1 ハッピーヨベル2015準備集会 第一編 聖書の中心的なビジョン――神

ハッピーヨベル2015準備集会
第一編
聖書の中心的なビジョン――神の家の建造
聖書:マタイ16:18.出19:6.25:31-39.啓1:12-13.Ⅰペテロ2:5.詩69:9前.ヨハネ2:17
Ⅰ.全聖書は建造の書であり、聖書の主題は神の建造です。聖書の中心的で、神聖な思想
とは、神は彼ご自身が贖い、彼ご自身とミングリングされた生ける人たちの生きた組
み合わせを尋ね求めているということです――創28:10-22.マタイ16:18.啓21:2-3.
ヨハネ14:20.Ⅰヨハネ4:15:
A.建造は神が渇望していることであるので、旧約のすべてはこの主題、神の建造につ
いて語っています――創28:10-22.出25:8-9.40:1-38.列王上8:1-11:
1.創世記第28章10節から22節で、神は聖書の中で初めて彼のみこころを啓示しまし
た。それは彼ご自身が人と共に建造され、地上において住まい、ベテルを得ると
いうことです――マタイ16:18.Ⅰテモテ3:15。
2.出エジプト記によれば、神の建造は神の心の願いであり、神の救いの目標です。
神の完全な救いの目標は彼の住まいを建造することです。神の選びの民は共に建
造されて、一つの実体、すなわち、幕屋となる必要があります。そこにおいて神
と人は互いに会い、互いに交わり、共に住むことができます――出25:8-9.40:1-38.
Ⅰペテロ2:4-5。
3.聖書の中には、幕屋の建造(出25:8-9)、宮の建造(列王上6:1-2)、エルサレム
の建造(詩122:3)、宮の再建(マラキ3:8-9)、エルサレムの再建(ネヘミヤ2:17)、
新約の中での召会の建造があります。
B.新約の中で、幕屋の実際は肉体と成ったキリストです。すなわち個人としてのキリ
ストであり、またキリストのからだとしての団体のキリストです。彼の死と復活に
より、個人のキリストは拡大し、団体のキリストと成りました。それは新約の信者
から成る召会であり、神の宮(神の家)、すなわちキリストのからだとなります―
―ヨハネ1:14.Ⅰコリント12:12。
C.全聖書の結論としての幕屋の究極的完成は、新エルサレムです。すなわち大いなる
団体の神・人、手順を経て究極的に完成された三一の神と、彼によって再生され、
造り変えられ、栄光化された三部分からなる人との、永遠の、拡大された、神性と
人性の宇宙的な合併です――啓21:3、22.22:17前半。
Ⅱ.わたしたちは召会が完全にキリストから出たものであり、また霊の中のものであるこ
と、また召会は燭台であり、キリストの複製とその霊の複写であることを見る必要が
あります――出25:31-39.ゼカリヤ4:2-6.啓1:12-13:
A.燭台は神の三つの時期における建造のためです。幕屋と宮のため(出25:31-39)、
回復された宮のため(ゼカリヤ4:2-6)、召会のため(啓1:12-13、20)です。言い
1
換えれば、神は幕屋を建造するのに燭台を必要とし、宮を再建するのに燭台を必要
とし、今日、神は召会を建造するのにも燭台を必要としているということです。
B.幕屋の中の燭台は、キリストが神の建造のために七つの霊をもっていることを強調
します(出25:31-39)。回復された宮のための燭台は、神の建造のためのエホバの
七つの霊としてのその霊を強調します(ゼカリヤ4:2-6、10)。出エジプト記の燭台
は、キリストを強調します。ゼカリヤ書の燭台は、その霊を強調します。
C.召会の建造はその霊によって完成されます――「権力によらず、能力によらず、わ
たしの霊による」――ゼカリヤ4:6-9.ローマ8:4.ガラテヤ5:16、25.啓22:17前半。
D.新エルサレムは聖書の中の燭台の究極的な結論です――啓1:12-13、20.21:18:
1.幕屋の中の燭台はキリストご自身を表徴します(出25:31-37)。宮の中の燭台は
拡大されたキリストを表徴します(列王上7:49)。ゼカリヤ書第4章2節の燭台
はイスラエル人を表徴します。最後に、啓示録第1章の燭台は召会を表徴しま
す(12-13、20)。
2.肉体となったキリストは燭台であり、復活の中で拡大されました。すべての燭台
の集合体は新エルサレムです。新エルサレムは絵によれば一つの金の山であり(啓
21:18)、一つの土台のようです。キリストが土台の上のともし火であり(啓21:23)、
神が彼の中の光です(啓22:5)。
Ⅲ.神の宮(家)の建造は、祭司の体系と関係があり、また祭司の体系にかかっています。
神の住まいとしての神の宮(家)の建造は、祭司の体系です――出19:6 前半.25:8-9.
