3人目の主役はオーケストラ

した。もうワーグナーに関しては十分
指揮をしたと言える段階だと思いま
eature
カンブルランが語る〈トリスタンとイゾルデ〉㊤
3人目の主役はオーケストラ
― ワーグナーの作品で〈トリスタン
いのある作品ですね。
とイゾルデ〉が占める位置をどうお考
「大変シンフォニックなオペラです。
えですか。
トリスタンとイゾルデに次ぐ3人目の
「ワーグナーも初期には、イタリア・
主役はオーケストラで、プロットを管
オペラやマイヤベーアら他の作曲家か
弦楽が語る部分もある。歌手と同等以
らの影響が見られます。それらが徐々
上にオーケストラが大事とも言えま
に減って、この作品ではまったく違う
す。オーケストラにはチャレンジング
音楽に成長し、19 世紀の音楽に真の
かつ、演奏する喜びをもたらす作品で
革命をもたらしました。台本を作曲者
す。聴衆にとっては、オーケストラの
が自ら書いた点も重要で、音楽とテキ
演奏を見ることが、一つのお芝居とも
ストの間に特別な関係性があります。
なる作品なのです」
このため、指揮者に必ず音楽と同じぐ
― 出演するキャストも楽しみです。
らい台本と向き合うことを要求しま
「良い演奏を提供するため、私が音
す。独特の様式が、音楽にもテキスト
楽総監督を務めているドイツのシュト
にもあるのです」
ゥットガルト歌劇場から、上演を経験
― ワーグナーの他の作品と比べる
したばかりのキャストを、多く連れて
と、いかがですか。
来ることにしました。リハーサル時間
「プロット(物語の展開)としては、
を短縮でき、調整が利くという現実的
大きなものが語られるわけ
とイゾルデ〉を演奏しました。そのあ
ではありません。
〈ニーベ
と指揮者になり、ブリュッセルのモネ
ルングの指環〉ほど複雑な
歌劇場で音楽監督(1981~91)を務め
ストーリーではない。だか
― マエストロはワーグナー指揮者と
た際に、初めて〈トリスタンとイゾル
ら演奏会形式では取り上げ
しても、
長いキャリアをお持ちですね。
デ〉を指揮しました。イゾルデ役は名
やすい。逆に〈さまよえる
「ワーグナーと初めて向き合ったの
ソプラノとして知られるギネス・ジョ
オランダ人〉や〈ワルキュ
は、トロンボーン奏者としてでした。
ーンズでした。ワーグナーを振る機会
ーレ〉は話がややこしいの
リヨン歌劇場で奏者をしていた時、
は多く、例えば〈ニーベルングの指環〉
で、演奏会形式には相応し
はすでに 16 回、全4作上演を行いま
くないと思います」
19 世紀音楽にもたらした
真の革命
〈ニーベルングの指環〉や〈トリスタン
22
トリスタン役のエリン・ケイヴス
イゾルデ役のクリスティアーネ・イ
ーヴェン ©Christine Schneider
23
読響ニュース
― オーケストラにとっても挑戦しが
今後の公演案内
レパートリーがあります」
特 集
9 月の《定期演奏会》
(6 日)と《サントリーホール名曲シリーズ》
(13 日)
では、いよいよ今シーズンの目玉であるワーグナーの楽劇〈トリスタンと
イゾルデ〉
(全 3 幕)を、演奏会形式で披露します。これに先立ち、タク
トを取る常任指揮者シルヴァン・カンブルランが、日本ワーグナー協会で
作品に関するレクチャーを行いました。2 時間以上にわたって、熱心な研
究者やワーグナー愛好家ら約 100 人を前に繰り広げた熱弁から、マエスト
ロの作品観や公演のポイントを、上下 2 回にわたって紹介します。
(4 月 11 日・東京芸術劇場、司会は山崎太郎・東京工業大教授)
す。ちなみに、私はオペラで110曲の
歌手と同等以上に
重要な管弦楽
プログラム
F
特 集
た必要がなく、ワーグナーの指示通り
の登場ですが、違うところに
や〈パルジファル〉は、これ以上ない
でいいと思います」
も注目したい。それがオーケ
ところまで完成されています。
〈トリ
