要旨 - 農業環境技術研究所

食品のヒ素分析と摂取量推定
国立医薬品食品衛生研究所 食品部 片岡洋平
1.はじめに
ヒトは生活の中で多くの化学物質にさらされています。また、それら化学物質の大部分を食
事から摂取しています。化学物質の中には、生きる上で必要なものの他に、有害なものがわず
かながらありますし、食品には、時として環境や食品そのものに由来する有害な化学物質が含
まれています。しかし、どのような有害化学物質が、どのような食品にどれだけの量が含まれ
ているかといった実態については、情報が不足している場合が多いのが現状です。
天然にもともと存在する有害物質の発生を完全に止めることは困難であり、食品への汚染や
混入を防止するのにも限界があります。カドミウム・鉛・ヒ素などの元素類も天然に存在する
有害物質ですが、健康危害の未然防止の観点から、米や清涼飲料水等の食品に含まれるこれら
元素類の濃度(上限濃度)が、食品衛生法による食品成分規格として定められています。
天然の有害物質に対するリスク管理では、合理的に達成可能なより低い濃度にすることが基
本であり、食事を介した暴露量低減のために重要です。ヒ素は環境中に広く存在し、コメや一
部の海産物といった特定の食品には、高頻度に比較的高濃度で含まれていることから、製造規
範の策定や食品規格の設定等について、国際的なレベルで活発に議論されています。またヒ素
は、多数ある化学形態に応じて毒性が異なることも知られています。そのため、ヒ素によるヒ
トの健康への影響をより精密に評価するためには、化学形態別の摂取量推定が必要かつ重要で
す。特に、より毒性の強い無機ヒ素の摂取量は、国際的な注目度も高いのかと思います。
2.食品からの化学物質の摂取量推定
摂取量推定の目的は、喫食を通じて摂取する有害物質等の量を知ることであり、得られる値
(摂取量推定値)は、健康へのリスクの大きさを評価するために不可欠です。摂取量推定にお
いては、どのような有害物質を対象とするかをまず明確にしなければなりません。対象とする
有害物質の選定では、毒性の強さのほか、食品に含まれる頻度や量といった汚染の実態、また
時には社会的な関心の高さが要素になるでしょう。有害物質の選定に加えて、どのような集団
における摂取量を推定するかを決めることも重要です。極端に言えば、国が違えば食品の汚染
実態が違う可能性がありますし、文化的な違いによって、摂取する食品の種類や量が違う可能
性もあります。国内に限っても、地域や地方による違いがあるかも知れません。さらに、年齢
や性別によっても食事の内容は変わってくるでしょう。摂取量推定の対象集団を明確にした後
には、その対象集団における食品の摂取重量の情報を入手し精査、解析することが必要となり
ます。
このように摂取量推定には、押さえておくべき幾つかのポイントがあり、それらを十分に理
解し、可能な限りの計画を立てた後に実施する事になります。場合によっては、先に述べた目
的のために摂取量推定値を活用する際に、改めて実施内容を考慮する必要性について検討する
ことも大事になるでしょう。
摂取量推定の方法としては幾つかの方法が挙げられますが、ここでは私達が採用しているト
ータルダイエットスタディーについてご紹介します。
3.トータルダイエットスタディー
トータルダイエットスタディーの大きな特徴は、食べられるように調理した食品あるいは、
一食分の食事から調製した試料(TD 試料)を分析することにあります。つまり、調理や加工に
よる食品への影響(摂取量推定する化学物質の調理や加工による増減も含む)が、分析する試
料として考慮されています。トータルダイエットスタディーは、TD 試料の調製方法によって「マ
ーケットバスケット方式」と「陰膳方式」の 2 つに区別されます。マーケットバスケット方式
では、小売店などから食品を買い上げ食べられるように調理した後、食品の特性に応じて決め
た群ごとにまとめて混合し、TD 試料を調製します(私達の研究では、食品を 14 群に分け、TD
試料を調製しています)
。TD 試料を分析することで、食品群ごとに有害物質の濃度が得られま
す。これらの濃度に各食品群の摂取量を乗じて、対象集団における有害物質摂取量を食品群ご
とに推定します。次いで、食品群ごとに推定した摂取量を全て足し合わせることにより、対象
集団における有害物質の平均的な摂取量を推定します。このような方法を採用することによっ
て、全ての食品からの摂取量を推定するだけではなく、どの様な食品(群)からの摂取量が多
いかといった情報を得ることも可能になります。一方の陰膳方式では、対象となる個人が喫食
するのと同一の食事を複製し、これを1日分まとめて混合して TD 試料を調製します。そのた
め、対象者の 1 日あたりの有害物質摂取量をより直接的に推定することができますが、個人の
協力が不可欠で、マーケットバスケット方式のように、トータルダイエットスタディーの実施
者のみで試料を調製することが困難です。
私達は、マーケットバスケット方式を採用したトータルダイエットスタディーにより一般的
な日本人(性別の区別が無い全年齢層)における各種有害物質の摂取量を 40 年ほどの期間にわ
たって推定しており、ヒ素についても、総ヒ素と無機ヒ素摂取量を推定しています。
4.摂取量推定のための分析法開発
摂取量の推定値の質をより高いものにするには、その算出に用いられる分析値(データ)の
質も高くなければなりません。そのためには、摂取量推定の目的に合致した分析法が必要にな
ります。摂取量推定では、多様な食品(群)に含まれる各種有害物質を見逃すことがないよう
に、より低い濃度まで分析することが求められます。摂取量推定の目的において使用される分
析法には、どのような食品に適用が可能で、どの程度低い濃度まで分析可能かの証明が必要と
なります。この証明のためには、分析法の性能評価が不可欠です。
私達は、ヒ素の摂取量を推定するために、TD 試料中のヒ素を分析するための方法を開発して
きました。また併せて、開発した分析法の性能を評価するために使用する試料(性能評価用試
料)も開発しました。現在までに、マイクロ波分解抽出後に誘導結合プラズマ質量分析計
(ICP-MS)により測定・定量する総ヒ素分析法、また希硝酸抽出後にイオンペア逆相クロマト
グラフィーにより分離し ICP-MS により測定・定量する無機ヒ素分析法を開発し、それら分析
法の性能を評価しています。性能を評価し、摂取量推定の目的において使用が妥当と判断した
これら総ヒ素および無機ヒ素分析法を用いて、全国約 10 地域で調製した TD 試料を分析し、摂
取量を推定しています。
5.最後に
本講演では、私たちが40年近くにわたり実施しているトータルダイエットスタディーを例
に、摂取量推定の目的やそれに用いられる手法、またヒ素については、分析法の開発と性能評
価を通じて得た結果についてご紹介させていただきます。ヒ素分析の今後の課題等についても、
情報を共有できればと考えています。