企業倫理をめぐる五つの視点

2015 年 6 月 6 日
企業行動研究部会 峰内謙一
企業倫理をめぐる五つの視点
1.
ルール(規範)が全てなのか?-「徳」とは何か?
1-1「徳」については、我々日本人には意識的、無意識的に伝統的な儒教における「仁・義・礼・智・信」といっ
た徳の考え方がそのベースにあるのではないか。また、東洋的、西洋的な「徳」の考え方には違いがあろう
が、いずれも統治者、為政者など広く社会のリーダーのあり方を問題にしているところは共通している。
1-2「リストラ」と称して従業員を減らして出た利益を役員報酬と配当増に当てるようなことや優秀な経営者
に支払われている報酬を支払わないと優秀な経営者は確保できないとして高額の報酬を正当化することなど
はそれが直ぐ倫理に反するとは云えない。しかしどこかおかしいという感じも拭いきれない。
最近のゼンショー社や大塚家具の問題をみても、そこでは、
「会社は何のためにあるのか」
「我々の会社は社
会においてどうあるべきか。」
「企業の経営者は人間としてどうあるべきか」かというような視点が等閑視さ
れているように思われる。
「徳」が注目されているのはこの様な背景によるものではなかろうか。
1-3 西欧的な徳の概念として先ず言及されるのが、プラトンとアリストテレスが説いた「徳」の考え方だろう。
これを倫理学の中心に復活させようというのが「徳倫理学」とのこと。徳倫理学は規範や義務を強調する義
務論(Deontology)と行動の結果を重視する結果論(Consequentialism)または功利主義(Utilitarianism)
という倫理学の三つの考え方の一つとのことだが、現在の経営倫理に関してはカントやロールズに代表され
る規範重視の考え方が支配的といわれている。
●義務論(Deontology):行為そのものを問題にする。行為の倫理性を義務たる倫理規範に沿っているかど
うかで判断する。
●結果主義(Consequentialism):行為の結果を問題にする。行為の倫理性を判断する基準はその行為生み
出す結果の良し悪しや良し悪しの差引きで判断する。(功利主義)
●徳の倫理(Virtue ethics):行為の性質や行為者の性格に注目する。行為の倫理性はそれが「善」かどうか
で判断する。「善いことを行おうとする身に着いた気質」
1-4「我々はどのような規則にしたがって行為すべきか」という問いに答えようとする倫理規範の潮流に対し
て、「徳」は「いかにあるべきか」ということであるという。
「我々はどのような人間になるか(どのような
性質と性格をもった人間になるか)」という問いだという。「倫理的な義務に沿っているかどうか」だけで
なく、
「その行為が美徳(Virtuous)か悪徳か(Vicious)」を問う(ナチスの追われて逃げ込んできた友人を
捜索にきた官憲に嘘をついて匿うか、正直に引き渡すか、という例え話のように)。「善」と義務論におけ
る「正義」とは必ずしも一致しないし、又義務論と反対に徳の倫理からは善は正義に優先するという。
プラトンとアリストテレスに発する西欧的な徳(アレテー:卓越性)のうち主要な徳目は「四主徳」
(Four
Cardinal
Virtues)といわれ。「正義」
(Justice)「智恵」(Prudence)
「節制」
(Temperance)をいう。
1-5 上記三つの考え方は互いに相容れないということではなく、義務倫理や結果主義だけでは、我々の行為の倫
理性を判断するには充分ではなく、行為者の徳性をも判断基準に加えることを求める「徳の倫理」は義務
論や結果主義だけの判断の欠点を補う考え方とされている。特に義務論は完全な自由の元に自律的に行動
する人間観が前提になっているので、これをつきつめていくと社会や組織における人間関係は顧慮されず、
1
これがリバータリアニズム(自由放任主義)や新自由主義につながっているとの批判がある。
2.ものごとの順序が逆ではないか?
秩序の問題-科学と経済が先行するのか?
