第13回 沖縄県 遺骨収容活動

報告書
2015.06.10〜11
第13回
沖縄県 遺骨収容活動
アルピニスト
野口健
概要
場 所: 「白梅之塔」付近の豪 2 箇所(沖縄県糸満市真栄里 1837)
糸満市大里の国道 7 号線沿いの豪
(国吉様にて地権者の許可を取得済み)
日 時: 2015年6月10日
(水)
〜11日
(木)
10日
(水)
8:00 集合、
現場移動、準備
9:00 作業開始
12:00 お昼休憩
13:00 作業再開
16:00 終了
11日
(木)
9:00 現場集合、
作業開始
12:00 終了
参加人数: 12 名(全員、有志にて参加)
ご 協 力: 国吉 勇 様 取 材: 朝日新聞(記者1名、カメラマン1名)
掲 載: 朝日新聞 全国紙(掲載日は地域によって異なる)
遺骨収容: 糸満市大里 → 頭蓋骨他
白梅之塔の横 → 大腿骨他
白梅之塔の近くの洞穴 → 手の指、下顎、頭蓋骨 他
白梅之塔
沖縄県糸満市真栄里 1837
陸軍病院壕跡地
県立第二高等女子学校の稲福全栄校長以下職員 11 柱、
白梅学徒看護隊 27 柱、同窓生 101 柱、合計 132 柱が
合祀されている。
白梅隊(4 年生)56 名は、昭和 20 年 3 月 6 日、東風
平国民学校在第 24 師団第一野戦病院衛生看護教育隊に
入隊し、看護師としての特別集中教育を受ける。
3 月 24 日、米軍の艦砲射撃が始まると、看護教育は打
ち切られ、
八重瀬岳中腹にある第 24 師団第一野戦病院(山
3486 部隊)に配属される(25 日に 3 名、27 日に 9 名
が除隊となり、46 名の生徒が入隊)
。その後、昼夜の別
なく傷病兵の看護に当たった。
戦況が悪化し、6 月 4 日、米軍の猛攻により第 24 師団
第一野戦病院は南部へ後退する事に決まり、
「白梅学徒隊」
は解散となり、46 名の生徒たちは数名ずつに分かれて南
部へと逃げる。この逃避行中に多くの犠牲者を出し、国
吉に後退した第 24 師団第一野戦病院壕に迎えられて勤
務を続けていた。
6 月 21 日〜 22 日にかけて、米軍の猛攻撃に遭い、戦没
した。46 名の生徒のうち 22 名が戦死した。ここは白梅
隊のもっとも多くの犠牲者がでたところである。昭和 22
年 1 月、自然石の小さな碑を建て第 1 回の慰霊祭が行われた。
活動内容
国道7号線沿い
国道沿いの脇に、草むらに覆われた階段がひっそりとあり、
その先に豪がある。
普段、豪の入り口には鍵
がかかっている。国吉様
から地権者へ許可をとっ
ていただいており、鍵を
お 借 り し、 解 錠 す る。 入
り口はとても小さく、大
人は、体をかがめてでな
いと入っていけない狭さ
である。
豪内も、常にしゃがみこみむか、ほふく前進でないとすすめ
ない狭さだ。崩落した跡があり、時折パラパラと崩れ堕ちる
天井。少し奥に進むだけで見えなくなる光。少し先にいる人
間の声も届かない。思わず、前に進むことを躊躇してしまう
ことも。
また、外のうなるような暑さに比べ、豪の中は信じられない
ほどにひんやりとしており、音がなく、この空間だけ切り取
られているように感じる。
狭く、限られた動きしかできない中、ただひたすらに掘って
い く。 こ こ で は、 九 九 式 短 小 銃 の
7.7mm 弾丸を発見した。「弾丸があ
るということは、きっとそこにご遺
骨が眠っている」という国吉様の判
断により、さらに掘り進めると、頭
蓋骨が出てきた。
豪内のいたるところに、黒い壁がある。これは、豪の入り口から火炎
放射器による攻撃を受け、岩が焼け焦げた跡である。その爪痕は今も
色あせることなく、豪の中で眠っている。
活動内容
白梅之塔 近辺①
白梅之塔の道路向かいに、草や気が生い茂り、
その奥に豪がある。
この豪は、完全に天井が崩落しており、少し開けた
場所になっていた。
「自分だったら、こんな隙間に逃
げ込んだではないだろうか?」などと当時の事に思
いを馳せながら、ただひたすらに掘り進めていった。
活動内容
白梅之塔 近辺②
将校しかもっていない、
白梅之塔の横に、豪に続く階段がある。階段の先は、
ピストルの弾を発見。そ
長く暗い。階段を下り終えると、左右に豪がのびて
の他、アンプルや弾倉な
いる。ここの豪はかなりの広さがあるようだった。
ど多数見つかった。
私達が入る数日前に、この豪に
て発見された軍刀。この豪はこ
れまで手付かずでいた豪である。
70 年前、この場には、負傷した兵達が隙間なく何百人も寝か
されていたという。寝衛生面など皆無で、薬などの備品も足り
ない中、苦しむ兵を、まだ年端も行かぬ女学生達が看護をしな
くてはならない。看護の知識もろくにないままだったであろう。
そして、攻撃にあい、命を落としていった。
その方達のご遺骨が、未だ、拾われる事なく、ここに埋まった
ままなのかと思うと、その苦しみや無念の思いは、想像を絶する。
そのような事を、活動を共にする仲間と話つつ、また黙々と作
業に戻る。
こうした話をし、当時の現実を知り、思いを馳せることが、と
ても重要だと考える。そして、それがまた私の活動の糧になっ
ていくのだろう。
ご遺骨
今回の活動にて収容されたご遺骨や遺品は、後日、国吉様にて遺
骨情報センターに提出、及び、報告をしていただく。
顎と歯のご遺骨
子供の歯だと思われるご遺骨
活動後日、我々とは別に、沖縄にて遺骨収容活動をされている方から事務所に電話があった。
「平和記念公園内の「健児の塔」の側にある豪の中に、ゴミが大量に不法投棄されており、遺骨の収容活動が全くで
きない状況である。県や環境省や厚労省にかけあっても門前払。糸満市が年に一度だけトラックを出してくれるので、
有志を募り、毎年ゴミの清掃をしている。しかし、軽く見積もっても、あと 10 年はかかるであろうゴミの量である。
」
そこで、私に県が動くよう訴えかけてほしいとのことだった。私としてもなんとかしたい問題ではあるが、地権者の
問題などが足を引っ張り、なかなか事が進まないのがこの遺骨収容の大きな問題である。
国がようやくこの問題に取り組み始めたので、早期の解決を切に願う。私も今後は、国や県と連携しながら、この活
動を続けていきたい。
朝日新聞
掲載記事