「そもそも〈トリスタンとイゾルデ〉
ストレーション(管弦楽法)
スタンとイゾルデ〉で問題があるとす
では、テンポに関するメトロノーム的
です。楽器の用法や、どうい
れば、音量の大きさ(デュナーミク)
な数字での指示はありません。すべて
う音が与えられているか、な
に修正が必要な点です。管弦楽が大き
決めるのは指揮者です。大切なのは
どです。例えば楽器の使い方
すぎて、歌手の声をかき消してしまう
『常に流れていること』で、聴き手に
では、第3幕に出て来るイン
箇所がある。特に金管楽器が全開とな
音楽の流れがずっと続いている感覚を
グリッシュ・ホルンのソロは
る場面では、歌い手は太刀打ちできま
与えることなのです。指揮者は一定の
画期的でした。ここまで一人
せん。歌詞が聞き取れるかどうかは、
テンポ観を持って全体を決断せねばな
の人物のように扱われて、オペラに登
本質的に大切な問題です。トロンボー
りません」
「主役の2人は、初めての大役です。
場した例はありませんでした」
ンだけ音量を落とすとか、小節の中で
― マエストロは、どんな点を重視し
トリスタン役のテノール、エリン・ケ
― 後世に与えた影響も甚大ですね。
アクセントを変えるなど、作品の本質
ますか。
イヴスはとても若々しく、今この役で
「20世紀に至るまで多くの影響を残
に沿って細かく修正します」
「決して立ち止まらず、大きな流れ
は世界でも屈指だと思います。イゾル
しましたが、さまざまな観点から捉え
デ役のソプラノ、クリスティアーネ・
る必要があります。ドビュッシーも西
イーヴェンは、弱音での色合いから力
洋音楽史の革命児でしたが、ワーグナ
強さまでを幅広く備え、単に力で押し
ーとこの作品がなかったら、あのドビ
切らない繊細さを持ち合わせていま
ュッシーにはならなかった。リヒャル
― 実際の演奏では、テンポの設定も
歌いにくくなるほど速く走ってはいけ
す。かつてカルロス・クライバーが指
ト・シュトラウスはたくさんのものを
重要な要素ですね。
ませんが、ワーグナーは極端にゆっく
揮した録音で、この役を歌ったマーガ
受け継ぎましたが、すべてを継承した
「やはりワーグナーの指示通りでは
りなテンポも指示していない。4月に
レット・プライスと比較できるような
わけではない。
〈ラインの黄金〉が主
速すぎて歌詞が聞き取れなかったり、
読響と演奏したブルックナーの交響曲
歌手です」
なお手本でした。ストラヴィンスキー
奏者が弾きにくかったりする部分があ
第7番でもそうでしたが、私は決して
は完全に無視しました。もちろんワー
ります。音の
テンポを急いでいるわけではなく、私
グナー自身も、先人からの影響を受け
数は変えませ
にとっての音楽の流れがそうさせるだ
ています。音楽の創造とは常に、前か
んが、テンポ
けなのです」
らある素材を使って新しいものを編み
は柔軟に変え
― 〈トリスタンとイゾルデ〉への深
― 作品として注目すべきは、どのよ
出す営みなのです」
ていきます。
い洞察と理解に裏打ちされた公演を、
うなところでしょうか。
― ワーグナー自身、この作品の後で
「伝統的なロマン派オペラの要素と、
は進化が見られます。
がれ〉や〈パ
新しい要素が共存している点でしょ
「
〈トリスタンとイゾルデ〉以降のワ
ルジファル〉
う。よく言われるのが新しいハーモニ
ーグナーは、もっと自分自身の音楽言
24
音楽の流れを
常に意識したテンポで
〈神々のたそ
©Peter Adamik
では、こうし
ます。全体を通して弧を描く流れがあ
ること、急ぎ過ぎないが流れを止めな
いこと、が大切です。もちろん歌手が
楽しみにしています。
※ 下回(
『月刊オーケストラ』9 月号)
では、カンブルランが作品の聴きど
ころなどを説き明かします。
25
読響ニュース
新旧の要素が
織りなす影響力
を決めたうえで、各部のテンポを考え
今後の公演案内
な理由もあります」
