要旨 - 農業環境技術研究所

水稲のヒ素吸収抑制(1)水管理
国立研究開発法人農業環境技術研究所 物質循環研究領域 中村 乾
1.はじめに
ヒ素(As)とカドミウム(Cd)は健康被害が指摘される有毒元素であり、水稲による両元素の吸
収を同時に抑制することは、コメを主食とする国において安全な食糧を供給するための重要な技
術開発目標となっている。
土壌中の Cd は酸化的条件下で可溶化し、還元的条件下で不溶化する 1)のに対し、As は還元的
条件下で可溶化し、酸化的条件下では不溶化しやすい 2, 3)。そのため水稲による Cd の吸収抑制に
は長めの湛水が効果的とされてきた 4)。しかし、長め湛水は水田土壌の還元状態を発達させるた
め、還元的条件下で可溶化する傾向のある As 2)の土壌中溶存濃度を上昇させ、水稲による As 吸
収を増加させることが懸念されている 5)。このように水田土壌中の溶存 As および Cd 濃度や、水
稲による両者の吸収はトレードオフ関係にあると一般に考えられている。そこで本研究では水稲
による As および Cd 吸収を同時に抑制し、玄米中濃度を同時に低減する水管理法を明らかにす
ることを目的とした。
玄米中の As および Cd 濃度はそれぞれ土壌中の溶存濃度と高い相関があるため 6)、玄米中濃度
の低減には溶存濃度の抑制が必要である。土壌中の溶存 As および Cd 濃度に影響を与える酸化
還元状態は、水田圃場の湛水および落水に応じて変化する 7)。湛水期には有機物分解に伴う還元
状態の発達により酸化還元電位が低下し、pH が上昇する一方、落水時には侵入した酸素による
酸化反応の結果として酸化還元電位が上昇し、pH が低下する。本研究でわれわれは、落水や湛
水に対応した水田土壌の、とくに落水期における酸化還元状態は酸素拡散を通じて気相率の支配
を受け、その結果としての Eh および pH の複雑な相互作用を介して、溶存 Cd および As 濃度も
気相率の支配を受けるとの仮説を設けた。落水期の酸化還元状態は、土壌への酸素侵入速度と土
壌中の酸素消費(有機物分解および還元された状態にある無機物質の酸化等による)速度の相対
的な大小に支配される。土壌中の酸素拡散を支配するガス拡散係数は、気相率の上昇に伴って増
加する 8)。
それゆえ、
土壌の気相率と溶存 As および Cd 濃度の間にはそれぞれ明瞭な関係があり、
これらの濃度に対する水管理の影響は気相率の違いを通じて現れると予想される。
本研究では、玄米中 As および Cd 濃度を同時に低減する水管理法を明らかにすることを目的
とし、まず①気相率と溶存 As および Cd 濃度との関係を明らかにし、次に②溶存 As 濃度を低下
させ、Cd 濃度をあまり上昇させない気相率を得るための落水期間、および溶存 Cd 濃度を低下さ
せ、溶存 As 濃度をあまり上昇させない湛水期間を調査し、そこで得られた結果を利用して③玄
米中 As および Cd 濃度を同時低減させるために有効な間断灌漑を得たのでここに紹介する。
2.溶存 As および Cd 濃度と気相率との関係
水田土壌の溶存 As および Cd 濃度の間にはトレードオフの関係があるとされており、これら
を支配する水田土壌の酸化還元状態は、酸素拡散を通じて気相率の影響を受けると考えられる。
ここでは、水田土壌溶液中 As 濃度と Cd 濃度のトレードオフを、気相率との関係から明らかに
する目的で以下の試験を行った。土壌類型の異なる 2 つの水田圃場に設けた長め湛水区および節
水栽培区の多数地点から、中干し期、出穂期および収穫前落水期に 100 cm3 の不攪乱土壌を採取
した(採取深さ 0~5、5~10 および 10~15cm)
。採取試料は気相率、体積含水率を測定すると
ともに遠心分離により土壌溶液を採取し、As および Cd 濃度を ICP-MS で測定した。得られた結
果は、土壌中における As および Cd の可溶化・不溶化が直接的には異なるメカニズムで起こる
ことを示していた。すなわち土壌中の溶存 As 濃度は気相率が小さい、より還元的な状態で高く、
気相率が大きい、より酸化的な状態で低かったことに加え、気相率 0.04–0.10 m3 m–3 を閾値とし、
濃度 2.0 μg L–1 以上の As が検出されるのは気相率がそれ以下の時に限られた。対照的に気相率
と溶液中 Cd 濃度との間には、ほぼ原点を通る直線により近似される正の相関関係があった。ま
た、溶存 As 濃度と溶存 Cd 濃度の関係を気相率別に示すと、全体的には土壌の Cd 濃度が高い試
料は As 濃度低く、As 濃度が高い試料では Cd 濃度が低くなる関係が見られた。一方で土壌の溶
存 As および Cd 濃度は必ずしも相補的関係およびトレードオフ関係にあるわけではなく、As 不
溶化の閾値よりもわずかに高い気相率では両者がともに低い傾向があった。これらの結果は、適
切な水管理により、
水田土壌の溶存 As 濃度と Cd 濃度をともに低く抑えられることを示唆する。
3.溶存 As および Cd 濃度を低濃度に抑えるための湛水および落水期間
溶存 As および Cd 濃度をともに低く推移させるために必要な湛水および落水期間を知るため
に以下の試験で得られたデータを利用して考察を行った。水田圃場に 2 灌漑処理区(長め湛水区
および節水栽培区)を設け、作土深さ 5 cm および 15 cm に TDR 土壌水分計を埋設し、土壌の