ゼカリヤ 6:12-13.Ⅰペテロ 2:5:
A.神の建造を回復するために、神はまず祭司の体系を回復しなければなりません。召
会の建造は、聖徒たちが神の御前で祭司職を担うかどうかにかかっています。祭司
職は、召会の建造を支えます。祭司職がなければ、召会を建造することは不可能で
す――啓1:5-6.5:9-10.へブル3:6.6:20.7:26.8:1.マラキ1:1-4
B.神は、わたしたちが至聖所の中へと、すなわちわたしたちの霊の中へと入って、恵
みの御座に触れ、わたしたちを通して命の水を流れさせることを願っています。こ
の流れはわたしたちを神との交わりの中へともたらし、わたしたちが彼の命の中で
建造されて、彼の住まい、彼の霊の家、彼の聖なるまた王なる祭司の体系とならせ
ます――Ⅰペテロ 2:5, 9。
Ⅳ.「あなたの家を思う熱心がわたしを食い尽くし」。主イエスの内側は神の家のために
熱心になりました。この熱心は彼を飲み込み、飲み尽くしました。彼は神の家のため
に絶対的でした――詩69:9前半.ヨハネ2:17:
A.わたしたちは神の家を顧みるべきです。神の家のために、ただ神の家しかなくなる
程度にまで建造されることを願い、自らを顧みず、惜しまず献身的に力を尽くしま
す。わたしたちは自分自身が建造されることを願い、また兄弟姉妹と共に建造され
ることも願います――ヨハネ2:17:
2
B.自分の家を顧みて、ついでに神の家を顧みることはできません。わたしたちはどの
人も、熱心に自分の家庭を顧みています。これは疑う余地がないことです。しかし、
わたしたちは尋ねる必要があります、「神の家が重要でしょうか、それとも自分の
家が重要でしょうか?」。これは献身の問題です――ハガイ1:4-11。
C.わたしたちは主に向かって言う必要があります、「主よ、わたしはもう一度自分を
あなたにささげます。わたしは以前に何度ささげたかにかかわらず、ここであなた
が与えてくださったすばらしいビジョンのゆえに、もう一度、自分をあなたにささ
げます。わたしは建造されたいです。あなたの建造の働きのために、わたしは自分
をささげます」――ヨハネ2:17.Ⅱコリント11:28.ローマ12:1。
3
ハッピーヨベル2015準備集会
第二編
奉仕の根拠は祭壇の火である
聖書:レビ9:24.6:12-13.歴代下7:1.使徒2;1-4, 14-18.Ⅱコリント5:14.雅歌8:6-7
Ⅰ.聖書はわたしたちに見せていますが、神に対する人の奉仕はすべて、必ず祭壇の火に
基づいていなければなりません:
A.旧約ではっきりとわたしたちに見せていますが、神の御前における人の奉仕はすべ
て、必ず全焼のささげ物の祭壇にある火を源とし、すべて全焼のささげ物の祭壇か
ら燃やされることでなければなりません――レビ16:3-13:
1.イスラエル人が幕屋に従って荒野を歩んでいるとき、神の御前における彼ら
の 奉 仕は 全 焼の ささ げ物 の 祭壇 に ある 火が 燃え る とき に 始ま りま す― ― 出
3:12.9:1.レビ9:24。
2.イスラエル人はカナンにおいて、宮におけるすべての奉仕は、みな全焼のさ
さげ物の祭壇にある火に基づいています。彼らが毎回神の御前に来て、香を
たいて奉仕をするとき、必ず全焼のささげ物の祭壇を経過し、その上にある
火を用いて香をたきます――歴代下7:1。
B.新約の時代において、主イエスが地上に来たとき、彼は神の幕屋であり、また神の
宮でした。神の御前において、彼は祭壇を築きました。この祭壇はゴルゴタの十字
架です――ヨハネ1:14.2:21:
1.彼はこの祭壇を築き上げた後、ご自身を全焼のささげ物としてささげました。