特 集
語を磨きました。
〈神々のたそがれ〉
プログラム
シュトゥットガルト歌劇場の外観 © 読響
ー、いわゆるトリスタン和音
F
特 集②
「第1幕の終わ
プログラム
りでトリスタンと
eature
イゾルデは死を決
カンブルランが語る〈トリスタンとイゾルデ〉㊦
夜の場面で深まる
「愛と死」
意しますが、毒薬
が媚薬にすりかえ
られ、命を永らえ
る。 続 く 第 2 幕
特 集
は、夜の場面であ
ることが 重 要 で
す。二人はオペラ
史上、もっとも長
「大部分がオーケストラの色彩によ
す。この長い長い対話の間、二人は
“愛
って描かれます。まず特別なハーモニ
している”とは一度も言いません。そ
ーで夜の訪れが準備され、各楽器によ
もそも愛とは何なのか、を文学的に議
って〈音のじゅうたん〉が広げられま
論している二重唱であり、夜について
す。絡み合ってゆっくり動く音型がセ
も語ります」
クシャルで、気持ちよく心地いい調和
「そして長い二重唱のメインのテー
を醸しながらも、不穏な違和感を忍ば
マは、理想の愛ではなく死、どういう
せ、侍女ブランゲーネが警告を発する
ふうに死ぬことが許されるのか、なの
場面で2度、陶酔を中断させます。二
です。キリスト教的な
〈愛は死に勝る〉
人の気持ちは次第に変容し、楽音の主
という発想ではない。音楽がたとえ悦
力が高域へ移りアッチェレランド(テ
楽的であっても、中味は〈愛の二重唱〉
ンポを次第に速める)が強調されて音
る音楽が続いた後、マルケ王が登場す
ではなく、死について語られ、愛より
楽が高揚しますが、絶頂は来ない。結
る場面になると、ハ長調の平べったい
も死の方が大事、と歌っていきます」
局、破滅が訪れて、二人の面会は成功
かも
しません」
音楽に変わる。これはマルケ王が生き
― この作品では、音楽の性格分けが
ている卑俗な社会を、秩序だった保守
ドラマ展開の上でも効果的に用いられ
的な和音で表現しているからです。逆
ていますね。
に言うと、トリスタンたちが居場所の
「まず第 1 幕では前奏曲から、いわ
ない世界にいることも示します」
― ワーグナーは第2幕で「夜」や「エ
マンティックな要素を際立たせる手法
ゆるトリスタン和音が駆け上がり、情
― クライマックスのひとつとなる第
ロス」を表すために、どんな工夫をし
として重要な意味を持っています。拍
熱がほとばしります。心を揺さぶられ
2幕は、ことに象徴的な部分です。
ていますか。
を単純に刻むのではなく、さらに、さ
28
効果的なハーモニーと
リズムの活用
― シンコペーション(リズムの切分
法)の連続も効果的です。
「森や風といった自然を描写し、ロ
29
読響ニュース
まさ
今後の公演案内
いと言われる〈愛の二重唱〉を歌いま
ワーグナーの楽劇〈トリスタンとイゾルデ〉には、音楽の面でもさまざま
な特徴があります。それらをどう料理して聴き手に示すかは、指揮者の腕
の見せどころ。読響の常任指揮者シルヴァン・カンブルランは、歌劇場で
のキャリアも長いベテランです。日本ワーグナー協会で行ったレクチャー
では鋭い作品分析を交えて、その魅力や聴きどころを解説しました。
(4 月 11 日・東京芸術劇場、司会は山崎太郎・東京工業大教授)
「愛よりも死が大事」と
語る二重唱
〈トリスタンとイゾルデ〉第 1 幕より ©A.T.Schaefer
で長い場面が控えているからです」
使うこと
― 声の温存が必要なわけですね。し
でも自然
かし、カットしなくても大丈夫だと。
を表現し
「ここでのテノールのモノローグは、
て い く。
夜の世界と対になる光について語って
人間の肉
いるとても重要な部分です。今回、ト
体も自然
リスタン役を歌うエリン・ケイヴスは、
の一部と
まだ若いので大丈夫。他の部分を含め
捉え、体
てエネルギーを配分し、全部歌っても
内の血の流れや息遣い、呼吸が速くな
らえるよう努力しました。ただでさえ