気相率をモニタリングするとともに同深さにファイバー式土壌溶液採取器を埋設し、1–2 週間毎
に採取した土壌溶液の As および Cd 濃度を ICP-MS で測定した。
その結果、土壌の溶存 As および Cd 濃度は気相率の変化に対して不撹乱土壌試料で得られた
結果と同様の傾向を示した。土壌の溶存 As は気相率が 0.05–0.08 m3 m–3 と低い時に高濃度とな
り、気相率が 0.09–0.12 m3 m–3 以上に大きくなると 0 μg L-1 付近まで低下した。対照的に溶存
Cd 濃度は気相率が高まった時に高まり、
降雨や灌漑により気相率が低下すると同時に低下した。
これらの結果から落水開始からの溶存 As および Cd 濃度の変化を調べるため、測定期間中に
複数回観測された湛水からの気相率上昇時における溶存 As および Cd 濃度の変化をまとめてみ
ると、各濃度がそれぞれ低下および上昇するにはある程度の期間が必要であることが示された。
田面水が消失して気相率が上昇し始めると溶存 As 濃度は急速に低下し、
気相率上昇開始から 2–3
日経過すると低濃度で推移した。この時期には土壌の気相率は 0.10 m3 m–3 付近に達しており、
本圃場においてはヒ素不溶化の閾値よりもわずかに高い気相率に達するまでに気相率上昇開始か
ら 2–3 日要すると考えられた。一方、溶存 Cd 濃度は気相率上昇に伴って上昇したもののその上
昇は溶存 As 濃度の低下よりも遅かった。水田圃場では田面水排除から約 1 日後に気相率が上昇
開始することを考慮すると、溶存 Cd 濃度の上昇をある程度抑えた上で湛水期間に上昇した溶存
As 濃度を十分に低下させるためには、田面水を排除してから 3–5 日間の乾燥が必要と考えられ
た。
湛水期間における溶存 As および Cd 濃度の変化も同様に求めると、溶存 As 濃度は湛水開始か
らほぼ直線的に増加したのに対し、溶存 Cd 濃度は湛水開始後急速に低下し、湛水開始 2–3 日後
には 0 μg L–1 付近まで低下した。これらの結果により溶存 Cd 濃度を十分に低下させるためには
2–3 日以上の湛水期間が必要であり、さらに湛水を継続するには溶存 As 濃度の上昇を考慮すべ
きことが示された。これらの結果は、水田土壌の溶存 As および Cd 濃度を低濃度に抑えるため
には適切な湛水および落水期間が必要であることを示すとともに、それらを繰り返す間断灌漑を
行うことで溶存 As および Cd 濃度をともに低く推移させられることを示唆する。
4.玄米中 As および Cd 濃度を同時低減するための間断灌漑
玄米中の As および Cd 濃度および溶存 As および Cd 濃度を同時低減するための間断灌漑を求
めるために、以下の試験を行った。類型の異なる 4 つの水田圃場に出穂前後各 3 週間湛水区、お
よび灌漑間隔 4 日~10 日の異なる間断灌漑区を設け、作土の深さ 5 cm および 15 cm に TDR 土
壌水分計、Eh センサーおよびファイバー式土壌溶液採取器を設置した。気相率は TDR による体
積含水率測定値から推定した。土壌溶液は 7 日前後の間隔で採取し、ICP-MS により溶存 As お
よび Cd 濃度を測定した。さらに各処理区の玄米中の無機 As および Cd 濃度も同様に測定した。
いずれの水田圃場においても、中干し、湛水、間断灌漑などの水管理に応じた気相率および Eh
の経時的な変化が明瞭に観察された。溶存 As および Cd 濃度は水管理に応じた気相率や Eh 変
化とよい対応関係を示し、灌漑間隔 6~8 日の間断灌漑区では増減を繰り返しながら低めに推移
した。溶存 As および Cd とも、3~5 日間の田面水残存期・消失期に著しく濃度が変化する場
合があった。溶存 As 濃度は灌漑約 4~5 日後、田面水消失による気相率と Eh の上昇とともに
急減する傾向があったが、灌漑間隔 6 日では濃度が低下しきれない場合も見られた。灌漑間隔
8 日では溶存 As は低濃度に抑えられたが、田面水消失後、溶存 Cd 濃度は経過日数とともに上
昇し、その上昇は気相率が 0.10 m3 m–3 に近づくと著しかった。玄米中の無機 As および Cd 濃
度は、灌漑間隔 7~8 日前後の間断灌漑区で両者がともに比較的低濃度に抑えられる傾向があっ
た。これらの結果は、灌漑間隔 7 日前後(湛水 3 日、落水 4 日前後)の間断灌漑が玄米中 As
および Cd 濃度の同時低減に有効な水管理法であることを示した。
5.おわりに
本稿では玄米中 As および Cd 濃度を同時低減させるために有効な間断灌漑を紹介した。この
間断灌漑は、来年度より農水省による実証事業において有効性が検証される予定である。今後は
排水不良田および過良田において同様の成果を得るための間断灌漑開発に向けた研究を予定して
いる。
謝辞
本成果は主に農林水産省「生産・流通・加工工程における体系的な危害要因の特定解明とリスク
低減技術の開発(ヒ素・カドミ) AC-1110」および「食品の安全性と動物衛生の向上のためのプロジ
ェクト As-220」の研究資金で実施されたものである。共同研究者をはじめ関係各位に心より感
謝申し上げます。
参考文献
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