Vol.18 2012.10 平成 24 年 10 月発行 ロンドンオリンピック手記 一男 年生まれ。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ り、 層 の 厚 み を 感 じ て い ま す。 日 本 女 子 サ ッ カ ー は こ れ か ら も 更 な る 高 み を 目 指 し、 皆 様 に 勇 気 と 感動を与えられるよう頑張ってまいります。 今後ともご支援をよろしくお願い申し上げます。 ● 本田 一男氏/志賀町出身 昭和 こらむ アイデンティティ ⑯ ﹃ ―切子燈籠︵キリコ︶﹄その1 奥能登を彩る象徴的な空間 キリコー 奥能登生まれの奥能登育ちならどな たも目の裏に心の底にあの細長い長方形の光る造 形と笛・太鼓・カネの音色の囃子が残響して思い 出されるであろう。 それもそのはず、奥能登は7月から 月初め頃 にかけて能登半島一帯どこかの町 ― そう、200 近くにも及ぶ地域・箇所でキリコが乱舞し、存在 す る 切 子 燈 籠 の 数 は 大 小 8 0 0基 を 超 え る と い う。しかも、どれ一つとして同じものがない。能 登キリコという他では見られない独特の造形を共 有しておらが切子燈籠を組み個性色濃く仕立て上 げるのである。そして、町や集落ごとに自分たち のキリコ祭の伝統的な意味と伝わってきた特色を 継承しながら創意を凝らして、暗夜に明かりを入 れて彩り乱舞する様は奥能登が演出する異次元の 空間である。 私もそうであったが、今も若者達はキリコ祭に 合 わ せ て 帰 省 す る と い う。 こ ん な う れ し い こ と は ない。キリコの担ぎ手の柱となって、夏から秋の 祭 り の 王 国 の エ ネ ル ギ ー と な っ て ほ し い。 穏 や か で温か味のある奥能登人の実は内に秘めた魂と胆 力がみなぎり荒ぶり呼び覚まされる時である。 〝 本 だ よ り 〟 に も 再 々 紹 介 さ れ て い る よ う に、 切子燈籠は都内・関東に登場した。池袋、靖国神 社、総持寺、品川 ・・・ と。これを実現させるため に井戸を掘った八木淳成、安田正、光眞章、今井 欽次さんや関係の皆さんに心から敬意を表するの である。奥能登人に長く血を騒がせてきた伝統文 化 の キ リ コ・ シ ン ボ ル を 首 都 に 位 置 付 け 楽 し み つ つ 故 郷 を 思 い、 訪 ね る 人 々 に 能 登 は い ら ん か い ネ と物語るのは何とも素敵なことであろう。 ︵押上武文︿府中市・宝立町出身﹀ ︶ 切 子 燈 籠 は、 奥 能 登 を 代 表 す る メ ッ セ ン ジ ャ ー でなくてはならない。 10 ︿写真﹀ 兼務。 理事などを歴任され、現職 一 ( 般社団法人日本女子サッ カーリーグ理事長 。)日本トップリーグ連携機構理事を 資 格 の 大 原 で 有 名 な 大 原 学 園 理 事、 日 本 ス ポ ー ツ 科 学 専 門 学 校 長、 ㈳ 全 国 産 業 人 能 力 開 発 団 体 連 合 会 専 務 16 中央筆者、向って左キャプテン宮間選手、右守護神 福元選手 http://okunoto.net です。 「東京奥能登応援団のホームページ」アドレスは 本田 日本女子サッカーリーグ理事長 多くの国民の皆様の熱い声援と期待を受け、我が ﹁ な で し こ ジ ャ パ ン ﹂ は 8月 9日 午 後 7時 分 現 ( 地時間 、)サッカーの聖地ウェンブリーで前大会及 び前々大会の覇者米国との決勝戦に臨みました。結 果は、序盤早々得点に成功した米国チームに2点を 先制され、日本チームは後半に何とか1点を返した も の の 残 念 な が ら 及 ば ず 1対 2で 敗 退 い た し ま し た。 