注目すべき人獣共通感染症 2014 年 3 月にギニア

注目すべき人獣共通感染症
鹿児島県獣医師会学術顧問、鹿児島大学名誉教授 岡本嘉六
2014 年 3 月にギニア、シエラレオネ、リベリアで初めて確認されたエボラ
ウイルス病(旧称 エボラ出血熱)は、1 年半経っても終息しておらず、欧米諸
国の輸入例を含めて 28,256 症例と 11,306 名の死亡に達している(2015 年 9 月
20 日現在)。また、2012 年 4 月に確認された中東呼吸器症候群コロナウイルス
(MERS-CoV)感染症例は、韓国で 6 月に爆発的院内感染を起したが、中東を
中心に全世界で 1570 症例と 555 名の死亡を引起している(9 月 11 日現在)。両
疾患とも、野生動物の間で循環しているウイルスが不適切な飲食や接触によっ
てヒトの間に持込まれ、その後は主にヒトからヒトへの感染によって拡大する。
人獣共通感染症は 200 種類以上存在し、Schwabe によって伝播様式によっ
て感染制御を考慮した 4 種に類型化されている。Cyclo-zoonoses は異種脊椎動
物の中間宿主を必要とする寄生虫症が主であり、Meta-zoonoses は媒介昆虫に
よるものやカニなどの寄生を介した食事性伝播が含まれる。Direct-zoonoes に
は、結核、猫ひっかぎ病、インフルエンザ、オウム病などが含まれる。これら
は、動物からヒトへの伝播を阻止する上で明快であるが、一旦ヒトに入った病
原体がヒト・ヒト感染を容易に起すかどうかでヒトにおける流行の実際の制御
策の重点は変わってくる。
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狂犬病
狂犬病はヒト・ヒト感染を起さないので、ヒトの感染は常に感染動物との接
触が原因となり、とくに唾液中に大量のウイルスを排出するイヌ、ネコ、アラ
イグマ、キツネ、スカンク、マングース、コウモリが感染源として重要である。
その中でも、ヒトとの接触が多いイヌによる咬傷が、ヒトの狂犬病の大半を占
めている。したがって、イヌの登録と予防接種によってほとんどのヒト感染を
防ぐことが可能であり、先進国ではイヌの狂犬病発生がなくなっている。しか
し、アジアやアフリカでは放浪犬や野生化したイヌが多く、登録と予防接種が
普及していない。約6万人が毎年これらの地域で狂犬病によって死亡していると
WHOは推定しているが、それらの国では狂犬病が届出疾病に指定されておらず、
多くの人々、とくに15歳未満の子供達が病院で診断されることもなく死亡して
いる。ワクチンの使用量を基に、WHOは曝露後予防接種を受けた者が1500 万
人以上に達するとしており、この数値だけでも流行国におけるイヌに対する恐
怖を覚えるには十分である。
東南アジア地域におけるヒト狂犬病とイヌ咬傷の年間例数
国
イヌ咬傷件数
推定ヒト症例数
推定 10 万人当り罹患率
バングラデシュ
300,000
2,000~2,500
13
ブータン
5,000
<10
3
インド
17,400,000
18,000~20,000
18
インドネシア
100,000
150~300
1.3
ミャンマー
600,000
1,000
22
ネパール
100,000
<100
4
スリランカ
250,000
<60
3
タイ
400,000
<25
0
チモール
1,000
0
0
Human Rabies in the WHO Southeast Asia Region: Forward Steps for
Elimination. Advances in Preventive Medicine, 2011
野生動物における狂犬病の発生状況は、先進国で調査が進み上記の保有動
物が挙げられているのだが、イヌの咬傷によるヒト狂犬病の実態すら判らない
アジアやアフリカではほとんど判っていない。しかし、放浪犬や野生化したイ
ヌ、あるいは狩猟犬が森で感染した野生動物と遭遇し、市中に狂犬病を持込ん
でいる可能性が高い。こうした状況で、1961 年以降 50 年以上狂犬病の発生が
なかった台湾で、2013 年 7 月に野生の台湾イタチアナグマが狂犬病に感染して
いたことが判明した。その後、2014 年 7 月に風土病宣言されるまで、イタチア
ナグマ 378 例、アジアジャコウネズミ 1 例およびイヌ 1 頭の感染が確認され、
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2015 年 8 月時点でイタチアナグマ 482 例、ハクビシン 5 例、ジャコウネズミ 1
例および犬 1 頭になっている。中国南東部において中国イタチアナグマが狂犬
病保有動物とされており、それを含む密輸入された動物が山に遺棄されたこと