彼がこの全焼のささげ物を神の御前にささげた後、ある日、天から火が下っ
てきました。この火はペンテコステの日の聖霊です――使徒2:1-4。
2.ペンテコステの日の前、百二十人はエルサレムにおいて、ある上の部屋に集
まっていました。彼らはささげもののようであり、自分のすべてを神の御前
に置きました。ですから、ペンテコステの日に聖霊は炎のように彼らを燃や
しました。今日新約時代を通して、すべての奉仕はみなここから燃やされた
のです――使徒1:13-15。
Ⅱ.祭壇の火を得たなら、力のある奉仕を持ちます。神の御前における人の奉仕はすべて、
神の火から燃やされたものであるべきです。神の火はわたしたちの内側にある熱い力
であり、内側の推進力です――使徒2:14-41.ヘブル12:29.Ⅰコリント3:15:
A.神の御前における奉仕に熱い力を持つために、燃やされることを経過し、火を持つ
必要があります。しかしながら、この火は異火ではなく、人からのものでもなく、
地からのものでもありません。この火は聖なる火であり、神からのものであり、天
からのものです。
4
B.今日宇宙において、一つの全焼のささげ物の祭壇が成し遂げられ、火も下ってきま
した。この全焼のささげ物の祭壇は主イエスの十字架であり、この火は聖霊であり、
神の命であり、神の力であり、神ご自身です。
C.神に対する真の奉仕は、人からの開始、提唱、会議に基づくのではなく、十字架を
認識し、自分自身を十字架に置き、神によって得られ、神の火によって燃やされ、
そこから燃やされて奉仕を得ることに基づきます。
D.わたしたちはクリスチャンの奉仕が何であるか、また召会の働きが何であるかをは
っきりと認識する必要があります。神が欲するものは全焼のささげ物の祭壇の火を
用いる奉仕です。
E.わたしたちの神は焼き尽くす火です。ある日、この火は出て来てわたしたちを試み
ます。もし、あなたが金、銀、宝石をもって神の宮を建造するなら、褒賞を受けま
す。もし、あなたが木、草、刈り株を用いるならすべて焼き尽くされます。しかし
あなた自身は、火をくぐってきたようにではあっても救われます――ヘブル12:29.
Ⅰコリント3:15。
Ⅲ.祭壇の上の火は、その上で燃え続けさせなければならない.それを消してはならない
――レビ6:12-13:
A.来る日も来る日も、多くの状況において、わたしたちは自分自身を常に神にささげ
る全焼のささげ物として、キリストの中でささげて神によって燃やされ、それによ
って他の人を燃やす必要があります――民28:3-4, 9-11, 19, 26-27.29:1-2, 7-8。
B.その霊はわたしたちの霊を熱くし、わたしたちの賜物を燃え立たせます。ですから、
わたしたちはその霊を消してはいけません――Ⅰテサロニケ5:19.ローマ12:11.Ⅱ
テモテ1:6:
1.わたしたちは神から与えてくださった霊を燃え立たせ、主によって燃やされ、
さらに燃え続けなければなりません――Ⅱテモテ1:6-7.Ⅱコリント5:14.雅
歌8:6-7。
2.わたしたちは毎朝時間を費やして主と共におり、新しい開始を持ち、彼によ
って復興されなければなりません。わたしたちは神の言葉を祈り読みし、わ
たしたちの霊で聖書のその霊をこすり、神聖な火を点火しなければなりませ
ん――箴4:18.エペソ6:17-18。
3.わたしたちは保留することなく、主に開いて、彼によって照らされ、燃やさ
れ、注入され、七つのともし火とキリストの燃やす七つの目としての七倍に
強化された霊によって満たされなければなりません――啓4:5.5:6.1:14.
