中国北京市における伝統的な凧文化の継承・創新 ~「つながり」が意匠化

中国北京市における伝統的な凧文化の継承・創新
―「つながり」が意匠化されたものとしての凧―
Inheritance and Innovation of Traditional Culture of Kite in Beijing, China
―Kites as the Design of "connections"―
キーワード:凧、北京、伝統、文化、地域生活、つながり
デザイン文化計画研究室 12TM1140 張 黎
■Abstract:
(3)北京凧学会に所属している二人の凧職人と「老北京凧店」を経営
In ancient Beijing the kite was known as 'Zhiyuan'. It first
appeared
in
the
wars
of
the
Spring
and
Autumn
Period
している凧職人の計3人への聞き取り調査を通して、「北京凧」に関す
る制作手順・材料の入手方法・技術の伝承などをはじめ、凧職人の精
(770B.C.-476B.C.). During the prosperous Tang Dynasty (618 - 907),
神を明らかにした。
when culture thrived with the development of economy, kites became
(4)また、地域の人びとの凧の文化への認知度を把握するためのアン
the cossets of the people of both court and country. Making and flying
ケート調査を行った。
various traditional kites reflected the pleasing mood of the spring and
festival. However, the traditional kites have been replaced by
■地域生活における北京凧の文化
commercial kites with the rapid economic growth in China. The aim of
本研究においては、視覚資料 17 点と文学作品 98 点に登場した「北
this research is to explore the meaning of the traditional kite culture in
京凧」の意匠特質と使い方の分析を通して、北京の凧文化の特質を
this region in Beijing. By conducted literature review and field-work
考察した。その結果、以下のことがらが判明した。
research in this region, the author found several crucial points for
(1)北京凧は、中国の儒家文化の核心思想―「以和为贵(和をもって
innovation of the living culture. Moreover, the understanding of
尊きとする)」「中庸」を浸透するものである。構造も色彩も厳密な対称
Beijing kites may helpful for local people to share the traditional skill
性を追求する北京凧には、人びとが有する、人と人、人と自然との調
and culture with the young generations.
和への渇望が込められている。
(2)赤・黄・藍・緑という高貴で吉祥な色を基礎に色彩される北京凧は、
■背景と目的
北京の濃厚な皇城文化を体現するものである。商工業の発達によっ
中国北京における凧の歴史は長い。凧は、そもそも北京を起源とし
て力をつけてきた皇城の庶民が文化の担い手となり庶民文化が栄え
て全世界に広まった民間工芸といわれ、当該地域においては、古くか
るようになった。そのため、庶民文化のなかに、皇城文化の要素が込
ら、凧揚げが庶民の生活のなかで大切な生活行為のひとつとされてき
められていることは北京凧文化の特質の一つとなる。
た。しかしながら、今日、効率を追求する生活様式へと変容するなか
(3)北京凧には、昔から、貴族でも庶民でも、人びとの心に秘めた複
で、人びとの価値観が変化し、当該地域の多くの伝統的生活文化と
雑な気持ちが込められている。幸福への追求・国家への忠誠心・勇敢
同様、伝統的な凧の文化は、今日、人びとの生活から姿を消し去りつ
な心・親族と友人への想いなどの感情が混ざった心境を、民間の伝
つある。その継承・創新が喫緊の大きな課題となっている。
説・歴史的な故事・吉祥寓意の字に似ている発音がある動植物や生
本研究は、伝統的な北京凧に内包される文化的・社会的な役割を
活用品などを凧の意匠にすることで、天に伝えている。
再発見・再認識するとともに、今後、生活者が中心となり、北京の伝統
(4)北京凧は、当該地域の人びとが春を迎える媒体である。北京の凧
的な「凧の文化」を継承・創新するための指針とその具体的活動を導
には種々な形があるが、最も一般的なものは春を象徴する「沙燕」で
出することを目的としたものである。
ある。沙燕凧は、「春」を非常に重視する中国人にとって、春先に、新
年を象徴する空に飛来する燕を見たいという気持ちを満足することが
■方法
本研究は、概ね、以下の方法で行った。
できるものである。人びとが自然との繋がりを強く渇望すると感じる。
(5)北京凧は、仲間同士を結びつけるものである。凧を通して、廟会
(1)文献調査により、北京の歴史と地域、生活状態を把握した。日常
