地域共生社会をめざす司法と福祉のコラボレーション 障害のある人と社会をつなぐ トラブルシューター 事例集 2013 年度版 発行 東京エリア・トラブルシューター・ネットワーク 地域共生社会をめざす司法と福祉のコラボレーション 障害のある人と社会をつなぐ トラブルシューター事例集 2013年度版 事例1 実習中の事故………………………………………………………… 3 事例2 突然の採用内定取消し……………………………………………… 6 事例3 手帳の不更新による雇止め………………………………………… 9 事例4 認知症の方への説明 (債務整理)…………………………………… 13 事例5 弁護士に 「連絡が取れないと辞任する」 と言われた……………… 16 事例6 バスで暴れて逮捕されてしまった………………………………… 21 事例7 移動支援中の傷害事件とヘルパーの責任………………………… 25 事例8 パニックになり通行中の女児に怪我をさせてしまった………… 29 はじめに 東京エリア・トラブルシューター・ネットワーク(東京 TS ネット)は、 地域でトラブルに巻き込まれた障害のある方を支援するために、 福祉専門職、 弁護士、医師などが集まって立ち上げた任意団体です。 2013 年度は、 「共生社会を創る愛の基金」の地域連携中核団体事業助成 を受け、障害のある方が罪に問われたケースにつき、刑事弁護人の依頼に基 づいて福祉専門職を派遣し、被疑者・被告人との面会、受け入れ先の調整、 更生支援計画の作成、情状証人としての出廷等の支援をしてきました。 個々のケースを検討・支援するなかで、私たちは、支援を必要とする方々 にとって、「加害者」になるか「被害者」になるかは、実は紙一重ではない かと感じてきました。司法と福祉は、刑事事件に発展して初めて連携を模索 するのではなく、日常の支援のなかにこそ、もっとコラボレーションをして いく余地があるのではないかと思います。 とはいえ、司法と福祉の領域は、まだまだ大きな溝があります。お互いの ことを、よく知りません。そこで、東京 TS ネットに集うメンバーから、日 常の支援のなかで出会う「トラブル事例」を募集しました。その際、加害か 被害か、知的か精神か、就労支援か生活支援かといった区別は一切抜きにし て、各メンバーが所属する多種多様な現場から、オールジャンルの事例を集 めました(ただし、個々の事例は、実例をヒントにしつつも、すべて事例集 用に構成し直した架空のものです) 。 1 そして、そのなかから、メンバーの投票により 8 つの事例をセレクトし、 司法と福祉それぞれの視点から、コメントを執筆しました。司法側は主に弁 護士が、福祉側は障害のある方の就労支援、生活支援、相談支援などに携わっ ているメンバーが分担して執筆し、さらに、東京 TS ネットの勉強会で意見 を出しあってまとめました。 もっとも、「正解」を解説したものではなく、あくまで、考える視点や情 報を提供したものに過ぎません。当然、それが唯一の答えでもありません。 また、あくまで架空の事例を前提としているため、一般的な説明にとどまる 部分もあります。 この事例集は、司法と福祉のコラボレーションを考えるヒントとして、司 法や福祉の現場でご活用いただくことを想定しています。 「こういう解決方 法もある」 「もっとこうすべきだ」など、皆様の現場で議論をする素材にな れば幸いです。 今後、さらに事例を収集し、第 2 弾を発行したいと考えています。 「こう いう事例も扱ってほしい」 「こういう問題で困っている」など、ぜひ皆様の 声をお寄せください。 平成 26 年(2014 年)3 月 東京エリア・トラブルシューター・ネットワーク 代表 弁護士 浦﨑寛泰 お問い合わせ 東京 TS ネット事務局 メール:[email protected] FAX:020-4666-4066 2 事例 1 実習中の事故 障害のある A さんは、就労支援機関による雇用前の実習をしていました。 実習中、A さんはジョブコーチの支援のもとで高額な機械の操作をして いましたが、誤操作によりその機械を破損してしまいました。 事業所は、A さんと支援機関に対して、機械の修理費用と製造ラインが 中断したために被った損失として、約 1000 万円の賠償を請求してきまし た。どうしたらよいでしょうか。なお、実習に関して特別な書類は取り交 わしていません。 事例の意図 就労支援は企業への橋渡し役でもあり、その過程では様々なリスクが予想 されます。事故等で就労支援や障害のある方の社会参加が後退しないように リスク管理をしっかりと行うことが支援者の大事な役割であるという認識を 共有する必要があります。 司法の視点から ● A さんは1000 万円を支払わなければならないのか 本当に、A さんの不注意によって機械が壊れたのか、約 1000 万円もの損 害が生じたのか、事実関係を確認しましょう。また、実際に A さんの不注 意で約 1000 万円の損害が生じたとしても、事業所が、実習生であることや 障害の特性を踏まえて適切な指示を出していなかった事情があれば、信義則 や過失相殺により、A さんは一部しか責任を負わない場合あります。ここで 3 は、雇用関係がある事例で、労働者の責任を限定した判例(茨石事件、最高 裁昭和 51 年 7 月 8 日判決民集 30 巻 7 号 689 頁)が参考になるでしょう。 ●支援機関・ジョブコーチの責任について 支援機関・ジョブコーチと事業所との間で契約書が交わされていた場合は、 原則としてその規定に従って扱われます。他方、契約書がない場合は、支援 機関やジョブコーチが A さんに対して指示を出していたか、その指示の内 容などを考慮して、A さんの行動の原因が支援機関やジョブコーチにあると 言えなければ、損害賠償責任を負いません。 ●適用される保険がないか確認する 事故が起こってしまった場合の対応は、実習が何を根拠にしているか―― 支援センターのプログラムか、何かの訓練制度を使っているのか、企業が行 うものか――によって様々です。例えば施設で既に加入している保険でカ バーされる場合があります。また、職業訓練制度には保険が適用されている ものもあります。 ●弁護士に相談する 損害賠償を請求されたら、まずは弁護士に相談するのがよいでしょう。身 近に相談できる弁護士がいない場合、A さんのような個人は法テラスや弁護 士会法律相談センターの相談窓口へ、支援機関は日本弁護士連合会の「ひま わりホットダイヤル」などへ相談できます。個人の場合、法テラスでは無料 4 事例 1 の法律相談・弁護士に依頼する際の費用を立て替える制度(民事法律扶助制 度)を利用できる場合があります。 