2-1大飯原発の運転再開を差止めを認めた福井地裁判決(2014年5月)と、その後の川内原発の再稼働差止請求
却下した鹿児島地裁の決定(2015年4月)は司法判断において対照的だ。福井地裁判決は原発問題は科学・
技術や経済、そして行政よりもっと高位な秩序に基づき判断するべきと説き、憲法上の生存権を基準に判断
している。一方で鹿児島地裁の決定では、原発に関するこれまでの殆どの司法判断の基準に沿って「裁判
所の審理・判断は新規制基準への適合性判断に不合理な点があるか否かという観点から行われるべき」
として憲法に根拠を求めた福井地裁判決の判断基準を否定する内容になっている。
2-2 福井地裁判決に対する批判側の多くの論点は判決を「非科学的」「専門家の意見を聞いていない」という
ことであり、科学・技術万能主義がベースにあるように受け取れる。福井判決は「電気料金の高い低いと人
間の生存権を同列においている」と批判しているように経済優先批判がその根底にあるように見える。この
判決は原発の問題の判断は科学・技術や経済、そして行政よりもっと高位な秩序に基づくべきと説いている
点が注目されている。
「被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、
当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるよ
うな議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えてい
る。」
2-3 このコストの問題に関連して判決はいう。「国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停
止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそ
こに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の
喪失であると当裁判所は考えている。」
2-4 この点で参考になるのが、フランスの哲学者アンドレ・コント=スポンヴィルによる説明だ。彼は人知の
世界を「四つの秩序」という形に整理し、各秩序間の相互関係を説明している。そして、科学や経済万能主
義を「秩序の混乱」と呼んでいる。科学や経済と法と道徳の関係など、これを何が許され、何が許されない
かの「制限の問題」としている。
第五秩序:超自然・聖なる秩序
野蛮
原理主義
第四秩序:愛の秩序
―
下からの圧制
― 上からの圧制
第三秩序:道徳の秩序
第二秩序:法・政治・国家の秩序
第一秩序:経済・技術・科学の秩序
2
2-5 遺伝子操作がどこまで許されるかは生物学も医学も答えてくれない。それは「生物学に属する問いではな
い。
」からだと。同じように経済や資本主義で何が許されるか、また、踏み越えてはならない限度について
経済学は答えを持たない。
「生物学に対して生物学内部での制限はなく、経済学に対して経済学内部での制
限が無いのと同じように、
(第二秩序に属する)民主主義に対して民主主義内部での制限は存在しない。
」こ
れら「第一秩序」の各領域の内部では「自分で自分に制限を設けることはできない。」
「私たちができるのは、
この秩序に外側から制限を設けることだけ。
」つまり、法、道徳などの上位秩序により、外側から制限を設
けるほかはないと説く。
3.帳簿から漏れている資本がある?‐「社会関係資本」(“Social Capital”)
3-1 2014 年 5 月二人の英国人学者による『Social Capital, Sense-Making and Recovery from Disaster:
Japanese Companies and March 2011 Earthquake』という実証研究が英国のエディバラ大学から発表さ
れている。これはトヨタ自動車に部品を供給していた東北の企業群の中心だった 5 社から聞き取り調査を行
い、東北のあの地震と津波という激甚災害のあと何故驚異的な速さで生産体制とサプライ・チェーンを復旧
できたのかを「social capital」
「sense-making」という二つの社会学的概念を用いて実証的に説明した研究
である。これらの会社の内部及び会社間に見られた人々の自発的共同体的行動は人間を単なる無個性の経済
主体としか見ない新古典主義的経済学では理解できないものであり、社会や組織の中に蓄積されてきたもの
であるとこの研究は述べている。
3-2 立命館大学佐藤誠教授はこういう。「米国の社会学者コールマン(James Samuel Coleman)によると,
社会的行為の解釈には,人間行動を社会的な文脈でとらえ,人間が規範,規則,義務によって支配されてい
るとみる主に社会学的な潮流と,人間は利己的でそれぞれバラバラな目標をもち独立して行動するとみる主
