平成の石垣修理概要 弘前城曳屋(ひきや)工事 石垣修理工程 石垣修理は弘前城天守の真下でも行われるため、天守を移動 する必要があります。高さ14.4メートル、総重量約400トンの 3層からなる天守が、約3か月かけて移動します。曳屋場所は 背景に岩木山が見える位置を予定しており、弘前城の新たな 観光名所になることでしょう。 石垣修理工事は、平成26年度から平成35年度までの10年間を 見込んでいます。 工 程 平成27年度 ∼ 平成28年度 平成35年度 天守曳屋 石垣解体 石垣積み直し 天守曳き戻し (平成33年度予定) ※天守内部一般公開(平成28年4月〜) 石垣修理関連イベント お殿様・お姫様衣装着付け体験 天守が曳屋される位置図 WC 曳屋展望デッキ 曳屋後の位置 券売所 本 丸 お殿様・お姫様の衣装を身にまとい記 念撮影が楽しめます。 ■期間/ 7月1日(水)〜11月23日(月) 及び雪燈籠まつり期間 (平成28年度からは4月1日開始) ■時間/ 9時〜16時30分 (終了) ■場所/武徳殿(北の郭) ■体験料/無料 (ただし、有料区域のため入園料が必要です。) ■その他/着付けのお手伝いをいたします。 また、 カメラ等持 参のうえお越し下さい。 現在の天守の位置 弘前城曳屋ウィーク 下乗橋 弘前城を引っ張ってみませんか? 参加者には記念品を進呈 します。 濠(埋め ■期間/ 9月20日(日)〜27日(日) 立て範 囲) ■時間/ 10時、11時、14時、15時 ※各回100名 ■場所/本丸 現在 ■体験料/無料(ただし、有料区域のため入園料が必要です。) ■その他/事前に申込みが必要です。 弘前城石垣マルチ・プロジェクション 総延長約140mを超える石垣への映像作品投影と、内濠一帯 に照明演出を行います。 平成27年秋 ■期間/平成28年2月13日(土) ・14日(日) ■時間/夜間 ■場所/内濠 約70m移動 ■料金/無料 天守曳屋工事想定図/天守は本丸中央部へ約70m移動します。曳屋工事中も本 丸へは入場できます。 お問い合わせ ●その他に関しては ●石垣修理に関しては 弘前市公園緑地課 TEL.0172-33-8739 ひろさき魅力プロデュース室 TEL.0172-40-7123 詳しくは 弘前城 石垣プロジェクト 検索 平成27年度夏 天守曳屋前の弘前城の様子 弘前城本丸石垣修理概要 平成の大工事、弘前城動く! 弘前城石垣の歴史 1.築城期の石垣 はん しゅ つ かる ため のぶ のぶ ひら 2.元禄の石垣築き足し けい ちょう 弘前城は、弘前藩初代藩主・津軽為信により築城が計画され、二代藩主・信枚が、慶 長16 つ がるためのぶ 初代藩主・津軽為信 すみ 弘前城本丸東側石垣について、 右に示した江戸時代の絵図には、 一 部石垣の積まれていない状態が描かれ、その横に 「石垣ノ築掛三十 ていますが、寛永4年(1627)に落雷のため焼失してしまいました。その翌年、地名を「高岡」 八間」と記されています。(「三十八間」は約70m) から「弘前」に改めたとされています。 この部分の石垣は、四代藩主・信政によって築かれました。信政に かんえい たかおか けん ひろ さき のぶ まさ うち ぼり げんろく 慶長16年の築城時には、本丸東側の中央部70mほどの範囲には内 濠 水面辺りまでの ど 石が積まれ、それより上は土留めとなっていたとされます。現在でも、東側石垣の内濠水 ます がた も、信枚により築かれたものです。 いし もり いわ き さん ろく つ がるのぶまさ 四代藩主・津軽信政 の中断がありますが、元禄12年(1699)に完成しています。築城から かめ いし 面付近には自然 石 が使われています。