また、裁判以外の解決の場として ADR(裁判外紛争手続)があります。 裁判に比べて、費用が安く、手続も迅速です。ADR を利用する場合は、各 地の弁護士会の紛争解決センターへ問い合わせてみましょう。 福祉の視点から 実習者が賠償責任保険に加入することと、実習開始前に三者(実習者、事 業所、支援者)で実習についての書面を取り交わしておくことが必要です。 何を根拠とする体験実習なのか、事故等が起こった場合の保険について書面 に記載し、保険内容の書類を添えましょう。また、事故の原因、安全配慮の 状況は様々ですから、保険会社と保険の適用範囲についてじっくりと話し合 うことが大切です。 コーディネート上の視点として、実習内容について損害が生じるリスクの 高い業務はなるべく避けることも大切です。実習はあくまで「試しにやって みる」ことでもあります。失敗やミスが出ることを前提に行うことが必要で しょう。事業所の担当者と相談して難しい業務は避けたり、練習用のもので 作業をしたりしてリスクを最小にする工夫をしましょう。 用 語 解 説 ●ひまわりほっとダイヤルとは 日本弁護士連合会と全国の弁護士会が提供する、電話で弁護士との面談予約ができるサービスで す。0570-001-240 に電話をすると、地域の弁護士会の専用窓口で電話を受けつけます。 ●民事法律扶助制度とは 経済的に余裕のない方が法的トラブルにあったときに、無料で法律相談を行い、弁護士・司法書 士の費用の立て替えをする制度です。 ●実習生の賠償責任保険 「ふくしの保険」のページが、いくつかの保険を紹介しています。 http://www.fukushihoken.co.jp/ また、たとえば、東京しごと財団の行っている障害者職場体験実習であれば、実習生の保険料を 財団が負担してくれます。 http://mail.shigotozaidan.jp/shkn/coordinate/sokushin/syukubataikenzissyuu.html 5 事例 2 突然の 採用内定取消し 障害のある B さんは、就職面接を受け、無事に採用が内定しました。 その後、企業担当者から支援者に連絡があり、「(配慮のため)事前にマ と言われました。 イナス面も全て教えてほしい。」 B さんは、お金にこだわりがあり、金銭を見ると自分のポケットに入れて しまったりすること等がありました。そこで、支援者は、本人が問題を起 こさずに働けるようにあらかじめ知っていただいた方がよいと思い、B さ んに盗癖があることを伝え、金銭を目につくところに置かない、またはロッ カーに鍵をかけるなど必要な環境の配慮をしていただくようお願いしまし た。B さん本人には、情報提供を拒むことが予想されるため、事前に了 解をとっていませんでした。 後日、企業から支援者に対し、突然、B さんの採用内定を取り消す旨の 連絡がありました。理由は明らかにしてくれませんでしたが、明らかに上 記情報によるものと思われます。 事例の意図 就労支援の支援者は、企業側へ利用者の障害特性等をどこまで情報提供す るのか、また、どのように情報提供するのかについて慎重に取り扱う必要が あります。他方、企業側も安易な採用内定取消しは無効となる場合があるこ とに注意する必要があります。 6 事例 2 福祉の視点から 支援者側は、企業にどこまで利用者の情報を提供するかについて、事前に 利用者の同意を得なければなりません。 また、 仮に同意を得ていたとしても、企業側への情報提供の際には言葉は慎 重に選んで話す必要があります。今回、 支援者は、 「盗癖」という表現を用いて 情報提供していますが、マイナスイメージになる言葉を用いることは控える べきです。今回の事例では金銭へのこだわりから結果的に盗癖に見られる状 況があるので、 事実としても「金銭へのこだわり」という表現をうまく使いな がらの説明があると多少受け手側のとらえ方も変わった可能性があります。 企業側も採用にあたって、マイナス情報に敏感になりやすい状況であるこ とを踏まえ、支援者は福祉の現場で普通に使われる言葉と社会で使われてい る言葉のニュアンスの違いにも気付き、うまく不利益にあたらない形での情 報提供をする必要性があるでしょう。 企業側の対応としては、内定取消しをした際に、明確な理由を示すべきで しょう。特に、 「盗癖」 が取消し理由ではないのであれば尚更、 理由を示せば、 当事者も支援者も変なイメージを持たずに気持ちの整理ができます。 今回はお互いに確認が不足していたということと、表現の仕方に対して慎 重になる必要性があるということが分かった事例ではないでしょうか。 司法の視点から 1 企業側 の問題について 採用内定は、法的には 「始期付・解約権留保付労働契約」 です。すなわち、 採用内定が決定された時点で、労働契約は成立するのです (ただし、内々定 の場合には契約が成立したと認められない場合があります) 。そして、この 採用内定を取り消すことは、客観的に合理的と認められ、社会通念上相当 な場合でなければ違法であるとされます (最高裁昭和55年5月30日判決民集 34巻3号464頁等) 。 7 今回の場合、B さんに「盗癖」ないしお金へのこだわりがあることが、どれ ほど仕事に対して影響があるか、が重要になってくると思います。例えば、 他人の金銭を直接預かるような仕事内容である場合には、採用内定の取消し も合理的な理由があるとされるかもしれません。しかし、仕事内容が金銭と 直接関わるようなものではなく、適切な支援 (合理的な配慮) をすれば十分対 応可能であるなら、内定取消しが違法になる可能性が高いと思います。 違法であると考えられる場合には、Bさんから企業に対し、採用内定取消 しが無効であり採用してもらえるはずだと要求できます。まずは、気軽に弁 護士に相談していただくのがよいでしょう。 なお、取消しの場合に理由を示さなかったことをもって、違法と判断され ている裁判例もあります (東京地裁平成24年7月30日判決等) 。ですから、 企業側としては、しっかりと合理的な理由を示す必要があります。 2 支援者側の問題について 今回の事案では、支援者側の情報提供にも問題があります。 お金へのこだわりを 「盗癖」 というマイナス情報として伝えてしまっている こと、本人の承諾なしに企業側に情報提供してしまっていることなどは、法 的にも問題です。 支援者も、自らのサービスを受けている利用者の方の情報を適切に管理す る義務があります。B さんの支援者は、B さんの個人情報を提供することに ついて、もっと慎重になるべきでした。 8 事例 3 事例 3 手帳の不更新による 雇止め C さんは、精神保健福祉手帳を取得し、障害者雇用枠で働いていました。 