先週講壇 い掟がある」ということを前提で話されたと思い ます。では古い掟とは何でしょう。そうです。 「神 互いに愛し合いなさい を愛し、自分を愛するように隣人を愛しなさい」 2015年 8 月23日 合同礼拝 という掟です。これが、前提とされている「古い ヨハネによる福音書13章34~35節 掟」です。 松本雅弘牧師 ここで言う「古い」という意味は、古臭くなっ てもう役に立たない掟ということではなく、古い Ⅰ.神さまの家族である私たち 昔からずっと続く大切な掟という意味です。 ですから、この時イエスさまが「新しい掟」と 今日は年に一度の合同礼拝です。地の塩コミュ 呼ぶもの、それは今までの掟に新たに加えて与え ニティーブラジル人集会、スペイン語礼拝、そし る掟という意味で「新しい」と呼ばれたものなの て高座教会の私たちが一堂に会し、主を礼拝して です。 います。 では新しい掟とは何でしょう? それは、一言 先日、7月19日の主日共同の礼拝で水間香織 「互いに愛し合いなさい」という掟でした。そし 神学生が「神の家族」というテーマで奨励されま て今日、特に注目したいことは、この御言葉の後 した。母教会の流山福音自由教会を離れるのが初 半の部分で語られた、互いに愛し合うならばイエ めての水間神学生でしたが、礼拝に出席する中で、 スさまのことを知らない人々がイエス・キリスト 主の臨在を感じ、母教会にご臨在なさるお方は高 を知るようになるということです。分かり易い言 座教会の礼拝にもご臨在なさるお方であること、 い方をすれば、 「互いに愛し合うことが証しにな そう感じた彼女の目に飛び込んで来たのが、神さ る」ということです。 まを礼拝している兄弟姉妹の姿だったそうです。 その時、 「あっ、ここにも神の家族がいるのだ」 Ⅲ.伝道が進まない原因 と思い、今まで心の中にあった不安や淋しさから 解放されたという証しをしてくださったことで 現在、日本では伝道が進まない現実があります。 した。 日本人が回心するのは本当に難しい。では一体何 私は彼女の奨励を聞きながら、ポルトガル語を が躓きなのでしょうか? クリスチャンの存在 話す地の塩コミュニティーブラジル人集会の 自体が躓きだという人がいます。 方々やスペイン語礼拝の方々の場合は、流山より 神さまを信じていながら陰口ばかりを言って ももっと遠くから来られ、さらに言葉も違う中で いるクリスチャンがいたら、たぶん周囲の人は、 生活していますから、母国のブラジルやペルー、 「あの人のようにはなりたくない」と思うでしょ アルゼンチン、そうした国々からやって来て日本 う。 「教会は忙しい、教会に入ったら大変よ、忙 で生活する中で、同じ神さまが臨在され、私たち しいんだから」と言っている人がいるとしたら、 が主にあって神の家族同士であるということは、 誰がキリストを信じるようになるでしょうか? どんなに力強いことか、励ましかと思わされたこ 放蕩息子のお兄さんのように眉間にしわを寄 とです。 せ、嫌々ながら日々過ごしているとするならば、 そして、その礼拝の中で心に浮かんで示された 誰が教会に魅力を感じるでしょうか? たぶん、 聖書の言葉が今日お読みしたヨハネによる福音 誰も魅力を感じません。 書13章34節、35節でした。 先日妻と、洗礼を受けるきっかけは何だったろ う、と話していました。妻が話してくれたのは自 Ⅱ.背景説明 分も仲間に加わりたいと思ったからということ でした。私の場合は、罪の問題が処理されずにそ イエスさまがこの御言葉を語られた場面は最 のまま死んだら地獄に行くという話を聞いて「怖 後の晩餐の席上でした。十字架に掛かられる前日 い」と思ったことが切っ掛けと言えば切っ掛けで の木曜日に語られたイエスさまの教えです。 すが、でも確かに妻が言うような側面、つまり教 ここでイエスさまは「あなたがたに新しい掟を 会の高校生に魅力を感じ、彼らの仲間に加わりた 与える」と言われました。これから与える掟のこ いということが正直な思いだったと思います。今 とを「新しい」と形容するわけですから、当然「古 日のイエスさまの言葉を使えば、彼ら高校生のグ ループの中に、互いに愛し合う愛があったからで しょう。まさに「互いに愛し合うならば、それに よってあなたがたがわたしの弟子であることを、 皆が知るようになる」ということが起こっていた のだと思います。 地の塩コミュニティーブラジル人集会、そして スペイン語礼拝の方たちが、互いにハグしあって いる姿を見ると、とても素晴らしいと思います。 私たちもそうしたいのですが、テレがありますし 「ハグしあう習慣」もないのでなかなか出来ませ ん。 