平成 26 年度 神戸大学 海外インターンシップ 実施報告書 派遣国・都市 ポーランド共和国・トルン 研修先 ニコラウス・コペルニクス大学言語学部日本学科 滞在期間 2015 年 2 月 20 日(金)~4 月 13 日(月) 報告 法学部 4 年生(2015 年 5 月現在) 目 次 1. インターンシップ概要 2. 授業の様子について 3. 日常生活について 4. 旅行 5. 異文化交流~イースターの体験~ 6. 教訓 7. 最後に―感謝の言葉 1. インターンシップの概要 ー中長期日本文化紹介型 ー ◆目的: 海外の大学等、教育研究機関で行われている日本語教育の現場で TA として 日本語日本事情の教育補助体験を通して得た多様な気づきから異文化理解を深 化させ、自文化を客観的に意識することと併せて、自己の専門性をより深める 機会を自主的に求めること ◆派遣先: 国立 ニコラウス・コペルニクス大学 言語学部日本学科 ◆活動内容: ①現地大学教員担当授業の TA(Teaching Assistant) ②日本文化、社会問題及び歴史を伝える授業の計画・実施 ◆活動期間: 2015 年 2 月 25 日(大学後期学期開始日)~4 月 10 日(各月~金) ◆活動対象: ニコラウス・コペルニクス大学言語学部日本学科に所属する 1~3 年生の授業 2-1. 授業の様子について(1) ◆TA としての活動: 日本語文法を使った会話の授業、日本文化を学ぶ授業、日本語を使ったディ スカッションの授業など、様々な授業に参加させていただきました。曜日によ って参加授業コマ数は異なりますが、一番少ない曜日で 2 コマ(90 分×2)、多い 曜日では 4 コマ(90 分×4)でした。 ポーランド人教員の授業は、ポーランド語での指導、日本人教員の授業では、 日本語での指導(時折英語若しくはポーランド語使用)が行われることが多かっ たです。各言語の使用頻度は、授業担当学年に依ります。 私は、主に日本語を使って、教室内を巡回しながら学生の様子を見たり、質問 に答えたり、会話の授業であれば学生に混じって日本語会話を促したりと、授 業内容に応じた学習補助を行いました。 ← とある日の 3 年生のディスカッ ションの授業では、学生たちの発言を まとめる書記に徹しました。 この日のテーマは「漢字廃止論」とい う複雑なテーマでしたが、次から次へ と意見が沸き起こり、意見まとめが追 いつかなかったほどです。 → 井上ひさし著『父と暮らせば』を題材と して、 「災害や戦争で生き残った人の心情」 について考える授業にも参加しました。 終戦後の広島を舞台としたこの小説は、台詞 の殆どに方言が使われていたため、標準語で 大まかなあらすじを作成し、小説の時代背景 となっている原爆について説明するという 授業準備を行うこともありました。 2-2. 授業の様子について(2) ◆私主導の授業: 週に一度だけ、私が担当する授業がありました。授業内容は、日本の社会問 題・文化・生活・歴史等を紹介しながら、学生たちとそのテーマについて話し 合うという会話の授業です。会話内容については、その題材に対する日本とポ ーランドの比較について語られることが多かったです。 元の担当教員の方から指示された題材を扱うこともあれば、私が紹介したい 題材について説明すること もありました。 ← 教員指示による「日本の学生生活」につ いての紹介スライドタイトルです。 日本へ留学を予定している学生もいたため、 学生寮、学生食堂、サークル活動、アルバイ ト等、 「彼らの役に立ちそうな情報」を中心に 紹介しました。 → 教員指示による「日本の食文化」についての 紹介スライドの一部です。食の歴史、おふくろの 味、日本語のレシピの読み方等を中心に紹介しま した。 このスライドでは、 「ポーランドで作れる日本のカ レーライスの作り方」を紹介しています。授業準 備として、実際にポーランドの食材でカレーを作 って、写真を撮り、レシピを詳細に作りました。 2-3. 