に経済学的な潮流がある」という。さらに、社会関係資本について厚生省の資料はアメリカの政治学者ロバ
ート・パットナムの定義を取り上げている。;「人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率性
を高めることのできる、
「信頼」
「規範」
「ネットワーク」といった社会組織の特徴。物的資本(Physical Capital)
や人的資本(Human Capital) などと並ぶ新しい概念」
3-3
3.11 日本企業の対応については上記の例だけでなく、本社の指示が出る前に従業員が自発的に必要物
資・資材の輸送や配達・供給を行った宅配業者やコンビニ従業員の行動があげられる。
上記の論文はその結論を次のように述べている。
「日本のリーン生産システムは(世界で採用されているが)30 年前には日本の社会と社会制度に深く根ざ
すものであって他では真似ができないものだといわれたものだ。同じ様に今回 3.11 後に見られた日本にお
いて高度に共同体的な企業間の協調行動がいち早く、自然発生的に起こされたのは他と違って(日本のよう
な)コンテクスト社会だからこそと言われそうある。しかし、この核心にある考え方は広く適用できるもの
ではないと否定することはできない。近年、世界では、テロ、気候激変、地震、津波など大規模な破壊や混
乱が起こっている。このため従来の対策は役に立たないことがある。だからこそ、Social Capital,
Sense-Making
に基づく方法をよく理解し、これから解決を考えることが不可欠なのだ。
」
4.「人はパンのためにのみ生きるに非ず」-「存在関心・自己実現」の問題
4-1 「共生配慮型の公を開く」という今田高俊(東京工業大学教授)の論文で「いかに生きるのかいう存在
への関心(人間のありかた)が高まっている。『物の豊かさ』」より『心の豊かさ』の方が重要であると答
3
えた人々が右肩あがりで増えている。(『所有関心』から『存在関心』へのシフト)あらたな公共性という
のは『存在関心』の方をどう育てるか。この状況をどう仕組みとして実現していくかが問題。」との問題提
起をしている。衣食足りた今、意識的・無意識的に人々は家族生活、職業生活など人生の色々な面で自己実
現を求めているのではないだろうか。3.11 の時だけでなく、若者のボランティア活動参加が増加を続けてい
るには「自分が社会の役に立つことで、自分の存在意義を感得したい。」という慾求に基づくものだろう。
対照的に経済学が前提にする人間は自律的に行動し瞬時に経済的損得を合理的に判断できるロボットのよ
うな、またはコンピューターで代替できるような「こころ」のない人間であると思う。要するに企業社会に
おいて典型的に見られるように、人は金で動く、金を沢山やればもっと働くという考え方だ。しかし、実際
にはそうとは限らないということは誰でも分かっているところに経済学や経営学とののズレがあるのでは。
4-2
最近まで「ブラック企業」と「追い出し部屋」の問題がマスコミを賑わせていた。
「ブラック企業」と「追い出し部屋」に共通する一面は欲求やプライドなどこころを持つ人間というものを
単にコストとしか見ていないところだろう。一方で先日、2013 年 7 月 30 日朝日新聞夕刊コラム「へぇーな
会社」で紹介され、日経ビジネスが「日本を救う小さなトップランナー」という岩手県奥州市の従業員 100
人、売上高 9 億円弱の小さな精密金属加工の「千田精密工業」の千田伏二社長は「会社とは、自己実現を目
指す自立した社員の集合体だ。」だという。人間のコスト扱いと対極的な考え方である。千田社長は、社員
の独立を後押ししている。これまで 40 代を中心とした 9 人の職人たちが独り立ちした。日経ビジネスによ
ると「独立に際しては日本の商家にあった「のれん分け」のように、汎用機などの機械設備を持たせて送り
出している。「会社の傘の下でぬくぬくと仕事をされては困る。だから追い出しているだけ」と千田社長は
いう。真の狙いは独立の道を開くことで、社員の精密加工技術への士気を高めることにある。熟練工が抜け
るのは会社としては痛手となるが、その分、若手の育成を続ける。」
4-3
この「自己実現を目指す」については、米国の心理学者マズロー(Abraham Maslow1908-1970)の人
間の「欲求 5 段階説」(Maslow's hierarchy of needs)がよく知られている。これは「自己実現の欲求」
(Self-actualization)は最も次元の高い第 5 段階の欲求だという。ちなみに、低い方から挙げるとこうな
る。①「生理的欲求」
(Physiological needs)②「安全の欲求」
(Safety needs)③「社会的欲求」
(Social needs
/ Love and belonging)④自己尊厳欲求(Esteem)
この説は「非科学的」とかで学者には余り評価されていないようであるが、科学的であるかどうかは別にし