ところが、症状が寛解したため手帳が更新されず、会社からは手帳を持っ ているという条件での雇い入れなので次回の契約更新はしないと言われ ました。C さんは、今まで通り配慮を得ながら働きたいと思っています。 どうしたらよいでしょうか。 事例の意図 精神障害者保健福祉手帳を持ち続けるには、2年ごとに認定を受けなけれ ばならず、症状が寛解していれば手帳は更新されません。手帳が更新されな かった場合のトラブルを防ぐため、支援者には意識的に更新の事前準備にあ たっていただき、また、企業には、手帳がなくなる可能性を踏まえた雇用を していただく必要があります。 福祉の視点から 手帳返上は、本来は喜ばしいことです。しかし、企業にとっては、法定雇 用率の問題があるためなかなか受け入れがたいことかもしれません。 また、C さん自身も、配慮を得ながらの就労を希望しており、一般の就労 者と同じ労働条件で就労できるほど完全な状態にはないようです。主治医と 話し合いの機会を持ち、配慮がなくなったらどうなるのかということを整理 しましょう。 9 対処 方 法 本人 の 意 思確 認 手帳更新意思あり 主治医に相談 手帳更新意思 なし 企業・主治医に相談 更新したい意思が本人にある 配慮がない環境で、問題ない状 のであれば、体調だけではな く、会社での勤務状況や配慮 状況等も伝えた上で判断して いただく 況なのかどうかの確認が必要。 手帳更新 申請したが 更新ができなかった また、企業側の環境や一般枠で の 採用条件 がご 本人 にあって いるのかどうか確認が必要 退職 企業・主治医に相談 退職 10 一般に移行 手帳の 不服申立て 一般に移行 事例 3 企業が、手帳がない状態 (一般の就労者と同じ労働条件) では難しいという 見解を持っているか、または、C さん自身が就労時間や環境等で配慮が必要 であると認識して手帳は必要だと思っているが更新されなかったということ であれば、主治医にも情報共有を行い手帳の再申請をお願いしてもいいかも しれません。 また、今回のような状況をつくらないための予防策として、手帳更新時期 の3 ヶ月くらい前までに主治医、企業、ご本人、支援者とで話し合いの機会 を持ち、手帳が更新されなかった場合の対応を確認しておきましょう。 いずれにせよ事前の相談がとても重要です。 司法の視点から はじめに、 障害者雇用枠を課されるのは、使用者であって労働者ではないこ とを確認しましょう。C さんには、障害者手帳を持ち続ける義務はありませ ん。 この事例で、C さんは、働き続けることができる場合があります。会社が 「契約を更新しない」 と言っても、法律によって契約が更新されるのです。法 律は、以下のような2段構えで、C さんを保護しています。 第1段階。会社がしようとしていることを 「雇止め」 (やといどめ、用語解 11 説参照) と言いますが、次のような場合には 「解雇」 (用語解説参照) と同じよ うに扱われます。一つは、明確な更新手続がないまま契約が繰り返し更新さ れてきた場合、もう一つは、季節に限定されずに長く続きそうな仕事をして いて、繰り返し更新されてきており、しかも更新のたびに労働者の意思が確 認されるなど今後の更新を期待できた場合です (労働契約法19条) 。 第2段階。「解雇」は、次のような2つの条件を満たさなければ、無効にな ります。一つは、 Cさんに働く能力の欠如や職場のルールへの違反があるか、 経営の建て直しのため他の努力では何ともできないのでどうしても人員整理 をしなければならないなど、合理的な理由があること。もう一つは、理由に 照らして C さんを解雇することが社会通念上も相当であるといえることです (たとえば、2、3回の遅刻はルール違反かもしれませんが、それで解雇する のはやり過ぎであり、相当ではないということになります) 。 Cさんが第1段階をクリアできるかは、今まで何回更新されたか、季節的 なものではなく長く続きそうな種類の仕事をしているか、更新手続がされた かなどによります。 第2段階まで進めば、手帳を持たなくなったことは雇止めをする合理的な 理由とは通常いえないでしょうから、他に雇止めをする合理的な理由がない 限り、C さんを雇止めすることはできません。 用 語 解 説 ●雇止め(やといどめ) 期間が決まっている有期契約の期間が満了した後、契約を更新しないことです。 例 :3 年契約で3 年間働いた後、「契約は更新しない」 と言われた ●解雇 労働契約を終了させる旨の、使用者からの申入れのことです。 12 例 1: 定年まで雇うと言われていたのに、定年前に 「クビだ」と言われた (期間が決まっていな い無期契約のケース) 例 2: 3 年契約だったのに、2 年経ったところで「契約を終わりにしたい」と言われた(期間が決 まっている有期契約の期間満了前のケース) 事例 4 事例 4 認知症の方への説明 (債務整理) D さんは、支援者のサポートにより、法テラスを通じて債務整理を弁護 士に依頼し、無事解決しました。ところが、D さんの認知症の症状が悪 化して、事件が解決したことを忘れてしまい、「私の事件はどうなったの か」「あの弁護士は私の事件を全然進めてくれない悪徳弁護士だ」などと 繰り返し支援者に対して不満を述べてきます。どうしたらよいでしょうか。 事例の意図 これら記憶障害を伴う当事者の支援については、その機関・支援者の立場 としての役割は全うしても当事者に満足していただくことができない為、無 力感を感じることがあります。支援者として自分達が疲弊することを防ぐと ともに、当事者の方にも安心感を得て穏やかな生活を送っていただく為に は、支援者が障害を理解し、伝え方の工夫を重ねることが重要です。 福祉の視点から 認知症や高次脳機能障害の記憶障害では、新しい事柄を覚えるのが難し く、何度も同じ間違いを繰り返してしまうことが挙げられています。 認知症の中でもレビー小体型認知症の人は妄想も伴い、周囲が巻き込まれ てしまい対応がとても難しい場合が多いです。 認知症の人への対応として、本人の訴えをまずはよく聞いてあげること と、否定しないこととは言われていますが、話をしたこと自体を忘れて、直 13 後にまた繰り返すため、どこで話を区切るべきか、タイミングを計るのが難 しく感じると思います。また、間違っていたことを理解させても問題は解決 しませんし、間違いを指摘してもかえって本人を混乱させて逆効果になって しまいます。 本人に適した情報の伝達を行うことが大切であるかと思います。新しい事 柄を覚えるのが難しいのであれば、どうしたら本人が覚えやすくなるのか、 伝え方を工夫することです。例えば、だらだらと説明するのではなく大切な ポイントを短い文章で伝えることや、口頭での説明の理解が深まらないので あれば紙に書き落として一緒に確認すること等が挙げられると思います。