るといった身体的な要素までを、音楽
長い作品ですが、全部の音符を演奏し
で表しているのです。ここがワーグナ
たいのです」
ーの天才たるゆえんで、精密にリズム
― シュトゥットガルト歌劇場のよう
を考えて実現させた。この作品の秘密
に、質の高い上演を続けるためには何
のひとつが、そこに隠されています。
トリスタン役のエリン・ケイヴス
シュトゥットガルト歌劇場
伝説的なワーグナー 上演を誇る名門
冬のバイロイト
ドイツ南西部の街、シュトゥットガ
ルトの中心部にある歌劇場は1912年
にオープンしました。起源である宮廷
劇場の時代から数えると、すでに300
年以上の歴史があります。開場の年に
は、作曲家リヒャルト・シュトラウス
シュトゥットガルト歌劇場外観 © 読響
が〈ナクソス島のアリアドネ〉を自ら
ター」として一世を風靡しました。
の指揮で世界初演しました。
ツェーライン時代に最も注目された
オペラ上演に精通した職人気質の指
上演のひとつが、ワーグナーの楽劇
が必要ですか。演出に不満がある時な
揮者や演出家を多数迎え、着々と実績
〈ニーベルングの指環〉
( 99~2000 年
私はそれを最大限、演奏で表現するの
どは、諦めて指揮するのでしょうか。
を重ねてきた同歌劇場は、第2次世界
制作)です。4 部作に異なる 4 組の演
に精一杯です」
「歌劇場側の姿勢にかかっています。
大戦後の1950~60年代に最初の黄金
出家を当て、それぞれの作品の特質を
上演の2年前に始まる準備段階から演
期を迎えます。作曲家リヒャルト・ワ
引き出す手法で成功を収めました。指
ーグナーの孫にあたる演出家、ヴィー
揮は当時の音楽総監督のローター・ツ
ラント・ワーグナーらが中心となって、
ァグロゼクが通して務め、全体を引き
優れたワーグナー作品上演を続けまし
締めました。ツァグロゼクは 2016 年
た。そのため、有名な毎夏恒例の音楽
3月に読響へ初登場する予定です。
祭になぞらえて、シュトゥットガルト
この〈指環(リング)
〉上演はドイツ
歌劇場は「冬のバイロイト」と呼ばれ、
の批評陣から、ヴィーラント・ワーグ
称賛を浴びました。
ナーの舞台、フランスの名演出家パト
出陣と話し合って、チームとして良い
仕事をする点を重視します。世界初演
の作品であっても、事前にどれだけ打
― 第 2 幕では 300 小節を超えるカ
ち合わせができているかどうかが、成
ットが、通常の上演では慣習となって
功の秘訣。私が心掛けているのは、副
います。今回は、どうされますか。
指揮者に任せずリハーサル 7 週間に
「全部、演奏します。
〈愛の二重唱〉
丸々参加して、全部の指揮をするこ
の部分に当たりますが、このカットは
と。最初から最後まで関わっているか
伝統的になってしまい、バイロイト音
らこそ、良い上演ができるのです」
楽祭でも行われていました。これはテ
― そうやって現地での〈トリスタン
ノール歌手の力量とも関係してきま
とイゾルデ〉公演を成功に導かれたわ
す。トリスタン役のテノールには、も
けですね。読響での公演も素晴らしい
のすごく難しくて大変な部分なのに加
舞台となることでしょう。 (おわり)
30
20世紀の三大リング(指環)
らつわん
読響ニュース
慣習的なカットは
すべて復元
かたぎ
ふう び
今後の公演案内
テンポを
特 集
え、この後の第3幕では、さらに大切
プログラム
まざまな
リス・シェローの舞台と並んで、
「20
世紀の三大リング」に数えられていま
1991年に辣腕で知られるクラウス・
す。
ツェーラインを支配人に迎えると、音
現在の音楽総監督カンブルランも、
楽を中軸に据えつつ演劇性に富んだ演
こうした伝統の中で優れた公演を作り
出を取り込む最先端の「ムジークテア
続けています。
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