法人靖和会飯能靖和病院 木川浩志理事長・院長
企業
概要
医療法人 靖和会
http://www.hannouseiwa.or.jp
理 事 長:木川 浩志
創 立:昭和55年
本 部:〒357-0016 埼玉県飯能市下加治137-2
電話番号:042-974-2311
取 引 店:飯能支店
医療法人靖和会と靖和会グループ
飯能靖和病院を軸に、飯能市東吾野医療介護セン
ター、介護老人保健施設2施設を運営。また、靖和会
グループとしては、医療法人靖和会、社会福祉法人靖
和会、医療法人泰一会などを組織し、病院3施設、介
護関係では8施設を運営している。その他、クリニッ
クやメディカル・フィットネスなど多角的な運営をし
ており、埼玉県南西部地域の医療、介護の中核的な役
割を担っている。
施設一覧
医療法人靖和会
◆飯能靖和病院(飯能市)
◆飯能市東吾野医療介護センター
(飯能市、指定管理者施設)
◆介護老人保健施設 やまぶきの郷(坂戸市)
◆介護老人保健施設 小江戸の郷(川越市)
社会福祉法人靖和会
◇特別養護老人ホーム つつじの園(狭山市)
◇特別養護老人ホーム 第二つつじの園(狭山市)
◇特別養護老人ホーム 入間つつじの園(入間市)
医療法人泰一会
◇飯能整形外科病院(飯能市)
◇健康増進センターメディカルフィットネス Style(飯能市)
◇所沢リウマチ・スポーツクリニック(所沢市)
◇介護老人保健施設 いるまの里(入間市)
◇介護老人保健施設 みかじま(所沢市)
飯能老年病センター(飯能市)
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