の と のかみ のりつね およそ能登守教経の矢先にまはる 者こそなかりけれ。矢だねのあるほ ひたたれ から あやをどし ど射尽くして、今日を最後とや思は よろひ おほ だ ち れけん、赤地の錦の直垂に、唐綾威 しら え おほなぎなた さや さ の鎧着て、いかもの作りの大太刀抜 う き、白柄の大長刀の鞘をはづし、左 右に持つてなぎまはりたまふに、お もてを合はする者ぞなき。多くの者 ども討たれにけり。新中納言使者を かたき 立てて、﹁能登殿、いたう罪なつく りたまひそ。さりとてよき敵か。﹂ とのたまひければ、﹁さては大将軍 くきみじか に組めごさんなれ。﹂と心得て、打 ち物茎短にとつて、源氏の船に乗り 移り乗り移り、をめき叫んで攻め戦 ふ。 ご 新中納言、﹁見るべきほどのこと は見つ。いまは自害せん。﹂とて、 たが めのと子の伊賀平内左衛門家長を召 して、﹁いかに、約束は違ふまじき よろひ に りやう か。﹂とのたまへば、﹁子細にや及 び候ふ。﹂と中納言に鎧二領着せた てまつり、我が身も鎧二領着て、手 かいしやう を取り組んで海へぞ入りにける。 たつ た がは 海上には赤旗・赤印投げ捨て、 …… あらし かなぐり捨てたりければ、竜田川の みぎは うすぐれなゐ もみぢ葉を嵐の吹き散らしたるがご とし。汀に寄する白波も薄紅にぞな りにける。 ︵平家物語・巻十一・能登殿 最期︶ 井上員男『版画平家物語』より、「十一 壇の浦の合戦」
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