箴20:27.マラキ3:2。
Ⅳ.今日七倍に強化された命を与える霊としてのキリストは、わたしたちの内側にある燃
える火です。わたしたちは愛の火としての神を享受し、彼の愛をもって彼を愛し、他
の人を愛さなければなりません――啓4:5.5:6.Ⅱコリント5:14.雅歌8:6-7.Ⅱテモ
5
テ1:7;
A.テベリヤの海辺で主イエスはペテロに問いました、「ヨハネの子シモンよ、あなた
はこれら以上にわたしを愛するか?……あなたはわたしを愛するか?」。今日主イ
エスは多くの狂ったように主を愛する人を必要とします――ヨハネ21:15-16。
B.主を愛することは彼を評価し、わたしたちの全存在を彼に向け、彼に開き、彼を享
受し、彼に第一位を与え、彼と一であり、彼を生かし出し、彼となることです――
マタイ26:6-13.マルコ12:30。
C.今日の時代は快楽を愛する時代であり、人はあらゆる娯楽、趣味、この世の享受を
愛しています。わたしたちはこのようではなく、イエスを狂ったように愛する者で
す。わたしたちは全地のために、イエスに対して狂ったようになる必要があります。
わたしたちの前途はイエスを愛することであり、イエスのために狂ったようになる
必要があります――Ⅱテモテ3:1-5。
Ⅴ.「わたしたちはこの火によって共にもたらされてきました。今や、この火が他の多く
の人を燃やすために、わたしたちは燃やされます。キリストの神性の隠された栄光が
解き放たれた時、神聖な火が地上に投じられ、全地を燃やしました。火を燃やし続け
ましょう! だれもそれを止めることはできません」(御父により神聖な栄光をもっ
てキリストの栄光が現されたことの結果、第一章)
6
ハッピーヨベル2015準備集会
第三編
すべての人が参加し、すべての人が機能を果たす建造
聖書:出19:6.Ⅰペテロ2:5、9.エペソ4:15-16.Ⅰコリント14:4後半、26、31.啓5:9-10
Ⅰ. 全体の奉仕というのは、今の時代における最大の回復です。祭司職は全体のもの
です――Ⅰペテロ2:5、9:
A.神が必要としているのは祭司の王国です。ですから彼は一群れの民を召し出し、彼
らに紅海を経過させ、荒野へ入るように導きました。その目的は祭司の王国を得る
ことです――出19:6。
B.新約において、神は召会を祭司の王国としました。神はイスラエル人において
得られなかったものを召会において得ようとされています。新約の奉仕とは、
少数の特別な人たちの奉仕ではなく、救われた人全体の奉仕です――Ⅰペテロ
2:5.啓5:10。
C.主の回復は、祭司職によって実際化されます。今日主が必要としているのは、一群
れの人々が主の臨在の中へと、さらには主ご自身の中へともたらされて、ついには
彼らが主と一になることです。主がそのような祭司の体系、祭司の王国を持つとき、
彼は自由に流れ出て、彼のみこころを成し遂げ、彼の永遠の定められた御旨を成就
します――ゼカリヤ 3:1-5.6:12-13.ヘブル10:19。
D. 主の回復はキリストのからだのすべての肢体の機能の回復です。主は彼のからだの
すべての肢体がいずれも機能する肢体となることを渇望しています。それぞれの部
分の度量に応じた活動を通して、からだを建て上げるに至ります――エペソ4:15-16.
Ⅰコリント14:4後半、26、31:
1.人の体の中の血液の循環のように、キリストのからだにも循環があります。この
循環は新約では交わり、命の交わりと呼ばれています。交わりとは、ともにあず
かり、ともに享受することです。このように交わりとは、ある事柄に共にあずか
ることです――Ⅰヨハネ1:3, 7.ピリピ4:14.2:1。
2.召会の集会はキリストのからだのすべての肢体が集まり機能する場所です(Ⅰコ
リント14:23-32)。すべての信者は召会の集会の中で積極的に参加すべきです。わ
たしたちが集会に来るとき、わたしたちは観衆(見物人)ではなく、参加者とな
らなければなりません。
3.わたしたちは、神の恵みにより、聖職者階級と平信徒制度に関しての規定を捨て
ました。また霊の中でキリストの豊富を持ち寄り、互いに彼を供給し合います。
そうすることでわたしたちの集会は新鮮で、生き生きとし、勝利を得ることがで
きます。
4. 主の回復の現在の進展のなかで、主も今まさに行動し相互性の召会の集会を回復
7
しようとしています。相互性の召会の集会で、集会に参加しているすべての人に