本 人としては 「依頼したのにどうして」 という不安や焦りの気持ちがあると考え られ、それによって何度も窓口へクレームをする行動を起こしてしまってい ると考えられるため、本人の気持ちを理解しながら、一緒に確認する過程を 何度も踏んでいくことが大切になっていくと思います。 支援者が直接弁護士への橋渡しをすることが重要です。当事者から弁護士 に聞いても、自分で理解できないことでより不安になりパニックに陥ってし まいます。個人情報保護の観点からも、支援者が当事者の目の前で弁護士に 電話をし、一緒に弁護士のところに相談に行って三者が顔を合わせ、言葉を くだきながら説明すると良いでしょう。当事者・支援者・弁護士の中で共通 14 事例 4 認識を持つことを目指します。 必ずしも現状を解決しようとするのではなく、このような難しさを抱えた 当事者の方を地域で支えていく、という考え方も大切です。各支援団体や弁 護士が個人情報の壁から連携が難しい場合でも、当事者が孤立しているのな ら現状を虐待 (経済的虐待、ネグレクト状態) ととらえ、自治体における虐待 防止の枠組みを活用してつながることが考えられます。 司法の視点から 弁護士としては、事件終結にあたり、依頼者に委任を受けた事項の顛末を 分かりやすく丁寧に説明する必要があります。 この事例はすでに事件処理が無事に解決しているということなので、弁護 士としては、D さんから相談を受け、事件を受任し、まがりなりにもコミュ ニケーションを取りながら終結まで歩んできたのだと思います。その間、D さんとはどのようにコミュニケーションを取っていたのでしょうか。おそら く、家族とか支援者のサポートを得て、一緒に事件処理を進めてきたのでは ないかと思います。 事件が無事に解決したことを D さんに理解していただくには、どのような 方法が一番いいのか、ご本人が信頼している家族や支援者の方と相談して、 最もふさわしい説明方法を工夫する必要がありそうです。例えば、ご本人が 信頼するご家族や支援者の方に立ち会っていただき、どのように事件処理が 完了したのか、一緒に説明を聞いていただき、その際、判決書や合意書、終 了報告書などの書面を見ながら、あるいは図を書くなどして、ご家族や支援 者の方にも一緒に理解していただくとよいかもしれません。それでも認知症 の影響で繰り返し不満を述べられる方もいるかもしれませんが、弁護士とし ては、ご家族や支援者の方の協力を得ながら、繰り返しになっても、その都 度丁寧に説明をせざるを得ないのではないかと思います。 いずれにしても、弁護士自身も支援者と連携し、Dさんの障害特性を理解 して対応する必要があります。 15 事例 5 弁護士に 「連絡が取れないと辞任する」 と言われた E さん(70 歳)は、生活保護を受給し始めましたが、借金があります。 法テラスで弁護士に相談したところ、「自己破産」の手続を進めることに なりました。その際、弁護士からは必要書類を集めるよう言われました が、書類の準備が上手くいかず、弁護士とも連絡を取らなくなってしま いました。弁護士からは「このまま連絡が取れないと、辞任しなくてはな という手紙が届いています。E さんは、結局以前借りたこと りません。」 のあるヤミ金にもまた手を出しているようです。支援者はどのようにサ ポートすればよいのでしょうか。そもそも、自己破産はそんなに大変な 手続なのでしょうか。 事例の意図 自己破産は申立書類が多く、準備が進まなくなることがあります。障害や 認知機能の低下も考慮して準備が進まない原因を探りながら、借入れを再び しなくても済むように、生活を立て直していく工夫が必要です。 司法の視点から ●自己破産手続の流れ・必要書類 自己破産とは、債務を抱えた人が、裁判所で手続をして、①財産は債権者 に分けてもらい (破産) 、②債務をゼロにしてもらう (免責) ものです。財産が ほとんどない人の場合、裁判所に申立てをする準備に2 〜 3 ヶ月、申立てを してから 「免責審尋」という裁判官との面接をするまでに2 ヶ月、 「免責」が確 16 事例 5 定するまでに1 〜 1.5 ヶ月と、順調に進めば半年ほどで手続が終わります。 破産の必要書類は、裁判所ごとに若干異なりますが、住民票、収入を示す 給与明細や生活保護受給証明書、通帳のコピー、債権者の一覧表、財産をま とめた資産目録、1 ヶ月ごとの家計の収支をまとめた表 (2 ヶ月分)などを用 意することになります。 ●代理人弁護士として 高齢者の場合、認知症などの影響により、すぐに書類を集めて申立てを 進めることが難しいケースがあります。弁護士とのやりとりを理解できてい ない場合もありますので、丁寧な説明や言葉遣いなど、特別な配慮をする必 要があります。また、身近にご家族や支援者の方がいない場合は、地域の福 祉サービスにつなげることで、破産申立準備への協力を求めるのがよいで しょう。地域包括支援センターを利用したり、ケース・ワーカーから他に利 用しているサービス、関わっている援助者等について聴き取ったりすること で、それらの関係者にも協力をお願いし、負担を分散することができます。 Eさんには、借入れによらずに生活を成り立たせる方法を一緒に考えること を説明して安心してもらった上で、二度と借入れをしないことを約束しても らいます。そして、なぜヤミ金に手を出してしまうのか、保護費の範囲でE さんの生活が成り立たない原因の把握に努めます。 福祉事務所のケース・ワー カー等からの事情聴取や、家庭訪問をして家の中で増えている物やゴミ等を 確認することでヒントが見つかることがあります。 代理人の実務上の対応としては、次のような方法が考えられます。破産申 立準備の効率化のため、報告書作成に必要な事実については、福祉事務所等 から事情聴取します。職務上請求や委任状でとれるものは代理人でとり、市 役所、他の援助者等から入手できるものは、率直にお願いして用意してもら うことで、処理を進めていきます。ポイントは、完全な申立書・添付資料を 準備することに拘泥せず、裁判所に対して、申立書や添付資料が完全でない ことには合理的理由があることを説明し、理解を求めることです。そのため に、判断力低下や足が悪いこと等を示す資料も集めます。 17 ●生活再建のために 「自己破産をする」 ということを、単純に代理人が手続を進めるだけで終了 すると捉えるのでは不十分です。ご本人に 「破産をする」 という自覚を持って いただくことも必要ですし、法的手続だけでは取りこぼしてしまう、本人の 生活上の問題を、きちんと福祉的サービスにつなげていくことが、根本的な 生活再建につながっていきます。 