細胞シート用いた食道がん治療へ一歩

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VISION
長崎大学病院
2015.6
長崎の医療の未来を描く
細胞シート用いた食道がん治療へ一歩
失われた組織や臓器を科学技術を用いて再生させる再生医療。京都大学の山中伸弥教授の研究成果
である iPS 細胞が医学界に大きな革命をもたらした。世界に誇る日本のテクノロジーは国の成長戦略
の一つに位置づけられ、全国の各大学でも研究が進められている。本院でも細胞シートを使った早期
の食道がん治療の臨床研究が大詰めを迎え、実用化に向けて歩み始めている。
新しい再生医療のモデルに/患者 QOL 改善に期待
2013 年7月、本院光学医療診療部の処置室。医
研究チームの責任者である移植・消化器外科の江口
師たちの視線が大きなモニターに注がれていた。早
晋教授は「東京と長崎間で細胞シートを空輸できるの
期食道がんの内視鏡手術による食道粘膜切除(ESD)
であれば、将来的には長崎の離島などへと広げること
が行われていたが、
この日は少し様子が違っていた。
も可能になる」と地域医療への貢献を示唆する。
研修医や医師らが代わる代わる見学に訪れ、鉗子に
国立がん研究センターがん対策情報センターの報
挟まれた直径約1㎝の細胞シートに注目していた。
告によると、全国で食道がんの患者数は年間約2万
処置室の中心には消化器内科、山口直之医師の姿
人とされる。うち 20%が内視鏡治療の対象となっ
があった。食道内部が映し出されたモニターを見な
ているという。近年では検診や内視鏡医療機器の性
がら、薄い膜状のシートを鉗子でつかみ、がんを切
能の向上によって、早い段階で食道がんを発見する
除した患部へ一枚ずつ慎重に貼っていく。
ことが可能になった。
細胞シートは東京女子医科大学の特許技術とし
しかし、食道がん内視鏡治療後に切除部分で狭窄
て、医療界の新たな再生医療の分野を牽引している。
を伴うことが多い。内視鏡治療後にも食道を広げる
これまでに大阪大学などで心筋や眼の角膜などの再
処置 ( 内視鏡的拡張術 ) を複数回施術しなければな
生に応用されてきた。
らず、多ければ 30 回以上にわたるケースもあると
長崎大学病院の研究チームは東京女子医科大学の
いう。たとえ、
がんを切除したとしても、
患者にとっ
協力の下、細胞シートを使った食道がん治療の臨床
て負担は大きかった。
研究に取り組んだ。空輸を伴う遠隔地での細胞シート
今回の研究で一部の患者に狭窄は見られたもの
の品質管理と安全性を確認することが目的だった。長
の、細胞シートを用いた場合、内視鏡的拡張術の必
崎大学病院で患者の口腔内から採取した細胞を東京
要回数は少なくなり、患者の QOL の改善が見られ
女子医科大学へ運び、
そこで約2週間の培養を経て、
た。江口教授によると、細胞シートは細胞に働きか
細胞シートがつくられる。完成した細胞シートは再
けて再生を促す、いわば「絆創膏」のような役割を
び長崎大学病院へ空輸され、
患者の食道がん切除後、
果たすという。山口医師は「狭窄が起きるメカニズ
食道内の表皮部分の再生を促すために移植されると
ムとシートが作製されて2週間というタイミングが
いう一連の流れが検証された。昨年 10 月に 10 例
細胞の再生に何らかの影響を与えている可能性があ
の臨床研究を終え、現在、成果をまとめている。本
る。今後の研究課題」と話す。また「細胞シートを
院で使用された細胞シートに空輸による影響はみら
患部に貼り付ける際のデバイス開発も検証していき
れず、遠隔地での使用の安全性や品質を裏付けた。
たい」と新たな目標とともに意欲を見せる。
移植に用いる細胞シートを準備するスタッフ
▼ 2013 年、早期食道がんへの細胞シートを用いた手
術が本院で実施された
地域を越え、専門を超えて
長崎大学の再生医療研究は、細胞シートによる再
には肝移植の手術件数や手技の安全性など、移植医
生医療実現プロジェクトとしてスーパー特区に指定
療の実績が備わっていることはいうまでもない。現
された 2008 年に加速した。東京女子医科大学を中
在、基礎研究の分野では主に歯科の領域や肝臓と膵
心として長崎大学など 10 大学・研究機関に加えて、
臓で細胞シートを用いた実験が確実に成果を上げて
8企業が連携し、医学、理工学、産学が融合した体
いる。
制を構築している。2010 年には院内に CPC(Cell
また 2009 年に長崎大学における再生医療開発の
Processing Center)を設置し、再生医療や細胞医
拠点として発足した「長崎障害者支援再生医療研究
療への布石を打った。
会」では講座や診療科を超えて医師たちが議論を重
移植・消化器外科では、こうした再生医療の研究
ね、研鑽を積んでいる。
は移植医療に取って代わる医療を模索する中で始
食道がん治療をはじめ、さまざまな分野で一日も
まった。他人の臓器や組織を移植するのではなく、
早い患者への診療の提供が期待される。西の果てに
患者自らの細胞を基につくられた臓器や組織を移植
あるこの長崎でも都心と同じような先端医療を享受
するという次世代の医療への挑戦である。そのため
できる。そんな日へと確実に歩みを進めている。