で材料の交換を通して職人と職人の交流、職人と常連の間に形成し
生活と非日常生活において使われてきた伝統的な民芸品―凧の諸
た暗黙の了解、地域の人びとがハレの日に期せずして総出で凧揚げ
相を明らかにした。
をする習慣を形成した。地域コミュニティーの構築に役割を担ってい
(2)「北京凧」が記録された近代以前の文献資料(98 点)や視覚的資
た。
料(17 点)を収集し、伝統的な北京の凧の文化の特質を考察した。
表1.視覚資料(17 点)と文学作品(98 点)に登場した「北京凧」
図1.ハレの日におけるさまざまな北京凧
6)北京凧は、特別な時間と空間で「つながり」を演出し、人と人、人と
理解も相対的に高く、自らで凧を作る経験もあり、凧イベントに参加す
自然、人と天の絆を高めることに対して、取って代わることのできない
る積極性もある。凧の文化を継承するために、より多くの凧揚げの機
大切な役割を果たしたものである。人びとは、ハレの日に、凧揚げで
会を作ってほしいと考えられている。
天に思いを伝えようとした。春節の頃、新しく来た一年が順調に進むこ
凧揚げに興味がある人・凧の文化が理解できる人が凧イベントに参
とを天に願って、清明節の頃、天の世界に行った故人への想いと祝
加意欲が高く、当該地域における凧の文化の継承に力になれると読
福を表したり、人びとの心に、凧の糸は天と自分を結びつける紐帯の
める。北京における伝統的な凧の図案について、沙燕凧の図案の意
ような存在になった。天と人間との関係が、本来一体のものであるとす
味と挙げた 12 枚の伝統凧の意味がきちんと理解できる人は、よく自ら
る「天人合一」の思想を体現した。
凧を作ったことがあり、自分の思いを手作りの吉祥の図案と凧を通して
天に伝えると考えている。それによって、もっと多くの人は凧の文化を
■伝統的な北京凧の制作技術と凧職人の精神
凧職人への聞き取り調査を通して、制作技術、材料の利活用、自
理解させるように、自らで凧を作ることを励まして、手作りの凧を振興
する必要があると読める。
然素材の使用などから、彼らの凧制作へのこだわりなどを把握、以下
の知見を明らかにした。
■まとめ
1)北京凧の制作における凧職人のこだわり。
図2.「北京凧」の制作手順
北京凧の骨組みから糸まで、それぞれ部分によって違う材料を運
用し、工夫する知恵に溢れている。材料を吟味することで、竹を三年
ほど陰干しにして使う。総じて、北京凧の性能と材の特徴を五感で知
り尽くした北京の凧職人は生活づくりの実践者である。
2)一物全体活用で自然のリサイクルを実現し、人と自然とのつながり
を構築した。
凧職人は、廃材・端材とされるようなものを十分に利活用し、材の特
質を使い尽くし、自然物を採取して質のいい絵の具を創出することで、
自然からもらった恵みを最大限に活用し、もの・自然への感謝の気持
ちを伺える。
3)凧職人は、人びとの願いを共感し、その願いが込められた「もの」を
心でつくり出した。
■北京凧文化への認知度に関するアンケート調査
地域の人びとが北京の凧文化に対しするイメージや認知度をどの
ように把握しているのかを確認するために、現地においてアンケート
調査を行った。
調査結果をカイ二乗検定を通して、以下の結果が判明した。
表2.カイ二乗検定で統計したアンケートの質問間の関係性
図3.さまざまな「つながり」の媒介となる北京凧
本研究の結論としては、図4に示す「つながり」を見出した。それは、
本研究で明らかにした伝統的な「北京凧」の諸相の解析である。
北京の凧文化は、「天人合一」の中国の哲学思想に基づいて、人と
人・人と自然・人と天とのつながりを構築する人々の生活に不可欠なこ
とである。
当該地域の人びとにとって、凧の糸は、天と自分を結びつける紐帯
のような存在であった。地域の人びとが、豊かな生活の創出に向け、
天と結びつける凧を設計・創造し、願いが込められた凧を揚げることは
生活づくりの大切な一環となった。凧の文化は当該地域の生活文化・
地域アイデンティティをよく体現している。
凧職人が、使い手の思いをきちんと受けて、他の職人との材料・資
源を共有し、自然の材料を活用していた。また、生活者の自作凧の造
形が簡単だけど気持ちや子どもへの希望を表せた自分なりの形であ
るので、凧職人の凧も自作凧も、生活づくりを推進し、当該地域での
人・心・自然・社会のつながりを構築してきた。
本研究においては、凧の文化の維持・継承に向け、「『北京凧』の
使い手とつくり手という新たな『担い手』の育成に取り組む。」と「『北京
凧』が内包している人と人・人と天・人と自然などの『つながり』を復元
する。」という凧の文化の維持・継承の指針を導出した。
凧職人が構築してきた「北京凧」が内包しているつながりを復活す
るよう、北京市民を対象として、北京凧学会に凧の制作の授業を開催
するとともに、伝統凧の意匠特質と凧揚げの風習を教えることを提案
した。参加者は自分の思いを図案にして凧に描き、凧作りを完成する。
「凧の文化」にあったつながりを、「北京凧」の講座と自らの制作を通し
て考えてもらう。 つくり手と使い手、両方とも「北京凧」が構築してきた
つながりを守ることを通して、新たな担い手の育成に取り組むことが達
成できる。「北京凧」が反映する地域の文化的アイデンティティの維持
自ら凧をつくった経験がある人は、制作経験のない人より、地域に
に対して、使い手の育成も「北京凧」の継承の大切な一環であると考
おける凧揚げの風習にも伝統的な北京凧の意匠にも、認識が深いこ
えている。昔の文化を省みると、失われてしまった人々や自然とのつ
とが分かった。
ながりが戻り、他者への思いや気遣いの溢れる過ごしやすい社会へ
よく凧を揚げる人は、凧揚げをする習俗と伝統的な凧の図案への
なることを願う。