私の学生時代 川野 ルミ子(旧姓 金子) 1969 年英文学科卒業 昭和23年

私の学生時代
川野 ルミ子(旧姓 金子)
1969 年英文学科卒業
昭和23年生まれ、団塊の世代である。出生率の一番高
かった前年度の一浪生も加わっての受験だったから、青短
英文科の競争率は、一番高かった時ではないだろうか?
中・高を私立の女子高で過ごし、家庭と学校の往復が生
活のすべてだった18歳の私が、箱の中からおっかなびっくり顔を出し、初めて外の世界
をのぞいた時だった。
そんな私に、限りない可能性に挑戦する勇気と、広い世界に向かってはばたく翼を与え
てくれた青短英文科での毎日は、今思い出してもキラキラした充実の2年間だった。
英語、英語で夢中になっていたのは勿論だが、一般教養課程で選択した「東洋史」の講
師、東京大学の岩浅農也先生との出会いは、私にとってかけがえのないものとなった。
入学時、一般教養科目として希望した「自然科学」は抽選に外れてとれなかった。その
代わりにと、いくつもの教室を見学して回り、たまたま空席が多かった教室が「東洋史」
で、後方のドア近い端の席で、講義を途中から聴いただけである。高校までの得意科目は
理数系で、地理と世界史は大嫌いだった。そんな私が、魔法にでもかかったかのように、
一般教養科目に「東洋史」という、ありえない選択を即決した。
その日から、出欠すら一切とらないこの授業に、私は1日も休むことなく教室の最前列
の真ん中の席で講義を聴くことになる。先生が講義の合間に語る、ご自分の人生観や女性
の生き方についてのご意見が、何より新鮮で興味深く、実におもしろかった。
当時の女子は22,3歳までに結婚するのが一般的で、25歳を過ぎると「売れ残り」
とまで言われた時代である。親たちは思い通りにならない娘にはすぐ「お嫁の貰い手がな
くなる」と叱ったものだ。そんな時代に、先生の雑談は、いつもこんな調子だった。
「君たちは『お嫁に貰われていく』というような結婚は、断じてしてはいけない」「結婚
は対等な男女の関係であるべきです」
「君、花嫁修業って言いますけどね、料理だ、洗濯だ、
裁縫だなどは、結婚したらいやでも一生やらなければならないんだから・・・。今、そう、
今しかできないことを夢中になってやるべきです」
なんだか目の前がぱっと明るくなったような気がした。
「僕が中国の歴史の1番いい所を一生懸命話している時、君は僕の目の前でいつも気持よ
さそうに眠っていた。それなのに講義にちょっと疲れたなと、雑談を始めると、君はいき
なり大きな目をかっと見開いて一言だって、のがすものかというような顔で僕を見る。」
卒業近くになって先生は、笑いながらそうおっしゃった。
授業のノートは一生懸命とったから、
「ノート持ち込み可」の試験は勿論高得点をとって
いるが、肝心の東洋史の授業を全く覚えていないのは、たぶんそのせいだろう。
学生運動が全盛の時だった。青短は別世界のように静かだったが、同じ敷地内の当大学
の正門はバリケードがはられていたし、授業もボイコットが続いていた。
先生の教えていらした東大は、特別学生運動が激しかった。その時の先生の言葉を、私
は強烈に覚えている。
「学生たちは、自由をよこせと大学を封鎖し、講義をボイコットしている。しかしね、
これは本末転倒ですよ。学問をする、知識を得るのは、自由になるため、つまり人生の選
択を自由にできる学力をつけるためなのだから・・・。
」
それまでの私は、勉強をする目的など考えたこともなかったから、先生の話は、ことさ
ら新鮮で魅力的なものとして心に響いた。これが原動力となって、片端から様々なことに
挑戦し、私らしい人生を過ごしてこられたのだと思う。
1年では、ESSで東工大との合同英語劇でキャストを演じた。2年目は、アメリカ文
化センターの図書室で英語の脚本を読みあさり、初の青短単独の英語劇「 The Little
Women」を企画、演出した。短大最後の夏休みには、東京で開催された国際学生会議に日
本代表の1人として出席し、世界からの優秀な学生たちの中で、自分の未熟さを思い知っ
た。卒業後は、世界青少年交流協会の日本代表団選抜試験に合格、外資企業での秘書職は
休暇を願い、ホームステイをはじめアメリカ主要6都市を訪れるチャンスも手に入れた。
3歩後をついていくのではなく、一緒に並んで歩いてくれる人と25歳で結婚、今年4
0周年を迎えた。いつも心に問うのは、
「今、やらなければならないことは何?」そして
「今しかできないことは何?」である。
還暦を迎えた2008年、エッセイ集「わたしの女修行」を幻冬舎ルネッサンスから出
版した。これは、青短時代に学んだ「自由のための勉強」から、自分の生き方を自由に選
択し、大きく翼を広げた私の記録である。
短大同窓会発足の前年、クラス全員の消息を確かめるため、それぞれのご実家に手書き
の手紙を書き、クラス名簿の土台を作成したことを懐かしく思い出す。宛名書きに行けな
い時は、妹をアルバイトに雇って代行してもらうなど、あぶなげにスタートした同窓会だ
ったが、現在の充実した同窓会に感無量である。同窓会発展のためにご尽力くださった役
員の皆様に心より感謝申し上げます。