多重債務に陥る日常のサイクルを変えるためには、収支を把握し、お金に 振り回されない生活基盤をつくることが大事です。家計簿や小遣帳の作成を 習慣にするのはなかなか難しいことですが、専門家による助言や家計診断の サポートを受けられる機関があります。ひとりでやろうとせず、支援を上手 く利用して、新しい生活へのスタートを切りましょう。 福祉の視点から ●なぜ連絡が取れなくなるのか 「書類を準備しようと思っていてもできない」 、 「請求が止まったのに生活 ができず、ダメと言われていたのに借りてしまった」ことから、余計に弁護 士との連絡がとり辛くなってしまったというケースは少なくありません。そ こへ「辞任をする」 という手紙が届いて、更に手続が億劫になっているのかも しれません。自尊感情が低下することで、萎縮や反発を招いている可能性も あります。まずはご本人の状況を把握し、 「なぜ連絡ができないのか」 、 「準 備できない書類は何か、それは何故か」 を知る必要があります。 連絡の途絶、書類収集の難しさは、本人の怠慢によるものだけではありま せん。何らかの疾患や障害により、意欲が低下している、先延ばしにしてし まう傾向がみられることもあります。書類やスケジュールの管理が苦手、記 憶障害がある、段取りよく作業ができない、弁護士とのやりとりで理解でき ていない部分があるなど、手続が滞る理由は様々です。ご本人の特性などを 理解している支援者の方から、手続を進めるうえで考慮して欲しいこと (直 截的な表現をお願いする、 「〜してはダメ」 などの命令形には過敏に反応して 18 事例 5 しまう傾向がある等) を弁護士に伝えておくことが助けになります。 弁護士にこれらの事情を伝えれば、代替案があるかもしれません。弁護士 が辞任して、また別の弁護士に依頼するとなると、時間も費用も負担が増え てしまいますので、早めに相談することが肝心です。どうしても辞任が避け られない場合は、高齢者や障害者に理解のある弁護士が専門相談を行ってい る機関もありますので、そのような相談機関に改めて相談することもできる でしょう。 なお、障害により依存症や嗜好行動に走りやすいことが、新たな借入れに つながっていることも多いと思います。こうした傾向については、破産手続 に加えて、依存症を解決するためのプログラムを受けるなどの支援を並行し て進める必要があります。 【利用できる機関や制度】 東京都多重債務者 生活再生事業 家計表の作成、アドバイスを通じて、生活再生へのサポートを行ってい る。必要な資金の貸付制度も有り。 貸金業相談・ 紛争解決センター 家計管理のサポートや、依存症等への心理カウンセリングの実施。再発 防止を目的とした生活再建支援を行っている。 全国クレサラ被害者 連絡協議会 加盟団体一覧から、地域毎に支援団体を調べることができる。相談以外 にも、勉強会や自助グループの定例会を実施している団体もある。 多重債務者問題からみた 社会福祉のあり方研究会 (通称:おたふくけん) 会社等で働く知的障害の方やその家族、支援者の方対象に家計管理支援 の講習会を実施している。 貸付自粛制度 浪費癖やその他の理由などにより、本人が貸付を求めた場合であって も、貸金業者がこれに応じないよう求める制度。本人もしくは親族が、 日本貸金業協会に対して申告することで、一定期間個人信用情報に登録 される。 日常生活自立支援事業 都道府県・指定都市社会福祉協議会が実施。認知症高齢者、知的障害者、 精神障害者などで判断能力が不十分な方を対象に、日常の金銭管理のサ ポートを行っている。 19 ヤミ金の巧妙さ ヤミ金業者は、名簿業者を利用して多重債務を抱えた人の連絡先 を把握しています。「他から借りてでも返済をしなければ」と焦って いる人を狙って、「多重債務者も OK」とアピールし、しかも低金利 を装って電話したりダイレクトメールを送ったりするのがヤミ金業 者のやり方です。連絡を受けたヤミ金業者は、本人から巧みに家族 や親類の連絡先を聞き出します。そして、「借入れが多いから、こ の額では審査を通らない」と作り話をして、短期・小口の貸付に誘 導するのです。最初「1 万円なら何とかなる」 と思って借入れをして も、年に数百 % という高金利なので、すぐに行き詰ります。そう 「店」 すると、なぜか別の「店」から融資の誘いが来ますが、実はこの も同じ業者の仲間です。こうやって貸付元本が膨れ上がり、他方で 少しでも返済が遅れると怒鳴られ、家族から取ると脅され、追い詰 められてしまうのです。 しかし、ヤミ金業者から借りたお金は、元本も含めて一切返す必 要がないという判例があります。取立てには、何も法律上の根拠が ありません。 参考 : 木村裕二『ヤミ金融 実態と対策』(花伝社、2010 年) 20 事例 6 事例 6 バスで暴れて 逮捕されてしまった 普段乗り慣れたバスに一人で乗る F さん (24 歳男性)。グループホーム で生活をしています。運賃もしっかりと払い、降車ボタンも押し、他の 人となんら変わりなくバスを利用していました。 ところが、ある時期からバスの中で奇声を発するようになり、それがどん どんエスカレートするようになりました。ある日、車内で大暴れしてバス 内の壁を壊してしまいました。運転手はすぐに警察に通報しました。 バス会社は支援者に対し、「今後 F さんを一人でバスに乗せないように と求めてきました。しかし、F さんは一人で乗る事にこだ してください」 わります。支援者としてはどのように対応したらよいでしょうか。 また、F さんが器物損壊罪で逮捕されてしまった場合、担当弁護人となっ た弁護士としては、どのような弁護活動をしたらよいでしょうか。 事例の意図 障害のある方が地域で暮らすなかで 「加害者」 となり、 「警察沙汰」 となって しまう場面があります。このようなとき、福祉の支援者と担当弁護人が緊密 に連携して、丁寧なアセスメントを実施し、周囲の理解を得ながら、本人が 地域でその方らしい暮らしを続けられるようなプランをともに考えていく必 要があります。 21 福祉の視点から 障害のある人が地域で暮らし様々な社会参加をする過程で、事例のような 出来事が起こることもあると思います。ここでバスの乗車を制限したり、必 ずガイドヘルパーをつけたりするような方向で問題解決を図ろうとすると、 本人のエンパワメントも社会が障害のある人を受け入れる力も後退してしま います。ノーマライゼーションとはこのような出来事を一つひとつ乗り越え ていくプロセスでもあります。 基本的な視点として支援者の役割は、この行動がどういう内容のものか専 門的な視点で見立てて対応を考えることと、この出来事を関係者に分かりや すく説明し対応も含め理解を広げていくことかと思います。