授業の様子について(3) ◆授業に参加するにあたって気をつけたこと: 1.会話のレベルを合わせること 2.極力日本語で説明すること 3.日本語で説明しづらい場合にのみ、英語を使って説明すること 4.相手が話しやすい状況を作ること 5.相手に興味を持ってもらうための努力を怠らないこと ◆具体例: ← 私がどうしても「戦争」を題材にした話を したい時がありました。そこで、彼らになるべ く多くの関心を抱いてもらうために、「文学・ 芸術」というとっつきやすい切り口から、日本 人の戦争の経験や、日本が関わった戦争の歴史 について紹介することを思い付きました。 このスライドは文学作品の紹介ですが、他に も、映画・絵画・歌についても紹介しました。 ← 事前にディスカッションポイントを提示 したり、学生にクイズを出したりすることも、 会話を促す手段としてとりいれていきました。 この授業では「アジアの冷戦」をテーマにアジ アの冷戦時代を紹介していきました。 日本学科の学生の中には、韓国の文化に興味を 持つ人も多かったので、朝鮮戦争についての説 明もあります。 3-1. 日常生活について(1) ◆平日の過ごし方: 授業がある時間は大学へ行って、TA をしたり、授業を行ったりしました。そ れ以外の時間は、学生を誘って(或いは誘われて)、大学近くのレストランや学内 の Bar(日本でいう学食)でランチを食べたり、学生と世間話をしたりと楽しみま した。授業開始時刻が早いので(1 限は朝 8 時開始)、早めに学生寮に戻ってくつ ろぐということも多かったです。 ↑ 大学近くの Manekin というレスト ↑ ランはポーランド全土に店舗があり、 です。この時偶然、イタリアへ留学して とても安いです。この料理はパンケー いた日本人大学生がポーランドへ遊びに キで、薄い生地の中身は、チキン、ト 来ていたため、彼も交えて食事に行きま マト、チーズなど、メニューによって した。 6 人の学生でランチに来た時の写真 様々です。 ◆休日の過ごし方: 学生寮でのんびり過ごす日もあれば、少し遠出して旅行へ行くこともありま した。夜はよく学生とパーティを開いたり、クラブでお酒を飲みに行ったりし ました。 ポーランドの学生は、休日はお酒を飲むか、家でのんびりして過ごし、勉強 の疲れを癒すというのが一般的なようです。アルバイトをする学生の人数は日 本に比べて少ないという印象がありました。 3-2. 日常生活について(2) ◆言語: 共産時代の影響で、年配の方に英語は通じません(代わりにロシア語が話せる ようです)。私の反省点は、少しポーランド語を勉強してから渡航すべきであっ たということです。若い人には英語が通じるので、会話には困りません。 ◆物価: ポーランドの通貨はズウォティ(PLN)です。私のトルン滞在時のレートは 1PLN=33 円~32 円で変動していました(2015 年 2 月~4 月時点)。 私の滞在当時のポーランドがデフレ経済であったことも相まって、物価はか なり安かったです。日用品及び衣類が安く、家電が高いという印象でした。国 産品は安く、海外製品が高いという点は日本と共通していると思います。トル ンは特に田舎なので、レストランでのディナーでさえ 20PLN 程度しかかからな いことが多かったです。家賃込みで、月 1000PLN(33000 円)あれば十分生活で きます。 ↑ 容量にもよりますが、ヨーグ ↑ 外出先で食べたアイスケーキ ルトは 1 個当たり 1PLN~2PLN です。サイズが大きいにもかかわ が平均的です。 らず、10PLN 程度しかかかりませ んでした。 ◆学生寮: 私はコペルニクス大学所轄の学生寮の一室を借りました。家賃は約 700PLN/ 月(月 23000 円ほど)で、光熱費・水道代込の値段です。有線 Wi-Fi が使えたの で、日本の家族や友人との連絡に困ることもありませんでした。シャワールー ム、トイレ、電気ポットや冷蔵庫は各部屋にあり、キッチン、コインランドリ ーが共同使用でした。 3-3. 