昨年のワールドカップに続く優勝とはなりませ ん で し た が、 圧 倒 的 に 体 格 に 勝 る 外 国 人 チ ー ム の 中にあって、強烈なプレッシャーにも屈することな く正確なパスプレイを駆使し、身上のチームプレー とフェアプレーを貫き、オリンピック大会では女子 サッカー初となるメダル し ( かも銀 を ) 獲得した成 果は、国民の皆様にも喜んでいただけたのではない でしょうか。 ロンドンで戦う選手達の胸奥には、今なお東日本 大震災で苦悩されている人々をはじめ国内、あるい は現地で応援して下さる皆様、支えてくれる仲間た ちへの思いがあり、そうした多くの人達のためにも 悔いの無い試合をしようと全員が決意し大会に臨み ました。そういったやさしい心の結晶が、世界も認 めるフェアプレーの体現、敗者を労わる真のスポー ツマンシップの具現ともなり、なでしこチームの誇 りに繋がっています。 ﹁能登はやさしや 草までも﹂とうたわれるよう に、ふるさと能登の人々はどこまでもやさしく親切 です。時にお人好しなまでの親切は視点を変えれば 逆に強さでもあり、なでしこチームのしなやかな強 さにどこか通じるものがあると私は考えています。 ぜひ、当地を訪れ、その人情、風土に触れてみてい ただきたいと思います。 おかげさまで、後に続く﹁ヤングなでしこ﹂も先 般、日本で開催されたワールドユースで見事銅メダ ルを獲得するなど、そのレベルも着実に向上してお 45 平家伝説小説を手がける櫻田啓氏の取材訪問 62 80 キリシマツツジ生誕の地訪問 私の郷里、珠洲市大谷 訪れ、霧島連山希少植物 町の実家では、推定樹齢 保全調査会の皆様のご案 三百年を超えるキリシマ 内で霧島高原の陽当たり ツツジ︵県指定天然記念 の良い斜面に大切に生育 物 名称 大谷キリシマ︶ されている苗木を見せて が 今 も 初 夏 に 咲 き 誇 り、 いただきました。 訪れる人々の目を楽しま 孫苗木が里帰りするま での遠く長い旅程に想い せています。 その苗木を昨年から本 を馳せつつ、いろいろな 年にかけ、実父宝蔵が原 意味で感慨深い旅となり 産地である鹿児島県霧島 ました。 市 へ 寄 贈 い た し ま し た。 霧島市はじめ関係の皆 いわば、孫の里帰りとで 様方のご厚意に感謝を申 景 と し た ミ ス テ リ ー 小 説 で、 し上げますとともに、キ も言えるでしょうか。 近 く﹃ 殺 意 の 赤 い 実 ﹄ と 題 その後、霧島市からの リシマツツジを御縁に同 して PHP研究所から出版 お声掛りもあり、同市が 市との活発な交流が末永 される。 私たち夫婦の新婚旅行の く続くことを心から祈念 地 で も あ っ た こ と か ら、 いたします。 7月下旬に夫婦で同市を ︵写真中央 筆者夫妻︶ 祭 り を や ろ う 会︵ 八 木 惇 成 会長︶がキリコを担ぎあげ 勇 壮 に 練 り 歩 い た。 縁 台 に 乗った子供達は目を丸くし ながら初体験を楽しんだ。 池上 権八 県知事、刈乙女と一緒の献穀者・河原勝さん一家 (9 月 24 日、珠洲市上戸町の献穀田にて) 去 る 9 月 2 日、 3 日 平 家 シャルガイド・藤平朝雄氏か 伝 説 を テ ー マ と す る ミ ス テ ら 解 説 を 受 け た。 大 分 県 に リー小説を執筆中の櫻田啓 落ち延びた平家の末裔を自 氏 が 奥 能 登 の 平 家 ゆ か り の 認 す る 櫻 田 氏 は、 奥 能 登 の 地を巡った。 平家高官の配流先の伝説や 初 日 は、 レ ス ト ラ ン 浜 中 逸 話 の 奥 深 さ に 感 激 し て い で 名 物・ イ シ ル 鍋 で 歓 待 を た。 取 材 の 最 後 に 訪 れ た 受 け、 午 後 須 々 神 社 へ。 猛 時 国 家 を 辞 す る 時、 門 の 前 暑 の 中、 新 保 博 氏 や 猿 女 宮 で 平 家 家 紋 で あ る 揚 羽 蝶 1 司 の ご 案 内 で﹁ 蝉 折 の 笛 ﹂ 羽 が ヒ ラ ヒ ラ と 一 行 の 眼 前 などの至宝を見学した。 を 舞 い、 奇 縁 に 瑞 兆 と 驚 嘆 翌日は、平家の郷構想研究 するばかりであった。 