教育研究所だより 活 動 の 啓 発 ニ ュ ー ス № 2 0 平 成 2 7 年 ( 2 0 1 5 年 ) 6 月 1 5 日 明 石 市 教 育 研 究 所 明石の通信史(明治・大正・昭和) 大観校区の郷土史 校区を中心とした明石の町の変遷 大観校史と明石の産業の変遷 大観校区の郷土史 第2集 「研究紀要第6号の2 大観校区の郷土史―校区を中心とした明石の町の変遷―『6.附録』」「研究紀要 第7号の2 大観校史と明石の産業の変遷―大観校区の郷土史第2集―『第7章 明石の公共施設・公共機関 の沿革』」には、明石の通信の歴史が掲載されています。2つの沿革史を併せてみると、明石市における、明 治・大正・昭和(38年まで)の公共機関としての郵便・電信・電話の発達の様子がよく分かります。 明治 4 年 12月 5日:明石郵便取扱所が、大蔵谷に置かれた。(通常郵便のみ取扱) 8年 :明石郵便取扱所が、中町60番地に移る。 9年 :内国為替取扱開始。 11年 :明石郵便取扱所が、明石町樽屋町131番地に移る。 12年 :郵便貯金取扱開始。 1 6 年 7月 1日:相生町に明石電信局(2等電信局)が設けられる。和文電信取扱 18年 :明石郵便取扱所が、明石市字中町18番地に移る。 19年 :明石郵便取扱所が明石郵便局と改称し、3等局になり、西本町26番地に移る。 2 2 年 9月21日:明石郵便局が明石電信局と合併し、明石郵便電話局と改称し相生町212合併地 に移る。 23年 :電信為替取扱開始 24年 5月16日:欧文電信取扱開始 2 5 年 ごろ :郵便ポストが、はじめて町内に10余ヶ所設けられ、明治 の終わりには、24カ所になる。外国為替取扱開始。 26年 :小包郵便取扱開始 36年 4月 1日:明石郵便電話局を明石郵便局と改称 37年 :電話が開通。市内で72台の電話加入者があり。 38年 :公衆電話が設けられた。 39年 4月26日:特定3等局となる。 41年 :200台を突破、市民にも親しまれていった。 大正11年12月16日:2等局となる。 昭和16年 2月 1日:普通郵便局となる。 2 0 年 7月 7日:戦災のため、本庁舎、電話分室、保険分室が消失。暫定庁舎に移転。 21年 7月 7日:大明石町3丁目に総合仮局舎竣工し、移転。 24年 6月 1日:明石電報電話局設置 38年10月 7日:郵便局舎新築のため、仮局舎へ移転 (一部省略) 市民一人に年間86通の郵便物(昭和36年) 5.8世帯に1台の電話(昭和36年) 市内には、明石、大久保、二見の3集配所と13の郵便局があ 電話は非常に普及し、5,325台と るほか、118の郵便ポストと97の郵便切手売捌所がある。郵 なり、全市の普及率は5.8世帯に1台 便物取扱件数は、年間2,101万通。うち特殊郵便物は44. の割合となる。地区別に比べると、旧市 9万通、小包は21.3万通と全体の3%。通常郵便物のうち、 域は5世帯に1台、新市域は8.6世帯 21.6%にあたる452.8万通が年賀状。 に1台である。 郵便物の取り扱いは最近はげしく増加しており26年にくらべ て、2倍半あまりになった。 ※この研究紀要は大観小学校教諭の井上俊 (※昭和26年804万通⇒昭和36年 2,101万通) 先生がまとめられたものです。
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