で広がったと当初は推測されたが、台湾イタチアナグマから分離されたウイル
スの系統遺伝学的研究によって、これまでにアジアで分離されたウイルスと系
統を異にすることが判明した。すなわち、台湾内で潜伏していたウイルスが顕
在化したと考えられるようになった。
台湾における狂犬病確認頭数、2013/7/17~2014/6/23
2013 年 7 月に狂犬病と確認された台湾イタチアナグマは、それらは 2012
年 5 月から 12 月の間に 3 頭の死体が見つかり、大学に持込まれたものであった。
大学で様々な死因を検討したがいずれも否定され、2014 年 6 月中旬になって狂
犬病を調べたら陽性反応が得られ、慌てて行政の研究機関にサンプルを送って
確認された。こうした診断の遅れは、1956 年のイヌ狂犬病の最後の発生以降 60
年近く発生がない日本においても起こり得る。狂犬病の診断は、肉眼的症状か
らは不可能であり、ウイルス学的検査が必須であるが、診断体制が整備されて
いない。それはヒトの医療においても大差ないと思われ、疑わしい検体を採取
して中央に送付するよう指示されていても、肉眼的症状から鑑別できない神経
症状を呈する疾患が多数ある中で狂犬病を疑う基準がなければ意味をなさない
指示である。曝露後予防処置を速やかに行うため、感染症研究所だけでなく地
方において診断体制を整備し、ワクチンおよび免疫グロブリンの供給体制を整
えておく必要がある。
狂犬病発生を受けて、様々な社会的問題が発生した。最初に、飼い犬を予
防接種するためのワクチンが不足した。日本でも登録・予防接種の割合は厚労
省が 74%と言っているが、ペットフード工業会の推定飼育頭数は登録頭数の約
2 倍であり、半数の飼育犬が予防接種されていない。次に、感染の危険性が高い
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放浪犬の捕獲に当る者などに対する曝露前予防接種に際して、ヒト用ワクチン
が不足した。山間部を配達で回る郵便局員が犬に咬まれる事例も多く、優先順
位が問題となった。さらに、放浪犬を捕獲して所定期間に飼い主の申し出がな
い場合に殺処分することに対して、動物愛護団体の抗議活動が広がった。この
活動は、台湾で分離されたウイルスの各種動物に対する病原性を調べる動物実
験に反対する運動へとなり、台湾イタチアナグマからイヌなどに広がる可能性
を調べることができなくなった。これらの社会的問題は日本でも発生する可能
性が高く、診断体制の整備とともに、市民とのコミュニケーションを図って置
く必要がある。
鳥インフルエンザ
インフルエンザ A 型ウイルスは、表面の糖蛋白質ヘマグルチニン(15 種類;
H1~H16)とノイラミニダーゼ(9 種類;N1~N 9)の組み合わせによって亜
型に分類されている。ヒトで流行しているウイルスは H1、H2、H3 だけである
が、カモ類は H と N の全ての組合せを保有しているとされ、全ての動物が感染
する A 型インフルエンザウイルスの供給源となっていると考えられている。た
だし、ウイルスが細胞に侵入する際のレセプターにはヒト型レセプター(α2-6)
と鳥型セプター(α2-3)があり、ブタは α2-6 と α2-3 の両方を持っているが、
その他の動物は α2-3 しか持っていない。ブタはヒト型ウイルスと鳥型ウイルス
の両方が感染し、遺伝子の再集合によってヒトで流行し得る新型ウイルスを誕
生させると警戒されてきた。
1997 年に香港で高病原性 H5N1 の最初の発生があり、6 例の死亡を含め 18
名が感染したが、疫学調査から鶏から直接感染したと判断された。これはブタ
を介せずに鳥型ウイルスがヒトに感染した最初の事例であり、ヒトに直接感染
した機序が疑問になった。その後の研究において、ヒトの上気道には α2-6 が分
布しているが、一部のヒトの肺胞には α2-3 が存在し鳥型ウイルスが感染し得る
ことが明らかにされた。鳥型ウイルスの H5N1 が感染するといきなり肺炎を起
こすので致命率が高いが、他方、肺胞にウイルスが到達するにはウイルスが付
着した大量のホコリを吸い込む必要があり、患者は自宅で生きた家禽を殺して
調理するかその周辺にいた者(生鳥市場)に限られている。
H5N1 はその後存在が確認されなくなったが、2003 年に中国で患者が確認
され、家禽での流行が韓国や東南アジアで発生した。アジアでの流行から世界
的流行へと拡大したのは 2005 年 4 月末であり、何十万羽もの渡り鳥が集まる中
国中央の青海湖で様々な種の 6,345 羽の野鳥が死亡した。生き残った大型のコ
ブハクチョウなどが世界各地へ渡り、エジプトなどに H5N1 が定着する契機と
なった。H5N1 は鶏への接種試験で 70%以上の致命率を示すので高病原性とさ