キリストの豊富を他の人と共に享受する分があります――Ⅰコリント14:23、26。
Ⅱ.神の新約の中のエコノミーは、すべての救われた人が祭司となることです。新約の祭
司の体系は普遍的であり、それぞれのすべての人が祭司とならなければなりません―
―啓5:9-10前、Ⅰペテロ2:5:
A.福音の宣べ伝え――すべての人が出て行きます。主はすべての信者に命じました、
「天においても地においても、いっさいの権威がわたしに与えられている。だから、
行って、すべての諸国民を弟子とし」――マタイ28:18-19。
B.家、小組の集会――すべての人が行ないます。今、わたしたちすべてが導く人です。
例えば、一つの小組に十五人いるとします。この十五人はすべて語る人でもあり、
また学ぶ人でもあります。他の人が語っているとき、わたしは学びます。わたしが
語っているとき他の人が学びます。その結果、だれか一人が教えるのではなく、す
べての人が教えます――へブル10:24-25。
C.主のために預言する――すべての人ができます。「なぜなら、あなたがたはみな一
人ずつ預言することができるからであり、それはすべての人が学び、すべての人が
励まされるためです」。預言をするときには霊を用いる必要があります。啓示があ
るだけでなく、光があり、また霊の感覚があり、キリストを人の中へと語り込む必
要があります――Ⅰコリント14:26、31。
D.地方召会の中での奉仕は三つに分類することができます。
1.まず、わたしたちが召会の中で真に主に仕えようとするなら、集会の中で機能す
る必要があります。すべての聖徒が主のために何かを語ることにより、すなわち
預言することにより、集会の中で機能します。
2.わたしたちは人を顧みる必要があります。霊的な領域の中で、すべてのクリスチ
ャンは霊的な子どもを生み、育て、顧みる能力を持っています。どの信者もすべ
て霊的な母親と霊的な父親になることができます――Ⅰテサロニケ2:7,11。
3.わたしたちは、また実際的な事務も顧みる必要があります。例えば、集会所の清
掃や、集会所とその周辺環境の維持管理、また旅行者の接待など、召会生活の中
で実際的に行なう必要があることが多くあります。
Ⅲ.わたしたち回復された人は、命とその霊で満ちているべきです(ルカ4:1.使徒6:5)。
一人が語るという古い道を捨て、新しい道――すなわち、すべての肢体がその霊の中
の賛美と預言によって集会するという道を取ります:
A.集会の中で、人々は霊の中で機能しキリストを表現します。わたしたちが集会に来
るときに、わたしたちは、まずわたしたちの霊を訓練し、霊の中から主のために語
り、また主から何かを語るために準備します。すべての人がこのように行ないます
――Ⅰコリント14:26、32。
B. わたしたちが集会に来て、故意に語らず機能せず、ただ座って聞いているだけ
8
なら、それは間違っています。もし集会の中で、人々がみな霊を用いて機能し、
主に関して何かを語るなら、集会は天へと引き上げられるでしょう。
C.もし人々がみな、主に関するいくつかの簡単な言葉をもって供給するならば、敵は
辱められ、キリストが勝利を得ます――Ⅰコリント14:26。
Ⅳ.召会の集会の中で、それぞれの人は自発的に自分の分を果たす必要があります。わた
したちは聖霊に多く地位を持たせ、詩歌を歌うことであれ、語ることであれ、いつも
霊が出ている必要があります。このように人々が自分を持ち出し、すべての人が機能
を果たす必要があります――Ⅰコリント14:26、31-32:
A.まず、わたしたちは、今から主のために生きること、復興された生活をすることを
決心しなければなりません――箴言4:18。
B.続いて、わたしたちは時間を取り出し、自分を主にささげる必要があります。毎週
必ず出て行くか、あるいは人を訪問します。福音を伝えるか、あるいは家での集会
を導きます。
C.そして、わたしたちは毎日、霊的な訓練を必要とします。よく霊的なものを蓄え、
霊の中で富む必要があります。そして集会の中で、一人一人がみなよく注意し、機
能する必要があります。機会があれば分を果たします。
D.総括すると、人々がみな機能することに到達し、召会が建造されるには、わたした
ちは必ず復興されなければなりません。一面において、復興は待つ必要はありませ
ん。ただわたしたちが進んで恵みを受ければ復興されます。もう一面において、復
興はわたしたちが自発的に行なって得る必要があります――箴言4:18.哀歌3:22-24。
9