会・ 大 兼 政 忠 男 会 長、 重 政 時代物を得意とする作家 靖 之 氏 の 出 迎 え を 受 け、 訪 の 櫻 田 氏 が、 初 め て 取 り 組 れ た 平 時 忠 の 墓 所 で は、 則 ん だ 現 代 小 説 は、 大 分 と 能 定家ご当主から貴重なお話 登そして東京のトライアン を 拝 聴 し、 時 国 家 で は ス ペ グ ル を 結 ぶ 、 平 家 伝 説 を 背 26 能登空港応援隊キャンペーンにとも旗登場 7月 日 品 川 区 大 崎・ E 能 登 半 島 の テ ン ト で も 能 メ ル パ ル ク に お い て、 人 登 の 海 産 物 な ど が 好 評 を 博 が 参 加 し 能 登 空 港 応 援 隊 の した。 総 会 を 開 催 し た。 石 川 県 空 能登のキリコ 2基や小木 港企画課安田秀樹課長が挨 港とも旗が展示され観客の 拶 に 立 ち、﹁ 皆 さ ん 方 の ご 協 目 を 引 い た。 東 京 で 能 登 の 力により搭乗率 パーセン ト を 達 成 し た が、 引 き 続 き 厳しい状況にあるので今後 もご支援をお願いしたい﹂ と訴えた。 そ の 後、 同 区 内 西 大 井 広 場公園に移動し品川納涼祭 で空港利用促進キャンペー ン を 行 っ た。 公 園 の 珠 洲 の 物産展テントでは能登直送 の朝取り焼きサザエがすぐ に 売 り 切 れ、 東 京 D E M A 宮中新嘗祭に献上される 献穀米の御抜穂式 2 東京奥能登応援団だより Vol. 18 2012(平成 24)年 10 月発行 東京奥能登応援団だより Vol. 18 2012(平成 24)年 10 月発行 3 日㈰ 宗 玄 酒 造 ㈱ は、 宗玄酒造、恋路まで トロッコ運行を計画 路の土地を取得し 同社裏手の廃線線 :∼ :︵開場 00 講演② 揚げ浜式製塩 ﹃ ﹄ 講師 角花豊氏︵珠洲市︶ 映画 ﹄ ﹃ひとにぎりの塩 ゲスト 石井かほり監督 他 世界農業遺産﹁能登の里山里海﹂ パネル展示+DVD放映 月 日㈯∼ 日㈫ ・日程 ・場所 エントランスホール 13 10 20 石川県紀尾井会館 ふるさと会連絡会 小田急大和駅西口プロムナード ふるさとうまいもの市・珠洲物産展 椿山荘 石川県人祭 東京 渋谷たばこと塩会館 出前講座・世界農業遺産﹁能登の里山里海﹂について 30 ︵東京都豊島区東池袋3 1 - 1 - ︻サンシャインシティ展示ホールC︼︶ :︶ 日 出 前 講 座・渋 谷 た ば こ と 塩 会 館 日㈰ 17 00 月 月 世界農業遺産 30 ﹁能登の里山里海﹂について 講演① ﹄ ﹃能登杜氏の技 講師 農口尚彦氏︵能登町︶ 日時 テーマ 13 28 日本橋三越本店 石川県フードコレクション ふるさと行事 :∼ 月3日㈬∼9日㈫ 月6日㈯ 28 10 日㈫ 伊勢丹新宿本店 世界農業遺産フェア 日㈰ 全国丼選手権予選会 ︱ 七尾の、松乃鮨、﹁ザ・ブリ丼﹂で登場 ︱ ﹁旅フェア日本 2012 ﹂会場内 :∼ 月6日㈯∼7日㈰ 13 10 in 30 30 管 理 し て い る が、 月 日㈮ 月9日㈮∼ 月 日㈬∼ 月 日㈰ 28 26 この程恋路駅まで の350メートル ロッコを走らせる に線路を敷設しト 計画である。恋路 海岸の眺望が楽し める観光コースに もなることから来 れている。 春の開通が待望さ 24 飯田高校 創立百周年 記念式典 :∼ 飯田高校第一体育館 記念講演 伊東 乾氏︵作曲家・指揮者︶ 祝 賀会 :∼ 珠洲ビーチホテル 10 10 ─記念行事参加希望募る─ 月 00 10 10 10 11 10 祝 10 記念式典 記念講演 21 00 18 11 30 10 16 頑張る奥能登人 兵頭 恵子 さん︵蛸島町出身︶ らの生き方を考えた事を機にご主人と二 人、 自 然 の 中 で 過 ご し た い と、 こ の ほ ど 愛媛県出身の主人と愛猫を伴って帰郷さ れました。 