文化日報・レビュー

文化日報 2015.10,22
「言葉が権力となる」…... 日韓関係史 一味ちがう視点できりとる
演劇『颱風奇譚』
歴史を素材にした話は世間の注目を集めやすいが、好評を得るのは容易ではない。どのように読み取るのか。
人々は既存の歴史観から大きく抜け出すことができない。だから演劇で歴史を表現するのは危険なことかもしれない。
しかし、新たな視点を提示して、挑戦的な質問を投げかける「歴史的な舞台」は、絶えずに誕生している。
喜んで冒険に参加するアーティストが存在するから。
去る 16 日、安山アートセンターで開幕した『颱風奇譚』は、そうした勇気ある冒険の結果である。
劇作家兼演出家ソン・ギウン(41)と東亜演劇賞初の外国人の受賞者である多田淳之介 (39)。対立した歴史の外側で
育った日韓の若いクリエーター二人が意気投合した。
シェイクスピアの最後の作品である「テンペスト」を脚色した『颱風奇譚』は、原作のプロットをそのままに、人物の
役割との関係を新たに構成したものだ。背景も戦争関係にあったミラノとナポリではなく、架空の無人島だ。国を失い、
避難してきた朝鮮の皇帝李太皇は一人娘のソウンと一緒に住んでいる。近くの海を通っていた大きな日本の艦船が難破し、
1920 年代の日韓の状況を伝える(仮想の)様々な人物が漂着する。そこには、李太皇の王朝を滅亡させた貴族の一行や、
李太皇の弟で西大寺公爵の婿養子になった李明公も含まれている。
作品は、支配する者(日本)と支配される者(朝鮮)の構図に、別の支配(李太皇)- 被支配(島の先住民ヤン・クリー)
の関係を結び付けている。その中で権力が生まれたり崩れたり、あるいは推移する過程で、言葉が持つ力を探求していく。
和解と赦しのプロセスを描いた原作の主題に比べると、やや軽くなった側面がなくはない、様々な言葉が舞台の上で絡み
合う状況を巧みに描き出すことで、日韓関係史を切り取る一味違う視点を提示している。この時、ソン・ギウンの前作で
しばしば登場するバイリンガル状況、すなわち朝鮮語(韓国語)と日本語が同時に使われた植民地時代のリアリティが積
極的に作用している。
作品は、言葉遊びのような言語遊戯がずっと客席の笑いを誘い、重たい主題を軽快に解きほぐしていた。例えば、李
太皇の支配を受けて先住民語を使うことができないヤン・クリーにとっては朝鮮語が権力であり、玉三郎の助手ウルトリ
にとっては日本語が権力である。これら 3 つの言語を話す人々が出会い、原住民語 > 朝鮮語 > 日本語の順に権力関係が変
わる過程が興味深い。西大寺の息子である成保は、意味と発音が似ている漢字を使ってソウンと筆談し、会話をしながら
愛を感じるようになる。圧巻はこの 5 人が出会ったとき。3 つの言語が混じって、字幕も休むひまがない。
観客席は抱腹絶倒。歴史から離れて韓国・日本の観客誰もが楽しめる場面である。
最後まで生き残るのは誰か。朝鮮語と日本語が話せるウルトリ、そして原住民語と朝鮮語を話せるヤン・クリーには別の
機会(未来)を迎えるという結末が意味深い。原作の主人公であるプロスペローとアントーニオには、チョン・ドンファン
(李太皇)、バク・サンジョン(李明公)が演じる。小田豊、永井秀樹、チョン・スジ、マ・ドゥヨンなど出演。
ソウル南山アートセンターで、24 日から 11 月 8 日まで上演する。