その際に重要な ことは、この出来事が関係者や地域が障害のことを理解するための良いチャ ンスでもあるというポジティブな発想です。ネガティブな発想では、よいア イディアを生み出すことも地域を巻き込むこともうまくいきません。 具体的な対応として先ず、本人が警察署等で身柄を拘束されている場合 は、弁護士さんに連絡し司法的なアドバイスを得ます。 (日頃から地域の弁 護士さんなどの社会資源を開拓しておくことも必要です) 次に、バス会社を訪問して、事情をよく聴いて今後の対応について説明し ます。壁の修理については本人の責任と思われますが、施設を利用する方で あれば施設の保険がカバーしている場合もあります。 そして、今回の出来事がどのような状況でどんなことが起こったのか (5W1H)をアセスメントします。場合によっては同じ時間帯に本人も同行 し情報収集します。 その上で、 出来事の背景や原因について仮説を立てます。 仮説を立てたら本人の特性を考えながら対応について検討します。ここでは 本人をよく知る家族や支援者が専門性を発揮する場面です。 対応を考えたら、警察やバス会社へ説明にうかがい対応について理解と協 力を得ます。例えばこの事例では、しばらく支援者・家族が同乗または離れ て乗車し本人の奇声や暴れた原因を調べさせてもらい、その上で対応につい 22 事例 6 て考えます。 実際に、一定期間やってみて結果を検証し問題なく一人で乗車し行動でき るようであればバス会社に報告し、一人での乗車について理解を得ます (も し、奇声がおさまらないようなら継続して取り組みます) 。また、本人の理 解のための情報や対応について、緊急連絡先などをも伝えます。当面は離れ て乗車したり、定期的に乗車したり運転手さんから聞き取りをしたりして フォローアップを行います。 また、奇声の原因や本人の能力に応じて、本人が出来る対処方法がある場 合は検討することも大切です。 「イライラした場合は○○をする」 など、 トレー ニング行うことで身につけられることがあるかもしれません。 司法の視点から 弁護人としては、不起訴をめざして、被害者であるバス会社との示談をま とめようとするでしょう。バス会社の要求に沿って、F さんに 「今後、一人 でバスには乗りません」と何とか誓約させようとするかもしれません。不起 訴(身体拘束からの解放) を優先しなければならない場面では、そのような判 23 断もやむを得ない場合があるかもしれません。 しかし、「今後一人でバスに乗ってはダメだよ」とF さんを説得する前に、 本当にそれでよいのかと立ち止まって考えてみませんか。F さんは、一人で バスに乗ることにこだわりのある方のようです。一人でバスに乗れなけれ ば、行動範囲は一気に狭まってしまいます。また、支援者が横についている のと一人でバスに乗るのとでは全く違うでしょう。一人でバスに乗ることに こだわるのは、F さんにとってはとても大事なことです。ご本人のアドボカ シー(権利擁護、代弁)という視点からは、Fさんの権利を護る立場にある 弁護人として、 「一人でバスに乗せないように」 というバス会社からの要求に 安易に屈することなく、「F さんが一人でバスに乗れるようにするにはどう すればよいか」 という視点からも考える必要があるのではないでしょうか。 その上で、被害者 (バス会社) や検察官の理解を得るには、同じようなトラ ブルが起こらないようにする具体的なプランを考えなければなりません。こ れを弁護士だけで考えることは困難でしょう。まずは、F さんをよく知る支 援者の協力を得て、丁寧なアセスメントが必要です。 弁護人は、支援者と連携し、上記の 「福祉の視点」 で述べられているような アセスメントに基づく仮説と具体的な対応を、弁護人の報告書などにまとめ て、バス会社の理解を求める必要があります。 さらに、F さんがこれまでは問題なく一人でバスに乗れていたこと、今回 の事件は F さんの障害特性と特別な事情 (これは丁寧なアセスメントにより 仮説を立てます)により生じたものであること、今後は支援者のサポートに より具体的な対応策が講じられていることなどを意見書にまとめて検察官に 提出し、不起訴を求めていくことになるでしょう。 これらの活動を限られた期間で実行するためには、Fさんをよく知る支援 者との緊密な連携が不可欠です。 24 事例 7 事例 7 移動支援中の傷害事件と ヘルパーの責任 移動支援・行動援護を使い、ヘルパーを伴って出かける G さん。 行動障害があるため片時も目が話せません。しかし、長時間の外出に おいてはちょっとした隙に事が起きてしまいます。 ある日、ヘルパーと出かけた先で、突然走り出した G さんは、おばあさ んに体当たりをして全治 1 ヶ月の圧迫骨折の怪我を負わせてしまいまし た。一瞬の出来事のためヘルパーは止めようもありませんでした。しか し、そういった事態にならないためにヘルパーがついているともいえま す。ヘルパーや事業所には責任が生じるのでしょうか。 事例の意図 ヘルパーによる移動支援・行動支援の現場においては、この事例のように 突発的な行動が日常的に起こっています。このような事態が生じた際の法的 責任の有無と再発防止に必要なこととは何か考えることは、 非常に重要です。 司法の視点から 移動支援のヘルパーは、利用者であるG さん自身や他者に発生する危険を 回避するよう注意を払う義務があります。ヘルパーが損害賠償責任を負うか どうかは、ヘルパーに民法709条の過失があるかどうか、すなわち、ヘルパー 25 は G さんがこのような行動に及ぶことを予測できたのか、G さんの行動を止 めることができたのかが問題となります。 また、事業所としても、アセスメントやプランの作成を通じて、危険の回 避について注意を払い、適切なサービスを提供する責任を負っています。ヘ ルパー個人だけでなく、事業所の両者が責任を問われる可能性があります。 今回の事例では、Gさんに行動障害があることは分かっており、このよう な事態が起きることも事前に十分に予測できていたというのであれば、ヘル パーの数を増やすとか、人混みを避けるとか、事故を回避する方法があった はずだという判断になることも考えられます。ヘルパーや事業所にとっては 厳しいと思われるかもしれませんが、移動支援のようなサービスを行う以 上、常につきまとう危険であると思います。そのため、事前に後記のような 保険への加入を検討しておくべきでしょう。 福祉の視点から 1 福祉的支援実施 の事故発生時における保険の適用 福祉施設の運営に関しての保険で代表的なものとして、 「ふくしの保険」 (http://www.fukushihoken.co.jp/ )が挙げられます。