日常生活について(3) ◆交通事情: 遠出をする際には、日本の新幹線のように、高速で移動する電車はないので 時間がかかります。場合によっては、電車で同じ目的地に移動するよりも、高 速バスに乗った方が早いということもありました。電車もバスも本数が少ない ので、綿密に旅行のスケジュールを立てなければなりません。 市内移動の手段は、トラム(路面電車)とバスが一般的で、本数がとても多く、 乗車賃も安いです(およそ 3PLN=約 100 円)。 ◆治安: 比較的安全です。ただし日本人はよく目立ち、軽犯罪に遭いやすいので、用 心しなければなりません。夜外を歩くときに通らない方が良い道もありますが、 それさえ気をつけていれば犯罪に巻き込まれることはありません。歌いながら 外を歩くなど、現地慣れしている様子で振舞えば安全度が増します。 ◆気候: 寒いです。しかし、2015 年のヨーロッパは全体的に暖冬だったので、雪が降 ったり、気温が-20℃まで下がったりといったような平均的なポーランドの冬 ではなかったようです。ダウンジャケットさえあれば生活できます。 4. 旅行 ホームステイ (3 月 20~22 日) 居住地 日帰り旅行 (3 月 28 日) ホームステイ (4 月 1~5 日) ◆トルン(Torun): 私が約二か月間暮らした静かな田舎町です。旧市街地が世界遺産に登録され ていますが、観光客はさほど多くないため、過ごしやすかったです。 ◆グダニスク(Gdansk): ポーランド北部のバルト海に面した都市です。肉食中心のポーランドですが、 この地域の魚料理は素材が新鮮で絶品でした。 私はコペルニクス大学の友人に誘われ、友人の姉夫婦の家でホームステイし ました。夫婦は両者とも若いので、英語で会話できました。そして彼らは初対 面かつ外国人である私を温かく迎え入れてくれる寛大な方々でした。ポーラン ドの生活様式を肌に感じつつ、友人と夫婦の優しさに触れた日々でした。 ◆マルボルク(Malbork): グダニスクから電車で 1 時間ほどの場所にある小さな町です。ここで世界遺 産のマルボルク城を観光しました。とても大きな城なので、3 時間ほどかかると 見積もって行かなければなりません。 ◆ワルシャワ(Warsaw): ポーランドの首都です。トルンから電車で 3 時間ほどなので、日帰り一人旅 をしてみました。観光地かつ都会であるため、物価が日本と同じくらいになっ てしまいます。都会であっても人々が優しいことに変わりはなく、私がポーラ ンド語を読めず、地下鉄の乗り方が分からず困っていると必ず助けてくれまし た。 ◆クラクフ(Krakow): 私がイースター休暇を過ごした都市です。ポーランドの中で最も国内外の観 光客が多い場所であると言われています。 私のホームステイを受け入れてくれたのは、神戸大学に留学したことがある というヤギェウォ大学の学生でした。彼女と神戸大学の思い出、日本の思い出 を話した毎日は、1 か月程度しか離れていないにも関わらず、私が日本への懐古 の念を募らせる時間、そしてポーランドを間もなく離れる寂しさを実感させら れる時間でもありました。まるで私の母国になったかのようにも思えました。 この素敵な出会いは、コペルニクス大学の友人のお蔭で果たせました。人脈 を持ち、広げることの素晴らしさを学ぶことができたと思います。 5. 異文化経験~イースター~ 国民の 9 割超がカトリック信者であるポーランドのイースターは重要な意味 を持っています。復活日にあたる日曜日は、大抵の観光地はどこも見物できな くなっていて、レストランやスーパーも閉まってしまいます。仕事や大学は 1 週間休みになり、その間に人々は実家に帰り、家族との団欒を楽しみます。 まず、家の中をイースターエッグで飾ります。私のホームステイ先では、籠 の中に鳥の人形とイースターエッグを入れて、鳥の巣を模していました。別の 友人の家を訪れた際には、クリスマスツリーの飾りのように、イースターエッ グが木に吊るされていました。 イースター休暇の土曜日になると、ソーセージ、ハム、パン、タマゴをバス ケットに入れて教会へ捧げに行きます。