そのように、たとえ異なる文化や言葉、習慣を 持っている互い同士だとしても、文化や言葉、習 慣の違いを超えて、互いに愛し合うという掟を、 私たちがどれほど大切にしているか、そのことを 神さまに問われているように思うのです。 マザー・テレサが、愛の反対は無関心だと語り ました。私たちが互いの活動や働きに無関心でい るとしたら、それは愛し合っている姿ではないと いうことを知らされます。お互いの働きについて、 お互い同士について、どんなことを感じながら過 ごしているでしょうか。 そのような意味で、年に一度だけではあります が、このように一緒に礼拝を捧げ、主の前で交わ り、互いを知る機会があることは本当に素晴らし いことだと思います。 高座教会の新年礼拝で宗教社会学者のロドニ ー・スタークが書いた『キリスト教とローマ帝国 ―小さなメシア運動が帝国に広がった理由』とい う本を紹介しました。 そこには、何故キリスト教が短期間でローマ帝 国に浸透していったのかについて書かれていま す。著者によれば、キリスト教の拡大の理由は、 一夜で奇蹟的なことが起きたからでも、コンスタ ンチヌス帝が国教にするという勅令を出したか らでも、殉教者が多く出たことによって信頼を勝 ち得たからでもなく、クリスチャンたちが強い絆 の共同体を形成したことによるのだと結論付け ています。そこに「新しい掟」に忠実に生きるク リスチャンたちがいたので、周囲の人々がキリス トへと導かれて行ったからだというのです。 当時、病気になると見捨てられたそうです。と ころが教会の人たちは、社会が見捨て、誰も世話 をしない病気の人々のお世話をしていたのです。 また女性や子どもは人数に数えられなかった時 代です。ところが、ガラテヤ書3章26節から 29節に「あなたがたは皆、信仰により、キリス ト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受 けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリス トを着ているからです。そこではもはや、ユダヤ 人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者も なく、男も女もありません。あなたがたは皆、キ リスト・イエスにおいて1つだからです。あなた がたは、もしキリストのものだとするなら、とり もなおさず、アブラハムの子孫であり、約束によ る相続人です」という御言葉がありました。 当時としては画期的だったと思います。男性優 位の社会の中で女性を物扱いする時代でした。そ こでは、女の人や子どもたちは男性とは別のとこ ろに住まなければなりませんでした。けれども聖 書に触れた人々が妻を大切な伴侶として愛して いき、子どもも大切にされていきました。その結 果、家庭が変わっていったのです。人々がクリス チャンの家庭に憧れるようになりました。 そうした生き方は「型破り」であったために迫 害も受けましたが、イエスさまへの信仰において、 互いに愛し合うことにおいて、一歩も譲らなかっ たのです。著者スタークは、これが、キリスト教 がローマ帝国をひっくり返した要因だと結論づ けているわけです。 Ⅳ.互いに愛し合う関係を求めて いかがでしょうか? ある意味で私たちも社 会から注目されています。キリストを信じること がどういう違いをもたらすのかを人々は注目し ているからです。 地の塩コミュニティーブラジル人集会、スペイ ン語礼拝、そして高座教会の私たちが、言葉や文 化や習慣の壁を超えて、天国に国籍を持つ者同士 として、神の家族として、キリストの弟子として、 互いを大切にし合う交わりを祈り求めることを 大切にしていきたいと思います。そして、そのこ とを通して、キリストを信じる人々が起こされる ことを祈り求めていきたいと願います。 最後にもう一度、今日の御言葉をそれぞれの言 葉でご一緒に読んでみましょう。 「あなたがたに 新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わた しがあなたがたを愛したように、あなたがたも互 いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、そ れによってあなたがたがわたしの弟子であるこ とを、皆が知るようになる。 」お祈りいたします。
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