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れるが、ヒトにおいても 53.2%の致命率となっている(この 10 数年で 844 名が
感染し 449 名が死亡、2015 年 7 月 23 日 WHO 発表)。
WHO:2003 年以降に報告された鳥インフルエンザ H5N1 ヒト確認症例の累積
数;2015/7/23 現在
2013 年 2 月中旬に中国でインフルエンザ A(H7N9)ウイルスによる死亡が
確認され、WHO は中国からの 3 月 31 日の報告を受けて 4 月 1 日に 2 月 19 日
~3 月 15 日に 3 名が感染し 2 名が死亡したと発表した。その後症例数が急増し、
4 月 15 日には 63 名に達し、死亡者も 14 名になった。鳥型ウイルスと確認され
たが、家禽や野鳥の感染報告が当初なかったが、4 月 4 日に上海の生鳥市場の食
用ハトからウイルスが分離され、患者が生鳥市場と関連している疫学調査も進
み、生鳥市場が閉鎖される事態になった。鶏での接種試験から低病原性とされ、
家禽が症状を呈さないため農場段階での把握が難しいこともあるが、生鳥市場
に持込まれる家禽は野鳥との接触があり衛生管理が行き届いていない庭先飼育
であることから保菌率が高い可能性がある。大規模飼育されている農場は食鳥
処理場に出荷しスーパーなどに出回るが、上海でも家禽肉販売の 6 割以上が生
鳥市場であるとされ、自宅で殺して新鮮なものを食べるという食文化が
A(H7N9)ヒト感染と深く関わっている。
2013 年の流行は夏までに終息したが、10 月には第二波の流行が、2014 年
秋から第 3 波が始まり、これまでに少なくとも 275 名の死亡を含め、検査で確認
された A(H7N9)ヒト感染の合計 677 名が WHO に報告されている。
高病原性 H5N1
とは異なり家禽が発症しないことから、生きている家禽との接触状況が変わらない
限りヒト感染が続くと予測されるが、発展途上国における 生鳥市場を中心とする
食文化は容易に変わりそうにない。ただし、A(H7N9)ヒト感染は中国本土のみで
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発生しており、H5N1 のように野鳥に入り込んで渡りによって世界に広がる兆候
を見せていない。
図 2.鳥インフルエンザ A(H7N9)症例の発症週別による疫学的曲線
WHO: Influenza at the Human-Animal Interface. 17 July 2015
H5N1やA(H7N9)の外にも、A(H5N2)、A(H5N3)、A(H5N6)およびA(H5N8)
など様々なインフルエンザA(H5)亜型が、西アフリカ、アジア、ヨーロッパおよび
北米の鳥で検出されている。 これらのインフルエンザA(H5)ウイルスはヒトに感染
して病気を起し得るが、これまでのところ、 2014年に中国で検出されたA(H5N6)
ウイルスの4例のヒト感染を除いて、その他のA(H5)亜型のヒト感染は報告されてい
ない。一旦ヒトに入った病原体がヒト・ヒト感染を容易に起すかどうかでヒトに
おける流行の実際の制御策の重点は変わってくるが、H5N1やA(H7N9)を含むこ
れらの亜型は、現在のところヒト・ヒト感染を起していない。
医師会と獣医師会の連携
人獣共通感染症の脅威は今後も続くと考えられ、日本の近隣国で流行してい
る狂犬病とインフルエンザについてはとくに警戒を必要としている。迅速な診
断体制を構築することが不可欠であり、動物からヒトへの病原体の侵入を防ぐ
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ことが最重要である。しかし、動物での発見が難しく、ヒト症例の発生が先行
する病原体もあることを留意し、獣医療と医療の連携を強化する必要がある。
2008 年に提起された「世界は一つ、健康は一つ(One World, One Health)」の
概念は、新興感染症が動物・人間・生態系の接点において誕生してきた歴史を
踏まえ、2003 年以降の H5N1 がヒトにおいて世界流行するのを未然に防ぐ国際
的経験を総括して生まれたものである。家畜と野生動物が共有する生態系、新
たに開拓した森林地域と沼沢地、野生生物と野生動物肉の貿易および生きた動
物の市場、ならびに、国や地域を越えた動物と人間の移動などのリスクを制御
するには、さらに多くの分野の協力が必要である。それらの中核をなすのが、
獣医療と医療の連携である。
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