て人間の心理をうまく説明していると思う。
「自己実現」というと大袈裟だが、要するに金銭的な報酬だけ
ではない「やりがい」を感じたいということだろう。ディズニー・ランド(最近日本のディズニー・ランド
はブラック企業だとの非難がある)の非正規雇用者を含む従業員でさえ、非常事態時にとった臨機応変の対
応があげられる。
5.「人間は本性的に共同体に関わる動物」ではないか?-「Communitarianism」 への関心
5-1
以上述べた四つの視点のうち「秩序」を除く「徳」、「社会関係資本」、「存在関心」の三つの視点は「人
間は本性的に共同体に関わる動物」というところに収斂するのではないかと思う。企業も人間の集合体とい
う面からみると同様の問題があるのではないか。会社は株主のものだとか会社の目的を株主価値の最大化と
し、会社を ROE などの資本効率から評価するような「科学化」した経営学の考え方は、
「秩序」の視点から
みても
「野蛮」といえるのではないか。
5-2 経済学や経営学が前提にする人間はカントやロールズの義務論に基盤をおく互いに独立した自律的な人
4
間像であり、換言すれば社会はバラバラに存在する原子のような人間の集合体と考えるか、それとも「人間
は本性的に共同体に関わる動物」(アリストテレス)と考えるかの問題であろう。
Communitarianism の代表的学者の一人であるマイケル・サンデル(Michael J. Sandel)は『これからの
正義の話をしよう』において、英国の哲学者マッキンタイアー(Alasdair Maclntyre 『美徳なき時代』の
著者)の言葉を次のように紹介している。「われわれはみな、特定の社会的アイデンティティの担い手とし
て自分の置かれた状況に対処する。
」
「私はある人の息子や娘であり、市民であり、業界の一員であり、ある
国の国民だ。したがって、私にとって善いことはそうした役割を生きる人にとっての善であるはずだ。
」
そしてサンデルはいう。
「
『私は単なる個人としては、善の追求も美徳の実行もできない(マッキンタイアー)
』
私が自分の人生の物語を理解できるのは自分が登場する物語を受け入れるときだけである。アリストテレス
と同様に道徳的省察の物語的あるいは目的論的側面は成員の立場と帰属に結びついている。
」
参考文献
1.マイケル・サンデル(Michael Sandel)(2010)『これからの「正義」の話をしよう』早川書房
2. 小坂国継他(2010)『倫理学概説』ミネルヴァ書房
3. アンドレ・コント・スポンヴィル(Andre Conte Sponvile) (1999 )『ささやかながら徳について』
紀伊国屋書店
4.アンドレ・コント・スポンヴィル(Andre Conte Sponvile) (2007 )『資本主義に徳はあるか』
紀伊国屋書店
5.リチャード・ノーマン(Richard Norman)(2005 ) )『道徳の哲学者たち』ナカニシヤ出版
6. アラスデアー・マッキンタイアー(Alasdair Maclntyre)(2010)『美徳なき時代』
7.佐藤誠『論説:社会資本とソーシャアル・キャピタル』立命館国際研究
16-1,June 2003
www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/16-1sato.pdf
8、Olcott, G & Oliver(2014)『Social Capital, Sense-Making and Recovery from Disaster:Japanese
Companies and the March 2011 Earthquake』California Management Review, vol 56, no. 2, pp. 5-22.,
10.1525/cmr.2014.56.2.5
http://www.research.ed.ac.uk/portal/files/14098647/Olcott_Oliver_2014_Social_Capital_Sensemaking_a
nd_recovery.pdf#search='%E3%80%8ESocial+Capital%2C+SenseMaking+and+Recovery+from+Disaste
r%3A+Japanese+Companies+and+March+2011+Earthquake%E3%80%8F'
9.今田高俊(2006)『共生配慮型の公を開く』千葉大学
公共研究
第2巻第4号(2006 年3月)
http://mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/ReCPAcoe/imada.pdf#search='%E3%80%8C%E5%85%B1%E7%
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