この制度は社会福祉施設 (法人)が加入申込者となり、社会福祉施設 (法人) または施設利用者を補償対 象として全国社会福祉協議会が一括して保険会社と締結する団体契約です。 各事業所の運営事業内容により細かく契約内容を設定することが可能です。 また、特にホームヘルプ事業のように施設外でのサービスに強い保険は民 間の保険会社がいくつか用意しています。 一例として、 損保ジャパンのウォー ムハート(http://www.eiki-i.com/file_h_kigyo/japan/w_heart.html)などは、介 護事業者向けの賠償責任保険として業務遂行中の事故だけでなく、業務の結 果による事故、管理財物の事故などにも幅広く対応しています。 2 リスクマネジメントに焦点を当てた業務マニュアル、個別支援計画の作成 福祉事業者は支援の実施において、想定されうるすべての事故を回避する ために必ず対応策を練る必要があります (結果回避義務) 。事故の発生や被害 26 事例 7 の拡大が予見できたのに、何も対策を採らなければ、安全配慮義務を怠った として、事業者の安全配慮義違反が問われます。 日常業務より事故報告書・ヒヤリハット・ケース記録等の蓄積と分析及び 対応を記録して整理しておくことは、どの事業所でも行われているはずで す。それらを用いて、日頃の業務について再確認し、支援者の一人一人がリ スクに対し高い意識を持てるような業務マニュアルや組織作りを実施してい くことが肝要です。 また、こういったケースの場合、個別支援計画の策定においてもリスクマ ネジメントの視点を盛り込むことが考えられます。しかしこのとき気をつけ たいことは、安全確保を第一としたモデルではなく、リスクを考慮したモデ ルづくりという視点で計画策定を行うことです。個別支援計画は、本人が望 む暮らしを実現するためのものです。リスク回避を念頭に置いて支援者が本 人の行動や生活をコントロールするのではなく、本人の身体的・精神的な安 定や快適さを保つために、想定されうるリスクをどのように回避するのか考 え、本人の特性等を十分に考慮した計画策定を行うことが大切です。 27 3 障害当事者とヘルパーとの取り決め、約束事 今回の事例における議論点として、ヘルパーや福祉事業所の責任問題のみ ならず、おばあさんを傷つけてしまったというG さん自身のケアにも焦点を 当てる必要があります。 行動障害が表面化した際に安全配慮の観点からご本人を羽交い絞めにして 抑えた場合、確かにリスクを回避したことにはなりますが、同時に、ご本人 が抱く自尊心を傷つけることになりかねません。ご本人の視点や考えを支援 に組み入れていくことは、ご本人の権利擁護へと繋がります。ご本人が望む リスクマネジメントを作ることは、より良い社会参加のために必要不可欠と なります。 精神保健福祉の領域を中心に、障害当事者が自らの生活を自らが選んで いけるようにするためのツールとして、 「WRAP(元気回復行動プラン) 」 (http://www.mentalhealthrecovery.com/jp/copelandcenter.php) が用いられています。 こ の 中 で も、 自 ら が 危 機 的 な 状 況 に 陥 っ て し ま っ た 際 に、 ど の よ う に対処すればいいのかをまとめた 「 ク ラ イ シ ス プ ラ ン 」(http://www. mentalhealthrecovery.com/jp/recovery_crisisplanning.php)を用いることで、 ご本人の思いに準拠した支援計画を考えることが出来るでしょう。 なかには、重度の知的障害等によりコミュニケーションを上手に図ること が難しく、ご本人が何を考えているのか、支援者が分かりかねるときもあり ます。しかし、支援を重ねることでご本人がいつどんな時に喜びを感じ、ま た不安を感じるのか分かるようになります。それはとても貴重な情報源であ り、個別支援計画やリスクマネジメントの中に組み込むことで、ご本人の思 いに配慮した支援を実施していくことができます。 28 事例 8 事例 8 パニックになり 通行中の女児に怪我を させてしまった 軽度知的当事者。男性。20 歳の H さん。街を歩いていたら、数人の高 校生達にからかわれパニックになってしまい、わけもわからず、近くを 歩いていた 3 歳の女の子を突き飛ばし、頭を縫う怪我をさせてしまいま した。女の子の母親はすぐさま近くの交番に訴え、警官数人が H さんを 取り囲み厳しい口調で問い詰めました。H さんは、高校生達にからかわ れたことばかり話し、自らが突き飛ばした女の子との事はまったく話そう としません。女の子の母親は、高校生の話ばかりする H さんに反省の色 がないと激怒。この場合、どう対応すればよいでしょうか。 事例の意図 事例のようなケースの場合、関係者の目は被害者に行きがちで、H さんの、 「高校生にからかわれて辛かった」 という気持ちは無視されかねません。受け 入れてもらえなかったという実感は、H さんが同じことを繰り返してしまう 要因となることもあります。Hさんの今後も含め、被害にあわれた方への対 応を考えたとき、どのような人が、どのように関わっていくのがよいかを検 討しなければなりません。 福祉の視点から ● 当事者への対応 支援者としては、まずは、女の子とそのご家族に対して、ともかく謝罪す 29 ることになると思います。小さな子どもが重大な怪我をしてしまっているの で、間に入る者として、それなりの誠意を見せることは大事なのではないか と思います。また、刑事事件に発展する可能性があるときは、専門家である 弁護士の指示を仰ぐとよいでしょう。 Hさんに対する対応としては、ソーシャルスキルトレーニングなどの手法 を活用してこんな場合にはこのような行動をしよう!といったトレーニング を行うことが考えられます。たとえば、パニックになる前に自分を抑える行 動がとれるようになれば、 今回のようなケースは生じにくくなるでしょう。そ の他にも、実際に相手が怪我等をしてしまったときのために、 賠償責任保険に 入っておけば、いざというとき、H さんにかかる負担を軽減することが出来 ます。 ● 地域の理解を得るために また、今回の事例では、高校生達が H さんをからかったことが、事件の発 端となっています。もし、その高校生達が通っている学校が分かれば、その 学校の管理職の方に働きかけて、その高校に通学している高校生に対して障 害の理解・啓発をしてくれるようお願いすることが考えられます。このよう な啓発教育は、長い目で見れば、同様のケースが起こることを防ぐことに繋 がるのではないかと思います。 さらに、Hさんを取り囲んで事情を聞いていた警察官にも、Hさんの障害 に対する無理解が窺えます。