2016.3.4|許す人であること

東京ジャーミイ金曜日のホタバ
2016 年 3 月 4 日
許す人であること
親愛なるムスリムの皆様 。クルアーンで勧
は次のように仰せられているのです。「不正に
められているよい徳の基本の一つが、許す人
あった時に忍耐する者は、アッラーがその名
であることです。許すことはクルアーンでは
誉を高めてくださる」
篤信を持つ人の特質であり、人を天国へと導
親愛なるムスリムの皆様 。許すことにも、
く行為であると示されているのです。「順境に
当然限界や基準があります。アッラーや預言
おいてもまた逆境にあっても、(主の贈物を施
者が私たちに勧められている許すという行為
全体規則)
しに)使う者、怒りを押えて人びとに寛容な
は、ただ個人的な私たちの権利に関するもの
態度で接する者、本当にアッラーは、善い行
OF ISLAM IS
です。これに対し、宗教的、民族的価値、統
EASY
いをなす者を愛でられる。」(イムラーン家章
一、生命に関して行われる悪い事については
第134節)預言者ムハンマドも、怒りを抑
最大限に敏感である必要があります。
えることを真の勇者としての振舞いであると
親愛なるムスリマの皆様 。許す人であるこ
仰せられておられます。「勇者というのはレス
とは同時に預言者ムハンマドの美徳でもあり
リングで相手を倒す者のことではありません。
ます。アッラーはこの件について預言者ムハ
真の勇者とは、怒った時に怒りを抑えること
ンマドに次のように呼びかけておられます。
ができる者のことである。」(ブハーリーによ
「あなたは許しの道を行きなさい、善を命じ、
る伝承)
無知から顔を背けなさい」預言者ムハンマド
親愛なるムスリムの皆様 。人間関係の基本
もこの崇高なる呼びかけに答え、ご自身に対
は、相互の愛情と敬意にあります。この素晴
してなされる悪事には報復したりののしった
らしい特性が存在しないところでは、衝突や
りする代わりに、次のようなドゥアーを行わ
喧嘩、敵対関係がいつでも起こり得るのです。
れたのです。「アッラーよ、わが民をお許しく
とてもささいな原因によって、仕返しをして
ださい。彼らは何をしているか分かっていな
やろうという感覚により、時として人は互い
いのです」
を傷つけあうのです。しかし、許すという行
許す人であることは、愛情、慈しみ、忍耐、
為のもたらす幸福は、報復行為のもたらす喜
そして寛容といったよい徳のしるしの一つで
びよりもより長く続き、また結果から考えて
す。私たちはアッラーのご承認を、現世と来
も尊いものであるのです。
世の幸福を求める信者としてまず、許される
怒りや報復にこだわることは人を常に不快
べき状態になるような誤ちから遠ざかりまし
にすると同様、肉体的、精神的健康の観点か
ょう。私たち個人に対してされる、私たちを
らも甚大な害をもたらすことがあります。一
悲しませ傷つけるような行為に対しては、そ
瞬の怒りによって愛する人々を傷つけ、親友
の報奨をアッラーから望みつつ、許すことを
を失い、そして後悔の念にとらわれたことは
学びましょう。アッラーが私たち皆に許すこ
私たちによくある経験でしょう。
とのできる心を与えてくださいますように、
許すことを、敗北とみなし誇りを傷つけら
れたと考える人もいるかもしれません。しか
そしてご自身のお許しを与えてくださいます
ように。
し許すことは負けを認めることではなく、名
誉を守ることです。なぜならアッラーの使徒
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