本丸の桝 形 にある「亀 石 」などの巨石を用いた石垣 だい き きん よる石垣築き足しは、元禄7年(1694)に開始され、大飢饉による工事 ど し ぜん せき 築城時に石垣が築かれなかった部分 年(1611)に完成させました。築城当初は、本丸南西隅 に五層の天守が造られたと伝わっ 約80年の時を経て、ようやく石垣で本丸を囲んだのです。信政が築 つ がるのぶひら 二代藩主・津軽信枚 き足した石垣は、石垣中央部の四角い切石で造られている部分です。 かね ひら いわ き さん ろく つ がるひろさきじょう の にょ らい せ 石材は、城の近くの石森(現在の「弘前市りんご公園」付近とされる)や岩木山麓の兼平 石材は、岩木山麓の如来瀬などから牛車やソリを使って運ばれた で採取されたようです。 と記録に残っています。 え ず 津軽弘前城 之絵図 (本丸部分)17世紀半ば 弘前市立博物館所蔵 ※藩主画像/津軽歴代藩主絵像(正伝寺蔵・明治末年頃) 弘前城本丸石垣東側 今回(平成28年から)の東側石垣解体修理予定範囲(約100m) 石積みから推測した明治〜大正時代の修理範囲 信枚が造った築城期の 石垣範囲(推定) 元禄年間に、信政が積み足した石垣範囲(推定) 天 守 『本丸天守閣石垣崩壊の図』にみる石垣の崩壊・亀裂範囲 崩壊「十間半」=約19m 亀裂「六間」=約11m 点線は、石垣の 膨らみが約1m ある部分 うちこみはぎ 慶長築城期の土塁端部(推定) じゃぐち ❷打込接 ふく 四代藩主・信政が本丸東側石垣を完成させてから200年経った明治時代中頃、 天守の下の石垣が大き く崩壊。 明治30年 (1897) 、 天守を崩壊から守るために本丸の内側へ曳屋工事をしました。 工事をしたの は、 弘前市出身の大工棟梁・堀江佐吉です。この石垣修理は最終的に大正4年(1915)に完了しました。 平成の石垣修理 に至るまで 信枚が造った築城期の石垣(推定) ※オレンジ色と薄いグレー色の部分が、今回(平成28年から)の主な石垣解体修理予定範囲です。 石垣の膨らみが大きい部分の断面図 明治∼大正期の 石垣修理 元禄年間に、信政が積み足した石垣(推定) 明治から大正時代の修理範囲(推定) きりこみはぎ ❸切込接 の づら づ ❹野面 ❶野 蛇口(排水口) 石垣一口メモ てん ば いし ▼天端石 石材の加工度合や積み方の違いを見分けると、石垣を見 る楽しみとなります。 の づら 昭和58年(1983)5月の日本海 中部地震後、石垣が膨らんでる ❶野 もっとも 大きい膨らみ ❷打込接/荒加工した割石 内濠側 本丸側 約8.7m のではないかという指摘を受け 調査した結果、膨らみが大きく、 約1m このまま放置すると地震などに 積み方については、この他横目地が通らない ▼水面 らんづみ ふく 明治∼大正期の天守曳屋・石垣修理の様子 なります。 石垣の膨らみ ぬのづみ 不規則な「乱積」、横目地を通す「布積」、また隅 石垣の外面 ぶりの、天守曳屋を伴う修理に 石垣の崩壊・亀裂部分 の づらつみ 「野面積」は一見乱雑で不安定に見えますが、実は水はけ まだ健全で、平成の石垣修理の必要はありません。 明治〜大正の修理から約100年 『本丸天守閣石垣崩壊の図』明治時代 きりこみはぎ ❸切込接/入念に精加工した切石 も良く、地震にも強い。約400年を経た築城期の石垣はまだ より石垣崩壊が起こることが分 かりました。今回の石垣修理は、 面/自然石、もしくはあまり加工していない割石 うちこみはぎ の強度を高めるため直方体の石を交互に組み さん き づみ 合わせる「算木 積」などがあります。 膨らみ部分 石垣にもいろいろあるんだね
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