H さんが利用している福祉事業所が核となっ て、地域の福祉事務所のネットワークを使い、普段から、交番や警察署を訪 問し、警察官達に障害特性を理解してもらうのも重要だと思います。また、 何かトラブルが起きた時に、すぐ警察官に事情を察してもらうためにも、普 段からヘルプカードや療育手帳を携帯しておくよう指導することも重要で す。 Hさんが今後安心して暮らしていくためには、Hさん自身の課題を発見・ 解決していくアプローチと、被害者を含めた地域の方々の障害理解を促進し ていくアプローチの双方が重要となります。これらを円滑に進めていくため 30 事例 8 には、関係機関が集まって支援会議を開き、問題解決のための話し合いを重 ねていくことが望ましいと思います。 司法の視点から ● 支援者から専門家への相談 被害者への対応ですが、第三者が間に入ることで、被害者との感情的な 対立を避け、H さんのケアに力を注ぐことが出来るのではないかと思いま す。具体的には、被害者側に対しては 「被害者支援都民センター(03-52873336) 」を紹介したり、法テラスでの精通弁護士紹介制度を利用して被害者 支援に詳しい弁護士に繋いだりする方法が考えられます。 次に、Hさん自身への弁護士の手配ですが、万が一Hさんが逮捕されてし まった場合には、 「東京三弁護士会 当番弁護士センター(03-3580-0082) 」 を通して、無料で当番弁護士の派遣を依頼できます。勾留後は、被疑者国選 に切り替えることも出来ます。 また、法テラスの無料法律相談は、刑事手続そのものに関する相談には利 用できませんが、「被害者から損害賠償請求を受けた」といった場合のよう に、民事事件としての相談に該当する場合には、収入・資産が一定の基準を 満たせば、30分の無料相談を3回まで受けることが出来ます。いずれのセン 31 ターも、東京だけでなく各地に類似した相談機関 (被害者支援センター、地 域の単位弁護士会) があり、同種の相談を受け付けています。 ● 刑事弁護人としての対応 被害者の側からすれば、H さんの行動は身勝手なものとしか映っておら ず、無理に示談交渉を進めることは、かえって被害感情を悪化させるおそれ があります。弁護人としては、被害者の方に H さんの障害を理解して頂くた めに、丁寧な説明を根気よく続ける必要があります。その際には、医師の意 見書や、更生支援計画などを参考にして、なぜ本件のような事件が起こった のか、今後はどうして起きないといえるのかということを丁寧に説明する 必要があると思います。Hさんと実際にお話を重ねて、Hさんの特性を理解 しようと試みることは重要ですが、弁護士は医療や福祉の専門家ではないの で、1人で即断せず、支援者の方々に協力を仰ぎながら、慎重に判断しなけ ればならないと思います。 また、不起訴処分を獲得する上では、捜査機関 (特に検察官) への働きかけ も重要ですので、被害者対応と同時並行に、捜査機関に対して H さんの障害 を説明していく必要があります。 用 語 解 説 ●当番弁護士制度 逮捕された方 (少年も含む) に一度無料で弁護士が駆け付けアドバイスする制度。逮捕されたら、 警察官、検察官又は裁判官に 「当番弁護士をお願いします。」 と言ってください。ご家族などから も依頼することができます。 ●被疑者国選 被疑者段階で、裁判所が弁護人を選任すること、または、その弁護人。通常、国選弁護人への報 酬は国が負担します。被告人段階にも国選弁護人制度は用意されており、国選弁護人がつく犯罪 とそうでない犯罪とがあります。なお、自分で報酬を支払って弁護人をつけること(私選弁護)は、 いつでも可能ですが、本人や身内等から、直接弁護士に連絡を取る必要があります(当番弁護士 を私選弁護人とすることも可能です)。 ※東京三弁護士会では、障害者の刑事弁護に詳しい弁護士の名簿を作り、障害のある被疑者につ いて、この名簿に載っている弁護士が派遣される制度が始まりました(平成 26 年 4 月開始)。 32 掲載できなかった他の事例 紙幅の都合により本文では紹介できませんでしたが、東京TS ネットに寄せられたトラブル事例 (一部)をご紹介します。第2 弾ではこれらも含めて皆様から寄せられた事例を引き続き検討 していきたいと思います。 ●知的障害のある人を雇用する会社で、オフィス街のため昼食 時に混み合って遅れて戻ってくることがしばしばあり、昼食 は仕出し弁当を会社の休憩室で食べるように言われ外での食 事は禁止された。また、会社の健康診断でメタボと診断され 社内の自動販売機の利用が禁止された。 ●幻覚・幻聴を伴う精神疾患等による妄想を犯罪被害 (ストー カー被害、盗聴・盗撮被害、隣家からの嫌がらせなど)とし て相談に訪れるが、実際には起きていないことなので相談に 来ても何も解決しない。 ●ともに統合失調症の弟夫婦 (ともに50代) と同居していたが、 弟の方が入院し、義理の妹が残った。義理の妹が最近になっ て、突如として、1階部分に内鍵をかけて閉じこもってしまっ た。 ●自閉症を伴う重度知的障害の35歳男性。アパートで暮らして いるが、自身の想定外のことが現れると、地団太を踏んだり、 壁を叩いたり、玄関ドアを激しく開け閉めする。その音は近 隣に鳴り響くために、近所から苦情が寄せられる。しかし、 退去を求められても他に行くところがない。 ●自閉症を伴う重度知的障害の32歳女性。彼女のこだわりはク リームパン。お店に並ぶクリームパンを見ると、なぜかすべ てのクリームパンをその場で破ってあけてしまう。 ●重度の知的障害男性。50歳。友だちの家の夕食に招かれ一人 で向かったが、友人宅前の路上でラジオを聴きながら立って いると、不審者がいるという通報で駆けつけた警官に職務質 問され、何も答えられず、警察署へ連れて行かれた。 33 ●執筆者一覧(五十音順) 発行・問合先 岩橋 誠治 小田原久恵 滑川 里美 浦﨑 寛泰 小出 薫 深井 敏行 及川 博文 高橋 美里 牧田 史 大形 利裕 谷口 有紗 山下 尚郎 太田 順子 塚本さやか 山田 恵太 岡崎 京子 中田 雅久 山本このみ ●本文挿絵 高阪 正枝 東京エリア・トラブルシューター・ネットワーク 平成 26 年 3 月 31 日発行 住所:東京都千代田区飯田橋 2-7-1 三政ビル2F mail : [email protected] FAX : 020-4666-4066 協力 : NPO 法人 PandA-J http://www.panda-j.com 制作スタッフ 浦﨑寛泰(弁護士) 小出 薫(弁護士) 堀江まゆみ (PandA-J 代表)
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