正院町川尻に居を構え、自宅には﹁よっ てかし﹂の看板を掲げました。旅行者な どと珠洲の魅力について話したり、困っ ている事が有ったら手助けをして楽しい 旅 行 と な る よ う に。 又、 通 り が か り の 皆 さんに気軽に立ち寄って休んでいただけ れば、とのことでした。 ★メッセージ 能登を活性化できるよう微力ですが進 め て ま す。 皆 さ ん 能 登 に お 帰 り で し た ら是非お立ち寄り下さいませ。 〒 : - 珠洲市正院町川尻 ー ー1 メール アドレス 24 お待ちしてます。 [email protected] 13 浜中 康男 さん ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 1205 ︻経歴︼ 昭和 年東京女子学院卒 日活撮影所に勤務後に東京での最後は不動 産会社にて勤務、現在に至る。 月1日 珠洲市教育委員。 927 制 作 株式会社 警察研修社 TEL. 03-3365-3829 スポーツの祭典の余韻に浸った後は、崇高な次元からやや趣を変え、故郷の秋祭り を堪能いたしましょう! ︵乙丸︶ 猛暑日が続く中、ロンドンのオリンピック競技大会でも熱い戦いが繰り広げられま した。各国を代表するエリート選手たちが互いに持てる力をぶつけ合い、フェアプレー を展開する姿は美しく、そこには、もはや勝者も敗者もありません。 とりわけ、はるかに体格に勝る世界の強豪選手と堂々とわたり合い、銀メダルを勝ち 取った﹁なでしこジャパン﹂の足跡は実に感動的で、勇気とともに多くのものを私た ちに与えてくれました。 誤 審 に 対 し こ と さ ら 言 い 立 て る こ と も な く フ ェ ア プ レ ー に 徹 す る 潔 さ、 敗 者 を 思 い やる寛容性は世界の称賛を受けましたが、そこに大和撫子の謙虚さとともに武士道精 神の真髄を垣間見る想いがしました。どこかの国との際立った違いもまた印象的でし た。 優れた日本文化の美点を身をもって世界に示し、私たちにも再認識させてくれた選 手の皆さんに敬意を表するとともに感謝したいと思います。 事務局から 母校蛸島小学校に永年図書を寄贈してき た 東 京 在 住 年 の 兵 頭 恵 子 さ ん は、 こ れ か 43 レストラン浜中 代表取締役社長 珠洲市上戸町南方イ tel.0768-82-2595 ︻経歴︼ ★メッセージ 目 下 の 目 標 は、 能 登 丼・ 香 箱 カ ニ 丼 を 引 っ 提げて連続出場中の全 国 ど ん ぶ り 選 手 権︵ 後 楽園ドーム開催︶での 入賞。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 39 後 楽 園 ド ー ム の﹁ ふ る さ と 祭 り 東 京 ﹂ の 全 国 ど ん ぶ り 選 手 権 で は、 4 年 連 続 挑 戦 し て き ま し た。 今 年 は 連 続 出 場 の 実 績 を 買 わ れ て い た も の の、 作 戦 な き ま ま 予 選 会 に 臨 み ま さ か の 落 選 で し た。 来 年 は シ ー ド で 出 場 を 決 め て い ま す。 能 登 丼 の 代 表 選 手 と し て〝 メ ダ ル 獲 得 〟 の 必 勝 を 期 し て こ れ ま で 以 上 に 頑 張 り ま す。 な に と ぞ 絶 大 な 応 援 を よろしくお願いいたします。 45 21 昭和 年上戸町で生まれる 珠洲実業高校卒 京都調理師専門学校卒 歳で結婚を機に帰郷し レストラン浜中の調理長として現在に至る 珠洲を代表する料理店に肩を並べる。 25 10 4 東京奥能登応援団だより Vol. 18 2012(平成 24)年 10 月発行 お問い合わせ:応援団事務局 TEL 090-8876-4901
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