そして、これらの材料を翌朝教会まで 取りに行き、朝食のスープにして食べます。発酵させた麦、野菜のストックが ベースの Zurek というスープは、正月の豪華なおせち料理のような華美さはな くても、家族で神聖な時間を過ごすに最もふさわしい素朴な料理でした。 ← ポーランド人はケーキやお菓子を焼く ことができるのがごく一般的だそうです。 写真に写るケーキはロールケーキ、アップ ルケーキです。ここのホストファミリーの お母さんのケーキの味は忘れられません。 6. 教訓 ◆信頼関係の築き方: 相手が年上であろうと同い年であろうと常に心掛けたことは、正直でいるこ と、礼儀を重んじること、笑顔でいることでした。これは万国共通の手段であ るとは思いますが、一定のマナーを忘れないようにしつつはっきりとものを伝 え、常に笑顔でこちらから挨拶をするという、一見当然のようなことが、相手 との距離を簡単に近づける方法であると学びました。 ◆文化に馴染むこと、重んじること: 挨拶でもなんでも、ポーランド語をなるべく覚えて使う努力をし、その国の 人たちの生活に馴染むことは、先に述べたような、相手との距離を縮める手段 であると学びました。言語だけでなく、例えば教会では写真を撮らず、礼拝を する人の邪魔をしないこと、ポーランドでは失礼とされるハンドサインを使わ ないようにするなど、宗教面、マナー面においても、その国の文化を尊重する ことが自分も相手も不快感を覚えないために必要なことでした。 ◆自分から行動すること、発信すること: コペルニクス大学の後期学期がスタートしたばかりであった頃、大学の教員 の方の殆どは私と初対面でした。お互いに見知ったばかりで、気を遣う関係と なることを承知していたので、まずは私の事を知ってもらうことから始めまし た。「授業 TA の仕事を引き受けたい!」という自分の希望や、自分が持ってい る専門知識や興味関心などを積極的に発信することによって、 「こういう仕事な ら頼めそう」 「やる気を持って来ている」ということを理解してもらうことが大 切であると学びました。 ◆なんでも一人でやらない方が良いこともある: 私の短所は、なんでも一人で問題を解決しようとし、人に相談しようとしな いことだと思います。今でもこの癖はなかなか治りづらいものです。しかし、 とりあえず人に相談してみることが時に最善の方法となりうることをポーラン ドでようやく学ぶことができました。 私は帰国する日に、トルンからワルシャワまで移動する電車に乗りました。 しかし、その電車の出発が大幅に遅れ、飛行機に間に合わなくなりそうになり ました。手元のガイドブックで空港までの最短交通手段を見つけようと躍起に なり、タクシーを捕まえて乗っていくのが最善であると分かったものの、私が 外国人であることをいいことに高額な運賃を請求されることを恐れました。ダ メもとで同じ車両に乗り合わせていたポーランド人の若い夫婦にこの事情を相 談したところ、 「ぼったくりしないようなタクシーを私たちが捕まえて目的地ま で連れて行くよう頼んであげるから、安心してほしい」と励まされたのです。 彼らは自分たちの本来の降車駅の手前の駅で私と一緒に電車を降り、タクシ ーを探してくれました。 ポーランド人の親切心に接して、出国前の最後の最後にありがたみを覚えた と同時に、自分なりの問題解決方法を見出した体験でした。 7. 最後に―感謝の言葉 私をポーランドへ送るために尽力してくださった神戸大学大学教育推進機構 グローバル教育部の瀬口先生、私のポーランドでの生活を支えてくださったコ ペルニクス大学日本学科のレシニチャク先生、私を快く、心を開いて迎え入れ てくれたコペルニクス大学の学生、先生方、グダニスクと、クラクフのホスト ファミリー、全ての方々に感謝の意を表します。 本当にありがとうございました。Dziękuję bardzo!
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